2009年05月29日(金) |
親方に懲役6年の実刑 |
日経(H21.5.29)夕刊で、部屋の力士に対する傷害致死事件について、名古屋地裁は、親方に対し懲役6年の実刑判決を言い渡したと報じていた。
傷害致死だから6年の実刑はおかしくない。
ただ、暴行を加えた力士たちは執行猶予判決であり、刑の差があり過ぎるのではないだろうか。
2009年05月28日(木) |
地裁に比べて高裁は行政寄りか |
日経(H21.5.28)社会面で、ミャンマー国籍の夫妻が難民認定などを求めた訴訟で、東京高裁は、難民と認めず請求を退けた一審判決を破棄し、国の強制退去処分などを取り消したという記事が載っていた。
地裁に比べ高裁は行政寄りだと思われがちである。(とくに東京高裁の場合)
その意味では、地裁の判断を覆し、難民認定を認めたこの高裁の判決は珍しいといえる。
こういうことを言うと、裁判官は「証拠に基づいて判断しているだけで、東京高裁が行政寄りということはない」という顔をするのであるが。
日経(H21.5.27)社会面に、詐欺事件で起訴されたL&Gの元幹部が民事訴訟で訴えられた事件で、4500万円の賠償を命じた1審判決について、東京高裁は「手続きに違法があった」として、地裁に差し戻したという記事が載っていた。
記事によれば、1審では、被告の住所が不明であるとして、裁判所の掲示で訴状が送達されたとみなす「公示送達」の手続きをしたようである。
裁判所に掲示することによって送達したとみなすのだから、現実に相手方がそれを見ることはない。
ところが、この事件は控訴されているから、被告は訴えられたことを新聞報道か何かで知り、控訴したのだろう。
通常であれば、訴えられた方は、訴えられたことを知らないまま敗訴になるのであるが、珍しい事案といえる。(私も一度経験があるが)
2009年05月26日(火) |
精神鑑定を裁判官はどこまで尊重するか |
日経(H21.5.26)社会面で、被告人に刑事責任能力があったかどうかが争点となった事件の差し戻し後の控訴審で、東京高裁は、責任能力があったと判断し、懲役2年6カ月の判決を言い渡したという記事が載っていた。
この事件では、1審は「心神喪失」とした鑑定結果に基づいて無罪判決を言い渡したが、2審は鑑定結果を信用せず懲役3年の逆転有罪にたした。
これに対し最高裁は、「専門家の精神鑑定は十分に尊重すべきだ」として審理を東京高裁に差し戻していた。
このような場合、差し戻し審では最高裁の判断を尊重するから、鑑定結果に基づき心神喪失と認定すると思われた。
ところが差し戻し審は、「最高裁の考え方を一般論としては正鵠を射ている」としつつ、鑑定結果は「現在の精神医学の知見から見て信用性に問題がある」と判断した。
つまり最高裁の判断に叛旗を翻した形になったのである。
そこには、「精神鑑定についても最終的判断は裁判官が行う」という強い意思が感じられる。
この差し戻し審に対する最高裁の判断が待たれるところである。
2009年05月25日(月) |
司法と、立法・行政との緩やかな関係 |
日経(H21.5.25)16面の「法務インサイド」で、定数不均衡に関し、高名な弁護士の「国民審査で最高裁裁判官に違憲判決を促せ」というインタビュー記事が載っていた。
その考えが悪いというわけではない。
私も、かつては最高裁は定数不均衡に対し積極的に違憲立法審査権を行使すべきと考えていた。しかし、いまは少し違う。
現在の最高裁は、衆議院で3倍以上、参議院で6倍以上という一定程度の不均衡については違憲としつつ、基本的には立法府の判断を尊重している。
他方、立法府は、最高裁を意識して、不均衡をできるだけ是正しようと一応の努力をしている。
つまり三権が緊張や対立状態ではなく、お互いに尊重しながらそれぞれの役割を果たしているという感じである。
そういった状況はもともとの三権分立の理念とは違うのかもしれない。
しかし、司法が過度に違憲立法審査権を行使しない結果、立法・行政も、現在では最高裁長官人事を通じて司法に介入しようとしていない。
そのような緩やかな関係というのは日本的で望ましいのかもしれないと思うようになった。
2009年05月22日(金) |
週刊新潮に返金を求める |
日経(H21.5.22)社会面に、朝日新聞記者殺害事件の実行犯でないのに実行犯を名乗った男の手記を週刊新潮が掲載した問題で、静岡の弁護士が、週刊新潮に週刊誌の売買契約を解除した旨の通知を送り、週刊誌代の返金を受けたという記事が載っていた。
この弁護士は消費者側で熱心に活動されている結構有名な方であり、それなりの考えがあってのことなのだろう。
確かに、十分調査せずに手記を掲載した週刊新潮は問題である。
ただ、私はこのようなやり方は好きでない。
表現行為は、思想の自由市場にできるだけ流して、その中で淘汰されるべきものは淘汰されるべきである。
したがって、問題ある表現行為に対しては、表現行為によって駆逐すべきではないだろうか。
少なくとも「基本的人権を擁護すべき使命がある」(弁護士法1条)弁護士としては、表現行為によって批判すべきではないかと思う。
2009年05月21日(木) |
裁判員制度がスタート |
日経(H21.5.21)社会面に、「今日から裁判員制度がスタート」という記事が載っていた。
ただ、今日から裁判員裁判が始まるわけではなく、5月21日以降に起訴された事件について適用されるだけであるから、実際に始まるのは7月中旬以降であろう。
ところで、今日、公判前整理手続きを経た事件の論告求刑、弁論があり、次回判決となったが、裁判官が「慎重に判断したい」とのことで、判決期日は1か月以上も先になった。
これが裁判員裁判が始まると翌日に判決しなければならないのだから、判断ミスは論外にしても、ケアレスミスなど訴訟手続き上のミスが続出するような気がする。
2009年05月20日(水) |
漢検の前理事長と前副理事長が逮捕 |
日経(H21.5.20)社会面に、日本漢字能力検定協会の前理事長と前副理事長が背任容疑で逮捕されたと報じていた。
その記事の中で、漢検代理人の弁護士が、3月に理事会の議案に前理事長の進退を含めるよう要請したことに対し、前理事長は「私たちのために働いてくれない」として即座に解任したと書いていた。
弁護士は依頼者のために働くべきである。
しかし、会社が依頼者であった場合に、会社内部で紛争が生じたときは弁護士として苦労する。
基本的には、会社を代表しているのは代表取締役であるから、代表取締役の意向に沿うことになる。
ただ、代表取締役の主張が会社の利益を害するような場合には、解任覚悟で代表取締役に意見すべきであろう。
漢検の代理人は意見をしようとして解任されてしまったが、前理事長が逮捕されたいまでは、解任されてほっとしているのではないだろうか。
日経(H21.5.19)社会面に、市民が検察官の不起訴処分の是非を審査する検察審査会の役割も大きく変わるという記事が載っていた。
これまでは「起訴相当」と議決しても拘束力がなかったが、法改正により、二度「起訴相当」になると、起訴の効力を持ち、刑事裁判が開かれることになる。
被害者らは「市民感覚を反映できる」と期待するが、検察側には捜査への影響を懸念する声もあるそうである。
一番影響があるのは、起訴を免れたはずの被告人であろう。
いずれの制度が一番望ましいのかは何とも言えない。
ただ、これまで裁判官、検察官、弁護人だけで決めてきた刑事裁判が大きく様変わりしようとしていることは間違いない。
2009年05月18日(月) |
裁判員裁判を年間20件も処理することは不可能である |
日経(H21.5.18)社会面に、5月21日から裁判員制度が始まるという記事の中で、千葉では弁護士一人が担当する裁判員対象事件は年間20件超になるとしていた。
公判が最短の2日で終わるとしても年間40日になり、しかも、公判前整理手続き期日、記録の閲覧・被告人との打ち合わせなどを考えると、年間100日近く裁判員裁判に取られることになる。
弁護士会は県単位で設置されているが、県を超えた応援を考える必要があるかもしれない。
2009年05月15日(金) |
福岡3幼児死亡事故で、福岡高裁は一審を破棄し、懲役20年を言い渡す |
日経(H21.5.14)夕刊で、飲酒運転でRV車に追突し海に転落させ、幼児3人を死亡させた事件で、福岡高裁は、懲役7年6月とした1審判決を破棄し、危険運転罪を適用して、懲役20年を言い渡したと報じていた。
幼児3人を死亡させたことを考えると、一審の懲役7年6月という判決は軽いと思う。
ただ、二審の事実認定は強引ではないかという気がする。
一審では「事故の原因は脇見」としたが、二審では、「事故現場の橋には中央線から歩道側に傾斜があり、時速100キロの速度で長時間の脇見運転は不可能」としている。
確かに長時間のわき見運転は不可能であるが、同乗者をチラチラと見ながらのわき見運転であればあり得るのではないだろうか。
また、二審は、事故原因がわき見運転であることを否定したうえで、飲酒により視覚能力が低下し、間近に迫るまで先行車を認識できなかったと認定した。
しかし、左勾配であるからハンドル操作が必要であり、そのハンドル操作能力は認めながら、視覚能力が低下していたというのは認定としてちぐはぐなように思う。
二審は結論の妥当性に配慮しすぎではないかという危惧がある。
2009年05月14日(木) |
テレビ番組に出演している弁護士が週刊誌記事で名誉を棄損されたとして訴訟 |
日経(H21.5.14)社会面で、「行列ができる法律相談」に出演している弁護士が、ダイエットを巡る虚偽の週刊誌記事で名誉を棄損されたとして、小学館に300万円の損害賠償を求めた訴訟で、東京高裁は10万円の支払いを命じたと報じていた。
週刊誌で虚偽の事実を書かれたら、書かれた側は堪らないだろう。
また、裁判を受ける権利は誰にでも保障されており、弁護士が訴訟することが禁止されているはずがない。
それでも、弁護士が、週刊誌の記事に対し名誉棄損の訴訟を提起することには抵抗感がある。
とくに、本件では一審では原告の請求を棄却しており、二審でも名誉棄損には当たらないと判断している事案である。
「それじゃ、泣き寝入りしろというのか」と怒られそうだが、表現行為に対し何でも訴訟することがいいのだろうかと思う。
2009年05月13日(水) |
視覚障害手帳不正取得事件で、医師を虚偽診断書作成の疑いで立件 |
日経(H21.5.13)社会面で、視覚障害手帳の不正取得事件で、警察は、札幌の医師を虚偽診断書作成の疑いで立件の方針と報じていた。
この事件は不正取得の疑いのある人が900人近くおり大規模な事件であったから、警察としても、医師を虚偽診断書作成の疑いで捜査せざるを得なかったのだろう。
ただ、患者の詐病に気付きながら診断書を作成していると思われる医師はたまにいる。
以前、裁判の証拠として、自宅からずいぶん離れた病院の医師の診断書が提出されたことがあり、案の定、診断書にはずいぶん重い症状が記載されていた。
その際、依頼者側の職員が「この先生は有名なんですよね」と言っていた。
もっとも、医師側が「患者の虚偽の症状を訴えても、それを見抜くことは難しい」と言い訳すれば、それ以上その医師を追及することは困難である。
記事になった札幌の医師も同じ言い訳をしているようであるが、これだけ不正取得の件数が多いと、その主張は通らないだろう。
2009年05月12日(火) |
「目の前に違法があれば粛々と捜査する」 |
日経(H21.5.12)社会面に、小沢民主党代表の辞任に関連して、西松建設の違法献金事件について、検察官が「与野党の関係なく、目の前に違法があれば粛々と捜査する」と述べていた。
しかし、そうだろうか。
検察庁は「粛々と捜査」せずに司法取引的なことをしたこともあるのではないか。
国会議員が、議員を辞任することにより、それ以上の捜査を止めた例は何回かある。
元日弁連会長の中坊氏は、住専での回収業務が問題になり、弁護士資格を返上することにより逮捕を免れたと言われている。
そのような事例があるだけに、「与野党の関係なく、目の前に違法があれば粛々と捜査する」と言われると、違和感を感じてしまう。
2009年05月11日(月) |
店評価のブログは名誉棄損になるか |
日経(H21.5.11)11面のリーガル3分間ゼミというコラムで、「店の美容師の接客態度をけなしたブログを書かれたがどう対処したらよいか」という記事があった。
ブログにはこのような店の評価は当然のように書かれている。
食べ歩きのブログもいっぱいあるが、そこでも接客態度が悪ければすぐに書かれる。
このような店の評価を書いたブログは名誉棄損に当たるのだろうか。
名誉毀損について民法上の要件は明記されていない。(刑法では規定されている)
ただ、判例は、①内容の公共性、②目的の公益性、③内容が真実または真実と信じるに足りる理由があれば、民法上の責任も負わないとしている。
この要件を「店の評価のブログ」に当てはめると、店の評価は顧客全体の利益になるので、公共性があるとされているようだ。
目的としても、その店に対する特別の悪意から書いたのでなく、通常の評価であれば目的の公益性も認められるだろう。
そうすると、接客態度が悪かったことをブログで書いたとしても、それが真実であれば名誉毀損で訴えられることはなさそうである。
悪口を書かれた店としては憤まんやるかたないだろう。
しかし、ネットでの店評価の有用性は認めざるを得ない。店としては批判された接客態度を反省し、改善するしかないのだろう。
2009年05月08日(金) |
ファールボールの事故の場合、球団側は責任があるか |
日経でなく、朝日(H21.5.8)社会面トップで、プロ野球のファールボール対策についての記事があった。
仙台での楽天の試合では、座席下に飲み物を置こうとした男性の右目にファウルボールが当たり、視力が0.03まで落ちるという事故があった。
この男性は、球団と球場を所有する県に、約4400万円を支払うよう仙台地裁に訴えを起こしたそうである。
この男性が不注意とは言えず、同情するが、この訴えは認められないのではないかと思う。
試合では「試合観戦契約約款」が定められており、ファウルや本塁打の打球が当たった場合、球団や球場は責任を負わず、損害賠償の範囲は治療費などに限られるとされている。
もちろん、いかに約款に決めているとはいえ、球団側に故意や重過失がある場合まで責任を免れることはできないとされている。
そこで、訴訟では球団側に重過失があったかどうかが争点になるのだろう。
ただ、球団側は、観客に注意を呼び掛けたり、ファールボールのときは警告音を鳴らすなどして、対策を取っていたようである。
そうすると、球団側にファールボールによる事故について重過失があるとまではいえないのではないか。
結局、球場でのファールボールによる事故については観客の自己責任ということになると思われる。
2009年05月07日(木) |
レバレッジに規制が必要ではないか |
昨日の日経(H21.5.6)社説で、「利用者重視の商品先物取引の改革を」と論じていた。
その中で、2005年の法改正で不当な勧誘ができなくなった結果、売買高は半分以下に落ち込んだとしていた。
単純に言えば、不当な勧誘による取引が半分以上あったということになる。
先物取引自体は経済活動に必要である。
しかし、一般消費者には先物取引の仕組みが分かりづらく、しかも得られる情報が限られているので業者の言いなりになりやすい。
その上、証拠金でその何倍もの取引が可能な点で、消費者が行うには極めて危険な取引である。
この点は外国為替証拠金取引も似ている。
一般消費者については、せめて証拠金の3倍程度の取引に規制しないと、消費者被害はいつまでたってもなくならないのではないか。
2009年05月01日(金) |
ディズニーランドのエピソード本 |
日経(H21.5.1)社会面に、東京ディズニーランドのエピソードを書いた本の一部が他の作品の酷似していた問題で、「小さな親切」運動本部が、本の販売中止を要請したという記事が載っていた。
ところが出版社は、謝罪文の掲載は了承したが、販売中止や回収はしないと回答しているそうである。
著作権侵害が問題になりながら謝罪はするが販売中止はしないのはどういうことなのだろうか。
しかも出版社だけでなく、近くの書店ではいまだに「○○万部販売 ベストセラー」などと書いて、この本の宣伝を継続していた。
出版社も書店も売れればいいという考えで、表現者としての自負はないのだろうか。
と思っていたら、今日のネットニュースで、出版社がこの本の回収を始めたと報じていた。
当然のことであろう。
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