てらさき雄介の日記
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2025年05月02日(金) |
同じ日本人として申し訳ないと考える |
休みの一日。映画〝太陽の運命〟を観た。ローカル映画館でしかやっていない。渋谷まで赴いた。沖縄の歴代県知事のうち、大田昌秀氏と翁長雄志氏を主人公としたドキュメンタリー。同じく知事だった稲嶺恵一氏も語り部として登場している。沖縄とは何かを問いかける内容だ。
私は辺野古新基地建設に反対している。理由は単純だ。沖縄県に基地の過重な負担を負わせるのは、同じ日本人として申し訳ないと考えるから。一部を犠牲にして成り立つ幸せはない。百歩譲って「地理的要因」だとしても、普天間基地に代替かどうか、納得できる論理をいまだ聞いたことがない。
神奈川は沖縄に次ぐ基地県だ。また地元相模原も過重な基地負担を戦後背負ってきた。他人事ではない。沖縄県民の気持ちを理解することにつとめ、神奈川の地からその運動を応援していきたい。
さて以下は、大田実中将が現地で自決する前に、海軍次官にあてた電文である。
「沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。
沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にもかかわらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝されながら窮乏した生活に甘んじ続けている。
しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。
つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。
食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。
沖縄県民はこのように戦い抜いた。
県民に対し、後世、特別のご配慮を頂きたくお願いする。」
●今日一日
終日所用
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