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ロマンティスト・テイスト...jovanna
生きた証 - 2005年04月28日(木) 一冊の本が届いた。 A5変型ハードカバー厚さ2.5㎝、重さ480g、薄紅色の表紙の この本は、世界にたった一冊きりの私だけの本だ。 2001年12月19日から2005年4月11日まで延々、 ほぼTHE YELLOW MONKEYと吉井和哉の事だけを綴り続けてきた この「Romantist Taste(ロマンティスト・テイスト)」を 書籍化して貰った。 よく飽きもせず書き続けたものだなあ。 吉井のよの字を書かなかったのは、1回あるかないかだと思う。 ここに綴られた文字は私が生み出した言葉だ。 想いを1頁1頁記して、そうして1冊に纏められたこの本は、 私が生きた証になる。 「死んだらお棺にいれて頂戴」と家族に言ったら、 「形見にとって置く」と言ってくれた。 これからも、1冊また1冊と増えて行くと良いな。 羽ばたけ - 2005年04月12日(火) 昨日更新されたYOSHII LOVINSONのコラムで 『今の気分は、イエローモンキーでもYOSHII LOVINSONでもない。 俺は 吉井和哉だ。』という箇所から、「もしかしたら今度のLIVEで イエローモンキーの曲を演るんじゃないか?」と懸念する声が 一部で起こっているようだ。私は、それは少し飛躍し過ぎではないかと思う。 YOSHIIがTHE YELLOW MONKEY休止後にYOSHII LOVINSONとして活動を開始したのは、 あの時THE YELLOW MONKEYだった「吉井和哉」という名前を名乗りたくなかった、 THE YELLOW MONKEYではない自分を表現したからだったのだろうと思う。 現に雑誌のインタヴューでも「at the BLACK HOLE」制作時には、 THE YELLOW MONKEYとの違いを懸命に求めていたようだと話してくれている。 けれど、その後「WHITE ROOM」も世に出し、初LIVEも身近に迫った今、 YOSHIIは、もうイエローモンキーやYOSHII LOVINSONという形容詞を 必要としない「吉井和哉」という一人の人間で勝負しようという意識に 立っているのだと思う。 今回のLIVEでは演らないだろうけれど、いずれイエローモンキーの曲を LIVEでやる可能性もあるとbridgeで示唆していた。 YOSHII LOVINSONのソロLIVEで、THE YELLOW MONKEYの曲を演奏する事は 裏切りだろうか?私は、そうは思わない。 深く愛したあのメンバーではない他の誰かが、THE YELLOW MONKEYの曲を奏で、 歌うのを目にしたら、きっと凄く複雑な想いをする事だろう。 けれど曲というものは、演奏され聴かれることで命が繋がっていくものだ と思うから、そして自分が壊したバンドの曲を万感の想いを籠めてステージで 歌うのが吉井和哉という人だと思うから、私はその姿を体感してみたい。 YOSHIIが『翼を隠して生きるのはもうやめた』と言ったその翼は、 私が思うに決して大きく白く優雅な翼ではないだろう。 「私の天使なの♪」などという代物じゃなく、どちらかといえば 二本の腕しか持たない人間達の中で生きなければならない有翼人、 異端であり孤高の存在というような(笑) 「空の青と本当の気持ち」で歌った白と黒の翼・・・そして 「離れるな」で歌った「破れて折れた翼」そう思える。 友が「POENIX」で感じた羽ばたきは、破れ折れてボロボロな翼で懸命に 羽ばたいている様子だと感じると話してくれた。 私もまさしくそう感じる。 私のイメージでは、傷つき疲れ果て命の灯が消えようとしたPOENIXが 炎のような砂塵の中で、懸命に羽ばたいて、その傷つき破れた翼がゆっくりと 再生していく瞬間をみているような、そんな情景が目に浮かぶ。 “信じるために 何のために生まれてきたかの意味探るぞ” 『俺は 吉井和哉だ』 彼は、この世に生を受けた意味=音楽家として授けられた才能を世に示すという天命を 受け入れたのだ。 吉井和哉がPOENIXの羽ばたきに挑もうとするLIVEに立ち会えるとは、 何て素晴らしい事だろうか! 翼あるひと - 2005年04月11日(月) YOSHII LOVINSONのコラムが更新された。 全国キャンペーンが終わり、少しのんびり出来る時期である筈なのに、 釣りをさほど遣ろうともせず曲作りに精を出しているらしい。 『頭の中が研ぎ澄まされ覚醒しているような気』がして 『人生の転機を迎えているような』気分なのだそうだ。 『翼を隠して生きるのはもうやめた・・・俺は 吉井和哉だ。』 凄い!言い切りましたね! “YOSHIIに翼が”というのは、私も常々感じていた事だ。 (私も頭は多分大丈夫だと自分では思う♪) 見えない翼が、あるいは翼の痕跡を持った人だと思って来た。 その事をYOSHIIはもう隠さないと言うのだ。 『今の気分は、イエローモンキーでもYOSHII LOVINSONでもない。 俺は 吉井和哉だ。』 何て力強い宣言だろう。 吉井和哉は今、覚醒した。 彼が新しい境地で生み出す曲達、そしてLIVEパフォーマンスを 早く体感したい。 値段以上の読み応え - 2005年04月08日(金) 「VintageGuitar vol.16」と「激刊!山崎」が届いた。 「VintageGuitar」は「FENDER ジャズマスターとジャガーのすべて」と 「ロックな女性プレイヤー」特集で、リタ・フォードやジョーン・ジェットや 沢山の女性ロッカー達のステージ写真や愛器達、本当に美しい。 「THE YELLOW MONKEYが愛した楽器たち」という記事が載せられているのだけれど、 これはカラーではないのが惜しい。 けれどあの「メカラウロコ15」で展示されていたMONKEYのそれぞれの時代を担った 楽器たちがコーナー毎に紹介され、そして『最後の「JAM」を奏でた ギター&べース』が掲載されていたのは嬉しかった。 PUNCH DRUNKARD TOUR1998/1999の機材に添えられたコメントの 『巨大なロックン・ロール・バンドに成長した彼らはツアー機材もスゴイ数』という言葉が印象的だった。 「峠」の一節 “巨大なモーターのエスカレーター それに乗り僕らは夢見たね・・・”を思い浮かべた。 巨大なロックバンドを解体して彼らは、どんな姿を目指しているのだろう。 「音楽と共に生きる仕事人たち」というコーナーでは、 YOSHII LOVINSONの「WHITE ROOM」に参加されている勘澤典弘氏の インタヴューが載っていた。インストゥルメント・テクニシャン集団「JAM」に所属し 長年THE YELLOW MONKEYのLIVEを支えアルバム「8」のレコーディングに貢献し、 今度の『WHITE ROOM』の「WANTED AND SHEEP」では NORIHIRO“ZZ”KANZAWAとギタリストとして表記されているのだ。 私はこの「WANTED AND SHEEP」がもの凄く気に入って仕舞っているので この方がこの味わい深いギターを弾いていらっしゃるのだと知って嬉しかった。 楽器や機材に精通しておられるのは勿論、楽器の音だけじゃなく YOSHIIさんというアーティストそのものまで深く理解して厚い信頼関係を 築いてらっしゃるのだと感じた。 この方が今度のツアーメンバーになるのだろうね。 ステージ上のお姿を拝見するのも楽しみだ。 続いては「激刊!山崎」。 まだ1/3ほどまでしか読んでいないけれど、ご本人「ウンコページ」と仰る この元ロッキン・オン・JAPAN編集長・山崎洋一郎氏の編集後記は、 これだけ纏めて読めるのは至福だ。 「まる秘おセンチ日記」でジャパンバッシングをやらかした吉井和哉への 大反論は、前に読んではいたけれども、やはり面白い。 『「最近はどうしちゃったの?」みたいなファンの声が (実はただの利己的な)無責任でどれだけ非生産的でやる気をそぐか』と いうところは、 文脈とは関係ないところではあるけれど大いに頷けた。 偉そうな批判も実はただの好き嫌いでしかなかったりするものだ。 「MONKEY時代は良かったのにソロのYOSHII LOVINSONは・・・」等と いうのは、嗜好が合わないだけじゃないの?と思う。 1997年第一回フジロックの記述は、やっぱりズシっと来た。 「作戦ミス」あの時台風に襲われず、状況の変化に上手くバンドが 対処出来ていれば?なんて思うのは愚かだね。 過去は変えられない。 吉井和哉詩集「SO YOUNG」への『ロックが持つ「ネガティヴ」という特性』に ついての箇所、PUNCH DRUNKARD TOUR終了後JAPAN表紙になった あの灰色の雲が垂れ込めた海辺の取材時の話が心に残った。 山崎さん、ロッキンオン誌へ移られても、Jロックを見守り続けておられる あなたの眼差しを深く信頼しています。 THE YELLOW MONKEYから巣立った4人の行方をどうぞこれからも その厳しく暖かな眼差しで、どうぞ宜しくお願いします♪ 「PLAYER」YOSHII LOVINSONインタヴュー - 2005年04月04日(月) 『ソロ・シンガーには全然憧れてない。ずっとバンドをやりたい』 「WHITE ROOM」を聴いて感じられた通り、YOSHIIはこのPLAYER誌の インタヴューでもはっきりと「バンド志向」を答えていた。 「WHITE ROOM」のアルバムレコーディングでは、JUSTIN(b)とVICTOR(ds)、 PAUL(b)、JOSH(ds)、古い付き合いの“ZZ”KANZAWA(MONKEY時ギタークルー)、 そして“EMMARSON”KIKUCHI、彼らがYOSHIIのイメージする音を出し作り上げ、 つい先日決定したというライヴ・メンバーがYOSHIIの 『イメージするおもしろいオトナのバンド』でツアーに臨むのだという。 『なんで(EMMAに)手伝って貰ったんですか?』との質問への答えは 『ANNIEやHEESEYに手伝ってもらおうとすると、彼らのやりたい音楽と 俺が今やりたい音楽はやっぱ違うと思う。』だという。 その事よりも私が最も衝撃を受けたのは、THE YELLOW MONKEYは どんなロックバンドだったと言えるのか?と聞かれて、 『年齢を重ねてミュージシャンとして成長していこうとした時に 「じゃあ基本的なことはできますか」と問われて 「出来ます!」と断言出来ないこともあった』と答えた箇所だ。 『最後の「8」にプロデューサーを付けた事が象徴している』とYOSHIIは言う。 シングル「バラ色の日々」や「聖なる海とサンシャイン」は、 プロデューサーが付いたいわゆる「チャレンジャーシリーズ」だったけれど、「8」は セルフプロデュースかと思ってた。 それよりも何よりも「バラ色の日々」から「SHOCK HEART」の頃、 THE YELLOW MONKEYが活動休止を決断するまでの期間というのは、 「基本的な事がどうのこうの」と言うよりは、YOSHIIの THE YELLOW MONKEYの中での寿命が燃え尽きようとして、 それでも懸命に糸口を探して足掻いていた時期だと思う。 この前のbridgeインタヴューに続いて今回のPlayer誌でも 『最後の「JAM」でミラクルは起こらなかった』とYOSHIIは発言したけれど、 YOSHIIがあの時「奇跡」を願った気持ちがありえないとは言わないけれど、 それは相当無理に違いないと感じて仕舞う。 あの空間での「JAM」の音、会場全体で歌ったあの歌詞、あの熱・・・ 『魔法は起こらなかった』けれどあの曲のパワーは本物だった。 だから、もう『もしあの時ミラクルが起きていれば・・・』等と言う発言は、 止めて欲しい。その言葉を聴くのは本当に辛いのだから。 もう良いじゃないですか。 YOSHIIが命を賭けたバンド=THE YELLOW MONKEYを切り離す事は 無理なのだろうけれど、もっと自由に為って欲しい。 「YOSHIIが解散させた張本人だ」とか責めたりしませんよ。 THE YELLOW MONKEYがあったからこそ今のYOSHII LOVINSONがある。 『ミュージシャンとして正しくありたい』という今のYOSHII LOVINSONの 理想とするミュージシャン道を極めて行って欲しい。 bridgeインタヴュー - 2005年04月01日(金) 渋谷陽一は、やっぱり凄い! それがbridge「YOSHII LOVINSON ソロ第二弾、傑作の真相」を読み終えた 正直な感想だ。 あの昨年12月26日東京ドームでの「JAM」のYOSHIIを 『客や、周りに対するいい意味でのサディズムが (周りはどうであれ俺は俺で行くぞ、っていう独特のサディズムが)出た』と仰っていて、 大きく頷いた。 ヒストリービデオの上映が終わって観客が或る種放心状態のところへ突然 ステージに現れいきなり演奏を始めたあの場を、 あの巨大な空間をYOSHIIは、一点に集中させてみせたのだ。 恐ろしい男だと思う。 しかも『俺はもしかして、期待してたんだよね、あの最後の演奏に』 『あ、やっぱり今日はマジック起こんなかった。やっぱり解散だ』と思ったと。 何と残酷な事を言う人だろうか。 でも、あの最後のステージでメンバー4人が揃って挨拶をすると予定されていて、 私は「まさか、そんな筈はないだろう」と思いながらも 『古いTHE YELLOW MONKEYは今日終わります。 明日からは新しいTHE YELLOW MONKEYの活動が始まります!』と宣言してくれるのではないかと 、心のどこかで願っていた。奇跡は起こらなかったけれど、だけれどもあの「JAM」で、 どんな言葉を尽くされようとも伝わり切らなかったであろう事が判った。 この4人はもうTHE YELLOW MONKEYではないのだと言う事が。 渋谷陽一氏は「at the BLACK HOLE」制作時のYOSHIIの状況にも鋭く斬り込んでいる。 『延々答えのないグルグル回りの中』これがあったからこそ 「at the BLACK HOLE」のYOSHIIは途轍もない苦悩を味わったのだろうけれど、 だからこそ素晴らしい作品へ昇華されたのだ。 渋谷氏が1stを『素晴らしい作品』と評してくれている事がとても嬉しい。 あの作品を作ったから「トブヨウニ」の3曲、そして「CALL ME」、そして この「WHITE ROOM」へと繋がったのだ。 『THE YELLOW MONKEYの重力』 これは誰よりもYOSHII自身が一番大きく強く感じているだろう。 「解散」しても尚、折に触れ感じる事もあるだろう。 けれど、YOSHIIはもう大丈夫に思う。 今回はイエローモンキーの曲はやらないけれど、 いずれイエローモンキーの曲をLIVEでやる可能性があると話してくれた。 自分を取り戻せたのだ。 その事が一番嬉しい。 『今すぐやらせろ!メンバー連れてこい!』 頼もしい限りだ!
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