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2001年09月29日(土) ソフィーの選択

ソフィーの選択Sophie's Choice
1982年アメリカ アラン・J・パクラ監督


主役ソフィーは、この不気味なほどの名演でオスカーも受賞した、
泣く子も黙るメリル・ストリープです。
ケヴィンの役どころは、図書館で行き倒れになった彼女を助ける
ネイサンという男ですが、
分裂症気味のキャラクターを怪演していました。
ソフィーはエミリー・ディキンスンの詩集を借りるために
図書館に行くのですが、原作者のウィリアム・スタイロンが、
ディキンスンの詩に触発されて、この物語を書いたそうです。
(でもって、ピュリツァー賞も受賞しました)

因みに図書館の職員は、
「ディキンスン?ディケンズのことですか?」と、
とんちんかんな対応をします。
ディキンスンは生前は全くの無名だったそうですから(1886年没)、
ただでさえ文学的にはマイナーに属しそうな詩の世界のこと、
この職員を単に勉強不足と責めるべきか否か、ちょっと迷います。
時代背景としては、第二次大戦後の1947年でした。

ソフィーはいわゆるアウシュビッツ収容所の生き残りで、
悲しい過去を背負ってアメリカに渡りますが、
その「悲しい過去」が、「選択」という言葉に集約されています。
ネタバレぎりぎりでいえば、その選択の内容たるや、
女性でなくても、子供を持たなくても、
辛いということだけは十分に想像できるようなたぐいのものでした。

そして、自分を助けてくれたネイサンと一緒に暮らしますが、
アパートの隣家に済むスティンゴという若い男性は、
ソフィーに思いを寄せていて、
優しくロマンチックなムードのネイサンが、
時折人が変わったようにソフィーに暴力を振っていることに
心を痛めていました。
スティンゴを演じていたのは、今や『アリー・マクビール』シリーズの
ジョン“ちびクッキー”ケージでおなじみの、ピーター・マクニコルです。

正直言えば、ソフィーのエピソード、ちょっとホラ話っぽくもあるので、
(それは原作の責任だという説も…)
一度疑問を持ってしまうと、もう入り込めないと思います。
が、メリルの演技に引き込まれてしまうと、
ひたすら「感じ入る」しかないでしょう。
まさに、「観客の選択」を迫られます。
私はどちらかというと、「何だかね…」と思いつつ見ていたクチですが、
やはり肝心なところでは、怒りに震えたい、涙を流したいといった、
ごく人間的な情動に逆らえませんでした。

こういう映画を見ていると、
嫌な言い方ですが、ヒトラーがしたことの1つに、
「数々の映画をつくらせた」ということも挙げたくなります。
この場合は原作がありますが、結局は原作を書かせたのは、
ディキンスンだけでなく、ヒトラーでもあったのでは、とかね。


2001年09月28日(金) 恋におぼれて 

恋におぼれてAddicted to Love
1997年アメリカ グリフィン・ダン監督

メグ・ライアンが、
暗闇でボコボコにされたのかと見まごうようなメイクと、
黒革の凶暴なファッションで登場する、
ある意味ファン必見のラブ・コメディーです。

今度のお相手は、幾つになってもなんだか童顔、
その実メグよりも少し年上というマシュー・ブロデリックですが、
田舎の地味な天文学者サムという役どころでした。
彼には恋人リンダ(トラボルタ夫人、ケリー・プレストン)
がいますが、小学校教師の彼女は研修で行ったNYで
レストランオーナー・アントン(チェキー・カリョー)と知り合い、
サムに別れの手紙を書き送ってきます。

諦めきれないサムはNYへ赴いて、
リンダとアントンが同棲するアパートの至近に住み、
2人を張って、何とかリンダを取り戻そうとするのですが、
意外な協力者が現れました。
かつてアントンと恋人同士だったという、カメラマンのマギーです。
そのマギーこそが、メグの役でした。

利害が一致した2人の、
それぞれの「得意分野」を生かした張り込み生活が始まり、
さらには何か言い難い絆のようなものも生まれますが……

端的に表現すると、
あるカップルをある男女が共謀してストーキングする妙で見せる映画でした。
こういう映画の常なのですが、見ている方としては、
いつサムとマギーはくっつくんだろう?という方が気になるし、
安直なでハッピーなラブコメディに陥りそうなきらいもあるのですが、
リンダとアントンのカップル像もきちんと描いてあるので、
飽きずに最後まで見守れます。
一番の見せ場は…いや、ここでは言えません。
ただ、あんなストーカー生活なら、見ている方も楽しめます。
アントンは、「カチカチ山」のタヌキみたいに
いじめ抜かれて気の毒ですが。
(余談ですが、「カチカチ山」って、
本によってはおばあさんが死なないバージョンもありますけど、
そうなると、タヌキへの過剰な復讐がすごく気になりませんか?)

マシューがやっぱり上手なんですよ~。
こう言ってはナンですが、映画としてはイマイチの『ゴジラ』でも、
彼(ミミズ学者)だけは光っていました。
正直、あの映画を見た動機が、
①娘(当時小2)にせがまれた②マシューが出ている
③ジャン・レノも出ている
この順番でした。

メグはというと、蓮っぱな感じが似合わないわけではないと思うのですが、
なぜだか無理して背伸びしているように見えました。
どこか、香港映画『ラヴソング』のマギー・チャンが演った役を
ほうふつとさせるところがあります。

ちょっと毒のあるラブコメを見たい、という方にお勧めします。


2001年09月27日(木) エマ/クルーレス

1972年9月27日、女優グウィネス・パルトロウが生まれました。
近作『デュエット』はまだ見ていないし、
彼女の作品で好きなものは…と考えたら、これになりました

エマ Emma
1996年アメリカ・イギリス ダグラス・マクグラス監督


…が、『エマ』といったらちなみ作品がもう1本あるので、
本日は2本まとめて御紹介です。もう1本とは…

クルーレス Clueless
1995年アメリカ エイミー・ヘッカリング監督


どちらも、18-19世紀イギリスを代表する閨秀作家
ジェーン・オースティンの『エマ』に材をとった、
コミカルで楽しい映画でした。

大筋は、魅力的で思い込みの激しい娘エマは、
とにかく仲人大好きで、数々の近しい人の恋愛を成就させることに
血道を上げますが、自分の恋愛は全くお留守の状態です。
そんな彼女が選んだ相手は?
…まあ、こんな感じでした。
グウィネスが表情豊かにエマを演じ、最後まではらはらさせてくれます。
華麗なるコスチューム・プレイも見られ、
この手の映画がお好きな人は、飽きずに楽しめると思います。

翻って『クルーレス』ですが、
こちらはアリシア・シルバーストーン演じる“シェール”が
超リッチな女子高生に扮し、
やはりキューピッドを楽しむという学園コメディーでした。
シェールと一番の友人である黒人の女の子の名前が
“ディオンヌ”で、ちょっと古いポップスファンなら笑ってしまうことでしょう。
「ドラッグをやるなんてダサいわ」というセリフをアリシアに言わせるなど、
海外シットコムによくある「若者へのメッセージ」を含んでいます。
(「クルーレス」というタイトル自体が、
「船に一緒に乗りClueたくないless」、転じて、
「行動を共にしたくないほどダサい」という意味だとか。)

このたびの対米テロでも、チャリティー番組が編成されたようですが、
ショービズなどで顔の知られた人が、
その知名度を社会貢献に生かすというのは、
素直に健全だと言いたいですね。
(たまに方向を間違っている人もいますけど…)

変に要領のいいシェールにムカつきつつ、
割と素直に見られる『クルーレス』に比べ、
『エマ』となると、オースティンが生きた時代背景をも考慮しないと、
何ともアナクロで、
「こういうのアリかなあ」という気分にならないでもありません。
でも、ヒロインは結局のところ、どちらも素直で素敵な娘さんです。

そういえば、今年の1月、J.オースティン原作のテレビドラマが、
立て続けにNHK地上波で放映されたことがありました。
目玉は三夜連続の『高慢と偏見』でしたが、
ケート・ベッキンセール主演による『エマ』もありました。
これ悪くはなかったのですが、吹き替えが斎藤由貴でして…
別に彼女が嫌いではないのですが、はっきり言って下手でした。
ちょっとムキになったりすると、ただのぶーたれ娘と化してしまい、
「やめてよ…」という気分になりました。
やっぱり…声優さんというのは偉いと思います。


2001年09月26日(水) 黒い瞳

実は、今日は非常に個人的な記念日でして、
私の17年来の友人の誕生日なんです。
ことし5月にお母さんになったばかりの彼女は、よくも悪くも、
チェーホフの短編『かわいい女』のイメージにぴったりな人です。
で、チェーホフの短編といえば、こんな映画はどうかと思いまして。

黒い瞳Oci Ciornie
1987年イタリア ニキータ・ミハルコフ監督


先日御紹介した『昨日、今日、明日』で、
情けない男三態を演じていた伊達男M.マストロヤンニが、
この映画でも、「情けない伊達男」を好演し、
アカデミー主演男優賞にノミネートされました。
受賞すれば、非英語映画での初の受賞だったのに、
全く惜しいことです。
(しかも、なぜマイケル・ダグラスに負けるかな!)

恋のときめきとか移ろいやすさとかを、
ユーモラスに繊細に表現した、
温かだけれども苦い、ブラックココアのような映画です。

原作は、チェーホフの『子犬を連れた奥さん』ほか何編かですが、
原作というよりはモチーフ(製作動機)というべきかもしれません。

「逆玉に乗ったのんきなロマーナは、
黒い瞳が美しいアンナと温泉保養地で会い、
苦労人の彼女に恋をしてしまいますが、
彼女のために、今までの人生を捨てられるでしょうか?」
というようなエピソードを、
船の上で、ある男が、ロシア人旅行客に語るというスタイルで、
物語は進んでゆきます。

『ひまわり』では、
イタリアからロシアまで女性に追っかけてこられたマストロヤンニが、
この映画では、女性を追ってロシアへと赴きます。

実は、19歳で初めて見たときは、
「う~ん、いいんだけどね…」と、
ボロ泣きしておきながら歯切れの悪い評価だったのですが、
加齢とともに「あれはすごくいい作品だったなあ」と、
思い返せるようになりました。
だから、今見ていまいちピンと来ないという方は、
5年、10年してから再び見るのも一興かと思います。
長期戦で臨んでみてください。
そもそもこの手の作品がダメという方は、きっと最初から
「おもしろくない」と断言できると思います。

参考までに、この映画に登場する温泉保養地のシーンは、
フェリーニの『8 1/2』のパロディーという説もあるようで。


2001年09月25日(火) 私に近い6人の他人

本日9月25日は、
ウィル・スミスのバースデーです(1968年)。
ということで、本日はこれをどうぞ。

私に近い6人の他人
Six Degrees of Separation

1993年アメリカ フレッド・スケピシ監督


ウィル・スミスは高校時代
あのルックスに加え、スポーツ万能・学術優秀で、
「我が校のプリンス」と教師に評されるほどだった…と、
何かで読んだことがありますが、
この映画を見ていると、「なるほど」と思えます。

シドニー・ポワチエの息子という触れ込みも、
とうとうと語る「『ライ麦畑でつかまえて』論」も、
ちゃちゃっと料理をつくってしまう手際のよさも、
すべてがリアリティを持って受け入れられました。
もちろん、あのナイスなボディも(ちょっとだけ)披露します。

ぶっちゃけた話、コメディタッチのサスペンスでした。
クラース意識が高く、同時にちょっとした刺激を求めているような
アメリカの上流階級の人々が、
1人のハンサムな黒人青年の出現で、
何とも不思議な体験をするという筋立てですが、
おしゃべりオバチャンがぴったりなストッカード・チャニングが、
「そうそう、こんなことがあったのよ」と、
自分の体験を大いにしゃべります。

もともとの原作は、ジョン・グエアによる戯曲だとか。
なるほど、演劇タッチな流れがありますので、
映画ならではの壮大なスケールを好む方には
ちょっと退屈なところがあるかもしれません。

深読みしようと思えば、幾らでも分析できるお話ではありますが、
「何なんだ一体?」と、ばかされた感覚を楽しむのが、
最も肩の凝らない見方だと思います。
だから、いつもより控え目な紹介にしてみました。
(サスペンス色の濃いお話だと、どうしてもネタバレを避け、
口数が少なくなるのはいつものことですが…)


2001年09月24日(月) グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち

9月24日は、
1971年「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(清掃法)が
施行されたことにちなみ、「清掃の日」だそうです。

そこで、ある清掃員スタイルの青年を思い出しました。

グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち
Good Will Hunting

1997年アメリカ ガス・ヴァン・サント監督


売れない俳優である2つ違いの親友同士が共同で脚本を書き、
自分たちで演じて映画化された作品は、
97年度のアカデミー賞では、
幾つかのノミネートの末、オリジナル脚本賞を受賞…と、
この映画が背負った背景自体がドラマチックでした。

その2人とは、マット・デイモンとベン・アフレックでしたが、
今や2人とも、アメリカ映画を好んで見る人にとっては、
どこかでひっかかる名前でしょう。

トラウマを抱えて成長し、その日暮らしをするウィル(マット)は、
非常に高いIQを持ち、読書が日課という知性の持ち主です。
清掃のアルバイトでマサチューセッツ工科大に行ったとき、
黒板に書かれた難解な数式を易々と解いてしまったことで、
フィールズ賞の受賞歴もある教授に目をかけられ、
荒れた人生が快方に行くかに見えるのですが…

人を傷つけては自分も傷つく、というようなウィルのいらだちを、
マットは繊細に演じていますが(で、主演賞候補にもノミネート)、
この映画は何といっても脇を固めた人々に感謝です。
ハリネズミのようなウィルと心を通わせ、
アカデミー助演男優賞を受賞したロビン・ウィリアムズ、
ウィルの才能を伸ばしてやりたいと思いつつ、
嫉妬心との間での葛藤にも苦しむ教授、
彼が一歩踏み出すために何よりの助言を与える親友など、
この辺の扱いがお安かったら、
見ていてさぞ疲れる映画だったでしょう。
(ガス・ヴァン・サントの演出は、いつもながら癖があります)
教授役は、あちこちで見る顔なのに名前が発音しにくい
ステラン・スカラシュゲールド、
親友を演じたのは、
マットと共同脚本を書いたベン・アフレックその人でした。

一応、ヒロインもいないではないのですが、その役を演じ、
一時期は本当にマットと交際していたというミニー・ドライバーが、
なぜだか評判芳しくありません。
「ちっとも美人じゃない」「なんでよりによって彼女なのか」
ということですが、
私は彼女って、非常にゴージャスな雰囲気を持っていて
美しい人だと思いますので、その辺の誹謗は理解できません。
彼女も助演女優賞にノミネートされましたが、受賞には至らず。
それは当然だと思いました。無難過ぎる気がして。

本当の意味の知性、理性だけではいかんともし難い人間の心、
「他人の人生に口を出すことの傲慢さ」などなどについて、
深く考えさせられます。
小泉内閣のお題目ではありませんが、
「骨太の」青春映画といっていいでしょう。

なお、満足な学歴はないが、
特に数学にすばらしい才能を発揮するというキャラクターは、
19世紀のインドの数学者ラマヌジャンがモデルとも言われています。


2001年09月23日(日) コレリ大尉のマンドリン

コレリ大尉のマンドリン
Captain Corelli's Mandolin

2001年アメリカジョン・マデン監督


1940年、ギリシャのケファロニア島が、
ドイツ・イタリア両軍の占領下に入ったとき、
イタリア軍のアントニオ・コレリ大尉(ニコラス・ケージ)が、
マンドリンを背負ってやってきました。
「カンタ~レ、アモ~レ」のノリで人生を楽しむ風変わりな彼を、
名医の娘で自らも医者を志すペラギア(ペネロペ・クルズ)も、
最初は軽蔑さえしていたのですが、
戦地に行って人が変わり、パルチザンと呼ばれる民族運動に
傾倒していく婚約者(クリスチャン・ベール)への戸惑いもあり、
次第に惹かれていくのでした。
父(ジョン・ハート)も、娘の心の移ろいを見て、
軽く警告を発しながらも、
コレリ大尉の好いたらしい人柄に惹かれたこともあり、
温かく見守ろうとするのですが……

戦争映画の悪者の定番・ドイツ軍は、この映画でも
「思い切り首締めたい連」を演じさせられていますが、
まあ、そこのところに目をつぶれば、
憎まれ役にもおおむねきちんとした人間性を貼りつけてあるし、
人間描写が豊かで、
単なる戦争映画でもただの恋愛映画でもありません。
どちらかが苦手とか、偏見を持っている向きのある方にも
お勧めします。
私はそちら方面には詳しくないので、断言はできませんが、
歴史的な考証もうまくいっている方だと思います。

これからごらんになる方に、1つだけ申し上げられるのならば、
「絶対に、最初から最後まで通して見てください」
時間が間に合わず、途中から入って、
次の回で見ていない部分をカバーして「1セット」
という見方をしてしまうことってありませんか?
事この映画に関しては、その見方はお勧めできません。
(どの映画でもそれはそうなんですが、特にこの作品は!)


2001年09月22日(土) リトル・ダーリング

リトル・ダーリングLittle Darlings
1980年アメリカ ロナルド・F・マクスウェル 監督


ある年齢(30代半ばくらい)の、
中学生くらいで映画に目覚めた人にとっては、
タイトルだけでにやにやしてしまうような作品かもしれません。
ちなみに33歳で、映画に本格的に目覚めたのは18くらいだった私は、
そのちょっと前に、深夜テレビで見ました。
出演者のうち、当時人気絶頂だった
テイタム・オニールくらいはさすがに知っていましたが、
クリスティのことはこの映画で知ったし、
クリスティの相手役のロン毛の少年は誰なんだろう、
なんかヘンな顔だな~とのどかに眺めていました。
その人の名は、今や性格俳優とさえ呼べてしまう個性派、
マット・ディロンだったんですね。

サマーキャンプと、少女のロストバージンがテーマです。
不良少女エンジェル(クリス)と、
お嬢さまのフェリス(テータム)は、
初対面から気が合わず、張り合ってばかりいますが、
モデルの仕事をしている早熟な少女にけしかけられて、
2人に「どちらが先に大人になるか」の賭けをさせます。
このモデルの少女というのは、
『ラストタンゴ・イン・パリ』
マーロン・ブランドーってセクシーだわ」
と、年齢不相応な大人っぽい映画を好むのですが、
アメリカではあんな頽廃的な映画を、
サマーキャンプに出るようなガキが見ても、
とがめないのだろうかと、
今になって振り返ると思います。
(今だったらNGですね。当時だからOKだったのでしょう、きっと)

「大人になる」とは、
これすなわち「ロストバージン」です。
となると、1人ではできませんから、相手探しが必要なのですが、
エンジェルは同世代のイケメン、
フェリスは大人っぽい指導員の男性を選び、
それぞれの方法でアプローチを始めます。
さあ、賭けに勝つのはどちらでしょう?

人生観を変えるような映画ではありません。
人には見せない秘密のアルバムをつくっておいて、
そこに張って、自分だけで自虐的に眺めて、
「わ~、こんなこともあったねぇ」
と苦笑するような写真がありませんか?
それに似た映画です。

アメリカ映画でおなじみの
サマーキャンプを扱った映画の中では、
その様子が丁寧に描かれている方ではないかと思います。
アメリカって楽しそうと思うか、
こんなものに参加するのはうっとうしいと思うか、
まあ人それぞれでしょうが、
「うっとうしい」と思ってしまう派の私も、映画は楽しめました。

そういえば、私が見たバージョンは、
テータム・オニールの声を、
柏原芳恵が吹き替えていた覚えがあります。
(確かに雰囲気は似ているかも)
クリスティ・マクニコルの方は、
「サザエさん」の現カツオくんでもおなじみの、
富永み~なさんだったような気がするのですが…
結構テンションの高い役が多い人ですが、
この映画では、
けだるそうにしゃべるのがぴったりでした。


2001年09月21日(金) コン・エアー

コン・エアーCon Air
1997年アメリカ サイモン・ウェスト監督


コン・エアーとは、いわば「空飛ぶ刑務所」のこと。
囚人の輸送に使われる飛行機ですが、
妻を守るために過って人を殺してしまった男(ケージ)は、
8年の刑期を模範囚として過ごしながら、
何の因果か、凶悪犯の見本市のような、
いい顔のおにーさん方と一緒に「コン・エアー」に乗せられ、
トラブルに巻き込まれてしまいます。

荒唐無稽と言い切ってしまいたいほどの、
頭を空っぽにして浸りたいアクションでした。
人が吹っ飛び、火薬が派手に使われて、
どーん、ずがーんとやるだけのお話なのに、
ニコラス・ケージ以外にも、ジョン・キューザック、
ジョン・マルコヴィッチ、そしてスティーブ・ブシェーミなど、
キャストが無駄に豪華なので、何やら不安な気持ちにさえなりました。
ヘンな話ですが、「こんな映画見ちゃってもいいのかな」と。
特に、ブシェーミの役どころは注目ポイントです。

ニコラス・ケージの妻役は、モニカ・ポッター。
『パッチ・アダムス』では、
ロビン・ウィリアムズが憧れる女子学生役を演じていた、
非常にかわいらしい美人顔の女性です。
服役中の夫に、一人で産んだかわいい娘の写真を送って励まし、
健気に帰りを待つという役がぴったりでした。

アクション、夫婦愛、友情、陰謀、珍キャラ…などなど、
非常事態(どさくさ?)から生じた
あらゆる要素を景気よく並べた好編です。
ふだんアクションを余り見ない方にもお勧めします。


2001年09月19日(水) 華氏451

9月19日は、
評論家の呉智英(くれ・ともふさ/またはごちえい)さんの
誕生日だそうです(1946年)。
といっても、この方は、
誕生日(→占星術)や血液型で人間を分類するやり方に懐疑的で、
聞かれるたびに違う答えを言うという話でもありますから、
この誕生日が正しいかどうかは存じません。
ただ、「誕生日と言われている日の1つ」であることには
間違いないでしょう。

私は呉氏の著書が好きで、
文庫になっているものばかりですが、結構読みました。
各章のタイトルなどでジョージ・オーウェルを意識したらしい
『バカにつける薬』は、なかなかよく売れたようですが、
封建主義思想とか、教養や学歴についての考え方に、
共感というよりは「いろんな人がいるもんだなあ」と
思いながら読むのが、変に楽しいのです。
(かといって、もちろん全く共感できないわけではありません)

そこで、酒もたばこもやらず、
ひたすら本を読むのだ~と若いうちに決意した呉氏に敬意を表し、
氏も感動なさったという、読書にまつわる映画を。

華氏451Fahrenheit 451
1966年イギリス・フランス
フランソワ・トリュフォー監督


原作は、『たんぽぽのお酒』『火星年代記』などでもおなじみの
SF作家レイ・ブラッドベリの手になるものです。

読書は、「危険分子を生む悪魔の所業」であるという発想によって
禁止され、“消防士”が焚書に精を出すという、
うそ寒い近未来を描いた作品でした。
仮想近未来SF数あれど、「こうなってほしくない状況」の
上位(筆頭?)に挙げられるでしょう。
華氏451度というのは、本(紙)が燃える温度のことです。

愛書家たちと“消防隊”との攻防、お互いのその狂信的な姿、
本当に正しいことは何なのか、考えれば考えるほど
わからなくなるような禍々しい空気に包まれ、進んでいくのですが、
幕切れのさわやかさにはほっとします。
読書好きならば、きっとわくわくさえするシーンです。

それにしても、近未来という設定でも、
女優のファッションやメイクが60年代風なのは、ちょっと笑えます。
例えば、1968年製作の『2001年宇宙の旅』も、
その人が初めて見た時代によって、大分印象が違うのでしょうね。
映画タイムトリップの楽しみの1つです。


2001年09月18日(火) めぐり逢えたら

今日9月18日の花は、
「孔雀草」、花言葉は「一目惚れ」だそうです。
※その日の「花」は、本によって1種類しか書いていなかったり、
 微妙なずれがありますので、
 皆さんのお持ちの資料等と異なる場合がありますが、
 御了承くださいませ。

一目惚れの最もわかりやすいケースとしては、
容姿のよさとか、好みのルックスに惹かれるというのがありますが、
それだと、ストライクゾーンの広い人は、
しょっちゅう一目惚れしてしまうことになっちゃうので、
それプラス・アルファで、
「何か持っている人」ということになりましょう。
それが何なのか、的確に説明できるかどうかは別として、
ロマンチックな恋のきっかけであることは確かです。
だからこそ、映画のモチーフにもしばしば採用されるのですが、
今日の1本は、これにしてみました。

めぐり逢えたらSleepless in Seattle
1993年アメリカ ノーラ・エフロン監督


往年の名作『めぐり逢い』が重要なキーワードになっているので、
この邦題になったのだと思いますし、悪くはないのですが、
原題直訳(でもないけれど)で、
「シアトルの眠れない男」みたいな感じの方が、
もっとそそられたのでは?と、個人的には思います。

建築家サム(トム・ハンクス)は、一目惚れの妻と結婚し、
一児をもうけますが、その妻と死別した後、
シカゴからシアトルに引っ越します。
サムの息子ジョナは、まだ落ち込んでいるパパに新しい恋人、
つまりは自分のママを見つけたいのだと、ラジオの相談番組で話し、
サム自ら電話口に駆り出され、全米にサムの声が届いたことで、
その優しそうな男性サムに、ラジオを聞いた女性たちが
興味を示すことになります。

それを聞いていてサムに惹かれた女性の1人に、
ニューヨークで新聞社に勤めるアニー(メグ・ライアン)がいました。
彼女には、完璧といっていいフィアンセもいて、
結婚間近だったのですが、サムのことが心にかかり、
新聞社勤めの環境を生かしたリサーチの後、
サム宛に手紙を書きますが、
やみくもに手紙を送ってきた他の女性たちと違い、
アニーは息子ジョナの歓心も買ってしまいました。

穏やかで微笑ましい空気を持ったラブコメディーなので、
あんまり気にならないのですが、
アニーの一連の行動を冷静に見ていると、
「恋は狂気の1つなんだなあ」と思わずにいられません。
そして、ロマンチックコメディーだからして、
悪い方向には向かわないのですが、
彼らの「運命の恋」の陰で、泣いている人もいるんですよね。

ネタバレの線引きが難しい映画なので、
どうして一目惚れでこの映画を選んだのかについては、
ごらんになっていただくのが一番かと思います。
「やっぱり、一目惚れにぷりちーな容姿は必需品なのね」と、
まあ、そんな結論に行き着いてしまいましょう。
だって、実は本当に一目惚れをしたのは、
アニーではなくてサムの方だったのです。
(死別した妻にではなくて、アニーに対してですよ)

小道具としての往年の映画の扱い方や、脇役の味も魅力です。
特に、アニーの親友を演じるロージー・オドネル、
サムの息子ジョナのガールフレンド役のギャビー・ホフマンなど、
女性陣がステキでした。

メグ・ライアン&トム・ハンクスコンビの映画としては第2作目ですが、
(第1作目はちょっと地味めの『ジョー、満月の島へ行く』)
3作目に当たる『ユー・ガット・メール』の
前哨戦みたいなところがある映画です。
「癖があるけど試しに」とか「たまにはこういうのもどうぞ」
「好き嫌いは見てから判断しても遅くないから」
といった言い訳・注釈の必要はなく、素直に勧められる好編です。
ロマンチックコメディーの似合う秋の夜長にぜひどうぞ。
音楽もいい感じですよ。
(ドリカムの歌は、日本だけのイメージソングでしたが)


2001年09月17日(月) ディナーの後に

ディナーの後にGirls' Night Out
1998年大韓民国 イム・サンス監督


セックスと食が満載の映画でした。
そこそこ凝った映画を見慣れた後だと、
設定などは類型的な感じすら受けるかもしれませんが、
韓国というお国柄を無理なく受けたディテール表現もあって、
「意義ある1本」という印象です。

セックス観の異なる3人の女性が、即物的に性について語りながら、
料理に舌鼓を打ち、酒を酌み交わすシーンから始まります。
このシーンだけで、映画の3分の1(根拠なし)くらいは語っていました。
その酒宴にたった1人参加している男性は、
ホテルのレストランで給仕係をしているヨニ(チン・ヒギョン)の
恋人で、3人の女性の話をニヤニヤしながら聞いていますが、
話が進むにつれ、彼女らとの関わりがもっとディープになってきます。

やたらと裸の人が出てきたり、性描写が露骨だったりする
一般映画というのは結構ありますが、
大抵「芸術のため」とか何とか言い訳しながら表現しています。
この映画では、「リアリティを出すため」とでもいいましょうか、
下手するとコリアン・エロスと言われる韓国製ポルノも真っ青の
(↑そんなに本数を見ているわけではありません。念のため)
「そこまでするか」なシーンがやたらと出てくるのですが、
人間の秘めたる部分を前面に出しているという感じで、
性もまたヒトの重要な営みであることを、まじめに考えたくなります。

3人娘のキャストですが、チン・ヒギョンのほか、
もはやベテラン女優のカン・スヨンが
性的に奔放なデザイン会社社長、
この映画でデビューし、演技賞を総なめにしたたキム・ヨジンが
耳年増の大学院生という役どころでした。
三人三様で魅力的ではありますが、
3人とも完全に共感できる考え方の持ち主ではないところが、
私には魅力でした。
入り込むというよりも、傍観者として楽しむことができたので。

それにしても、チン・ヒギョンという女優さん、
本当に中山美穂にそっくりでした。
そっくりというよりも、時折見せる表情など、本人かと思うほど。
邪道かもしれませんが、ミポリンのファンには、
「彼女があんなことするなんて~」と錯覚するような大胆な描写もあり、
そういう意味でも楽しめるのでは?と思います。

と、勝手なことを書いてしまいましたが、
女性には特にお勧めしたい1本です。
勝手ついでに書けば、男性の目から見たら、
特にカン・スヨンの役どころなど、単なるインランとしか映らない
おそれもあるものですから。
(女性が見ても…そう思うかも)


2001年09月16日(日) 悪の華 パッショネイト

1950年9月16日、俳優のミッキー・ロークが生まれました。
どうも最近、鳴りをひそめているという言葉を使いがちな人ですが、
それでも『レインメーカー』『バッファロー’66』などに出演。
やっぱり独特の雰囲気があるオジサマではあります。
そんな彼が出演した、ちょっと風変わりな作品を御紹介しましょう。

悪の華 パッショネイト
1984年アメリカ スチュワート・ローゼンバーグ監督


実はこの映画、あのジュリア・ロバーツが女優を志す
きっかけとなった作品だとか。
彼女の12歳年上の兄で俳優のエリック・ロバーツが、
この映画で、ミッキー・ロークを同性愛的に慕う
気弱な男を好演していたのですが、
その撮影を見学に来て触発されたのが、
当時16歳だったジュリアだったといいます。

いわゆるピカレスクものなのですが、
ストーリーをたらたらと解説するよりも、
当時の宣伝コピーを御紹介した方が、
この映画の味が伝わるかもしれません。

世の中を 支配できる わけでもなく、
金持ちでもなく、
飼いならされた 小市民 でもない.........。

近年だと、脱力系クライム・コメディーの傑作として、
『ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』
(そして、見ていないけど『スナッチ』も?)
というのがありますが、
あの辺のノリがお好きな方にお勧めします。
(逆に、メッセージが明確に示された映画でないとダメ、
という方にはお勧めしかねます)

大きな役ではありませんが、ミッキー・ロークの恋人役で、
『スプラッシュ』などのダリル・ハナーが出ていました。
あの優しげな美形顔にすらりとした体つきで、
エアロビクスのインストラクターという設定でしたが、
暑苦しくなくてよかったです(逆にいえば、存在感も薄い…)。
↑別に、エアロビのインストラクターが
 「暑苦しい」という意味ではありませんが。

そういえば、ミッキーおじさんは、
少し前、各種の暴動などに際し、
特定の映画監督の作品を槍玉にあげて、その悪影響を非難したり、
もっと発展して、人種差別的な発言をしたりして
問題になったことがありましたが、
今回の対米テロに関しても、
そんなスキのあることをしでかさなきゃいいなと、
他人事ながら心配しています。
皆さん、ピリビリしていますしね…。

では、また。
(何だか紹介分も脱力系になってしまって申し訳ありません)


2001年09月15日(土) 恋しくて

今日9月15日は「敬老の日」…ではありますが、
これも祝日法の改正で、再来年からは9月の第3月曜になるとか。
いつもお世話になっている記念日関係のサイトを見ていたら、
「ひじきの日」というのもありました。
ではでは、ひじきがなぜか好物という女優さんの
出世作を御紹介しましょう。
(私もひじきは好物の1つですが…誰も聞いちゃいませんね) 

恋しくてSome Kind of Wonderful
1987年アメリカ ハワード・ドイッチ監督


いいものをいっぱい持っているのに、
その個性が一般受けするものでないために、
どうもハズレ者になってしまう…
あるいは、自分の本当のよさに自信が持てず、
自分を殺して他者に合わせてばかり…というキャラクターは、
アメリカの青春映画には山のように出てきますが、
この映画も、そうした人間像を好ましく描いていて、
非常にさわやかな作品でした。

絵が好きなキース(エリック・ストルツ)と、
いつもドラムスティックを振り回しているワッツ
(メーリー・スチュワート・マスタースン)は、
性別を超越した親友同士ですが、
キースが美少女アマンダ(リー・トンプスン)に
憧れているのが、ワッツは気に入りません。
ワッツは本当はキースに恋愛感情を抱いていますが、
それを改めて言える仲ではないし…

アマンダは、自分の容姿がいいというだけで
学園のアイドル(でもサイテー男)の彼女でいるということ、
自分は貧しいのに、金持ちの価値観が合わないグループと
無理してつき合っていることに、ちょっと疲れていました。

たまたまアマンダが彼氏とけんかをしたとき、
勇気を振り絞ってデートを申し込んだキースは、
彼女がOKしてくれたことに有頂天になり、
バイトで貯めたお金をつぎ込み、張り込もうとするのですが、
そんなとき、レンタカー(リムジン!)の運転手を買って出たのは、
ほかでもないワッツでした。

さてさて、3人はどうなっちゃうのでしょうか?

今こうして改めて見ると、相当古くさい話ではありますが、
自分に自信を持つこと、人を好きになるすばらしさ、
いろいろな意味で、美しいものに惹かれる純粋な気持ち、
そういった、大切で愛すべきものがいっぱいつまった映画です。
若い方にはできるだけ若いうちに
ごらんになっていただきたいと思います。
(私もまた見たくなりました)

1つだけケチをつけるならば、
学園一の美女と言われるリー・トンプスンよりも、
メーリー・スチュワート・マスタースンの方がかわいいのに…
と思った方は、相当数いるものと思われます。
そりゃ、リーも魅力的だけれども、
アメリカの青春もので、「こっちの方がかわいいのに」の例って、
意外に多い気がします。
あのウィノーナ・ライダーですら、
「学園のアイドル…に憧れる少年に片思いする少女」
を演じたことがありました。
(『ルーカスの初恋メモリー』)

あ、ところで、ひじき好きの女優さんというのは、
この場合、「メーリー・スチュワート・マスタースン」の方でした。
(って、ほかにあの食べ物が好きな女優が
いるかどうかは存じませんが)


2001年09月14日(金) 児童書に因む映画

昨日、あるMLで知り合った女性から絵本が送られてきました。
といっても、私が彼女の嬉しい申し出に遠慮なく乗って、
こちらの連絡先をお知らせしただけですので、
その女性の連絡先は判らず、きちんとしたお礼も言えず、
おまけにメールアドレスももはや使えないという状況になっていました。
ヨーロッパの某国に行くのだということは事前に聞いていたのですが、
それ以上の情報はありません。
何冊ものかわいらしい絵本を大事に読んでいくことで、
(古本だと書いてありましたが、かなりの美品)
もはや連絡もとれない彼女への感謝にかえるしかないようです。

そこで本日は、「児童書に因む映画」を御紹介します。

◎『ユー・ガット・メール』1998年アメリカ
 You've Got Mail
ノーラ・エフロン監督
主人公キャスリーン(メグ・ライアン)は、児童書専門店のオーナーで、
絵本にかけてはエキスパートという設定でした。
(4月23日 №210で紹介済み)

◎『フォレスト・ガンプ/一期一会』1994年アメリカ
 Forrest Gump
 ロバート・ゼメキス監督
作中でヘイリー・ジョエル・オスメント君がお気に入りが、
H.A.レイ原作の『キュリオス・ジョージ』
(いわゆるおサルのジョージ)でした。

◎『クレイマー、クレイマー』1979年アメリカ
 Kramer vs. Kramer
 ロバート・ベントン監督
ダスティン・ホフマンが子供に、
エルジェ作『タンタン』のコミックを読むシーンがありました。
なお、このシーンは、川本三郎氏の映画エッセーのタイトル、
『ダスティン・ホフマンは『タンタン』を読んでいた』(キネマ旬報社)の
もととなったものです。

◎『ミセス・ダウト』1993年アメリカ
 Mrs. Doubtfire
 クリス・コロンバス監督
ロビン・ウィリアムズの末っ子を演じたマーラ・ウィルソンの
お気に入りの絵本が、何を隠そう『スチュアート・リトル』でした。

となれば…

◎『スチュアート・リトル』1999年アメリカ
ロブ・ミンコフ監督
E.B.ホワイト原作。大ヒット作ですね。
CG処理にきちんとした意味が見出せる作品だったと、
個人的には思いますが……

ロアルド・ダール原作ならば、次の2作品など。

◎『ジャイアント・ピーチ』1996年アメリカ
James and the Giant Peach
ヘンリー・セリック監督
製作に名を連ねるティム・バートンのカラーが強い映画なので、
彼の作風が好きな方には特にお勧めです。

◎『マチルダ』1996年アメリカ
Matilda
ダニー・デビート監督
天才子役のマーラ・ウィルソンが、
愛すべき天才少女を演じています。

同工異曲で何度も映画化されている作品ですと、
エーリッヒ・ケストナーの『ふたりのロッテ』なんかもありますね。
それから、同じくドイツが誇る巨人ミヒャル・エンデ原作ならば、
『モモ』『ネバーエンディング・ストーリー』などでしょうか。

もはや児童書とは言い切れない売れ方をしている
『ハリー・ポッター』のシリーズも、その映画化作品、
非常に惹かれる予告をかなり早くから見せてくれていますね。

子供向きの本というのは、概して実に丁寧に書かれていて、
不朽の名作たり得るものが多いので、
結構注目ポイントかもしれません。
(それだけに、映画化作品が妙に子供だましになってしまうものも
ないとは言えないのですが…)


2001年09月13日(木) 青春デンデケデケデケ

1954年9月13日、
作家の芦原すなおさんが生まれました。
私が最も尊敬する小説家の1人です。
氏の直木賞受賞作は、大林監督の手によって映画化されました。
原作も映画も大好きなので、ノリノリで書いてしまいそうです。

青春デンデケデケデケ
The Rocking Horsemen

1992年日本 大林宣彦監督

1960年代後半の、香川県観音寺市が舞台ですから、
それが芦原さんの青春そのものなのでしょう。
それでいて、思い入れだけに流されることも、
説教くさくなることも、やたらとじめっとすることもなく、
ほのぼのとした流れの、とても感じのいい映画です。

主人公“ちっくん”は、ベンチャーズに出会う以前は、
ヴァイオリンを習っているような少年でした。
ところが、雷(いかずち)に打たれるように、
「デンデケデケデケ~」という衝撃を受け、
すっかりロックにはまってしまい、
ギターのうまい魚屋の息子・白井、
何かと高校生離れしたお寺の息子・富士男、
ブラスバンド部での大太鼓担当を夢見ていたところを
説得して入れた岡下と、
“ロッキング・ホースメン”というバンドを結成します。

この4人が通う学校や、楽器を買うためにバイトをする様子なども
うまく取り入れられ、練習や演奏のシーンも充実していて、
飽きさせない構成になっています。

また、時々“ちっくん”が抱く妄想(というほどでもないけれど)も、
具体的に映像化されていたりして、不思議な味わいも。

わざと下手に見えるように撮ったであろうカメラワークも、
慣れるまでちょっと時間を要する(5~10分?)かもしれませんが、
それすら魅力ではあります。
高校生の自主製作映画にしては、
脚本がしっかりしているなあ…なんて錯覚をしてしまうかも。
(けなしているようにしか響かないだろうことが、本当に残念です)

キャストもさりげな~く豪華です。
ちっくん役が、林泰文。名前でピンと来なくても、
顔でお判りになるかもしれないタイプの人です。
白井が、あのアサタダこと浅野忠信でしたが、
積極的な女子に言い寄られ、「まいったな~」と苦り切る純情さで、
最近の映画やCMとは違った魅力が見られます。
あとは、大林映画の常連といいたいような役者さん、
ベンガル、岸部一徳、根岸季枝、尾美としのりet cetera、
そういえば92年といえば、
テレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』が
放送された年でもありますが、
“冬彦さん”で妙な人気が出てしまった佐野史郎も、
この映画に出ています(そんなに大きな役ではありませんでしたが)。

①字幕読むのはタルいけど、吹替えは嫌い
②たまには日本映画もいいなあと思う
③心臓に悪いアクションが出てこないのがいいなあ
④笑えるセリフが満載だけれど、さりげない映画が見たい

↑こんなときに、ぜひどうぞ。
お国言葉はきついけれど、ベースは日本語ですし、
理解できないほどではないと思います。
(少なくとも、ディープな南九州弁、北東北弁よりは…)


2001年09月12日(水) サイコ

1992年9月12日、
アメリカの俳優アンソニー・パーキンスが
亡くなりました(享年60歳)。
1本しか見ていない、
しかし余りにも衝撃が強かった彼の出演作を、
今日は取り上げたいと思います。

サイコPsycho
1960年アメリカ アルフレッド・ヒッチコック監督


少し前、ガス・ヴァン・サントがリメイクして、
随分と評判が悪かったようですが、
酷評されるのがリメイク作品の宿命みたいなところがある中、
ここまでの映画によく挑戦しようと思ったものだと、
その点は評価したい気がします。
(でも、きっと今後もリメイクの方は見ないと思いますが)

会社員マリオン(ジャネット・リー)が、
会社の金を車で持ち逃げしようとするところから、この話は始まります。
何とか警察から逃げおおせ、たどりついたモーテルは、
すらっと背の高い、感じのいい美青年ノーマン(A.パーキンス)が
経営していて、若く魅力的なマリオンに興味を示したこともあり、
親切に対応してくれました。

私はこの映画しか見ていないのですが、
この映画以前のアンソニー・パーキンスは、
ハンサムな青春スターで鳴らしていたそうですね。
この映画での役柄が、晩年までの印象を決定づけてしまうほどに
なっちゃうとは、誰が予想したでしょう。

はっきり言って、
マリオンがノーマンのモーテルに駆け込むところまで説明したら、
あとは何を書いてもネタバレになっちゃいそうで、うかつに書けません。
(有名なシャワールームのシーン、とか)
それくらい心臓に悪い展開、衝撃のラストへと突き進むのです。

といっても、12年前にビデオで見ただけの印象なので、
今見ると、「あれ、こんなだっけ?」と思うかもしれません。
ですが、実はヒッチコックが苦手(説教くさい気がして)な私にとって、
理屈抜きで怖がらせてくれたこの作品が、今でも印象深いことは
間違いありません。
この映画と『裏窓』だけは、ヒッチ先生ものでも好きです。

未見の方に、一言アドバイスを差し上げられるのならば、
「決して食事中に見てはいけません」
きっと「あのシーン」でお箸が止まっちゃいますよ。
私は血のり系にはそんなに弱くないので、
冷静に考えると、全編通して怖かったわけでもないのすが、
「あのシーン」だけはだめでした。
日本公開当時、ラスト30分は入場制限したという逸話も聞きますが、
それも納得できる「あのシーン」でした。


2001年09月11日(火) 時代屋の女房

1985年9月11日、
女優・夏目雅子が27歳の若さで他界しました。
私たち60年代生まれにとっては、
『西遊記』の三蔵法師役が何といっても印象的でしたが、
もしもまだ御存命で、女優として活躍なさっていたら、
日本映画はもっと違った方向に行っていたのでは、とさえ思います。

そんな彼女が2役をこなした映画がありました。

時代屋の女房
1983年日本 森崎東監督


原作・直木賞も受賞した村松友視の同名短編を軸に、
他の小説のエピソードをコラージュしたような作品です。

「時代屋」という名の骨董屋を営むやもめ男「安さん」のもとに、
日傘をくるくる回しながらやってくる風変わりな女性がいました。
「真弓」というその女性は、時代屋の店内を興味深げにあれこれ眺め、
気がついたら、安さんとベッドを共にし、
そのまま居ついてしまいました。

安さんは詮索好きな方ではないし、
真弓も自分のことを余り話しません。
昔風の電話を改造した録音機に、
「ちょっと出てきます。
アブサン(猫の名前)のえさ、忘れないでね」
とだけ吹き込んでたまにふらりとプチ家出をしますが、
必ず1週間以内に、また傘を回しながら帰ってきます。
(メアリー・ポピンズのパロディー? ……のわけないか)

というような安さんと真弓の日常生活を、
情緒たっぷりに描いた大人の映画でした。
何しろ私がこの映画を初めて見たのは中3のときだったので、
ナツメマサコってきれいだなあという印象しかなかったのですが、
後になって振り返ってみると、
なかなかどうして、しっとりとして印象深い、
よくできた作品だったと思います。

ところで、「安さん」を演じていたのが渡瀬恒彦、
「真弓」が夏目雅子だったのですが、
もう一役というのは、
こちらも「安さん」と行きずりの関係になる「美郷」という女性でした。
カーリーヘアで、気はいいけれど洗練されていない感じで、
夏目雅子だとは気づかないほど野暮ったい女性役ですが、
見事に演じ分けていました。

他の小説の挿話を無理やりこじつけで持ってきた感のある箇所も
ないではないのですが、許される範囲ではあると思います。
しっかり脇役になっている変わった骨董品の数々にも注目です。
(地方に買いつけにいくシーンの夏目さんがかわいい)
原作もおすすめします。

ところで、私は見ていないのですが、
『時代屋の女房2』というのもあったようですね。
正直、この映画を見た後だと、
「何の冗談だろう」と思うような企画です。
『時代屋の女房』は、あのぼんやりした余韻がいい感じなので、
多分、私がこの『2』を見る日は来ないでしょう。
(でも、存外いい作品だったらどうしよう…と、少し葛藤もあります)


2001年09月10日(月) キルトに綴る愛

1969年9月10日、俳優のジョナサン・シェックが生まれました。
トム・ハンクスの監督デビュー作『すべてをあなたに』で、
リブ・タイラーの自信満々の恋人(別れちゃうけど)を演じた人です。
でも、今日の映画はこちらですけど。


キルトに綴る愛
How to Make an American Quilt

1995年アメリカ
ジョセリン・ムーアハウス監督


最初に、余談ではありますが、
スコットランド地方の男性が履いている、
あのスカートのような“キルト”は、kiltという綴りだそうで、
こちらの映画のQuiltとは関係ないようです。

主演はウィノーナ・ライダーで、お得意の役って感じなのですが、
恋人との結婚問題で迷う20代の女性が、
論文書きの環境を確保するため、祖母の家に身を寄せて、
ちょっと浮気心が生じたり、
親戚の女性たちの過去の逸話に触れたりしながら、
だんだんと、自分にとってのベストやベターをつかんでいく、
まあそういうお話です。
「私は何があってもびくともしないわ~」風の女優がやっても
ちっとも伝わってこない役なので、
可憐な容姿の彼女にはぴったりというわけです。

彼女の(あんまり出て来ない)恋人役が、ダーモット・マルロニー、
浮気心をくすぐる二枚目君が、ジョナサン・シェックでした。
この映画が公開になった頃、
「ダーモットよりジョナサンの方がすてきじゃなかった?」
とインタビュアーに尋ねられ、
「現物はそうでもないのよ」
と、ウィノーナが、結構あけすけに答えていたのを覚えています。
かわいい顔、キレイ系だけの枠に自分をおさめることを潔しとせず、
露悪的に答えている感じが、ちょっと痛々しくすら思えたのですが、
こんな人だからこそ、「等身大」の役を演じるたびに、
共感を呼んだり反感を買ったりするのでしょうね。
可憐な(何度も使って恐縮ですが)容姿に似合わない気もしますが、
本当にリアルな女優さんだと思います。

で、この「勘弁してよ」な邦題ですが、
原題は「アメリカンキルトの作り方」とでもなるのでしょうか。
ウィノーナが結婚するときのお祝い(伝統)として、
彼女を取りまく年かさの女性たちが、
共同製作で大物のキルトをつくるのが軸になっています。
その女性たちを演じていたのは、エレン・バースティン、
アン・バンクロフト、ジーン・シモンズと豪華ですが、
若いころのエピソードでも、クレア・デインズ、
サマンサ・マシスといった
若手実力派の姿が見られます。
ウィノーナのあからさまな色気が皆無な水着姿が見られる、
貴重な作品でもあります。

男性とか、フェミニンなものが苦手な方だと、いい悪いというよりも、
ちょっと受け付けないという向きもあるかもしれませんが、
作品の質はかなり高いと思いますので、積極的にお勧めいたします。
人生って、いろいろ残酷なこともあるけれど、
そう悪くもないかな?と、ほのぼのとしたものが心に残りました。

些事ではありますが、ウィノーナの母親役がケート・キャプショー。
この人は、プライベートでもそうかもなと思うのですが、
映画の中で、「バンチャ(番茶)」を飲んだりします。
ウィノーナは、これを「まずい」と表現していますが、
私は「そら、入れ方が悪いのよ」と、
ビデオ相手に突っ込んでしまいました。
緑茶系そのものが苦手なのかもしれませんが、
非常に失礼ながら、アメリカ人で
「お茶の入れ方がうまい」人は少なそう。
コーヒーならいいですけどね。

2005年7月26日補筆
4年前、上記の文章を書いた私にとっては、
アメリカンキルトというと、
せいぜい「アントステラ」のお店にあるような
タペストリーのイメージしかなく、
興味・関心ともいえない程度の目しか向けておりませんでした。
失礼な話ですが、およそカントリー調のもの全般に、
少々こっぱずかしさを覚えていたんだと思います。

そして今現在ですが。
手芸店やヤフーオークションで
割と無目的にパッチワーク用のカットクロスやボタンを買い、
嬉々として運針作業に勤しんでおります。
何かを形づくりたいというよりも、
ただただひたすら、針と糸の作業が好きなのです。
2001年当時、まだ1歳だった次女は5歳になり、
私の趣味の一番の理解者かもしれない立場です。

そのような環境の中、キルトビーなる言葉も覚えました。
(キルトビーのビーはbeeミツバチです。
わいわいおしゃべりしながら運針する老若問わず大勢の女性の姿が
容易に想像できる、何とも愉快な表現です)

映画「キルトに綴る愛」の作中にも、
もちろんその描写がもろ出てきますし、
用語としても使われていたかもしれないのですが、
私の頭には、言葉として定着しておりませんでした。
また、どんな小さな端切れでも、素材として大切に扱うこと、
デザインのパターンはいろいろあれど、
非常に多彩で柔軟な表現方法を持った
れっきとしたアートの側面も持っているということが
何となく理解できるようになりました。

今ならば、また違った観点でこの映画を楽しめそうな気がします。


2001年09月09日(日) ハードロック・ハイジャック

1966年9月9日、コメディ俳優の
アダム・サンドラーが生まれました。
ロマンチック・コメディ『ウェディング・シンガー』の公開で、
ほんの少し日本でもメジャーになりましたが、
超二枚目ではないけれど、優しげなルックスで、歌もうまくて、
結構いいキャラクターだと思います。
彼の出演作のうち、今日はこの映画を御紹介しましょう。

ハードロック・ハイジャックAirheads
1994年アメリカ マイケル・レーマン監督


3人組のハードロック・バンドが、
何とか自分たちの曲をラジオでかけてもらおうとラジオ局に潜り込み、
結果的に占拠してしまうという、どたばたコメディーです。
それゆえ、「ハードロック・ハイジャック」という、
意味のよくわからない邦題になっていますが、
現代が“エアヘッド”(空気アタマ!)ですからね。
バンドの3人が3人とも、愛すべきバカ野郎どもですが、
中でもアダム・サンドラーは、気のいい天然ボケのドラマー役でした。
決してぱっとしたルックスではないけれど、
妙に年上の女性にもてるという設定は、
何となく説得力があります。

因みに、ボーカルが、あのブレンダン・フレイザー!
この映画ではロン毛君ですが、
はっきり言って「似合わない」タイプのロン毛です。
(同じ長髪でも、もっとクラシックなコスプレなどだったら似合いそう)
でも、ベースのスティーブ・ブシェミよりはさまになっています。
(彼のロン毛は、「みもの」と表現したいほど似合いません)

ストーリーは、前述でほぼカバーできてしまったほど単純ですが、
結構考えさせらる部分もあります。
クールなロッカーを気取っているけれど高校時代はオタクだったと、
ブレンダン扮するチャズが告白するシーンがあるのですが、
人間、多少なりともオタクっ気がないとつまらない…というのが
私の持論なので、正直そんなに重要なシーンとは思えませんでした。
でも、かなり演出にリキが入っていたところを見ると、
「彼の勇気にじーん」のシーンなのでしょうね。
(そういう意味での「考えさせられる」ですが)

ただちょっとだけラジオで曲をかけてほしかったのに、
そこまで到達するには、
数々のしがらみに打ち勝たなければならない…
だだをこねた結果が、SWATまで巻き込んで、
さあ、3人はどうなっちゃうんでしょう?

出来のいい映画とはいいがたいのですが、
キャストの魅力はお勧めです。
そういえば、80年代の青春スターだったジャド・ネルソンが、
ちょい悪役で出ていました。
レンタルビデオショップでの競争率も低そうだし、
(というか、字幕・吹替各1本でも入っていればいい方?)
アタマを使わなくて済むコメディーが見たいときにお勧めです。


2001年09月08日(土) セントラル・ステーション

さて、本日9月8日は、国際デーの1つである
“識字デー”だそうです。
1965年、イラン国王が軍事費の一部を
識字教育に回す提案したことを記念して、
ユネスコが制定したとか。
現在、世界中で、教育を受けられなかったために
読み書きができない人(15歳以上)が、ざっと10億人いるとのことです。
もちろん、我が日本にも、ごくごくごく少数ではありますが、
さまざまな理由で字の読み書きができない人がいらっしゃいます。
“理由”の大半は、非常に悲しい背景を持っていて、
こうして毎日メールの送受信ができることがどんなに幸せか、
考えずにはいられません。

で、本日はこの映画にしました。

セントラル・ステーション
Central Do Brasil

1998年フランス/ブラジル バルデス・サレス監督


余り関係ない話ですが、やはりリオ・デ・ジャネイロが舞台の
『黒いオルフェ』も、ブラジルとフランスの合作でしたっけ。
両国の映画的なつながりって、何なのでしょう。
(というか、フランスって、いろんな国の映画製作に
お金を出しているような…)

主人公は、元小学校教師で、現在はリオ中央駅で
字が書けない人などのために、
手紙の代筆を請け負っている、ドーラという老婦人です。
(フェルナンダ・モンテネグロ…好みです、私)
彼女はかなりこすっからい女性で、
もっともらしい顔で請け負いながら、
「こんなの出したってむだなのに」と思うような手紙を勝手に判断し、
切手代だけ着服して捨ておくようなことを平気でしていました。

ところで、あくまで数値としての印象ですが、
ブラジルにおける成人の識字率は、
それほど低いわけではありません。
8割~9割には達しているそうです。
言い換えれば、10~20%は字の読めない人もいるということですが。
その数字でも代筆業が成り立つという意味なのか、
読み書きができない以外の理由で頼む人もいるということなのか、
その辺は映画ではわかりませんでしたが、
映画に引き込まれてしまえば、「ま、いいか」となる程度の要素です。

話を戻しましょう。
そんなドーラが、客の女性が子供の目の前で
車に轢かれて亡くなったことをきっかけに、
その子供…ジョズエという少年を、
父親のもとまで連れて行くことになりました。
(いや、その前にいろいろあるんですが、
結構ドロドロしていますので。まあ、見て確かめてください)

いわゆるロードムービーです。
この映画が封切られた年、
北野武監督の『菊次郎の夏』も公開されましたが、
どちらかを先にごらんになると、後にごらんになった方を、
「『菊次郎…』(or『セントラル…』)に似ているなー」と思うことでしょう。
どちらが好みかは人それぞれですが、
私はこちらの『セントラル…』の方が好きです。

ドーラは利己的なごうつくばばぁに見えて、
根っからの悪人ではありません。
少年(ジョズエという役名)のピンチには危険を省みずに馳せ参じ、
なんだかんだと世話を焼く、ちゃんと人間の心を持った人です。
ジョズエはジョズエで、最初は反抗的な態度をとりながらも、
次第にドーラと心を通わせていくのですが、
その辺の繊細な描写がよかったと思います。
素朴で温かで、それでいて甘ったるくない映画が見たいとき、
候補に入れてくださいませ。

ところで、ドーラ、ジョズエって、聞いたことありませんか?
『ライフ・イズ・ビューティフル』の
母親と息子の名前と全く同じなんですよね。
ラテン系に多い名前なんだと思いますが、私は見ている最中、
これでグイド(『ライフ…』のロベルト・ベニーニの役名)って名の
成人男性が出てきたらどうしよう…と、要らぬ心配をしていました。
映画のストーリーにもテーマにも関係ありませんが、参考までに。


2001年09月06日(木) 妹の恋人

さて、今日は「妹の日」だそうです。
兄弟型研究家の畑田国男さんが提唱しているとか。
私のように、妹であり姉でもある者は、
どうしたらいいのでしょうか。

それはさておき。
妹といえば、こんな映画がありました。

妹の恋人Benny & Joon
1993年アメリカ
ジェレマイア・S・チェチック監督


精神的に障碍のあるジューンと、
彼女を気遣う余り、自分のことがお留守になってしまう兄のベニーの、
心温まるドラマです。

2人のつつましい暮らしに入り込んできたのは、
ベニーの友人のいとこ・サムという男です。
チャップリンみたいなスタイルで、
キートンのように無表情な変わり者ですが、
変わった方法で家事をこなすなどし、ジューンともうまが合って、
次第に恋が芽生えます。

サムを嫌ってはいないけれど、“普通じゃない”ジューンが心配で、
2人の仲に難色を示すベニーもまた、
B級映画への出演経験もあるという、
美人で気のいいウェートレスといいムードなのに、
多事多難ですんなりうまくいきません。
(というか、ベニーの心配性が諸悪の根源のような…)

ハートウォーミング系のドラマを表現するのによく使われる、
「悪い人が1人も出てこない」というせりふがぴったりです。
「何もそこまで」と思いつつも、
ベニーの目になって、
傷つきやすい「妹とその恋人」を見守りたくなります。

ベニー役が、『マイケル・コリンズ』『ミッション』などのエイダン・クイン、
ジューンは、80年代の青春スターから、最近は演技派で鳴らす
メーリー・スチュワート・マスタースン、
サムは役がジョニー・デップ、ウェートレス役がジュリアン・ムーアでした。
映画好きにとっては、結構豪華キャストではありませんか?


2001年09月05日(水) ブラス!

今日9月5日は、
ク(9)リーンコ(5)ールデイということで、
何かと環境への負荷が取り沙汰される
化石燃料・石炭のイメージを
クリーンなものにするために、
1992年に制定された、「石炭の日」だそうです。

石炭といえば炭坑。
炭坑といえば…我らが健さんの
『幸せの黄色いハンカチ』も考えたのですが、
昨日、家族に向かって、「ねえ、明日“石炭の日”だってさ」
と言ったところ、
相方と長女が異口同音に「じゃ、『ブラス!』だ」と答えたので、
それを採用させていただくことにしました。

ブラス!Brassed Off
1996年イギリス マーク・ハーマン監督


炭坑労働者の、閉山に伴う失業、失望、いさかい……
それでも誇りを失わず、堂々全国コンテストで演奏するブラスバンド
「グリムリー・コリアリー・バンド」(実在)の、
光と影(というか、影と光)の対比がすばらしい、
イギリスくささがたまらない映画です。

以前『リトル・ダンサー』を取り上げたときに、ちょっと触れたのですが、
この『ブラス!』の中で、労使間の話し合いのシーンがあり、
おとなしく使用者側の言い分に妥協しようとする人に向かって、
フィルという男が、「お前は10年前は何していた?」と
責め口調で言うシーンがありました。
10年前とは、ちょうど『リトル・ダンサー』の時代だったと思われます。
(2本まとめて見て、イギリス炭坑町時空旅行などいかが?)

フィルはバンドでトロンボーンを演奏しており、
バンドの指揮者であるダニー(ピート・ポスルスウェイト)の息子です。
2人そろって炭鉱夫で音楽好き。
彼らの仕事の面でも音楽仲間としても信頼し合えるメンバーの1人に、
若いアンディ(ユアン・マグレガー)がいます。
アンディは、新メンバーで美人の幼なじみ(タラ・フィッツジェラルド)と
恋仲になりますか、
実は彼女は、“使用者側”である会社の人間だったのでした。
といっても、「僕たちを騙していたのかぁ!」と彼女を罵り、
傷つけるというようなシーンはなくて、
アンディは彼女の素姓にすぐ気づいた上でつき合うので、
どんな展開になるかはお楽しみに。

コンテストに優勝しようがすまいが、閉山の決定は覆せないし、
現実的に考えれば、「だからどうした」な現実が残るだけです。
それでも、彼らの誇り高さだけは評価したい。
この映画を見て感じてしまった清々しさは、どうしても否定できません。

それにしても、タラ扮する洗練されたOLはともかくとして、
イギリスのおば…女性って、何でああも“派手な小太り系”が
多いのでしょうか。
自分たちの亭主がいるバンドに若い美人が加入したと知り、
バンドのユニフォームとおそろいの色に髪を染め、
サポーターとしてバスに乗り込むあたり、なかなか笑えました。

以前、有名人が自分の好きな映画を1本紹介するという番組で、
松尾貴史さんがこの映画を取り上げ、
「涙への前戯としての笑いは嫌い。
この映画はそういうんじゃないから好き」
とか表現していましたが、
そう言いつつ、実は松尾さん、
この映画をごらんになってぼろ泣きしたんではないかと
にらんでいます。
それも、何回見ても同じところで泣いてしまうというやつ。
実は私がそうです。
コンテストのシーンで、
もみ上げの長い男が指揮をしているシーンを見ると、
条件反射のように涙が出てきます。
こういうのって、説明不能ですよね。


2001年09月04日(火) 月夜の願い

1971年9月4日、香港の人気女優アニタ・ユンが生まれました。
ショートヘアがよく似合う、いかにもアイドル然としたルックスで、
日本でも大変人気のある人ですが、
ことしで30歳なんですね。

さて今日は、彼女が2役で登場する、次の映画を御紹介!

月夜の願い
新難兄難弟/He Ain't Heavy... He's My Father

1993年香港
ピーター・チャン/リー・チーガイ共同監督


まあ、いわゆるタイムトリップものです。
お人好しで損ばかりしている父(老けメイクのレオン・カーフェイ)と、
その父のせいで医大に行けなかったことを恨みに思い、
女医と遊ぶことでうっぷんを晴らしている青年(トニー・レオン)が、
まだ父と母(老けメイクカリーナ・ラウ)が
恋人同士(老けメイクなしの若々しい2人)の時代にトリップし、
父やその周囲の人々と交流しながら、
父の生き方を見直し、何かをつかむというような筋立てですが、
非常にコミカルで、ホロリとさせられるところも多い、
よく出来た人情コメディーでした。

アニタ・ユンの役は、現代のパートでは、
トニー・レオンの浮気に悩む恋人、
過去のパートでは、父が住むアパートの御近所さんという設定でした。
過去のパートの方が、どちらかというと重要な役どころでしたが、
いずれにしても、かわいらしくてけなげなキャラクターが、
彼女の個性に合っていたと思います。

香港映画といえばブルース・リーにジャッキーという式を
完全に過去のものにしてしまうようなおしゃれな映画が多い中、
この映画のスタンスは、何となく泥臭い感じさえしますが、
そこがまた魅力だと思うので、お勧めします。


2001年09月03日(月) ブロードウェイのダニー・ローズ

ブロードウェイのダニー・ローズ
Broadway Danny Rose

1984年アメリカ ウディ・アレン監督


地味ですが、実は私が最も好きなウディ・アレン作品です。

主人公のダニー・ローズは、何か偉業を成し遂げたわけではない、
芸人としても売れなかった、
そして、売れない芸人のエージェントばかり務めている、
そんな男です。

が、彼の愉快なエピソードをサカナに、
ブロードウェイの芸人たちは、食堂に集ってわいわいと語り合い、
「こんな話知ってるかい?」と自慢し合うのでした。
その芸人たちのヨタ話を映像化したのが、この映画です。
とっておきのエピソードが披露され、芸人たちの晩餐が終わるまで、
1時間半弱に、コンパクトに小気味よくまとめられていました。

モノクロの処理がよく似合う映画でした。
また、当時アレンと関係がうまくいっていたミア・ファローが、
いつもとはちょっと違う蓮っ葉な女性を好演していたのも
付け加えておきたいポイントです。

実は私、
「お笑い芸人を扱った映画の中に出てくるギャグはつまらない」
という偏見を、密かに持っているのですが、
この映画の中でアレンがカマすギャグは、
“くだらなくておもしろい”と思います。
80年代になってから鳴りをひそめていた感のある
ドタバタ色も濃いので、
アレン映画=小面倒くさい、というイメージが強くて手が出ない方にも、
ぜひともお勧めしたいと思います。


2001年09月02日(日) バベットの晩餐会

今日9月2日は、語呂合わせで“くじ”→「宝くじの日」です。
宝くじ(ロト等)は世界中にありますが、
今日は、北欧の小さな村で、
宝くじの賞金を手にした女性の使い方に関する、
心温まる映画を御紹介しましょう。

バベットの晩餐会Babette's Feast
1987年デンマーク ガブリエル・アクセス監督


19世紀、デンマークの海辺の町ユトランドに暮らす
信心深い姉妹のもとで、
ある事情を抱えてフランスから逃れてきた女性バベットが、
無報酬で家政婦として働くことになります。

14年後。
牧師だった父の遺志を継ぎ、
地道に宗教的な活動してきた姉妹の努力も虚しく、
信者は何となく減るし、村人は皆年をとり、小競り合いも起こりがち…

そんな中、宝くじで1万フランを当てたバベットは、
(このシーンが、ヨーロッパ映画らしい控え目な感じで好き)
牧師の生誕百年を記念したパーティーを開いて、
豪勢な料理をつくろうとしますが、
豪華な料理に使われる食材は(特に海のモノ)は、
貧しく質素な村では珍しく……グロテスクで、
素朴な姉妹は、それらが運ばれてくる様子を見て、
「美食はやはり罪悪なんだ」とヒビってしまいます。

これが封切られた当時、日本はバブル景気の入り口にあり、
また折からのグルメブームと相まって、
『バベット…』を見て、
映画に出てくるものと同じ料理を食べよう、的な
イベントが開かれたと記憶しています。
(ビンボー学生だった私は、
新聞で読んで、「ふざけろよ~」と思っただけですが)
映画とディナーで1万8,000円くらいだったかな?
今だったら、ロードショー当日券大人10回分ですね。

この映画でぜいたくなのは料理だけで、
あとはもう、全体に清貧というムードが漂っているので、
そういうイベントは、
映画に裏打ちされた精神性に反しているような気がして、
ちょっといただけないな、と、ひがみ半分で思ったのでした。


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