2009年08月31日(月) |
■大事なのはここから何をするかだ。 |
わたしたちは生きていくなかで、 失敗を繰り返しながらも学ぶことのほうが多い。 幼い頃のわたしたちは、とつぜん立ち上がって そのまま歩いたわけではない。 車の運転でも、初めてハンドルを握って いきなり名ドライバーなどということはありえない。
思いきりやってみればいいのだ。 初めてやってみて思ったほどうまくいかなくても、 かまわないではないか。 自分にとってもっとも大切なことに 全力を注いで、取り組み続ければいい。(略)
大事なのはここから何をするかだ。 ここをスタート地点として、よりよい人生が始まる、 限りないチャンスとすばらしい経験にあふれる人生が 始めると思えばいい。
出典元 「腐ったバナナを捨てる法」 おすすめ度 5 著者名 ダニエル・T・ドルービン
政治も変わりそうだ。 変わるなら、うんと良い方に変わってほしい。 これからの未来に期待できるような、 生きる楽しみ、希望を持てるような、 そんな日本になってほしい…心からそう願う。
今から、ここから何をするか… 自分にも与えられている課題だと思う。 自分なりに、しっかり考えていきたいし、 行動していきたいと思っている。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「ツタに囲まれたお宅のこと」
やっぱり手入れが必用なんですね〜 知らなかったです。
2009年08月28日(金) |
■夢はラッキーな誰かにのみ神様が叶えてくださるものではありません |
もしも今、あなたが「どうせ、そんなはずがない」 と思っているなら、それはかなり危険なこと。 未来はあなたが選んだその思い通りになってしまうからです。
そんな小さな疑いや迷いが、自分自身の現実を 引き寄せていることに気づかず、現実ばかりを 嘆いている人が案外多いのが、この世の中です。
夢はラッキーな誰かにのみ神様が 叶えてくださるものではありません。 夢はあなたが描いて、あなたが叶えるもの。 そうなるようにできています。 同じように、奇跡さえも、偶然起きるのではありません。 あなたの思いが、奇跡を起こすのです。
出典元 「願いは、ぜったい叶うもの!」 おすすめ度 4 著者名 リズ山崎
ときどき… ぶつぶつと些細なことを言っている自分がいやになる。 何かにつけ、否定的な見方をする自分がいやになる。 そして、こんな自分に気づくと、 「こんなことばかり言ったり、思ったりしていると、 いやなことや、うまくいかないことばかりを 引きつけてしまうことになるぞ。 引きつけの法則ってあるんだから」 などと思いだし、気をつけるようにしている。
人間は、放っておくと、 マイナスの方向、否定的な方向、悪くなる方向の 思考に向かいがちなのだそうだ。 だから、どこかの偉い方が言っていたが、 「楽天的であることは、意志を必要とする。 夢を叶えるには、意志を必要とする」
夢を叶えるのも、奇跡を起こすのも、 自分を信じて、意志をもって進んでいってこそだと思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「ツタに囲まれたお宅のこと」
やっぱり手入れが必用なんですね〜 知らなかったです。
2009年08月27日(木) |
■「恵まれた人生」を送る人たちの特徴 |
人から何か依頼されたときは、 「とりあえずYESと答える」 これが自分の能力を最大に発揮し、 「恵まれた人生」を送る人たちの特徴です。(略)
「YES」と言うことから始めると、 たとえ数々の障害や壁があっても 「YES」と言ってしまったからには、 後は「なんとかするしかない」 という姿勢が自然に生まれてきます。 腹をくくると道は開けてくるものです。
一方、「NO]と言ってしまえば、そこでジ・エンド。 後になって、「引き受けておけばよかったな」と 思っても手遅れです。
出典元 「上手な「悩みの整理」術 」 おすすめ度 5 著者名 諸富 祥彦
仮に、それができないと思っても、 「とりあえずYESと答える」 これは、仕事をする上でも、生きていく上でも、 大切なことだと思う。
そう言った上で、 「ただ、2,3日じっくりと考えさせていただけませんか。 それから正式な返事をさせてください」 ということもでき、その後、 「この方法ではできませんが、この方法ならできます」 と正式な返答をすることもできるし、 「自分より、最適な人を紹介します」 「こうやった方が、もっとうまくできます」 などと代替え案や、もっといいやり方を示すこともできる。 要は、そのときに、その事案について、 自分なりに考えることが、その姿勢を示すことが大事なのだ。
自分の提案や申し入れを言ってみて、すぐに「NO」と 言われた時のことを思い起こしてみればわかるが、 最初から、簡単に「NO」と言われると、 否定された、軽くあしらわれたと感じる。 同じように相手も感じ、そして、それで話しは終わる。
また、こちらの方も、できる方法を考えたり、 可能性を探ることもせず、代替え案を考えることもなくなる。 これでは、世界が広がっていかない。 「とりあえずYESと答える」… それから、できるもできないも、すべてが始まる、そう思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「本当に、どうでもいいことだけど…気になるなぁ」
なんて、ことも多くて…気になります。
2009年08月26日(水) |
■会議の席の意見対立、夫婦げんかしたとき |
たとえば、お互いに意見が対立し、どちらも譲らなかったとする。 それぞれが自分の視点、価値観でものをとらえている限り、 どちらも自分が正しく、相手に非があるのである。 視点を変えない限り、対立が解消されることはない。
そんなときは、いったん自分の視点や価値観を捨て、 相手の視点で同じテーマを考えてみる。 すると、いままで見えなかったことが見えてきて、 自分の考えだけが唯一の真実だとは思えなくなる。
だがやはり、自分の視点に立ち返ると、 自分の判断が誤りだとは思えない。譲れない。 そんなとき、思い切って一歩踏み込んでみる。 両者をより高い地点で合一できないか。 (略)
会議の席の意見対立、夫婦げんかしたときでも、 いったんは相手の立場でとらえ直し、 自分の考えと高い地点で合一するようにする。
出典元 「カリスマ受験講師の「考える力」をつける本 」 おすすめ度 4.5 著者名 出口 汪
この 「対立を高い地点に押し上げて、統一を図ること」 は、立派な「弁証法」なのだそうだ。
例えば、対立はあるが、 それぞれが欠点を補い合い、長所を生かすことはできないか、 両方共が、納得できるもっといい解決方法はないか、など、 自分の立場や価値観に固執せず、頑固にならず、 対立を高い地点に着地させることを考えていくこと、 これは立派な「弁証法」だということだ。
自分の視点、価値観、仕方、やりたいことにばかりこだわると、 相手も相手のそれにこだわり対立したままとなる。 そんなとき、どっちかが、不満を持ちながら我慢したり、 ひとつも納得できないのに受け入れてしまったりと、 低い地点でただ安易に妥協しがちだ。
しかし、そうではなく、両者が両方とも、 納得できる、満足できる高い地点の着地点、 合一できることを考えて、探しだし、 それを実現していくことが大事だそうだ。 そうできたら、すばらしい… 「弁証法」日常でも使ってみよう。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「怒鳴る父、うなだれる息子」
というところに出くわした… そして、その後驚いた光景をみたのでした。
2009年08月25日(火) |
■自分という花をしおらせてはならない。 |
ともかく自分という花を大きく咲かせてやりたいものだ。 せっかく生まれてきた人生、自分という花をしおらせてはならない。 (略)
自分という花を咲かせることができるのは、結局自分しかいない。 他人は手助けできても、代わって力を振るうことはできない。 そのためにも、自分という花に適切な肥料をやってみよう。 自分にとって適切な肥料とは何かを考えてみよう。
また、もう少し汗を流して土を耕してみよう。 何もしないで放っておくと、 花の咲かないしおれ草になるだけである。 自分という花のために、少し熱心に手入れをしていれば、 きっと伸びてくる。 「夢、ロマン」それさえあれば、自分という花は必ず咲く。 誰でも、自分という種子にそれだけの力を潜在させているのである。
出典元 「最後に笑う奴(ひと)になれ!」 おすすめ度 4.5 著者名 阪本 亮一
さらに、この本では、こんなことも言っています。
「自分の芽を摘んでいるのは、自分であることが多い。 もっと自分の可能性を信じることだ。 自分という花を枯らすのは、自分のためにすべきことを 手抜きした結果もしれない。 花の芽を大事にせず、咲かせる努力を放棄し、 諦めさせた結果かもしれない。 自分に肥やしを与え、その肥やしに本当の働きを してもらうためのポイントは何か。 それは、「自分にはできないかもしれない」といった 否定的な言葉をできるだけ口にしないことだ」
自分なりの花を咲かそうと思ったら、 自分で自分にちゃんと肥料を与えなくてはいけない、 それなりの手入れも、毎日の水やりだって必要だ。 そうわかっていても、案外、 自分に対しては、そうしていないことが多い。 日々の生活に追われ、忙しさに振り回され、 自分へのそれは、後回し後回しになってしまう。
しかし、自分の人生に花を咲かせよう。 ひとつでもふたつでも…自分なりの花を… そう思ってみよう、決意してみよう。 そして、そのために、自分にあった肥料を与えよう。 手入れもしてあげよう。水もあげよう。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「こんなものが落ちているとは…謎だね〜」
なんで落ちているんだろうね…道ばたに。
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