あの頃私は。。。
2003年09月14日(日) 旅行
2002年09月14日(土) きぬ@花嫁道具
おはよう。
いつもありがとう。
昨日は月が綺麗だったね。
子どもが出来た時、家を出てでも生もうって思ってた。
母と揉めた後、家に居続けることが辛くて家を出ようと真剣に考えた。
生きていなければよかったって、思った。
学生の時、何度となく衝動的に自殺したい願望に捕われていた時に
ホントに手を下してしまえばよかったと。
でも結局は、私は家を出なかった。
甘えていただけなんだよね。
自分の母親だから、解ってくれると思い込んでただけで。
別の人間だと解っていても、生まれた時からずっと一緒にいるんだからっていう
エゴがあった。
それに気付いてから、母との間にもっとハッキリした距離が生まれた。
愛しているから、許せないんだってコトも知ったよ。
たぶん、母の中ではなかったことになっている。だから普通に仲良く出来ている。
このままやっていけると思う。彼女には、妹が付いているしね。
前の人は、付き合い始めてすぐに大きな手術をしたの。
身体の欠陥が先天的にあって
それがきっかけなのか、後天的なものなのか解らないけれど発病して
主治医に「持って7年」と言われていて。
妊娠たのを報告した時
前の人は最初、言い訳かもしれないけれど
自分の身体的な奇形を理由にして堕ろすように言っていたな。
片親で、障害者を育てられるはずないって。
うるさい。そんなのヘッチャラだよって思っていたけれど。
結局、子どもがいてくれなかったのは
私が筋腫を持っているという身体的な欠陥もあったし
精神的に不安定だったというのもあるし
前の人が言ったように、もともとの細胞が弱かったこともあったのかもしれない。
今となっては、もう解らないけれど
どんなカタチであれ、私は生きていてほしかった。
生命の奇跡を、その可能性を
個人の都合で摘んではいけないと。
障害って何なんだろうね。
程度にもよるけれど、私には想像も出来ない御苦労があるんだろうね。
産まないという選択も、とても勇気がいると思うし
それも1つの愛のカタチだと思うよ。
でも、幸せかどうかって本人にしか測れないから。
周りには解らなくても、本人が幸せならいいハズだもの。
生命が輝き続ける限り、手に出来る可能性はある。
逆に生まれた時に五体満足なら幸せなのかなって、思う。
その後、判明したり
病気やケガで障害を持つこともある。
障害がなくたって、幸せを感じられない人はいっぱいいるんだから。
それを、神でも仏でもない私たちが推し量るのはおこがましいんじゃないかな。。。
人間は、他の生物よりも頭がよくなり過ぎて
いろいろ考えてしまうけど
生命の誕生という原始的な出来事は、もっとシンプルに捉えていいのかもしれない。
お腹にいる生命と、生まれでた生命に何の違いがあるのか
私には解らない。
でも、それは各々の状況から真剣に考えた結果であって
答えが出る問題じゃないからね。
だから、軽蔑なんてしないよ。変わらないよ。
私は、この世の全てに意味があると思っているの。
生きるも死ぬも。出会いも別れも。
これから手術を受けることも。
自分のクセで、悪い方に考えてしまいがちだけどねf(^_^)
こうして、考える機会を与えてくれたこと
感謝しています。本当にありがとう。
葉酸ね。大事なんだよね~。
普通の食品だと、グレープフルーツにあるんだよね。
サプリは取ってないけど、ジュースや果物で取るようにしています。
妊婦って、柑橘類を食べたくなるっていうじゃない?
それって身体が葉酸を欲しているってコトなのかもね。
風疹の抗体の話は聞いたことあります。ハッチからだったかな?
私は、1度かかったことがあるんだけれど
それでもやった方がいいかね~。
手術したら春まで妊娠できないので、今のうちだよね。考えとこ☆
今は、手術に向けて鉄剤を処方されています。
妊婦も貧血になりやすいっていうから、注意してね。
レバー平気?植物性よりも動物性の方が吸収がいいんだって。
レバーがダメなら、シジミとかアサリのお味噌汁がいいよ。
友だちの結婚式、残念だったね。
でも今は、自分の身体を大事にね。
そうそう、日取りと場所をもう一度教えてくれる?
私も祝電出すつもりなので。
手術前に会えるといいな。うれしいな。
3連休が2回あるけど、その中のどこかの日で調整しようと思っています。
日にちはもうちょっと待ってね。
あの頃私は。。。
2003年09月12日(金) お預け
2002年09月12日(木) きぬ@引き出物
おはよう。
レス遅でごめんね。落ち着いた時間が取れなくて。
赤ちゃん、いてくれてよかった。
検査のコト、気になっていたの。
最近、ご不幸もあったから。気持ちの波に生命がさらわれるコト
体験者なだけによく解っているから。
ゆったり。ホントに、ゆったりね。
不安な気持ちは、赤ちゃんも不安にさせる。
「いちゃいけないのかな」って思わせてしまう。
それでいなくなった後のやり切れなさは、言葉に出来ない程なんだから。
妊娠した時、それを前の人と母に伝えた時のコト
今もハッキリ覚えているよ。
私の身体に気をかけることもなく、「堕ろしなさい」って言ったの。
私だって怖かった。結婚してないのに、産みたいって打ち明けることが怖かった。
でも、女だったら。子どもが出来た時の喜びや愛おしさを解ってくれると思っていた。
だから打ち明けたのに。
言うんじゃなかったって、思った。目の前が真っ暗になったようだった。
たとえそれが、私を思ってのコトだったとしても
私には、体面を守るためのように思えた。こんな人母親じゃないって思った。
「言うんじゃなかったよ。放っといて!」って言って自室に入った後
涙が止まらなかった。
今、子どもを守れなかったら
私が生きている意味なんてないって思った。
でも、次の日から出血が始まった。
その日は、どうしても病院に行くことが出来なかった。
お腹を引っ張るような、今までに感じたことのない痛みと共に酷い出血が続いていた。
それは、赤ちゃんが必死でしがみついているのに離され流れていくような感覚だった。
生命が零れ落ちていくのを、どうすることも出来なかった。
なのに、普段どおりの生活をしなければならない自分。
母が、追い討ちをかけるように「堕ろしなさい」と
また言った。
私が納得するまで、毎日でも言い続けるつもりらしかった。
もう終わっているのに。
でも、こんな人にそれを言いたくなかった。喜ぶに決まっている。
「生理が来たんだよ。うるさいな!」それが精一杯のセリフ。
自分が一番悪いの。でも、母を許せない。
母が、嫌いというわけではないの。でも許せない。このことだけは。
それは、今も変わらない。
だから、今後子どもが出来ても
最後まで母には言えないような気がしている。
言うのが、怖い。
祝福してくれるか、不安だから。
母は、子どもが出来なくなって手術を受けることになった今の私の状況を
どう感じているんだろうって思う。
あの時のコトを、思い出したりしているのかな。
いや、きっと忘れちゃっているだろうな。
いくら母親でも、別の人間なんだもの。
合わないこともいっぱいあるよ。それが親不孝ってわけではない。
ちゃんと大切にしているじゃない。
何を言われても、今ここにある生命を守り抜くって決めたんでしょ?
親であるあなた達が、生まれる赤ちゃんに最高の祝福をすれば大丈夫だよ。
私も祝福の雨を降らすよ。
ココロの拠り所は、たった1つでもあれば生きていけるんだよ。
羊水検査。
もし悪い結果が出たら、どうするつもりなの?
生まれるまでに覚悟を決めるの?それとも、ご両親が言うようにサヨナラするの?
私は、知らなくていいと思う。どうであれ、産むって決めているのなら。
生命を育むって、自分と向き合うってコトなのかな。
もう一度、ご家族とちゃんと話しておいた方がいいかもしれないね。
私も早く、スタートラインに立ちたいな。
あの頃私は。。。
2003年09月10日(水) 蜘蛛
2002年09月10日(火) きぬ@ビーバー
あの頃私は。。。
2002年09月09日(月) きぬ@オメデタイからいいよね
昨日、シゴトを休んで
手術前の検査をいろいろとしてきました。
採血・採尿・レントゲン
心電図・肺活量。
それから、止血時間がどれくらいかを調べる検査。
レントゲンは、正面からだけではなく
側面からも撮影しました。
肺活量の測定は
トイレットペーパーの芯みたいのをくわえて行ないました。
普通に、吐き切った時の空気の量と
一気に吐いた時の空気の量。
止血時間を測る検査は
耳を切って行ないました。
2~5分が正常だそうで、3分でした。
検査は、たぶん問題ないでしょう。
診察の際に、貧血の有無を聞かれて
以前、鉄剤を処方されていたことを話したら
1ヶ月分の鉄剤を処方されました。
胃薬なしだったので、負担がかからないか
ちょっと心配です。
最終月経と周期も聞かれました。
薬などで、時期をずらす必要もないようです。
でも、この周期で妊娠しないかと薄い期待をしている私は
着々と準備が進んでいくことに
なんとなく違和感を感じてしまいました。
あの頃私は。。。
2002年09月06日(金) きぬ@タスキ
その日も、リリア展の最終日で
片づけを終えて、作品を引き取った後に彼女に逢いに行きました。
私は最初から、その作品を
彼女のご両親がマンションを購入したので
そのお祝いに贈るつもりでいました。
でも、それは
結果的に餞別の品になるかもしれませんでした。
彼女には、私と魔性ちゃんがやり取りした
メールの全てを転送していました。
結論を出すのは彼女だと思っていました。
友だちを取り引きすることなんて、出来ない。
勝手に決めることなんて出来ない。
どうしてこんなことになったのか
全て理解してもらった上で
彼女が決断したことを尊重しようと決めていたのです。
彼女が、私との縁を切ることになっても。
彼女も、もしかしたら最後のつもりで
私に逢ってくれたのかもしれません。
↑エンピツ投票ボタン
ああ・・・やっぱり。。。
解けなかったパズルが、やっと出来上がったような気がしました。
不自然だったのです。ずっと。
そのことについて、妙に優位に立つような言動が。
でも、見えてないフリをしていた。
ずっと、言わないでいることで苦しめてしまったコトを
申し訳ないと思うと同時に
この時に、ちゃんと言ってくれたことが本当にうれしかったの。
そして、彼女は私との縁を
今日まで繋いでくれたのでした。
元々の性格からか
私は、中途半端に関係を続けていくことは出来ません。
上っ面の関係を続けていくことは簡単だけれど
意味がないと思う。
友だちならば。
いろいろと環境が変わっていく中で、すれ違ってしまっても
あの時と同じように向き合うことが出来れば、乗り越えられると思います。
今がその時。
真っ向勝負。
あの頃私は。。。
2002年09月05日(木) きぬ@2つの指環
昨日の相手は
たぶんここを読んだ後に返事を送ってくれたのだと思います。
でも、2人で逢って
何を話そうとしているのだろう。
それは、私も解らない。
向こうも解ってないかもしれない。
ただ、何とかしたいって
逢って話すことで何とかしたいっていう気持ちは、きっと同じ。
24歳の夏に
私が今は「魔性ちゃん」と呼ぶ女性と決別しました。
前の人と別れて、1年後の夏でした。
それは、突然のコトでした。
一方的に
「あんたみたいなキレイゴトを言う人とは付きあえない。もう逢わない。忘れてくれ」
というようなことを、メールで告げられたのです。
何がなんだか解らず、メールで真意を確かめようとしましたが
魔性ちゃんの気持ちは変わることがなく
私も、その言われように段々冷静ではいられなくなってしまったので
結局、ケンカ別れのような格好で終わったのでした。
魔性ちゃんとのやり取りの中で、最後まで問題になったのが
昨日の相手のコトでした。
いつも、3人でつるんでいたのです。
彼女にとっては、魔性ちゃんも私も同じように友だちのハズで
私たちが決別したことで、板挟みになった彼女をどうするのか。
魔性ちゃんも私も
相手が彼女をとても大切に思っていると解っていました。
だから、お互いに「自分が引く」と言ったのです。
でも、決着は着かないまま
魔性ちゃんは、私からも彼女からも姿を消してしまいました。
私は
彼女は何も知らないんだから、本当のコトを話さないといけないと思い
最後のつもりで、彼女に逢いました。
5年前の、ちょうど今頃のコトです。
あの頃私は。。。
2004年09月04日(土) 妊娠なんて簡単だよ
2003年09月04日(木) 感染
2002年09月04日(水) きぬ@子連れの苦労
1日から、リリア書展は始まっています。
今年も思いのほか沢山のお友だちが来てくれています。
本当にありがとう。
月曜日に送ったメールは、まだ返事がありません。
届いていないのか
返事したくないのか
返事が出来る状態ではないのか
よく解らない。
確認するのも嫌だし
したからって、どうなるものでもないし
なんだか、疲れちゃったよ。
今の状態を打開したくて
痼りを残したくなくて
勇気を振り絞って送ったメールだったのにな。
別に、今のままでも付き合っていくことは出来たのだから。
けれど、それまで深かった分
今の浅さに満足することは出来なかったの。
大切な人だからこそ。
彼は、大丈夫って言うけれど
不安で仕方ないよ。
あの頃私は。。。
2002年09月03日(火) きぬ@彼の写真
彼は、クルマの運転が苦手なんだって。。。
安全運転で、私はそうは思わないんだけれど。
上手いかどうかよりも
事故に遭うような、危ない運転をしないコトとか
同乗者に怖い思いをさせないコトの方が
大事だと思います。
私は、彼が運転するクルマに乗るのはとても楽しいし
安心して、快適に乗っていられるんだけどな。
でも、彼はそのことにコンプレックスを抱いている。
だから、私がちょっと「もうちょっと後ろにいた方がいいんじゃない?」
なんて言ったりすると、とても傷ついてしまうのです。
私の方こそコンプレックスの固まりで
それでも彼は側にいてくれるのに
同じコトで何度も傷つけてしまうなんて。
ごめんね。
傷つけるつもりはないんだよ。いつも。
許してね。
あの頃私は。。。
2004年09月02日(木) 配慮のない言葉
生理やおりものの、極端な出血の多さ
だらだらと続く不正出血
どちらにしても、その時は近づいていたのかもしれません。
身体は叫んでいたのに
必死にサインを送っていたのに
子どものコトで追い詰められるまで
気がつかなかっただけかもしれません。
そう考えたら
もし、これで子どもが出来なかったとしても
無駄じゃなかったんだって、思えるような気がしました。
彼と一緒に
これからも生きていくために必要だったんだって。
あの頃私は。。。
2003年09月01日(月) おんぶ
2002年09月01日(日) きぬ@御礼