月の輪通信 日々の想い
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寒い朝。 新聞を取りに出たら、この夏ゲンが玄関に置いた睡蓮鉢の水が凍っていた。 この冬、はじめての薄氷。 すぐ上の枝から落ちた千両の赤い実が、何本もの放射の線に閉じ込められて凍っている。 寒いはずだ。
「うぉ!凍ってるやん。」 と自転車を出しながらオニイが言う。 「金魚がおったら、凍死やろか」 とゲンがニタニタ笑う。 「アユ姉、見て!凍ってる!」と騒ぐアプコ。 小テストの予習の問題集片手のアユコが、ふんふんと生返事をして飛び出していく。 いってらっしゃい、気ィつけてね。 慌しく出かけていく子ども達の背中を見送る。 いつもの朝の光景。
夜鍋明けの仕事を終えて、遅めの朝食を取りに父さんが帰って来る。 「着替えたら、すぐ出るから駅まで送ってくれる?」 ここのところ父さんは、展覧会に出す大きな作品の制作に悪戦苦闘中。 新しい釉薬の具合がよくなかったり、焼成の途中で瑕疵が見つかったりして、思うように仕事が進んでいないらしい。 そんな中でも、教室やら仕事の打ち合わせやら、どうしても止めに出来ない外出の仕事も多い。 少し休まないと壊れちゃうよ。 言いたい気持ちをぐっと抑えてお味噌汁をよそう。
「あ、凍ってるね!」 背広に着替え、玄関を出た父さんが、睡蓮鉢の氷を見つけた。 「うん、今朝は寒かったからね。」 と、私が答えるより先に、父さんはもう屈みこんで薄氷の表面を指で突っついている。 あらら、冷たいのにわざわざ触らなくても・・・。 手も濡れちゃうのに。 千両の実を捕らえた放射が破れて、小さな水しぶきがこぼれた。
我が家で一番幼いアプコでさえ、もう寒い朝の氷を触ってみようとはしないのに、まだこの人は睡蓮鉢に張った薄氷を見るとコツンと指で突付いてしまわずには居られない。 連日の徹夜仕事にくたびれて、電車の時間ギリギリに飛び出していく慌しい朝の一瞬に、それでも儚い薄氷に足を留め、ついとちょっかいを出さずにはいられない、この人の爛漫。 しゃあない人やなぁと呆れつつも、いとおしく思う。 あわただしくも幸せな、朝の一コマ。
来月、久しぶりに薪の窯を焼く。 工房の薪窯は、古来から伝わる桶型の特別な窯だ。 普段、工房での焼成は主に電気の窯で行っており、薪窯は格の高いお茶道具など窯変の作品を焼くためだけに使用している。
今回はオニイが、薪窯の焼成に作品をいれてもらえることになった。 基本の抹茶茶碗を制作するのだという。、 これまで我が家の子ども達は、遊びで粘土をいじらせてもらったり、窯番や土作りなどの下仕事の手伝いをしたりということはあっても、きちんとした作品の制作はさせてもらったことはない。 春から工芸の専門学校へ進むオニイに、他所で陶芸の基礎を習い始める前に、自分の家の窯の古来の技法の入り口だけでも学ばせておきたいと言う父さんの親心なのだろう。 オニイ自身もそんな父の想いが判るのか、「じゃ、仕事場、行ってくる」と少し緊張した面持ちで工房へむかう。 「おお、なんかかっこいいじゃん」と茶化してしまいそうな言葉をぐっと呑み込んで二人を見送る。そこには、母や妻の入る余地のない厳しい師弟の時間が流れているのだろうか。
年末年始、親類や知り合いの人に会うたび、オニイの進路が話題に上った。 「どこ、行くの?」 「春から京都の伝統工芸の専門学校へ・・・・」 「おお、いよいよ跡取り修行やな」 何度も繰り返された会話。 父や母にとっては、晴れがましくちょっとこそばゆい嬉しいやり取りだけれど、当の本人はどう聞いていたのだろう。 正月の帰省の折、バイトのため一足遅れて母の実家へ向かう車中で、父さんと将来について話をしたらしい。 陶芸を学ぶ道は選んだものの、陶芸を生涯の仕事としていけるのかどうか、それだけの実力が自分にあるのかどうかなど、自分の不安や思いを率直に語ったのだと言う。 普段なかなか親に本心を明かさないオニイにしては珍しいことだと、父さんが言う。
外から見れば、父母の望む希望を汲み取って進路を決めた従順な跡取り息子。 けれども、誇り高く、自分の世界を頑固に守る若いオニイの内心が、そういつまでも穏やかに流れていくとは思えない。 「伝統」やら「跡取り」やら、常に作り続ける「作家」としての苦悩やら、現代っ子のオニイがこれからぶつかって行くであろう壁は厚く高い。 迷いなくすんなり歩き続けられるほど、穏やかな道のりではないはずだ。
迷えばいい。 ぶつかればいい。 たくさん回り道をすればいい。 全く違う道へ方向転換してしまってもいい。 とりあえず君は、入り口に立ってくれた。 それだけでも父母は十分に嬉しい。
オニイが帰った後の工房で、製作途中の茶碗を見る。 一つ一つ、父さんに教えられたとおりに拵えた基本の茶碗。 生真面目で素朴でまっすぐなその茶碗の形が、期待と不安にどきどきしながら門前に立つ若いオニイの後姿にも見えて、なんだか胸が熱くなった。
米櫃の米が少なくなった。 「そろそろ行ってこなくちゃね。」 台所の隅に積んであった米袋の玄米を精米に出かける。
玄米は昨年の秋、新米の季節に届いた郷里の米。 力自慢の息子達がよっこらしょと運んでくれた30kgの米袋は、ヤワなおばさんの梃子には合わず、うんともすんとも持ち上がらない。 別の空の米袋を出してきて中身を二つに小分けにし、軽自動車の後にズドンズドンと積み込んで近所のコイン精米機に持ち込む。
農協の前の精米機には若い夫婦らしい先客が居た。 正月あけのこの時期、気のせいか精米所にやってくる人の数が普段より多い。 二人はどうやら玄米を精米するのが初めてらしく、慣れぬ機械を前に戸惑っている様子だったので、横からおせっかいを焼いて精米ボタンの選び方を教えた。 二人が抱えてきたのは、真新しい10kgの米袋。 お正月の帰省でどちらかの実家で頂いてきたものなのだろうか。 精米機からサラサラと流れ落ちる白米を物珍しげに喜ぶ様が初々しい。 若い夫婦世帯なら10キロの米で1ヶ月くらいは足りるのだったっけ? 「1ヶ月30kg時代」に突入の飯炊き母ちゃんは、若いご主人が片手でひょいと抱えていく10㎏の米袋を遠い目で見送る。
そういえば、この精米の仕事。 少し前までは、父さんに「そろそろね。」とお願いしての二人がかりの作業だった。「ずっしり重い米袋を抱えると、家族の重さを実感するね」と父さんはいつも笑って二つ分の米袋を担いでくれた。 最近は工房の仕事も忙しくなり、父さんの手を煩わすに忍びなくて、私が一人で精米に出かけてくることが増えた。 何かの折、そのことを実家の母に話したら、「あらまぁ、それはそれは」と妙に感心された。娘が逞しく主婦業をこなしている様を感じていただけたか。
精米機から、白く精米された米がサラサラとこぼれ落ち始めると、香ばしいぬかの匂いが漂ってくる。 再び二つの米袋を満たすたっぷりの白米。 精米したての白米はほんのりと暖かい。 ずっしり重い米袋を抱き上げると、幼い子を抱き上げたときのような心地よいぬくもりが腕に伝わってくる。 故郷の米の暖かな重さを、幸せな思いで車に詰め込む。
私と入れ替わりに精米所の前に軽トラックが停まった。 降りてきたのは割烹着姿の年配の女性。 助手席には、さらに高齢らしい白髪の老婆が小さく背中を丸めて座っているのが見えた。 年老いたお姑さんを伴って精米しに来た主婦だろうか。 軽トラックの荷台から、小分けにした米袋をよっこらしょと運びこむご婦人のために、一度閉めかけた精米機のドアを大きく開いて「お先にどうも」の小さな会釈。 逞しくも心優しい主婦の大先輩に、精一杯の敬意を表して。
朝、冷たい水で青菜を洗い、たっぷりのお湯で茹でる。 しんと冷たい台所の空気に、鍋から上がる白い湯気の温みが混じって、ほのぼのと暖かさが増してくる。 濃い緑の法蓮草は、昨日、今年最初のスーパーへの買出しで買ってきたもの。年末年始の飽食にどっぷり浸かった食卓に、ようやくいつもの朝ごはんが戻ってくる。
毎年のことだけれど、私は年明け最初の通常モードの朝ごはんが好き。 お湯を沸かす。 青菜を茹でる。 卵を焼く。 新しく封を切ったお味噌で、味噌汁を作る。 炊きあがったばかりの白飯を茶碗によそう。 当たり前の家事の一つ一つが、「今年最初の」という冠を乗せただけで、晴れやかな喜びに満ちた作業に変わってしまう事の不思議。
本日、工房では仕事始め。 夕方には、旧家の嫁として大家族のお正月を取り仕切っていた義妹が、家族とともに遅ればせのお里帰りにやってくる。 数年前までは皆で近所に外食に出かけていたのだが、最近は高齢者の外出の足元を慮って、工房の2階でテイクアウトのお寿司や自前のお惣菜を囲むのが定例となった。我が家からも、揚げ物やらサラダやら宴会メニューをワンサカ拵えていってテーブルに並べる。 いわば、嫁としての仕事始めだ。 お先に実家で羽根をのばさせていただいた分、婚家でのお正月を慌しく切り回してきた義妹をねぎらう気持ちで台所に立つ。
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