Sotto voce
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2007年12月29日(土) 亡き人への追想。

叔父が亡くなった。
誰にも看取られずに、ひとりで旅立った。

複雑な事情を抱え離婚した叔父。
実の息子を身元引受人に立てると何かと面倒なので、
叔父の居住地から遠く離れた私の父と、
県外に住む叔父がその役目を引き受けていた。

だから、第一報はまず我が家に来たし、
息子である従兄弟が病院にいるのに、葬儀一切の手続きを
父がしないといけないという皮肉さ面倒くささ。

知らせが入ったのは1時間前。
病院の規則で長時間遺体を置いておけないので
葬儀屋に配送手続きを頼み、父は家を出た。

鹿児島市までは昼間でも2時間かかる。
ましてや、大隅半島から接続するフェリーは
この時間は1時間1本。
タイミングが合わなければ父が叔父のもとにつくまで
さらに時間がかかることになる。

年の瀬、もうすぐ日付も変わる。
父はどんな思いで、兄の亡骸が待つ場所へ向かうのか。
私は明日から早番勤務3連続で、
時期が時期だけに勤務交代もできず、
叔父の葬式には出ないで自宅待機となった。

叔父は、父の兄弟では唯一、
自ら事業を立ち上げて成功した人。
ただ、バブルとともに叔父は全てを失い、家族とも離れ、
生活保護と、離婚して姓の変わった息子の世話になりながら
病気と闘いながらの晩年を送った。

実家に戻るとこんな田舎じゃ誰も乗らない真っ白い外車で乗りつけ
ヤ●ザがきた!!と地元で大騒ぎになったり、
羽振りのよかった頃は姪である私たちに
相当な額のお小遣いもくれたり、
叔父の外車でドライブに行ったりとある意味豪快な人でもあった。

そんな叔父が脳梗塞で倒れ、
その後一度だけ故郷に戻ったことがある。
ただ、事情があって実家には行けないのでうちに泊まったが、
病の後遺症か母や私たちのこともよく思い出せないようで
叔父自身もそんな自分をもどかしく感じているのが伝わってきて、
昔の叔父を見ているだけになんともいえない複雑な思いをしたものだ。

叔父の葬式は向こうで済ませ、
大晦日の夜、骨になって父とともに故郷に戻ってくるだろう。

己が引き起こしたこととはいえ、
家族とも離れ、兄弟身内からも絶縁状態。
最期は誰からも看取られず、
ごくわずかな身内だけに見送られての旅立ち、
生きて二度と踏むことのなかった故郷の土。

叔父は、どんな気持ちでいたのか。
今となってはもう聞くことが出来ない。


安積 紗月 |MAILHomePage

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