2010年05月19日(水) |
■我々の心に忍び寄る満たされなさの感覚の理由 |
我々の心に忍び寄る満たされなさの感覚は、 ある程度経済的にも恵まれた状況で生じる。 あるいは、なにかを成し遂げた後で生じる。 傍らから見れば満たされているはずなのだ。 それなのに、なぜ、満たされないと感じてしまうのだろうか。
その問いに答えるヒントを、人間性心理学の創始者の1人である A.マズローが与えてくれる。彼によれば、 人間の基本的欲求には以下の5つがある。 (小口忠彦訳「改訂新版・人間性の心理学 モチベーションとパーソナリティ」)
1.生理的欲求…食欲、排泄欲求、睡眠欲求、性的欲求 ホメオスタシス(体の危機管理)など 2.安全欲求……安全、安心、安定、依存、保護を求める欲求 不安や恐怖から守ってもらいたい欲求など 3.愛と所属の欲求…人と愛情で結びつきたい欲求、家族や仲間 としっかりと結びつきたい欲求など 4.自尊と承認の欲求…自分に価値があると実感したい欲求、 他の人から注目されたり、賞賛されたいなど 5.自己実現欲求…より自分自身でありたい欲求、未来の自分に 適していることをしたい欲求など
彼の理論の主柱は、第一にこれらの欲求はいずれも人間にとり、 基本的な欲求だということである。(略)
彼の理論の第二は、これらの欲求が階層をなしていると いうことである。すなわち、下位の欲求がある程度満たされると、 次のより上位の欲求が必然的に優勢になる。 逆にいえば、下位の欲求がある程度満たされると、 もはやその欲求は強い動機とはならなくなる。 このために、より上位の欲求を満たすように我々が 動いていかないと、早晩、空虚感や焦燥感に とらわれざるを得ないというのである。(略)
さらにマズローは、人間にはいかなる欲求でも、 ある程度の期間満たされると、それに慣れてしまい、 当然と思ってしまう傾向があることを指摘する。 授かる幸福を忘れ、最高の喜びさえしだいに色あせてしまう… とりわけ、それを得るのに努力したり、骨を折ったりする 必要がない場合にそうである。このために、 大部分の人間は永遠に満足しきることはないという。
出典元 「「満たされない心」の心理学 」 おすすめ度 4.5 著者名 根本 橘夫
もちろん、これらの欲求の進行過程は、揺れつつ進むので、 例えば、自尊と承認の欲求が優勢な場合においても、 愛する人の裏切りにあえば、愛情欲求が優勢になったりするし、 リストラにより職を失う危険が予測されれば、 安全の欲求が優勢になったりと、順番が入れ替わるそうです。
これは、心理学のかなり有名な説ですが、 本当にそうだなぁ… 人間の欲求には限りがなくて、すぐに次があって、 かなっても、すぐにそれも当たり前になって、 満足する、足を知る、ということがなかなかできない やっかいなものなんだなぁ…と、思います。 今、自分が1〜5のどのあたりの欲求段階にいる思われますか?
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「ヨロイヅカ「ピスタチオとチェリーのタルト」どんな味?」
いろいろな組み合わせがあるものだなぁと思いつつ、 食べてみると…
2010年05月18日(火) |
■部下をほめることが苦手という上司 |
ほめるという行為は、 単に相手の行為を結果を賞賛する手段ではありません。 その行為の主体である人間、つまり、部下の存在そのものを 認めることを意味します。
したがって、ほめられた部下は、結果に満足すると同時に、 上司に認められたことで自信を持ちます。 その自信が、前向きな考え方や行動の源泉になるのです。(略)
部下の美点を上手に見つけて、そっと肩を押す。 その力に部下は大きな勇気を実感し、それまでは、 やろうとしなかったことにも果敢に挑戦しようとするのです。
出典元 「“結果”を出す部下をつくるコーチング術」 おすすめ度 4.5 著者名 桜井 一紀
この本では、こう言っています。 「部下をほめることが苦手という上司がいます。 照れくさいし、面と向ってそんなことはできない、 というわけです。 仕事はうまくいって当たり前と思っている人ほど、 部下をほめませんし、会社とはそういうものだと 思っているようです。 しかし、その考え方は正しいのでしょうか。 まして、部下が自ら進んで結果を出してくれることを 期待しているなら、大きな間違いだといわなくてはなりません」
また、昨日紹介した本、 「「ほめる力」がすべてを決める!」でも、こう言っています。 「仕事がどんどん入ってきて、叱咤するだけで 人がついてきた時代は、「叱る」だけですんだ。 が、部下にやる気を起こさせ、いい仕事をしてもらわないと、 仕事が取れなくなるに及んで、「叱る」だけでなく、 よいときにはよいと口に出して、「ほめる」ことが、 人々の意欲と能力を高める上で重視される時代になったのである」
「叱る」と「ほめる」で、どちらがいいのかという議論もあるが、 自分が、どうされたら、力でるかやる気がでるか、自ら動く気に なるか、悪いところを直していこうと思えるかを考えてみれば、 答えは見つかるのではないかと思う。
そして、ほめることは、結果だけでなく、 相手の存在を認めること、それが自信につながる… 出来て当たり前、上手くいって当たり前だからほめない、 では、人はもう育たない、このことを覚えておきたい。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「■ヨロイヅカのケーキを買いに行く」
川島なお美さんのご主人がやっているケーキ屋さん、 おいしかったので、今度は、買いにいってきた。
2010年05月17日(月) |
■今すぐ使える、ほめ言葉9個 |
ほめるという行為は、相手により、場所により、 状況により、さまざまに変わってくる。 だから、あるときには効果的だったほめ言葉が、 別のときには逆効果になる、ということもある。
したがって、私は、ほめ言葉というものは、 たくさん覚えるよりも、いくつかの効果的なほめ言葉を しっかり使いこなせるほうがいい、と、考えている。 私が重宝しているほめ言葉9個を選んでみた。
1.「いい顔になったね」 2.「それが君の取り柄だ」 3.「大事なところでよく頑張った」 4.「君は貴重な存在だ」 5.「○○さんがほめていたよ」 6.「いいセンス持っているよね」 7.「君たちと一緒に仕事がしたかった」 8.「最初からこれだけできれば大したものだ」 9.「ありがとう」 (注/言葉をまとめました)
出典元 「「ほめる力」がすべてを決める! 」 おすすめ度 4 著者名 福田 健
こんな言葉を、さりげなく、タイミングよく、 言われたら、やっぱり嬉しいだろうなぁ、 いい気持ちになり、がんばろうと思うだろうなぁと思う。
けれども…いざ、自分がほめようとすると、 仮にその人のよさや仕事を認めていても、気づいても、 嫉妬もあったり、どこかひっかかりがあったりで、 ほめたくない気持ちもあったり、 こんなことを言っても大丈夫かとか、 複雑な気持ちもあり、なかなかほめられない。 自分の方が、ほめてもらいたい気持ちが強かったり…。
しかし、そんな自分の、小さく、ケチったれた気持ちは 取り払って、相手のよさに気づいたら、認めたら素直にほめよう。 相手のよさや、素晴らしさ、仕事、を素直にほめよう。 きっと、その方が、気分がいいから。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「「プチヴェール」を食べて、決意したこと」
ついに食べてみました!そして、決意したことがあります。
2010年05月14日(金) |
■「私は貧乏だから価値がない」と言うことは… |
「私は貧乏だから価値がない」と言うことは、 世の中のすべての貧乏な人を侮辱することになります。 貧乏でも、明るく前向きに生きている人はたくさんいます。 自分の弱さを一般論にすりかえてごまかしてはいけません。
「私は太っているからモテないのだ」と言うことは、 世の中のすべての太っている人を侮辱することになります。 「私は体が不自由だから不幸だ」と言う人は、 世の中のすべての身体に障害のある人を侮辱することになります。 あなたはもう、何かに理由をつけて、「自分は価値がない」 などということはできません。それは、 同じ境遇の人に対して、とても失礼な発言なのです。(略)
自分が、自分の価値観に従って、自分を無価値だと決めつけ、 悩んでいる…その姿は、自分で自分の首をしめながら、 誰かに助けを求めているのと同じです。 その手をゆるめさえすれば、楽になるのです。
出典元 「3分間で気持ちの整理をするリラックスブック」 おすすめ度 4 著者名 たかた まさひろ
自分で自分の首をしめている… そんなことは、案外あるもので、たとえば、 「こうであらねばならない」「こうあるべき」 などという思いが強すぎると、 そうできない、そうならない自分が、 とても無価値に思え、苦しくなってくる。
回りは、そんなことは、誰も期待もしていないし、 そこまでしなくてもいいと思っていることでも、 自分が「こうであらねば価値がない」などと思い込むと、 その価値観にどうしてもしばられてしまう。
自分で自分の首をしめていること、ありませんか? 自分で自分を苦しくしてしまう、しばりはありませんか? 自分で自分の価値を落としていませんか? 本当にそれが、生きていくのに、 必要かどうか、大切かどうか、 ちょっと見直してみませんか?
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「今年のベランダ菜園は、うんと力入ってます!」
張り切りました。そして、こんなふうになりました。 今年はいっぱい収穫したいです(笑)
2010年05月13日(木) |
■幸せの絶頂期に、それを手放す効果的な方法 |
「ぼくはこの人を愛しているんだろうか」 という疑いをもてば、 「違うかもしれない」 という結論にたどりつくに決まっているじゃない!
「いまの自分でいいんだろうか」 という疑いをもてば、 必ず「よくない」 という結論にたどりつくに決まってるよ。
幸せの絶頂期に、それを手放す効果的な方法があります。 それは、 「これでいいのかな?」「いつまで続くのかな?」 と疑うこと。
出典元 「今日が新しくなる小さな辞典」 おすすめ度 4 著者名 伊藤 守
自分にでも、相手にでも、誰にでも、なんにでも、 疑いを持てば、その疑いを打ち消すのは難しくなる。
そして、ああでもない、こうでもないと考えに考えた その疑いに対する自分の答えは、たいてい、 気持ちのすっきりする答えではなく… 「きっと(たぶん)そうに違いない」(断定) 「もしかしたら、こうなのではないだろうか…」(さらなる疑い) 「でも、本当に、そうだろうか…」(迷い) 「やっぱりわからないなあ」(あきらめ) などなど、かえって自分を、不安にさせたり、 落ち込ませてしまう答えになることが多いように思う。
もちろん、その疑いをはらすことができる答えを すっきりと見つけられる人もいるとは思うが、 たいていの人は、気持ちが暗くなるのではないだろうか。
だからといって、「疑うな」というわけではなく、 (疑うのは、自分を守るための本能でもあるので) その疑いに対する、自分が見つけた答えは、 あくまで自分が考えたものであり、その答えが 当っているかどうかはわからないものなのだから、 「こうに違いない!」などと、決めつけない方がいいこと、 そして、たいていその答えは、暗く落ち込むものになりがちだ、 ということを、しっかりと認識しておいたほうがいいと思う。 疑いとは、そうしたものだと。
もし、疑いを前向きに活かすなら、 「……かもしれない、でも、それならそれでいい、 そのときは、そのとき」 と腹をくくり、その疑いをすべてを飲み込み、 気にしないようにすることかもしれない。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「やるだけ、やってみろ。どうなるんだがな〜」
と、言われた野菜。 確かに…頼りないね〜
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