こしおれ文々(吉田ぶんしょう)
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2012年03月28日(水) |
吉田サスペンス劇場【夏美】第10話『大学生が殺された日その③』 |
吉田サスペンス劇場【夏美】 第10話『大学生が殺された日その③』
『毎日練習あるとなかなかね・・・。』
あるとき 彼が私に弱音を吐いたのがきっかけだった。
彼は大学で野球部に所属していた。 ただ、特待生として入学していない彼は、 遠征費やその他用具の費用を自己負担しなければならない。
ご両親からの仕送りだけでは間に合わず、 とはいえ夜遅くまで練習するのでバイトするヒマもない。
『これ、少しだけど足しにして』
最初は驚き、受け取ろうとしなかったが 最後は私の押しに負けて受け取ってくれた。
その日を境に、 私は定期的に彼に援助していく。
これといった趣味もなく、 学生時代の友人とも いまとなっては1人か2人ぐらいしか 付き合いのない私にとって、 自分自身へのお金の使い道はほとんどなく、 へそくりという名目で ただただ貯め込んでいるだけ。
そんな面白みのない私より 彼に役立てた方がよっほど有意義だと思う。
夫の稼いでくるお金で 何不自由なく、 なあなあに生きている私より 一生懸命野球に情熱を注いでいる彼の方が よっぽどこのお金に値する人生を送っているように思えた。
ときどき彼のアパートで料理を作ったり、 彼の誕生日には 欲しいと言っていた金属製のバットを買ってあげ、 遠征に行くときは、その旅費を援助した。
私は彼に出来るだけのことをした。
彼の役に立っている。 彼が私を必要としてくれる。 彼が私に笑顔を見せてくれる。
私はそれだけで幸せな気持ちになれた。
何も見返りを求めず、 ただ野球に専念してくれればいい。
それだけでよかった。
これが一生続かないことなど 私にだってわかっていた。 一生続かないにしろ、 本当に彼の役に立っているのなら、 私はそれでも良かった。
けれども彼は私を騙していた。 最初から私を騙すつもりで近づいていた。
役に立っていたには違いはない。 ただそれは 彼が遊ぶ目的のお金として役立っていただけ。
彼の野球への情熱が本当であれば、 きっと何も起こらなかった
きっと彼は死なずに済んだ。
きっと私は犯罪者にならずに済んだ。
そう。
彼の野球への情熱が本当であれば、 私が買ってあげた金属製のバットは 彼を殺すための凶器にはならなかった・・・。
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