トリの罵詈雑言
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2002年08月20日(火) |
13NJの期間中やってたこと |
日にちがづれているのでおわかりになるかと思いますが、 13NJ中の日記を書くのがイヤになっちゃいました!(爆) だから、断片的にやってたことをまとめてみることにしました。 その方が俺も楽だ。(笑)
□1日目(オフレコ?)
海外スカウトを11:00に1SCに引き取りに行く。 設営が終わるか、終わらないかの忙しい時に。 まぁ暇な副長が引き取りに行ったから良かった。 ウチが引き受けたのは香港スカウト2名。 「13歳のデブちゃん」と「12歳のちっこい方」という 呼称だった。
□2日目
スカウトを送り出した後、JHQの友人に会いにいく。 JHQがまた1SCから遠い。 ジリジリとTシャツから覗く腕や首筋が焼かれていく。 わかるんですよね、そういうの。 JHQに寄って、久方ぶりに大阪と石川の友人に会う。 会ったついでに広報の新聞のほったて小屋に行く。 某KOローバースの隊長に会って、挨拶をする。 ついでに某KOのスカウトで、例の団体の人に会う。 どうして、俺はあの人たちがカラムと喧嘩ごしになってしまうのか わかりません。その辺が俺の悪いところですね。 この2日目までで、ジャンボリー会場のほとんどを歩く。
5日に女子スカウトの一人が帰ることになっている。 「だから、隊交歓をしてあげたいから、 どっかの隊と交渉してこい」 と隊長から無責任なことを言われる。 同じ1SCには新宿地区と八王子地区・品川地区と 東京の隊があった。全部の隊に知ってる人が いたが、仲のいい人がいたのは 新宿と八王子の隊。 時間的にもちょうどよかったのは 八王子の隊。 副長補同士が窓口になって 何とも微妙な隊交歓をする。 まぁ即席で企画した割りには楽しかったです。
□3日目・4日目
ぼーっと過ごす。 この時期からスカウトの親が サイトへ来るようになる。 まったく不思議で仕方がない。 そんなに子供のことが心配なら 大阪になんかよこすな、と言いたい。
□4日目
まだありました。 中野・世田谷ナイトに群馬3隊が参加した。 東京17隊の皆さんにはほとんど現地で交渉することになりましたが とてもよくして下さいました。 体力的に問題のある女子スカウトには 少しつらそうだったが、楽しめたよう。 シャワーの時間もあって女子スカウトを先に帰した。
八王子地区の時とは違ったカタチの隊交歓がしたかったので、 世田谷地区でもよく知っているKくんのいた東京18隊の皆さんに 交渉をして、取り急ぎ隊交歓をしていただいた。 ウチのスカウトにとってはいい思い出になったのではないかと思う。 時間的に俺の判断で15分で打ち切る。 いい雰囲気になってきたところで打ち切ったのは とても心苦しかったが、18隊のスカウトの皆さんも 疲れていただろうし、何よりウチのスカウトが参っていたので 打ち切ってしまった。 サイトに帰ってから感想を聞くと、 『楽しかったです!。色々交換できましたよー』と 何人ものスカウトが言ってくれた。 俺がひとっぱしりしただけで スカウトに思い出を残せた、というのは 自分としてはとてもスゴイことをやったのかもしれない、 と今になって思う。 自分よがりの意見かもしれないが。
□5日目(午前)
副長と交渉した結果、俺がUSJにいけることになった。 この日USJに行ったのは4班。 男ばかりの班だったが、女の子2人・香港スカウト2名が 加わり、計9名の班員と指導者として俺が行った。 指導者としての理想としては、俺はどっかで コーヒーでも飲んでた方がよかったかもしれないが、 俺はスカウトたちについて行った。 なんでかって言うと、『ウチのスカウトは、 あまりにも香港スカウトと交流を持たなすぎる!』 しかもどう交流をはかったらいいのかを スカウト自身がわかってない。 俺が助け舟を出してやらないと 交流を図ることができない、というのは大変悲しかった。
□5日目(8月7日)→午後
閉会式の前に、スカウトに荷物をまとめさせた。 海外スカウトが自分たちの隊で何かする、と言っていたので 許可をした。 21:00にSHQの国際班にスカウトを返すので、 20:30にはサイトへ戻るように言ったのに 22:00頃帰ってきました。 モチロン俺がキレたのは言うまでもありません。 脳天をかち割る代わりに、強引に責め立て、さっさと荷物をまとめさせて 返しました。
さて、閉会式について少し書かなければならないでしょう。 閉会式の集合は18:00。 閉会式自体が始まったのが19:30。 21:00に終わるか不安でした。 閉会宣言をして、ジャンボリーファイヤーが消えたのが20:30。 ここまでで俺はそれ以降のプログラムは必要ないと 判断した。 なんでか、ってゆーと、 ①つまんない ②だらだらしてると、出口のところで誰かが迷子になる可能性が高い。 だから、ジャンボリーファイヤーが消えた時点で ジャンボリーは終わったのだから、撤営をした方がいいと判断した。
そのことをスカウトや隊付・上班に話すと 簡単に話をわかってくれたし、 「サイトに帰りましょう!」なんて言うスカウトもいた。
ということで、閉会式に参加していた隊のうち ウチの群馬3隊が日本一早く会場をあとにして 撤営にかかった。 サイトについたのは20:50。 隊長たちが(早く戻ってきたことに)驚いていた。 会場の出口にいた人には 『トイレに行くんですか??』と聞かれた、と上班から後で聞いた。 まさかサイトに帰るとは思わなかったのだろう。(笑)
撤営もすごかった。 21:00から始めて、 閉会式の花火があがった21:40前後にはほとんどのテントが たたまっていた。 花火があがった瞬間、「ほれ、花火だ!見ろ」と隊長が。 『花火なんか見てる場合じゃねぇ!。さっさと動け!』と 俺の怒声が同時に響いた。 『鳥島さんには参りました!』と隊長が笑っていたのは言うまでもない。(笑) 海外スカウトに提供していたテントもたたまなければあとが面倒なので、 二人の荷物をテントから(勝手に)出し、たたませた。 それ以降何があったかは上述の通りである。
食堂フライの下の石ころを片付けさせ、ブルシを引いて寝る準備が できたのは22:30のことである。
我ながら怒鳴りながら指示を出しまくったが、 まさか1時間半経たないうちに撤営から寝る準備ができてしまうとは 思わなかった。
他の隊が撤営をしているなか、我々群馬3隊は 23:00に就寝。 我ながら『やりすぎたかなぁ~』と思った。
□最終日(8月8日)
4:00頃から周りがうるさくなっていた。 目の前のサイトが神戸・隣のサイトは芦屋の 隊だった。隣は静かにやってるのだが、 目の前のサイトはカンカンカンカンうるさかった。 とりあえずリーダーは皆ベッドで寝ていたから、 目の前には星が広がっていて、いい眺めだった。
8:00にSHQの野営管理から点検を受けることになっていて、 朝礼の支度をしていたら、7:40に 野営管理の方が来た。 抜き打ちだと思った。「テロだ」と思った。
9:30にバスに乗り込み、10:00には 岸和田の温泉に着く。 ここで不報が届く。 例の名神高速の事故に巻き込まれ、前橋・高崎地区のバスが 立ち往生していたラシイ。 そこで、桐生地区のバスのうちの4隊の方のバスが 荷物を降ろし、温泉までのピストン輸送を行った。 まぁご苦労なことである。 その合流のおかげで2時間のロス。
桐生に着いたのは9日の0:30。 家に着いて風呂に入って寝たのは1:30。 11:00まで寝てたらさすがに親父に怒られました。
□日連にもの申す
○海外スカウトについて
以前にも海外スカウトを派遣隊に入れたようだが、 そのときも不評だったと聞いています。 どーして前例があるのに今回海外スカウトを 派遣隊に組み込んだのかを理解に苦しみます。 海外交流は大事だが、その海外スカウトに ある程度のモラルと意識がなければ、 いくら派遣隊のスタッフが努力しても、 海外スカウトがその努力を踏みにじってくれたら 世話ない、というのは言うまでもないでしょう。
最後に、隊長会議でこんな発言があったそうです。 『香港連盟は最低のスカウトを派遣してきた』 日連の関係者の方がこのサイトを見てるかどうかわかりませんが、 一意見として受け止めておく必要はあるのではないか、と思います。
○配給について
毎日オレンジを山のように配給する。 キャベツ・レタス・バーガー用のパンの量が多い。 最終日の朝食・昼食の菓子パン
すべて量が多く、他の隊でも問題になっていた点です。 足らなくなるよりはいいかもしれないが、 さすがに限度以上のものを配給されたら、 さすがの派遣隊のリーダーとしても『捨て』ざるを得ません。 あれは考えた方がよい。
○1SCについて
自分が1SCだったから、ということもあるのが事実だが、 1SCは何をやるにも遠すぎる。 特に群馬4隊などがいたあたりは 酷すぎる。 スタジアムまで約20分というのは、 4SCや7SCと同じか、それ以上に遠いはず。 1SCのよかったところは ①浜風が涼しい。 ②蚊があまりでない
この2つしかなかった。 とにかく、あそこは酷かった。 もう少しましなところを 用意してほしかった。
○氷について
1SCでは3日目あたりから配給されることになったが、 氷を買いにいくのに マーケットまで行かなければならなかったのは、さすがの リーダーでも行きたくなくなってしまう。 氷は最初から配給制にすべきだったのではないか。
とまぁ今日はこんなところで。
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