2010年06月23日(水) |
■「象と小枝」の小話をご存知だろうか?この話は… |
「象と小枝」の小話をご存知だろうか。 インドでは子象が逃げ出さないよう服従を教えるために、 子どものうちに頑丈な木など動かせないものにつないで おくそうだ。子象がもがいても頑丈な木はびくともしない。 そのうちに子象はいわゆる「学習性無力感」を学び、 何をしても逃げられない、いましめは解けないのだと 思い込むようになる。そうすると、 成長した象を、折れそうな小枝につないでおいても逃げなくなる。 それどころか、逃げようと試みることもしないそうだ。 同様のことが僕たちの人生にも起こる。 「人生はもともと単調なものだ、変えることなどできない」 と言われ続けたら、だんだんそんな気がしてきて、やがて、 その通りだと思い込むようになる。 象と同じで、それが信念になってしまうのだ。結果として、 思考が狭くなり、のびのびと物事が考えられなくなる。(略)
人を縛るのはその人自身の考え方である。 つまりあなたを縛っているのは、あなた自身なのだ。 だが人を解放するのもまた、その人自身の考え方である。
出典元 「小枝にしばられたゾウ」 おすすめ度 4.5 著者名 ジェフ トンプソン
「学習性無力感」とは、恐ろしいことばだが、 知らずに、これに陥っていることはあり得ると思う。
この話でいう「小枝」は、いろいろな意味に とらえることができると思うが、例えば、 長い間言われ続けてきて、それが事実ではないにも かかわらず、いつの間にか、自分の中にしっかりと 根付いてしまった否定的な考えや思い込み、 回りにたくさんいる、夢を追うことをあきらめた人、 足をひっぱる人たちのことばを鵜呑みにして、 それを正しいと思って従ってしまっている、などなど、 「学習性無力感」の世界は、広がっているように思う。
しかし、この本にも書いてあるが、 自分でその「小枝」を折ることは可能で、その「小枝」から、 解放されると、いろいろな世界が広がっていて、 自分の可能性も試せるし、自分なりの夢に向って歩けるし、 今の自分をそのまま受け入れてくれる世界もあるのだ。
ただ…そうわかっていても、 この自分の「小枝」に、気づくことがなかなかむずかしい。 自分の「小枝」が、何であるかさえわらないのが現実だ。 だから、いつも同じような否定的な考えばかりが浮かぶなら、 これは「小枝」ではないか、と疑ってみることが必要だと思う。 そして、勇気をだしていらない「小枝」は折って、 前に進んでいこう。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「いろいろな工夫があるけれど…これは複雑だね〜」
このお宅の工夫は…なんだか切ないね。
2010年06月22日(火) |
■プロブレムトークとソリューショントーク |
プロブレムトークというのは、たとえば、 やりたいけれどできなかったことについて話すとき、 「なぜ、うまくいかなかったのか?」 「なぜ、できなかったか?」に焦点を当てて質問することです。 すると、相手は、できなかった、できないという 気持ちが大きくなり、萎縮してしまいます。
逆に、「何ができるか?」「どうしたらできるか?」 「どうすれば欲しいものが手に入るか?」に焦点を当てると、 「したいところに行ける」という気持ちになり、その方法は、 具体的に絞られ見つかっていきます。 これをソリューショントークといいます。
重要なのは、解決に向うような質問をすること。
出典元 「「愛」は伝わっていますか」 おすすめ度 5 著者名 鈴木 秀子
プロブレムトークのように、何が悪いのか、何が原因かを 追求すると、相手は、追いつめられ、萎縮し、相手のとの 関係も悪くなり、両者とも、不満が残る会話になりがちで、 相手に不可能感を持たせてしまうそうです。
確かに、そんな追求されるような質問ばかりをされたら、 自分のことを守るために、言い訳しがちになるし、 責められているようで萎縮するし、 ああ、自分はできないかもしれないな、と思うと思う。
ですから、例えば、こんな質問をするといいそうです。 ・それをやり遂げるために必要な力はどんなことでしょうね? ・今までのところで、できていることはなんですか? ・何があれば、一歩進むことができますか? ・上達したら、喜んでくれるのは誰ですか? ・上達した状態をイメージすると、どんな気持ちになりますか? ・この問題からどんな未来を作りだしたいですか? ・何をしたらうまくいくと思いますか?
このような「解決に向うような質問」は、もちろん、 誰かにするだけではなく、自分にも十分使える質問でもあります。 何かあったとき、問題が起こったとき、失敗したとき、 「解決に向うような質問」を自分にも相手にもしていきましょう。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「このマンションの賃貸料はいくらだと思いますか?」
この贅沢なマンションの賃貸料は、いくらかな?
2010年06月21日(月) |
■あなたの血液の中には何百人、何千人という人の血が流れている |
(親が欠陥人間で、自分もああなるのではないかと 悩んでいる人の問いに対して) 「あなたの血液の中には何百人、何千人という人の血が 流れているのよ。あなたのお父さんにも、お母さんにも、 両親がいるでしょう。その人たちにもまたそれぞれの 両親がいるのよ」と答えました。
そうやってさかのぼると、日本中に 何百人何千人という先祖ができますね。 中には徳の高い人格者もあれば、バカもいる。 そいういうふうに、あらゆる人の性癖や因縁や歴史や血が、 全部自分の中に入り込んで、体の中をめぐっているわけです。 つまり自分自身が1つの宇宙なんですね。 けれども、みんな自分をたった1個の完結した人間だと いうふうに、誤解して考えています。
よく「親の頭が悪いから、あんたもその程度でしょ」なんて言う おかあさんがいますけれど、母親だけの子供じゃないんです。 親はバカかもしれないけれど、先祖は頭がよかったかもしれない。 大天才がいたかもしれない。 ですから、子供にも、あらゆる人間の可能性が 自分のからだの中にあるんだということを自覚させてください。 自覚したところに、自信というものが出てくるのです。 ひょっとしたら、本当にものすごい大天才の血が 流れているかもしれないのです。
出典元 「微笑みの首飾り」 おすすめ度 4 著者名 美輪 明宏
以前に書いた中に、 「私どものご先祖様の数は、三十代目までさかのぼるとすると、 五億三千万人ほどになる、ということになります」 ということばがありました。 (過去のことばは→「ご先祖様の数」) 親は、必ず2人なので、倍々増えていくので、 この人数になるのですが、すごい数ですよね。 人類みな兄弟…って実感として感じられませんか?
普段は、こんなことを意識したりしませんが、 自分の後ろには、今の親だけではなくて、 そのまた先の親たちがいて、ご先祖さまたちがいて、 そして、今の自分が存在している…ということであり、 それだけ歴史がある、ということでもあります。
こんなことからも、 自分1人で生きているわけではないし、 子供は親だけのものではない、人類全体のもの、 ともいえるのではないかと思います。 みなさまは、どう、思われますか?
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「はではでなビルの正体は?」
このビルの正体が、わかったのでした。 すでに、知っている方もおられるかもしれませんが。
2010年06月18日(金) |
■天使のあなた、と、悪魔のあなた |
たとえば、天使のあなた、と、悪魔のあなた。 はっきりとここにいるぞとつかまえることはできないかも しれないけど、それらしいのがいるでしょ? 強いあなた、と、弱いあなた、もいますね。 その他にも、意地っ張り、と、甘えっ子。 頑張り屋、と、意気地なし。 出たがり屋、と、引っ込み思案。 我がままさん、と、素直ないい子。 もしかしたら、ついつい死にたくなっちゃうあなた、と、 生きたいあなた、もいるかもしれません。
誰の心にも、複数のお互いにけっこう牽制しあっている 自分がいる、そして、牽制し合う自分をひとつに まとめる役目の自分がいてくれるからこそ、 1人の人間として生きていられるということだと思います。
出典元 「きっと、あなたは癒される」 おすすめ度 5 著者名 金盛 浦子
この本では、自分の中にいる複数の自分を認めて、受け入れて、 「複数の自分の言っていることにも耳を傾け、 自分の中の自分同士がもっと仲良くなること(友達になること) が、自分らしく生きていくためには大切」だと言っています。
確かに、自分の中には、複数の自分がいて、 何かあると、その複数の自分が、ときに相反することを言い、 ああでもない、こうでもないと意見を言い、自分を悩ませる。
このいくつもの意見をもった自分がいるから、 自分が、本当にどう思っているかをはっきりということが むずかしかったり、考えがまとまらなかったりもする。 そして、そんな自分をもてあまし、てっとりばやく、 どれかのいちばん強い意見を言う自分が、 弱い意見の自分を押さえつけて、自分の意見とする。 けれども、弱い自分の意見がなくなるわけではなく、 何かあれば、またぞろ、その弱い意見も噴出してくる、 時に、意外な力を持って。 すると、また悩み、自分がわからなくなってくる…
そんな自分をまとめるのは、なかなかにむずかしいが、 そんな複数の自分の意見や言い分にも、ちゃんと耳を傾けると、 まとめる自分が現れてきて、 「こうも思うし、こうも思う。でも、これを選ぶ、 それで納得できる」と、言えるようになると思う。 もちろん、そう決めても、また揺らいだりもするが、 それでも、複数の自分の心をくんだ、自分の心にいちばん近い、 選択ができて、しいてはそれが、自分らしく生くことに つながっていくように思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「元気がよくてたくましきものたち…」
このようなものたちを見ると、とても元気をもらえます。
2010年06月17日(木) |
■人生は、ちょっぴり減らすことを考えてみよう |
不安や心配ごとを減らすために 「菜根誕譚(さいこんたん)」※では、
「人生は、ちょっぴり減らすことを考えてみよう。 そうすれば、それだけわずらわしさから抜け出せる。 もし、人の交際を減らせば、もめごとや争いごとが少なくなる。 口数を減らせば失言もなくなる。 いろいろと思いめぐらすことを少なくすると、 それだけ心労は減ることになる。 賢ぶることがないようにすれば、ものごとの見分けが きちんとできる。 日毎に減らすことを考えないで、かえって、 日毎に増やすことを考える人は、自分の自由を 束縛することになってしまう」 (略)
私たちの持ち物、財産、お金、名誉などについても、 増やすことを考えるから、それにともなった悩みごとが 増えているのではないだろうか。と言っても、減らすと、 かえって心配が増えることもあるときは、現状維持、 あるいは、どこまで減らしてよいか考えてみよう。
※「菜根誕譚」とは、中国の古典の1つで、 生きる智恵や楽しみなどが書かれている本。
出典元 「転ばぬ先の智恵 転んだ後の杖」 おすすめ度 4.5 著者名 笠巻 勝利
なんでも、あれもほしい、これもほしい、もっともっとと 増やすことばかりを考えると、辛くなるので、 適度でいい、適度がいいと、私などは思う。 なんでも、多くあればいいというものじゃない、と思う。 そして、これからは、手放していくシンプルな生き方も 学んでいきたいと思っている。
増やすことが楽しい人は、それでもいいと思うが、 いつか、増やせなくなったとき、どうなるのだろうと、 人ごとながらに思う。(余計なお世話だけど)
もし、今、背中に背負った荷物がいっぱいだ、辛いと 感じたら、少し減らしてみたらどうだろうか。 何かのために、今後のために、誰かのためにと、 どんどん背負わず、ちょっと減らす、ちょっと捨てる。 そして、少し軽くなってみてはどうだろう。 そんな生き方も、一度は試してみるといいと思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「これ、だれか何とかしてあげてください!」
なんて思った銅像。だって気の毒ですもん、これだと。
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