女の世紀を旅する
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2003年04月29日(火) 《 暴落を続けるソニー株の底値を予測する 》

《暴落を続けるソニーの株価を予測する》





東証はついに7600円まで暴落した。いやはや21年前の水準に戻ってしまった。

小泉内閣が発足当時は14000円台あったのが半分にまで下落したのだから凄まじい。構造改革ばっかりで,経済無策の小泉内閣のおかげで日本の大不況は歯止めがきかない状態に陥ってしまった。

小泉内閣は歴史に名前をとどめることになろう.日本を不況のどん底に突き落とした責任は大きいといわざるをえない。市場は小泉内閣に怨嗟の声をあげている。この内閣になってから日本経済は暗澹たる状態が続いている。

主力の銀行株は瀕死寸前の状態にある。みずほ銀行は50円の額面割れ寸前まで下落しているし,三井住友は164円,東京三菱も下落に歯止めがきかず354円まで下落している。なのに,いまだ下げ止まり感が全然ない。

まだまだ下落が続くのは必至の情勢で,いずれ東証は7000円を割るのでないか。下げ止まりの好材料が全然みあたらない。

株価が反騰する契機となるのは,小泉政権が倒れるときなのだろうが,それを待っている間に東証は6000円台まで下落する可能性がある。

気になるのは,日本を代表する優良銘柄ソニーの株価が暴落を続けていることだ。2300円前後まで下落したら絶好の買い場かもしれない。しかし,東証がもう一段下落したらソニー株が2000円割れを起こすことも考えられるが,底値に近づきつつあるのは確かだろう。





ソニーの現在の株価2,720円 (4/28) ストップ安


●ソニー・ショック!

4/24(木)取引終了後、ソニーが発表した2004.3期の業績予想が大幅減益とな
った。4/25(金)、ソニーの株価は終日売り気配で比例配分、ストップ安500円
下落の3,220円。週明け4/28(月)、再びストップ安の2,720円で寄り付いた。
若干揉みあったが、終値は2,720円。

ソニーは100株単位なので、2500円になれば25万円で投資できる。2000年3月
の高値16,950円(株式分割前33,900円)から株価は6分の1になり、最も
不人気な銘柄の一つとなった。とんでもない下落幅である。

4/24(木)の発表内容:第4四半期赤字、2004.3期大幅減益

◎ 第一に、今回の2003年3月期の第4四半期(2003.1~2003.3)が大幅赤字になったこと。その結果、2003.3期の業績は大幅に下方修正されたこと。

第4四半期(2003.1~2003.3)
売上*******1,654,400(前年同期比▲12.2%)
営業利益***▲116,500(前年同期▲23,600)
税前利益***▲119,700(前年同期▲12,800)
純利益*****▲111,100(前年同期▲5,500)

2003.3期
**********会社四季報*********実績
売上*******7,600,000――>7,473,600
営業利益*****280,000―――>185,400
税前利益*****310,000―――>247,600
純利益*******180,000―――>115,500

第4四半期の赤字要因では、エレクトロニクス分野と音響分野が足を引っ張
っている。価格競争などでエリクソンと提携した携帯電話も赤字に転落。

第二に、2004.3期の予想が大幅に下方修正されたこと。これが投げ売りをもたらした。投資家はその銘柄の未来に夢を託すのだが,それが裏切られたことが暴落の最大の要因となった。


2004年3月期予想
**********会社四季報*****会社予想
売上*******7,800,000――>7,400,000
営業利益*****340,000―――>130,000
税前利益*****320,000―――>130,000
純利益*******170,000―――>*50,000

第4四半期の巨額の赤字を受けての大幅下方修正である。3年間で1兆3,000
億円の構造改革費用を投入するということで、そのうち1,400億円が2004年3月期に投入される。どちらにしても、足元の状況が非常に悪化していることは間違いない。失望売りが大きく出るのもやむをえない。




●下値の目途

当分株価は下落し、上昇しない可能性が高い。が,一方、2,000円台の安値で投資すれば、3年~5年後には買値を大きく上回ってくる可能性も高い。いくつか下値の目途を考えてみたい。


下値目途その1:2,570円

解散価値である1株当たり純資産(BPS)である2,570円が、第一の下値目途と
なる。ただし、松下電器(6752)の場合、BPS1,556円に対して株価は現在900円を割れている。同じ比率だと1,500円まで下落ということになる。


下値目途2:2,000円

有名な投資家の麒麟児(きりんじ)のチャートによる銘柄選択法(買いサイン)を参考にすれば,今回のソニー株急落は、株価が2,000円台前半まで下落すれば26週移動平均線からの乖離が50%程度になり、①急落に該当する。

麒麟児は相場を以下の4局面に分けて、それぞれの場面での買いサインを使い分けている。

①急落 ②大底 ③底練り ④上昇中

このうち、①急落では、チャートではなく、移動平均線からの乖離率で機械
的に買いを入れるとのこと。具体的には26週移動平均線から50%下方乖離したら原則買いを入れる。ただし、相場全体の急落が激しいときなど、相場状況によっては基準となる移動平均線を13週移動平均線に変更するという。

この基準で投資して麒麟児は,損をしたことは今まで10数年でたった1回しかないという。その唯一の失敗例は長銀とのこと。すなわち、倒産しなければ、時間の経過と共に必ず株価が買値を上回ってくる投資法なのだという。2001年12月のミノルタの150円以下での買いはその典型例とのこと。

この戦略でいくと2000~2300円は,中長期的に絶好の拾い場ということか。



●分割投資が有効ではないか

いずれにしても、株価の底はまだ見えない。しばらく様子を見て、2,000円
割れも覚悟のうえで、100株ずつ3回に分けて投資するのが合理的なやり方ではないか,ソニー株のバーゲン価格をあれこれ予測してみるのだが,4月30日(水曜日)のソニー株はどこまで下がるかが勝負だろう,多分ストップ安にいかないで寄り付くのでないか,大きく下げれば買ってみたい。興味津々である。





2003年04月20日(日) 《アメリカが北朝鮮に譲歩する戦略的背景 》


《アメリカが北朝鮮に譲歩する戦略的背景》

                    2003.4.20


 
「次は北朝鮮なのか」という懸念が頭をよぎるが,実のところアメリカは対話に応じる柔軟な構えを維持している。なぜなのか,アメリカの北朝鮮戦略の狙いはどこにあるのか,その背景を知らなくてはならない。

 北朝鮮とアメリカ、中国による「3国高官協議」が3日後の4月23日から行われることになり、アメリカは武力ではなく外交で北朝鮮の問題を解決していく姿勢を見せた。ところが、あと数日で高官協議が始まるという微妙な時期の4月18日、北朝鮮政府は自国の核兵器製造がかなり進んでいることを発表し、わざとアメリカの逆鱗に触れ,挑発する行為に出た。


 北朝鮮は、昨年10月に核兵器を開発するとアメリカに伝え、昨年12月には実際に核施設を再稼働させ、今年3月にも核兵器開発の進捗状況をアメリカ側に伝えるなど、アメリカへの挑発とも受け取られるやり方で、核武装への道を進んでいる。しかも、これは見せかけで、実は北朝鮮は核弾頭をすでに1~2発持っているとCIAは言っている。一方,韓国政府は「まだ北朝鮮は核弾頭を持っていない」と言っている。


 イラク戦争で「脅威になりそうな国は先制攻撃で潰す」という姿勢を言葉だけでなく軍事行動で示したアメリカは、イラクに対してやったように、北朝鮮に対しても外交手段を捨て、北朝鮮が核開発を進めている寧辺の核施設などをミサイル攻撃し、それを機に米朝間で戦争が始まり、韓国や日本も巻きぞえを食らい、日本が核攻撃されるかもしれない。そんな危機感が確かに日本でも高まっている。




●好戦派も「北朝鮮とは戦争しない」を主張

 ところが現実の展開は、それとはかなり違った方向に進んでいるように見える。アメリカ中枢では、イラクでの「圧勝」後、軍事攻撃で世界の諸問題を解決していこうとするネオコンが勝ち、外交を重視するパウエル国務長官らの「中道派」が敗北した感がある。ところが、そのネオコンの牙城として世界的に有名になった「アメリカ新世紀プロジェクト」(PNAC)のサイトには、4月14日付けで「北朝鮮とは戦争しない」(No War With Pyongyang)というタイトルの論文が載っている。


 この論文によると、ネオコンの中心人物の一人であるウォルフォウィッツ国防副長官は「北朝鮮の核施設に対する先制攻撃は、朝鮮半島を破滅させてしまうのでやるべきではない」と語っており、ブッシュ政権は北朝鮮に対する先制攻撃を良い戦略ではないと考えているはずだ、と指摘している。ウォルフォウィッツは1999年の段階で「北朝鮮のどの施設を攻撃したらいいか分からないので攻撃できない」と語っていたという。

 今回の3国協議のアメリカ側の代表は,「北朝鮮に兵器を廃棄させた後、十分な査察を行うべきだ」「核兵器だけでなく、通常兵器も廃棄させるべきだ」など、以前より北朝鮮に強硬姿勢をとるべきだとする「アーミテージ報告書」を1999年3月にまとめたアーミテージ国務副長官で、この報告書の方針に沿った主張がアメリカ側から当然出てくると思われる。アーミテージ報告書の作成には、当時ワシントンの研究所(SAIS)にいたウォルフォウィッツも参加している。

 ネオコンに「アメリカの同盟国」を大事にしようという気がないのは、イラク開戦前にトルコの国家体制が破綻しそうになっているにもかかわらず、トルコ側からの米軍の侵攻を押し通そうとしたことに象徴されている。ウォルフォウィッツが真に韓国の安定を大切に思っているとは考えられない。

 北朝鮮に対するウォルフォウィッツの歯切れの悪さは、ネオコンが中東で見せている暴力的な姿勢と明らかに矛盾する。北朝鮮の方がイラクよりもタチが悪いのにである。それはおそらく、実はアメリカは朝鮮半島の統一を望んでいないということと関係しているのでないか,という推察が成り立つ。アメリカにとってのイラクと北朝鮮の違いは、多分そこにあるのでないか。




●日米は朝鮮半島の統一を望まない

 ネオコンがイラクのフセイン政権打倒を主張し続けたのは、他民族・多宗教のイラクを分裂の危機に陥れて分断弱体化し、中東全域を混乱させ、イスラエルの国益に寄与する意味があったと思われるが、北朝鮮の場合、金正日政権を打倒することは、今の韓国よりもずっとアメリカの言うことを聞かない統一朝鮮国家を生み出すことにつながる。朝鮮半島に7000万人の人口をかかえる反米国家が出現したら脅威となる。

 統一朝鮮は、歴史的な伝統や地政学的な国の位置から考えて、中国と日米の間のバランスをとる外交姿勢を強め、アメリカから離れて中国に接近するのは当然考えらるシナリオである。朝鮮半島から手を引かざるを得なくなることは、アメリカにとって、ユーラシア大陸の東側に打ち込んであった覇権のくさびを失うことを意味する。アメリカが北朝鮮の崩壊を望まない背景は実はそこにあるのでないか。

 今のアメリカにとっては、北朝鮮が現状のような、貧乏だけど強硬姿勢をとり続ける「生かさず殺さず」状態を放置しておくことが望ましい、と考えているふしが感じられる。クリントン政権は「経済グローバリゼーション」の戦略との関係で、北朝鮮が経済的に豊かになることを歓迎したが、ブッシュ政権はもっと軍事的、地政学的に世界戦略をみているので「生かさず殺さず」の方針になるのだろう。

 朝鮮半島の統一は、日本にとっても、隣国の力が大きくなることなので「国益」重視の立場をとる政府レベルの本音としては、歓迎ではないだろう。その点で日米の利害は一致している。一般市民の立場では、日本人もアメリカ人も朝鮮半島の統一を当然喜ぶだろうが、国益を重視する政府は違う観点で物事を考えている。

 韓国政府は、北朝鮮の危険性が高い限り親米的な立場をとらざるを得ないが、韓国の人々は、韓半島の南北統一に消極的なアメリカのやり方に怒りを感じ、反米意識を高めているのが実情で,今後ますますその傾向を強めていくだろう。

 アメリカが北朝鮮の崩壊を望んでいないことは、当然,北朝鮮がアメリカの打倒目標リストである「悪の枢軸」に入っていることと矛盾するのでないかという指摘がある。これについて考えた場合、結論として出てきそうなことの一つは「北朝鮮を入れないと、悪の枢軸は中東の国ばかりになり、イスラエルの国益のためにアメリカのイラク攻撃が行われるということが赤裸々になってしまうから」というものだ。イラクの次にすぐアメリカがシリアを非難し始めたのに、シリアは悪の枢軸に入っていなかったことも、同じ理由によると考えられる。





●北朝鮮の核武装を容認する日米韓

 4月18日に北朝鮮が核兵器開発の進展を発表したことに対し、アメリカ側の反応はかなりおとなしいもので、国務省は「北朝鮮に関する情報を分析中で、今のところ3国協議の中止は考えていない」とコメントした。韓国と日本は「北朝鮮はまだ核再処理に着手していない」と主張し、アメリカに4月23日の3国協議を予定通り開くよう求めた。北朝鮮が再処理に着手すれば、その後わずか2~4週間で核弾頭が作れる。


 日本の自衛隊は、日本海にイージス艦を送ってミサイル発射実験を繰り返しそうな北朝鮮を監視する活動を行っていたが、3国協議を前に北朝鮮を刺激しないよう、この活動を中止することを決めた。日米韓や中国は北朝鮮に対し、腫れ物にさわるような扱いしている感がある。北朝鮮が「核開発は順調だ」と発表したのは、アメリカがどこまで自国に対して忍耐強く接してくれるのか、3国協議の開始を前に様子を見るためだったのではないかと思われる。

 北朝鮮がすでに核弾頭を持っているかどうか、日米韓ははっきりした結論を出していないが、これは、わざと結論を明確にしないことで、北朝鮮をとりあえず交渉の場に引っぱり出そうとする意図がありそうだ。すでにアメリカも韓国も日本も、たとえ北朝鮮が核弾頭を持ってしまっても容認せざるを得ない、という態度を表明している。


 北朝鮮は核武装しても、食糧やエネルギーが決定的に足りないので、アメリカその他の国々と交渉して何か引き出さない限り、国家を維持できない。アメリカその他の国々が「核廃棄しないかぎり食糧やエネルギーを渡さない」という態度をとれば、北朝鮮は交渉の場に出てきて譲歩せざるを得ない。核武装していても、その状況は変わらない。石油が豊富なイラクとは、その点でも全然違う。

 アメリカとしては、北朝鮮が核武装すると、日韓がアメリカの覇権の傘の下から出ていくことが難しくなり、アメリカに対する依存を維持強化せざるを得ないので、その点で好都合だ。北朝鮮はアメリカ西海岸まで届くミサイルを持っているとされるので、日韓だけでなくアメリカにも核ミサイルが飛んでくる恐れがあるが、これは逆に軍事産業が潤うミサイル防衛システムを米国内や日韓に売り込む絶好のチャンスともなる。この点は見逃してはならない米国の戦略である。

 北朝鮮が今後、核弾頭を多数製造したら、中東など他国に売り始める可能性も出てくる。核弾頭を売って食糧や石油を買うということが成り立ち、北朝鮮は交渉の場に出てこなくなるかもしれない。

 そうなったらアメリカは「周辺国を被害に与えてもかまわないので、危険な国を壊滅させる」というネオコンの戦略を、北朝鮮にも適用すればいい。アメリカは「北朝鮮との戦争の巻き添えになって破滅した韓国や日本には悪いが、他に手段がなかった。」と言えばすむ。ブッシュ大統領は、このようにネオコンと中道派の戦略を上手に使い分けて世界を統治していく可能性がある。北朝鮮を生かして利益をえる方が今のアメリカにとって好ましいのは,以上の諸点から推察できよう。





●中国は「会場係」?

 北朝鮮は4月18日の発表で、もう一つ重要なポイントを暴露している。
4月23日からの3国交渉は、かたちは米朝中の「3国」だが、中国は積極的な役割を担わず「開催国としての役割,つまり場所を貸すだけ」に徹し、実際は米朝2国間の交渉だ、と北朝鮮は主張している。

 今回の交渉に向け、中国が仲裁した事前交渉の中で、北朝鮮はアメリカとの単独で相対する2国間交渉でなければ出ていかないと主張した。北朝鮮の金正日(キムジョンイル)書記は、自分の政権の崩壊を防ぐには、アメリカとの不可侵条約を締結することが最重要課題だと考えているが、多国間交渉ではそれが難しい。アメリカは、その手に乗りたくないので「多国間交渉でなければダメだ」と主張し、今年2月のパウエル国務長官の北京訪問あたりから始まった事前交渉が難航した。

 アメリカは中国に仲介役を頼み、その成り行きを生かして中国が交渉の場に着席するかたちをとることで、北朝鮮との主張のへだたりを埋める玉虫色の解決策とした。アメリカからみれば「中国を入れた3カ国協議」だが、北朝鮮からみれば「アメリカとの2カ国協議の場に、会場係の中国が同席している」ことになる。

 北朝鮮は、アメリカ寄りの日本と韓国、それから日和見が目立つロシアの参加を拒否したが、アメリカはこの条件を飲み、日韓には「なるべく早く参加させてやるから」と説明した。この点でも、アメリカは北朝鮮にかなりの譲歩をしているとみることができる。

 北朝鮮の金正日書記は、自分もイラクのフセインのような悲劇に遭わされるのかもしれないと考え、予防的に核武装を進めてきたと思われるが、これに対してアメリカは、交渉前に譲歩してみせることで「大丈夫。君にはフセインにやったような手荒なことはしないよ。なぜなら私たちは朝鮮半島の統一を望んでいないのだから」というメッセージを発しているようにも思える。

 4月19日にも事態は進み、北朝鮮は「最初アメリカとの2国間で始まるなら、その後は多国間協議になっても良い」と言い始めた。4月18日の爆弾発言によって、アメリカがかなり譲歩しそうだとみて姿勢を軟化させたのかもしれない。


 アメリカは交渉開始前、中国に北朝鮮との間を取り持ってもらった。その見返りというかたちをとって、ブッシュ政権は、これまで敵視する傾向が強かった中国との関係を改善する方向に動くかもしれない。北朝鮮問題を軸に、東アジア全体の外交はドラマティクな動きを開始するだろう。





2003年04月12日(土) 《 突然崩壊したイラクのフセイン政権 》


《突然崩壊したイラクのフセイン政権》

                   2003.4.12







 実にあっけないイラクの敗北である。どうしたのか,世界中の人々は首をかしげたかもしれない。バクダッドの市街戦も本格的なものにはならなかったし,わずか3週間で米軍はバクダッドを制圧してしまったからだ。

 4月9日、イラクのサダム・フセイン政権が突然消滅したのはなぜなのか。どういう異変が発生したのか。抗戦も掛け声で終ってしまった。8日から9日にかけての間にイラク政府は活動を止め、政府幹部も忽然と姿を消した。国営放送テレビは8日朝、通常のニュースの代わりにフセイン大統領をたたえる映像を流した後、放送が途絶えた。あっけない幕切れとなった。サダム=フセインと政府首脳が米機のミサイル攻撃で爆殺された可能性もあるのでないか。激烈なバクダット市街戦を予想していただけに,突然の崩壊に拍子抜けの感じがする。


 外国人ジャーナリストらが泊まっているチグリス河畔のパレスチナホテルには、それまで毎日イラク情報省の職員が現れていたが、4月9日からぱったり来なくなったという。その数日前にはフセイン大統領とおぼしき人物がバグダッド市内の繁華街に現れて健在ぶりを表したが、それを最後に、フセインの行方も分からなくなっている。




●治安悪化,略奪を放置する米英軍

 断片的な情報を総合すると、それまでは米軍が占拠しているのは一部の都市で、バクダッドでも大半の地域ではイラク側の行政組織、治安組織が温存されていた。だが9日以降、バグダッドだけでなくイラクの多くの町で政府機関の活動が停止しているように見える。バグダッドやバスラなどでは略奪が横行していると伝えられるが、これは政府の建物を警備する部隊が消えたため、一部の市民が庁舎に入って備品を持ち去ったのだと思われる。略奪は、政府庁舎から一般の商店街などへと拡大しているという指摘もある。

 南部のバスラでは、イギリス軍の司令部に市民の代表がやってきて、消滅した行政機能の肩代わりをイギリス軍がやってほしいとお願いしたが、司令部の入り口で追い返された、とBBCテレビが報じていた。

 米英軍は、正規・不正規のイラク軍と戦うこと以外の活動をしない方針をとり続けている。略奪を行う暴徒の鎮圧、犯罪の取り締まりなど、ふだんは警察が行っているような治安維持活動に手を染めると、駐留米英軍を標的にした自爆攻撃などに悩ませられる状態が長引き、米英軍は撤退したくてもできない状態になる。米英はイラクの治安維持のために自国の軍事力や兵隊の人命、政府予算を使うことに消極的だ。

 イスラエルの新聞「ハアレツ」は「イスラエルみたいになってきたアメリカ」(The Israelization of America)という記事を載せている。通行人を装った自爆テロ攻撃を受け始めたイラクの駐留米軍は、今やイスラエル軍と同じ立場だ、これでアメリカ人も少しはイスラエル人の気持ちが理解できるようになるだろう、といった書き出しの記事である。


 米英軍はまさに、イスラエル軍と同じような泥沼にはまることを回避しようとしていると思われるが、このままいくと米英軍がイラクの治安維持を担当せざるを得なくなる。アメリカが国連に対して歩み寄り、国連が治安維持部隊を出すよう提案するという方法があるが、国連が加盟各国に呼びかけて治安維持の部隊を集め、訓練して派遣するまで、少なくとも半年はかかると予測されている。

 米国務省は世界の各国に警察官のイラクへの派遣を呼びかけたが、これが実現する場合でも実施までにはかなり時間がかかる。その間、治安が自然に回復する可能性もあるが、そうでなかった場合、米英軍がイラクの治安維持を担当するか、治安悪化を放置するしかない。

 また、いったん集団職場放棄したイラクの官僚組織や唯一の政党であるバース党の人々に米英が呼びかけて、職場に戻ってもらうという方法もありえる。

 だが、アメリカ政権中枢では、フセイン政権の早期打倒に成功したことでタカ派が主導権を握っており、彼らはイラクの既存の官僚組織やバース党の壊滅を方針としてきた。もし米英が呼びかけて、旧来の官僚組織の一部の人々が組織の復活に応じたとしても、いったん完全に消滅してしまった政府機能を復活させるのは簡単ではないと思われる。




●クルド人の町キルクークをめぐる確執

 クルド人地域にある北部の町キルクーク(人口約100万人)では、4月
10日に数千人のクルド人武装勢力が市内になだれ込み、町を練り歩いた。市内のクルド人は歓声を上げて応えた。直前まで市内に駐屯していたはずのイラク軍がどこに行ったのか、はっきりした報道が見当たらないが、4月9日にイラク政府が忽然と消えてしまったのを受け、キルクークに駐屯していたイラク軍も戦わずに撤退したのだと思われる。

 キルクークからイラク軍が撤退したのを見て、数千人のクルド人武装勢力や、一般のクルド人たちがキルクーク市内に進軍した。イラク北部では、クルド人武装勢力(peshmerga)がアメリカ軍の傘下で進軍し、キルクーク近郊まで抑えていたが、クルド人勢力は米軍との約束で、米軍の命令がない限り進軍してはいけないことになっていた。しかし、イラク側が一方的に撤退した以上、クルド人が「独立クルド国家の首都」であると考えているキルクークを奪回しない手はなかった。

 カナダの新聞「トロントスター」の記事によると、郊外からキルクーク市内に向かう道路は、武装勢力と、それに続く一般のクルド人たちの車の列ができ、大渋滞になった。反対車線には市内から撤退するイラク軍の車が延々と続いていた。市内に入る手前にイラク軍が作った原油の堀があった。これは米軍が迫ってきたときに点火して黒煙を発生させ、米軍の進軍を妨げようとする軍事施設だったが、イラク軍はこの堀に点火しないままキルクークを去った。キルクークでの戦闘は全く行われなかったのである。米軍は4月15日にキルクークに進軍する予定だった。


 キルクークの郊外にはイラク屈指の油田がある。フセイン政権はかつて、この油田を完全に掌握しようとしたが、キルクーク周辺の住民の大多数はクルド人だった。イラクからの分離独立を目指す彼らが油田周辺の地域の住民の大多数を占めていることは、政権にとって潜在的な脅威であると考えたフセインは、キルクーク市内と油田地帯からその外に地域に、できるだけ多くのクルド人を強制移住させようとした。

 家を追い立てられたクルド人はフセイン政権の30年間で10万人を超えるとされるが、これらの人々が10日、追い出される前に住んでいたキルクークのかつての自宅を取り返そうと、乗合タクシーやトラックの荷台に乗り、市内に殺到した。昔住んでいた家には、今はアラブ系イラク人が住んでおり、この日、昔の家にやってきて、今の住人に立ち退きを求めたクルド人が多くいたという。この問題は今後も尾を引くことになる。




●トルコの抗議

 クルド人武装勢力がキルクークに入ったことを知り、隣国トルコの政府は大きな危機感を抱き「約束が違う」とアメリカに抗議した。クルド人はイラク北部(500万人)だけでなくトルコ東部(1300万人)にも住んでおり、クルド人はトルコの人口の20%近くを占めている。

 北イラクのクルド人がキルクークと油田を掌握し、そのまま戦後のイラクで自治権を認められた場合、クルド人自治政府はキルクーク油田から産出する石油を世界各国に売る代わりに、第一次大戦後の1920年のセーブル条約でいったん認められたものの、その後取り消されたままになっている「クルド人国家」を国家として承認するよう、交渉する可能性が出てくる。石油を使って世界に独立を認知させようとする作戦だ。

 これが成就すると、イラク側のクルド人だけでなく、トルコ側のクルド人も、自分たちの地域をトルコから分離独立させ、新生クルド人国家に併合させようとするかもしれない。これはトルコ国家を重大な危機に陥らせる。そのためトルコは、今回のイラク戦争前にアメリカがトルコ側からの進軍を要請したときも結局断った。米地上軍がイラクのクルド人地域を通ってバグダッドへの進軍を目指せば、途中でクルド人武装勢力が米軍に協力する場面が多くなり、その見返りに米軍がクルド人のキルクーク油田掌握を容認するかもしれない、というのがトルコの懸念の一つだった。

 結局トルコからの米軍の進軍はなかったが、その代わりに起きたのが、4月9日のイラク政府の突然の消滅だった。キルクークには急に軍事的な真空地帯ができ、クルド人勢力がそれを埋めた。

 開戦前、トルコ政府に対して「キルクークはクルド人に渡さず、米軍が管理する」と約束していたパウエル国務長官は4月10日、トルコ外相からの抗議を受け「米軍の増派部隊をキルクークに急行させており、クルド人を撤退させる」と答えた。クルド人武装勢力も、短期間でキルクークから撤退すると約束した。


 だが、本当にクルド人武装勢力がキルクークから完全撤退するかどうか分からない。米軍と敵対してしまうと逆効果だが、それを回避しつつキルクークを何とか守れば、クルド人国家独立の可能性が高まるが、その一方でトルコ軍が越境進撃してくる恐れも強まる。

 米政権内で主導権を握ったタカ派は、何年も前からクルド人を使ってフセイン政権を倒すことを計画していたこともあり、クルド人の活動を容認するかもしれない。イラクがクルド人地域とその他の地域に分裂すれば、今後のイラクは復興できたとしても、前より弱い国になる。タカ派のネオコン(イスラエル系)は、イラクを含む中東諸国を弱体化させておくことがイスラエルのために良いと考えてきた。そのため、クルド人が独立してイラクが弱くなり、おまけにトルコとの約束を守れなかった中道派のパウエルを弱体化させることもできるという一石二鳥の道が取られるかもしれない。

 イラク北部にはキルクークと並ぶもう一つの大都市モスルがある。モスルでは、キルクークで起きたような混乱を防ぐことを米軍とイラク軍の両方が模索し、10日にイラク軍の第5師団の司令官が、郊外に展開する米軍の特殊部隊に対して投降を申し出て、投降に関する文書に調印した。モスルでは、クルド人武装勢力は市内には進軍しないと今のところは言っているが、情勢は不安定だ。



●意図的に消滅したフセイン政権

 ここまで書いてきて、肝心のことが解明されていない。なぜフセイン政権は突然消滅してしまったのか、ということだ。フセイン政権は戦って負けて消滅したのではなく、意図的に消滅した可能性が強い。イラク北部では、ほとんど戦闘が行われておらず、バグダッドでも米軍が拍子抜けするほど、国際空港から市内中心部への進軍でイラク側の抵抗が少なかった。イラク側の6つの主な師団のうち、まだ少なくとも3師団は戦わずに残っているはずだとされている。


 残っている師団はフセイン大統領とともに、大統領の生誕地であるティクリットに立てこもり、最後の戦いを試みるつもりだという解説も見た。これが米軍の発表を受けたマスコミでの解説の主流だ。これが事実なのかもしれないが、いくつもあった町をすべて一方的に放棄してしまったことがイラク側の戦術としてありえるのか、疑問が残る。

 2001年暮れのアフガニスタンの戦争では、タリバン勢力は首都カブールでほとんど戦わずに撤退し、パキスタンとの国境地帯の山の中に分散して隠れた。タリバン勢力は今春の雪解けとともに、再び米軍や新政府系の勢力と軍事衝突を始めている。

 これとの比較で「フセインはタリバン同様、首都を放棄してティクリットなどでゲリラ戦を再開するつもりだ」という説もあるが、アフガニスタンと違い、イラクでは北部のクルド人地域以外、ゲリラ戦ができそうな山岳地帯がない。しかもタリバンは隣国パキスタン軍に密かに支援されて戦っていた。カブールから撤退したのは、タリバン勢力を無傷で残しておきたいというパキスタン側の戦略に沿ったものだった。フセイン政権のバグダッド放棄とは状況が全く違っていた。

 そのほか、フセイン大統領は4月7日に米軍が行った空爆で死亡したという説も説得力がある。これは、イラクの政府機能が停止したのが8~9日であることを考えると、日程的に符合するからだ。この場合、フセインが死んだ後、残った政権首脳たちが政府機能の停止を決定したということになるが、イギリスのMI6は「フセインは死んでいない」と言っている。どれが真実なのか、今はまだ不明だ。ともあれ,あっけない幕切れだった。


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