ことば探し
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]
 

2010年06月02日(水) ■本物の刀で対戦すると、有段者が素人に勝つとは限らない

《お知らせ》
「「今日のことば」5月の人気ベスト5」をUPいたしました。
今回は、16ポイントが最高で、人間関係に関することばでした。
ご協力ありがとうございました。<(_ _)>
★「「今日のことば」5月の人気ベスト5」



剣道の達人の方から、
「本物の刀で対戦すると、有段者が素人に勝つとは限らない」
というお話を聞きました。
竹刀を持って戦えば、有段者が100%勝てるのに、
生きるか死ぬかという状況では、ともすれば、
素人が勝つこともある…
これは、危機感がパフォーマンスを最大限に
引き上げることを示した例といえるでしょう。


「窮鼠(きゅうそ)、猫をかむ」
「火事場の馬鹿力」
といった言葉は、人間がこうした脳の反応を
体験的に知っていたことからできたものだと考えられます。

裏を返せば、
「たとえ実力が上であっても、負けてしまうことがある」
ことを表しています。


出典元 「脳に悪い7つの習慣 」
おすすめ度 4.5
著者名 林 成之


脳は、危機感や悔しいという思いを持つと、
海馬回を本気で働かせ、脳のポテンシャルや
パフォーマンスを引き上げる、ということです。
「悔しい!今度こそやってやろう」
と思うこと、そして、それに邁進することは、
脳にとってはとてもいいことだそうです。

人間は、ただ安穏としてばかりいると、
力が出なくなってしまうので、ときどき、
危機感を感じること、本気になってやってみることが
必要で、逆にいえば、自分の本当の力を出させるために、
危機があったり、負けて悔しい思いがあったりするそうです。

確かに危機感を持つと、腹の底から
「やってやる、なんとしてもやってやる、やらねば」
と、それに立ち向かう力がわいてきます。
そんなときには、本気で立ち向かい力を取り戻そう。
本気の力は強い。
そして、力をつけていきましょう。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「これがこう変わっているとは…びっくり」

主役が大きく変わっていました。
びっくりしました。

My追加



2010年06月01日(火) ■ケンカ、口論中の言葉は、本心ではない

《お知らせ》
「「今日のことば」5月の人気ベスト5」をUPいたしました。
今回は、16ポイントが最高で、人間関係に関することばでした。
ご協力ありがとうございました。<(_ _)>
「「今日のことば」5月の人気ベスト5」



怒りや悲しみに任せて出てきた言葉は、
自分の本心とは、ほとんど無関係のことが多いものです。
だから、口論中に「それがあなたの本心だったのね!」
などと嘆くのはナンセンス。
口論中の言葉など、本心であるわけがありません。

自分の感情に瞬時にたどり着き、かつそれを
精緻に言語化するなんて、そんな状況下(ケンカ中)では、
特に、絶対にできっこないからです。
「火のない所に煙は立たぬ」と言いますが、
人の感情に関しては、火が全くなくても、煙だけ
モクモクと立ててしまうというわけです。
怒りや悲しみで混乱すると、まったく心にもないことでも、
勢いで言ってしまう…(略)

ケンカのときほどグッとこらえて「言葉にしないで」一晩寝かす。
その一晩が、言語的隠蔽を避け、より正しい「自分の気持ち」を
相手に告げるための、貴重な時間になるのです。



出典元 「シロクマのことだけは考えるな!」
おすすめ度 4
著者名 植木 理恵


言葉にすることでかえって、感覚が鈍くなったり、
自分の真の感情がわからなくなってしまう現象を
心理学的では、「言語的隠蔽」というそうです。

人の感情や気持ちは、深いヒダがあって、それを自分でちゃんと
認識するには、一定の時間がどうしてもかかるそうです。
つまり、頭に浮かんだ言葉が、即、自分の本当の感情なのか、
気持ちなのか、実は曖昧でわからないということです。
その時にふっと浮かんだ言葉も、その後すぐに、でもこうかも…
なんて全く反対のことを思ったりすることはよくあります。

特に、カッとなったり、ケンカの時、怒っている時に
頭に浮かんできて、ぽんぽんと言ってしまう言葉は、
売り言葉に買い言葉が多く、相手の言葉に刺激されたりして、
「負けたくない」という気持ちや、なんとかしなくちゃ、
と追いつめられた気持ちになり、自分が抑えられないまま、
どんどんとエスカレートしていきがちです。

すると、本当の自分の気持ちとは、違うことを口にしたり、
なんであんなこと言ったんだろう…ということを言ったり、
心にもないことを言ってしまったりしてしまいます。
でも、それを聞いた方は、「それが本心か」と思います。
そして、後で取り返しがつかなくなることだってあります。

そんなことにならないように、そんな時には、
言語化するのをグッとこらえて、一晩寝かせましょう。
また、その時に、「それが本心だったのね」などと、
決めつけたりして勝手に傷つかず、一晩寝かせて、
相手が冷静になってから、真意を確認した方がいいと思います。

人間の感情や気持ちは、なかなかとらえどころがなくて、
言葉にすると、かえってわからなくなったり、
今言っていることが、本当の感情気持ちとは、
いえないことがあることを忘れないようにしたいものです。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「美脚マシーンで、美脚になったか?」

3月から使ってみて…毎日、やってて
何か効果があったか。

My追加



2010年05月31日(月) ■評価されてない、認められていない、と思うとき

多くの場合、人は、
自分がやっているわりには認められていない、
評価されていないと感じている。

一方で、逆の立場では、多くの人が、
こんなに誉めたり評価しているのに、相手は、
そのことに気づいていないと感じている。

その理由は、相手が成し遂げたことが、
私たちにとって、どういう貢献をもたらしているか、
という視点に欠けているからだと思う。

人は、一見、
自分だけよくなろうと思っているように見えても、
深いところでは、「この場」に貢献したい、「この場」に
つながっていたいということを求めているものだから。
成果を認め合おう。



出典元 「人を動かす10の法則」
おすすめ度 4
著者名 伊藤 守


誰もが、正当に自分を評価してほしい、認めてほしい、
と思っているが、それがなかなかしてもらえない。
だいたいにおいて、評価は自分が思っているより低いものだし、
思ったように自分を認めてもらうことも少ない。

それは、評価は、その対価や見返りとセットだし、
評価のモノサシは、あってないようなものだし、
認めることは、その人の言い分を認め受け入れたり、
それゆえ、負けたような気持ちを持ったりして、
こちらの負担になるようなことも多いからだ。
だから、簡単には、評価できないし、
素直に認めることもできない。
かくして、人に評価や認めてもらうことを求めても、
なかなか手に入らない、ということになる。
本当には、心の中で評価し、認めていたとしても。

だから、あまりに評価や認めてもらうことを求めすぎると、
がっくりきたり、ジレンマに陥ることになってしまう。
それよりも、そのことだけに振り回されず、
自分のやったことに誇りを持とう。
自分がやった成果をまずは認めてあげよう。
そして、できれば、相手のやった成果も認めてあげよう。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「あれは、どうなっている?その後のお話」

何人かの方からメールをいただいたので、その後のお話です。
今日は、ベランダ野菜中心です。

My追加



2010年05月28日(金) ■死ぬまで夢を持て。叶わなくても、しょせん夢だから

《お知らせ》
本日の「ぼちぼち日記」で、
「20年後のありがとうのために」という、
ひとりの母親から息子へのメッセージを紹介しています。
子育て中の方、誰かを育てている方、自分のこれからの
人生に迷いのある方には、読んでいただきたいメッセージです。
ぜひ、読んでみてください。 <(_ _)>
「20年後のありがとうのために」



ばあちゃんが遺してくれた中で、
俺が一番好きな言葉がこれだ。

「死ぬまで夢を持て。
 叶わなくても、しょせん夢だから」
失敗しても落胆するな。
あきらめるな。


という、ばあちゃんからのメッセージが
伝わってくる一言だ。
ばあちゃんは、いい方向に向おうとしてやったことなら、
どんな結果になっても失敗ではないと、言っていた。
そう言ってもらえると、
「失敗しても、いいんだ」
と、勇気が湧いてくる。


出典元 「がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい!」
おすすめ度 5
著者名 島田 洋七


洋七さんは、この本のなかでさらにこう言っています。
「人生は、思うとおりになんていかない。
 失敗して、当たり前なのだから。
 これは長い苦労の末、
 ばあちゃんがたどり着いた結論だったのだろう。
 そして、それでいて、
 「夢を持ちつづけろ」
 と言うことができたばあちゃんは、俺の誇りだ」


人は、自分が、苦労したり、ダメだったり、
失敗したり、夢やぶれたりすると、ついつい、
「夢なんて持っても仕方がない。
 そんなものは持つだけ無駄だ。
 どうせ、かないっこないんだから」
などと言いがちだ。
そして、気持ちもやる気も元気もしぼんでいく…

しかし…年を重ねても、苦労しても、失敗しても、
「私は、まだこんな夢があるの」などと話せる人と、
「夢なんて何もない」と、言い切る人と、
どちらが、心豊かに生きられるだろうか。
どちらが、話をしていて楽しいだろうか。

私は、叶わなくても、死ぬまで夢を持ちたいと思う。
たとえそれが、人からみたら、ささいな夢でも、
かないっこない、と思われるような夢でも…
そして、「ああ、いい夢みたわ〜ふふふ」などと言って
死ねたら、とても幸いだと思っている。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「■「20年後のありがとう」のために」、「5年後の自分にありがとう」のために…」

とてもステキな、1人のおかあさんからのメッセージです。
ぜひ、読んでみてください。 <(_ _)>

My追加



2010年05月27日(木) ■「してあげたこと」は、すべて忘れることです

「私はあの人に、これだけのことをしてあげたのに」
人は、してあげたことは、細かいことまでよく覚えています。
そのかわり、人にしてもらったことは簡単に忘れてしまいます。

夫婦や恋人同士のいさかいの多くは、
「してあげたこと」と「してもらったこと」の
不釣り合いへの不満から生まれます。
誰でも、自分が人にしてあげたことは重大なことに感じますが、
人にしてもらったことは軽くみてしまいがちですので、
釣り合いがとれるはずがないのです。


「こうしてほしい」という要求には、きりがありません。
「こうしてくれてありがとう」という感謝こそ、
愛の喜びがあります。
「してあげたこと」は、すべて忘れることです。


出典元 「3分間で気持ちの整理をするリラックスブック」
おすすめ度 4
著者名 たかた まさひろ


自分の「してあげたこと」は、よく覚えているし、
重大で、たいそうなことだと思える…
たとえそれが、ささいなことでも。
それだけ、自分が「してあげた」と思うことがらは、
自分の思いや心や何か犠牲が入っているのだと思う。
だからこそ、その「してあげた」ことに対して、
それ相応の感謝、お返しをしてもらいたいと願ってしまう…

しかし、それは、相手もまたそうなのだともいえる。
仮にそれが、こちらにとっては、ささいなことに見えても。
だから、相手がしてくれたことを軽くみてはいけない。
それは、相手の思いや心を軽く扱っていることになってしまうから。

けれども、中には、「してあげた」と言わない人もいて、
そういう人は、とてもありがたい何かをしてくれても、
その後のお返しや感謝も求めず、さらりとしている。
なぜなら、それは「自分がしてあげたいと思ったからした」
のであって、誰かから、強制されてしたのではないし、
誰かに感謝されたり、お返しをもらうために、
したからではない、とわかっているからだ。
少なくても、そう考えて、してあげたことは、
忘れるようにしているのだと思う。

どちらにしても…
「○○をしてあげた、△△をしてあげた」と、
自分が「してあげた」ことを数えるなら、
「してもらったこと」も、数えてバランスをとっていこう。
また、同じ「してあげる」なら、楽しくしていこう。
その方が、不満も小さくてすみ、精神衛生上もいいように思う。




■「ぼちぼち、お散歩日記」↓
「忘れ去られた、過去の道」

のような道を見つけたので、歩いてみると…
やっぱり過去の道でした…

My追加


 < 過去  INDEX  未来 >


 
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加