Experiences in UK
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2006年01月16日(月) 第125-127週 2005.12.26-2006.1.16 公共交通機関の値上げ、ヴィクトリア女王が愛した島

(公共交通機関の値上げ)
毎年恒例というのが恐ろしい話ですが、また上がりました。
今年からロンドンの地下鉄の初乗り料金は、なんと£3.0(¥600)です(去年までは£2.0)。ゾーン1(ロンドン中心部)からゾーン4(同郊外)まで同じ£3.0で行くことができるということですが、相当な遠距離通勤をしている人ならともかく、一般人にとっては別にうれしくもなんともありません。
バスの値段も上がりました。私がロンドンに来たときは£1.0だったのが、いつしか£1.2になり、今年から£1.5になりました。
毎年上がることにも驚きますが、上げ幅もかなり思い切ったものです。

今回の値上げ、これまでと少し趣が違うのは、オイスター・カード(プリペイド・カード)利用者に対してはかなり値下げになっている点です。オイスター・カードを利用した場合、地下鉄の初乗り料金(ゾーン1)は£1.5だそうです(ただし、時間帯によって料金は異なる)。
切符の利用をなるべく減らして駅構内の混雑を緩和しようというのが表向きの狙いでしょうが、事情を知らない観光客にとっては驚異的な高額運賃でしょう。地下鉄を利用してロンドン市内を観光しようとする人は、トラベル・カード(1日乗り放題のチケット、ゾーン1-2であれば£6.2)の購入が必須と言えます。

(ワイト島)
元旦から4泊5日でイングランドの南方に浮かぶワイト島(the Isle of Wight)に行ってきました。ロンドンから真っ直ぐ南下して港町サザンプトンまで車で二時間弱、そこから一時間フェリーにゆられると島に到着します。
島の面積は381平方キロです。日本の主な島と比較しても(淡路島593平方キロ、屋久島504平方キロ)、かなり小さいことが分かります。三時間もあれば十分に車で一周することが可能です。

きれいなビーチのあるワイト島は、英国を代表する夏のリゾート地です。冬のワイト島は完全なオフ・シーズンであるため、一部の観光施設やホテルが閉鎖されていたりして、ちょっと寂れた雰囲気でした。ただ、観光客が圧倒的に少ない分、我々としては島の魅力を存分に満喫することが出来たと思っています。
稼働率が60%程度の小さな島に五日間も滞在すると、ほぼ完全に島を掌握できたような気分になりました・・・。

(ヴィクトリア女王が愛した島)
ワイト島の別名は、「ヴィクトリア女王が愛した島」です。
ヴィクトリア女王(1819-1901)と言えば、大英帝国が繁栄のピークにあった時期である19世紀前半から後半にかけて、歴代最長の在位期間である64年(1837-1901)の長きに渡って君臨した畏れ多き女王陛下です。英国人の間で郷愁とともに語られることが多いらしいヴィクトリア朝という時代の雰囲気は、英国が政治的・経済的な繁栄を謳歌していたということから特徴付けられるだけではなく、この偉大な女王のキャラクターとも不可分なもののようです。

英国の伝記作家ストレイチーによると、ヴィクトリア女王のキャラクターは、「義務」「勤勉」「道徳」「家族中心主義」の四つのキー・ワードで括ることができるそうです(小林章夫「イギリス王室物語」による)。これらは、そのままヴィクトリア朝という時代を支配した価値観を示すキー・ワードであるとも言えます。国威発揚の活力に満ちた良き時代でありながらも、どこか堅苦しい感じのする時代がヴィクトリア朝時代といえましょう。
余談ですが、吉田茂元駐英大使(そしてもちろん元首相)の長男で作家の吉田健一のエッセー「ヴィクトリア風」(ちくま文庫「英国に就て」所収)が、この時代の雰囲気に関する面白い見方を披露しています。同エッセーによると、18世紀から始まった産業革命の結果、経済的に豊かになりそれまでの特権階級(貴族)に十分に伍すことができるようになった成り上がりの中流階級(ブルジョワ)が、社会的に認知されるための手段として道徳などの価値規範を過剰に意識したことから、この時代特有の堅苦しい雰囲気(吉田健一は「偽善的」とかなりネガティブな評価をしています)が形成されたとのことです。また、このような新興の中流階級を指す言葉として、現代でも用いられるような意味での「紳士(ジェントルマン)」という概念が生まれたそうです。

(オズボーン・ハウス)
ワイト島の北側には、ヴィクトリア女王の別荘だったオズボーン・ハウスがあり、イングリッシュ・ヘリテージの管理により一般公開されています(冬季は年末年始限定)。女王に関する上記四つのキー・ワードのうち「家族中心主義」という点が、オズボーン・ハウスと関係してきます。
女王は、家族とともにプライベートな時間を過ごせる別荘を求めて、1845年にワイト島のオズボーン・ハウスを購入しました。それまで所有していた三つの邸宅(ウィンザー城、バッキンガム宮殿、ブライトンのロイヤル・パビリオン)では、家族水いらずの時間を過ごしにくいと考えた女王は、本土から離れた場所にあり、プライベート・ビーチのあるこの家がいたく気に入って、即購入を決断したそうです。
最愛の夫アルバート公との間に九人のこどもをもうけた女王は、しばしば家族を伴ってオズボーン・ハウスを訪れ、1848年からアルバート公が亡くなる1861年まで、二人は毎年お互いの誕生日をオズボーン・ハウスで過ごすのが慣わしだったそうです(ちなみにヴィクトリア女王の誕生日は5月24日)。そして、女王はこのオズボーン・ハウスにおいて82年の生涯を終えました。

それにしても、英国史上において統治期間が長い名君として名前が挙がるのは、エリザベスⅠ世(在位1558-1603)、ヴィクトリア(在位1837-1901)、エリザベスⅡ世(在位1952-)の三人の女王ですが、それぞれが本来は女王の座につくはずがなかったところ、諸事情により王位を継いでいるというのは面白い点です。

(島の魅力)
ヴィクトリア女王がこの島の何を愛していたのかは知る由もないのですが、今回、その一端は窺い知ることが出来た気がします。
この小さな島には、ナショナル・トラストのプロパティが5~6箇所もあります。セブン・シスターズやドーバーと同じ美しい白亜の海岸線を持ち、島内にはいくつかの小高い草原地帯(ダウン)があります。そこここにフットパスが設けられていて、ナショナル・トラストの立て札が立っていました。
陳腐ではありますが、手の届く範囲でバラエティに富んだ自然を満喫できるというのが島の魅力の一つなのでしょう。

(ワイト島のパブ)
島での食事は、朝がB&Bのイングリッシュ・ブレックファスト、昼と夜はすべてパブでした。自然が豊かな場所だからといって、食事に多くを期待できないのは他のすべての英国の町と同様です。
ということを前提にしたうえの話ではありますが、町のインフォメーションでゲットした情報に従って赴いた島西部のパブ“The New Inn”の食事はなかなかのものでした。ワイト島内でおいしい食事を出す店ということで賞を獲ったパブだそうです。ビールもおいしく、店内の雰囲気もナイスないいパブでした。さらに、children welcomeである点も家族連れには嬉しいポイントです。
Children welcomeという点では、我々が泊まったB&Bのある町サンダウンの“Bugle Inn”が素晴らしいパブでした。ロンドンでは考えられないことですが、子供を遊ばせておく広いスペースのボール・プールが店内に設置されていて、そこに子供を放り込んでおけば大人はゆっくりと食事ができるという具合です。隣接するガーデンにもジャングルジム等の遊具が設置されていたので、暖かい季節には外で子供を遊ばせることも可能です。

総じて、ワイト島は想像していた以上に楽しいリゾート地でした。ちょうどいい広さのエリア内で様々な自然を楽しむことが出来て、動物園・恐竜博物館・アマゾン動植物園・蒸気機関車などの施設があり、さらに立派なキャッスル、ローマ時代の遺跡博物館、ぶどう園、ビーチまでがあるので、まさに老若男女で楽しめるのではないでしょうか。
我々としては、ぜひ夏のワイト島も見てみたいと思って帰りのフェリーに乗り込みました。


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