てらさき雄介の日記
DiaryINDEXpastwill


2005年05月31日(火) 審議拒否はあくまで最後の手段

郵政民営化法案の審議で、民主党が審議拒否をしています。基本的には審議拒否には反対です。

議員は議会で発言してなんぼであります。審議そのものを拒否することは、有権者の期待に背くだけでなく、結果政府を利することにもなります。

ただ数が大きくものを言う政治の世界で、しかも権力機構の一部である国会では、“最後の”手段として審議拒否もあり得るとも考えます。

しかしそれは“最後の”手段であって、二度と議場には帰ってはいけません。つまり辞職と同じ重みを持つ場合にのみ、許容されると思います。

しかし今回の審議拒否にそこまでの覚悟は見られません。ならば即刻議場に帰り、審議を通じて政府と対峙すべきです。

幸い(?)欠陥の多い法案です。しかも小泉総理の発言を聞いていると、どうも詳細まで把握していないようです。

社会党の二の舞はごめんです。苦しくても、議会での議論によって有権者にメッセージを発信してほしいです。


2005年05月30日(月) 町田JCとの交流会、久々です

青年会議所などで数年間にわたり、相模原市と町田市との合併を研究したことがありました。

町田市民が消極的であったことと、相模原市と津久井郡の合併が先行したことにより、最近は陰を潜めています。

青年会議所では自治体同士の合併を別にして、かねてから町田JCと交流があります。毎年一度、町田JCと多摩JCと一緒に交流事業を行うのです。

今年は相模原JCの私が所属する委員会が担当で、7月に一泊キャンプを行います。

場所は津久井の青根キャンプ場です。津久井JCの皆さんも参加いただくために、この場所を設定しました。

車で行くとかなり遠くですが、合併すれば同じ相模原市です。アウトドア派ではないので、キャンプなどをする機会はほとんどありませんが、初めて行く場所でもあり楽しみです。

今日打ち合わせを行い、だいたいの内容が決まりました。大自然のなかでのキャンプについては、結果またご報告いたします。



2005年05月29日(日) 消防車新車お披露目

同じ上溝の消防団第四部(四谷地区)に新車の消防車が入り、そのお披露目に参加してきました。

数年前に私の所属する第一部でも新車が入り、同じ様に皆さんを呼んで式典と懇親会を行いました。

いまや“お披露目”という風習が残っていない地区もあるようですが、上溝では健在です。

消防団は以外と閉鎖的社会で、通常は他の部と交流する機会はありません。しかし部長をやっているお陰でこのような会にも出れますし、今後の消防団運営について参考になる意見も聞くことができます。

何はともあれ、おめでとうございました。消防車は使われないほうが、もちろん良いわけですが、点検作業などで活躍すると思います。



2005年05月28日(土) 第二回タウンミーティング開催

第二回のタウンミーティングを開催し、十数人の方にお集まり頂きました。場所は市民会館の会議室です。

タウンミーティングは、政策やまちづくりを純粋に考えるべく行っているものです。いわゆる選挙向けの話は慎むようにしています。

相模原市中央部について、神奈川県と相模原市が総合計画の中でどのように考えているのかを、私の考えも交えながら発表しました。

神奈川県の地域計画によると、橋本や相模大野などの大きな拠点がないせいか、中央部は計画自体が薄いというのが印象でした。

子どもたちの安全について、参加者の方からご意見を頂きました。警察力に頼るのは限界があります。子どもたちを取り巻く“地域ネットワーク”を確立することが必要です。

地域密着の課題について皆様のご意見を伺うべく、これからも色々な場所で開催していきます。



2005年05月27日(金) 上沼恵美子がなかなか見れない

お笑いで好きなのは、何といっても上沼恵美子です。といっても「おしゃべりクッキング」以外は、なかなか関東のテレビにはあわられません。

今日ゴールデンタイムにたまたまテレビをつけると、上沼恵美子が進行をしていました。最後のテロップを見たら、作成はやはり関西系でした。

数年前に大阪駅地下街で、たこ焼きをつまみに酒を飲んでいる方々を見て、生まれて初めてみる光景にびっくりしたものです。ダウンタウンがよく言う、お好み焼きが主食ではなくおかずになるのも、こちらでは習慣がありません。

そんなわけで上沼恵美子は、何故か関東のテレビには出ていません。さっき東京都在住34歳男性の友人と電話で話をしていたら、上沼恵美子自体を知りませんでした。関西の皆様、これは本当の話です。

さてオチですが、こういった文化の違いが国内にあることは大歓迎です。

法律や条令などは、あくまでその社会の常識を具現化するものです。地域主権自体が、地域に違いがあるという前提によって進められています。

でも近くにせっかく違った文化があるのだから、それと触れ合う機会はどんどん欲しいですね。


2005年05月26日(木) 靖国神社参拝についての意見

「皆んなで靖国神社を参拝する国会議員の会」というのがあります。いわゆる超党派の議員連盟です。

何故“皆んな”で参拝するのか、それはデモなどと同じく、多くですることによって政治的メッセージを発信しているのです。つまりは政治的に靖国神社を使っているといえます。

総理が本当に死者の霊を慰めるために“参拝”しているのなら、参拝の日付にこだわることはありませんし、家から靖国に向かって手をあわせることもできるはずです。

さて人の文句を言う前に、私の意見を言わなくてはいけません。

私はふたつの理由で靖国神社の“参拝”はいたしません。

ひとつには、靖国神社を“参拝”することを政治的に利用している政治が現実に存在することです。そしてこういった政治の中身は、先の大戦を肯定する(あるいは否定することを緩和する)動きと偶然ではなく、密接に関連しています。

私は政治家として、先の大戦は誤りだと考えますし、そこに至らしめた当時の政治指導者も誤った政治を行ったと考えます。

遺族が“参拝”する自然な心境は理解できても、政治家が自分の立場を明らかにしたり、その意志を内外に伝えるために“参拝”することは容認できません。

ふたつには、戦死者の霊が靖国神社にあるとはどうしても思えないことです。戦地で亡くなった方が帰っていくのは、故郷であり親の元であり子の元であるはずです。

このことについてはもはや宗教的レベルの話なので、議論しても致し方ないかもしれません。しかし靖国神社とは、そもそも霊を祀る宗教施設であることを忘れてはいけません。

過去に国のために亡くなった方に感謝し、その霊を慰めることは当然です。しかしその具体化が、靖国神社を参拝することと言われている現状に危惧を覚えます。

現に私は愛国者ですが、このテーマに触れると非国民みたいな言われ方をされることもあります。

昨日厚生政務次官がこの問題について発言をし、問題になっているようです。しかし発言すること自体は大変結構です。

むしろこの期に至って、黙っている(黙っていられる?)政治家の心境が理解できません。各政党はかん口令などひかずに、皆んながどう考えているのか発表してほしいものです。

少なくとも私は、靖国神社を参拝するかどうかを、他から問われて答えられない方を政治家とは呼びません。






2005年05月25日(水) 津久井JC例会行けずに残念

(社)津久井青年会議所例会のご案内を頂きました。

街同士が合併することもあり、出来るだけ津久井へ行く機会を増やすよう心がけています。もっと互いを知ることが、今後良い街をつくっていくことに繋がります。

飛び地合併という不正常なカタチになってしまった一因は、市民・町民間の日頃の交流の薄さによる誤解もありました。

あいにく後援会バーベキュー大会と同じ日のため、私は参加することができません。時間がずれていますので、私のバーベキューともどもよろしくお願い申し上げます。

詳細は以下のとおりです。

社団法人津久井青年会議所6月第一例会(どなたでも参加できます。)
 内容 慶応大学ラグビー部総監督・フジテレビスポーツ部長
    上田昭夫氏による講演会
    テーマ「王者の復活・強い組織の創り方」
    第二部としてパネルディスカッションもあります。
 日時 2005年6月12日(日)午後5時~
 場所 津久井街文化福祉会館にて
入場は無料です


2005年05月24日(火) 地方議会の役割とは

長友克洋市議の勉強会に参加しました。テーマは「地方分権と議会」です。

前段の“地方分権”はさておいて、そもそも“議会”とは何故存在するのでしょうか。

学生時代から「健全なる議会制民主主義」の実現を目指し、今日まで活動し続けております。都度思い悩むこともあり、これからの“議会”のあるべき姿は、今日現在私のなかで結論は出ていません。

市民の意見を行政に伝えるのが仕事なのか、(代表株主)
市の経営を行うのが仕事なのか、(執行役員)
行政の監視を行うのが仕事なのか、(監査人)

現状ではこれが混在しており、本会議などでも個々の議員によって全く別の視点から発言がされます。

多くの意見のなかで態度が決められないとき、私の思考は‘自分はそもそもどんな考えなのか’と自分自身の中に結論を求る傾向があります。

その時上の三つの中では(経営者)の視点であることが多かったと思います。

例えば、多くの方が望む施設の建設よりも、それをつくった際の財政への影響を考えてしまう訳です。

いまだ試行錯誤ですので、引き続き考えてまいります。





2005年05月23日(月) 明大雄弁部同窓との会合

明治大学雄弁部の同窓と、その友人と会を持ちました。

幾人かの総理大臣が出た早稲田大学雄弁会は諸方面で有名ですが、「弁論部」「雄弁部」「雄弁会」などのサークルが存在する大学は多いです。

それでも年々総数は減ってきているようですが、明治大学では一時期(戦前のある時期)には、学内の半数が雄弁部の門戸を叩いたとも言われています。

さて雄弁部の具体的活動は、

聞こえのいいもの
 シンポジウムの開催、街頭演説会、ストやデモなど、弁論大会、
 ディベート大会、各種研究発表、
 *皆が同じ活動ををするのではなく、個人の関心によって違う

聞こえのよくないもの
 酒を飲む(但しビールと日本酒以外は禁止) 
 酒を飲む(終電車という感覚がそもそもない部員も多い)
 酒を飲む(飲む量に上下はあっても、議論に上下関係はない)
 *酒を飲むことについては、何故か左右一緒に皆で飲む

といったところです。私は現在でも悩むテーマがあると、当時を思い起こし結論を出すことがあります。

原点というのでしょうか。そういう意味で、当時の同窓に会うのは気合を入れるのに役立ちます。

若くして昔を懐かしむような関係にはなるまいと、皆んなでいつも言っています。




2005年05月22日(日) 内政干渉という言葉は旧い

「内政干渉」という言葉があります。将来は死語になるであろう言葉です。

南アフリカがアパルトヘイトを廃止したのも、周辺国の“圧力”=「内政干渉」の成果でした。また北朝鮮や中国国内の人権問題も、ある意味内政ですが国連などが問題視しています。日本もどんどん取り上げるべきです。

一方で靖国問題について異議を唱える中国に対して、日本が「それは内政干渉だ」と反論することがあります。しかしその一言で中国が黙るはずもありません。

国同士であっても、それが内政に関わる問題であっても、価値観をぶつけあうべきなのです。

私は憲法改正論者ですが、一部にある‘自主’憲法という概念は理解できません。今の憲法も、帝国議会にて採択された立派な‘自主’憲法です。

成立の過程でアメリカの影響を多大に受けたのは事実ですが、現在つくっても多くの国々の影響は受けざるを得ません。要は内容なのです。

他国に理解の得られないことは、例え内政であっても存在しえないということを考えるべきです。


2005年05月21日(土) 消防団総会で帰宅午前2時

消防団第一分団第一部の総会に出席しました。本年度部長をつとめていることもあり、最後までおつきあいし帰ってきたのは先ほど午前2時過ぎです。

市内全域の消防団共通の課題である「新入団員の確保」には、行政がより役割を果たすしかありません。

多くの世帯が加入する自治会でさえも、そのネットワークは限られております。広報に載せるなどのありきたりの方法のみでなく、もっと積極的に勧誘する必要があります。

ボランティアなどの市民活動に参加している方が、年々増えています。消防団だけが人が集まらないはずはないのです。


2005年05月20日(金) 市長について一日数回聞かれます

「市長はどう?」と最近は一日数回聞かれます。私がやりたいかという質問ではなく、一時期体調不良であった現市長の調子がどうかという質問です。

最近も何度かお見かけしましたが、言われているほどではなくお元気でした。確かに少し痩せられてましたが、私と一緒でそもそも少し太めだったこともあります。(失礼!)

舘盛前市長の時代を知らない私は、市長といえば現小川市長です。様々な経緯もありましたが、政治家として発言はしても、根本的なところに愛着のようなものがないわけでもありません。

非常に気になることがあります。それは今年一月の市長選挙で、現市長と戦い敗れた陣営のなかで、市長の病状が悪いなどという噂を撒いている人がいるのです。

この前の市長選挙は完敗でした。そのことは対立候補の陣営に入り、最初から最後まで見ていた私が知っています。

敗れるには敗れるだけの理由があるのであって、選ばれるのはそれだけの理由があります。あれから半年しか経っていません。市長の体調不良にかこつけて云々という話は、政治家としても人間としても許される話ではありません。

敗れた側の私としては、残された任期中、選挙の際の公約実現にむけて頑張って頂くことを期待するだけです。

三年半後の市長選挙に現市長が出るのか、他の誰が出るのかなんてことは誰にもわかりません。その話は、そのときにすればいいのです。

しかし、いやな世界ですね・・・。プチ権力闘争に酔っている方が多いようです。


2005年05月19日(木) 第二回市民委員会準備会

相模原市パートナーシップ推進指針に基づき設置された、「市民委員会準備会」に公募で参加しています。

今日は第二回で、今後の準備会の進め方などについて議論いたしました。ほぼ全員が公募により参加しているため、多くの意見が出てよい雰囲気でした。

準備会の役割は「市民委員会」を立ち上げることです。

そして「市民委員会」の役割は、行政と市民などのパートナーシップを推進し、その基本ルールづくりを行うことです。

私が今日発言したのは、準備会の役割についてです。一刻もはやく「市民委員会」を立ち上げるべきで、準備会では大枠のみ議論して詳細は「市民委員会」自体のなかで決めるべきとの趣旨です。

内容とは別に今後興味深いことは、意見続出のメンバーのなかで、どのように議論の結果が集約されカタチになっていくのかです。

これは民主主義の実践とも言えますし、直接民主制の導入に向けた試行とも言えます。

今後は二~三週間に一回程度、会議を開催することになりました。引き続き頑張ります。


2005年05月18日(水) 中国から帰ってきた友人

中国広州の近くで仕事をしている高校の同級生が、一時帰国し一緒に食事をしました。

色々中国の話を聞きましたが、年々拡大する貧富の格差はとどまるところを知らないそうです。

共産党の統治が何故崩れないかについては、やはり少しづつですが秩序の変化は起っているとのこと。

この友人の見方では、平均的な教育水準の低さから新たな政治勢力が出てきてないだけで、そのことは共産党自身が一番理解しているのとのことです。

地理的に近いだけでなく、経済的にもますます日本との関係が深まっています。中国脅威説を唱えている人もいますが、日本が中国の影響を受けずにいられるはずは、古来からの歴史を見てもありません。

どんどん中国に関心を持ち、政治ももっと中国に対して発言すべきです。


2005年05月17日(火) 革命家の条件

「革命家」という響きは悪くありません。世の中を根本的に変えるという意味であり、必ずしも左翼の専売特許の言葉ではありません。

相模原青年会議所の例会が本日行われ、元ヤクルトスワローズ選手の青島健太さんの講演を聞きました。

プロ野球選手として成功する要因は、毛沢東の言う「革命家」の条件と同じとのこと。

以前中国関係の書物で読んだことがありましたが、改めてその条件を胸に刻みました。

「革命家」の条件とは
“若くて、貧しくて、無名であること”です。


2005年05月16日(月) NPO法人の理事になります

NPO法人さがみはら市民会議の理事になりました。今月末の総会で正式に決まります。本日は新役員同士の打ち合わせでした。

理事は、団体の運営について責任を負うだけでなく、NPOが半公益法人であることから社会に対する責任も負います。

いくつかの委員会をつくるなかで、「政策調査委員会」の副委員長にもなりました。数日前にもこの日記に書いた地域紙のNPOコーナーの編集などが主な担当です。

今後は設立目的である、相模原市内の市民活動の活発化に向けて一層の取り組みをしていきます。


2005年05月15日(日) あるアメリカ高官の話

支援者の方に誘っていただいた会合で、他地区の自民党代議士と話しをする機会がありました。

その代議士はGW中に自民党幹部とともに訪米し、政府高官の数人と意見交換をしたそうです。日本を担当している高官とのやり取りが、非常に印象的だったので記します。

アメリカ高官「○○代議士は○○市が地元でしたよね」
その代議士「そうです」
アメリカ高官「今は都議選で大変でしょう」
その代議士「・・・」

アメリカの情報に対する貪欲さをあらわしています。日本外務省がここまで調べるかと言えば、少なくとも今回のように主賓でなく随行でいった人の分までは調べないとのこと。

非軍事による安全保障を進めるには、一方で情報こそ鍵になります。日本もしっかりしなくてはなりません。


2005年05月14日(土) 若手経済人の勉強会

市内で活動する若手経済人の勉強会に参加しました。藤井裕久代議士も懇親会に参加してくださり、とても盛会でした。

まじめに勉強する会が、とても増えているのを感じます。

以前は経済人の会とか異業種交流会と言っても、ただの飲み会という実態が多かったですが、厳しい社会環境のなかそれだけでは意味がなく、結果人が集まらないのでしょう。

今日の会でも、市内で活躍する多くの新しい方に出会うことができました。

かつて合併協議会の検討会のなかで、スケールメリットとは何かについて議論するなかで、「同じ街のなかで多くの人と出会えること」と発言したのを思い出しました。

もうすぐ63万人の人口になります。現状に満足することなく、どんどん色々な方に出会ってまいります。


2005年05月13日(金) 派閥のできる訳

政治の世界では、よく派閥ができます。少人数の仲良しクラブ的なものから、事務所まで持つ組織的なものまで様々です。

共通して言えるのは、議員や候補者にとって生死を左右する「選挙」をきっけに派閥は誕生し、「選挙」を利用して派閥は拡大もします。

自民党の派閥も、小選挙区制度の導入から意義を失い、最近は求心力が低下しているようです。以前の自民党は派閥が違うということは、政党が違うくらい垣根がありました。

さて民主党はどうでしょうか。今風というのか何と言うのか、言われているほど派閥的なものはありません。

派閥をつくろうとすれば派閥に入る見返りを最初に与えなければなりません。野党であるからというだけでなく、他に対して何かをしようという空気は、現在の民主党には少ない現状です。




2005年05月12日(木) そうえいば市議会議長改選

「次の市議会議長は誰?」と聞かれました。そういえば今月は、二年に一度の議長改選時期です。

この関連ではいくつか思い出もあります。議長選が原因で当時の私の所属会派(市政クラブ)が分裂したこと。お世話になった議長が不信任されたこと。本会議での選挙結果が同数になり、結果「くじ引き」で(事実です)議長を選んだこと、等などです。

議長になりたいがために市議をやってる方もおり、さながら権謀術数が駆使されます。

今日現在の状況について何人かに聞いたところ、当選回数の多い方と比較的そうでもない方とで“調整”中とのことです。

最後は本会議で決定されることから、市議全員の連帯責任によって議長は選出されます。5月18日の結果を待って、改めて感想を書きます。





2005年05月11日(水) 神奈川14区自民党候補者選び

相模原市の大部分で構成される、衆議院神奈川14区の自民党候補者選びが進んでいます。

現在選出されている我らが藤井裕久代議士が、民主党本部の代表代行であることから、自民党から見ればこの選挙区は重点区ともいえます。

衆議院選挙の候補者がどのように選ばれるのかは、政党や地域などによって異なりケース・バイ・ケースですが、今回は自称「公募」制度が導入されています。

「公募」とは何でしょうか。広く人材を集めることに他なりません。吉田松陰の言った“草莽崛起”こそ意義であるべきです。

しかし今回の自民党による「公募」はその趣旨でなく、公明正大に候補者を選んだかの印象を有権者に与えるために行われています。

現に多くの募集があったなかで有力とされているのは、現職県議・現職市議・現職県議のお子さん、だそうです。

どんな力学で決まるのか、他党のことなので口出しできませんが、事実をしっかり見つめていきます。


2005年05月10日(火) 市民委員会準備会に参加してます

市と行政のパートナーシップを進め、その進行を管理するために「市民委員会」を設置することが、相模原市“パートナーシップ推進指針”によって決められています。その準備会に参加しています。

所属しているNPO法人さがみはら市民会議のメンバーも多数参加しており、先日の第一回は先約のため欠席してしまいましたが、次回からは万全で臨みます。

まちづくりへの市民参画を進めることは、民主主義を具現化することです。その基本を考えて市政に反映させるのですから、委員としての責任も重いと自覚しています。

第一回の報告を聞く限り、皆さん公募で集まっただけあって、喧々諤々の議論がされたそうです。

政治家としての考え方を進歩させるためにも、頑張って参加していきます。


2005年05月09日(月) 北朝鮮安保理付託はもう少し考慮を

北朝鮮の六ヶ国協議参加をあきらめ、「それ以上のレベル」を考慮する発言が出ています。

確かにあの(金正日)政権相手に、まっとうに交渉するのは難しいという思いもありますが。いま一歩熟慮が必要です。

北朝鮮は隣国です。日本が日本として安全保障を確立する上で、重要なテーマでもあります。

アメリカがどう考えるかではなく、日本として北朝鮮問題をどう考えるのか、国際社会にメッセージを発信する必要もあります。

日米安保条約とは過去においては対ソ連、現在においては相手を特定しない地域紛争に焦点をあてています。

現実の情勢は別にして、日本と北朝鮮二国間の関係のみに絞って考えてみる思考も必要です。

現在の体制(金正日)の後も、引き続き隣国であることを忘れてはいけません。


2005年05月08日(日) 党県連大会で公認発表

第10回民主党神奈川県総支部連合会定期大会が、キャメロットジャパン横浜で開催されました。

定期大会では昨年度の活動報告と決算、並びに本年度の活動方針と予算を審議いたします。すべて満場一致で可決されました。

次期統一地方選挙の第一次公認候補の発表もあり、私の名前も読み上げていただきました。

今日の段階で公認になったのは、ほとんどが現職と元職で新人は県内で私を含め三名のみでした。それだけに早々に公認申請を上申してくださった、地元14区支部の皆様には感謝で一杯です。


2005年05月07日(土) JR西日本スキャンダル

JR西日本の様々な不祥事が明らかになっています。西武コクドのときもそうでしたが、事件後にここぞとばかり暴露に出るメディアの姿勢は疑問です。

取り上げるなと言っているのではなく、何で前からしっかり取り上げないのかということです。

第四権力ですから、大きな「力」があるわけです。その力は事故がおきる前に発揮してほしいものです。




2005年05月06日(金) 海老名市の三セク解散は見事

海老名市の指定管理者制度について、友人の太田祐介海老名市議から話を聞きました。

基本的に国の法律改正によるため、相模原市でも海老名市でも大差ないかと思いきや、何と海老名の方が立派でした。

どこの自治体でも、公共施設を管理する第三セクターを現状では持っています。相模原市では「都市整備公社」、海老名では「㈱海老名公共サービス」です。形態は違っても、市が100%出資であることには代わりありません。

相模原市では指定管理者制度にあわせて、都市整備公社が今までよりも多くの物件に参入する準備をしています。これは問題です。

しかし海老名市では、来年の制度導入にあわせて、この三セクを解散するそうです。結果名目ともに民間による公共施設管理になります。

相模原市は海老名市よりも施設の数も多く、一概に比較はできません。しかし基本的には、都市整備公社は縮小する方向でなくてはなりません。

神奈川県も指定管理者制度を導入いたします。本当に民間活力が活かされるのか、しっかり見つめていきます。


2005年05月05日(木) 田中角栄的政治から脱却を

尊敬する政治家のひとりに、元総理田中角栄がいます。戦後政治のなかでは傑出しており、以降も他の追随を許してません。

田中角栄は小学校卒という経歴で政界に地位を築くために、派閥政治・金権政治・選挙区への補助金獲得・地盤培養のための金帰火来など、現在では負の遺産として政治に残っていることを“発明”しました。

田中角栄以後の政治家はその呪縛から脱却できずに、角栄的政治をまねることを多くしています。

田中角栄が生きた時代と現在では、社会背景も目指すべき政治の方向性も違います。過去の政治を否定するという意味ではなく、そろそろニュースタイルを確立するときです。

いつの日か寺崎型が、良い意味でのスタンダードになれるよう頑張ります。




2005年05月04日(水) 合併議決はついに県議会に

県議会6月定例会で、「相模原市と津久井2町との合併」の議案が審議されます。

そこで注目すべきが、県議会「民主党」の判断です。何故ならば相模原市議会「民主クラブ」は、全員一致でこの議案に反対しているのです。

だいたいの県議は、「地域で決まったことだから・・」と賛成する理由を言います。そこまで地元を尊重してくれるなら、同じ民主党の地元市議会議員の意向を無視してはいけません。

県議会でも横浜市会でも、民主党系の会派が統一することができました。ここに至っての党内での不一致は、相模原市民をはじめ神奈川県民に対して信頼を失うことにも繋がります。

県議会全体での議決結果はともかく、少なくとも同じ政党として同じ結論(=反対)を目指すべきです。

相模原市議会出身で神奈川県議会を目指す人間として、結果を本当に心配しています。


2005年05月03日(火) 日本国憲法第八章

憲法のなかで、地方自治に関する規定は以下のとおりです。現在の憲法改正議論のなかで、あまり対象になっていない部分でもあります。

「あれも入れたほうがいい」「これも入れたほうがいい」、あるべき地方自治の姿を考えると夢は広がります。

しかし“地方自治法”のように、あまりにも細かい規定が国の基本ルールにあることは、地方の自主性を束縛することになります。

憲法とは、日本国民の最低限の常識と、国家の国民に対する責務のみ記載すべきです。

ただ住民投票については導入を促進するためにも、以下の文言を入れるべきです。

【住民投票については、これを実施することができる】


○日本国憲法

第8章 地方自治
 
第92条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
 
第93条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。 

第94条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。 

第95条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。


2005年05月02日(月) 徳川慶喜のお孫さん

徳川慶喜のお孫さんが亡くなったそうです。葬儀は鎌倉と新聞に記載がありましたので、神奈川県内にお住まいだったのでしょう。95歳だったそうです。

秘書時代に、代議士が細川元総理と親しかったので旧華族というか士族というか、そういう皆さんを細川家の縁で紹介いただきました。私も選挙区内の西郷家の方々にご挨拶に伺ったものです。

「自分は旧○○家から出ている」という種類の話は、正直あまり好きではありません。内容の真偽はともかく、血統主義自体に違和感を感じるのです。しかし天皇制などを見ても、血統は下らないと一刀するほど軽いものでないもの理解できます。

明治政府は、敵であった徳川幕府の関係者に寛大な処置をしました。当時の国際常識と比べても、先進的で良いことだったと思います。榎本武揚などは一番最後まで五稜郭で抵抗したのに、その後政府に迎えられ多くの外交実績を残しました。

外国では前体制に厳しいことが多く、韓国でも体制が代わると前大統領が裁判にかけられたりします。

明治維新を成し遂げた皆さんを尊敬してますが、同時に徳川幕府にも親近感を持てるのは、日本の教育の成果でしょう。それを生んだ文化も素敵です。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。


2005年05月01日(日) ポスターはどこでも貼れる

25歳で初めて自分のポスターを見たときは、何か変な感じでした。市内に多く貼られることについても、気恥ずかしかったものです。

しかし今は、そのポスターが少ないと逆に落ち着きません。これからもどんどん貼っていきます!

さて「貼る」と言っても、その手法には多々あります。壁にベタッとテープで貼ることは、先方にご迷惑になるだけでなく日持ちがしません。従って板にポスター貼って、その上で板を壁などに設置いたします。

フェンスに針金でつける、農地に杭で打つ、テープで板自体を壁にくっつける。。。多々手法はあります。毎回その場で現地「視察」をし、考え、作業して、完成したときは嬉しいものです。

さて、本日です。二本松のある箇所につけていただくことになり、早速機材とともに出向きました。到着後現地を見て、うーんなかなか難しい。

基本的には、何かひっかけるものがあれば、そこに如何にひっかけるかを考えるわけです。そのひっかける対象自体がありません。しかし壁に穴をあけるわけにもいきません。

苦闘30分、ひっかけるもの自体を現地で作成し何とかなりました。

ポスターを貼っていただける場所をご紹介ください。目立たない場所でもありがたいです。よろしくお願い申し上げます。


てらさき雄介 |MAILHomePage