2010年05月26日(水) |
■もしも、あのとき、こうしていたら、ああしていたら… |
人生には、脇道に逸れそうで逸れない 危うい一瞬というのがあるのです。 「こちらに来れば」と、別の道に誘われる。 「あっちの道」を行けば、 波瀾万丈な人生が待っているかもしれないし、 もっとドキドキした毎日が送れるかもしれない。 心惹かれるけれど、結局は平凡な「こっちの道」から 離れることはしない。
何年もたって、「もしも、あのとき」と 選ばなかった人生を思い描くことがあります。 「あっちの道」と「こっちの道」、現実は一方だけ。 いつも、もう一方が少しだけ良く思える。 後悔ではなく、 「あっちの道」を行く自分の幻が、ただ眩しいのです。
出典元 「人生、どうにかなるさ!」 おすすめ度 3.5 著者名 新井 えり
どんな人にも、誰でも、 選べなかった、選ばなかった道がある。 逆をいえば、選んできた道がある。
そして、ときに、そんな道に思いをはせる… その選ばなかった道、選べなかった道は、 今の自分がみじめなときだと、うんといいように思えるし、 今の自分が満たされていると、「これでよかった」と思える。
また、ふと、 もしも、あのとき、こうしていたら、ああしていたら… 選んできた道は、これでよかったのだろうか… などと、考えてしまうこともある。 人は、そんな思いを持ちつつ、 揺れながら、生きているのだと思う。
自分が選んできた道は… 思った通りでないかもしれないし、 思ったようにはいっていないかもしれない。 選んできた、なんて言いたくないかもしれない。 それでも、やっぱり、今の道は今の道。 大切にしていかなければ…と思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「こんなのを見つけたら、見ちゃうよね?」
って、思うのは、私だけでしょうか?
2010年05月25日(火) |
■こういう連鎖がキレない人間関係をつくっていく |
世の中のひとりひとりが「やりっぱなし」にするのではなく、 自分のやったことが周りの人にどんな影響を与えるかを 想像する癖をつけてほしいものだ。 そして「社会のルール」を自分なりに守ること。 そういう心構えをするだけで、世の中のイライラは減少する。 それだけでキレる人も減少する。
いや、それよりもみずから、 「あの人はちょっと違うわよねえ」 「彼はいつもちゃんとしてるな」と と思われる人間になるように心がけてみてはどうか。
自分で開けたドアは自分できちんと閉める。 トイレはきちんと流す。 ポイ捨てしないのはもちろん、気が付いたら、 他人のゴミもゴミ箱に入れる。たったそれだけ。 周りの人は、きっと見習う。 そういう連鎖がキレない人間関係をつくっていくのだ。
出典元 「人間関係で「キレそう!」になったら読む本」 おすすめ度 4 著者名 斎藤 茂太
自分のやったことに対する想像力がなくなってきている、 こんなことを最近よく耳にするようになってきた。 自分がやったことが、周りにどんな影響を及ぼすか、 想像出来ない人が増えてきている、ということらしい。
例えば、電車の中でのお化粧なども、本人は、 「何をしても私の勝手でしょ、私は全然平気」と 思っているだろうが、見ている方は、 白日の下では見たくないものを見せられた感じがして、 また、同じ女性として妙に恥ずかしく居心地が悪いものだ。 しかし、本人は、そんな周りの人の気持ちなどは想像もできず、 時間がないから仕方ない、知合いがいないから平気とばかりに、 自分だけの世界に入り込んでいる。
ちなみに、このような現象は、 見知らぬ他人に対しては羞恥心が全く働かず、 逆に、ちょっとでも知っている人、仲間内見られると、 非常に恥ずかしい気持ちになるという、 羞恥心の矮小化ともいえるそうだ。 (つまり、見知らぬ他人には、想像力が働かず、配慮もせず、 知合いや仲間内だけに、想像力を働かせ、配慮する、 ということでもある)
そして、こういう現象が多くなってきているから、 見知らぬ人の中にあっても、ゴミをさりげなく拾って捨てる人や、 電車で気持ちよく席を譲る人、節度ある態度に感心して、 いい刺激や影響を受けたりして、見習いたくなると思うのだ。 こんなさりげない周りへの配慮、自分のやったことに対する 想像力をなくさないようにしていきたい。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「ちょっといいことをしたお話」
そして、こんなことがあったのでした。
2010年05月24日(月) |
■欠点やダメなところばかり数えていたら、自分が嫌いになるだけ |
自分の欠点やダメなところばかり数えて、それを悔やんだり、 責めてばかりいると、どんどん自分を嫌いになってしまいます。 欠点やダメなところなんて、いくら数えて確認したって、 少しも解消できません。解消できないあげくに、大事な大事な、 誰よりも大事な自分を嫌いにさせる効果しかありません。
大丈夫。 欠点やダメなところが気になるときがあったとしても、 まあいいや、それはそれ、って思えばいいんです。 そんなこと放っておいたほうがいいんです。 放っておいて、どんな小さなことでもいいから ほめてあげられる何かをみつけてあげましょう。そして、 「こんな素晴らしいところだってもっているじゃない」 といってあげましょう。
人間って、とっても不思議な動物です。 自分で自分をほめていると、少しずつかもしれないけど、 自分の輝きが増してくるのがわかります。 今まで気づけなかった素晴らしい自分に、 次から次へと気づき始めます。
出典元 「きっと、あなたは癒される」 おすすめ度 5 著者名 金盛 浦子
自分のことを欠点だらけだと考え、嫌っていて、 認めてない人が、仮に誰かに、 「好きだ、愛してる、大切に想っている」 「あなたは素晴らしい人だよ、魅力的だよ」 と言われても、それを、素直に受け止め、 受け入れることはできないように思う。 例え、心からそう思って言ってくれたにしても…。 これは、とてももったいないことではないだろうか。
ああ、ここがこうだったら… これができない自分は、駄目な自分だ… どうしてこういう性格なんだろう… 確かに、そんなところもあるかもしれないし、 生きているのだから、落ち込んで、 こんなふうに思うときもあるけれど、もし、こう思うなら、 バランスをとって、自分のいいところも見つけてあげよう。
世の中、正と負、プラスとマイナス、日と影があるように、 欠点があれば、同じほど、長所も優れたところもあると思う。 そのこともちゃんと認めて、 「こんな素晴らしいところだってもっているじゃない」 と、自分のいいところ、素晴らしさを見つけてあげよう。 だって、自分は自分なりに、本当に頑張っているのだから。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「この花が、野菜のルーツだったとは…」
TVで知って驚きました。だって、こんな写真も撮っていた からです。
2010年05月21日(金) |
■Aさんは、すごくまじめ。Bさんは、楽しむことを優先する人、さてどちらが… |
Aさんは、すごくまじめな人。 誰にも負けないように、全力で頑張って、一生懸命登ります。 どうせ登る山なら、標高が高くて有名な山ほど 価値があるとも思っています。
Bさんは、何にしても楽しむことを優先する人。 だから誰かに追い越されても気にしないし、 のんびりのんびり景色の変化を楽しみながら登るし、 疲れたら無理しないで休みます。 登るのは低い山でもかまわないし、頂上までたどりつけないまま 回れ右して下ることがあってもかまわないと思っています。
さて、AさんとBさんと、どっちのほうがたくさんの “幸せな山登り”を体験できるでしょうか。
出典元 「きっと、あなたは癒される」 おすすめ度 5 著者名 金盛 浦子
この本で、著者はこう問いかけています。 「あなたはどう考えるでしょう。人生って、苦がなければ、 楽はないものなのでしょうか。人間は、それまでに重ねた 苦痛の多寡に応じた幸せしか手にできないものでしょうか。 すごく正直に、本音の本音で考えてみると分かるけど、 大して努力なんかしてないのにすごく幸せそうに生きてる人って 案外たくさんいると思いません? その一方で、「すごくまじめに頑張り続けている」と本人が いっている割に、不幸な目や災難にばかりあってしまう人も、 決して少なくないじゃないですか。
乱暴に聞こえるかもしれないけど、 人生ってそういうものなんだ、と私は感じてきました。 努力と幸せの間にはほとんと相関関係などないし、 まじめに頑張ったからといって幸せになれるとは限らない。 むしろまじめに頑張りすぎると悩みばかり多い不幸な日々に なってしまうのが人生というものだ、と感じています」
人それぞれ生き方や考え方があり、 苦労や努力なしに、何も手に入れることが出来ない、と、 それを楽しんで頑張る人もいれば、顔の眉間にしわを寄せて、 必死で頑張っている人もいると思うし、苦労や努力を、 そうとは思わずに楽々と乗り越えてしまっている人もいる。
どの生き方や考え方が、自分の幸せに結びついていくか、 生きやすいのか、これもまた人それぞれだと思うが、 私は、仮に苦労や努力があっても、それらが前面に出る、 顔にもろに出てしまうような生き方はしたくないなあ、 出来れば、そんなことも笑い飛ばして生きていきたいなあ…と思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「突然変異と先祖帰りがよくあるらしい花」
なるほどね〜こんな花もあるんだね。
2010年05月20日(木) |
■「貴人(人生の先生)は自分で探せ」ということわざ |
「あの方がいてくれたから、あの時を乗り越えられた」 と感謝できる人物に巡り合う。 困ったときは意見を求め、時には叱ってもらえる 「人生の先生」。
中国ではこのような人物を「貴人(きじん)」と呼び、 「貴人は自分で探せ」ということわざがあるそうです。
信頼する人の一言で迷いから抜け出せ、 応援してくれていると思うと安心する。 時には、その人がそばにいるとわかっているだけで、 人は生き抜くことができるのです。
出典元 「人生、どうにかなるさ!」 おすすめ度 3.5 著者名 新井 えり
私にも、かつてそんな貴人である先生がいたのですが、 残念ながら、大分以前にお亡くなりになり… それ以来、なかなか出会えないでいます。
でも、その先生は…確かに現世にはいませんが、 何かあって、話しかけるといつも答えをくれます。 「おまえは、相変わらず、すぐにそういうなあ… でもなあ、人間なんて、そんなもんじゃないだろう。 生きていれば、いろいろあるんだよ。 そこをわかってやれ」 「ま、いいじゃないか、やってみろ。 やってから、だな」 だいたいこんな答えですけど… 生きておられても、きっとこう言ってくれたと思います。
貴人と出会えない場合は、本の著者さんでも、 歴史上の尊敬する人物でも、この人ならと思う人を、 自分の貴人と思い、きちんと話しかけたり、 相談してみたりするといいそうです。 きっと、答えをくれると思います。 また、その人だったら、どう答えるか、 そうするかを考えてみるのもいいそうです。
「貴人は自分で探せ」、本当にそうですね。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「この植木の中の貼り紙は何だろう?」
なんて、不思議におもって近寄ってみると… そうなんだ…でも、いいのかな、なんて思ったのでした。
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