風が強いと、無風の時より疲れる。 当たり前の事なのだけれど、ああ、やっぱり疲れるなあ、と実感した昨日今日。
風が強いと髪の毛がぶわぶわと舞い狂い、いつもに増して傷みが気になる。 ああ、散髪に行きたい。
今週は英会話がお休みなので、いつもの週より余分に仕事に時間を割ける。 本当は「いつもより早く帰れる」と言いたい。
あ。 そういえば、今年は英文法を強化しようと思ってwebの英語学習申し込んだのに、まだソフトのインストールもしていない。 もう1ヶ月経ってしまった。ああ勿体ない。
迷い中のハズの投資信託、今週はまだ値段のチェックをしていない。 放置モードでいるうちに売りのタイミングを逃しそうで嫌だなあ。
・・・ちょっとした合間に些末なあれこれをふわっと思い浮かべて、一日が終わる。 これが忙しい時のパターン。 仕事以外の部分の脳味噌フリーズ中。
でもこれももうあと半月だ。頑張るぞー・・・。
今日は道徳の時間なのである。
同じ部署に、あからさまな胡麻すりさんがいる。 40代のオジサン。 とにかく上の役職の人に媚びる。ご機嫌を取る。媚びる。ヨイショする。媚びる。猫撫で声で胡麻をする。媚びる。
それでも仕事が出来れば、「まあ人それぞれ組織での身の処し方は違うものだし、それはそれでいいんじゃないの」と思いもしよう。仕事が出来ればね。
ところが仕事はお粗末。自分の職務内容を把握していないのが私の目にも歴然で、一体その歳まで何をやってきたのかと唖然とする。
こういう人が目の前にいると、「胡麻を摺って擂り鉢磨く暇があったら仕事を覚えろ己を磨け!」と言いたくなってしまう。
しかも胡麻の摺り方が誰から見てもあまりにあからさまで、周囲からは軽蔑の眼差しで見られている。
そこまで胡麻すり人生を貫くのなら、せめて上手い胡麻の摺り方くらい学習してもいいのではないか?
何というか、あまりにも不器用な身の処し方で、気の毒ではある。 しかし、そこになんとはない卑しさも漂っているので、同情する前に目を背けたくなるのだ。
自分を客観視する視点って大事だなあと、思う。 自分を外側から観察する視点を持っていなくては、向上、改善の努力も出来ないのではないか?
この40代オジサンの場合は、自分の行動が周囲に「えげつない」と思われているかもしれない、という外側からの視点が全く無いので、胡麻すりスキルの向上もない訳だ。
自分を冷静に外から眺められない場合、「これはこうだったから仕方がない」とか「この時はこういう事情だったから仕方がない」と自分の弱点を自己弁護して満足し、弱点を弱点と認めずに済ましてしまうことになるのではなかろうか。 或いは、弱点の存在にすら気付かないかもしれない。
「弱点が無い自分」という自分像は、とても気分の良いものだ。 自分は完璧で、いつでもどんな時でも他人の方が間違っている。 自分の説は完璧、正論で、他者の言うことは屁理屈、戯言である。
・・・でも、そんな事は、有り得ないのだと思う。 誰でも、どんな説も、どこかが正しくてどこかが間違っている。誰かにとっての真実であっても、その他の人にとっての真実ではない。 誰でも、どこかが強くてどこかが弱い。
醜い自分は嫌だから。卑しい自分は嫌だから。 「弱点が無い自分」は無理だけれど、せめて「弱点の少ない自分」を目指したいから。
自分をきちんと見られる眼を、日々養わなくては。継続は力なり。
・・・何と言っても先日偶像の自分像が破壊されたばかりだ。 自分の事を棚に上げて他人の事を論っている暇があったら、己を磨け。 身近の反面教師に感謝して、我が身を省み粛々と努力しよう・・・。
今現在の迷い。 欧州関連の投信、売るべきかもう少し様子を見るべきか。
結構好調なので様子を見たいところだけれど、欲をかくとタイミングを失するかもしれない。
ユーロが上がり続けているのも、不安だ。こんなにユーロ高では輸出減で企業の業績が悪くなったりしないだろうか。
しかし3月の決算終わってからのユーロ高だし、今まだ各社決算報告している最中だし。次の半期業績の時期までは保つかな?
いやそういう動向は株価に事前に織り込まれるに決まっているからもっと早い時期に値が動くか。
いやいや、そんな時期まで持っていても、先なんてどうなるか判らないし。
欧州でSARSがどの程度伝播するかも不確定要素か~。亜細亜はもう大打撃決定だけれど。ああ、でも欧州、鳥インフルエンザも発生しているし。
・・・等々。この3日間、迷いの宮に入っているのであった。
「迷った時は静観する」と決めているので、ココロが決まるまで現状維持。
疲れている時は、この手の判断にも自分に都合のよい願望が色濃く反映されてしまうので、あまり良い結果にならないという事が最近解ってきた。 迷ったまま、「とりあえずこれでいいや」と選んだ事柄は、結構後から後悔する場合が多い。
しかしそうやって「とりあえず購入」して、「迷ったから静観」したために外貨売りの時期を逸した事もあったなあ。
と、過去の事のように書いているが。 損を確定したくなくて、いまだにその外貨を売らずに抱え込んだままだったりする。 高いときに買ってしまい、マイナスが少な目の時に静観して、今更に下がってしまったので、もうこんなレートで売りたくない。
・・・その千円のマイナスが嫌なのだ。お昼一食分。 金額が惜しいのではない。 多分、自分がタイミングの判断を思いっきり誤った、という事実が確定してしまうのが、少々悔しいのだ。素人なので。
投機の玄人さんだったらさっさとマイナスが少な目のタイミングで損切りして、仕切り直しに入るのかもしれないな。 いつまでも持っているとその分の資金が動かない。となると短期での利ざやも稼げないだろうし。
・・・まあいいや。まだ静観。
------- SARSについて、ふと思ったこと。
このウィルス、「流行しやすい地域」と「流行しにくい地域」が出来たりはしないのかな。
SARSの感染経路は飛沫感染がメインらしい。 としたら。言語(発声)が違えば、ウィルスの飛散度が違うのではないかなあ。
日本語の場合、そんなに大口を開けて話す言語ではないし、喉もあまり使わないし。 英語や北京、広東語などよりも飛沫感染しにくそうなイメージ。
まあ発症してゴホゲホ咳き込んだら同じだけれど。
2003年04月23日(水) |
メール上手への羨み。 |
そろそろ気力が・・・。
尽きたというより、気力があるのかないのかよく判らなくなってきた。
締め切りが近付くので時間が速く過ぎて欲しくはないのだが、週末は早く来て欲しいし。でもだがしかし。・・・と毎日思っているせいか、曜日感覚がずれてきた。 感覚って正直なものだなあ。
タイミング悪く、実にうまい具合に時期が重なって別々の5件についてそれぞれ雑務がうわーっと湧いて出てきているので、何だか頭が混乱しそうである。 こういう時こそ睡眠ですな。うむ。
それはそうと。 前々からちょっと思っていた事。
メールを書くのが得意な人というのが世の中には沢山いる。いやメールに限らず手紙全般に言えることだけれど。 そういう人達の書くメールや手紙は、読んでいても実に自然で好感が持てる文章なので、ああこの人は筆まめ、メール上手さんだとすぐに判る。
実に羨ましい限りである。 と同時に、とても不思議だ。
そういう人達は、沢山のメールを書くのに、どれだけ多くの時間を費やしているのだろう・・・?半日とか一日とか。メールに長時間を注ぎ込んでいるのだとしたら、凄い。
或いは、そういう人は文章が頭からさらさらと湧き出して、あっという間に格好よく手紙の形になるのだろうか。 もしかしてそういうのを「文才がある」というのか。
1本の私用メールを書くのに30分も1時間も掛かり、挙げ句の果てに構成も何も滅茶苦茶なものしか仕上げられない私にとって、「メールたくさん」は未知の世界である。
そういうの、いいな。楽しそう。 と思ったので、以前、努力(らしき事)はしてみた。慣れの問題かとも思ったし。
結論。これは才能の問題である。以上。
身も蓋もないところに行き着いた。
きっと私のメールを受け取る友人達は、「時間掛けずに書いたから支離滅裂なのね」と善意の解釈をしてくれている事だろう。 まさかそれが30分も1時間も唸った挙げ句に出来上がったものだとは思うまい。
・・・そう想像すると少し安心だけれど。 そーなの!ごめんねざざーっと書いたから!という顔をしておきたいというか何というか。ささやかな見栄。
「筆無精」というけれど。本当は、問題は「無精」にあるのではなくて、「筆下手」にあるのだと、そう思う。
だから何だということもなく。ただのぼやきと羨みなのだけれど。
少し前、とある日記で、メールをあまり書かなくなった、という話が出ていたので。 少しだけ、メール上手な人達に対する羨ましさが再燃したという話。
2003年04月21日(月) |
日本テレビの協定違反。 |
日本テレビの速報の話。
先日の誘拐殺人事件で、被害者が遺体で見付かった、という速報を、日本テレビが報道規制の協定解除前に流したらしい。 日本テレビがますます嫌いになった。
お詫び、とか、今後こういうことの無いように、とか。
これってそんな言葉で済んでしまう事なのか?
その行動から感じられるのは、「もう死んでるんだろ?ならルール破ってもいいじゃないか」という杜撰さ粗雑さ無責任さ人間性の無さ。
まだ遺体の身元確認も出来ていなかったというのに。
こういうマスコミの行動を見ると、万が一私の家族が身代金目的で誘拐されたとしても、警察に通報したくなくなる。
こんな報道のルール違反がもし誘拐された家族の命がある時に起こったらと思うと。 警察を信用して任せるなんて、そんな怖ろしい事を、果たして私は出来るのだろうか・・・。
遺体が見付かったとしても、それはもしかしたら別人かもしれないのに。それが元で本当に命を落とす事になってしまうかもしれないのに。 平気でこんなルール違反する報道に簡単に動向を嗅ぎ付けられるような警察に、家族の命を任せるのは、はっきり言って怖い。
報道の倫理って、何?
昨日は紀ちゃんの誕生日だった。
届かないけれど、ここからお祝い。 紀宮清子さま、お誕生日おめでとうございます。
私は天皇家フリークでは全然無いけれど。 でも紀ちゃんがご贔屓なので、誕生日だ、と、ちゃんと気が付いた年は、「誕生日に際しての紀ちゃんのコメント」をチェックしているのだ。
今年はこんなコメントだった。 http://www.kunaicho.go.jp/sayako/sayako-kaiken-h15.html
うんそうだね色々あったよね・・・。
天皇一家の人々が折に触れて発表する「1年を振り返って」といったコメントを読むと、自分が結構色々なことを日々に紛れて忘れてしまっている事に気付かされる。
ああ、そうだっけ。言われてみれば。
そんな小さかったり大きかったりのあれこれを、きちんと丁寧に拾って大事に持っていて、こういう時に皆に披露してくれるってこと、それってとても難しい事だと思う。 皇后さまがそういうのとても得意だけれど、紀ちゃんもね、きっと頑張って見習っているのだろうな。 二人とも何気なくやって見せているけれど、努力無しに出来る事じゃないと思う。 特に皇后さまのは、気配り気遣いの極致を見る思いがする。大変だろうな・・・。
こういうコメントなどを見ると、主義主張なんてそんなものはどうでもよくて、そういう論議とは無縁のところで、ただ、心から、頑張っている人を応援したくなる。
色々あるけれど、頑張ってね。届いてるよ。って。
ああ、私も理想の「気配りの人」になるべく、少しは努力しなければいけないなあ・・・。 しかし「気配りの人」への道は険しく遠いのであった。毎日挫折中。
とある書評サイトを気分のままに散策していて、宮城まり子さんの本の感想を読んだ。
宮城さんの本で、覚えの悪い私がひとつだけ、鮮烈に覚えている詩があった。
ねむの木学園関連のエッセイに出てきたもので、確か学園の子供が授業(?)の一環で書いた作文だった。 いや、作文として書いたものだったらしいのだけれど、それは既に一つの詩として完成しているような、そんな文章。 それを担任の先生が作文的に添削してしまった、という話。
もう15年以上も前だったろうか。 一度読んだだけだったのだけれど脳裏に焼き付いて、日常、ふとした折に思い浮かべる、たった3行程度の文章だった。
そう、ついこの間まで覚えていたはずなのに。 少なくとも昨年の半ば頃までは覚えていたと思う。 忙しくて、余力が無くなって、その後そんな文章を思い返す心の余裕も無く。
・・・今、最後の一行しか思い出せない自分が、とても嫌になった。
もう一度題名も判らないあの本を探すか・・・絶版だけれども。
探してもう一度覚えなおすかどうにかして思い出すかしなければ、ずっとこの小さな棘は抜けない気がするから。
2003年04月17日(木) |
投信の税金。先日の選挙。 |
昨日は自分像が音を立てて崩れたので、もう暫く自分の日記なんか読み返さない事にした。
たとえ何度も同じ事を書いていようと、その都度思い出している場面が違うかもしれないし、その都度感じ方も違うだろうし、「同じ」じゃないのだよね。
だから勿論、「これ前に書いたっけ・・・?」と考えて読み返したりなんかもしないのだ。心配になったりなんか、しないのだ。
いいんだ。自分の日記読むより他の人の日記を読む方が数倍楽しいし。
・・・別に拗ねている訳ではない。ないったら。
------------- 「ねっととれーでぃんぐ」の中間報告。
何か「ネットトレーディング」と片仮名で書くと凄くご大層な事をやっているみたいな気がするので平仮名の方が断然いい。
初「投信売却」をした。 プラス二千五百円なり。
・・・税金高い・・・。 千円以上も取られた。
買うときも手数料に税金つけたくせに売るときも利益に税金つけるなんて、まるでボッタクリバーみたいだ。 そこまでするなら損をした時に損金に還付金つけるのが人として当然ではないのか?
頑張って無いアタマ振り絞って猫の子預金運用して、やっと、「ちょっとだけ浮いた~!」と喜んでいる脇から、「はい、ゴクロウサン」と脳味噌も使わずにピンハネするなんて、汚い奴だ。
税金を意識するといつも無性に腹が立つ。
------------- 税金で思い出した。 先日の選挙の事を書き留めておこうとおもっていたのだっけ。
目を覆わんばかりの人材不足の知事選挙で、どうなることやらと思っていたのだけれど。あまりに人材不足だったせいか、却って候補者の背景をしっかり反映する結果になったみたいな気がする。
県知事選挙の順位、上位は随分と順当だった。4位を除いては。 当選者が確か「松下政経塾」出身の人。 2位が確か亜米利加の大学できちんと経済だかを専門に学んだ3党支持の人。 3位が病院院長だったかな。
2位の人が嫌われたのは、有権者の政党離れを反映したのかな。 1位は無党派となっていたけれど、父によると、本当は民社とかどこかその辺りの系列らしい(党の名前は忘れた)。
それにしても。1位も2位も、一応きちんと政治とか経済を学んだ人だったし、投票に行く人はちゃんと候補のチェックを入れているものなのだなあ。と思った。
斯く言う私も、新聞でチェックを入れたけれど。 しかも人の名前を覚えるのは苦手なので投票する人の名前のメモを持って行った。
さて義務は果たした。 これでまた次の選挙までいくらでも国の文句を言えるというものだ。 一安心。
今日は早めに帰宅。
ゆっくり出来る時間も多いし、と、ふと思い立って以前書いた自分の日記をいくつか拾い読みしてみた。
そういえば、書き始めた頃は「来年の今日これを読み返して云々」とか空想していたなあ。 全然実現していないけれどね。 いや、今日ちゃんと実現しているからこれでいいのだ。
などと思いながら読み返した自分の日記の感想。
・・・誰だコレ。
いや、言われてみれば確かにこんな事あったなあ、とは思うのだが。
何呆けているんだ。言われてもへったくれも、自分で書いたのだろうが。とも思うのだが。
言い回しが何か変、とか句読点がおかしい、とか、そういう文章のアラは脇に置くとしても、何か、何というか、自分が書いたんだなあ、という実感が薄い。
こ、こんなハズでは。
もっと、何というか、今まで過ごした時間の一部の記録だという実感とか、アルバムの思い出っぽい感じとか、懐かしさとか、そういうメランコリックな、ああ阿呆だなあ私、とちょっと照れ笑いが浮かぶような、思わず自嘲してしまうような、想像ではそういう光景や感情を期待していたのに。
「誰だコレ」って、「誰だコレ」って、そんなピンぼけの感想を持つハズじゃなかったのに~。
内容自体は「うんそうだよなー」と頷けるのだが(今までに自分が思った事なのだから当たり前だ。そうでなきゃおかしい)、文章に違和感がある。 作文能力が低いのはいいとして、いや良くないけれど、別に日記を書く時に文章を推敲したりしている訳でもなし。 問題はそうじゃなくて。
今まで散々怒ったり草臥れていたりしながら、毒を吐きながら書いてきた日記、と自分では思っていたのだけれど。
でも毎回毎回、思った事や考えたことをただ漫然と書き続けてきた。それは確かだ。
とすると。 ・・・もしかして私って、思っていたより楽天家・・・?
しかも忘れるの早いし。
自分では自分に対してかなり悲観的な、どちらかといえば後ろ向きな人間という認識を持っていたのだけれど。
今がらがらとその認識が崩れ始めているような気がする。
自己イメージと日記がこんなに違うなんて。
自分が自分を一番知らない。 ちゃちな自己分析なんて当てにならないものなのね。 「自省」という事についてもう一度考え直した方が良いようだ。 がっくり。
ほんと、こんなハズじゃあ無かったのになあ・・・。
初めて整体に行った。
今までマッサージも鍼もお灸も足裏マッサージとやらも、全くチャレンジしたことがない。 ので、いきなり整体というのはかなりハードルが高かったのだが。
そういうのに詳しい人に、「頸が~・・・何かいい体操とかない?」と聞いたら、それは体操より整体がいい!と強力に薦められたのでその気になったのだ。 いや、その人が整体やマッサージが大好きで詳しいというのは今まで知らなかったのだが。
整体というと、ばきばきと音を立ててまるで骨を折るかのような勢いで引っ張ったり曲げたりする痛いイメージを持っていたのだが、そういうのではないソフトなのもあると聞いたので、ちょっと抵抗が薄れた。
私のマッサージ嫌いは、背中の過敏に起因する。 背中に触られるのがとても嫌なのだ。 背中に触られるかもしれない、というだけで、身体が逃げる。
背中に触らないマッサージは足裏マッサージ以外無い・・・と思う・・・ので、今まで行こうと思ったことが無かった。 整体も同じなのだが、背に腹は代えられないので、仕方なく行くことにした。
なにしろ夜になると頸の痛みで、切羽詰まっているというのに仕事放り出して帰りたくなるのだ。 頭痛まで起こるのだ。
今まで運動以外で身体を痛めた事がないので結構楽観的に構えていたのだが、軽快する気配が全然ないし。 仕事に差し支えるのは嫌なので、仕方なく。
仕方なく、仕方なくを連発しているが、整体は結構面白かった。 背中はやっぱり嫌なのだが、頸は随分楽になった。 ばきばき折られたりもしなかった。
手のツボらしき所を押されて「いでででで・・・」というのはあったけれど。 精神的ストレスが溜まっていると痛いんですよ、と説明された。 本当か~? 誰でもどんな時でも押されると痛いツボを押したんじゃないのか~?
整体の後仕事に戻ると言ったら、本当はこのまま帰る方がいいんですけどね~、と言われた。 歪みを矯正しても身体は元に戻ろうとするから、整体の後はさっさと帰って眠った方がいいそうだ。 骨を動かしているから関節が少し炎症を起こしたりする事もあるからって。 私だってさっさと帰りたいさ。 でもそういう訳にはいかないのだ。
それからお腹が弱っているのでそっちも手当した方がいいと言われた。 ・・・お腹~?? 確かに今弱っているけれど、整体って骨格以外も判るのか? それに筋肉の痛みとか骨の痛み以外に、内臓まで整体で手当出来るものなの?? ・・・本当か~? かなり眉唾気分。
あと、自分でも自覚はあったが、骨格が随分歪んでいるとも言われた。 何回か通った方が云々・・・。 まあ営業の為もあるのだろう、と疑い深く考えもしたが、本当に骨格の形が変わるのか?という好奇心が勝ったのでこれから少し通ってみることにした。
今は楽でもどうせまた頸の痛みはぶり返すのだろうしね。 これが楽になるなら骨格が変化しなくてもまあいいだろう。
精神的ストレスが消えたら本当に手のツボ押しても痛くないのか興味津々。 ・・・いつか確認出来る日は来るのか?
頸が~・・・頸が・・・回らないのである。
別に借金をしている訳ではないが。
同じ姿勢をしばらくとっていると、びきばきに首筋が張る。
別に寝違えた訳でもないが。
特に右側を向くのが至難の業だ。
別に給料泥棒上司Aの席が右方向だからという訳ではない(と思う)が。
眠るときは気にならないし、右側向けなくても困らない。ので放置しているが、そろそろ手当をするべきかもしれない。
とりあえずピップエ○キバンあたりを検討しよう。
それにしてもピッ○エレキバン、磁石を皮膚に貼り付けるだけで凝りがほぐれるなんて、不思議なものだ。 ・・・あれって本当に効くのかなあ。何で効くんだろう。 樹海の磁力線で人の方向感覚が狂う、というのは判るのだけれど。地球は磁石だからね。
・・・血液中の鉄分が反応してピップに血液が寄って来るんだったりして。
今日は雨だった。
雨の中、ずぶぬれで野球応援。
観戦ではない。応援。 よって内野席で傘をさしながらのんびり眺めている訳にはいかない。
そしてずぶぬれ。バッグもずぶぬれ。 こんな状態で電車乗るのか?!いくら何でもそれは如何なものか。
とりあえずタオルを絞って拭けるだけ拭く。 冷えた。 とにかくお店に入ってあったかいもの食べよう・・・。
ぐっしょり。 べちゃべちゃ。 びしょびしょ。 じとじと。 しっとり。 ひんやり。
あーやっと乾いた。さて帰るか。
と、こんな感じ。 風邪を引きそうな行動である。
ぐしょぬれで外にいる状態って、そういえば大学以来かもしれない。 当時は体育会に所属していたので、少々の雨でも部活があった。 雨に濡れながら部活、とか、雨に濡れながら試合、とか。
でもその頃でも洋服のままでぬれるというのは無かったなあ。
となると、それ以前・・・小学校まで遡る。 幼い頃は少々の雨でも、まあ家に帰るのだしいいか、と結構雨に濡れて帰る事があった。
それから、学校の校庭にあるスプリンクラーが動いていると、面白がって吹き出す水の下をくぐる遊びに興じた。 そしてくぐり損ねて濡れ鼠になり、その後の授業を体操着で過ごす、などという事も、たまにはやった。
2、3年前の野球応援でも確か雨の中だった。 しかしその頃は準備万端、荷物はゴミ用ポリ袋に詰め込み、フード付きレインコートで重装備だったので大して濡れなかったのだ。
・・・年と共に知恵が働かなくなってどうする。
本日は、雨の中の応援、という可能性が頭からすっぽり抜けていたのが敗因。雨天中止か、天気が保って試合があるか、それしか考えていなかったからなあ。 雨の中で何かをする、という選択肢が、トシと共に消えて無くなってしまっているからね。そんな場面を想像もしなくなってしまうのだね。
久々に、とほほ…な、でも懐かしい経験をした。
・・・と余裕で言えるのは、YBが勝ったからだな。
2003年04月11日(金) |
首狩り族で思い出した事。 |
首狩り族に会ってきた。
疲れた。
詳細・・・は、もしかしたらそのうち書くかも。
これまでずっと、首狩り族なんて私には関係ない、ごーじゃすな別世界の話だと思っていたのだけどなあ。 チープな小市民の事は放っておいて欲しいなあ。
今回改めて実感したこと。 何度も認識しているし、繰り返し書いてもいるが、私は自分の担当する物について完全な自信が無くては嫌なのだ、ということ。 つまり、自分が絶対の自信を持って薦められる物でなければあまり関わりたくないのだ。
一社会人としてはかなり我が儘な話である。
でも思い起こせば就職活動の時も、そういう類の事を言い放って(いやそれが理由かどうかは判らないが)、最終の重役面接に落ちた事がある。 「自分が誇りと自信を持って人に薦められるものを売りたい」だったかな。 あまり考えたくないが、私はあの頃から変わっていないのか・・・? 何か嫌だなあ。
あの面接、もしもしっかり猫を被っていたら、私は受かったのだろうか。 本音を言わないで重役連に耳触りの良い事だけを並べておいたとしたら。
1人の募集枠に数百人の応募。筆記+面接3回。 筆記は数学・国語で数日に分けて行われたっけ。 理系専攻のくせに国語でトップを取った。
最後の3人になって落ちた。
あの会社は中堅どころだったから、もしかすると「自信を持って薦められる物」が無かったのかもしれない。 いや、おそらく無かっただろう。と当時から推測はついていた。
でも無ければこれから作ればいいだけの事なのに。 「自分が自信を持って薦められる物」を入手するためなら、提案でも企画でもリサーチでも、何でもするのに。
あの時、何が決定打で落ちたのか、今も何となく知りたいと思う。 「受かる」と「落ちる」の間にはどんな違いがあったのだろう。 ただ純粋に、不思議なのだ。 だから今も知りたいと思うのだ。 もう絶対に判らないのに。
不思議だと、追求したくなるのは性ですな。
その会社、以前面接会場にもなったオフィスの入っていたビルに行く機会があった折にちょっと探してみた。東京のかなりいい場所。
もう無かった。
移転したのか倒産したのかは不明。
文字にしてしまうと余計に謂われのないプレッシャーを自分で勝手に抱え込みそうだから、書いておこうか止めておこうか迷う。
このところお腹具合が悪い。今もお腹具合最悪。 ストレスに敏感に反応する消化器なので、ストレス量はお腹具合の言うことを聞いておけばまず間違いない。 私の自覚より消化器の判断の方が大抵正しい。 いや今回はきちんとストレスの自覚はあるが。
ここ数日の心境。
嫌だ 勘弁して下さい 嫌だ ああ気が重い 嫌だ 他人の事は放っておいて欲しいんだけど 嫌だ 何の因果で 嫌だ 一体誰の所為なんだ 嫌だ 何で私が 嫌だ 誰がチクったんだ 嫌だ 嫌だ 嫌だよう
延々こんなのの繰り返し。
・・・先日突然、見知らぬ首狩り族から連絡がきた。 明日背景を探るため面談に行く予定。怖いよう。
テンション低い。体調悪い。右肩が重い。気も重い。
・・・どうにも脳味噌が動かないので今日もサボり。
--- 外貨預金途中経過。 現在プラス\5,500なり。 おお、ようやく「豪華ディナー1食分」だ! 目指せ「超豪華ディナー1食分」。
投資信託途中経過。 まだ売却していないので不明。 額面では「豪華ランチ1食分」くらいプラス。
今日はちょっとした個人的事件あり。 それに関連して調べ物があったので、日記はサボり。
熱発。
体調不良の人がいると「SARS?」。 咳き込んだ人がいると「SARS?」。 花粉症の人がくしゃみすると「SARS?」。 とりあえず聞くのがお約束。
・・・ち。聞かれる側になってしまった・・・。
昨日は雑務しかやらなかった。 提出しなくてはならない書類とか、面談とか、派遣さんへのレクチャーとか。 そんなあれこれで一日があっという間に終わった。 ・・・お昼休憩も取らずに仕事したのになあ。
そして今詰めの段階にあるはずの仕事は、全く欠片も手を着けられなかった。 まずい。 「締め切り破り」の言葉が脳裏をちらちら過ぎる。 まずいったらまずい。 絶対にそれは嫌だ。どうしても嫌だ。 締め切りが気になり出すと、夢に仕事が出てくるようになるから安眠できないし。
来週頑張ろう。午前様ウィークだな。 しかし怖ろしいことに来週末は両日予定があったりする。 再来週ゾンビ化確定。
今日は、起きたら9時半だった。 ・・・夜の。 おいおい、いくら何でも寝過ぎだろう。とは思うが、眠るのも娯楽だからまあいいか。・・・いいかな。・・・いい事にしておきたい。
人間の生活について、要考慮。
本日も午前様。終電ではないけれど。 つ~か~れ~た~。
それはそうと、少し前までぐったりローテンションだったけれど、ふと気付いてみれば何となく浮上気味かもしれない。 エンジンかかったのかな。 何日か前、胃痛で固形物が摂れなかったけれど、あれでスイッチ切り替わったのかしらん。
あの胃痛。あれは絶対ストレスの所為だ。 何故確信しているかというと。 直属上司チェンジの話がいつの間にか(随分前に)消えていたと知ったのが胃痛が始まる前日だったから。 そして理由に思い当たってがっくり諦めの境地に達した途端胃痛が治まったから。
お願いだから手放して下さい。 引き留めないで下さい。 一番上の上司も、直属上司の要求を了承しないで下さい。 それからプロジェクト、実入りのいい順(つまり上からの締め付け&プレッシャーが大きい順)に頭数に入れるのもやめて下さい。 ゼロを一個一個指折り数えないとforecastが何ドルか判らないような代物はもう勘弁して下さい。
もっと桁が小さくてバラエティに富んだあれこれを担当して勉強したいのに。 乏しい記憶力が尽きないうちに守備範囲を広げたいのだけどなあ。
しかし実際に「これやって」と言われると、それなりに興味が湧いてしまって、ついつい担当を引き受けてしまうあたり・・・目の前の物しか見てないという事か。
・・・・・・・・・・・・。 そうさ!私は欲張りだから全部やりたいんだ全部! 目の前にそれだけ置かれると、うっかり手を出してしまうんだ! パブロフの犬なんだ! そして気付いた時には細々したあれこれはみーんな、見えない所にそーっと持ち去られているのさ!
・・・多分、上司が巧いというよりは、私が阿呆なんだな・・・。 自分から穴に落っこちてどうする。 アタマ悪すぎるぞ桂蘭。
----------- いつも読んでいる日記が、投票ランキング機能を外していた。 メールも掲示板もないので、「ポチ」だけが「楽しんで読んでます意思表示」だったのだけれど。仕方ないのだけれどちょっと残念。 なので、気休めに、ここで「楽しんで読んでます」の念(?)を送っておこうっと。
今日から4月。 で、暫く前に採用されたプロジェクトの為の人員が今日から一人配置された。
あと二週間もしたら私は眼を吊り上げて締め切り前の追い込みに入っていると予想されるので、なるべく今のうちにあれこれのレクチャーを終わらせておきたいなあ。
幸いにも非常に飲み込みの早い人のようだ。 ギュウギュウ知識を詰め込ませて戴こう。今後に期待。
最近痛感する事。 私はどうやら仕事場においては、心の中で人を3種類に分けている。らしい。
仕事の出来る人。 仕事の出来ない人。 自分の仕事に関わらない人。
あまりに身も蓋もない括り方ではある。 しかもこれがきっちり好感度と対応している。
仕事の出来る人。→好感度大。 仕事の出来ない人。→好感度ゼロ付近。 自分の仕事に関わらない人。→どうでもよし。
・・・・・・・・・。 いくら何でも、これって人としてどうよ、自分! と、思わなくもないが。 プライベートで付き合う人には全く適用されないからいいか。 ・・・いいのか?
しかし、どうも転職してからこの傾向が非常に顕著になった気がする。
思うに、今の職場ではプライベートな付き合いが殆ど発生しない、というのが一因かもしれない。 雑談もプライベートと関わりのない当たり障りの無い話題がほとんどだし。
プライベートで付き合わない=仕事がメインの付き合い→仕事で人を判断。
こんな回路が出来上がっているのかも。 殺伐としていて、こんな回路はちょっと嫌。
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