オモフトコロアリ。
past / will
2001年02月28日(水) 最近気がついたこと。 

私が最近気づいたこと。それは「毛穴によって毛の伸びる早さが違うらしい」ということである。

ある晩のこと、恋人が「何かついてるよ」と、
私の口の脇についた糸くずを取ろうとした。
ところがそれは糸くずではなかったのである。
イキナリ引っ張られて私はひどく痛かった。そう、ヒゲだっただ。
産毛の様な細い毛が、その1本だけ2cm程も伸びていたのだ。
そのヒゲのせいで今でもからかわれる。
あちこち身体をぶつけたり、転んだりするginにむかって、
「やっぱりヒゲを切っちゃうとダメなんだね」
わたしゃネコかい!

閑話休題。

話しはそれだけでは終わらない。
それから半月ほど経ったある日、化粧をしようと鏡を見たときに、私は見た!
ちょうど同じ毛穴からまた毛が1cm弱の長さまで伸びているのを…。
その1本だけ明らかに他より長い。
どう考えてもその毛だけ成長が早いとしか思えない。

そして最初に戻るわけである。

2001年02月27日(火) 結局、法定休暇。 

結局今日は月に一度の法定休暇を取った。
幸いに痛みの方は大したことないのだが、今回はめまいがキツイ。
最近は線路転落と感動の救出劇が流行りのようだが、
ラッシュアワーの埼京線の線路に落ちても誰も助けてくれなさそうなので、
危険はおかさないことにする。

そんな訳で今日はのんびりサイトの更新でもしようかと思っていた。
…が、ネタがない!如何せんサイトの性質上、
ネタがないことには更新どころではないのである。
図書館にでも行って目先が変われば違うだろうが、その元気もない。
結局一日中、本を読んで過ごす。
一昨日の晩に読み始めた今年30冊目「桜闇」篠田真由美を読み終え、
31冊目「今はもうない」森博嗣の3/4まで読み進めた。

篠田真由美女史の「建築探偵桜井京介の事件簿」シリーズは、
結構楽しんで読んでいるのだが、
個人的には日本語の用法にもう少し気をつけてもらいたいだ、と思っている。
会話文なら兎も角、地の文に「覚束ぬ」だとか、
「耳ざわりのいい」だのと言った表現が散見されるのだ。
知識の披露や、お耽美表現だけでなく、
文法部分にも注意を払って欲しいと思うのは贅沢なのだろうか。
それでもシリーズを読み進めているのは、
話自体を楽しんでいるからではあるのだけれど。

2001年02月26日(月) 月に1度(のはず)の~! 

大変な時期がまたもや到来。
今回は長続きする痛みがなかった分、めまいが激しいのである。
仕事中座ったままでクラクラ。

ここのところ私には珍しく順調に30~40日周期を保っている。
普通と言われる28~32日周期からすると長めであるが、
私の場合60日くらいあいてしまうのはざらなのだ。
おかげで日数が3・4日ですんでしまうのはよいが、
痛みや不快感が軽減するわけでないのが辛い。
回数が少なければまだ救いがあったのだが…。

そんなこんなで体調不良につき、本日はこれでお終い。
こういう時はさっさと寝てしまうに限る!

2001年02月25日(日) 本日は映画鑑賞。 

と、言ってもビデオであるが。久々にヒット!である。
タイトルは「ウェイクアップ!ネッド」。
映画情報と美術展情報だけのためにぴあを買っている私、
当然チェック済みの物件である。
その時は「別にいいや」で済ませていたのだが、予想以上に面白かった。
ここであまり薦めすぎて大げさな期待を抱くと、
かえってがっかりしてしまうかも知れないので最初に言っておくと、
あくまで個人的な好みとしてツボにはまったと言うだけである。

粗筋だけ説明すると高額の宝くじの当選者が死んでしまい、
村ぐるみでその当選金を手に入れようとする単純極まるストーリーなのだが、
主要登場人物の殆どが老人である。その不良老人達が笑えるのだ。
年輪を刻んだ貌が皆とても好い表情を見せる。
映像も美しいし、台詞回しも洒落が利いている。
そして年寄りならではの重みも。笑いたいときにはお薦めの逸品である。
家族と見るのに良いかも知れない。

先日リトル・ダンサーを観られなかった不満が消し飛んだ、
楽しい今日の出会いだった。

2001年02月24日(土) 久々に。 

本日は美術館へ。
実を言うと美術館(展)巡りは読書の次くらいに好きなのだが、
最近とみに時間をとりにくくなったので、今年はまだこれが1本目である。
行きたかったのに見逃した展覧会はたくさんあるのだが。(爆)

今回は「没後100年 トゥールーズ=ロートレック展」東武美術館である。
昔からロートレックは好きな画家なのだ。
人間が外向きにかぶっている仮面の下から垣間見える、
一瞬の表情を捉えるのが実に巧い。客のいない時の気怠げな娼婦の顔、
高名な歌手が歌い出す一瞬の緊張と自信の入り交じった顔、
芸人と交渉する紳士の傲慢さと好色さが溶け入った顔…。
人とその顔を中心に描き、他のものはごく単純な色彩程度にしか表さない。
それ程ロートレックが向ける視線は人間に集中している。
例外があるとすれば、好きだったという馬くらいなものだ。

強いて付き合わせた恋人が、今回は珍しく気に入ってくれた。
次は是非とも浮世絵を一緒に見に行きたいと思っている。

2001年02月23日(金) アフター6。 

うちの会社は6時終業なので、アフター5とはならない。残念な話である。
他の会社に比べて労働時間が30分長いとか。
野球のナイト・ゲームは6時または6時半開始だから、
会社の終業を待っていると試合開始に間に合わないとか。
色々と不都合も起こる訳である。今日もそんなあおりを受けた日だった。

友人が映画が観たいというので付き合うことになった。
場所は「銀座」。会社のある池袋からは地下鉄で一本である。
映画の開始時刻は7時半。
着替えの時間を考えても45分は前につけるし、実際そうだった。
それなのに、である。映画館前にものすごい行列。
さらに「7時半の上映回ではお立ち見になります」だそうだ!
なんとまぁ、皆暇なものである。
30分早く会社が終わっていたら座れたかも知れないのだが…。
もっとも、1時間以上も待っていられなかったかもしれないが。

結局諦めて銀座で高い飯を喰って帰ってきた。
値段と釣り合わない量と味であった。さらに帰りには雨に降られる。
あまりついていたとは言い難い1日の締めくくりだった。

2001年02月22日(木) 読書記録を久々に。 

久しぶりの読書記録だが、その間本を読んでいなかった訳ではない。
それどころか読みまくっていた。

10日に図書館でリクエストした本が着いたと連絡があったため、
17日には追加で3冊本を手に入れたため、
調子に乗って読んでいたのだ。
さらに今度結婚する友人が引越しのため本を整理するとかで、
池波正太郎の本を下賜してくれるそうだ。ありがたやありがたや。
先日25~27冊目「鬼平犯科帳二十二~二十四」を読了して
鬼平シリーズを読み終えてしまい、
(しかも最後の話は作者急逝のため未完だし!)
ちょうど次の池波正太郎が読みたかったところだし。

その後28冊目「転校生」森 真沙子を読み、
昨日から29冊目「恐怖の誕生パーティー」ウイリアム・カッツを読んでいる。
今朝がた電車が停まってしまったため、予定外に読み進んでいる。
恐らく今日中に読み終わるだろう。
どうも今月中に今年30冊目は読んでしまいそうである。

2001年02月21日(水) 不機嫌なのだ。 

今日の私はすこぶる不機嫌である。
とくにこれと言ったことがあったわけではない。

昨日までの休みが終わってしまったとか、
会社に出てみると机の上に書類が山積みになっていたりとか、
夕飯に食いっぱぐれたとか、待ち合わせの相手が遅いとか、
逢いたかった相手となかなか予定が合わないことが判明したりとか、
電話が何度かけても圏外だとか、
そういった細かなことが積み重なった結果である。
どれも仕方がないことで、自分の怒りが不条理なのは百も承知である。
その大人げなさに自分で腹が立って、ますます不機嫌になったりする。

もともと私には自分は感情の振幅が大きい方だと言う自覚がある。
プラスの方向にはあまり大きく揺れないのだが、
落ちるときにはどこまでも落ちて行く口だ。
最近は比較的安定していたので、
久しぶりかつ突然の感情の揺動を持て余し気味だ。
もう少し大人にならないとイカンと、
やや反省しつつも、不機嫌さは収まらない今日の私である。
明日は好い日でありますように。

2001年02月20日(火) 手紙。 

Eメール流行りの昨今、手紙というものをもらうことが少なくなった。
「メール」=「手紙」だろうと言う論もあるだろうが、
何となくそれには違和感がある。

以前は手紙をワープロ打ちにするのは是か非かと言う論議があった。
ワープロ打ちでは心がこもらないとか何とか。
その点に違和感を抱いたことはないのだが、画面に写る「メール」と、
実際に手に取れる「手紙」とはやはり違うもののように思う。
感じられる温度が違うのだ。
その点画面の文字に触れて温もりを感じられる宇多田ヒカルなどとは、
感覚が異なると言わざるを得ない。案外とアナログな人間なのかも知れない。

何でこんなことを書いているかというと、
今日はとても嬉しい手紙をもらったからである。
1年に1通だけもらえるラブレター。今日のもので2通目になる。
これがEメールで来たとしたらもう少し違った感じを受けたと思うのだ。
手紙を手にとって開くときと、
Eメールを画面上で開封するときが同じものだとは思えない。
それが同じに思えるのがデジタルな感覚なのかもしれない。
皆さんの感覚はどうだろう。アナログだろうか、デジタルだろうか。

2001年02月19日(月) 宴の跡。 

今日は会社も休んで1週間遅れのバレンタインのために、
ケーキ作りの材料を買いに出た。
そこで宴の跡の直撃を受けたのである。ないのだ。ケーキ材料が!

まず、型がない。
プレゼント用に便利なので普段重宝に利用している紙製の型がおいていない。
型を探して5件も店を回る羽目になるとは思わなかった。
バレンタイン用に入荷したものがはけてしまった後、
新しいものの入荷街の狭間にあたってしまったらしい。
結局見つからなくて、予定していたものとは違うものを作る羽目になった。
…何週間も前からシフォンケーキを作るつもりだったのに。(嘆)

次に生クリームもない。最初回った3件にはなく、4件目は見忘れ、
5件目はあるにはあってが期限切れ目前である。

こうなるともうやけである。
いっそチョコレート以外のケーキを作ろうかとも考えたが、
チョコレートだけは大量にあるので、仕方がない。
ムキになって作ったケーキはどんな味だろうか。

ちなみに一つ多めに作って、
最近お世話になりっぱなしの兄のところに持っていこうと思っていたのだが、
兄は外出中だとかでいなかった。予定の狂いっぱなしの一日であった…。

2001年02月18日(日) 目が痛い~。 

正確にはまぶたが痛い今日この頃である。
空気が乾燥してくるこの時期には、なぜだかまぶたの皮がむけるのだ。
放っておくと非常にみっともない顔になる。
私も一応女性の身なので、気にはなる。気にはなるが、如何ともしがたい。

私は子供の頃から目が痛むことが多かった。逆まつげだったらしい。
はえたままのまつげが目に入るのだ。これが非常に痛い。
はえているわけだから、なかなか取れないのである。
どうするかというと、目に向かってはえているまつげを抜くわけだ。
結局これも痛かったりする。
視力が弱いのもその頃からの積み重ねだったのではないだろうか。

余談だが、私は疲れ目になると気分が悪くなる。
最近は新しい眼鏡をかけた場合にヒドイ。
今日は調子に乗って映画を立て続けに2本も見たものだから、
テキメンに現れた。目は大事にしたいものである。

2001年02月17日(土) 迷惑な電話。 

夕べというか、今朝というか、
兎も角午前2時にいたずらだか間違いだかの電話があったため、
本日は全体に寝不足で機嫌が悪いのである。

その時の無礼な女の会話を再現しよう。

「はい」
「○×◆@*&$%#!」 (←押し殺したような早口で聞き取れない)
「…もしもし?」
「△&=<+#◇★〒£」 (←やはり聞き取れない)
「どなたですか?」
「☆Θⅴ※§∬∃∀●?」 (←意味不明)
「…どなたですか?」
「ホントに分からないの?」(←これだけ何とか)
「だから、どなたですか?」
「…ガシャッ!!」 (←切りやがった!)

無礼千万である。
名前も名乗らずに声だけで分かれと言うのだろうか。
宇多田ヒカルに狂ってでもいるのか、貴様!
貴様の声なぞ聴いたことないわ!
大体深夜に電話をかけてくる事からして迷惑なのである。
自分の背後には気を遣っているらしいささやき声なのがまた腹が立つ。
先方の迷惑はどうでも良いというのか?
こちらは寝入り端を起こされたのである。
そのタイミングで起こされるとなかなか寝付けなくなると言うのに。
間違いだったら詫びの言葉くらい言ったらどうだ?

案の定、それからしばらく寝付けなかった。
思い出しただけで腹の立つ出来事である。

2001年02月16日(金) 年齢に見合わぬ病気。 

それは神経痛。実を言うと子供の頃からこいつに悩まされ続けてきた。

まず脚。向こう脛の骨に沿って痛むのである。
キリキリと針でも刺されているかのように痛い。
そして腕。腱鞘炎とはまた違う痛みである。
こうなるとキーボードを打つにも一苦労である。
季節の変わり目は大概痛むのだが、
なかでも寒いこの時期は症状がきつくなる。

それは肩こり。こいつにも若い頃から悩まされ続けている。

まず目が悪いせいである。低血圧なせいで血行もよくない。
そして歯並びも悪い。首の骨も曲がっている。
そもそも女性は胸がある分肩がこりやすいのだ。
寒いものだからついつい姿勢が悪くなり、
肩をすくめて歩くからますますひどくなる。

ああ、暖かくなる春が待ち遠しい!…というわけでもない。
なぜかというと、これからは花粉の季節だから。
健康に過ごせるようになるのはいつのことだろう…。

2001年02月15日(木) 首つり。 

…といっても首をくくった訳ではない。
単に最近「首の筋がよく攣るのだ」と言いたかっただけである。
「首つった!」と騒ぐと皆が慌てるので助詞を抜くのはマズイのだが、
「足つった!」と騒ぐのと同じ感覚で、
ついつい「が」を抜いてしまって周囲を驚かせている。
しかし首の筋が攣ったときというのは不便なものだ。
どこに視線を向けるにも身体ごと動かねばならぬ。
関節が動くと言うのは素晴らしいことなのだと実感する一瞬である。

大体において、私は身体が固いため筋が攣りやすいのだ。
私の母校は50m×6だか8だかコースのプールがあった。
コース中程、最深部の深さは156cmほどだった。
(↑自分の身長よりわずかに深かった記憶がある)
私が入学した年まではそこをコースごとに縦に使って授業をしていたのだが、
選りによってプールのど真ん中で足が攣って、大変な思いをした。
それ以来母校ではプールを横に区切って授業をするようになった。(笑)

他によく攣る部位といえば、脇腹である。
これは何が原因だかよくわかっている。忘れもしない高校2年の秋のこと、
学校にある造り付けの棚(高さ1.2m、奥行き0.8mほど)を掃除していた時のことだ。
頑丈な棚なので上に乗って拭き掃除をしていたのだが、
その時隣に置いてあるロッカーの上が埃まみれなのが目に入った。
「よし、ここも掃除だ!」っとばかりに手を伸ばした瞬間、
半ば体重を預けたロッカーが倒れそうになった。
慌てたのと、急激に力が入ったのと、いきなり身体が伸ばされたのとで、
負荷がかかった脇腹が攣ったのである。
脇腹なんかが攣ったのはその時がはじめてだった。
おかげで転落は免れたが、それ以来脇腹が攣るのはクセになってしまった。
いいんだ、怪我しなかったし!!…と、自分を慰めている私である。

2001年02月14日(水) 甘くない思い出。 

意外に思われるかも知れないが、私は元来臆病者である。
何か行動を起こすときは、大概最悪の事態を想定して動く。
最悪の事態でのリスクと秤に掛けるため、
行動に移さないで終わらせてしまうこともしばしばである。
自分から行動を起こすより身動きが取りやすいと思うから、
何事においても受け身な姿勢が身に付いてしまった。

その態度は当然人間関係にも発揮されるわけで、
バレンタインデーだからと言って自分から行動を起こすことはない。
最悪の事態(=フラレてしまう)より、
何もせずにそのまま片想いでいた方がラクだと思うのだ。
そのため私にはバレンタインだからと言って、
甘い思い出も苦い思い出もないのである。
せいぜい自分のふがいなさにほぞをかんだくらいだろうか。

そんな中で思い出に残るのは高校時代のバレンタインだろうか。
バレンタインデーは仲間内みんなで菓子を持ち寄って食べるイベントだった。
私はと言えば菓子づくりの趣味を生かして、
ケーキやらクッキーやらを作って持っていったものだ。
その日に持ち忘れたらホワイトデーに持ってくるのが暗黙の了解だった。
皆でワイワイ言いながらレシピを交換したり、
出来を批評し合ったりするのが楽しかった。
当時仲間内に密かに想っていた人がいたので、
その人に自分の作ったものを食べてもらえるのも嬉しかった。
かといって何を言えるわけでもなかったから、やはりふがいない。
(ちなみにその人は何年も経ってから恋人になったりしている。…と、少しノロケてみる。ほらバレンタインだし。)

結局バレンタインに残るのは甘くない思い出と、
甘いものを食べた結果の肌荒れだとか、体重増加だとか…。(泣)

2001年02月13日(火) 鬼平ワールド。 

台東区の生涯学習センターに池波正太郎文庫ができるそうである。
ああ、見に行きたい!

読書記録を見れば分かる通り私は時代小説も読むのだが、
特に池波正太郎は「鬼平犯科帳」が大のお気に入りである。
ここ何日かも22~24冊目「鬼平犯科帳十九~二十一」を読んでいるところだ。
何せ長谷川平蔵をはじめとする登場人物が魅力的である。
舞台も細かく書きこまれており、臨場感がある。

 平蔵や与力・同心が食べる食べ物の一つ一つにいたるまで、
 「においのただよってきそうな」
 感じがするものだ。

上の3行はいかにもありそうな書き方を真似てみたのだが、
あの独特の文体もよいのだ。

いくら言葉を連ねて見てもあの魅力は伝えられないだろう。
とにかく読んでいただくのが一番である。
TVシリーズもよかった。池波氏が平蔵を描くのに、
中村吉右衛門の父上である先代松本幸四郎を念頭においたと言うだけあって、
今「長谷川平蔵」を演じるのに中村吉右衛門以上の人はいないだろう。
それでもTVシリーズは小説の魅力に今一つ及ばない。
そう思うくらい私はあの小説にいれこんでいる。

冒頭の池波正太郎文庫であるが、今年の9月頃公開であるらしい。
1度は行ってみたいものである。

2001年02月12日(月) 車のお話し。 

恋人には悪いが、向こうの車がなくなったことで一つだけよかった点がある。
それは自分で車を運転する機会が増えたことだ。
実を言うと私は車に乗るのが好きである。
あまり巧くはないが、運転することが楽しい。
田舎住まいなので季節の移り変わりを感じつつ、
景色を眺められるくらいのんびり運転するのが好きだ。
気づくと制限時速を大幅に下回って、
後ろに車の列を従えていたりするのだが…。

ちなみに運転は好きでも、車自体はさほどでもない。
私にとって車は道具に過ぎない。
雨風がしのげて、不自由なく走ってくれればよい。
荷物が積めて、居住性がよくて、小回りが利けば完璧である。
従ってオープンカーは私にとっては無用の長物である。
雨風がしのげない車など車の範疇を逸する物体でしかない。
車好きの人とは違う感性らしい。

私の知人には事故で一旦車を大破させた後、
ガチガチに補強して車中にパイプを巡らし、
後部座席まで取り払ってしまった人がいる。
こうなると雨風もしのげるだろうし、走りに不自由はなかろうが、
その他の条件はまるで度外視。私には解らない世界である…。

2001年02月11日(日) 変な趣味。 

私の趣味はやや偏っている。なんの趣味かというと、役者である。
例を挙げると、ゲイリー・シニーズ(「身代金」「アポロ13」)、
ゲイリー・オールドマン(「レオン」「フィフス・エレメント」)、
ケビン・スペイシー(「ユージュアル・サスペクツ」「L・A・コンフィデンシャル」)、
サミュエル・L・ジャクソン(「交渉人」「英雄の条件」)などなど…。
比較的若い役者にはあまり興味がない。正統派の二枚目もいない。
(ショーン・コネリーも年取ってからの方が好きなので…。)
クセのあるタイプが好きなのだ。
人には「…そう。」と間のある返事をもらえる趣味である。

そんな私の最近のお気に入りはニコラス・ケイジである。
先週の「救命士」に続いて、今日は「スネーク・アイズ」を見てきた。
彼の何がいいかというと、表情がいいのだ。
普段からしかられたテリヤのような目をしていると思うのだが、
その目が実に良い表情をする。
何とはなしに世をすねたような表情が巧いし、似合う。
作品としての「コン・エアー」や「ザ・ロック」も好きなのだが、
(基本的にアクション映画好きだから)
彼には「リービング・ラスベガス」や「8mm」、「救命士」のような、
やや破滅的な男の役の方が似合うような気がするのだ。
あのしかられたテリヤの様な目には。

2001年02月10日(土) しあわせを感じる瞬間。 

私の場合でいうと、例えば美味しい酒を口にしたときだとか、
作った料理が会心の出来だったとき。
恋人と一緒のとき。上司を言い負かしたとき。
サイト用に切れ味のいい台詞が浮かんだとき。
見事としかいいようのない景色に出会ったとき…。
そんなホンの小さなことで幸せになれる私は、
ある意味で最も幸せなタイプだろうと思う。根が小市民なのだ。

しあわせ。求めるものが多い人は不幸だろう。
小さな幸せに気づかないから。
望むものが少なければ小さなことにも応分の幸せを感じられるものだ。
しあわせは探さなくともどこにでもあるのだから。

何が一番幸せかは分からないが、最もくつろいでいる瞬間は分かる。
私の場合、本を読んでいるときである。
なかでも珈琲を飲みながら座り心地のいい椅子に座っているか、
風呂に入っている状態で面白い本を読んでいる一瞬がいい。
大体において面白い本をあてがっておけば幸せだったりするのだが。

2001年02月09日(金) 疲労困憊。 

ここのところお疲れモードである。
一日おきに飲み会に出ていたりするのが悪いのだが、
それ以前の問題がある。このところよく眠れないのだ。
…寒さのせいで。(爆)

私の部屋は北向きで、もともとすこぶる寒い。
一昨年窓枠を直してもらうまでは、
窓をしっかり閉じて鍵までかけているというのに、
冬用の重たいカーテンがひるがえるほどのすきま風に悩まされたものだ。
それでも今年ほど寒くはなかったように感じる。

それもそのハズ、この冬の寒さはほぼ14年ぶりの水準だそうだ。
釧路では港が全面凍結して船が出せないほどであるらしい。
しばらく出さずにがんばっていたストーブを、至極取り出しにくい、
隠し場所としか思えないようなところから掘り出してきたのも、
窓ガラスに氷が張り付いているのを見つけたせいだ。しかも内側に。
室内が氷点下って、うちはどこにあるんじゃ~!!
埼玉県中部じゃなかったんかい!!

そう、そんな部屋ではよく眠れるはずもない。
もともと眠いが口癖の私、会社で寝ないようにするにも一苦労である。
それなのに何時に寝ようと、翌日が休みであろうと、
体に染みついた習性が朝6時に私を目覚めさせるのである。
それから寝直すのにもう一度苦労する。
明日はゆっくり寝たいと思っているのだが…。

2001年02月08日(木) 願いごとが一つだけ叶うなら、何を願う? 

そんなの選べません。
もし、1つだけ願いがかなうとしたら?と訊かれたのだけれども。
強いて挙げるなら「願い事が全てかなうように」願うだろう。
…え、ソレは反則?自分でもそう思う。
しかし他の何にも換えられない何か一つなんてものが在るだろうか?

欲しいものはたくさん在るが、
どれか一つを選べと言われれば迷うだろう。
迷うと言うことは代替が利くと言うことでもある。

大切な人も一人ではない。恋人も友人も家族も自分も、
それぞれがそれぞれなりに大事である。
大切な誰かを想う気持ちと言うのは、
軽重をつけられるものではないし、つけるべきものでもない。
世界平和は手に余る願いだし、
自分独りの幸福を願うほど浅ましくはなりたくない。
全人類の幸福を願うほど偽善者でもない。
願い事一つだけ、というのは私にとってはどだい無理な話である。

話題変わって最近の読書記録。昨日までの間に
18~20冊目「鬼平犯科帳十六~十八」池波正太郎を読み終えた。
現在21冊目「ヴィク・ストーリーズ」サラ・パレツキーを読んでいる。
図書館で借りた本はこれが最後なので、週末はまた図書館行きである。

2001年02月07日(水) めげる私。 

私は本日ややめげている。何にかといえば、またもや寒さである。
本来なら月曜日に行くはずであった銀行振り込みを、
今日また先延ばしにしてしまうほどだ。

しかし今日は本当に寒かった。
最も気温が高いのが朝方で、午後になるに連れて気温が下がるという…。
ここは本当に関東平野なのだろうか。
夕刻には雪が降り始めた。ますますめげている。

おそらく明日も振り込みには出ないだろう。
私のことだから、明日は明日とて雪にめげているに違いない。
いや、それ以前に会社に着けるのか?
これで明日電車が動かなくなったらどうすれば良いというのだろう?
結論からいうと、そうしたら休むしかないのだが。
何せ自宅の辺りは狐が住むという田舎町、単一路線で他経路なしだから。

振り込み期日は大丈夫か?といわれそうだが、その点は問題ない。
元来せっかちなので〆日の1週間前を期日として決めているからである。
このせっかちさが自分のサイトの更新に反映されないのはなぜだろう?

2001年02月06日(火) 酔っ払いの手荷物。 

最近酒に弱くなった。

今日は自社主催のイベントがあって、
打ち上げに参加したのだが…疲れていたとはいえ、自分でも驚きである。
ワイン3杯とカクテル3杯で、真っ直ぐ歩ける限界まで酔えるようになった。
実に安上がりになったものだ。
(私は自宅が遠いので、どんな時でも真っ直ぐ歩ける程度にしか呑まない)

しかし酔っているときは忘れ物が多くなる。
今日はイベントに届けられた花束を呑み屋に忘れて来た。
香りの強すぎる花束だったのだが、
誰が持ちかえる羽目になっただろう?お気の毒な話である。
以前はマフラーやら傘やら、果ては鞄まで忘れたことがある。
買い物した荷物など、普段持ちつけないものを持っているときはまず忘れる。

逆に見知らぬものを持っていることもある。
鞄から白い布が…と思うと店でひざにかけていたナプキンであったり、
ポケットに固いものが…と気付くとティースプーンが入っていたりする。
酔っ払いの行動とは謎なものである。

2001年02月05日(月) 春。 

昨日から春が始まった。立春である。
この寒さ厳しい折にも、いつの間にか春は忍び寄っていたものらしい。
何せ梅がほころび始めている。

梅を観るなら朝がよい。
夜の間閉じこめられていた花の香が、
朝日と共にほころび始めたつぼみからほのかに漂ってくるのだ。
春の香りである。…が。この寒い最中ほのかな春を感じるためだけに、
早朝から起き出して梅を観たいとも思えない。
再三書いているとおり、私は異様なまでに寒さに弱いのだ。
梅の香は本格的な春までお預けである。

春といえば今日は友人にも春が来たと言うニュースが舞い込んだ。
前々から話が出てはいたのだが、とうとう結婚するそうである。
またもや後れをとってしまったものらしい。
いいんだ、彼女は私よりずっと年上だし!
何はともあれおめでたいことである。お幸せに。

2001年02月04日(日) 映画鑑賞。 

ここのところ映画にあまり恵まれない。
月に3~4本をビデオで観るのだが、今日観た「救命士」も、
その前に観た「エントラップメント」も個人的には外れだった。
ニコラス・ケイジもショーン・コネリーも好きなのだが…。

最近の映画は宣伝過剰な気がするのは私だけだろうか。
宣伝につられて見に行くと裏切られることが多い。
前評判が高すぎると期待が大きすぎてつまらなく感じることもある。
「ニュー・シネマ・パラダイス」がそうだった。

そんな中でがんばっていると思うのが単館系の映画である。
「ブエナビスタ☆ソシアルクラブ」しかり、
「バッファロー’66」しかり、
「シュリ」「ポネット」「宋家の三姉妹」etc.etc.etc.

口コミで広がってロングラン(しかも六ヶ月以上が多い)を続けるのだから、
やはりいい作品が多い。私の最近のお気に入り、
「私家版」「CUBE」「ブラス!」なども単館上映だったはずだ。
「CUBE」などは六本木までわざわざ足を運んだのだが、
次の回の上映は満席で立ち見も入れず、その次も座席はほぼ売り切れ、
というのでスゴスゴ帰っていった記憶がある。

いい映画が決まった場所でしか観られないというのは不便な話である。
映画会社も大きく宣伝された内容の少ない娯楽大作より、
口コミで人気を集める映画にもう少し力を注いで欲しいものだ。
大々的に上映される話題作の10%でもそう言った隠れた名作に当てれば、
映画館離れも減っていくのではないだろうか。
…と、そんなことをいいつつ、またビデオ屋に足を向ける私だったりする。

2001年02月03日(土) 本。 

私は本が好きだ。読むのは勿論だが、
本がずらりと並んでいる眺めも大好きだ。
本屋や図書館に行くと理由もなく嬉しくなってしまうクチである。
今日は読み終えた本10冊を新たな10冊と換えるために図書館へ赴いた。

ところがである。無いのだ。
前回は読みたい本がありすぎて何冊か泣く泣く書棚に戻したというのに、
今回は無いのだ。シリーズの内、読みたい巻だけ見事に抜けていたり、
読みたい作家の本があらかた借りられていたり…。
今回は4冊しか借りられなかった。
この4冊で今週一杯乗り切るためには、週末の読書を控えるしかない。
と、言う訳で私は今、お預けをくった犬状態である。

欲求不満になりそうなので、県下最大の本屋へ出向く。
友人に送ろうと思っている写真集を捜したのだが、
あまりに薄汚くなっているので購入を取りやめる。
やはり取り寄せるしかないか…とさらに欲求不満が溜まっていたところ、
見つけたのである。笑える1冊。
「The Blue Day Book」。帯に書かれたコピーによると、
「愉快な動物写真と心温まるメッセージを組み合わせた」
写真集である。これが良い。動物たちの表情が実によい。
欲求不満が一気に吹き飛んだ出会いだった。
私にしては珍しく新書で購入した。←普段は古本しか買わない。

2001年02月02日(金) 車がお釈迦に。 

恋人が事故を起こした。自損である。
精神的にショックが大きかったらしく、
電話の向こうで言ってることが時に意味不明だったりしていたが、
幸い彼にも他の誰にも怪我はなく、その点ではホッとしている。
私も2年ほど前に自損事故をやったが、大層ショックだった。
その後首が痛くなって病院に行くと、
「あんたのはむち打ちぢゃなくて、肩こり」と一蹴されてしまったのだが…。

さて車はお釈迦になった。
もともと今度の車検は通さないでおこうかと話していた車ではあるが、
こんなに突然無くなってしまうとは予想外である。
今後の予定の大幅変更が予想される。彼の車は彼個人の持ち物だったが、
我が家の車は親のものなので自由に乗る訳には行かない。
自由に車が使えないと言うのは、
私達のような田舎暮らしの人間にはとても不便な状態である。
明日から早速困ることになった。
さて、どうするべきかとただいま思案中である。

人間一度贅沢になれるとなかなか低い水準には戻れないものだ。
昔は他の移動手段がないから今の時期でも自転車で動いていたのだが、
車を運転できる現在は、
なぜ寒さに身をさらさなければイカンのだ!と思うのである。…が。
これもダイエットだと思って自転車で動くしかないのだろうな、結局は。
寒さに弱いginにとって、過酷な初春である。

2001年02月01日(木) 更新完了! 

昨日弱音を吐いていたサイトの更新が何とか完了した。
面倒なサイトを開いてしまったものだと自分でも思っていたりする。
(既に閉鎖済み:日本語サイトだった)
作っている自分が一番勉強になっているから、
良いと言えば良いのだけれど…。

何が一番嬉しいかというと、これで読書解禁である。
今夜からもう「読むぞ~!」と気合いが入っている。
私が本読みに気合いが入っていると家族にはすぐ分かるそうである。
 兆候その1。返事が鈍くなる。本に没入していると刺激に反応しにくい。
 兆候その2。何か一つことが終わるとすぐに自室にこもる。
 兆候その3。風呂が長くなる。風呂につかって本を読むのが極楽。
とくにその3が顕著である。
普段は30分もかからずに風呂から上がるタイプなのだが、
湯船につかったまま2時間粘って1冊読み終えることがある。
ただし湯あたりしやすい性質なので、後が大変になるのだが…。

今日から17冊目「英国庭園の謎」有栖川有栖を読み始める。
これから、風呂の中で。

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