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HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2005年07月24日(日)
簡素化




私が今の家に住んでから10年になるが、10年の精神的な重みはあまり感じられず、10年のあいだ蓄積したガラクタで家が「┗(-_-;)┛オ・・オモイ… 」と言うている。

数度の引っ越し経験の後、「タンス類は必要ないな。」との実感を得た私は、和洋のタンスを持たない。
鏡台も母に貰ったけれど、場所ふさぎになるので捨てた。

タンスは押入があったら必要ないと思う。
押入のフスマをはずし、上段には突っ張り棒をすると衣類が掛けられる。
下段には、便利な収納ケースが活躍する。
この収納ケース、多少、値段がはるのが難点だ。

日々着替える小間物達はどうするか?
コロ付きの半透明収納ケース5段を買って、上から「靴下」「下着」「Tシャツ」「短パン」などとわけて、しまっている。
うちは脱衣所が狭いので、居間と台所をつなぐ廊下においてある。

「いつか使うかも?」と取り置いた物品を使うことは、殆どない。

針金ハンガーは洗濯物を干すときに便利だが、クリーニングの度にどんどん溜まるので、どんどん捨てていかねば…。

京言葉の先生は、マンションにお住まいだが、いつ訪れてもオープンハウスのような簡素さで、整理整頓収納のお手本にしている。
その空間は、生活臭が殆どしないくらい。

先生のレクチャアの一つに「予備をおかないこと。」というのがある。

洗剤でも食品でも、安いと「どうせ使うモノだから。」と買いだめしちゃうよね。
それらの品物が知らず知らずに溜まって、私の生活を浸食し、私に無言の圧力をかけるのよ。

さらに先生は「要るモノ」「要らないモノ」「中間」のカテゴリにわけ「中間のモノは1年~3年の間に処分」しなさいと言う。

ちなみに先生自身のカテゴリには「中間」というのは存在しないそうだ。

「狭いマンション暮らしだから、モノが増えると困るのよ。」然り。

狭くても広くても、モノは増えると困る。

最近の笑い話というか、明日は我が身というか、身につまされる話しがある。

だいたい70歳を過ぎたあたりから、ご婦人方は「押入の整理を始めている」そうだ。

そのココロは「いつお迎えが来てもいいように。」

うちの母も「ある年齢が来たらトラック呼んで捨ててもらう。」と言っている。
そう彼女はネズミ年生まれなので、その溜め込みようは凄まじい。

だいたい「お迎え」というのは、若かろうが老かろうが(笑)生きとし生けるもの総てに公平にやってくるものだからして、「若い」の上にあぐらをかいていていてボンヤリしているうちに、ある日、突然クルマにはねられ没してしまうやもしれぬ。

私の場合は、今の縦長の家ではなくて、も少しフラットな家への引っ越しをもくろんでいるので、ラクに引っ越ししたいがための所作でもある。

モノへの執着心を捨てると、簡素化はかなり進む。

この世に執着する値打ちのあるものは、モノには置き換えられないと思う。

私はmokoさんの「来るモノ拒まず・去る者追わず…川の流れのようにサラサラ」としたスタンスが好き。

今日、我がサイトを整理して、やっと決心がついたので(そんな大げさなモノでもないが)Diary2とサヨナラした。

このDiary1の方は1日のうちに数度の日記が書けないのが唯一の難点なんだが、よく考えりゃ、1日1度の日記もかけてない。
『たまに能弁になる』時とかのためにDiary2はストックしておけないよ。

そもそものコンセプトの…
Diary1→建前
Diary2→本音

も、日常の感情の揺れのなかでは分けがたいしね。
表裏は一体で、常に反転するあやうさも持っている。

そんなこんなで、形のあるモノ無いモノのシンプル化を目指している昨今である。

パソコンもプリ○スになってから、外付けのスピーカーが要らなくなってスッキリした。

頭の中は…
シンプル以前の問題で、モノを考える力が弱くなっているような気がする。

なんとかしなくては…ね。(笑)










2005年07月12日(火)
宗旦ギツネ   <伝説・京都市上京区>





せっかく1日中、ぶらぶらしているご身分になれたのだからして、以前より参加したかった(でも平日のお昼なので参加できなかった)【京ことばの会】に月に2回、出席している。各週の火曜日の午後1:30~4:30まで。

殆どが60歳以上のご婦人方だ。

まずは発生練習から…

アエイウエオ アオ   カケキクケコ カコ
サセシスセソ サソ   タテチツテト タト
ナネニヌネノ ナノ   ハヘヒフヘホ ハホ
マメミムメモ マモ   ヤエイユエヨ ヤヨ
ラレリルレロ ラロ   ワエイウエオ ワオ

大きな声で腹式呼吸を利用して発生する。
この発声練習マニュアルは、アナウンサー・演劇者・朗読者・声楽者の間ではまず、お約束だろう。
もう、そらんじて言えるほど脳裏に染み付いてしまっている。

それから…

「京ことば辞典」を、ア行から勉強する。

私が参加する以前にすでに一巡しているようだ。<京ことば辞典

京の仏閣や仏事・祭事なども紹介されており、それは論語や狂言を引用してあったりして、なかなか難しい。(;´Д`A ```

単語1つずつ、順番に読んでいく。

今日やったのは、

アガル … 京都旧市内の通りを北に行くこと。<<動五>>
---   例)「河原町四条上がる」河原町通(南北の通り)に沿う地点で
↑イントネーション   四条通(南西の通り)から、北へ行ったところを示す。


アカン … ①いけない。「危ないとこへ行ったら、アカンエ。」<<連語>>
       ②効果が薄い。「なんぼ頑張っても、アカンナ。」
       ③役に立たない。「もっと、しっかり勉強せんと、アカン。」
       ④弱い。「気のアカン子やなぁ。」

などなど…。

進捗具合は一会につき2ページぐらいだから、まだまだア行は続くのだろう。

さて…

それから、メインが京ことばで書かれた文章の朗読である。
今月は宗旦ギツネという民話をやっている。
物語を一人ずつ、交代で呼んでいく。




   【宗旦ぎつね】     (京都市上京区の伝説)


ずーっと、むかし、京都の町がいまより、もっと小さかったころの話しや。
御所の北にある相国寺のあたりは、もう町はずれで、竹やぶがたくさんあって、家もぱらぱらたってるだけやたそうな。

そんな竹やぶの中に、一ぴきの古ギツネがすんでて、宗旦ギツネちゅう名がついてた。
なんで宗旦ギツネちゅう名がついたかいうと、このキツネはゆうめいな茶人の千利休の孫になる千宗旦さんにばけるのが、えろううまかったからなんや。

ある日のことや、相国寺でお茶会があってな、宗旦さんもまねかれてはったんやて。
「きょうは宗旦さんのお手前がはいけんできますな。」
「わたしもそれがたのしみで。」
と、ゆうぐあいに、みんながはなしてるうちに、宗旦さんもきやはって、室のなかにはいらはった。

いよいよ、お茶会がはじまろうとしたとき、小僧さんにあんないされて、またひとり、お客がはいってきたんや。
「おそなりまして。」
あいさつするお客を見たら、なんとそれがまた、宗旦さんなんや。これには、みんながびっくりしてしもうた。

「あれれ、宗旦さんがふたりになった。」
「これはどうしたことやろ。」
みんなはあっけにとられて、ふたりの宗旦さんを見くらべてるばかりやった。

ところが、しばらくたつと、さきにすわってた宗旦さんのようすがおかしなってきた。目が妙につりあがって、顔がとがってきて、四つんばいになったかとおもたら、バリバリ、まどのしょうじをやぶって、そとにとびだしてしもたんや。

「なんやなんや。」
「どうしたんや。」
みんなは、二度びっくりや、どやどやと庭にとんででて、むこうを見たら、大きなキツネが逃げていきよるとこやった。

「あ、キツネがばけてよったんか。」
「それにしても、うまいことばけよったな。」
お茶会にきてた人は、ほんものの宗旦さんと大わらいしたちゅうことや。

宗旦ギツネがお茶会にきたのは相国寺の中にある慈照院ちゅうお堂で、このお堂にはいまでも、宗旦ギツネがやぶって、にげたまどがのこってるそうな。

だいたい、この宗旦ギツネはふだんから、宗旦さんにばけて、よう、お寺にきたちゅうことや。
おしょうさんが碁がすきで、宗旦さんもちょくちょく碁をうちにきたんやけど、キツネも宗旦さんにばけて、碁をうちにきよるのや。

こないだきた宗旦さんはキツネやったんやろか、いま碁をうってる人はほんまもんやろか、さっぱり、わからへん。

「どっちゃでも、よろしおす。愚僧は碁のあいてをしてもろたら、よろしいのや。」と、おしょうさんはへいきやったけどな。

ところで、こんな話しもあるのやで。

相国寺のちかくで商売してた家が、しごとがうまくいかんようになったんや。
「もう、店をたたんで、いなかへかえろか。」
主人がおくさんと話をしてたら、だれやしらんけど、表戸をトントン、たたくもんがいる。
戸をあけたら、そとに立ってたんは、宗旦ギツネやった。

「おこまりのようどすけど、相国寺の池にはえてるハスの葉をとって、みそ屋さんに売りにおいきやす。葉をみそにいれとくと、みそがくさらんのでたすかります。」いうて、おしえてくれたんやて。

おしえられたとおり、みそ屋さんにハスの葉をもっていったら、それがええちゅうことで、みそ屋さんからは、またもってきてくれちゅうわけや。それで、もうけたお金をもとでに、その家はたちなおった、いうことや。

こんなぐあいに、宗旦ギツネは人だすけもしたし、みなから、すかれてるキツネやった。

そやけど、ある晩のことや。
夜もふけてから、相国寺のあちかくの家の戸をたたくもんがいた。
家の人が戸をあけると、宗旦ギツネが立っていた。
「おや、どうしたんや。」
家の人がたずねたら、宗旦ギツネはさびしそうな顔をして、
「きょうは、おわかれにきました。」
て、いうのや。
「え、おわかれやなんて。なにをいうのや。」
びっくりして、きくと、
「ほんまに、おわかれです。わたしのいのちはあしたまでです。」
いうて、しょぼんとしてたそうな。

ほんで、あくる日のことや。
相国寺のちかくの竹やぶで、大きな古ギツネが猟師の鉄砲にうたれて、ころされたんや。
宗旦ギツネのすみかのある竹やぶを、お金をもろて、漁師におしえたんは、八百屋の小僧でな、それからまもなく、キツネのたたりやろか、気がくるうてしもたちゅうことや。

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宗旦ギツネのさいごについては、べつの話もあるで。

御所の近くの豆腐屋さんが、ある日、あぶらげをあげてはったんや。そしたら、にえたぎるあぶらの中に、天井から、ネズミがおちてきてな。
豆腐屋さんは、そのネズミを御所のへいの上に、ほうりあげとかはったんや。ネズミのあぶらげいうたら、そら、キツネの大好物や。

宗旦ギツネはおもわず、それを食べてしもたんや。そしたら、さすがの宗旦ギツネも、神通力をうしのてしもて、正体をあらわしたとこを、のら犬のむれにおいまわされ、相国寺の井戸にはまって、死んでしもたていう人もいる。

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いまでも、相国寺の大きな山門をくぐって、本堂のほうにいくと、右手に、お稲荷さんのほこらがある。宗旦ギツネは、ここに、神さんになって、まつられてんのんや。




**********  から  ********** までの間は、「ねずみのからあげなんて!(((( ;゚д゚)))ブルブル そんな残酷なこと、よう読めません!」と、さるご婦人がおっしゃったので、割愛することになった。

原文に忠実ではないけれど、多生、胸くその悪い表現ではありますからな。

京ことばの発音やイントネーションを大切に…

情感を込めて…

様子が思い浮かぶように… 語る。


皆、数点のだめ出しをくらう。

私はやけのやんぱちで、思い切り大げさにせりふなんかを読んでみたんだが、それでも、まだ、だめ出しをくらった。

なかなか、有意義な一日だった。

あきるまで、宗旦ギツネの朗読はつづくのだろう。 うへっ