2010年07月07日(水) |
■今日の笑顔は、20%のつくり笑いでも… |
心からの100%の笑顔は本物で、20%のつくり笑いを ニセ物と思う人も多いでしょう。 でも20%と言っても、 100%にとりあえず20%は近づいているのです。 本人があきらめない限り、20%が30%、40%、50%と パーセンテージが増え、100%に到達していきます。
途中であきらめないこと。あきらめると、 「笑(しょう)が無い」といって、笑顔を失ってしまいます。 たとえはじめはつくり笑いでも、相手がそれに応えて 笑顔になればいいのです。 「今日はつくり笑いだったのに、あの人は心地よい笑顔で 返してくれた。よかった、ありがとうございます」 と、感謝の心が芽生えたとき、つくり笑いが本物の真の笑顔へと やがて変っていくでしょう。
出典元 「笑顔の教科書」 おすすめ度 5 著者名 福田 純子
ちなみに「ブス」の語源は「附子(ぶし)」=毒から きているそうで、こう書かれています。 「ヤマトリカグトという植物の根からとれるアルカロイドの アコニチンという毒が体内に入ると、だんだん身体が しびれてきて顔が無表情になってしまう。 その表情のない顔を称して、ブスといいはじめました」 ということで、無表情な人のことを言い、表情が豊かな人は、 みな美人ということです。
今日のことばを読んで、以前、ぼちぼち日記に書いた 「泥かぶら」というお話を思い出しました。 (この話は→「3つの化粧品」) そうだなぁ、単純なことで、 どんなに美人でも、カッコよくても、 無表情でいつもブスっとして笑顔がなければ、 人はいつか離れていくし、逆にそうでなくても、 笑顔がある人の周りには、自然に人が集まっていくなぁ、 と思いました。
「笑顔」の出し惜しみは、もったいないのでやめましょう! とても「笑顔なんてできない」なんて言わずに、 ニセ笑いでも、ニセ笑顔、つくり笑いでもいいから、 笑顔でいきましょう! きっと「笑顔」のほうが、モテるし、周りを幸せにします。 そして、なにより、自分の心も「笑顔」になっていきますから。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「これのよさ、わかりますか?」
私には…わからなかったんですけど…
2010年07月06日(火) |
■がんばったけど失敗しました。チャンスだね、チャンスだね |
《チャンスだね》 井手 愛
悪口言われてしまいました。 チャンスだね、チャンスだね 優しくなれるチャンスだね
ケンカをしてしまいました。 チャンスだね、チャンスだね 絆が深まるチャンスだね
作り上げたモノがこわれてしまいました。 チャンスだね、チャンスだね 新しいモノが作れるチャンスだね
がんばったけど失敗しました。 チャンスだね、チャンスだね 目標がもてるチャンスだね
勝負に負けてしまいました。 チャンスだね、チャンスだね くやしさを知るチャンスだね
失恋してしまいました。 チャンスだね、チャンスだね 次の恋に出会えるチャンスだね
お母さんに怒られてしまいました。 チャンスだね、チャンスだね 愛を感じれるチャンスだね
たくさんのチャンスを見逃してしまいました。 チャンスだね、チャンスだね 次のチャンスにすぐに出会えるチャンスだね
出典元 「笑顔の教科書」 おすすめ度 5 著者名 福田 純子
この詩は、この本の中に書かれていた詩で、 中学2年生の井出愛さんが書かれたものだそうです。
愛さんは、この本の著者の講演会を聞き感動し、 この詩を書いたそうです。そして、 「詩ができた!」といって、 お母さんに渡して、お母さんが、 「あまりにうれしくて」と、学校に持参したのだそうです。 こんな詩をもらったら、嬉しくなりますよね。
こんな詩に出会えたのも「チャンス」ですね。 とても力をもらえました。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「センス悪っ!」
こんなところに、こんなものを貼っちゃいけないと思うな。
2010年07月05日(月) |
■背伸びしても自分以外になれっこない。 |
《お知らせ》 「「今日のことば」6月の人気ベスト5」 をアップしました。 ぜひ、確認してみてくださいね。 ご協力ありがとうございました。
小さなことにも、心が平衡感覚を失ってしまうのは、 地に足がついていない証拠。 必要以上に、背伸びしていないだろうか。
どんなに背伸びしても、 いまの自分以外の自分にはなれっこない。 逆に自分を過小評価して自信を失っている場合も、 足下は揺らいでしまう。
ありのままの自分でいい。 本当の自分を丸ごと受け入れたとき、 着実に成長して行くための 出発点に立つことができるのである。
出典元 「ものごとに動じない人の習慣術 」 おすすめ度 4.5 著者名 菅原 圭
この本では、さらにこう言っています。 「背伸びすれば、当然、余計なところの力が入る。 精神的な姿勢のバランスが取れていないから、 ちょっとしたことで大崩れして、こけてしまうのだ。 期待に応えたいのなら、むしろ、 ふだんどおりに振る舞うように心がけた方がいい。 いつのも調子で、もっている実力を そのまま発揮すればいいのである。 背伸びもかっこつけも無用だということだ。 自分を実際以上によく見せたいと欲張らない」
ふだんの自分で、ふだんの実力を出せれば楽だし、 それに越したことはないが…気張らないと、 出せないような気がして、ついつい背伸びしてしまう。 また、自分を自分以上に見せたいときや、 かっこよく見せたいと欲張ることも大いにある。
もっともそういうことが、 がんばる原動力になることもあるので否定はしないが、 本当の実力は、いつかわかるし、 ええかっこしいも無理もずっとは続かず、 いつか疲れてきて、放棄するようにもなる。 だいたい、そんなことをしてもたかが知れているし…。
自分が本当に実力をつけ、成長していくために、 今の自分以上によく見せたい、という自分の欲と、 ほどほどの折り合いをつけていくこと、そして、 等身大の自分を知っておくことが大事だと思う。 そして、何より、 ありのままの自分で勝負できるようでいたいと思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「これは、他の店でもやっているのでしょうかね?」
そう思ったので、他の店をチェックしてみたけど…
2010年07月02日(金) |
■「結果」は先に続いていく |
《お知らせ》 「「今日のことば」6月の人気ベスト5」をアップしました。 今回は、最高は15ポイントで「修行」のことばでした。 ぜひ、確認してみてくださいね。 今回もご協力ありがとうございました。 <(_ _)>
どんな結果が出ようと、 そこで終ってしまうということはめったにない。 その先へ、さらに先へと人生は続いていく。
つまり、そのとき、得られた結果は、失敗ではなく、 「単なる結果」のひとつにすぎないということなのだ。 期待どおりの結果が出なかったとしても、それが結果だ。 そう受け止めるクセをつけよう。
「結果」はつぎに向う「出発点」になる。 「失敗」だと思うとそこで止まってしまうが、 「結果」からは、しばらくたつと、 つぎに向う新しい芽がでてくるものだ。
出典元 「ものごとに動じない人の習慣術」 おすすめ度 4.5 著者名 菅原 圭
生きているかぎり、今、どんな「結果」が出ても、 それは経過であり、必ず次があり、先があり、 その今の結果によって、さまざまなことが生じて続いていく… 「この結果で、終わりではなく先がある」、のだ。 そういうことが苦しくもあるが、希望でもあると思う。
残酷なことだが、失敗やつまずきにあって、その結果に、 意気消沈して何もしなくても、人生は先に進み… その結果は、いずれまたでる。 しかし、この「結果」を次に活かそうと思えば、 その「結果」は、活かされた結果となっていく…
「結果」はつぎに向う「出発点」、はじまり。 今の切ない結果から、次にいい結果を出すこともできるし、 今のいい結果から、さらにいい結果をだしていくともできる。 すべては、自分の向い方次第。 結果を恐れず、向ってみよう、どんな結果が出ても、 リベンジは可能だから。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「この道は、こんな道のワケがあったのね〜」
おばさんに聞いて、知ることができたワケ。
2010年07月01日(木) |
■「和顔愛語」とは? |
《お知らせ》 「「今日のことば」6月の人気ベスト5」」をアップしました。 今回は、最高は15ポイントで「修行」のことばでした。 ぜひ、確認してみてくださいね。 今回もご協力ありがとうございました。 <(_ _)>
仏教で「和顔愛語」という言葉があります。 和やかな顔で、情を込めて語りかける。 これはお布施のひとつなのだそうです。 お布施とは、見返りを求めない善意のことです。 人付き合いにおいては、 この「和顔愛語」さえ心がけておけばよいでしょう。 これだけで充分、「他人を喜ばせる」ことになり、 ひいては「他人から愛される」ことになるのです。
「たったそれだけのことでよいのか」 と思われるかもしれませんが、つねにこれを心がけるのは、 相当むずかしく、強い精神力が要求させることです。
せっかくにこやかに話しかけても、 相手は不機嫌に応答してくるかもしれません。 しかし、それでもよいのです。 見返りを求めてはお布施になりません。 自分が、自尊心と誇りにかけて「和顔愛語」を実践したなら、 相手の反応がどうだろうと、たいして気にはならないはずです。
出典元 「こころのおそうじ」 おすすめ度 5 著者名 たかた まさひろ
「和顔愛語」は、ときどき、あるいは、機嫌のいいとき、 心が穏やかなときにには、比較的簡単にできるが、 いったん、心が乱れたり、何かあって不愉快なことが あったりすると、とてもできなくなるものである。 また、相手の反応が悪ければ、それだけで不愉快になり、 和やかな顔で、情を込めて語りかけるなどとてもできなくなる。
人は、つねに「和顔愛語」できるほど、 そこまで器が大きくはなく、お布施など… したくてもなかなかできないと思う… 少なくても、私はそうだなあ。 そして、ときとして「怖顔怒語」の方が簡単だったりもする。 その方が、周りの反応があったりして。
でも…仮に、自分の思うようにならなくても、 周りの反応が悪くても、不愉快なことがあっても、 怖い顔で、怒鳴り語などは使いたくないなあ、 やっぱり、和やかな顔で、情を込めて語りかける方が、 ずっといいなぁと思う。 そう思うのだから、心してそうしていこうと思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「この道は、不思議な道だね〜なんで?」
ふむ…裏側はどうなっているんだろう、この道は?
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