見つめる日々

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2010年09月30日(木) 
起き上がり、窓を開ける。昨日の晴れ間は何処へ消えたんだろう。すっかり雨雲に覆われて鼠色に染まった空。なんだか気持ちがしゅっと音を立てて縮んでしまったような気がする。ちょっと悲しい。
ベランダに出て、ラヴェンダーとデージーのプランターの脇にしゃがみこむ。デージーはかなりしぶとい。もう葉がすっかり茶色くなってきているにも関わらず、黄色い小さな花をぴんと咲かせている。ここまでくると、頑張れ、と声を掛けたくなる。でもそれは止めておく。もう十分に彼女らが頑張っているのは知っているから。そういえば昨日立ち寄ったホームセンターで別の種類のラヴェンダーの鉢植えが売っていた。花を咲かせていたあの鉢植え。うちのラヴェンダーはどうなんだろう。一向に花の気配は見られない。挿し木した年には、さすがに咲かないのだろうか。
弱っているパスカリ。新芽をひょいっと出しているのは昨日と変わらない。その新芽が少し、伸びたといったところか。でも、これだけ弱々しくなってもちゃんと新芽を出してくれるのだもの、大丈夫、ここからきっと持ち直してくれるの違いない。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。根元から出てきた二本の枝に、新芽がちょいちょいと姿を現わしている。頼もしい。でも、この子もきっとお日様が恋しいだろうに。そんなことを思う。
友人から貰った枝、きれいに紅い薔薇が咲いた。今日帰ってきたら切り花にしてやろう。私は心にそうメモする。そしてもう一本の枝にも蕾がついて。かわいい小さな小さな蕾。揃って元気そうな姿。嬉しい。
横に広がって伸びているパスカリ。伸びすぎた枝がさすがに重そうで。風にゆらゆら揺れている。その先にくっついたふたつの蕾。徐々に徐々に膨らんできた。共に同じくらいの膨らみ。揃って咲いてくれるかもしれない。
ミミエデン、ぐるりと彼女の体を見回すと、下の方から新しい葉を出してきている。紅色の、小さな小さな芽。これからぶわっと広がってくるんだろう。楽しみだ。
ベビーロマンティカの、真ん中に陣取っている膨らんだ蕾、もう十分に膨らんでいるのだが、まだ咲かない。もしかしたらお日様の光が足りないのかななんて思う。こんな天気だもの、せっかく咲くなら、いい天気の時が本人だって嬉しいんだろう。その時を待っているのかもしれない。
マリリン・モンロー、新しい蕾が小さく首をもたげている。今ちょっと、隣のホワイトクリスマスと競争しているかのような格好。どちらが背が高くなるか、という競争。そんな、競争なんてしなくていいよと思うのだが。別にどちらが勝っても負けても、関係ないよと私は思うのだけれど。ちょっと笑ってしまう。
ホワイトクリスマスは、白い蕾を綻ばせている。でも、咲くにはまだちょっと早いかもしれない。今日気温がさほど上がらなければ、ちゃんと咲くのは週末になるのかも。どうなんだろう、帰ってきたらちゃんと見てやらないと。
アメリカンブルーは今朝、みっつの花を咲かせてくれた。風にゆらゆらゆれる枝葉。こんなに美しい真っ青な花びらなのに、こんな鼠色の空の下で咲くのでは、なんだか寂しい。一体いつになったら、きれいな秋晴れになるんだろう。
部屋に戻り、お湯を沸かす。レモン&ジンジャーのハーブティーを入れる。お湯を注いだ途端に香り立つレモンとジンジャー。あぁ季節が巡っているのだなぁと思う。あたたかいお茶が嬉しい季節になってきたという証拠。
マグカップを持って、机に座る。昨日からやりかけている仕事の続きに取り掛かる。単純作業なのだが、量が多いため、なかなか終わらない。今三分の二が終わったところ。あと三分の一。
昨日弟が仕事の件でやってきた。仏頂面で、何度も溜息をついている弟に、どうした、と声を掛ける。どうも仕事が思うように進んでいないらしい。でもそれは、私の手伝える範疇を越えており。私が手伝えるのはたかが知れた範囲。私はただ黙って、じっと黙って、弟の愚痴に耳を傾ける。
ひとしきり話してすっきりしたのか、まぁ気持ち切り替えて、やってくるわ、と立ち上がる弟。こっちのことは任せておいてねーと私が軽く声を掛ける。おう!という返事と共に、玄関が閉まる。相変わらず風が強い。玄関ががたがたと音を立てている。
電話番の日。電話番をしながら、メールに返事をする。こういうときいつも思う。電話が鳴らない方がいいのか、電話が鳴る方がいいのか、と。電話が鳴るということは、それだけSOSを出している人がいるということで。電話が鳴らないということは、考え方によっては、SOSを出せないまま膝を抱えて泣いている人がいるかもしれない、ということで。どっちにしても、切ない。
先日、名も知らぬ人からいきなり、「いつまで被害者ぶってるんだよ」と言われた。その言葉を受けて、私はしばらく考えていた。被害者ぶる、ってどういうことだろう、と考えた。被害者と被害者ぶるのとは、全く異なると思えた。この人は何を勘違いしてるんだろう、と思ったが、それだけ言い捨てていなくなったから、その人に向かって返事のしようもなかった。だから私は、しばらくじっと考えてみた。
悲しいかな、私は結局被害者で。そういう言葉を吐く人の気持ちは分からない。私にできることは、自分が被害者で在ることを受け入れ、乗り越えてゆくことだけ。それでも、私が被害者であったことに変わりはなく。被害者ぶる、のとは、全く異なる。
そして思う。私は徐々に徐々に、そう、徐々にだけれど、被害者で在ることを受け入れ、乗り越えかけているな、と。もちろん、今も纏わりつくトラウマはあるけれど、それと共存していくこともだいぶ覚えた。
私にできることを、私はひとつひとつ、為していくだけだ、と思う。これからだって、そういう誹謗中傷はいくらだって出てくるんだろう。でもそれに対して、いちいち反応していたら身が持たない。私は私の生き方を貫くのみ、重ねてゆくのみ、そう思う。
娘が意気揚々と帰って来た。どうしたの? なに? なんだか嬉しそうに見えるよ。へっへっへー。なになに、何があったの? 秘密ぅ。そういわないでさぁ、教えてよー。あのね。うん。告白したんだ! をを、告白っ! で、返事は? 秘密に決まってるじゃん。って、もう顔が喋ってるけどね、いい結果だったんでしょ。どうしてそういうこと言うかなぁ、ママは。だって、あなたの顔、正直なんだもん。秘密だもんね! そうですかそうですか、分かりましたよー。もうっ! ははは。
告白かぁ。私は片付け物をしながら、そのことを考えてみる。告白。好きな人に好きなんですと告白するなんて、私はいつしただろう。もう遠い遠い、本当に遠い昔のことで、思い出せない。でも、最初の告白は覚えている。好きよ、と言って、その男の子のほっぺたにちゅっとやった。三歳の頃の思い出だ。そしてその男の子は数ヵ月後に、病気で亡くなってしまったのだが。あの告白は、どうにも忘れられない。
娘は、片付けものをしながらも、顔がにやにや笑っている。よほど嬉しかったのだろう。どんな男の子に告白したのか知りたい、と思うが、今聴いても応えてくれるわけがないので私は黙っていることにする。でも心の中で、やったね、お嬢、と声を掛ける。

真夜中、ふと目が覚める。起き上がり、窓を開けて煙草に一本火をつける。どんなに親しくなっても、礼儀は尽くしたい。そう思っている。でも、尽くしようのない相手も、やっぱりいて。自分の言いたいことだけ一方的にぶつけてきて、去っていく。そういう相手には、礼儀の尽くしようがない。そしてこちらには、嫌な気持ちだけが残る。
この残骸、どう片付けようかしら。私は心の中を見回して思う。でもまぁ、じきに、土に還ってくれることを祈ろう。今片付ける気持ちにはなれない。
その人に対して、自分がやれることはやったといえるのなら、もうそれでいい。そう思う。そして私の役目はきっと終わったのだ、と。

あ、ママ、雨降ってきた! 窓から顔を出して娘が言う。どれ、と横から覗くと、確かに雨が降り出してきた。自転車で出かけたかったのだけれど、だめか、と私はうな垂れる。それに気づいた娘が、バスもいいもんだよ、なんて生意気なことを言って私を笑わせる。
じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。
私は階段を駆け下り、傘を差さぬままバス停へ走る。ちょうどやってきたバスに飛び乗る。混み合うバス。
終点で降り、階段を下ったところで、ばったり倒れている少年を見つける。ぐったりしている。昨日飲みすぎてここで倒れ付したとでもいうのか。どうしよう、声を掛けようか。私は一瞬迷いながらも、とんとん、と肩を叩く。反応がない。もう一度叩く。少年がくいっと顔を上げる。朝ですよ。と、とんちんかんなことを私は言ってしまう。少年は、あぁ、朝ですか、すみません、と荷物を掻き集め、立ち上がる。私はなんとなく居づらくなって、そのまま立ち去ることにする。
階段を上がって、橋を渡る。風が強い。びゅうびゅう吹き付けてくる。川の水の色は濃紺に鼠色を混ぜたかのような暗い色で。
歩道橋の上に立つ。風車の姿は見えない。雲に飲み込まれている。でも、あそこには風車が在る。
さぁ、一日が始まる。私は階段を駆け下り、歩き出す。


2010年09月29日(水) 
起き上がり、窓を開ける。すぅっと晴れ上がった空が広がっている。薄い雲が所々あるものの、美しい水色の空。私はひとつ大きく深呼吸をする。風は強く流れ、街路樹の緑がその風に翻っている。東から薄く伸びてくる陽光に、きらきらと緑が輝く。
なんだかとても久しぶりの晴れ間のような気がする。そんな長雨だったわけでも何でもないのだが、この明るさが懐かしく感じられる。私の心がちょっと曇っていたせいだろうか。それもあるのかもしれない。
しゃがみこみ、ラヴェンダーとデージーを見つめる。デージーはあの雨にも負けず、ちゃんと今も咲いてくれている。黄色い黄色い、小さな花。母にこれもデージーなんだよ、といったらすかさず正式名称を言われ、デージーとはちょっと違うのよと言われてしまったことを思い出す。でもこれもやっぱり、デージーなんだよ、と私は心の中、今更だけれども言い返してみる。ラヴェンダーは、這うように伸びながら、要所要所から枝葉を伸ばし、ぴんと天に向かってそれらが伸びているという具合。
弱っているパスカリは、それでも新芽をひょいと伸ばしてきており。まさにそれはひょいっと、子供の頭髪の、寝癖のようにひょいっと。ちょっと笑ってしまう。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。根元からぐいっと新しい枝を伸ばしてきており。それが二本も。よかった、元気なんだな。私は心の中ほっとする。
横に広がって伸びているパスカリ。あまりに横に広がりすぎて、枝は重く撓っている。その先っちょにふたつの蕾。蕾は器用に、くいっと首をもたげている。他の枝からも、新芽がちょこちょこと出てきており。これから開いてくるだろう紅い縁取りのある新芽。楽しみだ。
そしてその脇に、何の枝だったか、挿したものがふたつ。新芽を出してきた。まだまだ油断はならないが、新芽を出してくれたそのことに感謝。
ミミエデン、紅い新芽が徐々に徐々に緑色に変わってゆく。そのグラデーションはいつ見ても不思議な感じがする。ほぉっと溜息をつきたくなるような、そんな感じ。
ベビーロマンティカは丸くぱつんぱつんに膨らんだ蕾を中央に湛えており。他にもあちこちから蕾や新芽が萌え出てきている。本当にこの樹は元気だ。羨ましくなるくらい。萌黄色のきれいな新芽が、艶々と輝いている。
マリリン・モンローもまた、あっちこっちから新芽を萌え出させており。この位置から今見ると、東から伸びる陽光を受けて影を描いている。そのくっきりとした輪郭は、もしモノクロの写真に撮ったなら美しいだろうなと思えるような、そんな様を描いている。
ホワイトクリスマス、今、綻び出した蕾を湛えており。昨日の強風と雨とで、外側の花弁がちょっと傷ついてしまった。かわいそうに。それでも蕾は凛と天に向かって立っており。その立ち姿にしばし見惚れてしまう。
そして。
球根類を植えっぱなしにしているプランターみっつから、それぞれムスカリの芽がぶわっと吹きだして来てしまった。早い、早すぎる。私は呆気にとられてその芽を見つめる。それにしても、なんて勢いのいい芽の姿だろう。手入れをしていなかった私がいけないな、と反省しつつ、今年も元気にこうして芽をだしてきてくれたことに感謝。途中で葉を切り詰めれば、何とかなるだろう、うん。そう思うことにする。
そして、挿し木だけを集めて育てている小さなプランターの中、あちこちから新芽が吹き出して来ている。昨日の雨が、彼女たちには喜びの雨だったんだろうか。なんだかちょっと嬉しそう。
部屋に戻り、お湯を沸かす。濃い目に生姜茶を入れる。ふと見ると、お弁当箱が流し場に伏せてある。あぁそうか、娘が自分で洗って伏せてくれたのか。これはちょっとした感動。先日、確かに私は、そろそろ自分でお弁当箱を洗おうね、と言ったものの、彼女がそれを実行してくれるかは分からなかった。昨日、具合の悪かった私を気遣ってのことなのかどうか分からないが、とにかく嬉しい。
マグカップを持って、机に座る。PCの電源を入れてメールのチェック。大切なメールが数通、届いている。時計を見、まだ時間があることを確認し、一通一通目を通す。
ふと、窓の外を見やると、水色の空に薄く赤い筋が伸びている。珍しい。私はしばし、その筋を見つめる。やがてそれは水色に溶けて消えた。僅かな時間のことだった。
下腹部を軽く押してみる。まだ痛みは去らない。昨日からちょっとおかしいのだ。腹部と下腹部とに、今までにない痛みを感じる。特に下腹部が酷い。痛み止めを飲んで最初凌いでいたものの、それだけでは足りず、モーラステープを貼ってみたりもう一度痛み止めを服用してみたり。でも、一晩休んだおかげで、昨日よりはずっと楽だ。昨日は脂汗まで出たほどだったから。
とりあえず朝の仕事に取り掛かることにする。私は椅子を引いて、仕事のモードに自分を切り替える。

どんなことを為そうと、誰もが諸手を上げて喜んでくれるわけではない。中には誹謗中傷を容赦なくしてくる人たちもいる。それはどんな場合でも。
重々承知だ。だから、今回のことも、そういう誹謗中傷はあるだろうな、と予測していた。でも実際されると、やっぱり私も人間だ、へこむ。
でも、何だろう。確かに一瞬へこんだのだが。復活するのも早かった。自分でも笑えるくらい早かった。そんなもんさ、そんなもんよ、だから何なの、それでも私はこうするんだよ、と、言わずにはいられなかった。
そしてまた、今私には、仲間がいる。気持ちを分かち合ってくれる仲間がいる。このことは、本当に大きい。
その存在に、深く感謝する。そしてその仲間に何かあったときには、間違いなく私は駆けつけるだろう、と、そう改めて思う。

最近、娘の足のサイズが、徐々に徐々に私に近づいてきた。私は25か25.5。彼女は23.5か24。このでかすぎる娘の足のサイズは、私の遺伝なのか。苦笑してしまう。確かに、私が彼女の年頃、私ももうすでに靴のサイズは24センチだった。
ママ、これ私にくれる? ママ、これ、履いてもいい? 玄関口でその会話が必ず為される。娘は私のお気に入りの、大事に取っておいた靴をすかさず見つけて、それを狙ってくる。それはちょっと早いんじゃないの? それはちょっと大きすぎるんじゃないの? と私が言うのだが、彼女はそんな私の言葉に構わず、とりあえず履かないと気がすまないらしい。履いてみて、やっぱりちょっと大きいとなると「これ、絶対取っておいてね! 私がいずれ履くから!」と言う。
こうやってどんどん私の靴や服をぶんどっていくのかしらんと思いつつ、でもそれが、嫌ではない。そういうのもいいもんだな、と思う。というのも、私は母の服を着ることが殆どできなかったからだ。母の靴のサイズも洋服のサイズも、私より小さかった。だから、共有することができなかった。母の服は、スーツやタイトスカートが多かった気がする。母が留守の折、母の洋服ダンスを物色したことがある。試しに履いてみたスカート。そのどれもが、私の大きなお尻がひっかかって履けなかった。幼いながらも悲しくなったのを覚えている。
だから、母と共有できるのは、唯一着物、くらいだろうか。それだけでもあってよかったと今は思う。もし母が死んで、その後、私は母の着物を、懐かしく着るんだろう。そしてその着物を娘にも、伝えていくんだろう、そう思う。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。強い風が玄関の扉をぎゅうぎゅう押してくる。私は娘の手が挟まれないよう、それをそっと閉める。
階段を駆け下り、自転車に跨る。坂道を下り、信号を渡って公園へ。公園の池にはたくさんの葉や木屑が落ちており。でもその水面は、くっきりと空を映し出しており。私はしばし、池の端に立って過ごす。樹々は轟々と唸るように風と共に揺れており。私は思わず歌いだしたくなる。そんな気分。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。今日も制服警官が何人も歩いている。訓練か何かなのだろうとは思うが、こう毎日会うのは、正直いい気分じゃない。
埋立地には光と風が舞い踊っており。銀杏並木の葉は全員が全員、きゃぁきゃぁと風に嬌声を上げているようで。ちょっと笑ってしまう。
信号を渡って左折する。そうして真っ直ぐ走る私とすれ違いに、たくさんの通勤の人が歩いてゆく。ビルに飲み込まれてゆく人、さらに歩いて遠くのビルへゆく人、みんなそれぞれ。
おはようございます、駐輪場でおじさんに声を掛ける。今日は晴れたねぇ、風が強いけど。そうですね、でも気持ちがいい。そうだねぇ。駐輪の札を貼ってもらい、自転車を停める。
さぁ今日も一日が始まる。歩道橋の上に立って見つめる先には、風車がくるくる回っている。


2010年09月28日(火) 
雨が降っている。その音が、部屋の中まで響いてくる。私は起き上がり、そっと窓を開ける。雨は隙間なく、降りしきっている。
傘を持ってベランダへ。デージーはまだ頑張って咲いてくれている。そしてラヴェンダーはラヴェンダーで、這うように枝を伸ばしながら、その這うように伸びた枝の要所要所から、また新たな芽を上へ上へ伸ばしている。
弱っているパスカリ。それでも、この雨がよかったのだろうか、少し元気になってきたような。一箇所から紅色の新芽をちょこっと出してくれている。よかった。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。静かなこの今朝の雨の中、この樹もしんと静まり返って佇んでいる。細長い形の葉が、あちこちから芽吹いている。
友人から頂いた枝。ようやく紅い花が咲いた。といってもまだ半分くらいか。綻び始めた外側の花びらは、内側の花びらを守るように、ゆっくりゆっくりと開いてきている。一気に開いたらだめだよ、とまるで内側の花びらを諭すかのよう。なんだかちょっとかわいらしい。
横に広がって伸びているパスカリのふたつの蕾。あまりに横に枝が伸びすぎて、そのせいで、蕾はくいっと九十度曲がって天に向かっている。おかしな姿になってしまった。でも、そうやって自分の姿を変えながら、ちゃんと陽射しを浴びて咲こうとしてくれる、その生命力が、嬉しい。
ミミエデン、ふたつの蕾がまだ小さくちょこねんとくっついている。ひとしきり新芽は出し切ったのだろうか。紅色から緑色へ、徐々に徐々に変わろうとするところ。
ベビーロマンティカは、ひとつの蕾が今、ぱつんと張って来た。もう少ししたら、きっとぽっくり咲いてくれるんだろう。今からそれが楽しみだ。
マリリン・モンローは、雨を浴びようとしているのか、雨へ雨へと枝葉を伸ばしている。私が雨の中自転車で走るのが好きなのと同じなんだろうか。なんだかちょっと仲間意識を感じてしまう。
ホワイトクリスマス、ひとつの蕾が綻び始めた。純白、とはちょっと違う、ほんのりほんのりクリーム色がかった白の花弁。まだ固く閉じているが、その花弁はとても艶やかで。雨の中でも美しい。
アメリカンブルーは今朝、ひとつの花も開いていず。ちょっと寂しい。でも、また陽射しが戻れば、きっとたくさん咲いてくれるだろう。私はそれを期待する。
部屋に戻り、ようやく買った生姜茶をポットいっぱいに作る。お湯は少しぬるめにしてみた。昨日窓を開けっぱなしにしていた午後、その間に、蝿が一匹入って来てしまって。だいぶ弱ってきているようだが、それでもまだ私は捕まえられずにいる。ぱしん、と、叩いて落としてしまえば簡単なのだが、なんだかそれができなくて、困っている。
生姜茶をたっぷり入れたマグカップを持って、机に座る。窓の向こうから、雨の滴り落ちる音が響いてくる。目を閉じて耳を澄ましてみる。きれいな音色が、ほろほろと響いているように聴こえる。
昨日は娘は運動会の代休で。私は私で病院の日で。どうしようかと話し合った結果、珍しく一緒に病院に出かけるということになった。帰りに本屋に寄ってもいいよ、と言ったのがよかったらしい。
混み合う電車に乗る。女性専用車両でも、ぎゅうぎゅうづめ状態。娘が私の耳に口をつけて、小さな声で言う。ママはこんな電車にいつも乗ってるの? そうだよ。苦しいよ、早く降りたい。でも、あなたも中学生になったら、もしかしたらこういう電車に乗って学校通わないといけなくなるかもしれないよ。うわー、しんどいー。ははは。
川を渡るところで、指差す。ほら、小さい頃、この川原でいっぱい遊んだの、覚えてない? 全然覚えて…あ、ちょっと覚えてる! 鳩もいっぱい来るよね、この川。うん。あなた、鳩を追いかけ回してたよ。覚えてる覚えてる! 今日は水が多いなぁ。そうなの? うん、やっぱり雨のせいだね。そうなんだ。
ようやっとH駅に辿り着いて私たちは飛び出すようにして電車から降りる。ふたりとも、たったこれだけの距離でくたくたになっていた。
とりあえずちょっと休もうということで、喫茶店に入る。病院が開くまでの僅かな時間、そこで時間を潰すことにする。
娘は、何やら本を開き出した。それ、何の本? この前買ってもらったトットちゃんだよ。あぁ、あれか。懐かしいなぁ。トットちゃんの続編は、ばぁばが買ってくれたから、それも読むんだ。うんうん、読みたい本はどんどん読むといいよ。ママは今何読んでるの。久しぶりにクリシュナムルティっていう人の本読んでる。うげー、字が小さい! ははは、そうだね、あなたの本に比べると、字がずっと小さいね。挿絵もないしね。私、挿絵を楽しみにしてるんだよなぁ。うんうん、あなたの年頃、ママもそうだった。挿絵のついてる本、よく眺めて過ごした。そうなの? でも、ママの子供の頃の本って、挿絵ほとんどついてないよ。だからだよ、たまーに挿絵のついてる本なんか読んだりすると、もう何回も頁捲って、眺めて過ごしたものだよ。へぇ、なんかちょっと変。ははは。
そうして病院の始まる時間になり。私たちは受付を済ませ、隅っこに座る。診察を終えて出てくると、今度は薬屋へ。いつもより長いこと待たされて、ようやく薬が出てくる。それらが終わった頃には、娘はちょっと飽きてきた頃で。「ママ、病院にこんなに時間かかるの?」「うん、そうだよ」「なんか疲れたよー」「ははは、早すぎるよ、疲れるのが」「早く本屋に行こうよ!」「はいはい」。
普段行かない本屋さんに行く。娘はもう夢中になって、ひとりであちこちの棚を回り、小さな嬌声を上げている。あぁここにも、こっちにも、欲しい本がある! どうしよう、どっち選ぼう。娘の独り言が響いてくる。私は苦笑しながら、本棚を順繰り回る。
あまりに迷っている娘に、Y駅に戻ったら、そこでも本屋に寄ってもいいよ、と耳打ちする。ばっちり笑顔が返ってくる。
結局三冊の、恋愛小説を買った娘。娘の年頃、私は恋愛小説というのは殆ど読まなかったなぁと思い出す。娘の好みと私の好みは、かなり違うから、これもまた面白い。
電車に乗り、Y駅へ戻る。各駅停車でゆっくり。これなら座れる。ふたりとも、席に座って、それぞれに本を開いて読んでいる。あっという間に時間が過ぎ、Y駅に。
二件目の本屋で、彼女は、大きな単行本を選んで買った。タイトルは忘れたが、全部で四巻あるらしい。「二巻まではもう持ってるから、三巻と四巻がほしいの。いい?」「いいよ、これは運動会頑張ったっていうご褒美ってことね」「やったー!」。
外は雨。しとしと雨。私たちは、家に帰って、布団に寝転がり、思い思いに本を開く。娘はもちろんミルクを片手に、本を読んでいる。

今朝起きて気づいたのだが。体がだるい。だるいというか、ちょっと痛い。これは、やっぱり、運動会でハッスルしすぎたせいなんだろうか。私は首を傾げる。そこまで無理なことはしたつもりはないのだが。やっぱりこれは、年齢というものか。そう思ったらがっくりくる。
体がだるい、痛いからといって、休んでいるわけにもいかない。私は娘に手を振って、家を出る。
ちょうどやってきたバスに乗り、申し訳ないと思いながらも、空いていた優先席に座らせてもらう。そうして駅へ。
川を渡るところで立ち止まる。濃紺と緑色を混ぜたような、そんな色合いの川の水が、どうどうと勢いよく流れている。天気予報では、夕方まで今日は雨が降ると言っていたっけ。
滑って転ばないように気をつけながら、タイルの道を歩いてゆく。ここ数日で、本当にいろんなことがあった。いやなことも、嬉しいことも、ごちゃまぜに。
でも。
引きずっても仕方がない。過ぎたことは過ぎたこと。きれいさっぱりこの雨に流してしまえばいい。
歩道橋の真ん中でふと立ち止まる。鼠色の雲は何処までも続いており。隙間なく続いており。風車はとてもじゃないが欠片さえ見えない。
でも、あそこに間違いなく風車は在って。今も佇んでいるはず。
ふと思う。共感する想像力の大切さ。それを失ったらいけないよな、と。
さぁ、一日が始まる。しかと歩いていかねば。


2010年09月25日(土) 
昨日は私も娘も、毛布を掛けた。久しぶりの毛布の感触はやわらかく、あたたかくて、ずっとそのままでいたいような誘惑に駆られた。まるで繭の中、包まれているような、そんな感覚。久しぶりに娘の足蹴りにも襲われることなく、ゆっくり眠った。
起き上がり、窓を開けようとしてぎょっとする。街路樹の枝という枝が風に煽られてびゅうびゅう鳴っている。昨日のうちに回ってきた、運動会は日曜日に延期になります、という連絡網が改めて頭に浮かぶ。こんなんじゃどうやったって運動会は無理だ。私は窓際で半ば呆然としながら外の世界を眺める。でも、こうしてはいられない。
とりあえず上着を着てベランダに出る。ベランダでもびゅうびゅう風が鳴っており。デージーはもう風に煽られ飛びそうになっている。もちろん根っこがあるから本当には飛びはしないが、黄色い小さな花が、びゅんびゅん風に飛びそうだ。ラヴェンダーは、這うように伸びているおかげなのか、あまり風の影響を受けずに済んでいる。よかった。
弱っているパスカリは、全身に風を受け。ひっくり返りそうな勢い。支えを立ててやろうかとも思うのだが、風が唸っているようでは支えようがない。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。昨日のうちに花を切り花にしておいてよかった。つくづく思う。背丈が短いから、さほど風の影響を受けてはいないがそれでも。
その隣、友人から貰った枝を挿したもの二本、まともに風を受け、くわんくわんと枝が撓んでいる。でも、この枝はきっと大丈夫だろう。私が思うよりずっと、強い。
横に伸びているパスカリの、花芽のついた長い枝が、折れそうなほど撓っている。両側から、支えを挿して、どうにか揺れが半減するよう工夫してみる。せっかく蕾がふたつもついているのに、これで折れてしまったらあまりに悲しい。
ミミエデンは、こじんまりと茂っているおかげか、風に撓むほどではない。小さなふたつの蕾が、ちゃんとくっついて、冷たい風に縮こまっている。そのまま縮こまっていていいよ、明日になるまで、隠れておいで、私は心の中、そう声を掛ける。
ベビーロマンティカ、茂っているわりには風の影響を受けていないようで。でも、耳を澄ますと風の音に乗って、きゃぁきゃぁきゃぁきゃぁという嬌声が聴こえてきそうな雰囲気だ。ベビーロマンティカにとっては、この暴風も、遊び相手の一人なのかもしれない。
マリリン・モンローは、くわんくわんと枝を揺らしている。昨日のうちに咲いた花を切り花にしておいてよかった。これじゃぁまともに花が開く隙間もないというもの。長く伸びた枝が、くわんくわん、風に撓む。それでも、私は大丈夫、というふうに立っているマリリン・モンロー。それを今は信じよう。
ホワイトクリスマスは、そんなマリリン・モンローの横で、じっとしている。もちろん風に揺れているのだが、それでも何故だろう、じっとしているように見える。じっと、この風が止むのを待っている、といった雰囲気。
アメリカンブルーは、もう、千切れそうな勢いで風に煽られ、それでも六つの花を咲かせてくれている。私は改めて空を見上げる。ぐいぐい流れる鼠色の雲。台風は今何処まで近づいているのだろう。これからどんなふうに流れてゆくのだろう。
私は髪を押さえながら部屋に戻り、上着を脱ぐ。部屋の中のあたたかさがありがたい。お湯を沸かし、プアール茶をカップいっぱい作る。今朝はハムスターたちも全員、小屋の中で静かに眠っているらしい。と思ったら、ゴロが、煙突のところからくいっと顔を出してこちらを見上げた。おはよう、ゴロ。私は声を掛ける。ゴロは、くんくんと鼻を鳴らし、しばらくこちらを見上げていたが、再び小屋の中に入っていった。
カップを持って机へ。椅子に座り、開け放したカーテンの向こう、窓の外の様子を窺う。一瞬たりとも止まっていない雲の激しい動き。父や母は大丈夫だろうか。父は多分こんな風の音でも眠っていられるだろうが、母はきっと早くに起きて、布団の中じっとしているに違いない。ほんのちょっとの物音で起きてしまう母だ。今頃溜息をついているかもしれない。
私はとりあえず机に向かい、朝の仕事を始めることにする。その前に、数枚テキストをプリントアウト。郵送する前にもう一度チェックしておかないと。

「桜散景」のシリーズに、テキストを添える作業をこのところ為していた。それは幼少期に三度の性犯罪被害に遭った女性にモデルになってもらったもの。この写真を写した頃、彼女の具合はだんだんと悪くなっていく、そういうところだった。出会った頃ほっそりしていた体は薬の副作用で浮腫み、視線も虚ろで、歩くのも何処かふわふわしていた。散りゆく桜の中、彼女はそれでも美しく、私の心を射た。
テキストを添えながら、今の彼女を思う。今彼女は、実家に戻り、仕事に就いて毎日働いている。EMDRという治療を新しく始めたら、それがぴったり彼女に合っているらしく、治療の後はぐっすり眠ってしまうという。これまで繰り返し見ていた悪夢も減ってきた。彼女はそう言って笑っていた。
ここまで辿り着くまでに、本当に長い道程があった。本当に、長い長い道程だった。「今死ぬか、後で死ぬか」ただそれだけが、彼女の支えだった時期もあった。そんな時期を経ながら、それでも生き抜いてきた。そんな彼女の笑顔は、眩しいほどに今、輝いている。昔のことの痛みが、徐々に徐々に薄れてきているんだ、今。そう話す彼女。きっともう、この写真の頃のようなところへは、彼女は堕ちてこないに違いない。もし堕ちてきたとしても、彼女はきっと這い上がるんだろう。そう私に信じさせてくれるような強さが、今の彼女の声には、在る。

電話番の合間に、知り合った女の子に風景構成法を伝える。十一個の要素を順に描いていくもの。箱庭療法から発展して中井久夫氏によって生み出された描画法だ。
彼女が描いてくれた絵は、一見切なく、寂しげに見える。でも、傾聴していくにつれ、それが彼女にとってとても懐かしい、大切な思い出の風景に重なっていることが分かってくる。あぁ、最初描いていたときは全然気づかなかったけど、そうだ、これは死んだお兄さんで、こっちは私で。これが本当のお兄さんの姿なんですよ、と、しみじみ彼女は話す。彼女が大好きな川が大きく描かれ、こんもりした森と花畑、その花畑で遊ぶ兄妹。夕暮れの風景。それはとても、やさしい絵だった。

ねぇママ、この写真、全然気持ち悪くないね、どうしてだろう。娘が、岡原氏の居場所シリーズの写真を眺めていた私の横で呟く。こんなにいっぱい傷があるのに、気持ち悪くない。そうだね。どうしてだろう。どうしてだと思う? うーん、わかんない。そうだね、きっとそれは、これを写した人が、余計な同情も何も持たずに、ありのままを撮った写真だからだと思うよ。そういうものなの? 写真ってさ、撮る人の気持ちって出るの? 出るさぁ、出るんだよ、不思議と。写真って、撮られる人のためにあるものかと思ってた。なるほどなぁ。そうかぁ。確かにそういう面もあるかもしれないけど、写真て、絵と同じくらい、描く人の気持ち、撮る人の気持ちが、現れるものだとママは思うよ。ただシャッター押してるだけなのにね! はっはっは、それはそうなんだけどね。ママは、シャッター押すとき、どういう気持ちなの? ありとあらゆる今私が感じている思いを、シャッターを押す指に込めるんだよ。だから、もしかしたら目つぶっちゃってるかもしれない。え? 目、瞑りながらシャッター切るの??? うん、もう、祈って祈って、祈って撮るときなんていうのは、目なんて瞑っちゃってるかもしれない。そんなのだめじゃん。なんで? だって、写真がちゃんと写らなかったら困るじゃん。うん、それはそうなんだけどね、シャッター切るときっていうのは、もう、言葉でなんて言い表せない、自分の全身全霊を込めて切るんだよ。だからさ、言ってみれば、実際の目じゃなくて、心の目で撮るの。そういうものだとママは思ってる。ふーん、なんか難しい。そうだね、ちょっと難しいかもしれないね。私は、踊ってる方がいいなぁ。ははは、あなたは写真撮るより踊ってる方が似合ってるかもしれないね。でも、カメラくれたら、私も写真撮るよ! えー、でも、まだあなたにあげられるようなカメラ、ママ、持ってないよ。自分の分しかないもん。ママって貧乏だからなぁ、しょうがないなぁ、もう。あなたがママの代わりに金持ちになって、ママの分もカメラ買ってよ。わかったわかった!

じゃぁね、また夕方にね。手を振って別れる。駅前。私は左へ、娘は右へ。
歩き出すと、風が唸るように吹き付けてきて、私の足元を掬ってゆく。
川を渡るところで立ち止まる。川は大きく波立っており。青緑色の水が、まるで一斉に声を上げているかのように見える。
歩道橋を渡るために階段を上がると、一気に風が吹き付けてきた。私の髪は押さえる暇もなくびゅうびゅう翻り。
生きていると本当にいろいろなことがある。わざとぐさりと傷を抉ってくる人がいたり、自分を守るためにこちらに攻撃をしかける人もいたり。
でもそういったことも、些細なこと、と、流していけるようになれたらいい。私が、私に恥じぬ生き方をしているなら、それで、もう十分だ。
さぁ、今日も一日が始まる。私は歩道橋の階段を、勢いよく駆け下りる。


2010年09月24日(金) 
起き上がり、窓を開ける。いつの間にか雨は止んで。強く吹き付ける風に、街路樹の緑がひらひらと翻っている。空には一面雨雲が残っており。濃淡のある鼠色の雲。ちょっと顔を横にして眺めると、まるでちょっと怒った人の顔のように見える。
ラヴェンダーとデージーのプランターの脇にしゃがみこむ。デージーは、まだまだ自分は大丈夫なんだよとアピールするかのように、風に揺れ、こちらに手を振っている。ラヴェンダーは、這うように伸びた枝の要所要所からさらに小さな枝が伸び、それは空に向かってぴっと立っている。これで花が咲いてくれたら嬉しいのになぁと、ちょっぴり贅沢なことを思ってしまう。
弱っているパスカリ。でも、昨日の雨が気持ちよかったのか、新葉をひらひら風に揺らしている。まだ次の新芽の気配は見られない。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。今まさにそのぼんぼりが咲いている。ぽっくりぽっくり、そういえば、ベビーロマンティカの花の形とちょっと似ているかもしれない。桃色の花弁が灰色の世界の中、ひときわ映える。
友人から貰った枝を挿した二本。一本が徐々に徐々に花弁を綻ばせ始めた。濃い紅色。そしてもう一本も、元気に伸びてきている。
横に広がって伸びているパスカリ。蕾はまだ小さいけれどふたつ。長く伸びた枝が風に揺れている。花が咲き終わったら短めに切ってやろうと思う。
ミミエデン。ふたつの蕾が空に向かって首をもたげている。一方の枝からは新芽がくいくいっと萌え出てきており。これから多分涼しくなる。そうしたら少しは過ごしやすくなるだろう。その間に、元気な葉をいっぱい出して欲しい。
ベビーロマンティカは、雨をいっぱい浴びたのか、葉がつやつやと輝いている。蕾も今ひとつ、在る。萌黄色の蕾と新葉、この灰色の空の下でも元気いっぱい。
マリリン・モンローは、ひとつの蕾が花開いた。今日帰ってきたら切り花にしてやろう。そしてもうひとつの蕾も順調に膨らんできている。体のあちこちから新芽を吹き出させており。開いた花に、鼻を近づけると、芳醇なあの香りが漂ってくる。
ホワイトクリスマスもふたつのつぼみを湛えており。マリリン・モンローの勢いには負けるが、徐々に徐々に新葉を広げてきている。悠然と風に向かうその姿に、何となく私は目を細める。
アメリカンブルーは今朝むっつの花を開かせており。細い枝が、風にゆらゆらと揺れている。真っ青なその花の色が、この空の下でも鮮やかに輝いている。
私は部屋に戻り、お湯を沸かす。ふくぎ茶の茶葉がもうなくなってしまった。少し迷って、レモングラスの葉を茶漉しに入れる。そっとお湯を注ぐと、レモングラスのあの爽やかな香りがふわっと漂ってくる。いい香り。
カップを持って机に座る。椅子に座って見上げる窓の外は、やっぱり一面雲に覆われており。でも、何だろう、私にとってはこの風が心地よい。火照った上半身を風が冷ましてくれる。そんな感じ。
昨日は家を出ようとした途端、雨がぶわっと降ってきた。自転車に跨ったまま、どうする?と娘に尋ねると、このまま走る!と返事。じゃぁ行くか、ということで走り出す。一漕ぎするごとに雨粒は大きくなり、勢いを増し、私たちに降りつけてくる。それが気持ちいいのだろう、娘がきゃぁきゃぁと声を上げる。その気持ちはとてもよく分かる。私にとっても、こういう勢いのいい雨は、自然のシャワーを浴びているようで、たまらなく気持ちいい。
ひとしきり走って、駐輪場に自転車を停める。私たちは軒下に駆け込み、持ってきたタオルでごしごし体を拭く。それもまた楽しい。私たちは終始笑顔で、そのまま映画館へ。一ヶ月以上前から娘と約束していた映画を見る。
映画を見終わり、外に出ると雨は一休みしているらしく。私たちはまた、自転車で走り出す。海を見に行こうということになり、一気に走る。港は慌しく船が出入りしており。私たちは隅の方に自転車を停め、ぶらぶらと歩き出す。
ママ、海が大喜びしてるみたいだね。そうだね。さぁ大騒ぎするぞって感じ。ははは、確かにそんな感じがするね。それにしてもいい色だ。何が? 何がって、海がだよ。これいい色なの? そう思わない? うーん、なんかどす黒いって感じがするけど。そう? ママには濃紺に見えるけど。ママの目と私の目、違うのかな? そりゃ違うだろうね、うん。
途中コンビニで買ってきたサンドウィッチを頬張りながら、私たちはなおも、海を見つめている。いや、本当は、雨を待っていた。雨がいつ降りだすかと、そればかり、待っていた。
ママ、雨降ってきた! じゃ、行くか! 私たちは雨を合図に自転車に跨り、再び雨の中を走り出す。娘は大きな声で歌を歌いながら、私はその声に耳を澄ましながら走る。坂を上る頃には、雨粒はこれでもかというほど大粒になっており。恵みのシャワーを浴びながら、私たちはようやく家に辿り着く。
ほい、お風呂! 私は湯船いっぱいにお湯を張り、娘を先に風呂に入れる。こういうときの娘の風呂は長い。非常に長い。湯船に浸かりながら、リコーダーを吹いてみたり、歌を歌ってみたり、彼女のひとり遊びは実に長い。でも、そういうのを邪魔はしないことにしている。私は、お茶を飲みながら、風呂場から響いてくる音に耳を澄まし、煙草をふかして待っている。
夕飯は、娘のリクエストで、温そうめん。葱をいっぱい散らして、最後にラー油をちょっと垂らして食べる。

友人と久しぶりに話す。西の町に住む友人は、この夏を越えて、ずいぶん元気になった。とんとんとリズムよく話が進む。途中娘が割り込んできて、ハムスターの話題で盛り上がったりしながら、私たちは、岡原功祐氏の居場所シリーズの写真についてあれこれ話をする。あんなふうにフラットに撮ってもらえたらいいよね、と彼女が言う。悲惨でも同情でも何でもなく、ありのままにありのままを撮る。それができる人って、なかなかいないと思う。いつか日本でもっと活動するようになったら、その時の写真が楽しみだね。そんなことを話す。
そういえば、私の個展まで、あと約一ヶ月。準備するものは一通りしたつもりだ。あとはDMの宛名書きが残っているくらいか。それでも正直、展覧会が始まるまでは不安なのだ。何かし忘れたことはないか、何かないか、と、気になって仕方がない。やり残したことがひとつもありませんように、と、いつもいつも自分に問いかける。
ねぇさん、今夜くらいはゆっくり休むんだよ。お嬢も心配してるんだから。ね? 友人が繰り返し私に言ってくる。余計なことは考えなくていいから、もうそんなこと、どうだっていいんだよ、だってねぇさんがやれることはやったじゃん、いや、やる必要のないことまでやったじゃん、もうほかっといていいんだよ。そうなのかな。そうなの! だから今夜はゆっくり休むんだよ。よし、分かった。そうする。よし! 私たちはそんなふうにして、笑い合って電話を切る。
外ではざんざんと、雨が降っている。

朝の一仕事を終えて、娘を起こす。開け放した窓から滑り込んでくる風に、うぅ、寒い!と、シャツ一枚の娘が言う。ママ、今日は長袖? うーん、どうなんだろう、長袖かもしれないね。って、ママ、半袖着てるじゃん。あ、間違えた。ママ、ドジ! ははは。
洗い物を済まし、テーブルの上を片付けて、出かける準備。娘はココアに足を噛まれたと喚いている。噛まれた噛まれたと言いながら、それでもココアやミルクを四六時中構っている娘。ハムスターの寿命が短いことを、ふと私は思う。この子たちが死んでしまったら、娘はどんな思いになるんだろう。でも、生あるものは必ず死を迎えるもの。それもひとつの、通り道。
じゃぁね、それじゃぁね、手を振って別れる。私は階段を駆け下り、自転車に跨る。雨が降るでしょうという天気予報は聴いたが、だからといってバスに乗りたいとはどうも思えず。自転車で走り出す。
坂を下り、信号を渡り、公園へ。公園の池の周りの茂みは、鬱蒼として、まるで夕闇の中の森のようだ。私は池の端に立って空を見上げる。ぐいぐい流れる鼠色の雲。ふと気配を感じて池の向こう岸を見ると、トラ猫がのっそり、姿を現わした。おはよう、心の中、声を掛ける。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。今朝は人の往き来する通り。ビルに吸い込まれるように入っていく人、人、人。私はその合間を縫って走る。
駐輪場で、駐輪の札を貼ってもらい、自転車を停める。一瞬ふわっと、陽光が射した。見上げると、雲の切れ間。でもそれも、一瞬のこと。
さぁ、今日も一日が始まる。私は勢いよく歩き出す。


2010年09月22日(水) 
起き上がり、窓を開ける。蒸し暑いと感じるのは私の体調のせいなんだろう。とりあえず着替えたが、すぐ汗に塗れそうな気がして気持ちが悪い。でもこれも、朝のみなのだから、我慢我慢と自分に言い聞かせる。そういえば今朝も風がない。ぴくりとも揺れない街路樹の緑。くたっと垂れ下がっている。見上げる空は、薄い水色の空。
ラヴェンダーとデージーのプランターの脇にしゃがみこむ。ちょっとプランターの向きを変えてみる。これまでできるだけベランダの塀側にくっつけていたラヴェンダーを手前側に。そしてデージーを奥へ。デージーはまだ一生懸命咲いていてくれている。小さな小さな黄色い花。ココアが好きだという黄色い花。確かに、この間ココアをここに連れてきたら、ひげもしゃのような葉の間をたったかたったか走っていた。何が好きなのかはよく分からないが、もしかしたらこの感触が好きなんだろうかなんてちょっと想像してみる。
弱っているパスカリ。今のところ新芽の気配はない。薄い薄い緑色の葉が、ぺらり、ぺらりと枝にくっついている。早く新しい葉が出てきてくれないか、正直そう思う。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。みっつの蕾のうち、ひとつがぽっくり咲いた。もしかしたら、これまで見た花の中で、一番きれいにかわいらしく咲いているんじゃないかと思う。何だか嬉しくなって、指先でちょんちょんと触れてみる。
友人から貰った枝、二本の挿し木。両方とも今蕾がある。共に紅い花だと分かった。細い細い蕾の形。これは何という名前を本当は持っているんだろう。
横に横に広がって伸びているパスカリ。蕾ふたつを枝の先にくっつけている。他の二本の太い枝からも、新芽がにょきっと伸びてきている。
ミミエデン、いつの間にかふたつの蕾をつけている。奥の枝からも新芽が萌え出てきており。よかった。ちゃんと生きてる。その紅い紅い新芽は、くいっと首を持ち上げて、陽射しを浴びようと懸命に空に向かっている。
ベビーロマンティカは、あっちこっちに新芽を湛えており。萌黄色のそのつやつやとした葉が、遠くから伸びてくる朝日を捉えて輝いている。
マリリン・モンローはふたつの蕾を抱えて、凛と立っている。ぶわっと塊になって吹き出してくる新葉は、紅い縁取りをもって、我先に我先にと賑やかそうだ。
ホワイトクリスマスのふたつの蕾。膨らむ速度がちょっとゆっくりだ。でも、元気はちゃんとあるようで。足元から、新芽を萌え出させており。私はほっとする。
今朝、アメリカンブルーは八つもの花をつけてくれた。こんなにいっぱい一度に咲くのは初めてじゃなかろうか。私はしばしその花に見入る。一見こんなにもか弱く見える花弁なのに、なんて鮮やかに映えるんだろう。青く青く青く、何処までも青く。それは晴れ渡る海のような色で。だから好きなんだ、私はこの花の色が。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ポットいっぱいにふくぎ茶を作る。茶葉がもう半分に減ってしまった。買い足そうかどうしようか、今も迷っている。結局買い足すしかないんだろうと分かってはいるのだが、お財布の事情というのもあって、なかなか踏ん切りがつかない。
カップを持って、机に座る。そよりとも流れてこない風。そのせいといったら何だが、私はもう背中が汗びっしょりで。タオルで拭いながら、どうしてこうも朝暑くなって火照ってしまうのだろうと首を傾げる。原因が自分では全然分からない。友人に、もう更年期障害なのかしらんと言ったら早すぎると笑われたが、どうなんだろう。
メールのチェックをし、ひとつ深呼吸をする。何となく今朝はいらいらする。いらいらの原因がよく分からない。このままだとやがて起きてくるだろう娘に八つ当たりしてしまいそうな気がする。だからもうひとつ深呼吸。調子を整えなければ。
そうだ、と思い立ち、単純作業をやってみる。前期の展示の配布プリントは或る程度プリントし終えたから、後期の分を数部作ろう。私は次々ファイルを開き、プリントの指示を出してゆく。刷り出された文字を斜め読みしながら、頁順を間違えないよう、整えてホチキスで留めてゆく。今回、モデルになってくれた二人以外に、三人の女性が手記を寄せてくれた。五人分の手記。それだけで、私には、重い。
O氏に初めて会った。アンコールワットフォトフェスティバルで選ばれた私の作品群を見て、これはいいとO氏が評してくれたことをきっかけに、メールのやりとりが始まり、会うことになった。私はO氏の、居場所というシリーズに、とても惹かれるものを感じていた。
会って即、写真の話が始まる。O氏が、その存在を撮りたいんだとしきりに繰り返す。私が気配を撮りたいと思うのと、多分それは重なり合うと感じながら私は聴いていた。彼は居場所を撮影するのに伴って書いた手記も持っていた。百ページ以上になるその手記には、彼が出会った人たちが宝石のように散りばめられていた。それを読み、写真を見た、それだけで、O氏というのが、蝶番のような役目を担っているんだなと感じられた。あちら側とこちら側とを繋ぐ、蝶番。私には、到底できないものだった。
彼と話しながら、細江先生の、「写真は関係性の芸術だ」という言葉を思い出していた。私には、目の前で話し続けるO氏が何だかとても眩しく見えた。羨ましいという感情は、不思議となかった。ただ、眩しく、きれいだと思った。そのまま突き進んでほしいと思った。
O氏が、私の写真を、あなたの写真はどちらにもいける写真だと言う。紙に鉛筆で図を書きながら、O氏が繰り返す。こちら側にもあちら側にもいける、そういう写真だ、と。私は自分の写真をそんなふうに分析してみたことはなかった。だから、その言葉は新鮮に私の耳に響いた。あぁ、私が出したものを、そうやって受け取ってくれる人がいるのだ、ということに、とても励まされる思いがした。
彼が居場所というシリーズを撮り始めたのが2005年、それから三年、そのシリーズに取り組んでいたらしい。2005年といったら、私は何をしていただろう。離婚して、途方に暮れて、でも娘と二人で何とか生きていかなければならなくて。あぁそうだ、私のリストカットの一番酷い時期と、もしかしたら重なっているかもしれない。そう思った。だからかもしれない、彼の撮った居場所の写真は、私にはとても親しいもので。同時に、切ないもので。だからとても貴重だと思った。それは、被写体になってくれた彼、彼女たちにとっても同じだろう。自分がここに在た、という証拠。それはどんなに貴重だろう。
この続きをぜひ撮って欲しい、と私はO氏に伝えた。それを撮った上で、一冊の本として、この手記と写真とを発表して欲しい、と。O氏は照れたように笑いながら、頑張りますと応えてくれた。私は、それが形になったところをもう想像していた。きっと、多くの人にとって大切な本になる。そう思った。

郵便ポストを覗くと、一枚の葉書が届いている。もう八十を数えるお年の女性からだった。丁寧な流れるような文字。季節の挨拶に続けて、先日の電話では、と話が続いている。ご心配おかけしました、ありがとうございました、と繰り返し書かれている。私は文字を辿りながら、よかった、とほっとする。電話では、彼女は、もう諦めた、としきりに繰り返していた。もう存在自体なかったものと諦めようと思う、と。
でも、そんなこと、容易じゃぁない。自分という存在をなかったものとするなんて、そんなこと、できやしない。でも、彼女にそう思わせるほど、彼女はあの時追い詰まっていた。
でもその後事態が変化し、今に至る。よかった、と思う。八十を数えるほどに生きているなかで、この数ヶ月、いや、今年という年は、どれほど重苦しかったろう。
最後に、娘さんとお二人の健やかな日々をお祈りしております、とそう書かれている。近いうちに、娘と二人でお返事を書こう。私は心にそう、メモする。

じゃぁね、じゃぁね。ママ、ごめんね。わかった。うん、じゃぁね。手を振って別れる。
出掛けに、思いっきりお味噌汁を零して、ソファーをぐちゃぐちゃにしてしまった娘。むやみやたらにごしごし拭くから、余計に汁がソファーに染み込んでいくのが分かる。でも私は手伝わなかった。ハムスターと遊んでいて零した代物だ。彼女にちゃんと最後までやらせるのがいいと思った。
雑巾の絞り方も何も、中途半端でやっているから、いつまでたっても終わらない。それを私は少し離れたところから眺めている。いつ手をだそうか、と考えている。でも、彼女の前でそれは止めておいた。本当は今すぐにでも雑巾を持って、私が後始末を始めたいくらいだったけれども。
自転車に跨り、走り出す。坂道を下り、信号を渡って公園へ。公園の緑は、朝陽を浴びて黒々とした影を池の水面に描き出している。空は水色というより白くて、まるで色飛びした写真のよう。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。今朝も大勢の制服警官が通りを行き来している。正直気分が悪い。私は警官が嫌いだ。警察官というものが信用できない。あの事件で関わって以降、それは変わらない。
ぞろぞろ歩く制服警官を追い抜かし、私はY駅方面へ真っ直ぐ走る。ただひたすら真っ直ぐ。大勢の人たちがビルの中に吸い込まれてゆく。今日一日、この人たちはここで仕事を為すのだなぁと、何となくビルを見上げる。ビルの向こうからは、朝陽が煌々と手を伸ばしている。
さぁ、今日も一日が始まる。私は自転車を駐輪場に停め、歩道橋を渡る。


2010年09月21日(火) 
起き上がり、窓を開けようとしてぎょっとする。昨夜私は窓を開けっ放しで眠ったらしい。両方の窓ががらり、開いている。無用心もいいとこだ、と舌打ちする。娘と二人暮しだというのに何やってるんだろう、まったく。
ベランダに出て、空を見上げる。粉っぽいというか、少し白っぽい空が広がっている。細かな細かな塵が一面に広がってるみたいに見える。風はなく、私はまた、蒸し暑いように感じる。やっぱり自分の体が火照っているんだなと思う。街路樹の緑は、てろんと垂れ下がっている。
ラヴェンダーとデージーのプランターの脇にしゃがみこむ。デージーの枝葉はもう伸びすぎて、プランターからふわふわはみ出ている。それが緑色のところと褐色のところと混じっており。そして黄色い黄色い小さな花たち。まだもうちょっと咲いていてくれそうな気配。ラヴェンダーに鼻を近づけると、ふわり、あの独特なやさしい香りがする。
弱っている方のパスカリ。薄い薄い葉をそれでも広げて立っている。じっと見つめているとそれは、まるで私は生きているんです、と訴えているかのように見えてくる。なんだか切ない。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。みっつの蕾もそのうちのふたつが綻んできた。やさしいやわらかい桃色。ぺろりんと、一枚だけ花弁を広げ、私は咲きますよ、とアピールしているかのよう。かわいらしい。
友人から貰った枝。とうとう花弁の色が見えてきた。赤だ。そうか、これは二本とも赤い花が咲くのか、と、私は頬杖をつきながら眺める。赤は強いと聴いたけれど、本当にそうなんだな、と改めて思う。
横に広がって伸びているパスカリ。ふたつ蕾がついた。まだほんの小さな蕾だけれど。ここにいるよ、と言っているかのようにくいっと首を伸ばしている。これがふたつ無事に咲いたら、この長く長く横に伸びた枝を一度切ってやろうと思う。
ミミエデン、新芽を芽吹かせて。紅い紅い新芽が、一生懸命広がってきている。どんどん伸びろよ、私は心の中、そう声を掛ける。
ベビーロマンティカは、今ふたつ蕾が残っている。そしてあっちこっちからひょい、くいっと新芽を芽吹かせており。その新芽はどれもきれいな萌黄色で。つやつやと輝いている。
マリリン・モンローは、もう全身から新芽を吹き出させているところで。そんなあっちこっちから出さなくてもいいよと声を掛けたくなるような感じ。そしてふたつの蕾が凛と天を向いて立っている。ひとつはだいぶ膨らんできた。もうじき咲いてくれるんだろう。あの香りを嗅ぐのが楽しみだ。
ホワイトクリスマス。ふと見ると、後ろの方から小さな小さな蕾を出してきている。ふと思う。今、ふたつの蕾を抱えて、ホワイトクリスマスはどんなことを思っているんだろう。
挿し木だけを集めたプランター。薄い薄いクリーム色の花が咲いた。ちょうどいい頃合、私は鋏を持ってきて切ってやる。他の挿し木たちも、萌黄色の新芽を出しており。もうどれがどれだか分からなくなってしまったけれど。みんな元気に伸びてきてくれるといいなと思う。
アメリカンブルーは今朝五つの花をつけた。真っ青な花弁の色が、この白っぽい空の下、一段と鮮やかに広がっている。この花弁の色を溶かして空に広げてあげたら、ちょうどいい水色になるんじゃないかしら、とふと思う。
昨日は初めてのことがあった。娘の塾の友達が、一緒に勉強をするという名目で遊びに来たのだ。一緒に勉強するなんて言ったって、どうせわいわいがやがやなるに違いないと思ったら、午前中は一生懸命ふたりで理科と社会の予習をしていた。こんなこともあるのかしらんとちょっと疑いのまなざしを向けたが、まぁ、頑張っているのだからと何も言わず、放っておいた。しかしやっぱり、午後になると気持ちも緩んできてしまったのだろう、ふたりとも、ハムスターを手に、きゃぁきゃぁ言い始めた。私はひとり、作業しながら、その様子を眺めている。それにしても。ちょっと不思議だったのは、遊びに来てくれた子が、決して私の目を見て話さない、ということだ。こういうもんなんだろうか。それがいまどきの子供なんだろうか。じゃぁうちのお嬢も、よそのうちに行ったら、こんなふうにあらぬところを見て話す子になるんだろうか。それは正直、ちょっといやだなぁと思った。相手の目を見て話す、というのは、基本の基本だと、私は勝手に思っている。
お友達を送っていった娘が、帰ってきていきなり話しだす。ねぇママ、Aちゃんちょっと、変じゃなかった? 何が? だって、ずっと別のところ見て話してるし、ママが自転車の後ろ乗っけてあげても何も言わないし。あぁ、そうだったねぇ。ああいうとき、ありがとうとか言わないの? 言った方がいいとママは思うけど。ちゃんと目を見て話せってママは言うよね。うん、言うね。どっちがいいの? 目を見て話す方がいいとママは思うけど。じゃ、ママ、Aちゃんのこと嫌い? なんでそうなるの? だって、ありがとうとも言わないし、目を見て話さないし。別に嫌いとかそういうことは思わないよ。あぁ、そういう子なんだなぁって思っただけだよ。嫌いじゃないんだ。こんなことだけで嫌いにならないよ、今日初めて会ったばっかりじゃない。そういうもんなの? そういうもんだよ。恥ずかしがり屋の子だっているからね、いつだって人の目見て話しできるかっていったら、それができないときだってあるさ。ふぅん、それだけで嫌いにはならないんだ。当然じゃないの。何言ってんの。じゃ、どういうとき嫌いになるの? そうだね、必要のない嘘をつかれたときとか、かな。そっかぁ。そういうもんなんだぁ。そういうもんだとママは思うけどね。あなたはどうなの? うーん。嫌だなって感じることと、嫌いになることとは、これ、ちょっとまた別のことだとママ思うけど? そんなに簡単に人のこと好きだ嫌いだって言えないよ。そうなんだー。あなたは違うの? 私はっていうか、みんな、ちょっとのことで、あの子嫌いとか言うよ。あぁ、そうなんだ。私は嫌だなってその時思っても、次のときよければそれでいいって思うけど、でも、みんなは結構簡単に、好きだとか嫌いだとか言うから…。なるほどねぇ、ま、それはそれとして、ママはどっちかっていったら、時間かける方だから。そうなんだ。じゃ、またAちゃんと一緒に勉強してもいい? いいよ。勉強ちゃんとするならね! あーーー、はいっ。はははははは。

朝、友人から一番に電話が入る。その話を聴きながら、人と人との距離感の大切さを思う。確かに、大切な相手はいる。大切で大切で、仕方ない相手というのも、いる。でもだからこそ、距離を適切に保っておかなければ、と、思う。その距離感を間違えて、必要以上に近づきすぎて、相手を追いつめてしまったら、それは多分、互いに傷つく。適度な距離、というのが、どんなときでもあるんだろう、とそう思う。
もちろん、それがうまく出来ないときもある。だから、気づいたとき、修正するしかない。気づいたそのたびに、ちょっとずつ修正して、適切な距離を見定めて、その距離感を大切に味わう、とでもいうんだろうか。
長くつきあいたい相手ほど、そういう距離は大切だと思う。

ママ、ちょっとミルク持ってて。と言われてミルクを膝に乗せた途端、おしっこをされた。私が悲鳴を上げると、娘がタオルを持って飛んでくる。ミルクがごめんね、って言ってるよ、と娘は言うのだが、私にはどう見ても、すっとぼけた表情にしか見えない。まったくもぉ、と言いながら、Gパンの太腿のところを懸命にこする。今更着替える時間もない。
じゃ、行くよ。ちょっと待って、ママ、ほら、ミルク。もうやだよぉ。ミルク、悪かったって思ってるってばぁ。わかったわかった、ほら。ちょいちょいっとミルクの頭を撫でてやる。それで安心したのか、娘は手を振って見送ってくれる。
階段を駆け下り、ゴミを出して、自転車に跨る。
坂を下り、信号を渡って公園の前へ。耳を澄ますと、微かにだが、まだ秋の虫の声が聴こえる。日が高く上れば、ひっそりと何処かへ隠れてしまうだろう虫たちの声。涼やかな、澄み渡る声。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。それにしても最近、警察官の姿が多い。どうしてこんなにいっぱいこのあたりに警察官がたむろしているんだろう。分からない。何か行事でもあるんだろうか。疎い私には全くもって分からないけれど。警察官は正直苦手だ。事件でのことを思い出してしまう。
信号を渡り、左に折れて真っ直ぐ走る。ついこの間まで空き地だった場所に、何台ものトラックが止まっている。ここでもとうとう工事が始まるのか、と思う。雑草たちの宝庫だったのに。残念だ。
駐輪場、おはようございますと声を掛ける。おじさんが小走りに出てきて、駐輪の札を貼り付けてくれる。いってらっしゃいと声を掛けられ、いってきまーすと返事をする。ただそれだけのことだけれども、とてもいい気持ちになる。
自転車を止め、歩き出す。
さぁ今日も一日が始まる。


2010年09月20日(月) 
起き上がり、窓を開ける。そよりとも風が吹いていない。そのせいか、この蒸し暑さは。いや、最近朝体が火照る気がする。それもこの朝一番の時間帯。何故なんだろう。理由は分からないけれども。そのせいで、朝着替えると、すぐ汗が噴き出してくる。正直これにはちょっと困る。
ベランダに出て、デージーとラヴェンダーの脇にしゃがみこむ。デージーはまだ咲いていてくれている。もう最後、もう最後と思うのに、それでも咲き続けてくれているこのデージー。今月中はもってくれるかもしれない。ラヴェンダーは横に横に這うように伸びており。相変わらず、互いに絡み合っている。でももう、解くことは、しない。
弱っているパスカリ。それでも一生懸命葉を伸ばし、葉を広げ。懸命に陽光を浴びようとしている。この位置はベランダの中でも一番日当たりがいい場所なのだが、それでも、まだ足りないといった気配をこの樹は滲ませている。
その脇、もう枯れたと思っていた樹から、何故か芽が出てきた。これは確か、濃い赤紫色の花が咲く枝だったはず。もうすっかり茶色くなって、駄目になってしまったと思っていたのに。かわいらしい小さい新芽。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ふたつの蕾がすっかり開いた。今日帰ってきたら切ってやろうと思う。そしてみっつ、よっつ目のつぼみもぷらんとくっついている。ちょっと涼しくなったせいなのだろう、樹がみんな、元気を取り戻しつつある。
友人から貰ったもの、蕾がぴーんと天を向いている。尖がった、細めの蕾。まだ花びらの色は分からない。さて、何色が咲くんだろう。考えただけでどきどきする。
そして横に広がって伸びているパスカリ。一日留守にしている間に、ぐいっと新葉を広げてきた。こちらの樹は、格好は悪いが、元気。格好がどんなに悪かろうと、元気でいてくれることはもうそれだけで嬉しい。
挿し木だけを集めて育てている小さなプランターの中。蕾がほろり、花びらの色を見せ始めた。薄い黄色だ。これは一体誰に貰ったものを挿したんだったっけか。迂闊なことに思い出せない。でもこれは、私の家にあるものを挿したのではない。花の色がそう言っている。小さな蕾だけれど、これからどんなふうに開いてくれるのだろう。楽しみでならない。
ミミエデン。ちょっと今は小休止、といった具合。でも、茎と葉の間に、新芽の気配を湛えている。これからまた新芽を芽吹かせてくれるのかもしれない。
ベビーロマンティカは、私が留守にしていた間にふたつの花を咲かせてくれた。ぽっくり、ぽっくりと丸い花。びっしりと花びらが詰まっている。一体何枚の花びらがあるんだろう、もし数えたら、とんでもない数になるんじゃないかというほど。私は鋏でふたつの花を切ってやる。
マリリン・モンローも、私が留守のうちに、また新しい蕾をつけた。今在るのはふたつの蕾。そしてあちこちから新芽も吹き出させている。
隣のホワイトクリスマスも蕾をぴんと天に向けており。マリリン・モンローの勢いには負けるけれど、新葉を萌え出させているところ。
そして空を仰げば、薄い水色の空。今日もまたいい天気。うっすらと広がる雲は、もうすっかり秋の雲だ。これで微かにでも風があれば、ずいぶん過ごすのが楽なんだろうに。ちょっとそれだけが残念。
アメリカンブルーは、今朝いつつもの花を開かせ。じっと佇んでいる。真っ青なその花びらはいつもの通り、私の心を落ち着かせてくれる。
部屋に戻り、さっき切ったベビーロマンティカの花を小瓶に生ける。そしてお湯を沸かし、お茶をポットいっぱいに作る。ふくぎ茶もこれが最後の袋。どうしよう、買い足そうか。今、とても迷っている。
カップを持って、机に座る。いつも通りの動作なのだけれど、一日それをしなかっただけで、何処か新鮮な気持ちになる。PCの電源を入れ、メールのチェックをすると、アンコールワット・フォト・フェスティバルのメールが届いている。嬉しいことに、入賞した。私がこうしたフェスティバルやコンテストに写真を出すのは、初めてのことなのだけれど、本当に出してよかったんだろうか、と、今もまだ、思っている。「あの場所から」が評価されたことは嬉しい。でも。彼女たちを世間の目に晒すことになった。それが、一番、気にかかっている。本当によかったんだろうか、と。
多分、私が、この「あの場所から」に関わっていく以上、いつだって抱く問題なんだと思う。果たしてこれでよかったのか、と、私はいつだって自問自答するだろう。でも、それがなくなったら、それはそれで駄目なんじゃないかと、そう思う。
今回入賞したことで、15人の中に残ったことで、「あの場所から」の写真たちはアンコールワットで上映されることになる。世界の人たちの目に留まることになる。できるなら、この写真の意図が、どうか伝わってくれますように。それでなければ、何の意味もない。彼女たちがこうして生き証人になってくれたことが、無意味に終わりませんように。どうか、どうか。私は祈るように、そのことを思う。

慌しい週末だった。福島の会津田島まで墓参りに行き、その足で美術館三つを駆け回った。田島の墓は、ずいぶんと手入れがされていず、荒れていた。一本一本雑草を抜き、墓石を洗い。ただそれだけで、どっと汗が吹き出した。母も父も、体を壊してからここに来ていない。気にしていながらも来ることができていない。その代わりといったら何だけれども、私がこうやってやって来た。先祖は私のことなんて覚えているんだろうか。ここに眠っている父の祖父母は、私のことを覚えているんだろうか。私がまだ本当に幼い頃、それぞれ癌で逝ってしまった祖父母。生きることが、父と同様、不器用な人だったと聴いている。写真を見ると、しかめっ面をした祖父母。いつでも眉間に皺をよせ、写真なんて、という顔をして写っている。孫の私を間に撮った写真でも、今にも席を立たんばかりの表情で。彼女たちにとって私はどんな孫だったんだろう。もう誰に聴いたとしても、分からない。
私は、父方の親戚を、ひとりも知らない。いや、本家のおじさんのことは知っているが、おじさんはもう痴呆症にかかっており。私のことを思い出せない。だから、実質、誰のことも知らない。誰も私を知らない。そんな私がこうしてこの墓を掃除している。いいんだろうか、とふと思う。触れていいのだろうか、とさえ。
持ってきたリンドウの花を活けて、線香をあげて、手を合わせる。その頃には多分、私はもう汗だくで。振り返ると、本家の墓もそこに在り。誰もしばらくここに来ていないのだろうことが、墓の有様から分かる。私はせめて、と、線香をそこにもあげる。
帰り道、昔ここがもっともっと田舎だった頃のことを思い出していた。川には家鴨がちょこちょこ集い、私はよくその家鴨を眺めてここで過ごした。本家の脇を通るとき、庭をちょっと覗いたが、誰もいなかった。おじさんは今どうしているのだろう。元気なら、それでもう、いい。
父が、ここではなく、山小屋の庭に骨を埋めて欲しい、と言う意味が、私にはよく分かる。こんなふうに誰も訪れなくなる墓ならば、せめて誰かが訪れるはずである場所に骨を埋めたい、自分が大事に耕し育てた庭の端に、と、そう願う意味が。母は母で、海にでも散骨してくれ、と言っている。ふたり夫婦なのに別々の場所に埋めるのはどうなのかと思うから、私は何も返事をしていないけれども。
夫婦。結局私は、たった数年で結婚生活を破綻させてしまったから、夫婦の重さが分からないのかもしれない。
見上げる空には、もくもくとした夏雲と、すうっと広がる秋の雲とが混在しており。そ知らぬ顔で、空を流れてゆくのだった。

玄関を娘と二人で出た途端、娘が声を上げる。ママ、カナブンだ、まだ生きてる! じゃ、潰して。いやだ、気持ち悪い。じゃ、ママがやる。くしゃっ。ママ、よく潰せるね。カナブンはママにとっては天敵だもん。仕方ない。でも。
サンダルの足の裏、くしゃっと乾いたあの気味の悪い感触は、残るのだ。娘には言わないけれど、私はそれがひどく心地悪くて。サンダルの裏を何度も、こすった。
自転車に跨り、走り出す。坂道を下ろうとしたところで、たくさんの車。あぁ、町内会の野球チームが試合に出かけるのだ。私たちは会釈しながら走り過ぎる。娘は、好きな男の子の姿を瞬間に捉えたらしく、にまっとした顔をしている。
公園の前でちょっとだけ立ち止まる。もう蝉の声のしない森。秋の虫の声が、ちりりんと響いている。季節がそうやって過ぎてゆく。変わってゆく。残酷なほどあっけなく。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。祝日の朝とあって、サラリーマンの姿はひとつもなく。代わりに、ランニングする人たちが大勢。私たちはその間を縫って走る。
駐輪場には、今日はおじさんはいない。私たちは、そのまま自転車を停める。ママ、お金、払わなくていいの? うん、今日は祝日だからおじさんもお休みなの。そうなんだ、得したね! ははは。
そして歩道橋を渡る私たち。遠くに風車がかすんで見える。
さぁ、今日も一日が始まる。


2010年09月17日(金) 
激しい雨が止んで、すっと空気が冷えた。昨日はこの季節初めての長袖を着た。でも、久しぶりにサンダルではなく靴で出掛けたら、足の指全部に肉刺ができた。あいにく絆創膏を切らしていて、手当てするにもできない。ついでに、昨日は鍵を持って出るのを忘れ、娘が帰宅するのをじっと廊下で待つという失態まで仕出かした。まったく、ドジもこう度重なると救われない。
起き上がり、窓を開ける。空は濃い目の水色が広がっており。雲ひとつない。あぁ今日はまた暑くなるのかもしれない。そう思う。風は微風。街路樹の緑が揺れるほどは流れていず。私の耳元の髪の毛が少し揺れる、その程度。私は昨日洗った髪を梳いて、ひとつに結わく。
しゃがみこみ、デージーを見やる。昨日の激しい雨で、ちょっとくったりしているような。それもそうだろう、もう終わりの季節なのだ。彼女たちにとって昨日のあの激しい雨はたまらないものだったに違いない。それにひきかえ、ラヴェンダーは恵みの雨だったらしく、ぐいぐいと上に上に伸びてきている。
弱っている方のパスカリ。一通り新芽を出し切ったらしく。新葉はもう赤味を失ってすっかり緑色になっている。吸血虫にやられた葉全部が入れ替わるほどは萌え出ることなく。今、半分が傷んだ葉、半分が新しい葉、という具合。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。新しく蕾をつけた。今、咲き始めたのがふたつ、そして新たにみっつ。咲き始めたその花は、まさに桃色で。ミミエデンのピンク色とは全く異なる、やわらかいあたたかさをもった色味。
友人から貰った枝。蕾がつんっと天を向いている。他の種類よりもとんがった蕾の形をしている。それに細身だ。まだ何色が咲くのかは全く分からない。どんな色が出てくるんだろう。白か、それとも赤か、それとも。
横に伸び広がっているパスカリ。新葉を伸ばしつつ、蕾も抱いている。まだまだ小さな蕾だけれど。この蕾はちゃんと純白の花を咲かせてくれるだろうか。
ミミエデンはふたつ目の蕾もちゃんと開いてくれて。芯が濃いピンク色、そして外にいくほどに白になる。そのグラデーションがとても美しい。小さい小さい、私の親指の先ほどの花だけれど、とても華やかだ。
ベビーロマンティカは、みっつほど花を切ってやったが、またさらにふたつ、今咲こうとしている。ぽっくり、ぽっくりと濃い黄味色をして。あったかな、おいしそうな花。
マリリン・モンローは、今ひとつの蕾を湛え。凛と立っている。新芽が後から後から出てくる。古い葉で、黄色くなったものを幾つか摘んでやる。御苦労様、そう声を掛けながら、ビニール袋に入れる。
ホワイトクリスマス。ひとつの蕾を抱えて、悠然と立つその姿。いつ見ても雄々しい。この樹は女性なんだろうか、それとも男性なんだろうか。私のベランダにある樹の中では、どちらかといったら男性っぽく見えるけれど。でも、こんな悠然とした女性がいたら、私はきっと憧れるに違いない。
アメリカンブルーは今朝、ふたつの花を咲かせてくれており。空よりももっともっと濃い、真っ青な色が、ちらちらと揺れている。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ポットいっぱいにふくぎ茶を作る。ふと、生姜茶の味が恋しくなった。でも、今まだ店には売っていない。もうしばらく待たないと。それまでふくぎ茶が残っていてくれるだろうか。また買い足さないと駄目かもしれない。
カップを持って、机に座る。明るい空のせいだろう、部屋も明るく見える。PCの電源を入れ、メールチェックをする。今朝最初に流れてきたのはSecret GardenのSona。この曲に一時期はまって、何度も繰り返し聴いたものだった。
国立に行ったのは水曜日だった。M社のNさんと会うため。Nさんは、私と会うまでの間に、性犯罪被害者について書かれた書物をたくさん読まれたそうで。その中でも心に残ったというタイトルは、私も聴いてすぐ分かる書籍ばかりだった。Nさんはどこまでも、編集者なんだな、ということを、話すほどに感じる。私が一時期いた世界。懐かしい。懐かしいけれど、私はもう戻ることはできない。それが、悔しい。
それにしても、この場所に来るまで、かなりきつかった。混みあう朝の電車、激しい揺れのせいで、何度も周囲の人に当たってしまう。それが、きつい。誰にも触れたくない、触れられたくない。その思いがどんどん高まって、頓服を二回、飲んだ。途中で倒れなくて、本当によかった。
友人の日記を読んでいて、彼女がひとつ、何かを越えたことを、知る。読み終えて、すっと気持ちが清らかになっていくような、そんな感覚を覚える。ここに辿り着くまで、彼女はどんなにしんどかったろう。どんな紆余曲折を経てきたのだろう。この次彼女に会える日が来たら、彼女はどんな表情で現れるんだろう。それを想像すると、何だか目頭が熱くなるような気がした。ここまでの道程、本当にお疲れ様、と、心の中、思った。
そんな私は今、どのあたりを歩いているのだろう。先日実家に行った折、父に何かを問われ、返事をするとき、私は確かこう言った。フラッシュバックは確かに今もあるけれど、昔のように焦らなくなったよ、と。そうしたら父はそっぽを向いたまま、手を止めることもなく、ただ、そうか、それはよかった、と言った。ただそれだけの、会話だったが、私は父が間違いなく今、私の言葉を受け止めてくれた、と感じた。それで、もう十分だった。
母がいきなり、ペンネームで仕事したら、と言い出した。どうして今更?と問うと、あなたにはお嬢がいるのだから、と。絶句しそうになった。今更どうして、名前を変えられるだろう。私は正真正銘私なのだ。何も恥じることはない。と、思うと同時に、お嬢にとってそれはどう影響するのだろう、と、ぐるぐる考えた。
参った、と思った。私は、私のことしか考えていなかったということなんだろうか。私のことばかり考えてしか、動けていなかったということなんだろうか。どうしよう、この失態。娘にとって、私が性犯罪被害者であるということは、そんなに恥ずべきことになってしまうんだろうか。じゃぁ私の腕の傷も、そういう代物になってしまうんだろうか。私はじゃあ、どうすればいい?
その場では、私は笑って流したが、本当のところ、私の心の中、頭の中はぐるぐるだった。お嬢にとって、どうなのか。そのことを考えたら、たまらなくなった。
今もまだ、答えは、出せていない。

やっと私は、ここまで来た。性犯罪被害者だろうと何だろうといいじゃないか、というところまで。でもそれが、娘にとってどうなのか、を、多分、考えていなかった。私は必死だった。私が立つことを、何より必死に考えて、ここまで来た。でも。
娘にとっては? 娘にとってはどうなのだ?
でも同時に浮かぶのだ。そんなに恥ずべきことなのか? 私は恥なのか? 私はそんなにも押し隠さなければならない存在なのか?! と。嫌だ、そんなの嫌だ、絶対にいやだ、と。でも。
娘にそれを強いる権利が、私にあるのだろうか。
娘は娘で選ぶことであって、私が強いることじゃない。それは分かってる。分かってるけれど。父母が言うように、私は私を隠して存在しなければならないほど、娘に負担をかけることになるのか。そういう存在なのか。
そう思ったら、情けなくなった。どうしようもなく、情けなくなった。ようやくここまで来たのに。また後戻りするのか、と。
娘よ、本当は今すぐにでも私はあなたに問いたい。あなたにとって私はそんなに恥なのか、と。でも問えない。そんな問い、あなたにぶつける方が酷だ。今あなたはまだ十歳。私の腕の傷を、当たり前のものと受け取ってくれているだけでもう十分すぎることなのに。私が具合が悪くなることを、それも自然なことと受け取ってくれているだけで十分なことなのに。これ以上、彼女に問うて、どうする。
でもじゃぁ、私はどう生きればいい? どう生きたらいい? 私の思いと現実とはあまりにちぐはぐで。
できるなら、もう、今、地べたに突っ伏して、あーあーあー、と、意味もない言葉を、喚きたい気分だ。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。雨上がりの校庭、リレーの選手に選ばれた子供たちが練習を重ねている。体育館では応援団が、朝から大きな声を張り上げて練習している。プールはもう緑色になって、しん、と静まり返り、そんな子供たちを遠くから見守っている。
私は階段を駆け下り、自転車に跨る。勢いよくペダルを踏み込む。
坂を下り、信号を渡って公園の前へ。工事の始まった角の家。まるでブロックを組み合わせていくかのようにあっという間に外壁が出来上がっている。私は公園に入り、池の端に立つ。見上げると、涼やかな水色の空が一面に広がっている。蝉の声から、秋の虫の音に変わった。ひとつの死と、ひとつの生と。連なってゆく。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。最近何だか警察官の姿が多い。しかも、長崎県警だとか福岡県警だとか、そういう制服を着た人たちが、ごまんと交差点に立っている。何かの練習でもあるんだろうか。何となく、居心地が悪い。
雨上がりの銀杏並木はきらきらと輝いている。大通りをさらに渡って、左に折れる。陽射しがまた強くなってきた。私は影の中に入って走り続ける。
駐輪場、おはようございまーすと声を掛けると、中からおじさんが走って出てきてくれる。おはようおはよう、と言うおじさんに、八十円を渡し、駐輪の札を貼ってもらう。
さぁ、今日も一日が始まる。私は自転車を停めると、くるり向きを変えて、歩き出す。


2010年09月14日(火) 
起き上がり、窓を開ける。一面鼠色の雲が広がっている。今にも雨が降り出しそうだ。風は微かで、街路樹の緑も、小さく震えるだけ。
しゃがみこみ、デージーを見つめる。デージー同士で、絡まりあって、もう解きようがなくなっている。ちょっと目を離したすきにこうなってしまう。何だか申し訳なくなる。ラヴェンダーはマイペースで、這うように横に広がっており。その節々から、新たな芽を出している。
弱っている方のパスカリ。それでも新芽を僅かずつだけれども芽吹かせており。空を見上げながら思う。これから少しでも涼しくなってくれれば、樹も元気を取り戻してくれるかもしれない、と。そうなってほしい。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ふたつの蕾が桃色になった。この花の色は本当に、ピンクというより桃色、という言葉が似合っている。
友人から貰った枝を挿したものは、ひとつが新葉をいっぱい出しており。もうひとつは蕾をつけている。まだ小さいけれど、ぴんっと天を向いて立っているその蕾。どんな色が咲いてくれるのだろう。楽しみだ。
横に広がって伸びているパスカリは、それぞれの枝の先っちょから、新葉を広げ始めた。蕾はまだないようなあるような。分からない。
ミミエデン、一輪がきれいに咲いた。鋏でそっと切ってやる。でも。ちょっと目を離した隙に、また吸血虫たちが葉の裏に憑依してきているような気がする。私は丹念に、葉を撫でる。それでも足りず、薬を吹き付けてみる。
ベビーロマンティカも、みっつの花が咲いた。ぽっくり、ぽっくり咲いた。まぁるいその花の形。独特だ。続いて残りの花たちも膨らんできている。
マリリン・モンローのひとつの蕾が綻び出した。ほんのりクリーム色の花弁が美しい。鼻を近づけてみると、ふんわり甘い、やわらかい香りが漂ってくる。もうひとつの蕾は、まだ固く閉じている。これから、だ。
ホワイトクリスマスを見ると、蕾がひとつ、小さい小さい蕾がひとつ、新葉の間に生まれているのに気づく。あぁ、またホワイトクリスマスの花に会える、そう思ったら嬉しくなった。新芽の固い固い気配も、あちらこちらに見られるようになっている。
アメリカンブルーは、今朝ふたつの花を咲かせており。微風にふわふわ揺れながら咲いている。その真っ青な色は、この鼠色の空の下でも、ぽっと灯る明かりのようで。私はしばしそれに見入る。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ポットいっぱいにふくぎ茶を作る。濃い目に濃い目に。そういえば昨日の夜、洗い物をし忘れていた。私は小さく舌打ちをする。洗おう洗おうと思っていたのに、ふっと忘れてしまっていた。
カップを持って椅子に座る。窓から滑り込む微風はだいぶ涼しくなっており。いくら見上げても、空の鼠色は薄れることはなく。このまま一雨来るのかな、と思う。
昨日は病院だった。医者に、眩暈というか貧血というか、あれは何なんだろう、痙攣ともまた違うのだが、体ががくがくっとなって倒れる症状のことを、一生懸命伝える。この症状は何処で診てもらえばいいのか、と。医者は首を傾げ、うんうん考えているのだが、なかなか応えてくれない。ようやっと、神経内科か脳神経外科に行ってみるのがいいかもしれない、と言う。でも、そこでも、どういう症状なのか、なかなか伝わらないと思うよ、と言われる。そう言われても、このまま放っておくわけにもいかないし、どうにかしないと、と私が言うと、精神的なものだと思うけどなあと、医者が呟くように言う。でもそれならそれで、先生、なんとかしてもらわないと、私、困るんです、と食い下がる。結局、近々どちらかの科に行ってみて、と言われる。また、薬が増えたことで何か影響は、と言われ、とりたててないが、と応える。医者はまたそこで、首を傾げている。あなたは薬の効きが、全般的に悪いのかな、と呟いている。そう言われても…と心の中で思いながら、でも黙っていた。
薬を受け取った帰り道、電車の中でいろいろ考える。今朝娘に抱きつかれた時、やってきた思い。私に触っちゃいけない、という、そういう思い。それは、自分が穢れている、と思っているから出てきた思いで。その思いに、私は改めて戸惑う。今更何を、と思うのだが、それでもまだ、私の周囲に付きまとっているらしい。
被害に遭ってから、「自分は穢れている」と、そういう思いが生まれた。あの事件で私はもう穢れてしまった、と。だからもう、私は普通じゃないのだ、というような。何が普通で何が普通じゃないんだ、と一方の私は言い返す。そんなの関係ない、私がひき起こした事件じゃないのだから、私のせいじゃないのだから、私は穢れてなどいない、そもそも、一人の人間を穢せるようなこと、ありはしない、と。でも、また一方の私が言う。それでも私は穢れた、汚い、おまえはもう汚いんだ、と。
その狭間で、私は悲鳴を上げたくなる。もうどっちだっていい、そんなことどっちだっていいから、私を解放して!と。悲鳴を上げたくなる。でも、そんな悲鳴、上げたって、誰にも伝わりやしない。だから私の悲鳴は、声にならない。
娘はよく私に抱きつく。ぎゅっと抱きついて、しばらく離れない。それどころか、私の胸と胸の間に顔を埋めて、ぎゅうぎゅう顔を埋めて、深呼吸しているときさえある。それが私を、ぞっとさせるのだ。あぁ、だめだ、私の周りの空気を吸っちゃだめだ、そうしたらあなたまでが穢れてしまう、と。だから私は、あの子が抱きついてきてくれるというのに、抱きしめ返せないでいる。
同時に、母のことも思い出す。私は、母に抱きつく、という習慣はなかった。娘のように、ぎゅうぎゅう母に抱きつくという習慣。そんなもの、なかった。むしろ母は、いつだって背中で拒絶していた。母の横顔はいつだって美しく、だから、私なんかが触れてはいけないもののように私には思えた。私はみそっかすで、生まれてはならなかった子で、だから私は彼女に触れてはいけないのだ、と。母に抱きついた記憶もなければ、抱きしめてもらった記憶も、私には、ない。
だからどうやって抱きしめ返せばいいのかが、私には、分からない。
そんな自分が、どうしようもなく悔しくて、情けないと思う。どうしてこんな簡単なことができないのだろう、と思う。ただ手を伸ばして、彼女の背中をぎゅっとしてやるだけのことじゃないか、と。なのに。その、その簡単なことが、私には、できない。
ひとしきり私の匂いを嗅いで、満足すると、娘は顔を上げ、にっと笑って離れていく。私はその彼女の肩の辺りに、私の影が、憑依してしまっているような、錯覚を覚える。その影は、私があの事件で得た影で。だから、払い落としたい衝動に駆られる。でもそれは錯覚で。だから私はどうしていいのか、全く分からなくなる。
性犯罪の一番怖いところは、こういうところなのかもしれない。人間の尊厳を、じわじわ、じわじわと侵食していく、崩壊させてゆくようなところが、ある。そういうところが、性犯罪の、一番、怖いところなのかもしれない。そのことを、改めて思う。
帰宅し、蒸し暑い中、仕事をしていたら気分が悪くなって、仕方なく横になる。横になってみたら、自分が思った以上に疲れていることに気づく。布団が沈み込んでゆくような感覚を覚える。そうしているうちに娘が帰宅し、おかえり、と私は声を出したのだが、私が横になっているのを見た娘が、いきなり、氷嚢を冷凍庫から取り出した。ママ、これやらなきゃだめだよ。私に有無を言わせぬ勢いで、それを差し出す。私は、とりあえず手元にあったハンドタオルをその氷嚢に乗せて、そのまま受け取る。
結局、私たちはしばらくして、クーラーの効いたファミリーレストランに一時避難することにした。そのくらい、私の体が疲れていた。何でこんなに疲れているのだろう。疲れるようなことをした覚えはないのだが。私は首を傾げる。娘はそんな私の向かい側で、せっせと宿題をこなしている。
ママ、今ね、私、奈良時代やってるんだ。どういうのが出てくる? 口分田とかね、荘園とかね、あと、わかんないや。わはは。わかんないって、それ全部覚えなきゃだめなんだよ。分かってるけどさー、習ってない漢字ばっかりで、困っちゃう。歴史はね、そういうことが多いんだ。何度も書いて覚えるしかないんだよね。めんどくさーい。仕方ないよ、そういう教科だから。あーあっ、でも、私、社会、そんな嫌いじゃないんだ。そうなの? うん、理科の方が苦手。どうして? 社会はただ覚えればいいけど、理科ってよくわかんない。そっかー。ま、どっちかだけでも好きであればいいんじゃない? ママって暢気だねー。そ、そうですか? うん、勉強両方できなきゃ、だめじゃん。いや、そうかもしんないけど。まぁ、どっちかだけでも好きであれば、ママはとりあえず、いいと思うけど。じじばばはそうは言わないよ。あぁ、まぁ、じじばばは、ね。偏差値で55以上取ったら、本一冊買ってくれるって約束したんだ。ママも約束してくれる? いや、ママは、検討する、ってとこで留めとく。えー、ずるーい、いいじゃんいいじゃん! ん、考えとく。考えといてよっ。わかったわかった。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れようとしたとき、雨が降り出したことに気づいた。ありゃ、雨降り出したよ。このくらい、どうってことないじゃん。ま、そうだけど。自転車乗れるよ。そうだね、このまま行っちゃうか。うん、じゃぁね、いってらっしゃい。いってきまーす。
階段を駆け下り、ゴミを出して、自転車に跨る。確かに、この程度ならどうってことはない。雨粒が頬に落ちてきたからって、困るわけでもないし。私はそのまま走り出す。
坂道を下り、信号を渡って公園の前へ。今日はちょうど公園の掃除の日らしい。たくさんの小型トラックが、公園の中へゆっくりと入ってゆくところ。
私は公園に入るのを諦め、そのまま大通りを渡る。高架下を潜って埋立地へ。空き地だったところに、たくさんのトラックが止まっており。あぁここも工事が始まるのだ、と知る。そうやってこの埋立地も、ビルで埋まってゆくのだ。寂しいような悲しいような。何ともいえない気持ち。
駐輪場、おはようございます、と声を掛ける。おじさんがたたたっと事務所から駆け出してきてくれて、駐輪の札を貼ってくれる。いってらっしゃい!と声を掛けられ、私も、いってきまーすと返事をする。
その頃には雨は止んで。見上げると、空の一部に水色が見え始めた。にわか雨だったらしい。
さぁ、今日も一日が始まる。私は、歩道橋の階段を、勢いよく駆け上がる。


2010年09月12日(日) 
娘の居ない夜。本棚を整理していたらあっという間に時間が過ぎた。気づけば真夜中。開け放した窓からは、遠いけれども虫の音が響いてきている。蝉の声が止んだと思ったら今度は虫の音。夏と秋の境目がそこに在ったんだなと思う。
横になる前に、ミルクたちに挨拶を。と思ったら、ミルクはちょうど回し車のところにひっくり返っており。まさに腹を出して寝ているといった具合で笑ってしまう。ゴロは最近、人の気配を感じると、ちょこちょこと扉のところに出てくるようになった。そして、出して、出して、と扉を叩く。ミルクやココアとの違いはそこ。齧るのではなく、小さな小さな手で叩く。ココアはじゃぁどうしているのだろうと思ったら、ちょうど砂浴びをしているところで。彼女はとても清潔好きなのだ。抱っこされた後、ご飯を食べた後、必ず砂浴びをする。私はふと思いついて、乾いたクランベリーを一粒ずつ差し出す。すると、とても上手に三人とも食べてゆく。あらまぁ、こんなものも好きだったの、と思わず声に出してしまう。娘が帰ってきたら教えてやろう。
シャワーを浴びて横になる。洗い立ての髪の毛は、ふわりとしていていつもよりずっと軽く感じられる。腰より伸びているというのに、この軽さ。ちょっと不思議。
夕方からしくしく痛んだ胃もだいぶ治まった。なんであんなに痛かったんだろう。しかも、胃に悪いというロキソニンを飲んだら治った。ちょっと謎。
うとうとしている間に気づけば四時半。起き上がり、窓からベランダに出る。薄い薄い、本当にヴェールのように薄い雲が空に広がっているが、きっとあっという間に晴れてゆくだろう。そんな気がする。白み始めた空。紺色をたっぷりの水で溶いて流したような色合い。
ふと見ると、デージーの一房がぽてっと足元に落ちている。まだ触っても何もいないのにどうしたのだろう。でも、こういうことが時々ある。何故か、数本ずつまとまって、抜けているということが。それはすっかり褐色になり、もう終わったよと言っているかのよう。私は、お疲れ様、と小さく声を掛ける。
吸血虫にやられたパスカリ。新芽は一通り出てきたけれど、本当に弱々しい。もう一本のパスカリの新葉と比べても、間違いなく葉が薄くて。大丈夫なんだろうか。それでも、新芽を出してきてくれるのだから、今一生懸命踏ん張っている最中に違いない。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。今あるのはみっつの蕾。ひとつが綻び始めている。そして、前へ前へと新しい葉を伸ばしている。
横に広がって伸びているパスカリ。もしかしたらこちらの枝にも花芽がついたかもしれない。私はじっと一点を凝視する。多分、そうだ。蕾だ。まだ本当に小さいけれど、きっと。
友人から貰った枝を挿したそれは、それぞれに紅い新芽をぐいぐい出してきている。そして蕾がひとつ。まだ何色かは全く分からない。
ミミエデン、ひとつの蕾が綻び始めた。真っ白な外側の花弁から、内へいくほど濃く現れるピンク色。そのグラデーションは見事で。思わずしばし見惚れてしまう。
ベビーロマンティカは幾つもの蕾が明るい煉瓦色から濃い黄色へ徐々に徐々に変化しようとしている。黄色といってもそれは、まろやかな色合いで、デージーのそれとは全く異なる。ぽん、ぽん、ぽん、と丸い蕾が幾つも。見ているとそれは音符のようで、楽しくなってくる。
マリリン・モンローはふたつの蕾を今日も大事に抱えており。ひとつの蕾がクリーム色の花弁を少し見せ始めた。そして体のあちこちから、紅い新芽を吹き出させており。マリリン・モンローもこの夏を無事に越えて、今、元気いっぱいというところなんだろうか。
ホワイトクリスマスは、新芽をひとしきり出して、紅色の縁取りが取れてきた。今はこの新芽たちに集中して力を込めているのかもしれない。
そしてアメリカンブルーは今朝、ひとつきり、花を咲かせてくれた。真っ青な花がしんしんと立っている。風もない朝。
私は部屋に戻り、お湯を沸かす。ポットいっぱいに今日もふくぎ茶を濃い目に作る。昨晩のうちに作っていたものはそのまま冷蔵庫へ。今、三つのポットを順繰り使っているが、本当にあっという間になくなっていく。私が飲みすぎなんだろうか。それとも、それだけ今年の夏が暑かったということなんだろうか。
最初ひとつに結って下ろしていた髪の毛だが、やっぱり暑い、ひとつに丸めて留めてしまうことにする。
お茶を入れたカップを持って机へ。椅子に座りPCの電源を入れる。大事なメールが幾つか届いている。ひとつひとつに目を通し、今返事を書けそうなものは書いてしまうことにする。
それにしても。私は窓の外の街路樹を見ながら耳を澄ます。風がぴたりと止んでいる。そよとも吹く気配がない。どうしたんだろう。

幼馴染に誘われて、写真を撮りに出掛ける。何度も道を間違えて、結局目的地に着くのに二時間以上かかってしまった。二人して苦笑しながら、ゆっくり歩き始める。小さな小さな漁港。幼馴染には言っていないが、その昔、そう私が中学生の頃、何度かこの辺りまで学校をさぼりにやってきたことがある。その頃と、殆ど変わらない景色。
小さな猫が三匹、こちらをじっと見つめている。こんにちは、と挨拶すると、一匹が警戒したのか、にゃぁっと啼いた。でも、逃げる様子はない。私は小さく笑いながら、その場をそのまま通り過ぎる。奥へ奥へ。船が泊まっている辺りを過ぎて、さらに海の方へ。満潮の時刻が近いのか、波がすぐそこまで打ち寄せてくる。その合間合間を飛んで、岩のてっぺんへ。見下ろす景色は、青一色で。私はしばし、カメラを弄るのを止めて、辺りの景色を眺める。
こうやって、景色の色が見えるようになったのは、いつの頃からだったろう。事件に遭って、しばらくして、気づいたら世界から色が消えていた。一切の色が消えてしまった。そうして何年過ごしたか。すれ違う人、人、人、みんな、のっぺらぼうに見えた。時折口だけ見える人がいたけれど、そのくらいで、たいていはのっぺらぼうで。そうか、娘を産んでしばらくした頃から、のっぺらぼうが表情を持ち始めたんだった。そして離婚してしばらくして、徐々に徐々に、世界に色が戻っていった。今は時折、こうやって色の洪水に呆然とすることさえある。そういう時は、カメラは敢えて持たないのがいい。
帰り道を波で塞がれてしまう前にと、慌てて岩場を下りてゆく。それでも遅かったのか、サンダルを少し濡らしてしまった。まぁこのくらい、少しすれば乾くだろう。
漁師さんが何人か、地べたに座っておしゃべりしている。頭を下げて通り過ぎようとしたら話しかけられ。気づいたらあれこれ話しこんでしまっていた。ふと気配を気づいて振り向くと、幼馴染が呆れた顔をしてこっちを見ている。それじゃぁまた!と漁師さんに手を振って幼馴染と合流すると、まったく誰彼構わず仲良くなっちゃうの、やめなよ、と笑われる。
帰り道は楽チンだった。さすがにあれだけ道に迷えば、帰りはもはや迷うところは残っていないといった感じで。それでも気づけば辺りはもう夜で。駅前で解散。

夜、娘に電話を掛けると、何故かぶぅたれている。どうしたの? 尋ねても返事をしない。無言のままばばに電話が変わられてしまう。どうしたの? あなたからの電話がいつもより遅いって怒ってるのよ。あぁ、ごめん、おなか痛くて、電話掛けるの遅くなっちゃったんだよ。そうなの、じゃぁしょうがないわね。ごめんごめん、言っといて。わかった。電話を切って、娘の机を何となく眺める。足元に何本も鉛筆が落ちている。私は一本一本拾って、わざと娘の机の真ん中に置いておくことにする。帰ってきたら、机の下に落ちたものはちゃんとその都度拾いなさいと言わなくちゃ、なんて考えが頭を過ぎる。まぁ私が言ったからとて、すぐやってくれる娘じゃぁないことはこちらも承知の上なのだが。

朝、いつもより早めに家を出る。カメラを持って。久しぶりにこの辺りを撮りたくなった。東から長く伸びてくる陽光のせいで、影が長い。私は自然、その影を追いかける形になる。校門から伸びる影、裏門から伸びる影、大きな大きな柳の樹から伸びる影。そして気づいたらもう公園の前へ。
いつも自転車で上がるのと逆側から、階段でゆっくり上る。すると、猫が一匹、白地に黒ぶちの猫が一匹、でーんと階段のてっぺんで横になっている。ちょっと失礼するよ、と断って、階段の端を歩く。猫はびくともしない。ただ顔だけはこちらに向けて、じっと私を観察している。何もしないよ、と苦笑しながら手を振って別れる。
池にはアメンボがたくさんいて。光を受けて輝く部分と、影になって黒々と光る部分と。その狭間をアメンボが行ったり来たり。
そうして大通りを渡り、高架下を潜ろうとするところで、警察官二人に呼び止められる。何してるの? 写真撮ってます。こんな時間から? はい。気をつけてね。はい。それだけ言って去って行ってしまった。何がしたかったんだろう、私は首を傾げる。そもそも私は警察官が苦手だ。好きじゃない。何となく嫌な気分になって、それを振り払うように銀杏並木を見上げる。黄緑色になり始めた樹と、まだまだ青い葉の樹と。入り混じって立っている。
横断歩道を渡り、左へ折れる。自転車で走るのと歩くのとではこうも違って見えるのかと、改めて辺りをゆっくり見回す。気づくと背中から汗がたらたら垂れている。振り返ると朝日が煌々と輝いており。空はもうすっかり水色で。
さぁ、今日も一日が始まる。私は、カメラを抱えながら、真っ直ぐ歩いてゆく。


2010年09月11日(土) 
窓を開け放したまま眠ったら、あっちこっちを蚊に刺された。太腿の付け根、足の甲、手の指先、腕などなど、まだこんなに強烈な蚊がいるのかと、呆気に取られるほど。起き上がり、ムヒをとにかく塗ってみる。
ベランダへ出ると、うっすらとした雲が空に広がっているが、その向こうには白み始めた空が見える。天気予報どおり、今日は暑くなるのだな、と空を見上げながら思う。せっかくここまで涼しくなったのに、と思いながらふと耳を澄ます。秋の虫たちの声が響いている。あぁ、蝉と入れ替わったのだ。私はしみじみ、その音に耳を傾ける。
しゃがみこみ、ラヴェンダーとーデージーのプランターの脇にしゃがみこむ。デージーはまだいくらか咲いており。鮮やかな黄色い花びらが、ぴんと張っている。でもこれも、じきに終わりになるのかと思うと、ちょっと切ない。
弱々しいパスカリ。それでも新葉を懸命に広げている。また新しく、茎と葉との間に新芽の気配を漂わせており。早く伸びて来ておくれ、と心の中、声を掛ける。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。みっつ目の蕾も順調に膨らんできており。一番最初に萌え出た蕾は、僅かに桃色の花弁を見せるようになった。もうじき咲いてくれるんだと思うと嬉しい。
友人から貰った枝を挿したもの。二本とも今、紅い新芽を湛えている。そして一本は蕾を一番先端に、ちょこねんと抱えており。さて、何色が咲くんだろう。楽しみで楽しみでならない。
横に広がって伸びているパスカリ。昨日、花を切り花にした。花びらの色はクリーム色がかっているけれど、その香りは確かにパスカリで。涼しげな、ふんわりした香り。そして他の枝からも、新芽がにょっと顔を出している。
ミミエデンは、ひとつの蕾が白い花弁を見せており。もうひとつはまだ膨らんでいる最中。一通り新芽を芽吹かせたらしく、今は紅色から緑色へ葉の色を変えている最中といった具合。
ベビーロマンティカ。むっつもの蕾をつけ。そのうちのよっつはもう、明るい煉瓦色の花弁を下から見せている。ぷっくらむちむちに膨らんだ丸い蕾。この蕾の形も、ベビーロマンティカの特徴かもしれない。
マリリン・モンローは、ふたつの蕾を抱えてしかと立っている。そして、体のあっちこっちから赤い新芽を芽吹かせており。ひとつの場所から、勢いよく吹きだして来るその芽の束。まさに束、といった具合。
ホワイトクリスマスも、二箇所から芽を吹き出させて。縁だけ赤い新芽たち。天へ天へと伸びてゆく。
挿し木だけを集めたプランターの中。今、一本が頑張って、伸びてきている。その先端に小さな徴。多分これは蕾。さぁこの枝は何の枝だったっけ。思い出せない。でも、咲いてくれれば分かるだろう。君が一体誰なのか。今からそれが楽しみだ。
アメリカンブルーは、今朝は四つの花をつけてくれた。東から伸びてくる陽光に向かって、さやさやと揺れる青い花。この花を見つめていると、あぁ今日も頑張ろう、という気持ちになれる。
部屋に戻り、お湯を沸かす。空になったポットに、ふくぎ茶をいっぱい、濃い目に作る。洗い場がきれいなのを見て、そういえば昨日帰り、友人が洗い物をしていってくれたことを思い出す。しなくていいよというのに、このくらいさせてよと彼女が洗ってくれた。朝、流し場がきれいなのは、なんだか嬉しい。
カップを持って椅子に座る。ふと窓の外を見ると、ふわぁっと東から広がってきた陽光に空が照らし出され、それまでうっすらと紺色を残していた空が、瞬く間に水色に変化していくところ。しばしその様に見惚れてしまう。
煙草に火をつけ、ついでに杉の香りの線香にも。PCを立ち上げ、メールのチェックをしながら、音楽を流す。今朝一番に流れてきたのは、マイケル・ジャクソンのWe are the world。
昨日は、電話番の日だった。十時半頃、Yさんもやってきて、二人であれこれ話しながら電話を待つ。
Yさんが来週、ここに来る前に、Tセンターへチラシを持って行ってくれることになった。今、遠く離れた西の町では、もう一人のスタッフ、Aが、リンクの手続きを取ったりチラシを持っていったりしてくれているはず。
Yさんが、私、実は子供が苦手なの、と笑いながら話し出す。なのに、お嬢は、そんな私に構わず慕ってきてくれて、だから気づいたら、もう何年も前から知っている間柄のような、そんな気がしてきてしまうから不思議よねぇ、と。私はそれを聴いてつい笑ってしまう。うちのお嬢は確かに、相手構わず、くいっと相手の内側へ入り込んでいくようなところがある。それは或る意味、不思議な能力だなぁと思っている。私にはない能力だ。
話のついでに、本棚からあれこれ本を引っ張り出す。これがね、たまらないんだよ、と、私がいわむらかずおのかんがえるカエルシリーズをYさんに紹介すると、彼女は笑ったり考え込んだりしながら頁を一枚一枚捲っていく。これ、実はとっても深い本だね。でしょでしょ? オトナが読むべき絵本だよね。うん、そう思う。そしてその隣に並べていたエドワード・ゴーリーの絵本も登場。Yさんは、こっちはこっちで、たまらないものがある、と言いながら、じっと見入っている。うちには数冊エドワード・ゴーリーの絵本があるのだが、その絵本を全部、二度三度、繰り返し見つめている。これさぁ、あまりに真実を突いていて、呆然としてしまう本だね。あ、Yさん、そう思う? 呆気なく、たった一行ですぱんと書かれてしまっているから、人によったら、これって残酷って取る人もいるのかもしれないけど、でも、これ、どうしようもなく真実だらけだよ。私、この人の絵本、見つけたら買おうかなぁ。
その日電話は静かで。私たちはあれこれ話しながら、時間を過ごす。これからのことについてもいくらか話していると、突然彼女が言い出す。それにしても、この家って過ごしやすいね。はい? なんかいくらでもここで過ごしていたくなる。こんなにモノが溢れるごちゃごちゃした家なのに? うん。この前来た時、Sさんが突然寝てしまったりしてた、あの気持ち、分かる気がする。あぁ、彼女は、普段眠れないらしいんだけど、うちに来ると、ぐーかーよく眠るんだわ。ははははは。いやぁそれ、分かるよ。そういうのが赦されるような雰囲気が、この家にあるんだよ。そうなの? うん。
ちょうど夕日が堕ちて来て、空の色がくわんと変わる瞬間で。私たちは開け放した窓からじっと空に見入る。私、まだ結婚したての頃、電気をつけるのさえ罪悪感で、ずっと真っ暗な部屋の中、じっとしていた頃があった。そうなの? うん。今もまだ、そういうところ、残ってる。もう結婚して十年以上が経つのにね。でも、何となく分かる気がする。もったいない、と違うんだよね、罪悪感、なんだよね。そうそう。私にもし娘がいなかったら、私も机の電気スタンド以外、点けないで、暗い中で過ごしていたと思うよ。うんうん、そういう感じ。
なんかほんと、この部屋、心地いい。Yさんが笑う。いずれ私もSさんみたいにここでいきなり寝るーとか言い出すかもしんない。どうぞどうぞ、寝てください。はははははは。私たちは大きな声で笑い合う。そしてYさんが言う。私、誰かの家で、こんなにくつろいで過ごすのって、初めてかもしれないなぁ。私はそんな彼女の言葉を、黙って聴いている。

朝の仕事に取り掛かりながら、同時に今日やることのリストも作っていく。作りながらひとつ溜息。私って、お金にならないことはいくらでも思いつくのに、お金に結びつくことって全然思いつかない、これも一種の才能かしら、と首を傾げる。
そのうち、娘が起きてくる。おはようございます。おはよう。ほら、早く支度しないと、時間なくなるよ。うーん、でもミルク…。ミルクはいいけど、ほら、まず掃除! はいはーい。
娘が机の部屋の方を掃除している間、私は台所の掃除を済ます。娘は背中にミルクを乗せながら、コロコロを動かして、床に落ちた髪の毛を集めている。私はゴミ袋にそれらを一式まとめて入れて結ぶ。今日はゴミの日。
ママ。何? ちょっと。そう言って娘が抱きついてくる。最近、こういうのが多い。突如抱きついてきて、しばらく彼女はじっとしている。私も彼女が飽きるまでじっとしている。私が小学五年生の頃、母に抱きつくなんてあっただろうか。いや、皆無だった。むしろもう、母や父を避けていた。それに比べると、娘は、なんというかこう、甘えん坊さんなんだろうか。まぁ、でも、あと一年もしたら、「お母さんなんて最低!」とか何とか言いながら反抗する時期に入るのだろうから、それまではこれで、いいのかもしれない。
ほら、じゃぁ出かけるよっ。はーい。重たい荷物を二人とも背負って、玄関を出る。あ、ママ、ほら、カナブンだよっ! 踏んで踏んで! やだよっ。じゃ、ママ踏む。くしゃり。乾いた音が響く。ママぁ、よく踏めるね。気持ち悪くないの? 気持ち悪いけど、この虫はママの大事な薔薇の根を食べちゃうから、嫌いなの。赦せんって感じ。ふーん。まぁいいけどさぁ。今頃サンダルの裏、汚れてるよ。それを言わないで。ははははは。
じゃぁね、それじゃぁね。マンションを出たところで別れる。娘はバス停へ、私は自転車へ。別れ難いのか、再び戻ってきた娘が、私の腰に手を回す。しばらくそうやって抱きついていて、満足したのか、じゃぁね!と言ってバス停へ。彼女がバス停に辿り着いたのを確かめて、私は手を振って、自転車を走らせ始める。
坂道を下り、信号を渡って公園へ。私は公園の池の端で耳を澄ます。蝉の声は一切止んだ。もう聴こえない。その代わりに、秋の虫たちの声が響いてくる。あぁ、季節は変わったんだ。そう思った。
公園を出て大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木の影の中で、信号が変わるのを待つ。見上げる銀杏並木の、数本が、緑色から黄緑色へ、早々と色を変えているのに気づく。あぁ、ここでも季節が変わってゆくのだな、と私はしばしその黄緑色の葉を見つめる。
信号が青に変わった。私は勢いよく走り出す。左に折れて真っ直ぐ走る。今朝は土曜日、誰もいない。みんな土曜日は仕事が休みなんだな、そう思いながら走る。信号は運良く次々青になってくれて。私は止まることなくひたすら走る。
駐輪場でおはようございますと声を掛けると、おじさんが返事をしてくれる。秋になってきたねぇ、そうですねぇ。そんなことを話しながら、駐輪のシールを貼ってもらい、定位置に自転車を停める。
ふと見ると娘からメール。頑張ってくるよ!と書いてある。私は、応援してるよ!と返事を打つ。
さぁ、今日も一日が始まる。


2010年09月10日(金) 
本当に久しぶりに、涼しい夜。娘もそれを感じているのか、いつもより動きが小さい。回転はしているけれど、私を蹴ってきたのは一度きり。静かな夜。
アラームより一時間以上前に目が覚める。多分それが今日の私の睡眠時間なんだろうと起き上がり、窓を開ける。まだ闇の中ではあるけれど、それでもどんよりとした灰色の雲が空に広がっているのが分かる。それにしてもこの涼しさはどうだろう。嘘みたいだ。タンクトップでいるとちょっと肌寒いくらい。本棚スペースの灯りを点け、昨日焼いたプリントを見直す。まだ夏前、このプリントはセピアで焼こうかと何度も考えたのを思い出す。最初ネガを見たとき、そう思ったのだ。でも結局、最後はこうしてモノクロに落ち着いた。やっぱり私は、モノクロが好きらしい。
徐々に徐々に白んできた空の下、ベランダに出る。デージーはまだ咲いていてくれている。もう葉はすっかり褐色になっているというのに。ラヴェンダーはそんなデージーを囲むように伸びてきている。
弱々しいパスカリ。それでも一生懸命新葉を広げてきている。その新葉の先っちょは、吸血虫の痕が残っており。かわいそうに、微妙に歪んでいる。まだ新芽の気配はあちこちにあり。それらが伸びてきて、吸血虫の跡形なんてごっそりなくしてくれることを、私は祈る。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。三つ目の蕾もちょこねんと伸びてきて。それにしてもこう、何だろう、前に前に茂ってきているから、後ろを見るとぺしゃんこ。なんだか絶壁頭のような感じ。ちょっと笑ってしまう。
友人から貰ったものを挿し木したそれに、何となく気配が。じっと目を凝らす。あぁこれは、きっと蕾だ。まだ二ミリほどの、小さな小さな丸い粒だが、これはきっと蕾。あぁ、ようやっとこちら側の花の色が分かる。そう思うと嬉しい。そして先に紅い花を咲かせた樹の方も、新芽を吹き出させてきた。
横に広がって伸びてきているパスカリの、花がちょっとずつ綻び始めた。すっかりクリーム色になってしまっている。真っ白な花びらは、どこに隠れているのだろう。私は首を傾げる。
ミミエデン。ひとつの蕾が白い花弁を見せ始めており。もうひとつの蕾はまだ固く閉じている。そして葉の殆どが、緑色に変わって。ようやく落ち着き始めたという感じ。
ベビーロマンティカは、あっちこっちでまた新芽が出てきており。そして蕾は今よっつが明るい煉瓦色を見せ始めている。
マリリン・モンロー、こちらも蕾を大きいのと小さいの、ふたつ、空に向かって凛と伸ばしている。大きい方は、まだまだ細長く、膨らんでくるまでにはまだ時間があるらしい。そして、下の方からまた、新しい芽を出してきている。
ホワイトクリスマスの新葉は、今紅い縁取りを伴ってそこに在る。今二箇所から吹きだしてきている新芽。あとはどこにあるだろう。気配は幾つか。
アメリカンブルーは、今朝四つの花をつけてくれた。風のない今朝、しんしんとそこに佇んで、真っ青な花びらをぴんと広げている。
私は部屋に戻り、お湯を沸かす。空になったポットいっぱいに、濃い目のふくぎ茶を作る。この夏で一体どれほどのふくぎ茶を飲んだんだろう。もう六袋目に入っている。茶葉を大袋で売ってくれたらいいのになぁと思うのだけれど。大袋がなくて本当に残念。
冷凍庫のおにぎりを確認する。たらこと明太子が安売りしていて、それでおにぎりを作った途端、娘はおにぎりをたくさん食べるようになった。ママ、ありがとう!と、にっと笑って言ってくれたのは嬉しいのだが、こうも勢いよくなくなっていくと、作り置きするのも結構大変。今朝はとりあえず四つ、冷凍庫にあるから、まぁ今日の分は大丈夫だろう。
カップを持って、椅子に座る。PCの電源を入れ、煙草に火をつける。空は明るくなってきたが、雲は動く気配はなく。今日はどれくらい気温が上がるんだろう。私は空を見上げながら思う。また週末には暑くなると天気予報では言っていたが。
昨夜は月のもののせいで、腹部が重だるく、シャワーを浴びるのも難儀だった。娘に先に風呂に入ってもらい、しばらく横になっていたのだが、全然だるさは軽くなる気配がなく。結局ふらふらしながらシャワーを浴びたのだが。まぁでも、この月のものとの付き合いも、あと何年あるか分からない。そう考えると、気持ちもまた違ってくる。
今朝最初に流れてきたのは、Secret GardenのRaise your voices。私の大好きな曲だ。朝には一番似合いの曲なんじゃないかと思う。ふんふんと曲に合わせて鼻歌を歌いながら、私は髪を結い、丸く一つにまとめる。もう髪の毛の長さは、腰を越えてしまった。今度美容院に行ったら、十センチはまとめて切ってしまおう。そう思っている。
昨日友人から届いた手紙。今彼女は入院している。その中で書いてくれたんだと思うと、なかなか封が開けられなかった。鋏でそっと封を切り、手紙を広げる。ふわりとやわらかな匂いがした。彼女のつけている香水の匂いかもしれない。「傷も収まってきて、だいぶ落ち着いてきました。でもそうなると暇になって、何をしていいのかわからなくなります、笑。早く退院して、ビーズの作品作りたいなと思っています」。そんなことがつらつらと書いてある。彼女は北の町に引っ越してから、ビーズ教室に通い始めた。それがどんどん上達し、今では商品になるほどになった。それでも。彼女の心の傷はまだまだ癒えず。彼女は隠れてリストカットを繰り返してしまう。自分の穢れた体が、どうにもこうにも耐えられなくなるのだという。死ぬつもりはない、けれど、この体が、この穢れた体が嫌なのだ、耐えられないのだ、と。赦せない、と言ってもいいのかもしれない。
その感覚は、私にもよく分かる。私もそうだった。死のうと思ってやっているわけじゃない、ただ、赦せなくて、たまらなくて、どうしようもなくて、この肉体が本当に本当に赦せなくて。気づけば切りつけている。そういう具合だった。
彼女が一日も早く、退院できることを、この空の下、私は祈る。

ママ、ママ、私さ、騎馬戦の騎馬になっちゃった。上に乗ることできなかった。ありゃ、そうなの? でもいいじゃん、騎馬で頑張りなよ。騎馬がしっかりしてないと、上に乗ってる人だって駄目になっちゃうんだから。うーん、それは分かってるけどさ、なんかちょっと悔しい。ママも、騎馬戦はいつも、騎馬だったよ。そうなの? 当たり前ジャン、ママ、体おっきかったから、上になんて乗らせてもらえなかったよ。そっかぁ、やっぱそうなんだ。そうだよそうだよ、あなたはママと同じく健康優良児体型なんだから、騎馬で頑張ればいいの。うん、じゃぁ頑張る。
今ね、うちのクラスで、ラブレター合戦っていうのが流行ってるんだよ。何それ? 偽物ラブレターで、男子を騙すの。えー、それ、よろしくないんじゃないの? ははははは。面白いよ、中には、本気でちゃんとしたラブレター書いちゃう子もいたりするんだよ。それはいいじゃない、ラブレターなんだから。告白ぅ、とか言って、好きですって書くんだ。それでラブラブモードに入れれば、いいんじゃないの? いやぁそうはうまくいかないんだなぁ。なんで? なんかさ、告白しちゃうと、男子が引いちゃって、結局うまくいかないってパターンなんだよね。なんだ、あなたのクラスの男子は、みんな草食男子なの? わはははは、そうかもしれない。女子が肉食で、男子が草食か。うんうん。塾ではさ、頭のいい奴らの中に肉食が何人かいるんだけど、そうじゃない男子はたいてい草食だね! そうなの? うん、そう。なんかつまんないなぁ。やっぱ生き物、肉食じゃないと。ママは肉食? んー、最近肉食でも草食でもなくなってきたような気がする…。何それ? なんかもう、どうでもいいーみたいな境地にあるような。だめじゃん! ママ! それは駄目だよ! 女が廃るよ!! …女が廃るって…、あなた、それ、子供の言う台詞かいっ! だからぁ、たとえばさ、この俳優さんにファンレター書いてみるとか。書いてどうすんの? 好きです、つきあってくださいって書いてみるとか。書いたってどうにもならんって。だからぁ、もしかしたらってこともあるじゃん。っていうか、ママそもそも、そんなにこの俳優さん好きじゃないし。手紙書いて告白するほど好きな人、ママ、今、いないもん。あー、だめだこりゃっ。じゃ、あなた書きなよ。何て書くの? 私のパパになってください!って。あー、それいいかも! 書く書く! いや、冗談で言ったんだけど。書くよ、書いたら送ってくれる? わ、分かった分かった、送るから。早くご飯食べて! はーいっ。

じゃぁね、それじゃーね、また後でね。うん! 手を振って別れる。
私は階段を駆け下り、自転車に跨る。走り出してすぐ思った、半袖で自転車で走ると、肌寒い。今日一日だけのことかもしれないけど、その変化がとても嬉しい。秋が早く来るといい。
公園の前で立ち止まる。公園の目の前の角のところ、古い家が壊され、今新しい家を建てる準備が始まった。その音に紛れて、蝉の声がうまく聴こえない。私は公園の中の池の端に立ってみる。でも、何故だろう、蝉の声が本当に小さい。あぁ、もう終わりなんだ、そう思った。蝉さん、今年もありがとう、そんな言葉が心の中、浮かんだ。本当に今年は、長くて暑い夏だった。といってもまだ、夏が終わった保障はないのだけれども。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。信号がちょうど変わった。そのまま真っ直ぐ走る。横断歩道を渡ったところで左に折れ、さらに真っ直ぐ。
鞄の中には、郵便物が入っている。夏が始まる頃、友人に借りた写真集。会う機会がなかなかなくて、返すタイミングを失っていた。もしかしたらもう当分会えないかもしれない、そんな予感がして、迷った挙句、郵便で届けることに決めた。ポストカードを添えたけれど、本当はもっと別のことを書きたかった。でも、書けなかった。
駐輪場に滑り込み、おはようございますと声を掛ける。おじさんが、駐輪の札を貼ってくれる。よろしくお願いしますと挨拶し、自転車を停める。
見上げる空はまだどんよりとした灰色。何処からも光が漏れてくる様子はない。歩道橋の上に立って向こうを見やるけれど、いつもくっきり見える風車が、ぼんやりとしか見えない。ちょっと残念。
さぁ、一日が始まる。私はサンダルで、たかたかと歩き出す。


2010年09月09日(木) 
激しい雨は一晩で止んだ。窓を開けてみると、のっぺりとまだ雨雲の残骸が空に残っているけれど、これもじきに晴れるのだろう、そんな気がする。街路樹は、久しぶりの雨を浴びたせいか、いつもより緑が濃くなって見える。まだ吹き付けている風に煽られて、葉の裏側がひらひら翻っている。まだ通りには誰もいない。車一つ通らない。そんな時間。
玄関に回ってみると、濡れた校庭が静かに横たわっている。この夏休みの終わりに砂を足したせいか、校庭には水溜りはほとんどなく。雨上がりなのに水溜りがない校庭というのも何となく不思議な光景。うちの小学校では九月になると運動会の練習が始まり、プールがなくなってしまう。子供らが集うことのなくなったプールは、なんだかがらんどうで、寂しそうに見える。校庭の周囲を彩る樹々たちも、この雨のおかげで甦ったらしい。緑がつやつやと輝いて見える。耳を澄ますと、遠く微かに蝉の声。でも、もう本当にそれは微かで。じきにこうやって耳を澄ましても聴こえなくなってしまうのだろう。
ベランダに戻り、ラヴェンダーのプランターの脇にしゃがみこむ。デージーは昨日の雨を受けて、幾つかの花が散り落ち。といっても花びらが落ちるわけじゃない。萎びるのだ。だから、これだけたくさんデージーが咲いても、花びらが落ちているところを私は殆ど見たことがない。ラヴェンダーはそんなデージーの気配を察してか、脇にそっと避けて、佇んでいる。
吸血虫にやられたパスカリは、うっすらとした新芽を少しずつ少しずつ広げてきている。ひらひらと風に揺れる新葉。透かしたら向こうが見えるんじゃないかと思うほど弱々しく。でも、新葉がこうやって出てきてくれただけでも嬉しい。また近々肥料を継ぎ足そう。私は心に小さくそうメモする。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。みっつめの蕾が現れた。まだ葉と葉の間、隠れてはいるけれど、これは間違いなく蕾。今ぽろりんとくっついているふたつの蕾に続いてみっつめ。嬉しい。
友人から貰った枝を挿したものは、沈黙しているものと、それから新芽を勢いよく芽吹かせているものと。それぞれ。新芽は紅く紅く染まっており、それが徐々に徐々に緑色になってゆく。
横に広がって伸びてきているパスカリの蕾は、すっかりクリーム色になってしまった。純白のはずのパスカリの花弁はどこに消えたのだろう。私は首を傾げる。他の枝からも、小さな紅く染まった新芽がこっそり出てきている。
ミミエデン、ふたつの蕾。そのうちのひとつが、僅かに白い花弁を見せ始めた。私はミミエデンの花を自分の家でしか見たことがないから、比べようがないが、本当にその花は小さくて。私の小指の先ほどの大きさにしかならなくて。こんなんでいいのかしらと不思議になるくらい。でも、咲くとそれは、白からピンクへのグラデーションを描く。それはそれはかわいらしい花なのだ。
ベビーロマンティカはみっつの蕾が明るい煉瓦色の花弁を見せ始めた。ぱつんぱつんに膨らんで、いつ弾けてもおかしくないくらい。昨日の雨が効いたのか、萌黄色の新葉がさらに艶やかに鮮やかに輝いている。
マリリン・モンローはふたつの蕾を抱えて立っている。最初の蕾、まだ思ったよりも大きくならない。これからなんだろうか。あちこちから新芽は吹き出している。大丈夫、肥料を足してやればきっと。今日帰り道にホームセンターに寄って買って来よう。
ホワイトクリスマスの新芽は、白緑色からだんだん緑色が濃くなってきて、そして縁が紅色に染まる。それが開いてくると、濃い緑色になる。今そのちょうど途中といった具合。
アメリカンブルーはよっつの花をつけており。風にさやさやと揺れる枝。その先に青い青い花。この鼠色の雲の下でも、その青色は輝いて見える。
部屋に戻り、お湯を沸かす。昨日空になったポットにふくぎ茶を濃い目に作る。多分一日に二リットル以上は普通に飲んでるなぁと、作りながら思う。ポットを三つ用意して、それを順繰り使っているのだが、あっという間に、本当にあっという間になくなっていく。私の体の中にそんなにも水分が入るものなんだと、ちょっと不思議になるくらい。
昨日娘の出したお弁当箱がそのまま流し場に残っている。それをちょちょちょっと洗って伏せる。そろそろ、自分の出したお弁当箱ぐらい、自分で洗えるように教えた方がいいかもしれない。そんなことをふと思う。
カップを持って、椅子に座る。寝ているときから続いている偏頭痛、どうしよう、薬を飲もうか迷っている。肩を回したり、首をゆっくり回したりしてみるが、頭の芯にとりついた痛みが、抜けてくれない。仕方ない、一錠だけ飲もう、私はくいっと一粒、飲んでみる。そうして煙草に火をつける。窓から見上げる空は、まだまだ鼠色で。でもところどころ、雲の薄いところがあり、そこから光が煌々と漏れている。街景がその色を浴びると一変する。くっきりと輪郭を持って立ち現れる。
とりあえず、朝の仕事にとりかかろう。私は椅子を引いて、キーボードを叩き始める。

父から珍しくメールが入っている。どうしたのだろうと読んでみると、おまえに電話を何度掛けても繋がらなくて心配している、とある。私が掛けてみると、いっぺんで繋がった。どうしたの、お父さん。どうしたもこうしたもあるか、電話が繋がらないから心配していたんだ。私別に、番号変えてないよ。っていうか、いつも電話繋がってたじゃない。どうしたの? 分からん。で、何? おまえがまた変なのに騙されてるんじゃないかと思って電話してみた。私は思わず吹きだしてしまった。変なのって何でしょう、お父さん、と尋ねてみたかったが、やめておいた。学校の件があってから、疑り深い父はなおさらに疑り深くなってしまった。それもまぁ仕方がない。
写真のコンテストに出したとか言ってたが、それも、後になってお金を取られるとか、そういうことはないんだろうな。なんでお金取られるの? 出品料とかいって取られるかもしれん。そんなことはないから大丈夫だよ。信用できるのか? 大丈夫だって。おまえの大丈夫は信用ならん! 私は思わず受話器を塞いで笑い出してしまった。いや、父の言うことは或る意味ごもっともで。ふと思い出す。思春期の頃、父が私に向かって言った言葉、人を信用するな、と。おまえは人を信用しすぎる、人を信用するな、と。あの時は、なんて酷いことを、しかも父が言うのだろう、と、ショックを受けたが。今はまた違って見える。私は確かに人に騙されやすい。ころりと騙される。そんな私を見ている父や母は、きっと気が気じゃないのだ。自分らが死んだ後、こいつは一体どうなってしまうのだろう、と、そう思って気が気じゃないのだ。だから、私は黙って聴いている。父の言うことを。今は、そう。昔のようにはならない。
結局、何故か父の登録していた番号が間違っていたことが判明し、父に私の番号を登録し直してもらうことで事は解決した。どうってことのないことだったのだが、携帯電話などに疎い父にとっては、とんでもない大事だったに違いない。私は電話を切ってから、今頃向こうでああだこうだと機械をいじくっている父の顔を思い、ちょっと笑った。
「冬海景」にテキストを添えようと、改めてプリントを見直す。展示したことのある作品も、したことのない作品も全部、並べてみる。そこから二十五点、改めて選び出し、プリントし直す必要があるものにチェックを入れる。そして、それをとりあえず順番に並べ、コピーをとる。そのコピーを見ながら、テキストを添えてゆく作業。時間はあっという間に過ぎてゆく。
「虚影」「緑破片」に続いて、これを発表していきたいと思っているのだが。その前にもっと煮詰めないといけない。一通り作業を終えて、気づけば四時間、ゆうに時間が過ぎていた。

ふと、目の前の薬袋が目に入る。こんもり膨らんだ薬袋。この他に漢方薬二種類も私は毎食後飲んでいる。一体それは、何処まで続いたら、終わりが見えるのだろうと思う。これでも昔に比べれば、飲む量は減った。それでも。まだまだ多い。
友人がそういえば言っていた。もし私がねぇさんと同じ量の薬を飲んだら、その副作用でひっくり返ると思うよ、と。でも私は、今これがないと、一日の生活がままならない。副作用の出方ひとつとっても、人それぞれ。薬ってほんと、怖いな、と思う。
そんな時思い出すのが、母の病のことだ。肝臓。もう壊れてスカスカになり始めた肝臓。私の肝臓は、こんなにたくさんの量の薬を長年溜め込んで、一体どうなっているのだろう。母のように壊れてからではどうしようもないのだ。それは分かっている。でもじゃぁ、どうすればいいんだろう。分からない。
そんな時、娘の寝顔を眺めながら思う。私が健康でいなければいけないのに、と。私がちゃんと元気で、この子がひとり立ちするまで生きていかなきゃならないのに、と。私の体は、本当に大丈夫なんだろうか。時折ふと、そう、こんな時ふと、不安になる。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。私は階段を駆け下り、自転車に跨る。ちょうど電気工事の人がやってきて、すれ違う。あぁそういえば今日の午前中は停電するんだった、思い出す。帰ってきてからが面倒だな、そんなことを思いながら、自転車を走らせる。
坂道を下り、信号を渡って公園へ。玄関から耳を澄まして聴いたのは多分、この公園の蝉の声のはず。弱々しくなっていく蝉の声。それは季節が変わることを教えている。蝉よ、本当にお疲れ様。私は何だかふと、そう声を掛けたくなった。池の端に立って見上げると、ぱっくり開いた茂みの向こう、空が広がっており。ぐいぐい流れ往く雲の様が、そのまま池の水面に映っている。今日、いつもの猫はいない。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。左へ折れて、真っ直ぐ走る。すれ違う人、人、人、みんな、何処か虚ろな顔をしており。私はできるだけその人波から外れたところを走る。
駐輪場で、おはようございます、と声を掛けると、おじさんが出てきてくれた。いつものように駐輪のシールを貼ってもらい、定位置に自転車を停める。
さぁ今日も一日が始まる。私は歩道橋の階段を、勢いよく駆け上がる。


2010年09月08日(水) 
ぱっちりと目が覚めた。午前二時。あまりにぱっちりと目覚めたおかげで、再度眠る気が全く起きない。ちょっと首を傾げ、考えた挙句、起き上がることにする。
風呂場に幕を張って、暗室に。引き伸ばし機をえっこらしょと運び込み、急遽プリント作業。後期の展示に使うものが、まだプリントしきれていない。その作業に取り掛かる。
国立の後期は「あの場所からⅣ」の展示。今年の「あの場所から」は砂丘での撮影だった。前の日の夜浜松で集合し、夜中過ぎまでファミリーレストランで時間を潰した。それからタクシーで砂丘へ向かい、真っ暗な中、砂の上を歩いた。波の音が近づいてきて、突如海が現れて。そこに小さな穴を掘り、小枝を集め入れて火をつけた。焚き火を真ん中にして、私たちはまたそこでもおしゃべりを続けた。途中黙り込む者、考え込む者、それぞれに、それぞれの時間を過ごした。
実際に写っているのは二人だけれど、二人以外にももう一人、その場に居て、荷物を守り、火を守ってくれた子がいた。その子の分も、気配で写真に写しこめたら。もちろんそんなこと、できるわけがないと知りつつも、祈るようにそう思い、写真を焼く。
あっという間に三時間が過ぎ、私は風呂場から出て、大きく伸びをする。髪の毛に薬品の匂いが染み付いている。苦笑しながら私は髪を結わき、丸める。
窓を開け、外に出て、気づく。雨が降り出しそうだ。見上げる空には鼠色の雨雲がごっそり。微風も何処か湿っている。久しぶりの雨になるのかもしれない。そう思いながら、私はプランターの脇にしゃがみこむ。
デージーは、まだ黄色い小さな花を咲かせており。そういえばデージーの写真を一枚も撮っていなかったと改めて思い出す。でも、こんな終わりの姿になって写真に撮られるというのも嫌なものがあるだろうと、カメラを持ち出すのは止めておく。また種を植えればいい。そう思って。
弱っているパスカリの、新葉がひらひらと微風に揺れている。日当たりは同じ条件のはずなのに、それでもこのパスカリはまるで日陰で育っているかのような姿をしている。やっぱり土のせいなんだろうか。土がもう、だめなんだろうか。いつ土を取り替えてやるのがいいだろう。私は首を傾げる。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ふたつの蕾がぷらん、とくっついている。まだまだ小さくて、花弁の色は見えない。
友人から貰った枝を挿し木にしたもの、片方がまだまだ新芽を芽吹かせる勢いで。紅い塊が芯の方に色濃く見える。冬になる前に、何処まで伸びてくるつもりなんだろう。楽しみだ。
横に広がって伸びているパスカリ。蕾はもう、私の中指の先ほどに大きくなってきた。少しクリーム色がかった外側の花びら。ちょっと心配。真っ白のはずなのに、またクリーム色になっている。何が違うんだろう。何の影響なんだろう。それがよく分からない。
ミミエデン。ふたつの蕾がぴんと空を向いて立っている。まだまだ小さな蕾だけれど力強い。古い葉と新しい葉がまだ混在しているが、もう少ししたら、古い葉を思い切って全部取ってしまっても大丈夫だろう。
ベビーロマンティカは、むっつの蕾をそれぞれの枝の先にくっつけて。ふたつの蕾からはもう、明るい煉瓦色がはみ出している。新葉のきれいな萌黄色が、この鼠色の空の下でも輝いている。本当にこの樹は、私の元気の素だ。
マリリン・モンロー。ふたつ目の蕾も少しずつだが大きくなってきている。それぞれに凛と空に向かって立っている。そして体のあちこちから、新葉を芽吹かせて。紅い縁取りのあるそれらは、瑞々しい色合いを放ってそこに在る。
ホワイトクリスマスは白緑色の新芽をぶわっと広げ始めた。さぁ、ここからどう伸びてくるんだろう。ちょっとマリリン・モンローと近いところだから、影に入っていかなければいいのだけれど。
そしてアメリカンブルーは今朝、一輪の青い青い花をつけており。風にゆらゆら揺れながら、それはまるで空に向かって手を振っているかのよう。
部屋に戻り、濡れた印画紙を窓際に吊るす。そしてお湯を沸かし、ポットいっぱいにふくぎ茶を作る。濃い目に入れたそれに、氷を三つほど入れる。そのカップを持って机に座る。椅子に座って改めて空を眺める。鼠色はだんだん濃くなってゆくようで。天気予報では、台風が近づいてきたことを知らせている。まとまった雨はどのくらいぶりだろう。いつ雨が降ったかなんて、もう覚えていないほど前のことだ。街路樹たちにとって、これはどれほどの恵みの雨になるか。公園の樹々たちにとっても。
と、思っているところに、ぽつり、ぽつり、雨が降り出した。やあやあやあ。久しぶりだねぇ。思わず挨拶してしまう。そうしている間にも、雨は徐々に強くなり。
さぁ、私は朝の仕事の時間だ。椅子に座り、取り掛かる。

ねぇママ、ママにとって友達ってどういうの? 何? だからさ、ママにとっては友達ってどういう人を言うの? うーん、遠く離れてても、心が繋がってる人、かな。なんで? なんかさぁ、ちょっと何かあるとすぐ悪口言ったり、陰口言ったりするのって、友達じゃないよね? ん? 何か言われたの? 私が言われたんじゃないんだけどさ、いつも一緒にいるくせに、ちょっとその子が目立つことしたら、あの子生意気だよねとか、むかつくとか言い出してさ、そういうのって友達って言える? なるほど、そういうことかぁ。うーん、ママは、そういう手のひら返したような態度をとる人は、友達って言わないなぁ。別にいつも一緒にいなくてもさ、気持ちが繋がってる、それが大事なんじゃないの? うーん。あなた、親友がいるって言ってたよね? うん。あなたにとって親友ってどういうの? 何でも話せて、相談したり相談されたり、そういうの。その子、学校の子? それとも塾の子? 塾の子。ってことは、別にいつも一緒にいるわけじゃないけど、心が繋がってる、そういうことだよね? うん。そういうのが友達、或いは親友っていうんじゃないの? なんかさ、こう、一緒にいるクセに、悪口言ったり、指差してこそこそ陰口叩いたりって、ずるいと思わない? うーん、でも、残念ながらそういう子は何処にでもいるよね。そうなの? ママが子供の頃だって、そういう子ってやっぱりいたよ。ママはその子たちとはどうしてた? 距離とってた。距離? だから、くっついたりしないで、できるだけ距離もって接してた。そうなんだ…。あぁそうか、あなたが言いたいその子たちっていうのは、あなたがいつもいるグループの子たちなんだね? うん、そう。同じグループの子にそういう子たちがいると、どうしていいかわかんなくなるかもねぇ。うんうん、わかんないんだよ、だって、私は別に、悪口言いたくないし、陰口言いたくないし、なのに、言わないと私まで陰口悪口言われるようになるし。なんか変だよ。あぁ、そうそう、そういうの、ある。ママもあったの?! あったよぉ、そういうこと。そうなんだぁ。私たちだけじゃないんだ。うん、あなたたちだけってわけじゃないね。何処にでも、そういうのは転がってる。なんか、ヤだね。ヤでしょう? だから、自分はやらないってママは決めてるの。そうすると、自分が今度仲間はずれにされたりしない? うん、されるよ。え、それでいいの、ママ? だって、自分が悪いことしたわけじゃないもんさ。それでいいじゃん。仲間はずれにされてもいいんだ…。そりゃ、その時はちょっと辛かったりするけどね。後々になって、自分が後悔しないようにした方が、ずっといいよ。…。
実はね、ママ、中学一年生の頃、いじめられてたんだ。ええー、ママを苛める人がいたの?! はっはっは、いたよぉ、クラス全員に無視されて、授業が在るのにロッカー室に閉じ込められたり、教科書ぼろぼろにされたり、いろいろあったよぉ。ええーーーー。信じらんない。ママ、その時どうしたの? どうもしないよ。どうもしないってどういう意味? 何もしない。だってママは何も悪いことしてないんだから。堂々としてればいい。そう思ってた。悲しくなかったの? 悲しかったよ。悲しかったし辛かったし、悔しかったし。でも、だからってへこへこするのはもっと嫌だと思った。だから、絶対負けるもんかって思ってた。へぇぇ。そしたらさ、何故か三学期の或る日突然、みんなが話しかけてくるようになってさ。変だと思わない? 変だ、それ。それで虐めは或る日突然終わった。それから普通にクラスの子たちと話すようになった。ママ、嫌じゃなかった? 最初はね、すごく嫌だった、ついこの前まで私のこと避けてたくせに、今何なのよ、って思ったりしてね。すごく嫌だった。じゃぁ我慢したの? 我慢したっていうかさ、なんか、みんな、ひとりひとりは弱いんだなって気がついた。弱いって? 集まって何かするから虐めになるんで、そのひとりひとりは実は、弱っちいこれっぽっちの人間にすぎないんだなって気がついた。…。みんなも自分も、結局は、ひとりひとりに戻れば、これっぽっちの人間なんだなって。そう思ったら、なんかもう、今までされてきたこともどうでもよくなってきた。そうなんだ。なんかそれも不思議。そうかもしれないね。ママ、苛められたのはそれ一回だけ? ううん、転校するたんび、苛められたよ。わはははは。ママって損な人間だね。そうなの、ママって損なのよ。そのママの血継いでるあなたも、損することがあるかもしれないね。でもさ。でも? 自分が正しいと思うことを、貫き通していれば、やがて分かってくれる人間が、ひとり、ふたりって出てくるものだよ。それまで我慢するの? そうなることも、ある。でも、ま、あなたは私より、要領がずっといいから、大丈夫! そうかなぁ。自分が正しいと思うことをやっていけば、いいんだよ。悪いと思ったらそこで謝ればいい。それだけのこと。…うん。ま、そっか。そうだよ。ほら、しゃんとして。背筋伸ばしてっ! はいはいはい。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。私は雨傘を持って、階段を駆け下り、ちょうどやってきたバスに飛び乗る。混みあうバスの中、私はじっと、柱に掴まり立っている。窓の外、降りしきる雨。窓ガラスに幾つもの雨筋が描かれてゆく。
駅で降り、短い階段を降りる。制服を着た小学生が、今にも泣き出さんばかりの顔でちょこねんと角のところに立っている。どうしたのだろう。話しかけてみる。定期券を忘れてしまった、という。何処まで行くの? Y駅。じゃぁ、片道分だけおばちゃんがお金出してあげるから、それで学校行きなさい。それで、学校に着いたら先生に言って、帰りの分のお金を貸してもらいなさい。ね? ありがとう…。
その子を改札まで見送り、私は逆方向に歩き出す。K川に架かる橋を渡り、N社のロビーを横切り、そこから続く歩道橋を渡り。
さぁ、今日も一日が始まる。


2010年09月07日(火) 
おなかにどん、っと重たいものが乗っかって、その痛みで起き上がる。娘の足だ。ずいぶん重くなったんだなぁと感心する。まだ生まれて数日目、その手足のあまりの小ささに感動して、思わず撮った写真がある。その写真が我が家の壁にまだ貼ってある。あの、私の手の中にすっぽり納まるほどの大きさだった足が。重さなんてこれっぽっちも感じないほど軽かった足が。今ではどうだ、蹴られれば痛い、乗っかられても痛い重いの足になった。私はよっこいしょとその足をどかして起き上がる。
窓を開けると、風がびゅうびゅう鳴っている。街路樹の緑はびゅんびゅん翻っている。空を見上げると、雲もぐいぐい流れている。あぁ、台風が近づいているんだったっけ、なんて昨日見たテレビのことを思い出す。まさか台風の風がここまで届いているとは思わないが、それにしたって今朝の風は強い。
アメリカンブルーが、ぐらぐら揺れながら咲いている。ひとつ、ふたつ…五つの花が咲いている。昨日ひとつきりだったから、今朝は奮発してくれたんだろうか。何だか嬉しくて、ありがとうと言ってみる。
黄色いデージーの花も風に揺れている。プランターからはみ出た部分がくわんくわんと揺れている。這うようにして伸びているラヴェンダーの枝葉と絡まりあっているのは知っているのだが、もうデージーも終わりの季節、絡まり合ったものを解こうとすれば、デージーが切れる。だからそのままにしておくことにする。
吸血虫にやられたパスカリ。新芽を徐々に徐々に広げ、今、弱々しいながらも何枚かの新葉が開いている。同じパスカリでも、横に広がっているものとこちらの葉とは、なんだか強度が全然違うように見える。こちらの葉の方がずっと薄いように思えるのだが気のせいだろうか。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。蕾がふたつになった。ぽろりんと垂れ下がるようになったそのふたつの蕾。まだまだ緑色に包まれて、花びらの色は見えない。
友人から頂いたものを挿し木したそれ。花が咲いた方は沈黙をいまだに続けているが、もう一方、何色の花が咲くのか分からない方は、ぐいぐいと新芽を伸ばしている。紅い紅い新芽。
横に広がって伸びているパスカリの、膨らんだ蕾。今私の薬指の先ほどはあるだろうか。だいぶ大きくなってきた。枯れたと思っていた枝から出てきた新芽も元気だ。
ミミエデン、蕾はふたつ。蕾の周辺にまた新しい葉が出てきた。紅色の葉。さわさわと風に揺れている。吸血虫にやられて褐色になった古い葉がぽろり、零れ落ちる。
ベビーロマンティカはこの暑さにもめげずにぐいぐいあちこちから新芽を出しており。蕾のふたつから、下の花弁の色が零れている。明るい煉瓦色。こちらも吸血虫にやられた葉はあるが、もう殆ど下から生えて来た新しい葉と入れ替わろうとしている。
マリリン・モンロー。膨らみ始めたひとつの蕾と、まだまだ小さな、小さな欠片のような蕾。風にも負けず、ぐいっと首を上げて空を見上げている。体のあちこちから、紅い縁取りのある新芽を吹き出させ。こちらも元気。
ホワイトクリスマスの、白緑色の新芽。昨日より倍以上伸びてきた。まだその二箇所からだけだが、きっとしばらく待てば、他のところからも芽が伸びてくるだろう。それを期待している。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ポットいっぱい、濃い目にふくぎ茶を作る。作りながら、さっき読んだ記事を思い出す。女性専用車両に、それを抗議する男性客数人が乱入したという記事。もしその場に自分がいたらと思うと怖い。私にとって朝のあの女性専用車両は唯一の救いの場所のようなものだ。そこに男性がわらわらと乱入してきたら。多分パニックを起こして倒れていたに違いない。想像しただけで背筋が寒くなる。
男性専用車両も作ればいい、と思う。男性にも被害者はいるのだし、こんなふうになるくらいなら、男性専用車両を作ってくれたらと思う。どうして作らないんだろう。私には不思議だ。
カップを持って机に座る。煙草に火をつけ、ついでに杉の香りの線香にも。ふわりと杉の香りが漂ってくるのを確かめながら、煙草を吸う。
昨夜は酷く疲れて、娘が風呂から上がるのを確かめて、早々に横にならせてもらった。ママ、こんな早くから寝たら、また真夜中目が覚めるよ。そう言われたが、確かにそうなのだが、もうたまらなかった。体がしんどかった。
確かに真夜中、目が覚めて、ごろんごろんと寝返りを打つこと数時間。それでも、横になったのは正解だったと思う。おかげで今朝は爽快だ。
さぁ、朝の仕事に取り掛かろう。

ねぇ。何? ママさ、仕事を増やそうと思ってるんだけど。なんで? なんでって、そりゃ、貧乏だからだよ。わはははは。これ以上貧乏になると大変だから、仕事ちょっと増やそうと思ってるんだけど、いい? いいけど、ママ、大丈夫なの? 何が? ママ、最近疲れてばっかりだよ。うーん、これはこの夏の異常な暑さ疲れとでもいうか、まぁそんなもんだよ。でさ、そうなると、ママの留守の時間が増えるってことなんだけど。いい? やだっていってもしょうがないでしょ。そうだよねぇ、ごめんなー。いいけどさ。お弁当作るのとか、忘れないでくれればいいよ。うん、ちゃんとやるよ。でもその代わり…。その代わり? あなたにもお手伝いして欲しいんだよね。えーーー。えーーーって、あなたもう、五年生でしょ、多少は分担しようよ。って、何やるの? まず、ハムスターの家の周りの掃き掃除。毎朝やること。それからママが洗濯を終えたものの、自分の分はちゃんと自分で畳んでしまうこと。それから、寝床をきちんときれいに整えること。それとさ、最近、玄関の靴、ちゃんと揃ってないよ。あー、はい、分かりました分かりました。やるよ。やらないと、お小遣いなしだからね。えーーー。えーーーじゃないって、ほんとだよ。わかったよ、やるよ。やってちょうだい。頼むよ。
ねぇママ、宝くじでも買おうよ。なんで? 宝くじ買ったらさ、もしかしたら1億円とか当たるかもしれないじゃん。そんなの夢のまた夢だよ。1億円当たったら、もうママ、働かなくていいかもしんないよ。無理無理! そんなの無理だから、考えるだけ無駄だよ。えー、そうかなぁ。いい考えだと思うんだけどなぁ。じゃ、あなたが買いなさい。子供が買っちゃだめじゃん。あ、そうか。じゃ、大人になるまで我慢しなさい。で、自分のお金で買って1億円当てればいいじゃん。えー、それじゃぁ遅いよ。ママは宝くじとか買う気はないからねー。あーあ! ははは。

今月の25日は娘の運動会だ。じじばばは今年、この暑さでは体調を崩すからと、運動会に来るのは控えると言っていた。となると、私と娘ふたりきり。ちょっと寂しいな、と思う。でもまぁ、母子家庭なんて、そんなもんか。割り切っていかないと。
今年は点数係になったんだ、と娘が言っていた。ちゃんと写真撮ってよと言っていたが、点数を変えてるところを写真に撮ってということなんだろうか。そんなところ、撮ってもしょうがない気がしないでもないんだけども。荷物番をしてくれる人がいるわけでもないから、リュックに荷物を全部入れてその都度移動しないといけない。仕方ない、か。
北に住む友人から手紙が届く。今入院中の友人。どうしているだろうと心配していたが。それなりに元気にやっているようだ。ただ、気持ちがぐらぐらして不安定だ、と書いてある。早く退院できるといいのだけれども。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。
階段を駆け下り、まずゴミを出してから自転車に跨る。坂道を下り、信号を渡って公園へ。池の端に立ち、見上げる空。半分が雲に覆われ、半分が水色。その雲もぐいぐい形を変えてゆく。南東から伸びてくる陽射しは強いけれど、何故だろう、この風のせいだろうか、いつものような暑さは感じられない。
池の周りには桜の樹がたくさん植わっており。その樹にくっついて、懸命に啼く蝉たち。私はぐるり、周囲を見回す。一ヶ月前、ここに立つと、隙間なく、耳がぐわんぐわんするほど蝉の声が降り注いできたものだった。今は。蝉の声は切なく、風に消えてゆく。
公園を出て大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木の影で、信号が変わるのを待つ。その時蜻蛉がさっと、私の目の前を横切ってゆく。
今日、夕方から、「声を聴かせて」の電話番だ。その前に、やることはすべてやっておかないと。私は信号が青に変わったのを見て走り出す。左に折れて、そこからしばし真っ直ぐ走る。すれ違う人、人、人。ここにN社とF社が越してきてから、本当に人が増えた。これからさらにビルが建ち、そのたび人は増えるんだろう。
駐輪場、おはようございますと声を掛けると、おじさんが出てきてくれる。駐輪のオレンジ色の札を自転車にくっつけてくれて、八十円。それで一日分。よろしくお願いします、と挨拶して、自転車を停める。
さぁ、今日も一日が始まる。私は歩道橋に向かって歩き出す。


2010年09月06日(月) 
起き上がり、窓を開ける。空には薄く雲がかかっており。薄灰色の雲と水色の空が入り混じっている。じめっとした空気が肌に纏わりつく。街路樹の葉たちは昨夜の強風で裏返ったままぴたりと止まっており。街全体が、この暑さの中、ぐったりしているかのように見える。
ラヴェンダーのプランターの脇、しゃがみこむ。デージーの最後の花たちが、黄色い小さな花をぱっと開かせている。ラヴェンダーは横に横に、這うように伸びており。あまりに酷く絡まった部分だけを、そっと解く。
アメリカンブルーは今朝、たった一輪の花を咲かせており。じきに空もこの花の色を溶かしたようなきれいな青になっていくんだろうなと思う。
吸血虫にやられたパスカリは、ゆっくりゆっくりと、新しい葉を出しており。全部入れ替わるにはまだまだ時間がかかるだろう。
桃色のぼんぼりのような花を咲かせる樹。ぷらんと下がった蕾がひとつ。その周囲からは黄緑色の細長い葉が伸びており。よく見ると、根元の方からも新しい芽が。
友人から頂いたものを挿し木したそれは、ぐいぐい、ぐいぐいと紅い新芽を出している。上へ上へ伸びてくるその芽。どこまで大きくなるだろう。
横へ広がって伸びてきているパスカリ。ひとつの蕾がぷくぷくと、大きくなってきている。枯れたかと思っていた、端っこの一枝から、新しい芽が吹き出してきた。よかった、切らなくて。小さな小さな芽だけれど、とてもとても嬉しい。
ミミエデン、二つの蕾がくっと首を上げて伸びてきている。まだ赤味を残す新しい葉たちが、その蕾を囲うように広がっており。まだ咲くのは先なのだろうが、今から花が楽しみでならない。
ベビーロマンティカ。こちらもたくさんの蕾をつけて。今二つの蕾が大きく膨らんで、ぱつんぱつんになってきている。ひとつの蕾からは、下の花弁の色が垣間見えている。明るい煉瓦色。そういえば先日来た友人がこの花を見て、造花かと思った、と笑っていた。
マリリン・モンロー。二つ目の蕾が、小さく小さく新葉の間から頭を覗かせている。今膨らんでいるひとつと、このもう一つの蕾。何処まで大きくなってくれるだろう。
ホワイトクリスマスの新芽は、白緑色で。昨日よりまた一段ぐいっと伸びてきた。下の方からも、新芽の気配が。ふと顔を上げると、東から伸びてきた陽光が目を射る。思わず閉じた瞼越しにも、その陽光の残痕が。振り返れば、空からは雲がすっかり抜け落ち。水色のきれいな空が広がっている。
部屋に戻り、お湯を沸かす。昨日のうちに作って冷やしておいたふくぎ茶をカップに注ぎ入れる。そういえば昨日洗い物を怠けたのだった、と、台所を見てがっくり。でも今すぐ洗う気持ちになれず。しばしそのまま置いておくことにする。
椅子に座り、煙草に火をつける。何となく昨日から苛々している。そう、昨夜前期の作品を額装してからだ、この苛々は。何でこんなに苛々しているんだろう。その理由がよく分からない。それにしても、昨夜は汗だくになった。狭い本棚の部屋で、ただひたすら一点一点額装していくだけの作業なのだが。気づけば足元のぽたぽた汗の痕。いくらタオルで拭っても落ちてくるという具合。今、本棚の前、十三枚の額縁がでーんと、場所を占領している。あとは、無事に会場に運ぶのみ。
あまりに苛々が取れないので、頓服を二錠飲んでみることにする。朝の仕事に取り掛からなければならない。私は背筋を伸ばして、うん、と声に出して言ってみる。とにもかくにも始めなければ。

父とよくよく話し合ってみた。結局、これ以上そのことにお金を払うのはやめよう、という結論に至った。それはそうだ、資格を維持するために、一年に十万以上のお金を払い続けていかなければならないというシステムはおかしい。
電話を切って、何故か私は疲れ果てていた。こうなることは分かっていた気がする。だからこそ私自身ずっと迷っていたのだ。それを父が後押ししただけのこと。なのに、虚しさが残る。
それでも、やったことは無じゃなかったと、そう思う。

娘の出した洗濯物を見て、がっくりくる。パンツも靴下も丸まったまま。何度伝えれば彼女はちゃんと伸ばしてくれるんだろう。丸まっているものは洗わないよ、といっても、平気で丸まったまま出してくる。これは私の教え方が何かまずいんだろうか。
今度本気で彼女と話し合わなきゃならないな、と思う。もう十歳なのだから、最低限のことくらいできなくちゃ、恥ずかしい。
でもこの、恥ずかしいという気持ちは、何処から出てくるものなんだろう。他人と比較して恥ずかしいのだろうか。じゃぁ他人と比較しなきゃいい、と思うのだが、これもまたそうじゃない気がする。自分のことを自分で為す、そのベースが、まだ娘はなってない、そんな気がする。
今更だけれど、きちんと彼女に伝えていかなければ。

多分。ちょっと自分が疲れているのだな、と思う。余裕がない。そんなところか。また仕事を新しく見つけないと。今の仕事だけじゃぁ、生活を維持するのに足りない。これから娘にはどんどんお金がかかっていく。それを支えるのは、容易じゃぁない。
そういうことを考えていると、憂鬱になっていく。それでも、やらなくちゃいけない。
今の私に、何ができるだろう。

久しぶりに「サミシイ」に会いにゆく。「サミシイ」は、私が疲れ果てているのに気づいているのか、そっと私の顔を覗き込む。口を持たない「サミシイ」が、今私に何を伝えようとしているのか。正確なところはわからないが、「サミシイ」は、大丈夫?と私に伝えているかのようで。思わず一瞬、泣きそうになる。
大丈夫かどうか分からない。分からないけれど、やっていくしかない。そんなところに今私は在て。だから、私も「サミシイ」に向かって、小さな笑みを返す。
穴ぼこにも会いに行く。穴ぼこは、しばらく私が放っておいたせいなのだろう、時が止まったかのように、あの時のままそこに在って。でも、何処から種が飛んできたのだろう。いくらかの雑草が、穴ぼこの周りに芽吹いており。私はその雑草を、抜こうかどうしようか迷う。しばらくそのままにしておいていいのかもしれない、なんて思ったりして。穴ぼこを覗き込むと、びゅうびゅうと穴の底の方で鳴る音が立ち上ってくる。
休んだ方がいいよ、と言われているかのようで。私は苦笑する。そうかもしれないんだけれど、今どうやって休めばいいのかが分からないの。私は彼女にそう返事をする。彼女は黙って私の言葉を聴いている。

ママ、ママっ。娘の声ではっと我に帰る。おはよう、ママ。いつもより明るい声で娘が私に声を掛けている。おはよう、私も返事をする。たらこのおにぎり作ってくれてありがとう。彼女が言う。たらこ、安かったからね、特別だよ。うんうん。そう言いながら彼女は早速、たらこ味のおにぎりをレンジで温め始める。
その間も、ミルクとココアをそれぞれ肩に乗せ、あやしている。お嬢のこうしたエネルギー、私にも分けて欲しい。今、切実に思う。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。
階段を駆け下り、自転車に跨る。坂道を下り、信号を渡って公園へ。公園の、茂みの割れた部分から、陽光が燦々と降り注ぎ、池を照らし出している。今朝も向こう岸に猫がでーんと寝っころがっており。私は彼女には聴こえないだろう小さな声で、おはようと挨拶をする。
蝉の声は、日毎小さくなってゆく。それでも今朝、どの蝉か分からないけれど、ひときわ大きな声で啼いている者がいる。彼の声だけがくわんくわんと池の辺りに響く。
公園を後にし、大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。
銀杏並木の影で信号が変わるのを待つ。青信号になったのを確かめ、飛び出すように走り出す。真っ直ぐ真っ直ぐ。モミジフウの脇もすり抜けて、ひたすら真っ直ぐ。
辿り着いた海は、濃紺と深緑色を混ぜ合わせたような色をしており。ざっぱんざっぱんと堤防に打ち付けるその音が、私の耳に響く。
巡視艇が港の中をゆっくり走っている。その上を鴎が一羽、飛んでいる。あぁ、海が見たい。突如そう思った。この海じゃない、砂浜のある、海が、見たい。そう思った。
突然涙が溢れてきて、タオルで拭う。拭っても拭っても、涙が零れてくる。何で私は泣いているんだろう。それが分からない。分からないけれど、涙が止まらない。
遠くで汽笛が鳴った。比較的大きな船が、ゆっくりと動き出すところ。
落ち込んでなんかいられない。苛々していろんなものを見逃してなんかいられない。気持ちを切り替えていかなければ。私は自分で自分を励ますように、肩をぽんぽんっと叩いてみる。
さぁ、今日も一日が始まる。唯一無二の一日が。


2010年09月05日(日) 
娘がいない夜。唐突に下腹部が痛くなる。どうしようもない痛みで、でもこの痛みは今までにも在る痛みで。どう体の向きを変えようと、下腹部を枕で押さえようと、痛みは痛みのままそこに在り。約一時間、ばったんばったんと床の上で暴れる。いつも痛みが去った後思うのが、何でこんなに痛くて、でも去るときは突然で、と、調整がきかないんだろうということ。刺すような痛みであっても、ある程度のところまでなら我慢できるというのに。
ぐちゃぐちゃになった床を、もう一度直して横になる。目を閉じて、しばらくすると眠りが訪れてくれた。その眠りに落ちる間、父から掛かってきた電話の内容が、淡々と繰り返しBGMのように私の脳裏に流れていた。
起き上がり、窓を開けると、一面灰色の雲が広がっている。あらまぁと思いながら、じっとその空を見上げる。雲も時間が経てば消えゆくものと知ってはいるけれど、朝一番に見る空が、こんな灰色だとちょっと物悲しい。
ふと見ると、デージーがまた黄色い花を幾つか咲かせている。もしかしたらこれが最後の花かもしれないと、私はしゃがみこんでじっと見入る。何処にも染みのない、まっさらな黄色い小さい花びらたち。ぴんと伸びて、天を向いて咲いている。かわいい花だ。私はその花を傷つけないよう、ラヴェンダーとデージーの絡まり合った枝葉を解きにかかる。でも、全部はもう解かない。酷いところだけ、ちょちょっと解く。あとはもう、放っておくことにする。
吸血虫にすっかりやられたパスカリから出てきた新芽。今朝もまた新しいものがにゅっと伸びてきた。嬉しい。吸血虫にやられた姿はもうすっかり痩せ細った姿で、痛々しくて。だから、早く葉が茂ってくれるといい。そう思う。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。よく見ると、新葉の間から小さな蕾を出している。ほんの三ミリほどの小さな小さな蕾。でもそれは確かに蕾で。またあの桃色の小さなかわいい花が見られるのかと思うと、なんだか嬉しい。
友人から頂いたものを挿し木したそれは、一本は沈黙しているが、もう一本が今朝もまたぐいっと紅い新葉を出してきている。こちらはまだ花を咲かせていないから、一体何色が根付いてくれたのか分からないが。さて、何色の樹なんだろう。花がつくのが楽しみだ。
横に広がって伸びているパスカリの、蕾がまたひとまわり大きくなった。ぱつん、と張った姿。目を凝らすと、緑色の向こうに白い花弁が見えるような錯覚を起こす。他のところから新芽の気配はないけれど。今は蕾に集中しているのかもしれない。頑張れ、私は心の中、声を掛ける。
ミミエデン、二つの蕾がよりくっきりはっきりとしてきた。そして下の枝の方からも、新芽の気配。よかった、これで、吸血虫にやられた古い葉と新しい葉が全部入れ替わる。あの痛々しい姿が甦る。そう思うと、嬉しくて仕方がない。
ベビーロマンティカの蕾はそれぞれ昨日よりひとまわり大きくなってきたようで。一番大きいものは、僅かに、あの明るい煉瓦色の花弁を見せ始めた。ちょうど表からは影になっているところだから、陽は当たりづらいだろう。それでもこうして咲いてくれようとしている。
マリリン・モンローは、予想以上に新葉を広げ始め。そしてひとつの蕾を大事に抱えている。そしてその隣、ホワイトクリスマスにも新芽の気配が。白緑色の芽がぐいっと、枝の中間あたりから出てきている。あぁよかった。こちらもちゃんと生きている。
アメリカンブルーは今朝二つの花をつけてくれた。相変わらずきれいな青色をしているな、と、花びらの縁を指でなぞる。そして空を見上げると、雲が徐々に徐々に西に流れ始めているところで。南の方、水色の空が顔を出した。
私は部屋に戻り、お湯を沸かす。そしてふくぎ茶を今朝もポットいっぱいに作る。濃い目に入れたお茶に氷を三つ落として、そのカップを持って机に。椅子に座り、PCの電源を入れる。
メールチェックすると、入稿した原稿に一箇所、ミスが見つかったとの知らせ。慌てて訂正し、そのデータを再入稿する。とりあえずこれで完了。あとはまた向こうから知らせがくるまで待機だ。
煙草に火をつける。ついでに杉のお線香にも。しばらくするとふわんと杉の香りが漂ってくる。さぁ、朝の仕事をさっさと終わらせてしまおう。私は座り直し、作業にかかる。

友人と別れ帰宅し、ひとしきりプリント作業。できあがったのを改めて見て、ちょっと濃く焼きすぎたかなと思う。でも、もうこれ以上やり直ししても、どうしようもないような気もして。迷う。一枚だけは、再度やり直そうと決めたものの、後はこのままでいくかもしれない。
それに継いで、テキストも一枚、プリントする。会場に私がいられないときに、これを読んでいただければ意図が伝わるよう。いつも用意するテキスト。版画用紙に刷り出して、とりあえず間違いがないことをチェックする。
そうしてもうひとつ、配布するプリントも。次々プリンターを動かしてプリントアウトし、私はホチキスで留めてゆく。どれだけの人が、このプリントを持って帰って読んでくれるだろう。会場で読んで、「痛いから」と言って戻して帰られるお客様もいる。そういう姿を見ると、正直切なくなる。痛いかもしれないけれど、痛いかもしれないけれどでも、それが現実なんですよ、と言いたくなることがある。もちろん実際には何も言わずにいるけれども。
今回モデルになってくれたAが言うように、これまで一緒に撮ってきた中で、多分一番私たちが一体化した写真になったと思う。それは川の流れのように自然で、互いの中に互いが入ってきた、そういう感覚だった。
一人でも多くの人に見てもらえたら。心底そう思う。そして、写真を見ながらこの彼女が書いてくれた手記を読んでくれたら。そう願わずにはいられない。
そろそろDMの宛名書きも始めなければ。思いながら、もうその日は手いっぱいで。また後日にしよう、と横になった。

「逃げ出さないで、葬り去ろうとしないで。何かに没頭したり、食べ物をほおばることで、感情を麻痺させたり、現実を作り変えようとしないで。とにかく記憶を見据えること。手首を切ったりしないで。生きている限り何度でも巡ってくる気持ちなのだから。とても辛いことだけど、やり続けるしかない。これも人生の一部なのだ」
「この十年か十五年生き抜いてきたのと同じくらいの真剣さで、癒しに取り組めばいい」
「怒りよりも、哀しみよりも、恐怖よりも強いもの、それは希望。」
(生きる勇気と癒す力より引用)

昔観た映画監督が、その映画に寄せて、こんなことを書いていた。「絶望の先にこそ真の希望が在る」と。
その時は、いい言葉だな、と思って日記帳にメモをした。しばらく経ってその言葉は、とてつもなく大きくなって、私の中にどんと居座ることになる。
絶望を知ってこそ、手に入るのが真の希望だというのなら。私たちのような人間にも、希望は在るのかもしれない、と。今は絶望の真っ只中だけれど、ここを越えたらもしかしたら、希望の光が見えてくるのかもしれない、と。
それを支えに越えた、幾夜が在った。ただそれを支えにして、越えた時間が在った。
今改めて思う。この言葉は、私の一つの指針だ、と。「絶望の先にこそ真の希望が在る」。決して忘れることは、ない。

ママ、明日早く迎えに来てよ。いいけど、勉強終わるの? …終わんない。ありゃまぁ、じゃぁどうする? …いつもの時間でいいよ。もうっ。ははは、まぁ終わったらいつでも電話よこしなよ。ね? ん、分かったぁ。
娘のいない夕飯、面倒くさくて、おにぎりとところてんだけで済ます。まったく、一人だといい加減なもんだ、と苦笑しつつ。

玄関を出ると、ちょうど校庭ではスプリンクラーが回っており。水しぶきの向こう、小さな虹が出来ている。七色の、小さな小さな細い虹。
階段を駆け下り、自転車に跨る。坂道を下り、信号を渡って公園へ。ミンミンゼミが、多分私の近くで懸命に啼いている。その声に木霊するように、あちこちでミンミン、ミンミン、と啼く。気のせいか、その後ろで、ツクツクボウシの声が一瞬したような。私は再度耳を澄ます。いや、いる、何処かにいる、きっといる。
猫は池の向こう岸、今朝も居り。でーんと腹を見せて寝っ転がっている。私は彼を起こさぬよう、そおっと池の周りを歩き、立ち止まり、空を見上げる。眩しい空。私は一瞬にして目を瞑る。
公園を出て大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。聳える銀杏並木を見上げながら走り、さらに通りを渡る。真っ直ぐ走って、走って走って、そうして海へ。
濃紺と灰色とを混ぜたらこんな色になるのかな、という具合の海の色。打ち寄せる波が白く砕ける。
自分の人生の行き先が分からないとき、不安になる。不安になるけれど。先が見えないのなんて、誰でも同じこと。そう思って、私は仕切りなおす。きっとどうにかなるよ、と自分に言い聞かせる。
さぁ今日も一日が始まる。私はくるりと向きを変え、再び走り出す。


2010年09月04日(土) 
眠りが酷く浅かった。何故かずっと天井が見えていて、ずきんずきんとする頭痛を感じながら、暑い、暑い、と思っていた。隣に眠っている娘の腕が飛んできて、思わず振り払いそうになって、すんでで止めた。
結局どのくらいちゃんと眠ったのか分からないまま、起き上がる。友人がすでに起きていて、おはようと声を掛ける。ベランダに出て、大きく伸びをする。空は雲ひとつなく。すっきりと澄んだ水色で。私の目にはちょっとそれは鮮やか過ぎて、思わず目を瞑る。
ラヴェンダーとデージーの絡まり合った枝を解こうかと思ったが、もうデージーも終わり。しばらくこのままそっとしておくことにする。花の終わったデージーは、小さく丸い塊になって、枝葉の間に点々としている。これが種になっていくのかと思うとちょっと不思議。いや、それが当たり前の営みなのだと思うのだけれど、でも。
アメリカンブルーは今朝は二輪だけ咲いている。ちょっと花の形がひしゃげている。くっついて咲きすぎているせいなのかもしれない。でも、この花の色はいつも、私を励ましてくれる。大好きな色。
吸血虫にすっかりやられたパスカリの、ようやく出てきた新芽たちが、少しずつ開いてきた。萌黄色のきれいな葉の形に、私はしばしうっとりする。よかった、新芽たちまで吸血虫の痕跡を残していなくて。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。こちらもまた新芽を開かせて。細長いその形。薔薇の葉の形とは思えないけれど。でもこれも薔薇のひとつ。
友人から頂いたものを挿し木した二本。花を咲かせた方はしばしの沈黙なのだろう。新芽の気配は見られないが、片方からはぐいぐい新芽が出ている。紅色の、まさに赤子といった感じの新芽たち。大きくなれよ、と声を掛ける。
横に広がってきているパスカリの蕾が、予想以上に大きくなってきている。もっと小さいまま開いてしまうかと思っていたのに。今私の小指の先くらい。どこまで大きくなるだろう。
ミミエデン。新葉が出揃ったのか、今、紅色から緑色へ変化している最中。不思議なグラデーション。でも、不自然じゃないところが、自然の偉大なところ。
ベビーロマンティカは、もうもこもこするほど新葉を開かせており。その間、あちこちから、蕾を覗かせている。その中のひとつ、一番樹の後ろ側にあたるところの蕾が、ぱつんと丸くなってきた。じきにあの明るい煉瓦色の花弁の色も見え始めるんだろう。
マリリン・モンローは、新葉の間にひとつだけ、蕾をつけて。その蕾が、首を少し伸ばしてきた。ここから見ると、ちょうど空に向かって蕾が伸びている姿が見られる。それは向こうから伸びてくる光のおかげで影になって私の目に映る。美しいその輪郭。
ホワイトクリスマスはまだ沈黙の時間らしい。ぐるりと樹の周りを見回すが、新芽の気配は見られない。でも、その葉は艶々していて、美しく開いている。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ちょうどなくなったポットの分だけ、ふくぎ茶を作る。そういえばもともとふくぎ茶をくれたのは今部屋にいる友人で。その友人に、冷たいふくぎ茶を勧めると、あぁ、私、冷たいのの方が好きかも、と言う。冷たくすると、その分ふくぎ茶のハーブの香りや味がぎゅっとお茶の中に凝縮されるような、そんなところがあって。結構いい感じ。
昨日は、電話番の日だった。スタッフの一人であるYさんも来てくれて、あれこれ話す。私の友人とYさんと私と、たまたま共通のトラウマを持っていた。でも、この三人を見ただけでも、トラウマから派生する症状は、本当に人それぞれだということを思う。同じ被害を受けたとしても、現れる症状は本当に違う、人それぞれ。決して同じじゃぁない。
途中、娘が学校から帰宅し、狭い部屋の中、四人がぎゅうぎゅうづめになる。娘は、初めて会うYさんに、早速ハムスターたちを披露し、じゃれあっている。友人は友人で、海外の友人とスカイプをしており。私たちはみんなそれぞれに時間を過ごす。そうしている間に娘が塾へ出かけ、Yさんが帰宅し。部屋には私と友人のみ。急に広くなったように感じられる部屋。外は夕暮れ。
娘が帰ってきて、三人で具沢山の冷やし中華を食べる。胃の悪い友人が、それでもしっかり平らげてくれたことに私はほっとする。
それにしても。振り返るとなんて長閑な一日。平凡な一日。でも、そういう日が一日でも多くあれよと思う。そういう一日一日が積み重なって、私たちを作ってゆく。

朝一番にとりあえず仕事。注文を受けていたDMを印刷に回す作業。データをアップロードしながら、私は一本煙草を吸う。娘は隣で友人とゲームに興じている。
今日もまた暑くなる。窓の外を見ながら思う。時間が経つにつれ濃くなってゆく水色の空を見上げながら、私はもうすでに背中に汗をかいている。

この一年の、あの勉強が私にもたらしてくれたもの。父と母との、新たなる関係。自分自身の立ち位置の確認。この二つが一番大きなものかもしれない。
父母との関係は。本当に激変した。今までだったらぶつかり合っていた、或いは私が泣き出していただろう場面でも、私たちは普通に話をすることができるようになった。普通に、そう、穏やかに、言葉を交わす。そのことの大切さを、今、私はゆっくりと噛み締めている。父も母も七十を越える年になり。あと何年生きられるか分からない。二人とも体に爆弾を抱えている。そんな父母と、今ようやっと穏やかに会話できるようになって、向き合うことができるようになって、本当によかった。彼女たちが死んでしまってからいくら後悔したって、それは取り戻すことはできないことだったろう。
そして私の立ち位置。私はこうしか生きられないじゃなく、こうも生きられるし、ああも生きられる、ということを、改めて知る。被害に遭ったからもうだめなのではなく、被害に遭ったからこそ得られるものがあることを知る。私の立っていた場所は決して砂漠などではなく、実はいつのまにか肥沃な土になっていたんじゃなかろうか、と、そうとさえ思える。
肥沃な地に変えてくれたのは。きっと、私の周囲にいてくれた人たちのおかげだろう。私をじっと見守っていてくれた友人たちの、涙や嘆きが肥やしになって、そうしてこんな土になったんだ。そう思う。
人は人によって木っ端微塵にされるけれど、同時に、人は人によってこそ救われる。そのことを、私は強く思う。

三人でぺちゃくちゃしゃべっている最中に、私が突然、がたがたと崩れ落ちた。私にとってはよくある発作のようなものだったのだが、それを見るのは初めてのYさんや友人にとっては、何が起きたんだ、という具合で。
私にとっても、この発作は困り者なのだ。突如起きる。本当に突如起きる。しかも、がくんがくんと体が大きく揺れ、倒れるしか術がない。痙攣の大きなもの、みたいに想像してもらえばいいのだろうか。うまい表現が見つからないが。起きる直前、肩甲骨の辺りからぐわっと血がのぼり、同時に頭の上からそれをぐっと押さえつけられる、そんな具合で、それが起きると、体ががくんがくんとなってしまう。
こういうのは、一体何病院に行けば、対処してもらえるのだろう。皆目見当がつかない。心療内科の先生に何度も訴えてはいるのだが、眩暈か立ち眩みね、と言われるだけで、それ以上話が進まない。でも、眩暈や立ち眩みじゃぁなくて。
やっぱり、近いうち、別の病院で一度診てもらおう。今私が大病なんてしたら、娘に迷惑をかけるだけだ。対処方法があるなら、今のうちに知っておくべきだとも思う。早めに何処かで診てもらおう。私は心に小さくメモをする。

じゃぁね、それじゃぁね。自分だけじじばばの家に行かなければならないということにむくれている娘が、そっけなくバスを降りてゆく。私はその後姿を、消えるまで見送る。
友人の歩くテンポに合わせてゆっくり歩きながら、K川を渡る。陽射しが強烈に私たちを射る。日陰を選んで歩くのだが、それでも陽射しは私たちを追って来る。
さぁ、今日も一日が始まる。しっかり歩いていかなければ。


2010年09月02日(木) 
いつの間に寝入ってしまったんだろう。目を覚ましたら娘のにっと笑った顔が間近にあって驚いた。どうしたの? どうしたのってママが珍しく寝てるから。あ、帰って来たんだ。もうずっと前に帰ってきてるよ。ママが寝てて気づかなかっただけじゃん。あぁ、ごめんごめん、どうしたんだろ何で寝てるんだろ。なんでってママが寝たから寝てたんでしょ。娘に笑われ、私は頭を掻きながら起き上がる。あ、お風呂、水風呂用意しといたんだよ。わー、入る! って、今何時? もう十時半。えぇーっ。私は娘を風呂に追いやり、娘の塾のお弁当箱やら水筒やらを洗いにかかる。本当に、一体いつ寝入ったんだか。全く記憶にない。情けない。
そうだ、電話番をしていて、その間に多分寝入ったんだ。友人に、たまには横になって眠れるときは眠った方がいいんだよ、と言われたことを思い出す。その言葉どおりに横になったってことだろうか? そのあたりが曖昧で思い出せない。娘は風呂場で何やら歌を歌っている。その声が、部屋中に響き渡る。
結局十一時半過ぎ、娘と一緒に再び横になり。娘は途端に寝息を立て始める。そりゃそうだ、塾がないときはいつも九時には寝かせている。塾があるとどうしてもこうやって時間がおせおせになってしまう。と思っているところに、娘の腕が飛んできた。痛い、と思って反射的に叩いてしまう。が、娘はびくともしない。ちょっとほっとしながら、私は娘の腕を所定の位置に戻す。
うとうとしながらも、あの泥のような眠りは再び訪れず。数時間ごろごろ寝床で頑張ってみたが、横になっているのも体が痛いので仕方なく起き上がる。せっかく起きたのだから、と、写真展のとき配布するプリントを、作成することにする。
毎年やっていることだが、この配布プリント、結構手間がかかる。できるだけ紙に無駄がないよう、テキストを配置し、順番を決め、そして印刷。たとえばたった二十人分作るのに、一人分が五枚だとして…。紙がいくらあってもはっきりいって足りない。それでも私がこれをやめないのは、これを書いてくれた被害者たちが私の後ろにいるからだ。私はこれを外に届ける役目を担っている。言ってみれば蝶番のような。だからこそ、やっていける。
ひたすらプリンターを回しながら、煙草に火をつける。その時突然、窓から蝉が飛び込んでくる。私はこういう突然のものが怖い。怖くて怖くて仕方がない。蝉と分かっていても、全身総毛立ってしまう。でも、一方の蝉も命がけだ。必死に布にしがみついている。どうしよう。娘の手ぬぐいが椅子にかかっているのを見つけ、咄嗟にそれで蝉を包み込む。でももう、抗う力が殆ど残っていないのだ、手ぬぐいの中、蝉はおとなしくしている。私はそれをベランダに出て、そっと振ってみる。ようやく飛び立って、そして街路樹の方へ飛んでいくのを確かめ、私は再び部屋に戻る。あぁびっくりした。でも、よかった。
紙が切れるたび、紙を継ぎ足す。一番心配なのはプリンターのインクがなくなることだ。とりあえず今夜は大丈夫そうだが、そろそろ買い足しておかないといけないかもしれない。
今、図書館で見つけた「心への侵入 性的虐待と性暴力の告発から」を読んでいる。いつも思うのだが、こうした本は、どんな人が普通手に取ってくれるのだろう。私にとっては当たり前の種類の本だが、普通はどうなんだろう。やはり、手に取るのを躊躇うのだろうか。それともそもそもこういう本は人目につかないのだろうか。そういう棚に置かれるのが通常なのだろうか。どうなのだろう。
私はだいたいこの時期から、緊張し始める。展覧会が近づくからだ。今年は二回とも性犯罪被害者にモデルになってもらった写真を飾るから、余計に緊張が強くなる。
私はいい。私が選んでしていることだ。でもモデルになってくれた被害者たちはどうだろう。顔を晒すというそのことで、弊害はないだろうか。手記を書いてくれた人たちも、ペンネームを使ってもらってはいるが、あぁあいつだ、などと悪意を持って読む人はいないだろうか。いろんな穿った考えが出てきてしまって、いてもたってもいられなくなる。私は彼女たちをちゃんと守りきれるだろうか。そのことが、何よりも何よりも、心配になる。
それでも。
今ここで止まるわけにはいかなくて。私たちはここからもさらに生きていかなければならなくて。だからこそ、続けていかなければと思う。続けていくためにも、私はここに立っていなければならない。しかと。

空が明るくなってきた。今日は雲が殆どない。すかんと抜けたような空が広がっている。美しい鮮やかな水色の空。街路樹はもう悲鳴を上げる寸前じゃぁなかろうか。雨はもう長いこと降っていない。彼らに水を与える人は誰もいない。ベランダの手すりによりかかりながら、じっと街路樹を見つめる。訳もなく、ガンバレ、ガンバレ、と言葉が浮かぶ。でも正直、ガンバレという言葉はあまり好きではない。だってすでに頑張っているのだ。すでに頑張って、ここに在るのだ。だから、そういう相手にさらに頑張れなんて言うのは、おかしいといつも思う。だから、私は頑張れより踏ん張れと、伝えることが多い。
しゃがみこみ、ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝葉を解く。そろそろこの作業も終わりに近づいているんだな、と、やるほどに思う。それにしても、あんなに小さかったデージーが、よくここまで茂ったものだと思う。まさにプランターの半分を占領して。もしかしたらラヴェンダーよりずっとこちらの方が勢いがよいのではと思える。まだ僅かに緑の残る枝葉。それを傷つけないよう、そっとそっと扱う。
吸血虫にやられたパスカリから、新芽が少しずつ芽吹き始めている。本当にちょこっとずつだけれど、確かに。これでまた、寿命が延びた、そんな気がして、嬉しくなる。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。新葉をぴんと広げ、そこからまたさらに新芽の徴を見せている。そしてその隣の、友人から頂いたものを挿し木したそれも、今紅い紅い新芽をぴょんっと先端に立てている。
横に横に広がっていっているパスカリ。その一本の先端にひとつの蕾。くいっと首を伸ばして、蕾が目立ち始めた。まだ私の小指の先より小さいけれど。そして、これもまた、友人からもらったパスカリを挿し木したもの、新芽がくいくい伸びてきている。こちらが花を咲かせるにはまだまだ時間がかかるだろうが、咲いたら一番に、彼女に届けたいと思っている。
ミミエデン、やはり昨日見つけた二つの徴は、蕾だったようで。昨日よりほんの僅か、前に出てきたその徴に、私はにんまりする。無理はするなよ、でも、咲いておくれよ、と心の中声を掛ける。
ベビーロマンティカは、よく見ると、五つの新しい蕾がついており。今膨らんでぱつんぱつんになっているものも含めれば六つの蕾。本当にベビーロマンティカは子沢山だなぁと、感心する。もしベビーロマンティカが人間だったら、女性だったら、今頃テレビに出るくらいの大家族を作っていたに違いない、なんて想像すると、おかしくなって笑ってしまう。
マリリン・モンローの新芽の間に、蕾の徴を見つけた。ひとつの蕾の徴。間違いない。私は膝に頬杖をつきながら、しばらくその徴を見つめる。今度はどれだけ大きくなるかな。肥料が足りないだろうから、こじんまりした花かもしれない。それでも、咲こうとしてくれる、そのことがもうすでに、嬉しい。
ホワイトクリスマスは沈黙の時間。でも。ホワイトクリスマスは悠然と、凛々と、そこに在る。
今朝、アメリカンブルーは四つの花を咲かせ。その花の色は、今朝の空の色にとてもよく似合っており。微かな風に揺れる真っ青な花。可憐な花。おはよう、と私は小さく声を掛ける。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ふくぎ茶をポットいっぱいに作る。一杯分カップに注いで、氷を三つ入れる。私には三つで十分。カップを持って再び机に座る。窓から見上げる空も、すかんと抜けた青空で。今日もきっと暑くなるんだろう。それでも。こういう空の色は、いい。無条件にいい。そう感じられる自分も、まぁまぁ、かな、なんて思う。
空の色なんて、とてもとても、感じられなかった時期があった。そもそも空を見上げることもしなければ、窓を開けることもしなかった。ただ息をしている、それだけの時期があった。食事も摂れなければ眠ることもできない。唯一水分を補給するだけの日々。いや、山のような薬と水分とを補給する日々、と言うべきか。
部屋の空気が澱んでも、澱んでいることに気づいても、窓を開ける気力もなく。ただぺたんと、床に座って、時が過ぎるのをひたすら待った。まさに、生きながら死んでいるとは、ああいう状態のことを言うのかもしれない。
死ぬことさえ遠かった。私は当時十階の部屋に住んでおり。ここから飛び降りれば間違いなく死ねるだろうと思った。でも、そのベランダに出ることさえ、億劫だった。何もしたくない。このまま干からびたい。そう思った。そう願った。
生かされている、という受動態が、いつから生きているという能動的な形に変わったんだろう。その境目はあまり覚えていない。気づいたら私はここに在た。そこには、多くの友人たちの支えがあった。それがなかったら、私はこんなところまで歩いてこれなかった。だから思うのだ。人を木っ端微塵にするのも人なら、人を救うのもまた、同じ、人である、と。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。あ、ママ、今日私六時間あるからね! わかってるよー。
私は階段を駆け下り、自転車に跨る。坂道を下り、車がいないことをいいことに赤信号を渡り、公園へ。池の縁に立って見上げる空は、煌々と輝いており。私は目を閉じて耳を澄ます。蝉の声が響いている。でも、確実にその蝉の声は、痩せ細ってきている。あとどのくらい、私はこの声を聴いていられるだろう。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。ちょうど青になった信号を渡り、左へ折れる。真っ直ぐ走れば駅まで辿り着く。その手前に駐輪場があって。私はいつもそこに自転車を停める。
おはようございます。事務所に声を掛けると、おじさんがおはようと言って出てきてくれる。駐輪の札を貼ってもらって、自転車を停める。
大きく交差した歩道橋。もうすでに大勢の人が行き交っている。
さぁ、今日も一日が始まる。私は歩道橋の階段を駆け上がる。


2010年09月01日(水) 
起き上がり、窓を開ける。最近、朝早くは雲が広がっていて、そのせいで水色よりも灰色が勝っているように見える。今朝もそうだ。昨日よりずっと雲の色が濃い。風は殆ど吹いていなくて、ぺっとりとした湿気のある空気が私の肌に纏わりつく。きっと街路樹にとってもそれは同じなんだろう。茂った葉たちがみんな、くてんとしている。あの樹たちは、一体いつ、どこから、水分を補給しているんだろう。最近植木おじさんの姿も見ない。この暑さで参っているのでなければいいのだが。
しゃがみこんで、ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝葉を解く。丁寧に解いているはずなのに、デージーが数本抜けてしまう。抜けるデージーは、もうすっかり褐色になっていて、触ってみると水分が何処にも感じられない。まるで干草のようになっている。昨夕もちゃんと水は遣ったはずなのに、こんなに干からびるなんて。これが終わりというものなんだろうか、草たちの。私は何となく納得がいかず、しばらくその干草のようになったデージーの枝葉を摘んで、眺めてみる。もちろんそんなので答えがでてくるはずもないことは分かっているのだが。
吸血虫にすっかりやられたパスカリの方から、新芽が数枚、芽吹いてきた。よかった、まだ生きている。私はほっとする。その葉はまだ小さいけれど、でも瑞々しい息吹を放っている。吸血虫にやられた葉とは大違いだ。それだけ吸血虫の威力が強かったということか。
もう一本の、横に広がっているパスカリの蕾。くいっと首を一段高いところに伸ばし、蕾がくっきりとしてきた。まだまだそれは小さい。小さいけれど蕾には変わりはない。そして、もう枯れたかな、と思っていた枝から新芽が芽吹き始めた。こちらもまた、赤ちゃんといっていい小さな小さな葉だけれども。吸血虫にやられてすっかり散った後の枝葉を、飾ってくれている。
友人から頂いたものを挿し木したそれの、一本から、また新芽が出てきた。全身紅色のそれは、もう一本の挿し木の影になっており。だから私は新芽が陽に当たることができるよう、ちょいっと指で位置を変えてやる。
その隣、桃色のぼんぼりのような花を咲かせる樹。芽吹いてきた新芽が、ぱっと開き、今まさに黄緑色の葉がきれいに開いたところ。細く長いその葉は、他の薔薇にはない特徴。まるで笹の葉みたいだと思う。もし縁にでこぼこがなければ、まさに笹の葉のミニチュアだ。
ミミエデン、新芽をあちこちから芽吹かせてくれて。もしかしたらこの二つは、花芽なんじゃないか。そう思えるような徴を、今、見せてくれている。まだ分からない。花芽じゃないかもしれないが、でも。明日の朝が楽しみだ。
ベビーロマンティカは新たに三つの蕾をつけ。今咲こうと頑張っている一輪は、ぱつんぱつんのまん丸をしている。ベビーロマンティカは、他の薔薇たちのように、細長い蕾じゃぁない。はっきりいってまん丸だ。だるまさんみたい、と思う。
マリリン・モンローも、もしかしたらこれは花芽なんじゃないかと思える徴をひとつ、抱いている。みんな本当は、もうちょっと涼しくなることを期待しているんじゃなかろうか。涼しくなることを期待して、こうやって花をつけようと頑張ってくれているんじゃなかろうか。でも、今朝の天気予報でも、九月もこの暑さは続くと。そう言っていた。
ホワイトクリスマスは、しばし沈黙の時らしい。何も言わず、何も語らず。ただそこにじっとしている。凛と真っ直ぐに天に向かって伸びる枝。私も背筋を伸ばしていかなくちゃ、と思わされる。
アメリカンブルーは今朝、四つの花をつけてくれた。真っ青なその花。どんな空の下でも、そこだけ澄んだ空気が漂っているかのように見える。
そして、挿し木だけを集めた小さなプランターの中、いくらか変化が見られる。もういい加減諦めていた枝葉が、新芽をつけたのだ。よくまぁこんな暑い陽射しの下、こんなふうに葉を伸ばしてくれる気持ちになったもんだ、と、私は感心する。頃合を見て、大きなプランターに移し変えてもいいのかもしれない。その頃合がいつなんだろう。一度母に相談してみようか。それがいいかもしれない。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ふくぎ茶をいつものようにポットいっぱいに作る。少し濃い目に入れて一杯目は氷を入れて。そういえば私が氷を使うことなんて、珍しいよなぁと、我ながら思う。氷は娘のもの、といった感じがする。娘は眠る前、必ず氷をひとつ、口の中に含んで寝るという癖がある。そうすると涼しくなるんだと彼女は言うのだが、どうなんだろう。
お茶を机に運び、椅子に座る。煙草に火をつける。ついでにお線香にも。突然、かりかり、かりかり、と音がして。あぁ、ゴロの水を飲む音だ、と気づく。おはようゴロ。私は声を掛ける。最近ゴロは、抱き上げても手のひらでうんちをしなくなった。そして、今、ミルクとココアとゴロ、三人の中で、一番ゴロが体格がいい。むっちりして、ミルクよりもちょっと大きい感じがする。体重はさほど変わらないのだけれど。
ココアは、一度目を傷めてから、時々寝起きに、目がおかしくなるときがある。傷めた目の方だけ、半分しか開いていないということが。大丈夫なんだろうか、また病院に行った方がいいんだろうか。娘が起きてきたら、そのところをちゃんと話し合おうと心にメモする。
給食は九月一日から、ということで、昨日は娘と昼食を摂った。普段昼食なんて殆ど食べない私ゆえ、簡単に簡単にと考えていたら、結局ざるそばになってしまった。葱をたくさん刻んで、めんつゆにはお酢をひとたらしするのが我が家流。夏はその方がさっぱり食べられる。
ママ、塾のお弁当、ちゃんと作ってね。はいはい。というわけで、暑い中唐揚げを作る。面倒だから明日の分も一緒に。そしてブロッコリーともやしを塩水で茹で、ついでに鶉卵も茹でて。ミニトマトで飾ってやれば、色とりどりになるだろう、うん。デザートはパイナップル。
ご飯を炊いている間に、二人で図書館へ。娘は一階、児童書コーナー。私は四階と五階を行ったり来たり。一冊、気になる本を見つけたのだが、訳者がS氏で。私はこのS氏が苦手だ。以前この人の病院に通っていた時期がある。もちろん私には別に主治医がいたから、直接S氏と関わることは殆どなかったが。あのがまがえるを潰したようなお顔は、どうも苦手だ。いや、そもそも、あの病院の、宗教のような雰囲気が、私はとてもとても苦手だった。できるならもうあの病院には行きたくない。そう思っている。
でもまぁ、本に罪があるわけでもなく。訳者が気に入らないからといって読まないのは私の損で。結局、それを含めた三冊を借りることに。
娘のところに行くと、娘がうんうん唸って本を選んでいる。どうしたの? なんかいいのがないんだよねぇ。あのさぁ、余計なお世話かもしれないけど、あなたはもう、あっちの本棚の方がいいと思うよ。あっちってどっち? あっち。ママもあなたの年頃、こういった本を読んだ時期があったなぁ。そうなの? んーでも、私、絵のある本の方が好きなんだよなぁ。分かるよ、ママも、単行本好きだもん。なんか重みもあって、読んでるって感じがしてサ。そうそう。まぁでも、ここで読む本がなくなったら、あっちの棚、見てみるといいよ。うん、わかった。
結局娘も四冊借りて、帰ることにする。帰りがけ、スーパーでアイスを買った。とてもじゃないけどアイスでも食べなきゃやってらんない、という娘の意見で。ついでに、キムチ入りのおにぎりが食べたいということで、キムチも買う。
家に帰るとちょうどご飯が炊けたところで。あつあつのご飯にキムチを挟んでおにぎりを作っていく。本当においしいんだろうか。私は首を傾げる。おにぎりにキムチって…。私にはない感覚だ。そういうわけで、半分はキムチおにぎり。半分は昆布入りおにぎりにしておく。
娘が塾に出かけた後、私は作業にかかる。写真集の続きだ。花流季の方が、写真点数が多くてテキストが入りきらないという事態。数点削るしか術はない。さて、何を削るか。今回の花流季の撮影は、二人とも、ぴったり息が合っていた。そういう中で撮った写真だから、削るのが難しい。でも。写真はいつでも引き算だ。そう思って、数点選び出す。
その時、電話が鳴った。でも、何も言わない電話。私は時計を見る。午後五時過ぎ。ちょうど「声を聴かせて」の時間に入ったところ。私もじっと待つ。すすり泣く声が聴こえる。私はしばらくその声に耳を傾け、何もしゃべらなくてもいいんだよ、と声を掛ける。
その日、電話が一本、メールが一本。届いた。さて、これからなんだな、と、私は身が引き締まる思いがした。
塾が終わって、すぐ電話を掛けてきたのだろう娘。「疲れてたら横になってていいからね!」と言う。私は苦笑してしまう。娘を出迎えずに横になってる母というのも何とも情けないが、我が家では時折そういうことが在る。それゆえの、娘の気遣いの言葉なんだけれども。私は心の中、娘に詫びる。気を使わせてごめんね。

じゃぁね、それじゃぁね、今日は給食でしょ? 何限目まで? 五時間あるよ。そっか、分かった。じゃぁね。手を振って別れる。
今朝玄関の前に蝉の姿はなく。私は何となくほっとしてそのまま階段を駆け下りる。そして自転車に跨り。坂道を下って信号を渡り、公園へ。
池の端に立つと、強い陽光が東から伸びてきており。私は眩しくて思わず手を翳す。トラ猫が、池の向こう側にでーんと寝そべっており。私が試しに小さく手をふると、怪訝な顔をしてみせただけで、ぷいっと横を向いてしまった。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木の作る日陰が、信号待ちをする私にとっては救いのスペース。そうして信号を渡り、左へ折れる。
あとはひたすら真っ直ぐ。信号が青に変わるタイミングを計りながら、私は走る。
さぁ今日も一日が始まる。しっかり生きていかなければ。


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