2010年04月15日(木) |
■考えるときには4日ごとに間をおこう |
考えるときには4日ごとに間をおこう。 実は、人間の脳には、あまり重要でないと判断した記憶は、 3〜4日経つと忘れるしくみがあります。 日々膨大な情報に接して、さまざまなことを考えているのに、 脳がパンクしないのは、この「忘れるしくみ」に秘密があるのです。
前日の夕食のメニューは思い出せても、 4日前となると何を食べたか記憶にない…というのは、 こうした重要性の低い記憶が自動的に削除されるためです。
もし考えたことが本当に重要であれば、脳は4日経っても きちんと記憶していますら、また考え直し始めることができます。 しかし、4日経ってみてよく覚えていかなかったり、 あまり、よい考えではなかったと感じたりするなら、 それはあまり重要ではなかったということ。 他人と意見がぶつかったときや迷いが生じたときは、 いったんそれについて考えるのをやめ、 4日経ってから改めて考えた方がよいのです。
出典元 「脳に悪い7つの習慣」 おすすめ度 4.5 著者名 林 成之
ただし、考えるのをやめる前に、一度考えたことを、 文章にしたり、図にしたり、整理したりしておく、 つまり「整理してから離れ、戻って考える」と、 もっといい考えが浮かんだり、さまざまな発想が可能になるそうです。
また、まじめな人や、真剣なときほど、そして、 自分に不利なことや、イヤなことがあると、ずっと考え続けたり、 すぐに行動を起こしたりしたくなるものだけれど、 繰り返し考えるときには「4日ごとに間をおく」といいとか。 これらは、脳のしくみにそった方法なので、いいそうです。
ずっと考えていても堂々巡りで、 同じ考えから抜け出せないことはよくあることだし、 カッとなって、自分らしくない行動をとることも多々あるものだ。 そんなときに、よく、 「ちょっと冷静になって…」とか「頭を冷やして」などと、 言うが、これは、脳にとっては理にかなっているらしい。
そんなときには、ちょっと間をおく、堂々巡りの輪から 意識的にはずれてみることがとても大切だということだった。 本当に重要なことは、4日たっても忘れていないし、 間をおくことにより、もっといい考えが浮かぶかもしれないから、 「4日後にもう一度考えよう」、「間をおく」 「整理してから離れ、戻って考える」を 意識して、実践していきたいと思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「かっこうよりも、元気がいちばんだね」
なんて思ったもの。そして、春を感じました。
2010年04月14日(水) |
■自分のことは分かってくれ、それから自分はものすごくつらい… |
「誰もわかってくれない病」、以前は女性の専売特許 みたいなものだったけど、最近は男性でもいますね。(略) これは、ミーイズムとしかいいようがない。
自分のことは分かってくれ、 それから自分はものすごくつらい。 それから生きていくのが面白くない。 それから何のために生きているんですか。 それから学校なんて行きたくない。 それから、でも、恋愛だけはしたい (これは、男女ともそうです) それから不愉快なことについては我慢したくない。 それから今はまだ分からないけど、 輝かしい自分がどこかに存在している。 それから生き甲斐がみつからない。 生き甲斐のある仕事をください。
それから親と同じような生き方をしたくありません。 それから会社の利益より自分の個性みたいなものを 大切にしたいです。 それから子どもは面倒くさいのでいりません。 それからいろんな煩わしいことをするんだったら、 パソコンでチャットしている方がずっと自分にとっては楽しい。 それから生身の人間はうざい。
出典元 「人生にはいらない人間関係がいっぱいある」 おすすめ度 3 著者名 高橋 龍太郎
この本の著者は精神科医ですが、このようなことを、 「わかってくれ」という患者さんが、増えていて、 その「わかってくれ」という中身はつかみ所がなく、 しかも、勝手なもの(ミーイズム的)なものが多いという。
なるほど…これでは、いったい何を 「わかってほしい」のか、わからないだけでなくて、 正直なところ、あれもこれもありすぎて、 「勝手にして。わかりたくもない」という気持ちにもなる。 そして、これをわかってあげたら、どうなるというのか… そんな疑問もわいてくる。
しかし…自分が、誰かに「わかってほしい」というとき、 自分のいったい何を「わかってほしい」のか、 気持ちなのか、行動なのか、環境なのか、 そして、だから、どうしてほしいのか、 自分でもわかっていないことが多いか、 かなり曖昧にことばを濁すことが多いように思う。 それでいて…「わかってほしい」といっているような気がする。
自分でも、よくわからないのに、 誰かに「わかってほしい」というのは、無理があるし、 まず、自分が自分のことをわかることが先ではないか。 「わかってほしい」というとき、自分が何を本当に、 「わかってほしい」のか、よく考えてからにしたいと思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「これって…たじろぎませんか?」
私は、かなりたじろぎました〜 誰がつくったのでしょうね〜
2010年04月13日(火) |
■おもしろさは与えられるものではなく、自分で探し出した人だけが味わえる |
おもしろさは与えられるものではなく、 自分で探し出した人だけがおもしろさを味わえるのです。 人生はおもしろさを自分で見つける人だけに 楽しみを与えてくれるものです。
これは、料理をつくることとよく似ています。 おいしい料理が出されれば誰でもおいしいことがわかります。 ところが野菜や肉や果物が目の前に並んでいても、 それをどう料理するかわからない人は、おいしい料理を つくることも食べることもできません。
人生もそれと同じようなものです。 目の前にあるのは材料だけです。 そのよさを見つけ、それを引き出し料理するのはあなたです。 おもしろさ、おいしさは材料の中にかくれているものです。 今のあなたのおかれた場、環境、あなたの回りの人の中に、 人生を豊かにするおもしろさがかくれていると思ってください。
出典元 「Be Yourself」 おすすめ度 4 著者名 海原 純子
さらに、この本では、こういっています。
「あなたは自分の人生の料理人であり、 クリエィティブ・ディレクターです。 おもしろさを見つけるのは人任せにはできないのです。 こんなつまらない仕事と思って投げ出したい仕事に おもしろさがかくれていないか。 こんなつまらない人と思っている人の中に おもしろさがかくされていないか。 もう一度、ていねいに点検してみることです。 おもしろさは一見では発見できないこともあるからです」
人生のおもしろさ、おいしさを見つけるのは自分で。 本当に、そうだなぁ…と思う。
人から、ただ与えられることを求めていたら、 自分の本当のおもしろさやおいしさは、味わえないのだ。 そして、もし、人から与えられることだけを待っていたら、 与えてくれる人がいなくなったときには、何もなくなる。 おもしろいことも、おいしいことは、なくなってしまう。
自分で見つけていければ、いつだって、どこだって見つかるし、 あれも、これも、おもしろくも、おいしくもできる。 そして、それでこそ、自分の人生は豊かになり、 回りの人の人生も豊かにする手伝いができていくように思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「これって…たじろぎませんか?」
私は、かなりたじろぎました〜 誰がつくったのでしょうね〜
2010年04月12日(月) |
■悩みも、苦労も、不安も、緊張もない…これが幸福? |
明るさや気楽さ、心地よいことや楽しいこと、 確かに人生がそればかりだったらどんなに生きやすいだろうと、 つい私たちは考えてしまいます。
しかし、本当にそうなのでしょうか? 悩みもなく、苦労もない、不安もなければ、緊張もない。 そういう冗漫な人生を「幸福」というのでしょうか。
負け惜しみやあきらめではなく、苦も楽も、正も負も、陰も陽も、 ともにあってこそ豊かな人生といえるのだと、私は思っています。
出典元 「とことん悩む人が強い理由」 おすすめ度 4 著者名 岡本 正善
苦しさや辛さのさなかにいるときには、 「どうして自分ばかりが…こんな目にあうのか。 この苦しさがなかったら、どんなにいいんだろう」 と思い、自分がとても不幸に思える。
しかし、逆に、あまりに何もなく平和だと、今度は、 「刺激もなく、つまらない人生、 このままでいたらダメになる、何かしなくちゃ」 などと焦ってきて、心穏やかでなくなってくる。
人間には、苦も楽も、正も負も、陰も陽も、 ポジティブな考え方も、ネガティブな考え方も、 両方必要で、両方あってこそ自然で、そのバランスが うまくとれているのがいいのだろうと思う。
ただ、どちらかに偏り過ぎることが多々あって、 そのバランスも、自分の思うようにはいかず、 どっちかに、ひどく振れがちになる。 うまくバランスがとれるといいのになぁ…としみじみ思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「こっ、これはなんだ!と驚いた衝撃的なもの」
本当に、びっくりしました〜 今まで、見たことがないものだったから。
2010年04月09日(金) |
■自分には、けっして落ち度がない、絶対悪くないと思う人は… |
自分にはけっして落ち度がないと信じるのは楽かもしれない。 しかし「自分は絶対悪くない」という思い込みの困ったところは、 ある問題にたいして自分がどうかかわったかという、 解決できる側面を見つけにくくするところだ。
ちょっといらつくことから大きめの問題に至るまで、 人生で何かがうまくいかないとき、 一部は自分にも責任があると認めることによって、 まったく新しい可能性の扉が開かれる。 人生で持ち上がる問題に関して、自分の責任を積極的に 認める姿勢があれば、わずかな変更や調整ですむ解決法が、 はっきり見えるようになる。 (略)
問題を人のせいにして、 そればかり思いつめても何の役にもたたない。 何であれ、人のやり方を変えることなどほとんどできないのだ。 しかし、自分のやり方を変えるのはそれより簡単だ。
出典元 「お金のことでくよくよするな!」 おすすめ度 5 著者名 リチャード・カールソン
「100%、相手が悪い」 「全部、すべて相手の責任」 逆に、 「100%、私が悪い」 「全部、すべて私の責任」
不慮の出来事や事故、仕事上では、こんなこともあると思うが、 日常生活のなかでは、こう言い切れることは少なく、 相手や自分に、悪いこと、責任をすべて押しつけていては、 前向きな解決方法は、決してみつからない。
自分にも、こうなった責任の一部はあるかもしれない… そう素直に認め、受けいれることによって、反省もし、 これから、自分がどうしたらいいか、 どうその問題を解決していけばいいか、みえると思うのだ。
責任を受けいれることが、自分の価値をさげることではなく、 受けいれて、解決策を模索する人を、回りの人は責めないし、 逆に、ちゃんと認め、受けいれてくれ、助けてくれる、そう思う。
なにがあっても「絶対に責任を負わない、相手が悪い」 という人も、世の中に確かに存在するけれど、そんな人は、 いつか、誰からも相手にされなくなっていく…そう見える。 自分も悪かった…、自分の落ち度もある…そう思ったら、 素直に認め、受けいれ、謝り、解決策をみいだしていこう。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「わぁ〜ジャンボな松井選手だぁ〜」
新宿駅で、見つけたこんなもの。 つくった人、すごいと思う。
|