原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2005年05月19日(木) 最悪

あんなに音楽的にいいことばっかり続いていたのに、まるで神様が「おまえにはいい思いばかりをさせるわけにはいかない」とでも言っているかのように、最悪の状態に陥ってしまった。
それはわたしの性被害、虐待被害全般に関わることで、それらがいっぺんに押し寄せてきてしまって、今はもうどうしたらいいのかすらわからない。

ええと、ええと。
わたしは確か、自分が加害者だったという思い込みに囚われて自虐自罰するんではなく、自分が被害にあったことがあるのだということをもっとしっかり自覚して……

ああ、だめ。
頼みの綱の彼にも、つまらないことで口論してしまってから、なんだか相談する気になれないし。

わたし、入院したいかも。
このままだとどうなってしまうかわからない。

怒り。
恐怖。
悲しみ。
苦しみ。
せめてどれから来るか、順番決めて。
いっぺんに押し寄せて来られても、わたしどうしていいかわからない。

逃げる算段している自分。
だめ。そんなことばっかり小賢しくなっては。

とりあえず、今日この後メンタル行く。
専門家を頼らないと、とてもじゃないけど問題解決しそうにない。
っていうか、人に迷惑かけまくってしまう。

とりあえず、はっきりした証拠もないのに「自分は加害者」なんて、言わなくてもいい。
いや、言ってはいけない。
たいていの人は「こいつとうとう白状したな」としか思わない。
まさか自滅するために作り話をしているかもしれない、などとは思ってくれない。
自分から自分にとって不利なことを言うわけがないから。
わたしは、そこのところが歪んでいる。

自滅しそう。
バカみたい。

2005年05月17日(火) 虚脱

@ケータイ

まあ、いいんだ。
最近パターンわかってきたし。
大きなイベントがあってとても充実した時を過ごした後、わたしは疲れきってしまってほぼ1日何もできなくなってしまう。
ちょっと自分が嫌いになる。

でもまあそれは、人生も後半(or終盤?)にさしかかって、以前若かった頃と比べて体が弱くなってしまったし、精神的にも疲れやすくなってしまったんだな、ということ。
体をいじったことも影響しているかもしれないし。

人間関係の一部がやっぱり上手にできないのも、仕方ないか。
そう思って自分の過去と改めて向き合おうとしてみたけれど、なぜか「やめとけ」みたいな意見ばっかり。
わたしは決して過去に逃げ込もうとしているわけじゃないのに。

いつか、もっと人の役に立てるようになりたい。
自分の中が空っぽだからこそ、そんなこと思ってしまうのだろうこともわかる。

わたしをコントロールしないで。
わたしが自分で立って歩く努力をしているのを、できることなら妨げないで。
よちよち歩きのわたしの前に、障害物をおかないで。

2005年05月12日(木) メモ 改め 「煙草を止める」ということ

これ、いいかも。
禁煙セラピー

……と思ってサイトを見てみたら、なんか胡散臭い商売みたい?
まあ「4万5千円」という金額が「半年分の煙草代」だと言われれば、本当に止められるなら確かに高いとは言えないだろう。

でも、イギリス人だかアメリカ人だか知らないけど外人が言ってる言葉以前に、わたしは歌手の八代亜紀がほぼ同じようなやり方で禁煙した話を聞いたことがある。
「八代さんはどうして禁煙できたんですか?」
と問われて、八代さんはまるで「わたし頭悪いけど」みたいな口調で
「だって、煙草って毒なんでしょう?」
と素朴に答えていたシーンは、確かなんてことない昼のワイドショーでちらっと見ただけだったのに、なぜかずーっと忘れられずに頭に残っている。
もしかしたらその記憶のおかげでわたしも止めることができたのかもしれない。

わたしは偶然の力に助けられて煙草を止めることができてラッキーだった。
本当に止めるまでは、ほとんど本気で止めようとも思っていなかった。
自分の喫煙で周囲にどれほど迷惑をかけていたのか、気が付くようになったのはここ数年。
(もしかしたらホルモンバランスの変化のせいで敏感になってしまったのかもしれない)

うう~~~~、どうしよう。
今日はずっとこのことで頭が空回りしている。

↑にリンク貼ったサイトでは、どうやら「煙草の害をいくら言っても無駄」と言ってるらしい。
言われてみると、確かにそんな気も。
『北風と太陽』なのかも。
わたしが「煙草はよくないから止めたほうがいい」などといくら言っても、吸いたい人は止めはしないだろうし。

でも、どうでもいい人には別にお好きなように、と思うけれど、大切に思っている人だとどうしても「わかってほしい」という気がしてしまう。
この「わかってほしい」ってあんがい曲者なんだけど。
だから直接にはもう言わないようにしよう、と思っているんだけど、ついつい。

ああ~~~~~~、辛い。

「差別」なんかじゃないのに。
(そう思われるのはすごく悔しい)

ただ、わたしの体が嫌がるだけなのに。

彼が気を遣ってくれているのは、ものすごく嬉しい。
彼のやさしさを改めて感じて、とってもありがたい。

けれど、けれど。

ああ、このアンビバレントな思い。



「気にしなけりゃいいのに」
――まったく、ほんとにそうよね。

2005年05月11日(水) 必ず反動が……

ああ、なんだかまた辛くなってきてしまった。
良いことの後には必ず「反動」がやってくる。
うう、どうしよう。

たぶん多くの人にとって、こんなことは「ちょっと疲れたな」ぐらいですむのに、わたしが一人で何か変にこだわってぐるぐる回ってしまっているのだろう。

「仕方ない」とやりすごしたいし、「いちいちこだわるな」と自分を励ましたいけれど、それがなかなかできそうにない。
だって、「辛い」という気持ちに丸呑みされてしまわないでいるだけで、精一杯なんだもん!

ああ、もう。
辛い。
辛い。
辛いよ……

2005年05月09日(月) 『少年への性的虐待』読了

男性が性的虐待にあう、ということは、まだまだ「そんなことあるわけないだろう」を初めとして多くの「迷信」(このことの専門領域では「神話」と言われる)に満ちている。

でも、わたしは、全くそんなふうには感じずに、この本で取り上げられている事例や考え方を、共感と痛みを感じながら読み進んでいった。

たぶんわたしは「偏見がなさすぎ」なんだろう。
誰も信じてくれないようなことを「当然」と思っているかもしれないから、あちこちで言い触らさないようにしないと。
それか、偏見差別をその都度崩していく努力をするべきか。
今のわたしには、それをやりこなすだけのパワーはまだないかも。

それにしても、読んで良かった。
わたしは、この世に存在していいんだ。
わたしは決して、この世でたった一人、誰にも理解してもらえずに自分の思いを抱えて生きていくしかない、なんてことはないんだ。
たとえわずかでも、わかってくれる人はいる。
支えてくれる人も、いる。
共に歩むことのできる人も、いるだろう。

あ。
この本を読むよりも前から、わたしを支えてくれている人のことを、思い出した。
彼に対して、新たな感謝の気持ちが沸き上がってきた。
ありがとう。
この言葉をあなたに伝えられることが、わたしは嬉しい。

あ。
なんだ、わたしを支えてくれている人、他にもいっぱいいるじゃない。
それぞれの立場で。
弟に、感謝。
GIDしずおかのみんなに、感謝。
わたしが歌ったり楽器を弾いたりすることを肯定的に受け止めてくれる、いろんな人たちに、感謝!

今、わたしは再び、人とのつながりを思い出して感謝することができるようになった。
でも、それって、逆に言えばわたしはそれをすぐに忘れてしまう、ということ。
もう少し、先へ進むことができるようになりたい。
わたしは、この問題に、まだまだ取り組み続けなければならない。
「ならない」んじゃ、ない。
取り組みたいのだ。

2005年05月05日(木) 突然鬱に入る

あり?
突然死にたくなってしまった。
神経疲れちゃったのかな。
「寝逃げ」しちゃお~っと。
それとも、サックスでも吹こうかな。

今でない時。
ここでない場所。
わたしではない誰か。

歌が作れないわたし。

バンドやりたい。
でも、そこでわたしはいったい何をやる?
ヴォーカル? ベース? サックス?
決められない。
何もかも中途半端。

いつまでもうろうろ迷っているだけで、
もうこんなに長い時間がたってしまった。
人生の残りが今までの年月よりも少なくなってしまった。
わたしはまだ、何もしていない。
少し傷ついて、たくさん傷つけた。
そんなことがあるだけで、
わたしはまだ誰の力にもなっていない。
罪を償っていない。

……って、思うのが、鬱。
よくよく考えてごらん?
本当に迷ってるだけ?
まだ弱弱しいけれど、少しは何かやってるじゃん。
傷つけただけじゃなくて、傷つけられもしたじゃん。
罪の償いは、やってるじゃん。

だいじょうぶ。
おまえ一人がぜんぶ悪いというわけじゃない。
悪いところだけを背負ってしまう必要はない。
良いところだってあるのだから。
良いことだってしているのだから。
おまえは生きていっていいんだよ。

こういう言葉を歌に乗せれば、いいんだよ。


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