ことば探し
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2009年12月04日(金) この本の中に書いてあるイチロー選手のことば。 

この本の中に書いてあるイチロー選手のことば。 

「第三者の評価を意識した生き方はしたくありません。
 自分が納得した生き方をしたいです」 


「僕は、期待があろとなかろうと進むタイプです」

「チームの調子が悪くても自分が崩れることはありません。
 集中してやっているので、余計なことは考えません」

「僕本人より、麻痺しているのは周りです。
 そういうものに振り回されてはいけない。
 これはもう、とっくの昔に分かっていることです」

「決して人が求める理想を求めません。
 人が笑ってほしい時に笑いません。
 自分が笑いたいから笑います」

「満足の基準は、
 少なくても誰かに勝ったときではありません。
 自分が定めたものを達成した時に出てくるものです」

「自分がしたことに人が評価をくだす、
 それは自由ですけれども、それによって、
 自分を惑わされたくないです」


出典元 「イチロー選手の言葉に学ぶ セルフ・コーチング」
おすすめ度 4.5
著者名 庵里 直見 (著), 鈴木 信市 (監修)


このことばを見ても、イチロー選手が、
何より、自分を見失わないことを重要なことだと考え、
周りの評価に振り回されず、自分が定めた基準で
生き方を選んでいることがよくわかる。

世の中には、自分の定める基準を持っていない人も多い。
仮に持っていたとしても、それは、おそらく、
周りの評価や、周りからの期待などによって、
乱れ、揺れ、そしてときに振り回されることが
多いのではないかと思う。
少なくても、私はそうだ…特に評価には。

自分の定めたこと、基準、評価で生きることは、
本当にパワーと覚悟がいることだと思う。
イチロー選手のようにはいかないけれど、
人の評価やことば、期待などによって、
振り回されて、自分をなくさないようにしたい、
自分の納得したい生き方をしていくためにも。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「このばっちいものはなんだろう?そして謎は解けた。」

いろいろ調べたら、わかったのだった、
このものの過去が…

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2009年12月03日(木) ■「叱る」と「怒る」の違い

《お知らせ》
■「今日のことば」11月の人気ベスト5■ UPいたしました。
どんなことばだったか、確認してみてくださいね。
「11月の人気ベスト5」



私たちはどうかすると
「叱る」と「怒る」という感情を混同してしまいがちです。
この差をきちんと理解した上で伝えないと、
「あの人はいつも怒っている」などという評価が定着して、
本当に伝えたいことが伝わらなくなります。

「怒る」という感情は、基本的には自分側が
マイナスの被害を被ったときに起こる感情です。
どちらかといえば、自分中心の感情です。

それに対して「叱る」という行為には、
つねに相手が明確に存在しており、
その相手のレベルアップを願う
という気持ちが根底にあるはずです。



出典元 「わかりやすく「伝える」コツ」
おすすめ度 3.5
著者名 コラージュカルチャースクール


「叱る」と「怒る」は違う…とはわかるけれど、
頭に血が上ると混同しがちになる。

「怒る」は、自分の感情をはき出すこと
      今の、感情を伝えること
「叱る」は、感情ではなく、相手のレベルアップを願う気持ちで、
      相手の今後のためになることを伝える

もちろん、自分の感情を本気でぶつけて怒った方が
本気度が伝わり、いい場合もあるが、
いつも何かあるごとに怒ってばかりいれば、
ただの「いつも怒ってばかりいる、不機嫌な人」になり、
怒っても、誰にも相手にされなくなる。
また、怒った理由や原因を伝えなければ、
相手には伝わらず、同じことの繰り返しとなる。

「叱る」は、「怒る」よりははるかにむずかしく、
手間がかかり、気をつかわねばならない。
それは、自分のことより、相手のためを思うからだし、
相手がレベルアップするように、きちんと伝えたいと思うからだ。
だから、どう伝えようか、こちらもしっかり考えねばならない。
また、同じことをしても、こちらのその日の気分で、
叱ったり、叱らなかったりしてもいけない。
そして、叱ったら、ほめることもしないといけないと思う。

今、自分は、「怒っている」のか「叱っているのか」
ちょっと感情を抑えて、客観的になって自分をみてみよう。
そして、必要なとき、必要な方を選ぶようにしよう。
ついつい感情的になり、なかなかむずかしいと思うけれど…




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「このばっちいものはなんだろう?そして謎は解けた。」

過去は栄光のものだったらしいことがわかった。
時の流れを感じるね〜

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2009年12月02日(水) ■よくぼやく同僚がいましてね

《お知らせ》
■「今日のことば」11月の人気ベスト5■ UPいたしました。
今回は、最高19ポイントで、2つのことばが同率で、
2つとも大人のことばという感じがします。
どんなことばだったか、確認してみてくださいね。
「11月の人気ベスト5」




ある会社に研修でお邪魔したときに伺ったエピソードです。

「よくぼやく同僚がいましてね。
 営業に行く前に、「こんな商品売れないよ」
 とか言うわけです。口ぐせのように。
 そのままお客さんのところへいくわけですから、
 商談の結果も当然ボツなんです。
 そいつは帰ってきてから、
 「やっぱり無理だね、この商品じゃ」
 と言うんですよ」
「いますよねえ。
 で、そのときはどうなさったんですか?」

「いえね、別の者がそのお客さんのところに行ったんです。
 彼は商品に対してのお客さんの疑問点を開発者に聞きました。
 自分が自信を持ってすすめられるようになるまで
 いろいろたずねたんです」
「自分自身が納得いくようにしたわけですね。
 うまくいきましたか?」

「ええ、契約成立です。お客さんは、
 「あまりにいい、と君がいうから、
  いい気がしてきたよ」
 と言ったそうです。
 やっぱり信じる者は救われるんでしょうか」



出典元 「わかりやすく「伝える」コツ」
おすすめ度 3.5
著者名 コラージュカルチャースクール


この本では、この話のまとめとしてこんなことが
大切だと書いています。

 ・自分が「よい」と思っていないものはすすめられない。
  また、相手にも「よさ」を伝えられない。
  そうすると、結果はでない。
 ・だからといって、妄信的に「いいものなんだ」と、
  暗示をかけたり、無理に自分をだましてもダメ。
 ・その商品に疑問点があれば、例えば、
  「これは本当にいいのか?」などの素朴な疑問を
  納得いくまで調べ、「よさ」を知るようにする。
 ・そして、お客さんの質問に答えられるようにする。


なるほど〜と思ったエピソードでした。
また、
「こんな商品売れないよ」
「絶対にダメだね」
「うまくいきっこないよ」
「ムダだよ、やっても」
なんていう口ぐせからは、何も成果が出ないな、
とも感じたのでした。





■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「ちょっと不気味?…なんて思ったものその1」

これはなんですかね?
何かに使うのかなあ。

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2009年12月01日(火) ■信じなければ見えてこないものはもっとたくさんある

世の中には、目に見えなくても
信じるに値することはたくさんある。

だが、まず、
信じなければ見えてこないものはもっとたくさんある。
例えば、他人のなかに善を見いだすことも、
自分の力を信じることも、
自分のしている苦労が苦労に値するということも、
愛はリスクを冒すに値するということも、
人生は生きるに値するということも、みなそうだ。
こういうことは、まず先に信じることによって、
しだいにそれが形になって現れてくる。


仮に、あなたが、
「こんなこと、私はもう我慢できない!」と
いう言葉をよく口にする(信じる)としよう。
すると、あなたがその言葉を口にするたびに、
「そのことに我慢できない自分」というイメージが
内面化され、あなたはますます我慢できなくなっていく。
だが、それを乗り越える強さを求める言葉を口にしていれば、
(それを信じていれば)乗り越えていく自分の姿を
心の中に作り出すことができるのだ。

何事でも、信じる力が強ければ強いほど、
実際に成功する可能性が高くなる理由がここにある。


出典元 「こんな「きっかけ」を待っていた!」
おすすめ度 4.5
著者名 ロジャー クロフォード


自分が強く信じたことは、良くも悪くも、
それを引きつけ、そして形になる、叶いやすい、とはよく聞く。
それだけ、信じる力は強いのだ。

しかし、信じる力はなかなか身に付かない、
というか、何かあると、すぐに揺らいでしまう…
そのためなのか、さらにいろいろなことが起こり、
これでもか、これでもか、というほど何度も何度も、
信じる強さを確かめられる。
自分の信じる姿勢もこのとき問われる。

また、よくないことほど、
盲目的に「そうだ!」と自信をもって堅く信じられ、
よいことは、なかなか確信がもてなくて、
「ホントに、そうかなあ」なんて疑い揺らぐこともよくある。

信じることは、なんてむずかしいのだろう、と思う…
しかし、だからこそ、大切なのだと、
そして、できれば、よきことを信じていきたいと強く思う。


■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「小さな疑問から、いろんなことがわかったお話」

「キケン」から、知ったいろいろなこと。
こんなものの価格まで知ることができたのでした。

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2009年11月30日(月) ■10受けて当然で、返すのは9でいいとしたら

わたしたちが社会生活をしてゆくにあたっては、
自分も他にサービスを与える一方、
また多くの人からサービスを受けるわけです。
もし、皆が10のサービスを受けて
9しか返さなかったから、
社会はだんだん貧困になってゆきます。

社会が繁栄してゆくということは、
だれもが10受けたら11返す、
それが全体にゆきわたってゆくことでは
ないでしょうか。


わかりきったことかもしれませんが、
個人でも、会社でも、
自分が受けるサービスの総点よりも、
サービスをする総点のほうが、
プラスになっているかどうか、
いま一度かえりみたいものです。


出典元 「いつものあなたで」
おすすめ度 4
著者名 松下 幸之助


自分を振り返ってみると…
10受けて当然で、返すのは9でよくて、
それで収支があい、そして自分が得をした、
なんて思っているような気がする。

でも、これだと、確かに何もかもが、
収縮、縮小していくように思う。
サービスだけでなく、人の思いやりや愛も、
そして、人間的な器も。

10受けたら、11返そう…
できるだけ意識してそうしていこう、
そうしてこそ、この世の中の繁栄に
ちょっぴりでも貢献できると思うから。
得だ損だ、なんて小さなことばかりを考えず…


■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「靖国神社で見つけたもの」

こんな貼り紙を見つけて、興味を持ったのでした。

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