初日 最新 目次 MAIL HOME


りょうちんのひとりごと
りょうちん
MAIL
HOME

My追加

2003年04月28日(月)
Vol.300 「ひとりごと」について思うこと

おはようございます。りょうちんです。

おかげさまで、今日でこの「ひとりごと」も300号。いつも読んでくれているみなさんに感謝でいっぱいです。ホントにどうもありがとう。今日は300号記念ということで、俺自身がこの「ひとりごと」について思うことを書いてみようと思います。
さて、最近特にネタに困る時があるんですよ。ネタ切れで困るんじゃなくて、逆にネタが多すぎて困っちゃうんだよね。俺のまわりでは常にいろんな出来事が起こっていて、というかいろんな出来事の中に俺自身で飛びこんでいっちゃってるのかもしれないけれど、とにかく伝えたいことやコトバに残しておきたいことが山のようにあるんだ。でも、結果としてこうやって文章にしておけるのはそのうちのほんのひと握りでしかなくて。うーん、もどかしいというか、もっと自分に時間があればなぁって思ってます。
時間がある限り、なるだけ毎日「ひとりごと」を更新していきたいと考えているのね。で、そのためにパソコンの横には常にメモを置いといて、そこに「ひとりごと」で書きたい内容を軽く記録しているんだ。でもさ、書きたくても時間の都合で書けなくてそのままになっちゃうものとかもあって、結局そのうちのいくつかはお蔵入りしちゃってるんだよね。自分でももったいないと思うんだけど。
以前にも書いたんだけど、この「ひとりごと」って日記じゃないじゃん。毎日の俺の行動記録を綴ってるわけじゃないから、毎日必ず更新しようとも思ってないのね。時間がある時に、少なくとも自分のココロに「ひとりごと」を書くだけのゆとりがある時に、コツコツと地道に書いていきたいと思っているんだ。そうすれば、いつか自分で読み返した時にきっと教えられることもたくさんあるんじゃないかなと思ってね。まぁ俺もこんなふうに文章を書くことが大好きだから、当分は今のペースでスタンスも変えないままこの「ひとりごと」も続けていくんだろうなぁ。
そういうわけで、これからも「りょうちんのひとりごと」をよろしくお願いしますです!



2003年04月24日(木)
Vol.299 インフォームド・コンセント

おはようございます。りょうちんです。

入院している母に1日中付き添っていると、看護婦さんやら担当の先生が頻繁に病室を訪れてくれる。そのたびに、「この点滴はなんですか?」とか「検査の結果はどうでしたか?」とか、わからないことをいろいろと質問してみる。すると看護婦さんも先生も、笑顔で快く答えてくれる。
インフォームド・コンセント。数年前からよく耳にするようになったコトバだ。医師が患者に対して、受ける治療内容の方法や危険性、その後の予想や費用などについてわかりやすく説明し、その上で治療の同意を得ること。つまり、専門的なことは全部医師に任せて、患者の治療はただ施されるままという考え方ではなく、わからないことはすべて説明を受けて、納得してから治療を始めるというものである。
幸い母は意識もはっきりしているし、自分の意志もちゃんと持っている。今回の治療に関しても、母の望むように進めていくつもりだ。だからどんなに細かいことでもわからなければ質問するし、この先母が痛かったり辛かったりして治療を拒むこともあるかもしれないのだ。自分の病気のことなのだから、それは当然なんだと俺は思う。
母はこう言った。「不治の病だろうがなんだろうが、すべて隠さず教えてね。もしも余命を宣告されたら、それも教えて欲しい。もう覚悟はできているから。」と。もちろん母は不治の病でも余命を宣告されたわけでもないので、そんなことを言い出す母に思わず笑ってしまったが、仮に俺が母の立場でも同じことを考えるだろう。自分のことなのに、何も知らずに死んでいくのなんて絶対にイヤだ。
で、ついでに母に、「もしも葬式をするとしたら、何か要望はある?」と聞いてみた。こんなこと、入院している病人に聞くなんて間違っているかもしれないが、でも絶対に大切なこと。母は一瞬驚いていたけれど、俺の勧めでさっそく自分の葬儀をプロデュースをはじめたようだ。大丈夫。あなたはまだまだ死にませんよ。



2003年04月23日(水)
Vol.298 男兄弟

おはようございます。りょうちんです。

両親はずっと女の子が欲しかったんだそうだ。しかし生まれてきた子供は、そろいもそろって男の子。長男の俺を筆頭に、4人の男兄弟の中で俺らは育てられた。ちょっとした兄弟ゲンカをすることは昔からしょっちゅうだったが、今でも結構仲の良い兄弟でいる。弟たちはそれぞれ今年、27歳、24歳、19歳になる。俺が31になったばかりなので、こんなふうに適度に歳が離れているのがいいのかもしれない。
しかし俺らがまだちびっこだった頃は、両親は相当大変だったに違いない。ただでさえやんちゃで食べ盛りの子供が、4人もいる。食事は常に大量に作らなければならなかったし、泥んこになった洗濯物もあっという間にたまってしまったと、いつも母は言っていた。きっとあの頃の両親は、俺らのためだけに働いていたのだろう。そんなこと、当時は全然考えもしなかったけれど。
母の入院を機に、久しぶりに兄弟全員が集まった。4人全員が顔を合わせたのはいつ以来だろう。俺らはいろんなことを話し合った。母のこれからのこと、病気のこと、父のこと、店のこと、家のこと…etc。考えることが多すぎて、すべての答えは出せなかったけれど。それでもわかったこと、「俺らはまだまだやっていける」。
ちびっこだったあの頃はケンカして泣かせちゃったこともあるのに、そんな弟たちからの前向きなコトバが、すごく俺を勇気づけてくれた。いつの間に、弟たちはこんなにたくましくなっていたんだろう。そうだ。家が火災に見舞われた時も、俺らはがんばってやってこれたんだ。へこんでばかりはいられない。
弟たちがいて、ホントに俺は救われた。きっと俺がひとりっ子だったら、もうとっくに負けていたかもしれない。今まで世話ばかりをかけてきた両親に、今度は俺ら兄弟がいろいろとしてあげる番だ。だから、俺も父も弟たちも、そして母も。もっともっと、がんばらなくっちゃ!



2003年04月21日(月)
Vol.297 母の病気

おはようございます。りょうちんです。

仕事に行こうと準備をしていると、急にケータイが鳴った。電話に出ると、父。母が突然カラダの不調を訴えて、病院に来ているという。俺はあわてて車に乗り、病院へ向かう高速道路を飛ばした。
病院に着くと、父は急患受付の待合室の椅子に座っていた。母は、まだ検査中だという。母を待つ間、父から母の病状や看護婦さんが言っていたことなどを聞いた。今、俺にできること。例えば自分の仕事のスケジュールを調整することや、弟や叔母に連絡することなど、自分にできることはすべてした。それでも母は、まだ帰ってこなかった。ただ待つだけの時間が、闇雲に長く感じた。
やがて、応急処置と検査の済んだ母が出てきて、緊急病棟の病室へと移された。ただでさえ小柄できゃしゃなカラダの母が、ベッドに小さく横たわっていた。細い腕に繋がれた点滴が、とても痛々しく見えた。すぐに担当の先生がいらして、母と俺ら家族の前で、病状とこれからのことについて話をしていただく。母は、おそらくもう、仕事復帰をすることができないだろうということを告知された。ショックだった。一生懸命平常心を装っていたように見えたけれど、母本人がいちばんショックだったと思う。
当分の間、余儀なく入院生活をせざるをえないため、母のいなくなった我が家がこれからどうなるのか、そのことばかり母は気にしていた。ごはんは誰が作るのかとか、父だけで店はやっていけるのかとか。そんなこと、今はまだ考えなくていいのに。今は自分の病気のことだけを考えればいいのに。
明日また、俺は病院に行ってくる。俺が行ったところで、母の病気は良くなるわけじゃないけれど。今は、ずっと母のそばについていてあげたいんだ。



2003年04月17日(木)
Vol.296 米の自動販売機

おはようございます。りょうちんです。

自動販売機って便利だよね。ジュースやお酒やたばこなど、至るところで見かけるしさ。珍しいものだと、たまごや生花の自動販売機なんかも見たことがあるしね。実はうちの近所にも、米の自動販売機があるのね。ずっと前から気にはなっていたんだ。それまで俺は、米はスーパーやディスカウントストアで買ったりしてたんだけど、前回は思い切ってその米の自動販売機で購入しようと決めたのね。
さてその自動販売機を見てみると、ひとくちに米と言えどもいろいろと売っててさ。新潟産のこしひかりやら山形産のどまんなかやら、もち米なんかも売っていて。で、いろいろと考えた末、値段もそこそこだしやっぱり千葉県民ということで、俺は千葉産の米10kgを購入することしたのね。
ところがさ、さっそくお金を投入していざボタンをプッシュって時に、俺は手が止まったの。この米、どういうふうに出てくるんだろう? 俺のひざの位置に引き出し状の取り出し口があって、そこから米が出てくるのはわかるんだけど。10kg入りの米1袋がごろんと出てくればいいんだけど、もしかしたら何の包装もされていない米の粒々が、米びつから出てくるようにそのまましゃ〜って出てきちゃったらどうしよう? いくら近い距離とはいえ、10kgもの米を何に入れて持って帰ろう?
なんて躊躇したまま、俺は5秒ほど動けなかったのね。でももしもそうなったら、それもそれでおもしろいなんて思ってさ。思い切ってボタンをプッシュしてみたら…。ごろん。ちゃんとビニール袋に包装された10kg入りの米が、取り出し口から出てきたよ。なにげに、ほっと胸をなでおろしてみたりしてさ。無事に米を買って、おいしいご飯を食べることができたわけ。
その時に買った米が、そろそろ底をつきそうだからさ。近いうちにまた新しい米を買おうと思っているんだけど。またその自動販売機に行ってみようかなぁ。



2003年04月16日(水)
Vol.295 俺はまだまだ元気です

おはようございます。りょうちんです。

店に行ったらパートのおばさまたちが、「りょうちん、カラダは大丈夫だったの?」と聞いてきた。どうやら先日俺が、病院で健康診断の2次検査を受けることになったということをちょこっと話しちゃったのを聞きつけて、それがあっという間にウワサになったらしい。おばさまたちのウワサ話は、もしかしたら光の速さより速いのかもしれない。
俺が店を不在にしていた昨日、いくつものウワサが飛び交ったそうだ。「最近りょうちん、疲れてたみたい」だとか、「顔色悪かったよね?」だとか。疲れているのは確かだが、俺がいないのをいいことに言いたい放題だったらしい。心配してくれて、みんなどうもありがとう。
で、その2次検査の結果は、「異常なし」。前回引っかかってしまった中性脂肪の値も、正常値に戻っているということで。なんか、前日に食べたものが結構数値に出てきちゃうんだそうだ。思い返したら検査前日、俺はうなぎを食べたっけ。たぶんそれが数値に表れちゃったんだろうと、病院の先生は言っていた。あの日はどろどろだった血も、普通にさらさらに戻ったようだ。
実は2次検査の結果が出るまでのこの3週間、ちょっとだけ不安だった。でももうこれで大丈夫。安心して毎日を過ごせる。もしかしたら甘いものも控えないといけないのかとも思っていたけれど、そんなことは必要ない。大好きなプリンも、たらふく食べてやる。
ちょっとだけパートのおばさまたちには心配をかけちゃったけど、「なんでもなかったですよ!」と検査の結果をご報告。俺はまだまだ元気ですぜ!



2003年04月15日(火)
Vol.294 ナツメロ

おはようございます。りょうちんです。

ちびっこだった頃は、実家の店ではずっとラジオが流れていたのね。だからそこから流れてくる歌謡曲も、自然に耳に入ってきたりしてたみたい。すこし年上のいとこは俺の前でよくアイドルの歌をフリ付きで歌ってたし、ベストテンとかの歌番組なんかも毎週かかさずに夢中で見ていたっけ。だから、いわゆるナツメロにはちょっとだけ詳しいつもりでいたんだ。
先日、久しぶりにカラオケに行こうと誘われたのね。ご一緒させていただいたのが俺よりも年上の方ばかりだったから、必然的にナツメロばかりセレクトされるようになったんだけど。俺もまだまだだなって思ったさ。みなさん、ナツメロにとても詳しくて。一生懸命俺が沖田浩之や伊藤つかさを歌ったところで、「所詮80年代だもんね、最近じゃん!」なんて言われちゃうし。てか、俺にはそれがいっぱいいっぱいですって。サビはなんとか覚えてても、フルコーラスは歌えないものとかたくさんあったしね。
俺的にはやっぱり80年代後半あたりに流行ってた曲に、思い入れがあったりしちゃうんだよね。ちょうど俺が中学生から高校生のあたりかな。貸しレコード屋さんでLP盤を借りてきて、部屋でこそこそカセットテープに録音したり編集したりしてたもん。今でも懐かしい思い出だけどさ。
でも、時代は流れていくものだからさ。今流行っている宇多田ヒカルや浜崎あゆみなんかも、そのうちナツメロになっていっちゃうんだろうなぁ。



2003年04月14日(月)
Vol.293 熱い男

おはようございます。りょうちんです。

先週末、ヒッチハイクをした時にお世話になったNさんと久しぶりに会う約束をした。本当ならば年明けに会おうと言っていたのだけれど、お互い仕事が忙しくて気がつけば春になっていた。去年の11月以来、5ヶ月ぶりの再会。Nさんは、予定よりもすこし遅れてしまった俺を、あいにくの雨の中でも笑顔で待っていてくれた。
Nさんは、とても魅力的な人だ。何と言うか、熱い男なのである。俺も負けないくらい積極的で前向きなのだが、俺には持っていないものもたくさん持っている。例えば、将来のビジョン。5年後、10年後の自分の目標が明確にあって、それに向かって綿密に計画を練っている。今、Nさんが辛く過酷な仕事をしているのも、将来のための準備期間なんだそうで、今はまだじっと耐える時なんだそうだ。
おそらく近い未来のうちにNさんはきっと動き出すのだろうが、その夢の理想をいろいろと俺に聞かせてくれた。そしてその夢が実現できるよう、俺にも手を貸して欲しいと言ってくれた。俺はとてもうれしく思った。できることならば、喜んでNさんに協力してあげたい。はたして俺に、そんな大役が務まるだろうか。
それにしても、Nさんの野望は情熱にあふれている。夢を語っているNさんの目はいきいきしているし、そのために日々努力を惜しまない生き方は本当にすばらしいと思う。気がつけば1日をのほほんと過ごしてしまう俺だったりするので、そんなNさんの話はとても刺激的だった。
気がつくと、終電の時間が迫っていた。夢を語っていたら、時間なんてあっという間に過ぎてしまった。何時間も話したのに、まだまだお互い話し足りなかった。近いうちにまた会う約束をして別れたけれど、その時までに俺ももうちょっと熱い男になっていたいと思った。



2003年04月13日(日)
Vol.292 祖母

おはようございます。りょうちんです。

母の実家が家のすぐそばにあったため、ちびっこだった俺はしょっちゅう母の実家に遊びに行っていた。母方の祖母はそんな俺をいつも歓迎してくれて、わがままな俺のおもりをいつも買って出てくれていた。
祖母は、とても几帳面な人だった。部屋だけじゃなく玄関も庭も家中すべてがいつもきれいに整理されてた。いちばん印象に残っているのは、まだ俺が小学校に上がる前の頃のこと。祖母は俺にみかんの皮をむいてくれた。おなかがへっている俺は早く食べたいと急かしたのだが、几帳面な祖母はみかんの房の薄皮まで丁寧にひとつひとつきれいにむいて手渡してくれた。今でもいいかげんな俺には到底できっこないことだと、あの時祖母をすごいと思った。
俺が高校を卒業する頃から、祖母は持病の糖尿病を悪くさせて入退院を繰り返すようになった。祖母の作ってくれるきゅうりの古漬けが大好きだった俺のために、祖母は体調の良い時を見計らって大量の古漬けを漬け込んでおいてくれた。きゅうりの古漬けを食べるたび、祖母の様態を気にせずにはいられなかった。
大学3年の夏、ひどく暑くてなかなか寝付けなかったあの夜。さよならは突然にやってきた。病院から祖母の様態が非常に悪いと連絡を受け、あわてて車に乗りこんだ。しかし、遅かった。病院に着くと叔母が待っていて、祖母が亡くなったことを聞かされた。涙が止まらなかった。静まり返った真夜中の病院に、泣き声だけが悲しく響き渡った。
葬儀の時、棺の中の祖母はとてもかわいい顔をしていた。まるで子供のようなその顔は穏やかに微笑んでいて、気丈な祖母しか知らない俺にはすこしだけ別人に見えた。出棺の時も、俺はさよならは言わなかった。さよならの代わりに「またね!」と言った。だって、会いたくなればココロの中で祖母にはいつでも会えるのだから。そして実際に、こうやって時々祖母のことを思い出して会っているのだから。大好きだったきゅうりの古漬けは、もう2度と食べられないけれど。



2003年04月10日(木)
Vol.291 病院の待合室

おはようございます。りょうちんです。

先月末の話なんだけど。病院に行ったのね。いや、病気だったわけじゃなくて、この前受けた健康診断の2次検査のために行ったんだ。俺、病院って大嫌いじゃん。だから診察のために病院に行くって、何年ぶりだろうってくらい久しぶりだったんだけど。まぁ、その病院の待合室での出来事。
俺が思うにさ、マナーの悪い人っていっぱいいるわけ。病院だってのにケータイメールをピコピコやってる兄ちゃんとか、突然けたたましいケータイの着信音を鳴らすおばちゃんとか、ちょうど春休み中だったから待合室を走り回るちびっことか。でもさ、待合室に置いてあるTVがセンバツを流してくれてたからさ、俺もそっちに夢中でそれくらいは気にしないでいれたのね。
ところがさ、そんなセンバツさえも忘れるくらいすごい人が現れたの。そのおじいちゃん、突然大声で看護婦さんに怒鳴り出したのね。何をそんなに怒ってるのか、嫌でも耳に入ってきちゃったんだけど。どうやら診察の予約をしていたのに、時間になっても自分の名前が呼ばれなかったらしくて。「俺はメシも食わずに待ってるんだぞ!」とか、大騒ぎしててさ。若い看護婦さんに怒鳴り散らしてるわけ。あげくの果てには、待合室の長椅子にごろりと寝転んでふて寝をしだす始末。
ここは病院でしょ? カラダの調子が悪い人がたくさんいるところでしょ? いくら自分も具合が悪くたって、そんなわがままはけして許されないでしょう? おじいちゃん、それだけ大声出せるくらい元気なら、あなたはここに来る必要ないんじゃないの? そう思いつつ、俺はその後どうなるのか、ちょっとどきどきしながら行く末を見ていたの。
で、この話のオチね。さんざん迷惑をかけたこのおじいちゃんの話を聞いてた看護婦さんが、「○○さん、予約は今日じゃなくて昨日だったんですよね…」。おいおいおじいちゃん、あんたが全部悪いんじゃん! あー、こんなおじいちゃんには絶対になりたくないよ。それにしても、看護婦さんも楽じゃないよねー。