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2002年11月16日(土)
モーレツに帰りたい今日この頃

最近すごく帰りたくて、
本当に夢まで日本になってきた。

12月1日はダンスパーティー。
ただそれだけなんだけど・・・・。

でも、みんな現役は4回。
そうよね。
だから私も1回スキップするしかないのかしらね。
去年出たがっていた某B氏の気持ちがよくよくわかる。



2002年11月15日(金)
giving new chance^^.

なんだか今日はいろいろ追われてて、
4時寝で授業でて、昼を食べて、銀行へゴー。
レートはなかなかよし。

その後は買い物なんぞ行って、洗濯したらもう晩御飯。
パオズ連続食べつづけて、家に帰ってメルマガ作って
その後、英語のresumeやらを作成。
かなり苦戦して12時・・・(苦戦しすぎ・・・)
そんなこんなで今1時。

あーHSKの勉強してね―。
友達来るってどうしよう。
新しいプロジェクトはどうしたらいいんかい。
MP3っていつ行くんだい。

やることなんだかたくさん。

まずはいろいろ整理してやらないと、真っ先にHSKがだめになる。
1度に二つのことできないのよね、私・・・。




2002年11月14日(木)
[02.11.14-No.12] a whole new world

[02.11.14-No.12] a whole new world
★★★留学初心者マガジン★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
★★★★★A★WHOLE★NEW★WORLD★★★★★★★★★★★
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★Vol.12★★★★★★★★

ほぼ月一発行なこのメルマガ。
中国にいる時間も残りもわずかとなり、次回に続き、
私なりの中国留学の総集編?をお届けしたいと思います。

楽しんで頂けるかはなぞですが、もともと趣味のメルマガ。
ここは感じたこと、伝えたことを書かせていただきます。

今回は旅行で感じてきたこと。

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★【第2回】 少数民族と世界遺産 ★

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少数民族と世界遺産


 この夏に大きめな旅を2回した。一つ目は桂林を始めに雲南省の都市を回る3週間の旅、
二つ目は、四川省・成都を経由し、九賽溝、黄龍、楽山などを回った10日間の旅である。


 2回の旅とも共通するのが、雲南の中甸、四川の松藩というチベット族自治県と付近に
世界遺産を持つ地域のの訪問である。いわゆる、中国政府直轄地区の中、漢族の監視
の元に置かれているチベット族生活地区である。どちらも共通して言えることは、やはり街
の主要機関は漢民族が運営している。人口比では勝りながら、マイノリティーと称されるチ
ベット族がしていることといえば、彼らが安い労働力で民芸品や農産品を作ることである。
それを漢族が売り、同じ漢族の観光客もしくは外国人が買う。

 両者、地形的な差もあって、チベット~!のような草原や牛の放牧などは、中甸の方が
見事であった。この情景は1933年イギリスの作家ジェームス・ヒルトンによって出版され
た「失われた地平線」の中でシャングリラと名づけらたと言われている。(もっとも、この著
作も中甸にとってはただの観光の客引き文句に過ぎないようだが・・・)中甸は、1998年
から対外開放された町でそれまでは外国人がおと連れることができなかった。

 一方、松藩の方は、近くにある世界自然遺産・九賽溝が1994年に認定され、そこから
本格的な観光地化への開発が行われた。そのため中甸よりも開発着手が早い分、同じチ
ベット族自治県であっても、その民族的な暮らしが失われている。ここは、ラサなどの大き
い都市ではない。チベット族の力も弱く、失われていくスピードも一段と速い。その開発が
もたらした結果は、チベット族の寺院を見ることでよりあきらかになった。世界のどの観光
地でも同じように寺院というのは観光名所になる。私は、両方ともそのチベット族の寺院に
おと連れる機会を得たが、松藩の方は観光客(漢民族)の訪問なしではもう寺が成り立た
ないほどになっていた。寺自体はお布施をもぎ取るのに必死で信仰の有無などはまるで
関係ないというような感じである。子供達はお土産を売るのに必死である。トイレの集金所
では9歳の子が働いていた。僧侶も観光客相手に働いている。家族、集落あげての商売
である。すでに寺院は信仰の場ではなく、労働の場である。そうなると寺院の中の仏像や
壁画なども弱々しく見えてくる。回りの集落すらも崩壊しているように見える。


 町が観光地化される。そこで民族の文化が摂取され始め、神聖な信仰の場すらも崩壊
していってしまった。中国には国が定めた保護地区、ユネスコが指定した世界遺産がたく
さんある。しかし、それらの肩書きが付近の町を急激に開発に追いやってしまう。人々が
自給自足の生活、貧しく不便ではありながらも、少なくとも物乞いをするものがいなかった
生活から、なんとかという大きい組織が○○遺産と認定したことによって彼らの生活を突
然変える。人々は道路整備に借り出され、観光客相手に物を売るようになる。少数民族も
都市と同じ時間で動かされ、以前は住んでいなかった人達が突然町に大型バスを走らせ
るようになる。後世に残したい素晴らしい建築や自然であっても、その看板を背負った日
から、隣の町では開発が始まり、そして都市から人を運んでくるバスや道路建設によっ
て、後世に残すべき本当に大切な物々は守る以上に失われている。

 中甸も例外ではない。1997年政府は今後10年間でこの地を国家級の観光地に整備
すると発表した。急速に整備された街。これよりも南にある麗江という街では納西族の伝
統的集落建築が世界遺産に指定され観光面で大きな利益をもたらした。その麗江からバ
スで行くこと6時間の中甸。その間の道路は今でこそ谷に落っこちるような恐怖だが道路
脇ではすでに整備に着手し始めている。道路が完成した時、道端を歩いていた伝統衣装
をまとった少数民族の影は消えてしまうかもしれない。

 旅行をしていて本当に美しいと感じるもの。それは景色でも建築物でもなかった。そこで
暮らす人々がその地域に合わせて生きている様子だった。ここでは、私達が持っている
文明の機器とやらは便利であっても、なんの得も生み出さないガラクタに思えた。彼らに
には彼らなりの方法で寒さも熱さも乗り越えて行く。私達が勝手に彼らの物に価値を付け
て、押し寄せる姿がなんとも悲しく思えた。

 いいことか悪いことか、付いてしまったこのなんとか遺産。もし、そこに行く時、一番見て
欲しい物、それは、その大きな看板の裏側にあるものである。

 具体的に美しかったものがなにかは書かず、感じた矛盾をここには書いてみた。実際の
裏側のものは自分で見ていただきたいと思う。



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今回もお付き合い、ありがとうございました。
初心者製作者、日々精進させていただきます。

なお、内容・記述に関しては素直に感じるままに書いたものです。
ご意見・ご感想は下のメールアドレスに頂ければ幸いです。

これからもローカルな土地武漢の情報を中心として中国の情報をお届けします。

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★★★★留学初心者マガジン
      A WHOLE NEW WORLD★★★★
    
★発行者   
  asiamikky  email:miki_meiqi@yahoo.co.jp
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2002年11月10日(日)
最大の悲しみ

ここに来て、今日が一番つらいと思った。
何度も、そうしてそんなことするんだろうって思った。
たかがADSLの線。
思い出したくもないことだけど、忘れたくないと思ってここに書きます。

weixiongがインターネットができなくなった、
原因は全く不明。それは三日ほど前のこと。

weixiongのができるようになったら、今度は私のができなくなった。
これまた全くなんでかわからない。

ホストコンピューターのjonmoに聞いてもわからない。

syashに呼ばれてjonmoの部屋で設定を直すことに、
でもsyashが言うには私のパソコンにおかしいところはないという。

そこで出てきたのが次の疑惑である。
パソコン自体に問題がないとしたら
パソコンをつないでいるHUBが壊れているとしかいいようがない。

じゃなんでweixiongから始まって私になったのか。

それはjonmoが意図的に線を抜き変えた。

三日前、新しい韓国人が私達のHUBに入った。
すでに使っている人には承諾なしのjonmoが勝手に入れたいわゆる゛同胞"である。
これでHUBについている穴全部がうまった。

でもjonmoはもともとその最後のHUBの穴が壊れていることを知っていた。
そこでweixiongの線をその穴に入れ替えた。
それで三日前からweixiongのパソコンが使えなくなったのである。
しかし、jonmoの狙いはもともとweixiongじゃなかった。

私だ。

jonmoは私の線と間違えた。
jonmoは私がjonmoと仲良くないのも知ってるし、
韓国人の中で私の評判は悪い。
私が一番弱い立場だということも知っている。

だから私が気付かぬうちに線を入れ替え、
自分の仲間である飛び入りの韓国人がインターネットをできるように
私の線を抜いた。

そして、インターネットがいきなり使えなくなったことは、
HUBがもともと壊れていたのではなく、
私のせいにして、私をこのグループから追い出そうとしたのだ。

でもpieterとsyashのおかげで抜けるのは新しい韓国人になった。
こうなったのもsyashがpieterと事前に話して、
私を抜けさせないようにしたからである。

でも、jonmoは最低だ。
自分の仲間を入れるために、私をだました。





でも、もうこの日記は読まない。
やな気持ちも最悪の気持ちもここにしまう。

2002年11月10日はなかったことにしよう。



2002年11月07日(木)
≪将軍与孤女≫

今日はテレビをつけたら映画がやっていた。
最初は戦争映画だと思ったので
また悪者日本人が出てくるのかと思ったけど、
そうじゃなかった。
そんなチープな映画ではなかった。

日中戦争時、大陸に移住してきた日本人家族が、
空爆によって親を失い、残された娘二人を
中国人兵士が拾い育てるというもの。

中国人側にしてみれば、この子達も自分の親を殺した日本人の娘。
侵略者の子供であるという受け入れられないという思いと、
敵ながら同じ境遇に置かれた子供を捨てられない。

そんな中でも、彼らは受け入れ、育てていく。

その最中でも、おろかな戦争によって、人が殺されていく。

最終的には、親を忘れられない子供のために日本の軍に引き渡すことになる。
しかし、そこでも返すために子供達を連れてきた者が殺される。

危険を冒してでも、そばに居たい、逢いたい人がいる。
そんな時、戦争という殺人道具が彼らを引き離す。

結局、戦争によってつながるものはなく、
あるのはひきさかれるものだけだ。

銃を放つ以外になにもできなくさせてしまうもの、それが戦争なのかもしれない。

戦争に加害者はいない。みんな被害者だ。

この映画を見れば、日本人も中国人も涙すると思う。

最初は、なんだまた中国人の懐が広いとでもいいたいのか!と
偏見70%で見てた。
政府が国民の自尊心を高めるために抗日を使うのはもはや日常である。

でも、もしその意図があったとしても、
そんなものを乗り越えるものがこの映画あると思う。

こういう映画が今の日本と中国社会に広まっていたら、
もっと日本人と中国人は仲良くなれると思う。

くだらない見栄もつまらない偏見も、
すべて捨てられたらどんなにいいかと思う。

でも、捨てるどころか、近づくごとに積もっていく、日本人と中国人。

みんなこの映画を見てから、湧き上がった感情をお互いぶつけたら、
きっとそれは同じ気持ちが出てくるんじゃないかな。

そう思う。そんな映画鑑賞後・・・・。


≪将軍与孤女≫
http://www.ohfilm.com/pk/jjygn.asp


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