出向コージ苑

2002年08月31日(土) どこだって休日は同じ生活

一日中、だらだらと本を読んだり授業計画を立てたり。
ここに来てから、ずっと人に会いどおしだったので、
ちょっと気分的に疲れていたようだ。
昼過ぎに、両親から国際電話がかかる。
「虫が虫が~」と訴えると、サハランダニーの恐怖を知っている二人は、
すぐさまバルサンその他を送ってくれると約束してくれた。



2002年08月30日(金) 買い物と掃除と

昼過ぎに、クリス、エヴァと待ち合わせをして、携帯電話のチップを買いに行く。
この二人はフラットの掃除も手伝ってくれたりと、本当に良くしてくれる。
ついでに本屋でL国語の本を買う。
日本で見たのに比べたらほぼ半額以下。やれやれ。

帰宅後、気になっていたお風呂の掃除に取り掛かる。
当初、サビが内側から浮いてきているのかと思っていたバスタブだが、
先日何の気なしに指でこすってみると、恐ろしい事にこれが水垢だったらしい。
専用の洗剤をぶっかけて、狂ったようにごしごしこすってみると、
見る見るうちに白くなった。
やったあ、これで今日は綺麗なお風呂だ。
ついでに、床も雑巾で水ふきする。
自分が綺麗好きだとは思ったことも無かったが、
ここでは否応なく掃除好きになりそうだ。



2002年08月29日(木) お食事お食事!

今日は大学で、ビザ申請のための手続きを済ませる。
一人で行く練習、と張り切ったコージ苑だったが、駅からたちまち迷ってしまう。
お巡りさんに道を聞こうとするが無視され、ぷんぷんと怒ってみたり、
通じない英語で(だったら同じ事、と最後には日本語になった)道の名前を連呼してみたり、
ありとあらゆる努力をして、やっとのことで大学へ到着することができた。

用事を済ませた後は、Y先生について中央市場を初体験。
ここへ来る前には「じゃがいもと豆しかなかったらどうしよう」などと言っていたのだが、
いやいやとんでもない、すごい量の食材である。
かなり大きい体育館のような建物が、食材ごとにわかれて並んでいる。
最初は肉のパビリオン(とY先生は表現していた。まるで万博である)。
生肉からソーセージ、果ては豚の耳まで、館内はケモノのにおいが充満している。
ここで一日過ごすのはちょっと御遠慮願いたい。
次はチーズはじめ、乳製品。
その次はパンを含む加工品。
ちょっと日本では考えられないほどの種類である。
そして魚のパビリオン。
イギリスでは皆無に等しかった「生で食べられる魚」が、ここには山ほどある。
特においしいのは鮭とイクラだそうだ(丼だな…)。
また、燻製なども豊富なので、魚好きの日本人としては、これは嬉しい。
最後は野菜。
さすがに葉物は少なかったが、
ハーブやトマト、ピーマンにきのこと、想像以上にある。
コージ苑は今回、きのことニンニク、鮭の切り身を買った。

帰りに、Y先生宅にまたもやお邪魔する。
フラットのベッドにどうやらノミやダニがわんさといるらしく、
目が覚めるたびに5・6箇所の虫刺されが出来ているので、
バルサンと蚊取り線香をもらうのだ。
お邪魔ついでに、夕食までご馳走になる。
キエフ風の鳥カツ、だそうだ。
これは鶏の胸肉の間にハーブをはさんで作る料理。
本来は揚げるところを、Y先生はオーブンで焼いていたが、
これが結構あっさりしておいしかった。
夕方に辞去。



2002年08月28日(水) 写真展

お昼に大使館へ行く。
公使と昼食の約束をしていたのだ。
イタリアンレストランで、パスタをご馳走になる。
午後はY先生宅で、合同でやる予定の授業の打ち合わせ。
夕方、国際交流基金主催の写真展へ行く。
「古寺巡礼」の写真が何枚か来ていたが、
まさかL国で見られるとは思ってもみなかった。



2002年08月27日(火) 引越しと大掃除

いよいよ寮に入居する日。

朝早く起きてAさんに見送られ、タクシーで現地へ。
まだゴミ出しなどしていたM先生を手伝い、9時半に送り出す。
すると、まるで待ち構えていたかのように、管理人さんがドアをノック。
掃除道具一式と修理専門のおじさんもひきつれ、既に臨戦態勢である。
カーテンを選ぶコージ苑をよそに、おばさんはものすごい勢いで掃除を始めた。
一方おじさんは、お風呂や台所の水道をチェック。
ついでに窓枠の建付けの悪い所もガンガンとたたいたり削ったりして、
あちこち修理してくれた。
コージ苑も台所から掃除を始めたのだが、途方にくれる状態である。
とりあえず洗剤であちこち洗っていたりすると、
昼過ぎにY先生が学生を二人連れて来てくれた。
「お腹すいたでしょう」と、
クノール製のラーメン(らしきもの)とドライフルーツ。
食べて早々に、買物に出かける。
何はともあれトイレットペーパー。
あろうことか1ミリも残っておらず、
コージ苑はじめ全員がトイレに行けないという事態に陥っていたのだ。
掃除に必要なものや、数日間の食料などを一気に買う。

一旦帰るというY先生とバス停で別れ、学生二人と部屋へ戻る。
ベッドルームはおばさん達がかなりきれいにしてくれたので、
3人でキッチンに取り掛かる。
殆ど無言で4時間ほどがんばっただろうか、
やっと「料理できる」状態にまでこぎつける。
そこにタイミングよく、EMSで日本から送った荷物が届いたのだが、
3階までは運んでくれないため、(←働けよとは思うが何も言えない)
20キロ近くある箱をふうふう言いながら部屋へ上げた。

夕方、再びY先生が彼氏を連れてくる。
二人して、部屋の見違えように驚いていた。ふっふっふ。
一方、二人の女の子は見た目にもぐったりしていた。
どうもありがとう。



2002年08月26日(月) 疲れをとる暇もなく

色々と予定が詰まっている日。
昼過ぎのM先生との待ち合わせにあわせて、Y先生宅にお邪魔する。
フラットとは比べ物にならないほどの、新しくてきれいなアパートである。
話によると、知り合いになったノルウェー人の大家さんの好意で、
電気代と電話代のみで住まわせてもらっているらしい。
うーん、なんてラッキーな。
Y先生も当初条件の悪いアパートに住んでいたとのことで、
不便さを気遣って色々と考えてくれる。

M先生とは旧市街のマクド(ここにもマクドはあるのだ)で待ち合わせ。
電話の名義変更をした後、数人の学生とお茶を飲みに行く。
2時間ほどで別れ、再びY先生宅へ。
夕方、大使館と大学へ挨拶に行く。
大使館はまるで別世界。ドボルザークの交響曲が頭に響くほどだ。
その新しさの10分の1ほどでもいいから寮に分けて欲しい程だ。
そして大学は笑っちゃうほど古く、経済学部や理工系学部の入る本館と比べると、
文系(しかも哲学文学語学系)の悲哀を感じる建物だった。
しかし、経験から言って、こういう「哀しい」建物の方が、
より愛着がわくというもの。←ちょっと強がり

夕食は、落ち合ったAさんとM先生、文化学校のK先生と、
市内で一番古いというパブへ。
ザワークラウトのスープとビールを頼む。
噂にたがわず、ビールは絶品級のおいしさだった。
いい国だ(笑)。



2002年08月25日(日) 今からの場所

コージ苑が住む予定のフラットにお邪魔する。
2日後に帰国のM先生だが、引越しは難航しているようだ。
食材総決算なのか、カレーライスをご馳走になる。
フラットはコージ苑の予想よりはましだったが、
お世辞にも綺麗とはいえない部屋だ。
まず、古い。
そして日本で言う所の「清潔感」がない。
(コージ苑が清潔感を気にするか?という声が聞こえてきそうなのだが)
まあ、引っ越してからおいおい改善することにしよう。
しかし、大学の時の寮と比べて「まあまあかも」と思ったあたり、
つくばの寮って一体…

フラットの空気がこもっていたせいか、夕方から少々熱っぽく感じたコージ苑。
韓国料理店に行くというAさんに、
同行は遠慮して部屋でおとなしく寝ていることに。
気を遣ってくれた彼女は、日本のラーメンと薬草酒を作ってくれた。
具合が悪い時の心細さがいっぺんに吹き飛んだ。
フレイヤとじゃれながら、フラットの改造計画をぼんやり考える。
薬草のお酒が効いたのか、いつのまにかうとうととしていた。



2002年08月24日(土) ついに到着バルト海

5時起床。
6時から開店している免税店で、NIKEのソックスと、比較的安いコンパクトを買う。
(うっかりして持ってきてなかったのだ)
海外の空港では良くあることだが、
搭乗ゲートの情報は各所にあるモニターにのみ表示される。
「もうすぐだよ」「○○さん、早く来てね」などというアナウンスはないので、
フライトの2時間前くらいになったら、
各自がちらちらとモニターを確認してゲートへ向かう。
コージ苑も、余ったクローネでサンドイッチなど食べながらチェックする。
今日L国へ飛ぶのは、バルティックエアーという航空会社。
もしかしてもしかして、と思ってゲートへ行くと、やっぱりそうだった。
プロペラ機である。
そして乗客は10人足らずである。
…本当に昨夜の便は満席だったのか?と疑いたくなるようなローカルっぷり。
それでもご丁寧に機内食があり、飲み物のサービスもありと、
そこはやっぱり国際線なのだった。

3時間弱でL国に到着。
「秋風が吹いています」という事前の情報を裏切る陽射しである。
空港に、同僚となるY先生と大学のS教授が出迎えに来てくれていた。
大学のバス(といっても単なる大型ワゴン)で、数日お世話になる方のお宅へ。
もしかしてソ連時代からの建物ですか、という外見とは裏腹に、
内装はアンティークでまとめられた素晴らしいフラットだった。
ここに住む日本人のAさん(と、猫のフレイヤ)と、3日間過ごすことに。

午後、Y先生が旧市街を案内してくれる。
ガイドブックにも「世界遺産に指定」と紹介されていたこの町は、
実際に見るとゴシック建築の屋根があちこちに見え、
道の殆どが石畳に覆われている、
「古きよきヨーロッパ」を髣髴とさせる町だ。
とはいえそこは首都、建物の中身は近代的なデパートだったりカフェだったり。
しばらくはうろついて土地カンを養わなくては。



2002年08月23日(金) ちょっとだけアンデルセンの国

今朝のバイキングは、和食で決めてみた。
鮭がおいしい(贅沢を言えば納豆が欲しかった)。
早めに空港へ向い、ちょこちょことした用事を済ませる。
とにかく荷物が重くて、早く預けて身軽になりたいとは思うのだが、
広い成田空港は、カウンター間をほんの一往復しただけで、
結構な距離になるのだった。
スカンジナビア航空のカウンターで荷物を預けた時には、
早くも疲労の色がみえたコージ苑。
そしてスーツケースを預けてもなお、手荷物の中のパソコンが私を苦しめるのだ。
最後の小銭で父に「いってきます」の電話をして、日本を飛び立つ。

すっかり疲れて、少々不機嫌だったコージ苑だが、
ここでちょっとラッキーなことが。
今日のスカンジナビア航空は満席だったらしく、
座席調整でコージ苑のエコノミーチケットが、
エコノミーex(つまりちょっと広い)に格上げ。
おかげで10時間、比較的ゆったりと過ごす事ができた。
スカンジナビア航空は、国際線にありがちの「機内食攻め」が無く、機内も快適。
時々眠ったりゲームをしたりと、退屈せずにフライトを楽しめた。

※※※※※

今日はどこまでを今日とするか、微妙なところではあるけれども、
コペンハーゲンに着いたのは、現地時間の23日、午後4時半。
海岸線に林立する風力発電機が「いらっしゃい」をしているようだ。
まず、SASのカウンターへ行って、ちょっとしたトラブルに対処してもらう。
コージ苑は一年間のオープンチケットを買ったのだが、
帰りの便が来年のこととてまだ発券できていない。
一方、L国にビザなしで滞在できるのは最長3ヶ月である。
帰りの保証がないと、入国させてくれないかもしれない、というのである。
そんなバカなとは思ったが、入国できないという事態だけは避けたいコージ苑は、
泣く泣くダミーのチケットを買う事にしたのだった。
くっそう、某旅行会社め。
チケット発送の時にも手違いがあったし、金輪際利用するもんか。

空港内のトランスファーホテルに部屋をとり、今日は早々に寝ることに。
何が原因か、2時間おきに目が覚めたのだが、
フライトの疲れをとるには寝るのが一番だ。



2002年08月22日(木) 出国前夜

朝食はホテルのバイキングで。
スタンダードなメニューで、特別おいしくはないが、堅実なお味。
さっさと済ませて空港へ行き、明日の航空券の確認をとる。
旅行社の手違いで、ちょっと発送にトラブったコージ苑の航空券は、
どうやら無事に着いていた。
良かった良かった。

空港から直接バスに乗ってつくばへ行き、新迷解・マロン太と昼食を一緒にする。
最後だし(というわけでもないが)、やっぱり和食でしょう。
そして和食の中でもやっぱり寿司でしょう、最後だし(というわけでもないが)。
別れ際、新迷解が「たこ、たこ」と連発していたので、何のことかと思ったら、
どうやら「抱っこ(意訳:別れ際にハグをしろ)」と言いたかったらしい。
…うんうん、君もがんばれよ。

空港に戻り、ちょっと時間があったので伸び放題の髪を切りに美容院へ。
閉店間際の、まさに駆け込みのカットであったが、
それでもちょっとはすっきりした。
ホテルでビールなど飲んでいると(←最後のアサヒ)、母から電話がかかる。
「身体に気をつけてがんばってね」「がんばるよ」と幾度となく繰り返す。
何事もなく、健康で帰国できるように。
自分のためと、そして心配してくれる周りの人たちのために。



2002年08月21日(水) 東京発空港着

朝、とみぃ宅を辞去。
平日なのにお世話になって・・・
本当に持つべきものは東京都内に部屋を持つ独身の友達だ(笑)。
午前中は国際交流基金に出向いて、
これから体験するであろう薄給っぷりについて訴える。
担当者の方は感じよく応対してくれたものの、
結局のところ助成金は難しいとのこと。
どこも予算が削られているからねえ…まあ、申請するだけはしてみよう。
それにしても、基金の入っている赤坂「アークヒルズ」のきらびやかなこと。
ザッツ東京、ザッツニッポン!といった感じである←わかりにくい。
用事を終え、1階のスタバでコーヒーをすするコージ苑は部外者丸出しである。
そうか、こういう場所だとこの店の「ゆったりソファ」が似合うんだな。

昼に待ち合わせをしていた酔卯ちゃん、
どうやら二日酔いがひどくて復活に時間がかかるらしい。
それなら、と少々遅い昼食をとることに。
新宿駅ビルのレストランに入ったのだが、
対応の悪さが目立ってちっとも楽しめない。
席に案内してから注文取りに来るまでに30分かかるってどういうことだ。
(意地になって呼ばなかったコージ苑も大概バカだとは思うが)

むかむかした気分を抑えつつ、兼ねてより懸案のデジカメ購入にむけて電気屋へ。
色々と検討した結果、ミノルタのDIMAGE Xを購入。
小さいけれど画質がいい(らしい)ところが決め手なのだ。

夕方、復活した酔卯ちゃんと紀伊国屋で待ち合わせ。
L国語の教科書を物色していたのだが、洋書しかなくて、お値段\6000弱。
せ、切ない…
afternoon teaでお茶をして、新宿南口の殺人的な混雑の中でお別れ。
スーツケースを預けていた品川駅により、
そこから成田エクスプレスに乗って空港へ。
さらにシャトルバスで、ホテルにチェックインする。
空港に隣接するこのホテル、部屋の窓から整備中か何かの飛行機が見えて、
中々いい雰囲気。
ここで2泊することになる。



2002年08月20日(火) プレ出発

午前中に郵便局に行き、荷物を送り出す。
てきぱきと片付ける両親の後から、ぐずぐずとついていくコージ苑。
こんな時に一人っ子の甘えが出てくるのだ。
留学の時には考えられなかったのだが、なんと母親と別れるときに涙がこぼれた。
海外に渡る自分よりも、最近ますます痩せた母親が頼りなく見えたのは、
果たして気のせいだろうか。

父が仕事がてら福岡まで送ってくれる。
ロータリーエンジン快調!セブン走る!!でもパトカーには気をつけてパパ!
高速も渋滞することなく、結局1時間半たらずで福岡空港に到着する。
簡単に昼食をとり、父ともここで別れる。
さあ、いよいよだなーという感慨もわかず、速攻で友人に電話するコージ苑。
(だって夕方まで暇なんだもん)
バイトで天神に出るというかんなさんと10分程会い、その後空子さんと1時間歩く。
東京に向かう飛行機の中では殆ど寝ていたため、
「高級烏龍茶」を飲み損ねてしまった。ちぇ。

7時半には羽田に着陸していたというのに、
そこから延々と空港内をさまようスカイマーク。
安いっていうのは、やっぱりそれなりの不便さを伴うものなのだ。
何だかんだで、ビアビアの集いに参戦できたのは、
他の皆がほぼ出来上がってしまった頃だった。
有楽町駅近くの「バーデン・バーデン」というビアホールは、
ドイツのHBビールを飲ませる。
今から欧州に行くというのに、何もわざわざ…と父には言われたのだが、
やっぱりビールにイモはよく合うよね。ザワークラウトもソーセージもね。
崎嬢が「自分があっちで困ったから…」と、文房具セットを餞別にくれた。
確かに、あっちには日本のような小洒落たステーショナリーはない…ことが多い。
「無印」の24色ペンとか小ぶりのスケッチブックとか、嬉しい贈り物であった。

集まってくれた友人に感謝感謝。
また帰国した時には会いましょう!(コージ苑が醜く太ってなかったらね…)



2002年08月19日(月) 最後の晩餐

実家で過ごす最後の夜。

日頃よりも無口になってしまったのは、
外国へ向かう寂しさよりも、
両親が段々年を取っており、彼らをおいて出かけることの後ろめたさを感じたから。

…よ、呼んであげたいけど、お給料○万円じゃ…(泣)



2002年08月18日(日) 緩衝材

一日がかりで、ラトビアに送る荷物をパッキング。
雑多なものを、隙間なくきゅうきゅうに詰めるのは難しい。
そんな時、貴女に役立つこのアイテム!

ポケットティッシュ

日本の小学生にとっては三種の神器(ハンカチ・ちり紙・名札)の一つとしての地位を占め、
街角では一粒で二度おいしい広告としてタダで配られている品物であるが、
海外では(少なくともコージ苑が経験した限りでは)中々手に入らない。
よく外人さんが鼻をかんだハンカチをポケットにくしゃくしゃっと入れ、
乾かして再び使用するのを見かけるのだが、
これは日本人には少々つらい方法かもしれない。
実際コージ苑は、やむを得ない事情でこの選択肢をとる時に、なんともやるせない思いがする。
吉本の某夫婦漫才師によると、海外に留学する娘さんのために、
弟子達に命じて箱一杯のポケットティッシュを集めさせたそうだが、
いざなくなってみると困るもののひとつである。

で、引越しの際に、これを緩衝材のかわりとして詰めるのである。
その数20個以上。

これで、北の地においていくら風邪をひいても大丈夫。
(ひかないにこしたことはない、という意見もあるが)



2002年08月17日(土) 友人宅

中学校時代の友人と再会する。

カンちゃんがローレル(巻き舌気味でお願いします)で迎えに来てくれた。
すっかり「綺麗なママ」風になっている彼女である。
この分だと、つい先日長男を産んだモモちゃんも…と期待したのだが、
ぜーんぜん変わっていない彼女を見て、拍子抜けした反面ほっとしてみたり。

特筆すべきはモモちゃん宅の愉快な構造であろう。
市の高台にあるメゾネット形式のマンションなのだが、
一階ごとにかなりの段差をつけた建物となっている(要は階段状である)ため、
上階まで上がる手段は、エレベーターでなく「ケーブルカー」なのだ。
まるでブダペストの王宮か、別府にあるケー○ルラク○ンチである。
愉快愉快。

近くにある骨董屋兼レストランで昼食をいただく。
1ヶ月になるモモジュニアは、時折ふにふにと声をあげるだけで、
ほとんど身動きもせずに(しかし寝息だかいびきだか寝言だかはあった)眠っていた。

3時間ほど喋って辞去する。
中学時代の思い出話は、そのくらいの時間では到底足りないほどたくさんあったけれど、
まあおしゃべりも腹八分目がちょうど良いのかもしれない。



2002年08月16日(金) 睡眠不足

山中にある父アトリエは、夜になると虫の声やらケモノの声やらがうるさくて、
町育ちの哀れなコージ苑は中々寝付けなかった。
暗闇の中で光る二つの目があったらどうしよう、とろくに寝返りもうてず、
結局睡眠不足の夜明けとなった。

昼前に自宅に送ってもらう。
さすがに眠たかったので、昼寝でもしようと思ったそんな時に限って、
急に来客があったり電話が鳴ったり。
一睡も出来ないまま、茶道の先生宅に行く時間になってしまった。
父同行でお礼の挨拶を済ませ、お茶を一杯いただく。
一緒に出てきた漬物、なんと100年を越す糠床を使っているそうだ。
コージ苑は糠漬けの、あのなんともいえない酸味が決して好きではないのだが、
これに関しては意見を変えざるをえないだろう。
日本を発つ前にいいもの食させていただきました。

夜は母と、一日ぶりの再会を祝ってビールで乾杯。
口実はいつでも後付け。



2002年08月15日(木) ダブル御馳走day

別府の地獄めぐりならぬ、親戚めぐりも今日でなんとかおしまいとなる。
今年米寿を迎える父方の祖母宅で、お祝いを兼ねて昼食会である。
集まったのは、祖母当人と長男である伯父夫婦、伯母、父、それにその子供達…
とその家族。
学生だったり、勤めだったりして欠席した者もあるにせよ、近い親戚がほぼ全員集合した。
何せ夏のこと、火を使うのもたまらないので、デパ地下経由のご馳走が卓上に並ぶ。
一同から祖母へのお祝いは、お風呂で使う椅子と洋服。
心臓が悪く、歩くのもゆっくりしか出来なくなってしまった祖母であるが、
まだまだ頭は達者なようで、外国に行くコージ苑に自分の体験を交え、
(彼女は戦争中に朝鮮半島樺太満州露西亜、とあちこちまわっている)
各種アドバイスを語ってくれた。

夜は、そのまま父アトリエに泊まる。
コージ苑、決してそこが嫌いではないのだが、唯一閉口なのは虫(しかも刺すやつ)である。
いつかも書いたことがあるが、モロッコでダニにやられてアレルギーが出てからというもの、
日本産の虫に刺されたりかまれたりしても、痕が黒ずんで残ってしまうのだ。
殺虫剤が嫌いな父ではあるが、今回に限りその信念を曲げてもらった。
可愛い娘のためだ、彼も悔いはなかろう(←えらそう)。

驚いたのは、父の料理の腕前がとんでもなくあがっていたことだ。
コージ苑が高校の頃は、素麺を味噌汁にぶちこんだだけの食事くらいしか出来なかったくせに、
今回並んだ料理は和洋とりあわせて以下のとおり。

ビール
大正海老とサザエの網焼き
イカのわた和え
オクラとピーマン、ゲソの炒め物
イカとプチトマトのパスタ
グリーンサラダ
シェリー酒
コーヒー

おいおい、コージ苑より上手か?ひょっとして。
本棚を見ると、いつのまにか料理本がかなりの数揃っている。
有元葉子が多数あるところに親子の血を感じた。

父と母、娘がそれぞれ一人で暮らすようになってから早12年。
それぞれのライフスタイルは、どうやら確立しきってしまったようだ。



2002年08月14日(水) とんでまわって

友人ぶっひーちゃんいわゆる「お盆duty」は続く。
今日は母方の伯母を訪ねる。

幼い頃からかわいがってくれた親戚が、段々年をとっていく。
既に一世代まわったかな、といった感がある。
そして独身を謳歌しているコージ苑。

これも楽しい人生哉。



2002年08月13日(火) お墓と子供

母方の祖父母宅にお墓参りに行く。
実家を出てからご無沙汰続きだったので、周囲の変わりように驚いた。
お墓に向かって「行ってきます」をした。

7年前に見た従兄の子供が、いつの間にか一人増えていた。
7歳の姉は「おじゃ魔女ドレミ」とやらに夢中で、
まだオムツがはみ出ている1歳半の妹は、お姉ちゃんの後をついてまわる。
二人がじゃれている様は、まるで二匹の子犬だ。

それにしても、最近のおもちゃのハイテクっぷりはとんでもない。
コージ苑が子供の頃の玩具とは雲泥の差だ。
「お姉ちゃん遊ぼう」といわれると嬉しいのだが、
電子音とはしゃぐ子供の声との両方にすっかりあてられてしまった。

帰った後はもうぐったり。
おじゃ魔女についての知識は増えたけどね…



2002年08月12日(月) 大人って

母ネタ二つ。

※※※※※

(これで最後と願いたい)買物の帰り道、「アイスクリーム食べよう」と母が言い出した。
自宅近くにコンビニがあるので、そこで選ぶことにする。
入り口近くには安いアイスクリーム、奥の方には高いアイスクリーム。
コージ苑がハーゲンダッツのフローズンヨーグルトなど見ていると、
母が「私これにしーようっと」と言って取り上げたのは、

杏仁豆腐お徳用パック

であった。
…アイス食べたいって言ったやん!
全然違うやん!!
大人って汚い。

※※※※※

母は給食調理員である。
最近の給食は豪華でねえ、という話になった。
コージ苑の時代は、結構謎めいた組み合わせのメニューが多く、
記憶にある限り最も泣けた献立は、

減量パン(コッペパンの密度が高くて堅いやつ)
魚肉そうめん
牛乳

だった。
「パンにつけるものがないってつらいよね、って言ってるのよ。子供がかわいそう」
とコメントする母。
しかし、彼女は続けてこう言った。
「まあ、私らはジャムとかマーガリンとか持っていってるからいいんだけどね」
「…え?」
「牛乳だってコーヒー入れて飲むわよ、だって飲みにくいんだもん」
大人って汚いよ。
(しかし、母によると、「だから私は子供に『残すな』と言った事はない」そうだ。
いいんだか悪いんだか。)



2002年08月11日(日) 掘り出し物

秋からのコージ苑の在住地となるラトビアでは、早くも秋風が吹いてきているそうだ。
8月の終わりともなると、そこは既に日本の晩秋。
レースだのジョーゼットだの着ている場合ではないのだ。

で、冬物(じゃなければせめて秋物)を多少揃えて行こう、ということになったのだが、
この残暑厳しい日本は九州で、今頃そんなもの売っているわけがない。
ウールなんか、触っただけであせもが出来るんじゃないかって位の気温なのだ。
はっきり言って、考えるだけでも鬱陶しい。

母と色々話し合った結果、オートクチュールにしようということになった。
すげー。
といっても、ジバンシィやらシャネルやらハナエモリ(笑)やらで頼むわけではなく、
洋裁の得意な叔母に依頼するのだ。
というわけで、午後に待ち合わせて、三人で布地を見に行く。

大分市内を突っ切る形でたどり着いたのは「はぎれや」という名前の端布屋。
店内所狭しと積まれた布地を見てまわる。
冬物はここでも、ワゴンの下段に束ねて追いやられていた。
三人して芋掘りでもする様な姿勢で物色していると、
店長さんがやってきて、事情を聞いた後で布地選びを手伝ってくださった。
「こんなのどうでしょう」と出してきたのは、ワインレッドのカシミヤ地。
1メートルに満たない位の、まさに端布なので、ストールにしようという話になる。
他にもあるはずだ、というので気合を入れて探してみる。
しかし、そう簡単に見つかるわけがなく、半ば諦めかけてカシミヤ「混」など選んでいたら、
(それだって良い手触りなのである)
ひょいとしゃがんだコージ苑の目の前に、ちょろりと出ている布地の端。
…みーつけた、カシミヤ100%。
しかも3メートル。
言葉どおり、布の山の中から掘り出してみると、とっても綺麗な黒。
愛い奴じゃ、一緒にバルトの国へ旅立とう。

話し合いの結果、濃い紫のロングキュロット(機内用)、黒のワンピーススーツ、
赤のストールを作ってもらうことにした。
出来上がりが楽しみ♪

しかし、どこからそれを着るかという問題が…
成田もさぞかし暑かろう。




2002年08月10日(土) 噂の二人

こちらで受けていた茶道の「特訓」(by鳥坂さん)も、今日で最終日だ。
ご挨拶を済ませ、帰りのバスの中で点前の手順を復習する。
頭の中では、先ほどまでの場面が繰り返されている。

まず、道具を置きつけ…
(B'zシャトルバス)
置きつけ、ひしゃくと蓋置きを…
(B'zシャトルバス)
蓋置きを所定の位置にやって、礼を…
(B'zシャトルバス)
礼をして、それから茶碗とナツメを…
(B'zシャトルバス)

気が散って進みやしない。
くそうB'zめ。
コージ苑だって行きたかったさ、ああ行きたかったとも。

そして今日、大分の市内中心部からは人の影が消えたとさ。



2002年08月09日(金) アツい夏

立秋を過ぎたとはいえ、残暑厳しい九州である。
昼10時過ぎともなると、外はまるで鶏の丸焼きしているオーブンの中のごとき暑さ。
入ったことないけど。

何が立秋だよ何なんだよと、まるでそこらのヤンキーの様に青空に向かってインネンをつけ、
このところ外れっぱなしの気象庁に呪いの言葉を浴びせるコージ苑だが、
まあ室内で過ごせるだけ、甲子園でボール追っかけてる青少年達よりましかな。

まさに「熱闘」だよありゃ。



2002年08月08日(木) だらだら日

小さい頃から姉のように慕っている従姉が、食事に誘ってくれた。
彼女は妊娠8ヶ月、そろそろお腹も大きく目立ってきた。
歩くのも大変そうだし、人ごみでぶつかられでもしたら洒落にならないので、
なるべく最短距離で行けるレストランを選んだ。

話題、といってもコージ苑の秋からの海外生活と、
従姉の秋からの母親生活のこと、後は親戚の噂話位である。
昼食が終わってから「冷房の効いている」(ここ重要)デパートをあてもなく歩き、
また座り込んでお茶を飲みつつ喋り…と、まことに非生産的な半日を過ごした。

夕方、研修会に出席していた母と待ち合わせて、3人でデパ地下の買い物。
全員夕食を料理する気力が失せているので、適当にお総菜を選ぶ。
従姉をバス停まで送り、コージ苑と母は地元のお茶屋さんで野点セットを買った。
必要最小限のお茶道具がコンパクトに収められており、大変よろしい。
それにしても、店員の対応がやけにぞんざいだったのは、そこが老舗だからなのか偶然なのか…
王様扱いしろとは言わないが、やっぱりいくらかは丁寧にしてほしいものだ。

バスの待ち時間が随分あったので、歩いて帰る。
母が仕入れてきた知識によると、結局一番良いダイエットは、歩くことらしい。
なんでも30分程続けて歩くことが、脂肪の燃焼につながるのだそうで、
そういえば水泳部だった頃にそういう事を聞いた様な聞かない様な。
二人して張り切ったのは良かったが(といっても母は「ガラ」と言われる程やせている)、
帰り着いた時には汗びっしょりだった。

ふう、ビールがおいしいなあ(←メーターリセット)。



2002年08月07日(水) 「若い人は」

どなたか、奥様方の誉めまくり攻撃に答える方法を教えてください。

(とっさに対処できず、うろたえるだけのコージ苑)



2002年08月06日(火) 私を泊めて

コージ苑が秋から住む予定のラトビアへの、日本からの直行便はない。
飛行機の乗り換えは結構面倒かつ疲労を誘うもので、
コージ苑も若かりし頃には、トランジットの際のホテル代を浮かすべく、
シンガポール空港で夜明かしをしたりしたものだったが、
この頃ではさすがにそういう体力気力がなくなってきた。
というか、一泊の宿泊代金を惜しむ位なら、旅行中の食費を削る方を選ぶようになったのだ。
結果的にプラスかマイナスかは置いといて。

で、ラトビアへの飛行機である。
今回コージ苑が選択したのは、スカンジナビア航空でコペンハーゲン乗り換え。
北周りで時間もかからず、比較的お値段も抑えることができたので、まずまずといったところ。
しかし、接続便が既に満席となっており、コペンハーゲンで一泊することになってしまった。
その間約15時間。
中途半端である。
旅行会社が手配してくれるというホテルは、空港から車で5分、一泊13000円也。
うーん、もうちょっと安くならんかと、空港内の施設を検索する。
国際空港には、簡単な宿泊施設があるところが多いのだ。

サイト内検索「ホテル」→ヒット2件。

①ターミナルビルに隣接するホテル。ビジネスに最適です。

おお、これか?
と開いたコージ苑の目に飛び込んできたその文字は。

Hilton:single \35000

姉さん事件です。



2002年08月05日(月) シジフォスの神話、あるいは…

…あるいは賽の河原の小石積み。

※※※※※

引越しの荷物を、いつまでも放置しておくわけにもいかないので、
名実ともに重い腰をあげ、書籍衣服雑貨の三点に分類する。
荷造りの時には、例えば書籍だけぎっしり詰めるというのは愚か者のすることで、
(いや別に、筋肉隆々とした方ならよろしいのだが)
これは後で腰が抜けるほどの重さになり、引越し屋さんからも白い目で見られかねない。
従って、均等にかつ適度な重さにするには、下段に本、上段に衣服等という詰め方にするのだ。
数回の引越しを実践したコージ苑が、少ない脳みそ絞って考えた引越し術である。

しかしこの方法は、引っ越した後が面倒なのだ。
それぞれの箱に数種類の「モノ」が入っているため、
梱包を解いて整理する時に、部屋中片づかず箱だらけ、という状態に陥るのである。

そして本日、大分の最高気温は36度。
コージ苑は一日中、自らの汗を自らの体表面にはり付かせ、
自らが荷造りした段ボールを自らの手で開け、出し、詰め、再び積んでいた。

世をはかなみたくなるね、実際。



2002年08月04日(日) どどんぱ

地元の七夕祭りも、今日が最終日。
だからというわけではないけれど、今日も今日とて街歩き。

しばらく前から眼鏡が欲しい欲しいとわめいていたコージ苑。
巷では2プライスだか3プライスだかの激安眼鏡チェーンが登場しているらしく、
ここ数ヶ月で連続してコンタクトを紛失しているという悲しい事実も手伝って、
にわかに似非眼鏡派になりつつあるというわけなのだった。
しかし、この東九州の地にはそういう小洒落た店はなかろうとタカをくくっていたら。
あった。
昨今の郊外型ショッピングモールに押され気味の商店街にあった。
…嬉し悔しい(←だからいちいち張り合うな)。

母親の意見も聞きつつ、太目の赤フレームと、細目の緑フレームを選択。
2本買って1万円かあ…安いなあ。

その後は本屋に寄ったり呉服屋をのぞいたり、適当に歩く。
商店街は色とりどりの七夕飾りで、うっかり余所見をしていると正面衝突する。
ある眼鏡屋のテーマ「レンズの雨」。
きれいなんだけどさ、ちょっと危ないぞ。

昼食は謎の郷土料理屋にチャレンジ。
結果を言うと、ほぼあたりというお店でした。
漬物だけはいただけなかったが、地元料理の「ダンゴ汁定食」はおいしかった。
ちょうど居合わせた視覚障害者の方が連れていた盲導犬が、
とっても大人しく店の隅っこに丸まっていた。

※※※※※

夜は地元の花火大会。
人ごみにもまれるまでもなく、コージ苑の自宅屋上は絶好の観覧席。
ビールとつまみを持って座り込んだ。
今年の「売り」は、スマイル君の花火。(←勝手に決めた)
不況だろうがなんだろうが、にっこり笑って夏を楽しもうよ。
母曰く「これで今年の夏も終わりっていう感じね」ということだが、
まだまだ厳しい残暑が続きそうな九州であった。



2002年08月03日(土) 静寂を愛する

せっかく習い始めた茶道をそのままにしておくのは勿体無いと、
両親がつてを辿って先生を見つけてくれた。
短期間ではあるが、今日から稽古始である。

バスを乗り継ぐ事1時間、目指す先生のお宅は閑静な住宅街にある。
着いて早速、「浴衣を着てみますか」とのお言葉。
茶道はやっぱり和服でやると、色々といいことがある。
(いいことって、またえらくいい加減な表現だけど、お許しを)
着付けてもらって足袋まではいて、さあやってみましょう。
今日は他のお弟子さんが全員お休みだったので、コージ苑のみ3時間半の特訓である。

精神統一も、長時間やるとどっと疲れる。
帰りのバスの中では、半ば意識を手放していたコージ苑であった。
そして何となく聞いていた同乗の若者達の会話。

「ウエキさあ、リサにふられたんだってー」
「うわださ!きゃはははははははは」
「あー服欲しいよー。七夕セールなんてやらないかなー」
「そんなのないよーきゃはははははははは」
「ちょーあの店見て見て、『シルクロード』だってー」
「ヨーロッパ行けんのかなーきゃははははははははははは」

箸が転がってもおかしいお年頃の彼女達。
残り少ない元気を吸い取られてしまった。
ていうか、暑いんだってば!暑い時に黄色い声で騒がれると!!(←おばさん予備軍の怒り)



2002年08月02日(金) どっちの都会ショー

子供の頃、熱をしょっちゅう出す子供だった。
隣に行くのに車で10分、という激烈な辺境に住んでいたコージ苑は、
たまに繁華街に連れて行ってもらうと、そのめまぐるしさ故に脳みそがオーバーヒートし、
帰宅後に発熱してころりと倒れていたそうだ。
母親が時折懐かしく語る、そんな昔話。

時は下って2002年。
関東の辺境、某学園都市から九州の端っこ大分県に帰ってきたコージ苑、
起きてみると熱が出ていた。

…大分は学園都市よりも都会ってことですか。
ここは日本でも有数の「のんびり南国カントリー」だと信じていただけに、
この事実は勝利というか敗北というか…



2002年08月01日(木) 街を歩く

母と街歩きである。

買い物の前に市役所に立ち寄り、住所変更届を出す。
明日から七夕祭りが開催される大分市、市役所も正面玄関に大きな飾りを出している。
綺麗なんだけど…あまりの暑さに笹が茶色くなっていた。

他数件の用事を済ませ、大分地方の中心的デパート「トキハ」へ。
お中元商戦まっさかりの地階は、まさにご家族連れと店員との闘争が繰り広げられていた。
普段お中元だのお歳暮だのを出す必要のないコージ苑は知る由もなかったのだが、
今はコンピューターで送り状が簡単に書けるシステムになっているらしい。
顧客ごとに住所管理をしており、かつて一度でも送った先の情報が即時に分る。
それだけなら大して驚かないことだ。
しかししかし、初めての送り先でもご安心あれ。
電話番号さえ入力すれば、ばばっと出てくる住所氏名。
昨今、国民背番号制がやたらと取りざたされているが、
民間企業レベルでは、これに近いことはとっくの昔にやってるのね。
便利なんだけど、ちょっと恐ろしい。

本屋で新潮文庫夏の100冊を物色。
2冊買うとストラップがもらえるらしい。ふんふん。
コージ苑と母親で1冊ずつセレクト。
届くのは2ヵ月後だからコージ苑は使えないけど、それでもいいんだもんね。

※※※※※

ボストン・テラン『神は銃弾』
バイオレンス~。
映画化したら、確実にR18である。
カルト教団、少女ポルノ、ドラッグにスラム…
食事時に読める本ではない。

丸谷才一『青い雨傘』
怪獣に「ラ」がつく名前が多いのは何故か。
この人、歴史的仮名遣いを固持しているのだが、数ページ読んでいるとそれにも慣れる。
教養ある大人の「ひとり言」はとても楽しい。


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コージ苑