2010年01月21日(木) |
■人間がパニックに陥りやすいときとは? |
たとえば戦国時代、暗闇の中で、敵の軍隊と 対峙しているときのことを想像してみてください。 敵の姿が何となくしか見えていないときが、 いちばん不安になると思います。
自分がどういう状況に置かれていて、 何にどう対処すればいいのかわからない。 こういう状態で、人間がパニックに陥りやすいということは、 実験によっても証明されています。
不安がネガティブな思考を喚起し、 その思考によって、不安がさらに増幅される。 その増幅された不安がさらにネガティブな思考を喚起し… という悪循環が起ってしまう。 脳の中にある根拠のない情報が、不安によって 過大評価されていくのです。そうして、鳥が飛び立った だけでも、不安に耐えられなくて逃げ出してしまう…
ところがこのとき、何らかの手段で敵の実態を はっきりと確認できたらどうでしょうか。 たくさん、いるように見えていたのは、じつは気のせいで、 敵の大半は戦う必要すらない相手かもしれません。(略)
つまり、解決しなければいけない問題、 やらなければいけない仕事がたくさんあるときに、 ただ漠然とそう思っているだけで、 分析をしていないために、過剰にネガティブになっている。 その感情的な「問題の過大評価」こそが、 冷静に思考する力を奪うのです。
出典元 「脳と気持ちの整理術」 おすすめ度 4.5 著者名 築山 節
この「問題の過大評価」をしないためには、まずは、 自分が今どんな状況におかれていて、どんな問題があるのか、 解決の優先順位はどうなのか、本当の敵は何なのか、等々、 敵の実態や問題の実態を把握することが必要だそうです。
敵や問題の実態が見えれば、それらに対する対処方法も 今、何をやればいいのかもわかる、ということで、 自分の感情だけに振り回されないで、冷静になり、 実態を見る、分析してみる、そして、紙などに書き出し、 「見える化」することがいいそうです。 これをしないと、いつまでも不安や焦りだけが残ってしまうとか。
つまり頭の中で考えることばかりに頼らず、任せず、 「脳」から、出力してみることが大事で、 脳も万能ではないので、こうすることが脳の力を いい方に発揮できる方法だそうです。 「脳」からの出力…やってみる価値大いにありそうです。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「山手七福神巡り…滝泉寺「恵比寿神」」
最後の七福神を…探して歩く。 このお寺は、とても大きいからね〜
2010年01月20日(水) |
■相手を思う気持ちがあれば、あなたの言葉は美しい |
相手を思う気持ちがあれば、あなたの言葉は美しい。
藤原審爾(しんじ)氏のエッセイ集「一人はうまからず」に 収められていた話を紹介させてください。
ある日、桜上水のほとりに一人の若い女性がたたずんで、 ぼんやりと流れを見下ろしていました。 自動車修理工場で働く若者二人がその姿を見て、 身投げでもするんじゃないかと心配して声をかけた。 二人の勘は当っていて、女性は親に結婚を反対されて 家出してきたところでした。 若者は自分たちの働く工場の経営者にかけあい、 女性も同じ工場で働けるようにします。
そうして一年の月日が流れるうちに、女性の両親も 結婚を許してくれ、その披露宴に二人の若者は招待されます。 決して裕福ではない若者たちは、華やかな会場の中で 二人だけ礼服ではなく背広姿でした。
隅に座っていた彼らは、花嫁のたっての希望で 突然あいさつに指名されます。 二人はあわててゆずりあいますが、一人が立ち上がって、 全身でぶつかっていく感じの声で叫ぶように言うのです。
「加世ちゃん、よかったなぁ」 さらに汗びっしょりで、もう一声、叫びました。 「遊びに来てくれよな、忘れずにな」 ものすごい拍手がわきあがりました。 新婦は泣き出し、新郎がハンカチを渡します。 ほかのどんな立派なあいさつよりも、 このたった二つの言葉が会場の人たちを感動させ、 幸せな気持ちにした、そういう話です。
出典元 「しあわせの雑学」k おすすめ度 4 著者名 近藤 勝重
この本では、さらにこう言っています。 「名文、美辞麗句ばかりが「美しい言葉」だとは思いません。 言葉は相手と自分の間にあるものです。 心がこもっていれば、その言葉は美しい。 相手の心に響くものです」
この本で、とても心に残ったお話だったので、 今日は、この話にしました。 残念ながら、藤原さんのエッセイ集 「一人はうまからず」は読んでいないので、 今度読んでみようと思います。
美辞麗句でなく、言葉の多さでなく、 相手のことを想った言葉、心がこもった言葉、 そんな言葉を使っているだろうか、と、 自分の使っている言葉を思い返してみると、 ただ自分の感情にまかせたその場しのぎの言葉を 使っていることが多いように思えます。 いつも、いつもはそうはできないまでも、 そんな言葉をできるだけ使っていきたい、そう思います。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「山手七福神巡り…蟠龍寺「弁財天」」
このお寺は、迷わずに行けました。行ってみて、びっくり。 こんなところに弁財天さまがおられたから。
2010年01月19日(火) |
■問題は、今の自分の脳力では、一朝一夕には解決できない |
私たちに与えられる問題は、自分にとって、 五歩先のことである場合が多いと思うんです。 つまり、今の自分の脳の力では、一朝一夕には解決できない。
その解決できない五歩先の事ばかり考えていると、 意欲を起こすのは難しくなってしまいます。 五歩先に解決がある問題を分析して、 今の自分にもできそうな一歩目をまず見つける。 一歩先まで確実に行けるように努力する。 それから二歩目に進んでいく。 二歩先まで確実に行けるようにする。
そうやって一歩一歩進んでいくうちに、 脳内のネットワークが強化されてやがては五歩先まで 一歩で跳ぶような仕事もできるようになってくるんです。 その一歩一歩を自分で見つけていかないきゃいけないんです。
出典元 「脳と気持ちの整理術」 おすすめ度 4.5 著者名 築山 節
脳の働きから言えば、 「基礎から地道な努力を続けていくと、 最初は時間がかかっても、ある段階から、 脳の成長が加速度的に速くなっていく」そうです。 これは、脳内にネットワークができてくるからだとか。
だから、例えば、営業職を例にとると、 ○一歩目は、スケジュール管理を完璧にして約束の時間に 遅れないようにする。 ○二歩目は、顧客に好感が得られるような挨拶を体得する。 ○三歩目は、説明すべきことをわかりやすく説明する。 こんなことを「確実にできる」ようにしていくと、 脳のネットワークができて、このレベルのことは 瞬時にできるようになり、すると自信となり、 また、バラバラに見えていたことが流れとして見えてきて、 すると、四、五歩目も考えられるようになる、のだそうです。
早く何かを成し遂げたい、ことをすませたいばかりに、 一気に五歩目に向かおうとして、かえって挫折したり、 強引な解決をはかろうとして、かえって問題を こじらせたりすることがある。
こうなると挫折や失敗が重なり、やる気がなくなってくる… 逆に、できることを一歩一歩やっていって、自信をつけると、 次につながっていく…そのうち5歩にも達する… 時間がかかっても、まずは、一歩からはじめることが 大事だな、と思ったしだいです。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「山手七福神巡り…大円寺「大黒天」」
ここの神様たちはとてもよかった。 こちらまで、笑顔になったのでした。
2010年01月18日(月) |
■「やばい」という言葉…あなたは使いますか? |
「やばい」という言葉があります。 ある状態を外から見て、例えば車が猛スピードで 走ってくるのを見て「危ない」=「やばい」。 ところが、今の子は自分の心情を表すのに使っているんです。 心の中が乱されて「危ない」=「やばい」。
言葉が変化していくのは事実ですし、 これでいいと感じる大人もいるかもしれません。 ただし、NHK放送文化研究所の塩田雄大(たけひろ)さんの 説ですが、言葉が生き残る条件は、中高年が口にして、 気恥ずかしくないかどうかなのだそうです。
中高年が「やばい」を若者と同じような意味で 平然と使うようになったら、「やばい」は そういう意味の日本語として定着していく。 中高年が使わなかったら、 単なる若者言葉としていずれ消えていく。
日本語が変化していくのは若者のせいではない。 大人の責任なんですね。 若者に好かれるのではないかと迎合して、 ついつい若者言葉を使ってしまいがちですが、 「これは認められん」という言葉は使わない覚悟も 必要なのではないでしょうか。
出典元 「しあわせの雑学」 おすすめ度 4 著者名 近藤 勝重
ああ、その通りだなぁ…自分が、 認められないと思う言葉は使わない、 残したくない言葉は使わない、 気恥ずかしくなる言葉は使わない、 そして、できるだけ美しい日本語を残したいと思いました。 これは、大人の責任なのだと自覚して。
以前も書いたことですが、 「行く言葉が美しい時、返る言葉も美しい」とか 「あなたの言葉が、春のようにあたたかく 優しいものになったとき、世界もあなたに 優しくしてくれるのです」 「美しい言葉を贈れば、優しい言葉が返ってくる」 など、言葉遣いは、その人を映す鏡だと思うこのごろです。
時々、私は、乱暴な言葉を使います(情けないですが…) そんなことも反省しながら…できるだけ、 穏やかで、美しい言葉を使っていきたいと思います。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「山手七福神巡り…妙円寺「福禄寿、寿老人」」
この二人の神様は、同じ人だという説もあるとか。 このお寺は、すがすがしい感じのお寺だった。
2010年01月15日(金) |
■自分には自分の「自己実現」がある |
どのような分野でも、自分の力を全力投球し、 その力を開花できれば自己実現である。
先日も信州に行った時、2代に渡って、 改良巨峰(ぶどう)を作っている人に会った。 その陽にやけた深いシワから、 いかにも自分の力を有効に発揮できた、 という光が輝いていた。
世の中で有名になるとか、 財産をつくるということが自己実現ではない。 あくまで個人の問題であり、その満足感の問題である。
出典元 「一歩踏み出すことで人生は開ける」 おすすめ度 4 著者名 本明 寛
自分が心から満足していること、好きなこと、 あるいは、これだと思うことに全力を注いでいると、 人からどう思われようが、どう見えようが、 そんなことはどうでもよくなってくる。
人からどう思われるか、見られるかより、 自分が打ち込む方が大切だし、そのなかで発見したり、 形になったり、自分なりの結果が出せたりするのが、 何にもまして充実感や満足感が得られ嬉しいからだ。 もちろん、そこに苦しみ、辛さもあったりするが、 そんなことも、乗り越えていける。 そして、自らのうちから輝いてきて、 それは、生き方や顔に表れてくるように思う。
反対に、自分の本心とは違うことを、 他の人から評価をえたいばかりにしていると、 仮にそれがうまくいっても、常に周りの目を気にし、 心休まるときがなく、心虚しく、 本当の充実感、喜びは感じられず、 これまた生き方や顔に表れてくるように思う。
自己実現、その方法は、人それぞれであり、 自分にあったもの…心地よく、納得できて、 充実感、満足感があるものがいいように思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「山手七福神巡り…瑞聖寺「布袋尊」」
年明けは七福神がいいと思い、今年は目黒、白金台近辺の 七福神巡りをしました。でも、道がわからなくて…
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