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■ カカシ
Butterfly ひややかな情熱
脳が融ける程熱を帯びた愛情を 心に抱える俺を、 君は受け止めてくれるのか。
俺はただ、 ただ愛しい。
蒸し暑い夏だ。今年は猛暑だと任務中に誰かが言っていたのを、ふと思い出した。 さして面白くもない任務。組んでいた仲間とは既に別れている。上忍師になってから、一向に生徒を下忍試験に選出させた事が無い為に、こうしてSランクの任務が舞い込んでくる機会が増えた。別に彼等はそこまで不出来という訳じゃなく、ただ自分の期待するラインが高すぎるのだということは自他共に認めている。それは勿論譲れない一線なのだけれど。
はたけカカシは爪先にこびり付いた血痕を拭き取りもせず、照りつける陽射しから逃れるように森の木陰を歩いていた。地面から伝わる熱さえもが鬱陶しい。 何寸か先には陽炎まで見える始末。肌に絡みつく湿気は木々によって幾らか軽減されてはいるが、それでも葉の隙間から延びる光は暴力的な威力を持っていた。 「早く帰ってシャワーでも浴びたいねぇ…」 暑さの所為で普段の倍はあるだろう、任務明けの体に纏う死臭には辟易する。 帰路の途中に当たる川で清めようとも考えたが、水辺はこの時期の子供達にとって避暑地だ。人目につくのは憚られるので、仕方なく森中へと歩を進めたのだった。 新緑というには生い茂り過ぎた草木を見やり、溜息を溢す。今回の任務は暗殺だった。物心が付いた時には既に血塗られていた手。生者の命を刈り取り、生き長らえている己の何と醜いことか。俯いた鼻梁から落ちた雫は汗か血か、地面に作った染みを確かめることはしなかった。 「………?」 雫が目に入ってぼやけた視界の中に通り過ぎたものがあった。目元を拭い、辺りを見回すと一頭の蝶が舞っていた。午後の一番暑い時を見計らったように現れる揚羽。花の蜜や水を求めているのか、あまり高くは飛ばずに下草の辺りを縫うように飛んでいる。陽の光を浴びて光輝を発する様はこの風景には場違いだ。
何の感慨も無く、暫く眺めていると蝶はカカシの鼻先を掠め、獣道へと舞い進んだ。
「…これはついて来いってコト?」 周囲に他の忍の存在は感じられず、かといって幻術ではない。危険は無いのかもしれないが勘繰ってしまうのは習慣になっている。 「ま、いーデショ。」 整えられた銀糸の髪をくしゃり、と掻き回すと蝶を追って横道に分け入った。 普段ならこんな軽率な行動は起こさない。如何なる状況で寝首を係れるか分からない上に、報告書だって作成しなければならない。敢えて理由をいうならば、昂揚した精神と陰鬱した感情が相反して、些か投げ遣りになっているからだ。
深い茂みを掻き分けて森の奥へと行けば、蒸すような緑の香りが肺に流れ込む。先程の道からそう遠くは無い距離で、足元の柔らかかった土が砂利へと変わった。ぽかんと、森の真ん中に大きく口を開けたかのように、周囲は途端に開けた。 「こんな所に廃校なんてあったのか…」 木造の3階建て。取り残されて尚、佇まいは精悍だ。所々腐食し、窓枠から割れ落ちた硝子は摩滅している。大分朽ちてはいるが、見かけより廃れた感じはしない。寧ろ、どことなく生活感が漂うくらいだ。人の気配、温もり。使われていない筈の建物は確実にそれを持っていた。 樹木の葉が揺れる度に光量が変化する場に、甘い檜皮色の校舎は何の違和感も無く溶け込み、校舎の最上部に位置する時計台からは瑠璃鳥が飛び交い、つがいが伸びやかな美しい声で囀る。 ふと、先程まで自身を導いていた蝶を視線で探せば既に其の姿は在らず、所在なさげに一人取り残された。元々一人だったのだが、心境は母親と逸れて迷子になった子供だ。勿論道は覚えているけれども。 全身を覆う気怠さが、舎内への立ち入りを促した。随分と日は高くなり、葉が其の姿を幾許か隠していても体感温度はそれほど変わらない。少しでも涼しい処へ落ち着きたく、門扉を潜る。家に帰ろうと思う気持ちは何処にも無かった。
ぎい、と蝶番が軋む音が森に木霊した。
板張りの廊下は、自分の体重が掛かる度に頼りない音を上げる。校舎の向きの関係で日中は陽の光が差し込まないらしい、ひんやりとした校舎内は居心地が良い。 扉の正面に座している年代物の振り子時計は、未だ時を刻み、意外にも数分も狂ってはいない。埃も端の方で僅かに溜まっているだけで、足跡が付くなんて見っとも無い事は無かった。外見の廃れ具合とは相反して手入れがされているような形跡さえある。 「誰か住んでたりするかもな…」 第一印象で気になった生活感はこれか、と思った。 里の中心からは離れているが、ここなら早々人目には付かないだろう。抜け忍や盗賊でも住み着いているとしたら大問題だ。気配を消し、人がいないかどうか気を巡らせる。その際、一々首を回したりする動作も無い。心地よい緊張が身体を包む。感じた気配は一人だけ。 無駄な動作は一切せず、突き当りの階段に足を掛けた。音を立てることもしないが慎重にもならない。何段か抜かしながら、数歩で駆け上がる。こういう場合は経験上、迅速に行ったほうが良いと分かっている。下手に時間を掛けても無駄なのだ。
2階には保健室や理科室などが並んでいるようで、足早にそれらの前を通り過ぎると、ぴたりと足を止めて中の様子を伺う。辿り着いた先は図書室だった。頭上にあるプレートには罅が入っており、扉に嵌められている曇り硝子越しには何も見えない。例え中が覗けたとしても、誰もそんな不用意な真似はしない。自分の存在を相手に主張するようなものだ。 意識を集中させて耳を欹てると、物音は勿論、衣擦れの音すら聞こえてこない。一流の忍びならその位は容易いが、五感全てで相手を感じ取っても動かない。寝ているのだろうか、と見当を付けた。ならば、と部屋に入ればそこには、 「………え?!」 女がいた。床に座り、書棚に凭れた格好で眠っている。肩口で切り揃えられた髪は、窓からそよぐ風に靡き、膝まである白いワンピースの裾がはためいている。 指先が弛緩した。気配を殺していたことも忘れ、呆けた表情で目の前の女を見詰めた。不躾ではあろうが、好奇心からではなく只唖然と注視してどの位経っただろうか。堰を切るように蝉の鳴き声が耳を劈く事で我に返ったのだ。大きく息を吸い込めば、インクと紙の匂いが鼻腔に広がる。
見惚れてしまった。白磁の肌は長い睫毛によって影が落とされ、今は引き結ばれている唇は薄く、形が良い。呼吸をする度に上下する肩は華奢で、投げ出された手足に至っては若木の枝のようにしなやかだ。手や足の指先は薄く桃色に色付いている。 カカシはその場に縫い止められていた。胸は、標本にされた蝶の如く、針で刺されたような痛みを持っていた。 「俺が蝶?ま〜さか…そんなの、」 肌に熱気が纏わりつく夏、廃校舎の中で1匹の蝶と出会う。 「そんなの、この子デショ…」 はたはたと舞っていたカーテンが動きを止め、風が止んだ。女の額から、つうっと一筋汗が流れ頬を伝い、頤へ。雫は重力に耐えられず、彼女の服にぽたりと落ちた。その水の流れは酷く緩やかで、 それが一層目を惹いた。表面張力一杯に張られたコップの水が溢れてしまう。そんな、一滴。
2005年07月08日(金)
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