思い出に変わるまで
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今日さとしクンは出勤日 見送ってから実家に向かう準備。 実家は車で15分程の距離。
昨日知らせを聞いて三河地方に住む姉も飲み屋の仕事が終わって夜中飛んで来たみたい。
今日はたまたま離婚した姉の元ダンナがKANAの誕生を知り、赤ちゃんを見に来る予定だった。 姉は知らなかったけど。 離婚したとは言え、元ダンナの元で生活している三人の子供達は姪のイトコ。 黙っているワケにはいかず、弟に相談し、病名は伏せ、長期治療が必要な病気だという事が判明したからナカナカ会う事が出来なくなる転院前に会ってやって欲しいと伝えた。 ただ、離婚した姉も居る事も伝えて。 電話の内容でただ事ならない状態を察した元ダンナも実家に来てくれるという事で仕事で来られないさとしクン以外のファミリー全員が揃った。
午前中に姉が弟と一緒に面会に行き、午後にしか来られない元ダンナと子供達は私と一緒に面会に行った。 さすがに離婚した元夫婦は一言も会話することなくお互い違う部屋で過ごしていたけどね。 私もKANAと姪にせっかく来てくれた元ダンナに気を使い、 さとしクンは明日病室を訪問する予定で夜は実家で夕食を取る為ピックアップする足として元ダンナと行動を共にした。
実家に着いた時には既に姉は飲み屋の仕事がある為に発った後だった。
こんな事で全員が揃う事が寂しかったけど、姪が心配なんだよね。
転院してから詳しい検査を終えない事には病気の重篤度も今後の治療も分からない。 今はただ、待つだけ。 何も知らず、転院し、入院生活が長引く事だけ知ってる姪を励ます事だけ。
親である弟や義妹の心情を察すると胸が締め付けられるけど、頑張って!! 気をしっかり持って!!
お風呂あがりの8時過ぎ 弟から携帯に着信履歴があった。 コールバックしてみると神妙な声色で「後でかけ直すから」 数分後にかかってきた電話の内容は驚くべき内容だった。
既に弟は涙声 「おねぇ・・・これからちょっと色々助けてくれ。 ○○(姪の名前)の病名が分かった。・・・・小児がんだって。 白血病なんだって」
声が出なかった。 えっ?聞きなおし 「なんで?」 声が震えた。
7歳の姪はここ数週間熱が下がらない状態だった。 本人は元気そうでケロッとしてたんだけど熱だけが38~39℃の状態。 二週間前も義妹が次男を病院に連れて行く際、うちに姪を預かった。 あまりにも熱が続くので病院に行き、感染症かもしれないと血液検査をしたところ血液成分のバランスが悪いという事で即入院となった。 検査を重ねた結果、小児ガンだという事が判明。 今入院している病院の設備では治療が出来ないので大きな病院への転院が決定した。
説明をする弟も涙声 説明を聞く私も涙が止まらなかった。
異常を察したさとしクンが会話を聞きながら横でパソコンを叩く。 「急性骨髄性白血病」「急性リンパ性白血病」 前者は生存率40~70% 後者は生存率90%以上 姪は前者だと説明されたという。
転院すれば即治療に入る 面会も簡単にはできなくなるから、この週末には面会しておいてくれ 義妹もこれから姪に付きっ切りになるので家の事を手伝ってくれ という電話だった。
電話を切った後さとしクンに説明しながらボロボロ泣いた。 タメに取っては唯一のお姉さん的存在で、この夏も毎週の様にうちに泊りに来ていた。 姪もタメを可愛がってくれ本当の姉妹の様に仲が良かった。
どうして? どうして?
神様、あの子の命を奪わないで!! まだ7歳の未来ある子供です。 こんな事って辛すぎる。
そこから夜中まで病気の事を調べまくった。 とにかく、何も出来ないけど、何かしていなければ正常で居られない状態だった。 頭をよぎるのはもしもの事、最悪な結末。 白血病と聞き想像するのはそういう事でしょ? 不安材料しかない。
結局ほどんど眠れない状態のまま朝を迎えました
昨夜の事・・・ いや、正確に言えば今日になったばかりの時刻1時過ぎ
つんざくってこういう音なの?
ブリブリブリッ!!
静まり返った和室に響いた
「なにっ?どうした?」
日頃めったに起きないさとしクンも起きた。
お見事です、KANAちゃん・・・ 女の子なのにパパを起こしちゃう程のおなら+うんちができちゃうなんて。
もちろん母である私は起きてますよ。 なかなかゲップが出来ないKANAはおしりからゲップしちゃうタイプ。 まさかこんなに大きな爆音で起こされるとは思わなかったけど便秘で苦しくて泣かれるよりマシだし。
よしよし、しっかり出したかな? 今オムツ替えてあげるからね♪
だいたい就寝してから授乳に2、3回起きてる。 妊娠時からトイレが近くなったりして何度も起きるのもこの授乳の為の予行練習みたいなものって何かの本で読んだ。
母はすごいですね。
赤ちゃんのちょっとのウナリでも起きるし、泣き声にも過敏に反応する。 みんなこうやって大きくなってきたんだと思うと改めて母に感謝。
それにしても、どうして赤ちゃんってこんなかわいいんだろ。
わが子ながらマジマジ見てても飽きない。
タメもかわいいけどKANAもかわいい娘。
独身時代には四人家族でこんな心穏やかな日々が持てるなんて思わなかったもんね。 幸せです。 子供の顔を眺めてると本当に幸せを感じます。 泣けちゃうくらい。
ヤバ、年取ったかな? 涙もろくなってる、私。
産後の体調ってどんなだったっけ? タメの出産の時は丸一ヶ月実家で上げ膳据え膳、寝てばかりの生活を強いられてたから全然覚えてないや。
ナゼ体調が気になったかと言うと、お下の痛みなんです。 切開はしてないものの裂けた部分を三針縫ってるから少なからず釣る痛みがあるのは分かるんですが、生理痛の重い痛みと言うのでしょうか?下の入り口あたりの筋肉の痛みって言うのでしょうか? ズキッと痛むんです。 特に地べた座りをして起き上がる時お腹に力が入るでしょ? その時にズキッと。 恥骨の数センチ上の内部が傷む時もある。
ま、子宮が戻ってる時期だから・・・と言えば当たり前の痛みかな?って思うんですが、腰痛も相変わらずあるし・・・。
もう35歳の体に出産というものが耐えれないのか?
うーん・・・。
そんな事考えてたら今日一日家でじっとしてて気づいた。
悪露が今日一日ない。
ずっと生理ナプキン当ててたんですが、今日は汚れてない。
でも痛みはまだある。
産後ムリをすると更年期が辛いとか子宮脱になるとか調べてたら出てきたのでちょっと過敏になってるだけかしら?
kanaを出産して家に帰ってきてからのタメの反応ですが・・・。
かわいいと思うのか頭をナデナデしたりほっぺにチュッとしたり おむつを取ってくれたり・・・ 色々世話を焼いてくれる面倒見のいいお姉ちゃんしてくれます。
その反面
頭をナデナデする力加減が強かったり 順調だったトイレトレーニングが全くダメになってしまいました。
ひょっとして子供ながらにガマンしてる? と思ったのが退院して一日目の夜 kanaを寝かせて左側に置き、右側に居るタメが 「おかあさんの所に行っていい?」 と聞いてきた時。
なんだかいじらしくて可愛らしく、そして可哀想になってきて ギュッと抱きしめて眠りました。
そして決定的だったのが 今日タメの保育園の運動会でした。 運動会自体午前中で終了と短いものなのですが、タメは幼児組なので最初から保護者一緒で観覧し、踊りの出し物とかけっこが終われば運動会の最中でも部屋に戻るOR保護者と帰る 、とまぁこんな感じ。
最初っから私の足にまとわりついて席に座ろうとしない。 かけっこの準備の為に先生方が園児を集めようとタメの所に着た時には泣きじゃくって離れようとしない。 とにかくベッタリ。 始終まとわりついていました。 ベビーカーにkanaがスヤスヤ眠ってくれてる事が唯一の救いだった(汗)
一人泣けば甘えた病が伝染するのか「おかぁさん~」と泣く子がチラホラ。 タメもその一員で結局泣いてる子は保護者と走るかけっこになりました。
保護者と一緒に踊るお遊戯になるとタメもご機嫌でニコニコ。
見事な赤ちゃん返りにヘトヘト・・・。
早々にタメと一緒に帰宅し、11時から昼寝。 もう体を休めたい・・・。
3時間の昼寝のあと、このブログを書いてるワケですが、この間にも 隣の部屋で一度目が覚めたタメが 「おかぁさん~、おかぁさん~」 と泣きながら叫んでました。 抱きしめてなだめてもう一度眠りましたが 何を言っても三歳三ヶ月。 小さい体で色んな事考えているんだなって思いました。
お義母さんが本日大阪に帰ります。
2週間と短い期間でしたが、将来来るべきであろう「同居」のシュミレーションみたいでした。
出産を控えていた非日常なシチュエーションでしたのでプレッシャーや気を使う事が多く、めっちゃ疲れた2週間でした。 無事出産できた事もあり、入院生活がホッとする時間だったし。
でもね、プレッシャーを与えてくれたお義母さんもタメのいい遊び相手になってくれて大助かりだったんですよ。 お義母さんが居るという事で入院中も家の事一切心配しなくても良かったんだし。 入院3日目にしてタメが熱を出して保育園を休んだんですが、お義母さんが面倒を見てくれてたんだもんね。 魔の三歳児の面倒は私でさえ根を上げる時があるから元気だとは言え65歳のお義母さんには体力的にキツかったと思うもん。 今日電車に乗る直前に見送りに行くさとしクンの手からお義母さんに渡してもらおうと昨日お礼の手紙を書いた。 大阪で不自由な生活をしてたお義父さんに何か美味しいモノでも買ってくださいって小額だけどお金も包んで。 やっぱり最後には「感謝」の一言です。
だから退院後はなるべくお義母さんに赤ちゃんを抱かせてあげたり、自分が赤ちゃんを抱えこみ過ぎないようにした。 そうしたらね、ちょっと泣いただけで 「おぉ~ヨチヨチ」 ってすぐ抱っこ。 嬉しそうに何度も何度も抱っこしては赤ちゃんの顔を眺めてました。
生まれたての赤ちゃんを連れて名古屋駅まで電車で見送りに行く事はさすがに出来ず、タメとさとしクンに見送りを任せました。 お義父さんにも見て貰うため病院で撮った写真やタメの写真を何十枚かお義母さんに持たせ、手紙もさとしクンの手から渡りました。
本日午後から本当に家族四人+猫1匹の生活が始まります。
そうそう、赤ちゃんの名前ですが「KANA」になりました。
本日退院です。 さとしクンは仕事なので車の運転が出来ないお義母さんに頼む事も出来ず、実家の義妹に迎えをお願いしました。
ずっと気になってた入院費用。 当日の9時過ぎにならなければ分からないのよ。 だから病室に大金を置いておくワケにもいかず、義妹にお義母さんを迎えに行ってもらい、その足で二人で病院に来てもらう予定でした。
入院費用は二人部屋だったのでかなりお安く済んだ。 五日間で\398,000- タメの時は40万越えだったからなぁ・・・。 早速お義母さんに金額を伝え用意してもらい、義妹からも家を出てたという連絡を受けた。
病室で荷物をまとめてると 義妹からのメール 「おねぇん家に着いたけどピンポン押しても誰も出ない・・・自転車もないけどお義母さん居ないの?」
えぇっ!!
早速さとしクンに電話。 「義妹がお義母さんを迎えに行く事話してないの?!」 「言ってあるって、でも天気がいいから自転車で行ったかも?」
はぁ?
だったらわざわざ義妹に家に向かわせる必要ないじゃん!!
授乳時間が迫ってた為、一度授乳室に行き、義妹にそのまま病院に向かってもらうようにした。 授乳後、部屋に戻るとお義母さんの姿。
やっぱり自転車で来たみたい。 いちお義妹が迎えに行った事教えたけど 「天気がいいから運動がてら自転車で来たねん」
・・・・。 ちょっとイラッときましたよ。 マイペースすぎるっ!!
お金を受け取り支払いを済ませると既に病室に義妹の姿。 後で義妹にごめんって謝りましたよ。 私が居ない時にお義母さんが義妹に謝ったのかは分からないですけどね。
三人で家に帰り、しばらくお茶を飲みながらまったりし、義妹は帰り、お義母さんと過ごしました。
どうやら今度の日曜には大阪に帰るようです。
正直、ホッとしました。 産前から二人っきりで昼間過ごしていたので、産後は赤ちゃんも居る事だし、一緒に居る事が幾分か楽なんですけど、お義母さんが居て意味もなくゴロンと横になる事がしずらい。 本当に体がキツイと横になる事もぜんぜん平気なんですけど、私の体調も産前と変わらず普通に歩けるし、普通に生活できる。 重いものとか持つ事とかはさすがにムリなんですけど家事くらいならヘッチャラなんですよ。 自分の体力と体調の良さにビックリしてるんですけどね。
ムリしてる訳じゃないんです。
普通に生活できるもんなぁ。
私って頑丈???
赤ちゃんの授乳は3時間おき。 一日に8回授乳室で行われます。 タメの時は個人クリニックだからか、おむつ、ミルクも1パックづつ与えられ個室・母子同室だったので授乳・おむつ交換、全て自分の部屋でやりました。 でも、総合病院だからなのかミルクも授乳室に既に作られており、必要な分だけ持っていく。 おむつも所定の場所にあり、必要な分だけ持っていく。って感じです。 エステ、お祝い膳など余分なサービス一切なし。
病院から貰ったものはお産に使うパット、クリーンコットン、授乳用ブラ、産褥ショーツ、おしり拭き、母乳パット1組、臍消毒セット。 あと、栄養指導で試供品として小サイズのミルク缶貰ったくらい。
ま、そんだけだからクリニックより比較的安く済むんかな?
経産婦にはありがたいけど、初産の人には哺乳瓶とか欲しいよねぇ。 クリニックだったら貰えると思うんだけど。
授乳時間の授乳室は満員御礼。 さすが出産ラッシュ。 15人は常時居ました。 退院ては出産で入院。 毎日繰り返しみたいです。
同じ日に出産したのは同室の子以外に2人程いるらしく、もう一人の子とも友達になり連絡先を交換しました。 後になって判明するんですが、このもう一人の同日出産のこの子。 私が高校生の時、お好み焼き屋でバイトしてた時 一緒にアルバイトしていたおばさまの娘さんでした。 実家の場所聞いて、もしやと思って聞いてみたらビンゴ!!
いやはや・・・世間って狭いですね。 びっくらこいたって。
経産婦は初産婦より一日入院日数が短いので明日退院日となります。
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