最強の星の真下

2002年12月31日(火) エンピツ日記に。

占いによると、私は現在天中殺の最中らしい。
再来年くらいまで続くとか何とか。
・・・2003年がいい年だといいなあ。


今年は、この日記を書き続けた。
勿論書いていない日も多々あるが、まあ続いているのだから「書き続けた」と言って良かろう。と思う。

随分書いたものだと我ながら感心。
・・・とはいえ、自分の書いた日記を読み返したりする事は殆ど(全く!)ないのだけれど。

このエンピツ日記には投票機能が付いている。
他の人の日記を読んでいると、たまにこの投票機能について言及している事がある。自分の日記に自分で投票する人もいるらしい。
私は、他の人の日記(文章)を読んでいて、「うん、そうだね」「頑張ってね」と思った時に押す。こういうボタンって、いいなあ、と思う。
掲示板に書き込むのが苦手で、でも何となく自分もエールを送りたい時。ちょっとした気持ちの表現方法があるって、いいなあ。

このエンピツ日記には更新時刻を表記する機能が付いている。
ああ、この人はいつも忙しいのだなあ、とか。家事の合間を縫っての更新かしらん、とか。色々と想像するのも楽しい。

このエンピツ日記は背景やフォントを好みの形にすることが出来る。
おお、この人は随分とHTML等に詳しそうだ、とか、センスがいいなあ、とか、文章以外の情報も豊かで楽しい。

このエンピツ日記にはカウンタ機能が付いている。
私は自分の日記の表紙にはロクにアクセスせずエンピツのHPから直接日記編集画面に飛ぶので、ごく稀にみるカウンタの数は、殆どが私の日記に来た誰かの足跡だ。人目を気にして書いている文章では無いだけに、こういうのは何となく嬉しい。
・・・人目を気にしていたらこんな下手な文章を書き散らせない。でも考えた事を書いておきたい時。「ねえねえちょっと聞いて」と、誰かに言いたい話がある時。アンネのキティの様に、「誰か」にここに居て欲しい。
どこかで誰かが、「うんうん」とか「それ違うし」とか「嘘~」とか、内心で何かしらの突っ込みを入れているかもしれない。どこかで反応している人がいるのかもしれないと、想像すると楽しいし嬉しい。

この日記サイトには、日記の数だけ、色々な人がいて、色々な事を思っている。
そしてそれを表現する場がある。
とても素敵だと、思う。



来年も、宜しくお願い致します。



2002年12月29日(日) 年賀状作成講座閉講。

パソコン教室その後。

裏面の印刷までは何とか母自身にやらせることに成功した。
宛名は、微調整が少々面倒なのでついつい私がやってしまったのだが。

しかし母としては、今年も自分の年賀状を娘に作らせようという目論見だった筈なので、かなり不本意な結果と推測される。
ああ、えらい目に遭った・・・という表情である。


数日前。
「年賀状まだ作らないの?」
「・・・忘れてた。まだ年賀葉書も買ってないわ」
「あらまあ、いつも用意周到だからもうさっさと買ってると思ったのに。私余分に買ってないわよ」
「ついこの間までクリスマスカード書きに追われてたから。まあこれから買うからいいわよ」
「で、年賀状はいつ作るの?」←勿論母の分の事を言っている
「・・・暇無いんだけど」
「え~それだったら業者に頼んじゃえばよかったわ!」

・・・お母様、あなた鬼ですか?
この年末年始休暇は絶対休日出勤しない決意でしゃかりき働いて午前様になっている娘捕まえて、言うことはそれだけですか?

「でも暇無いの」←頑固に言い張る
「・・・じゃあパソコン貸してくれたら自分でやってみてもいいけど・・・?」←単なるデモンストレーション。私がパソコンを貸すわけがないと高をくくっての言葉。単に早くやってよ、の意を篭めた催促である

ふっ。甘いわよ、お母様!暇がないから教える暇もないに違いない、と?
私がそんなデモンストレーションに引っ掛かると思って?!

「あ、そう?じゃあやってみる?」
「・・・でも私パソコンの使い方解らないわよ」←まさか本当にやらせる訳がないと思いつつ怖じ気づいている
「そう?大して難しくないんだけどねえ」

翌日のお昼休み。
即、簡単作成なんとかソフトを購入。・・・帰りはもうお店開いてないし。
帰宅後さっさかパソコンをリビングに移動。
外堀は既に埋まった!さあお母様覚悟して頂戴ね~。

連日帰宅後夕食を食べながら、母の横でパソコン指導。
教えるだけなら、口さえあれば出来るのだ。


私の教え方はスパルタ式である。
たまに飴を与え、後は鞭の連続。
以前はこれでお金を貰っていたのだ。講師数十人の中で3本指に入る評価も貰っていた。私の教え子で成績が上がらなかったのは、物心つく前の小1の子1人だけ。教えるのなんて朝飯前、昔取った杵柄なのである。


そして年賀状を印刷して速習パソコン教室は終了した。

「パソコン壊しそうだからもうやめておいた方がいいみたいね~」
「別にこのパソコンは壊れてもいいわよ。修理に出せば済む話だし。壊れて困るパソコンは初めから触らせないから大丈夫」
「でもねえ・・・」
「あ、年賀状作成の仕方を忘れないうちに自分の暑中見舞いの葉書デザインも作っておいてね」

トドメはいつでも忘れません。



2002年12月27日(金) パソコン教室。

寒い。

・・・というと、
冬は寒いものだ。寒い寒いと言うから余計に寒いんだ。
と幼い頃よく父に言われたものだ。

南半球は冬は暑いはずだし、暑いと言ってみたって気温が上がる訳でもないし。
私もよく言い返していたものだ。

・・・思えばかわいくない子供時代であった。


閑話休題。
もうすぐお正月なのだから、寒くて当然の季節なのである。
大掃除。・・・は、まあこれから頑張るとして。
3日前まで忘れきっていた年賀状作成を、母に催促されてようやく思い出した。
そして只今即席「超初心者パソコン教室」開講中なのである。

パソコンを、運ぶために触ったことならあります、な初心者に対し、いきなり年賀葉書作成コースである。
簡単作成年賀なんとか、というCD-ROM付き葉書作成本を何冊か購入してきた。連日帰宅後びしばし指導。
(まあ時間もないので、住所録だけは私が作成入力したのだが)

そして知った事実。
パソコン初心者が、「クリックって何?」「カーソルって何?」「OKってどこ?」「消すときはスイッチを押せばいいんでしょ?」等と口走るというのは本当の話であった。
・・・いや別に疑っていた訳ではないのだが。
これらのうちのいくつかを聞く程度なんだろうな~とか。思っていたのだが。

読んだり聞いたりした事のある「初心者の質問事項」を、母は全て聞いてきた。うわあ。
しかも2度も3度も4度も聞く。

コードが一杯一杯に伸びたマウスを、カーソルが届かない!と言って更に引っ張ろうとする。
壊れるから止めて下さい。

マウスを置き直せばいいのだと言うと、今度は空中で動かす。空中で動かしながら、矢印が動かない!と騒ぐ。
・・・申し訳ないけど、これ安物マウスだから、空中で動かしても操作出来ないんですよ。

保存って書いてあるボタンを押して、というと即座に、保存って何処?・・・人に聞く前に画面を探して下さい。画面の文字は少ししかないでしょうに。

指一本で文字を探しながらローマ字入力。
昔はタイプライターだって使ってたんだから!と以前威張っておられませんでしたか?でもまあこれくらいは仕方がないけれども。

Deleteって書いてあるキーを押して文字を消して、との言葉に、エリート?ってどこ?・・・聞き間違いは仕方ないです。でも3回も同じボケは通用しませんよ。

クリック後すぐに、動かないわよ!と騒ぐ。そして何度も何度もあちこちクリックする。あああ。大変申し訳ないけど、これ2年以上も前の安物マックンだから、処理遅いんだよねえ。それもOSX乗せてるし。しかもパーテーション切ってOS8まで入れてしまっている怖ろしい代物だ。押したら即表示されるとか思わずに、すこーしだけ待ってくれませんか。ホンの3秒かそこらの辛抱です。
というより、壊れても諦められるパソでなくては怖ろしくて触らせられない。
今のノートは絶対触らせないぞと改めて固く決意。

かと思えば、クリックもしていないのに、これは今考え中なのよね?と、じっと画面が変わるのを待っている。お母様。考え中なのはパソではなくあなたです。待っていても画面は変わりません。指示を出してやって下さい。


・・・・・・前途多難。

しかしここで何とか母を、パソコンを使えなくもないかもしれないような気がするかもしれない、程度までにレベルアップしておかないと!
そして来年は言うのだ。「自分で出来るでしょう」
依存心旺盛はそろそろ卒業してください、お母様。
さあ!頑張りましょう!明るい未来はあなたのものですよ!



2002年12月24日(火) 遭遇の昔話。

また風邪を引いた。

周囲が風邪満開なのが良くないのだと思われる。
熱風邪だったり鼻風邪喉風邪各種取り揃えられている。
こんな選り取りみどりは勘弁して欲しいなあ・・・。


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今までに遭遇した人の話その○(←いくつ目かもう忘れた)。

中学生の頃の話。
早朝、珍しく家の近くの通りにある自動販売機に、ジュースを買いに行った。
定期試験の勉強で煮詰まっていたので、気分転換だった。

私の通っていた学校は二期制で、3期制の公立と違い科目数内容共に試験範囲が膨大だった。定期考査では12科目から14科目を4日で試験される。
しかも何れも試験範囲は1年間で勉強する範囲の4分の1から3分の1くらいはある。
しかも定期考査の回数が少ないという事は、必ずしも普段が楽という事には繋がらない。
平日6コマある授業は毎回飛ぶように進むので、とりあえずその場凌ぎでも何でも授業に付いていく為の勉強が必須だ。
そして試験前はその場凌ぎで忘れた知識を総復習して頭に叩き込み直すのに猛勉強。

後に塾の講師をやり、公立の中学校の生徒の定期考査試験範囲を見た時は、あまりの少なさに呆れた。
5科目と8科目って何よ。しかも教科書とワークしか試験範囲に入らないって?レジュメや資料集は無いのか?
それに他の科目は勉強していないのか?試験は無いのか?!
宗教が無いのはまあ仕方がないとして、音楽史は?楽典は?英会話は?技術家庭は?グラマーは?理科Ⅰ理科Ⅱは分かれていないのか?数学が一つってどういうこと?美術は試験が無いのか?保健体育は?

弟はこんな楽な試験を受けながら私が試験で四苦八苦しているのを馬鹿にしたのか。後から判った新事実。
当時は、こんなに大変な定期試験を楽にこなしているなんてうちの弟は随分賢いのだと、結構本気で信じていたのだが。騙された。
道理で、私立の高校に入学してから試験の度にピリピリと人に八つ当たりをするようになった訳だ。3期制だったのにねえ。なるほど。


閑話休題。
とにかく明け方まで試験勉強をして、頭がオーバーヒートしたので早朝ジュースを買いに家から5分ほどの通り沿いの自動販売機まで歩いていった。
自動販売機の前でトラックが止まった。
ジュースを買ってさて帰ろうと踵を返したところで運転手のおじさんが降りてきた。
ジュース買うのかな?歩き出しながら眺めていると、私に話しかけてきた。
「ちょっといいかな」
道でも聞くのかしらん?
「何ですか?」
「ちょっとお兄さんと遊ばない?」
「・・・。おじさん知らないんですか?東京ならともかく、神奈川県には青少年保護条例があるんですよ」
「・・・?」
「ここで私みたいな子供相手にそんな事言ってると捕まりますよ。じゃ、失礼」

とっとと家に帰ってきたが、早朝の爽やかな空気が一瞬にして薄汚れた一事であった。

正確には、『青少年保護育成条例』。条例なので、規定は規定だが拘束力は実に弱い(はず。うろ覚え)。
まあ強要されれば傷害罪だ。問題なく犯罪なのだが。

あの色ボケおやじ、何を言われたのかいまいち理解出来ていなかったようだが、ああいうおやじがバブル時代になってから子供を平気で買ったりしたに違いない。私はそう確信するね。
あの時既に梅毒で頭までイカレていたんじゃないか?全く。相手を見て物を言え!
ああいうのが父親になって倫理観念の欠片もない子供を育成するに違いない。
またはああいうのが性犯罪で女性を山に埋めたりするに違いない。


・・・落ち着いていないで、騒いで通報しておけば良かった。



2002年12月19日(木) 人の親切。昔の話。

郵便局に書留を取りに行った。
家の最寄りの本局が変更されていたので、その郵便局に行くのは初めてだった。
迷子になった。

・・・どうして駅から随分歩く、駅と駅の中間地点にあるような郵便局を本局にするかなあ。
前は駅前だったのに。

夜道を迷子になりながらたどり着いたので、帰り道も判らなかった。
窓口の人に、どちらの駅の方が近いのか聞いた。

○△駅ですよ。

教えてくれたのはいいが、郵便局の何処にも地図が置いていない。
とりあえず郵便局を出たものの、・・・どちらに向かって歩けばいいのかも判らず途方に暮れていた。
もう一度局員さんに聞くか・・・と戻りかけた時。

駅まで行くの?

窓口で私の後ろに並んでいた見知らぬ小母様が声を掛けて来た。

はい。
なら通り道だから車に乗せていってあげるわ。

何て親切な小母様!

えっ!宜しいんですか?
いいわよ、同じ方向だから。

・・・ありがた~くその親切に甘えさせて戴いた。
真っ暗な夜道を熱でふらふらしながら迷いに迷ってたどり着いた郵便局だったが、思いがけない親切に感動した。
小母様ありがとう!



私は暗所が苦手だ。
真っ暗で光がない場所が、もう全く駄目だ。
暗所が怖いというより、真っ暗な光のない場所に一時も居られない。
恐怖心が湧く以前に、生理的に駄目なのである。

勿論理由も解っている。
以前道端で通り魔強盗に遭ったからだ。
暗くなったばかり、冬だったのでまだ随分と早い時刻だった。
後ろからコートを被せられ、視界が真っ暗で両手の自由もコートで拘束されたまま、犯人と格闘した。

金を出せ!静かにしろ!大人しくしないと刺すぞ!

暴れる私を犯人は脅したが、両手で暴れる私を押さえ込もうとしているのに、刃物を出せる訳がない。暴れるのを止めたら却って刃物を出す余裕を与えてしまうではないか!
大人しくするなど論外だ。犯人が両手で押さえつけようとしている間は私は無事のはずだ。
咄嗟にそう判断して暴れ続け叫び続けた。
路上からすぐ傍の団地の敷地に引き摺り込まれたが暴れ続けた。

時間感覚は無かった。とても長いような気がした。短かったのかもしれない。ずっと真っ暗だった。

突然、犯人が拘束を緩めた。
瞬間、刺されるのを覚悟した。
身を捻りながら無我夢中で視界を確保するためコートを剥ぎ取った。
多分あの時、本能的に、向かってくるだろう刃物に備えたのだと思う。

すぐ目の前に犯人の顔があった。
と認識した瞬間、犯人が逃げ出した。
人の声がした。団地の人だった。

助かったと理解した瞬間、恐怖からパニックに陥った。

後でその団地の人に聞いた話によると、最初は路上での男女の喧嘩だと思ったらしい。随分酷い喧嘩だし長いしと、様子を窺おうと窓を開けてくれたお陰で私は助かったらしい。
暴れ続けるべきとした判断は、正しかった。

その団地の人、恩人さんが警察を呼んでくれた。

落ち着いてからの警察の事情聴取に、暴れ続けた理由に加え、犯人は常習で慣れていると思う、という事も言った。犯人の手は、汗ばんでもいず、暖かなままだったから。
緊張状態では、手は冷える。
数ヶ月後に捕まった犯人は、何件も路上強盗や住居に侵入しての暴行、強盗傷害を繰り返している、常習犯だった。

襲われた時、どうも私は冷静だったらしい。神経伝達が鈍いのかもしれない。
警察の人には、こんな被害者は初めてだ、と表情に迷われた。

まあ正しい判断ですが、大抵は恐怖で身動き出来なくなるんですがねえ。(←何となく理解しがたいものを見るような表情)
そうですか。(そんな事を言われても。咄嗟にした判断なのだし。)
何か武道でもやっておられたとか?
いいえ。
・・・そうですか。(←ますます範疇外のものを見るような顔)こんな目に遭うのは初めて・・・ですよね。
そうです。
・・・・・・そうですよね、勿論。(←何かを飲み込み損ねたような顔)

終始、「被害者である私に同情しているのだが別のところで理解不能」というような顔をされた。
いや、気持ちは解らないでもないので別に警察の人に悪印象は無いのだけれど。とても親切だったし親身な対応をしてくれたのでとても安心したし。
自分でも、何でこんなに落ち着いているんだ、そんな場合か?!と内心突っ込みを入れないでもなかったし。

暴れ続けた筋肉痛は、5日程で消えた。
叫び続けて嗄れた喉は、10日程で治った。
打撲による痣も、2週間程で無くなった。
こんな被害者だっただけあって、日常に戻るのは割と早かった方ではないかと思う。


あれから10年になる。
夜道も平気で歩けるけれど。



2002年12月16日(月) 微妙に衝動買い。

ふふふ。
風邪でダウンのためこんな天国の様な時刻に帰宅。

早く帰途についたので、途中でちょーっとだけ寄り道をした。
ヨドバシカメラに寄り道をした。
私はヨドバシが大好きだ。買おうと思ったドライヤーは売り切れだったけど。

ホームページビルダーの一番新しいバージョンを買った。
別に今日買う予定ではなかったのだけど。でも年内にホームページ作成ソフトを買おうと思っていたからいいのだ。
・・・しかし本当は購入はあれこれ比較検討の上、と思っていたのだけれど。
ちょうど店頭でデモンストレーションをやっていたから・・・質問したらお姉さんが丁寧に解りやすくあれこれと操作して見せてくれたから・・・便利だなあ、と思って、つい。「デジカメの達人」というソフトと抱き合わせの(高い)方を買ってしまった。
いやあ店頭デモって効果があるなあ。
・・・まあ世間一般で言うところの衝動買いというやつである。
ふ。熱が全ていけないのだ。

以前はMacユーザーだったので、初ホームページビルダーだ。
色々な機能が付いているらしい。若葉でも大丈夫らしい(←これ重要。たとえパソ歴20年近くても、若葉は若葉!)。
こういうおもちゃは大好きだ。
これから体力と相談しながら遊ぼう。


でもまあ今日はとりあえず寝よう。



2002年12月15日(日) 税金についての愚痴再び。

う~む。
一晩だらだらと汗を流して少し熱が下がった・・・かな。
昼過ぎからまた汗が出なくなって熱が上がりだしたけれど、昨日よりはずっとましな状態である。

明日はフレックスで帰りたいなあ・・・。
しかし英会話のテストがあるから、どのみちフレックスオンタイムでは帰れない。
担当製品関連のミーティングも2件ある。午前中にやってくれるといいのだが、まあ期待するだけ無駄だろう。

・・・良くて定時か・・・。


金曜日は、季節給与日だった。
「賞与」ではなくて給与。年俸制だから。
それなのに明細書に「賞与」と書かれていたのがちょっと嫌な感じである。
いや、明細書等はアウトソーシングしているから、業者さんのやっていることなのだけれど。
正当な給与を「賞与」と言い換えられるのは何となく理不尽な気がする。それも余所の会社から「賞与でしょ」と決めつけられるのは益々嫌な感じだ。
ボーナスじゃないのに。

給与明細が配られる日はいつも憂鬱だ。
何が憂鬱って、自分が1月から払った税金額が明細書に記載されているのが一番の原因だ。

http://www.taxanser.nta.go.jp/2260.HTM

↑ここに行くまでもなく、自分が払った税額を月に一回認識させられる。
しかもその私の税金が無駄遣いされていると思うと、もうこれが憂鬱にならずにおられようか。
いやまあ、明細書に書いてなければ自分で調べて憂鬱になるだけなのだが・・・。

ああ勿体ない。
ロクでもない事に遣うためにこんな大金を私の血と健康と涙を搾って得た所得から当然のような顔をしてピンハネするなんて。
勿体なくて涙が出る。
こんな事を政府が堂々とやっていたら、労働者なんてそのうちいなくなるに違いない。一労働者からピンハネして無駄遣いするには過重過ぎる程の大金だ。
今に見ろ。共産主義はそれで傾いたんだからね。



2002年12月14日(土) 風邪。

熱発。

久々のせいか、大した熱ではないのに随分と身体が怠い。
脳味噌まで怠い感じがする。


戦争が着々と近付いて来たらしい。
軍需産業はさぞや笑いが止まらなかろうな。
想像すると、怠い脳味噌が沸騰する。
何が腹立つって、後背の安全地帯で人を死なせるために戦地に送り込もうとしている、私は正しい、という顔をした人間の屑の殺人者達がいることだ。
それらの存在が、とにかく腹立たしい。


・・・だめだ。怠さ限界。とりあえず寝よう。



2002年12月13日(金) 二安心。強さについて。

良い事があった。
友人の具合が軽快し始めた。病気の最大要因が消えたのだ。
本当に良かった。真っ先に知らせてくれてありがとう。

バランスが微妙な、危うい感じもほとんど消えていた。素人目ながら良い兆候のように見える。
でも、同じ状態に落ち込んだらまた再発するのでは大変だ。根気よく治していってくれるといいなあ。

「桂蘭さんくらい強くならないとね~ってうちの母にも言われたんだよね。桂蘭さん見習わないとなあ」

・・・・・・。一体どういう認識を小母様は・・・?私何かしただろうか・・・図々しい事とか。あ、遠慮はしない方かも。
思い切り不安になり、思わず今までの小母様とのお付き合いを必死に回想してしまった。

思い当たることはないというべきか、思い当たることだらけというべきか、悩むところだ。

・・・まあいいか。礼を失した行動をとっている訳ではないようだし。小母様はそういうところには容赦のない方だからありがたい。お付き合いが続いているという事は、まあさほど失礼をしてはいないと判断して良いだろう。



ちょうど良い機会なので、人の「強さ」について思うところを書いておこう。

自分が強いか弱いか。そんな事は私にとってどちらでもいい。大した事ではないのだから。

他人の判断に口を出して、「それは違う」とか「その通りだ」とか、そんな事をわざわざ言い立てても、そんな事に何の意味があるだろう。
人によってどう感じるかは違うだろうし、それはそれぞれの人がそれぞれの目で見て、それぞれ判断することだ。
人の「自分像」が自分の認識と異なっていたところで、自分が変わる訳ではないのだから。

自分の認識にしたところで同じ事だ。
自分が強い、と思ってみたところで弱い自分が強くなる訳ではないのだし、自分が弱い、と思ってみたところで強い自分が弱くなる訳ではない。
「強さ」は絶対値でもあり相対値でもある。

今の私が強いか弱いかは知らないけれど、どう言ってみたところで現実の私が変わる訳ではないのだ。
自分で思いこんで自己暗示をかけたとしても、私の強度に本質的な変化がある訳ではない。

私の強度を変えるのは、私の努力のみだ。
他人と関わる事で変わることだって、勿論あるだろう。しかしそれは他人に感化され、自分をこのようにしよう、と思うからこそ変わるのだ。努力はそこにも存在する。

・・・でも本質はどうだろう。
変化するのは強度だけで、本質は変わらないものだと私は思っている。
あと50年生きたら意見が変わっているかもしれないけれどね。



2002年12月12日(木) 一安心。

やっと海外分のカード書き終わった~。間に合った。後は投函すればいいだけ。

いやあ長い道程だった。
締め切り(クリスマス前に届く最終期限)前になるまでやらないからこんな事になるんだな・・・解っちゃいるのだけど。
文章を英語で書かなくてはならないというのも致命的だったな。
しかも、微妙にカリグラフィーの雰囲気を出すためにカリグラフィー用カラーペンで書いていたのも、遅延の一因だな。

今週は、帰宅後延々カードを書き続けていた。と言っても3時くらいでダウンしていたけれど。
意外に時間が掛かったのが宛名と差出人住所書き。
パソコンで宛名シール作る方がきっと楽だ。
同じ住所が何枚も何枚もあるのだから。
が、しかし。外でも電車の中でも書けるというのが手書きの強みだな。
・・・シールを買えるような時間に帰っていないというのが真相だが。
しかも印刷できるような時間に家にいない。音がうるさいから夜中は印刷出来ないし。

さてこれで安眠出来る。
明日は切手選びだ!



2002年12月11日(水) ぼやき。希望。

疲れた・・・今週ずっと午前様。でもまだ水曜日か・・・。

昨日も今日も早朝からミーティングだった。こういう日は5時起き。
そして今日の午後は病院で6時間ほとんど身動きせずに立ちっぱなし集中しっぱなし。
動き回らないで立っているのは、かなりしんどい。脚のむくみが洒落にならない状態である。
休みの後は余計に疲れを感じる。

いやあ年末だなあ。
って、私の仕事は年末なんて全然全く関係ないのだけど。関係ないはずなのだけど。

仕事の効率ががた落ちになっている気がする。あまりに仕事が山積みのままなので。
でもよく思い返してみると、終わらせた仕事の量もちゃんと(小さいながらも)山になっているので、進まないのではなくて、単に多いだけだと分かるのだけど。
終わった山の分量と同じかそれ以上のペースで次が来るのは、ちょっと凶悪だ。
こういうパターンだと、無力感をひしひしと感じてしまうではないか。

私、マラソンは好きじゃないのだけどなあ。(←自分で走る場合)

でもまあ、精神状態は、先月よりも良い。
というのも、ささやかながら良い情報が耳に入ったから。確定情報ではないが。
来年は、今の直属上司から半分くらい解放されるらしい。やった。
何故半分なのか・・・?今の上司が手放そうとせずゴネているから。

次の(半分の)直属上司候補は、部署内で2番目に犯罪者な人だ。2番目だって1番の犯罪者よりはずっとマシだ。そうなったら今より忙しくなるだろうけれど、それでもマシだ。
実現してくれることを、切に祈るのであった。

・・・こう書いてみると、本当~に僅かな改善のような・・・。
いやいや、改悪される事を思えば、ずっとずっといい。


もう眠いのだか眠くないのだか、よく判らなくなってきた。


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本日帰宅途中に声を掛けてきた人。
白髪頭の、年の頃60くらいの勤め人らしきおじさん。身なりは普通。スーツにコート。
いきなり、
「どこか遊びに行く?」
・・・。勝手に何処でも行けば?
ちょっとすみません、も、そこのお姉さん、などのかけ声も無し。
人に声を掛ける手順も知らないのか。いい年をして。
せめて「どこかに遊びに行かない?」と聞けないのか。そんな会話スキルでは、さぞや対人関係悪いだろうな。

当然無視したが、気力絞り尽くして荒んだ気分だった私の内心の声。
帰って寝ろ、じじい。
気が荒むと人間、どこまでも落ちますな・・・。反省。気を付けよう。



2002年12月10日(火) カード書き停滞中。

うむむ。
クリスマスカード書きが捗らない。マズイ。
間に合わないかもしれない。焦ってweb検索をかけた。

「国際郵便局」(だったかな?)のサイトに、宛先別のクリスマス郵便最終期限リストが載っていた。

そして知った事実。
亜米利加は他の国より締め切りが早い。
くう。こんなところでテロの被害を被るとは。
恐るべしテロリスト。
許すまじ、テロリズム。
あらためて再認識したひとときであった。

などと言っている暇に、カード書け桂蘭。
解ってはいるのだが、でも英語だから筆が全然進まない。

そういえば明日は英会話講座のレベルチェックがある。
ふと振り返ってみれば、転職以来、何とか英会話スクールやら講座やら、よくも続いたものである。よろよろ継続もうすぐ1年半。
継続は力なり。多分。

来年はきっと、すらすらカードが書けているに違いない。と信じよう。



2002年12月09日(月) 首都圏雪の風景。

さ、寒い・・・。
寒い~。寒いよ~~。
大雪だし。我が家の庭には7cmくらい積もっているし。
月を間違えているんじゃなかろうか。は。もしかして時差ボケか?!


今日はきっと首都圏に怪我人でたね。ニュース見る暇も無かったけど、もう賭けてもいいね。絶対怪我人が出てる。

こんな雪でも、裏がゴムではない(つまり雪仕様ではない)ハイヒール履いて出勤しているお姉さんがゴロゴロいたからね。
こんな雪でも、裏がゴムではない(勿論雪仕様ではない)革靴履いて出勤しているおじさんがゴロゴロいたからね。
怪我人出ない方がどうかしている。

雪仕様でない靴を履いている人をカウントするより、雪仕様で外に出てきている人を数えた方が断然早いのである。
たとえ長靴を履いて家を出てきたって、家の最寄り駅で普通の靴に履き替えるのが都心の通勤者の心得である。そして長靴はコインロッカーに放り込む。
中学高校時代から、私の同窓生は大雪の時は皆そうしていた。若しくは学生の特権で初めから運動靴を履いてくるか。
長靴で都心まで来るのは論外だった。

今日は長靴履いて都心まで出てきているおじさんを1人だけ見掛けた。
昔風の膝までの黒のゴム長靴。
・・・売ってるんだ・・・。
いや、魚河岸の人は履いているから、勿論何処かでは売っているのだろうけれどね。


何故通勤人が普通の滑る靴を履かなくてはならないかというと、首都圏では、裏がゴムでしかもおしゃれ系の防水靴を殆ど売っていないから。なのである。
北国は、冬になると靴屋さんのラインナップは殆どゴム裏に切り替わるし、デザインも多彩で通勤に使えそうな靴も多い。
でも首都圏に、壊れやすい1シーズン消費型のゴム底おしゃれ靴は馴染まないのだよね。雪少ないし。
そしてみんなして(言葉通り)命がけでツルツル滑る事になるのだな・・・。
それがおしゃれの心意気でもある・・・のかもしれない。
でもまあ、今日見掛けたお姉さんのピンヒールミュールはいくら何でもどうかと思うが。寒そうだし。

しかし雪国のゴム底パンプス、いいなあ。1シーズンで壊れるからか安いし。今度冬に雪が積もる地方に行って、靴を買って来たいなあ。



2002年12月06日(金) 日本語会話。

昨日旅行から帰って来た。疲れて眠って眠って眠った。

帰国した途端に仕事の事を思い出し、早くもブルーになっている。
・・・山のように仕事が溜まっているだろうと想像するだけで、もう気力が尽き果てる気がする。
憂鬱だ。

旅行は・・・「疲れた」の一言。3日目から、精神疲労でお腹を下した。
下世話で落ち着きが無く小心者で見栄っ張りの自己中心な英語どころか日本語すら不自由な母を連れての旅行であれば、まああんなものでしょうな。
予想範囲内で良かった。



今回、異国の人の辿々しい日本語を聞いていて思った。
布哇には日本語・・・というか日本語会話が汚い日本人観光客が多い。気がする。

いや、異国の人の日本語会話が綺麗だったという訳では全くないのだが、異国の人が覚えて使う口語が汚い言葉だと何となく目立つので、そこから日本人の口語に注意が向いたのだ。

斯く言う私も、決して美しい口語を話している訳ではない。
自覚は大いにある。
口から言葉が出た瞬間に、「あ、今のは乱暴な言葉」と思う。
学生のような言葉を使うのはいい加減慎まなくてはいけないなあ。と思うのだが、なかなかこれが抜けないのだな・・・気を付けよう。

語尾が途中で消える。
(例:「これはあんまり・・・」あんまり・・・何だ?!と自分が言われる側なら突っ込むだろう)

です、ますの文末で話していない。男言葉。
(例:「そうだね」「違うよ」ではなくて。「そうですね」「違いますよ」或いは「そうね」「違うわよ」でしょうに・・・)

などなど。

イギリス英語でよく言われる、話す言葉でクラスが判る、という話、あれは日本語でも勿論当てはまる。
日本語の日常会話を聞くと、その人のクラスが一目瞭然だ。
たとえ気安い間柄で話している場合であっても、やはりクラスによって使う言葉が違う。

武家言葉、商家言葉など、日本でも昔からクラスによって使う言葉が違うのは当然だったのに、現代でも、少々不明瞭にはなってきたが歴然と使う言葉が違うのに、いつからそういう事が表立って言われなくなったのだろうか。
言われなくなったのは、クラスによって言葉が違うという認識が薄れた所為なのだろうか。
しかし今の時代だって、話している間に、その言葉で、何となく自分と近いクラスか、かけ離れたクラスかを判断しているはずだ。

異国の人は日本語会話を習得する時、どのクラスの日本語会話を身につけたいのかを果たして意識しているのだろうか。
そういえば、ケント・ギルバート(だったかな?)は綺麗な日本語を話していたような気がする。
とあるテレビ番組の“ファニエスト英語何とか”というコーナーの進行兼教師役の外国人は、微妙に綺麗になりきれない日本語を話している。
そういうクラスの言葉を、意識して習得しているのかしらん。


話し言葉って奥が深い。


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桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

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