特に明記するとすれば、私が居た。
あれは忘れもしない...1973年か1974年?の夏くらい(かな?)の事だ。 当時"ティーヌ"と呼ばれた反政府運動に参加していた私は、東海岸の港町に小さな下宿を借りて住んでいた。(勿論、近所の人からはペンペン草大佐と呼ばれてはいたのだが...) そうだ、ここで私の友人達を紹介しよう。
・つけもの 私の友人であり、忠実な部下でもある。 ・滋賀県 普段は無口だが、怒ると「炭酸ガスが疲れた体を癒します」と言う。 ・ベルトコンベアー 奴とはニベアの会で知り合った。旧姓はベルトコンベアー。
一見気の合いそうに無いチームに見えるかも知れないが、私達には共通点があった。 それは私を含め、4人の父親の父親...つまり祖父が4人ともおじいさん(老人)だったのだ。
共通点の有る4人。友情が生まれるのにそう時間は必要無かった。 つけものが螺旋回し係、滋賀県がテトラミン買い出し係、ベルトコンベアーが放送委員。 、、、そして私が日直。
4人の歯車は見事に噛合い、急速に速度を上げた。 私達にはスポンサーも付き、何もかもが上手くいった。
だが、順風満帆に見えた私達にも幸福は長く続かない、、、 1979年である、持病の虫刺されにより、つけものが急死したのだ。
彼が最期の最期まで口にしていた言葉がある 「伊賀忍者と甲賀忍者どっちが強いの?」
逝ってよし!
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