.第7話:「やさしいキスをして」 ④ (Side:Honnami)

忘れられない女(ひと)が、いる。
彼女と初めて会った10年前の、あの日から。





 ひとつのベッドの中、隣で誰かが眠っているという感覚に、なんとも言えない安心感を感じてしまう。
 ふたり仕様のベッドにひとりで眠ることの空しさには、もう慣れた筈なのに。

 「彼女」を求めつづけて、この手に抱きたくて。
 俺の中でいつしか生まれていたこの歪んだ思いを、今日ついにぶつけてしまった。
 小さく寝息を立てて眠る彼女が愛しくて、できることならもうどこにも行かせずに俺だけのものにしたい、そんな気持ちで、身長の割には華奢な彼女の身体を抱きしめる。
 乱れた長い髪、伝わってくる彼女のぬくもり、その白い肌に俺が刻み付けた紅く残る痕。
 ずっと欲しかったものを手に入れた。そんな嬉しさに、このまま朝が来なければいいのに、とそんなことを考えていた。


 俺たちが出会ったのは、彼女が14歳のときだった。
 頭脳明晰、学校の成績も抜群に良いのになぜか英語の成績だけが伸びない彼女と、教師志望の貧乏学生で、少しでも割りのいいバイトを探していた俺。
それに目をつけた彼女の父親・俺にとっては恩師でもある牧島教授の提案で、俺が彼女の家庭教師を務めることになった。

 幼い頃から病弱で母親がつきっきりだったせいか、どことなく甘やかされて育ったという雰囲気の姉に比べて、
彼女はこの年齢の割にはしっかりした、といえば聞こえはいいが、随分冷めた、正直「かわいげのない」女の子だった。
 大きな瞳でじっと一点を見つめているその表情は、何を考えているのかわからないとさえ感じるくらいだった。

 でも彼女と接するうちに、彼女の冷静すぎる態度は、隠しようのない孤独や寂しさに裏打ちされたものだと気づくことになる。
 まだ14~5歳なのに、親にも甘えたい年頃だろうに、その親は姉のほうばかりかまうから、
彼女は必死で親の手を煩わせないように、と振舞ってきたのだとわかった。

 繊細で、思わず守ってあげたくなるような姉。
 傷ついた心を隠して、何とか自分の足で立とうとしているしっかり者の妹。

 彼女の姉と俺はそのころすでに付き合っていたが、正直どっちが姉なのかわからなくなるくらい、
この姉妹は性格から好みから考え方から何もかもが正反対だった。

 彼女の家庭教師業は彼女が見事首席で志望校に合格し、俺も教師としてその学校に赴任したと同時に終わったのだが、
「自分の彼女の妹」ということで、彼女の存在はずっと気にかけていた。

 それから約1年後、俺は結婚を決意した。
 それと同時に彼女から俺への思いを打ち明けられる。

 でも、そのとき俺は彼女のことを「妹」としか思えなかった。
だからその気持ちを正直に伝えた。
彼女を傷つけたかもしれない、でも俺にとっては実の家族のように彼女が大切で。
 俺の妻となった彼女の姉も、自分が病弱な分、妹にはさびしい思いをさせた、だからできる限りのことはしてあげたい、と言っていた。
 だから、彼女が高校卒業後に海外留学を決め、家を出て行ったときは本当にさびしかった。
俺は彼女の担任だったし、そういう立場でなかったにしても兄として、彼女から何の相談もなかったことに。
ただ、それだけだと思っていた。
自分の手元から巣立っていく妹に対する寂しさ、それは決して恋情がらみではないと。

 2年間の留学終了後、彼女はそのまま東京の大学へ編入しその大学を卒業、
その後は英会話講師や通訳を派遣する会社に入社し、そのまま東京暮らしとなってしまった。

 彼女が帰省するのは年に1~2度。
 めったに会えない分、彼女が帰ってくると聞くとうきうきしたし、
年を重ねるごとに、女らしく、美しくその輝きを増す彼女がまぶしく思えた。

 そんな妹を見て、妻はこういったものだ
「あの子の強さがうらやましい」、と。
 強さ、だと?
 彼女の強さはもともとの気性もあるが、彼女は幼少時に感じていた孤独に打ち勝つために作り上げたものなのに。
その原因になったのは、間違いなく姉である俺の妻本人なのに。
 妹を見るたびに妹がうらやましいだの何だのと言う妻に、俺はなんともいえない違和感や反発心のようなものを抱えるようになった。

 そして、いつの間にか俺の中で「彼女」の存在は大きくなっていった。
 俺が愛していたのは、妻である姉の「瑶子」。間違いなくそうだったはずなのに。
 いつの間にその気持ちがその妹の「瞳子」へ傾いてしまったのだろう…。


 妻・瑶子に対する気持ちが「愛情」なのか、あるいはそうでないのか、俺の中で判別がつかなくなり始めた頃、妻との別れが、突然訪れた。

 もともと心臓や呼吸器系が弱かった瑶子。
 人より身体が弱い分、風邪などをこじらせてしまうと、それが命取りになることがある。俺も、彼女の両親もそれだけは特に気を使って彼女と暮らしていた、それなのに。
 あれほど気をつけていたのに最悪の事態が起こってしまった。

 夏風邪をこじらせ肺炎を起こした妻。
 それに喘息の発作、そういうものが重なり、3年前の夏彼女は突然この世からいなくなった。
 家族も、夫である俺も、彼女が倒れたことにしばらく気づかず、やっと病院に運ばれたときには手遅れで。

 妻を一人で苦しませてしまった。俺が助けられずにあの世へ逝かせてしまった。
 そして何よりも、その頃には瑶子がいながら妹である瞳子への思いを募らせていた俺にとって、
瑶子は気づいていなかっただろうが、彼女を裏切ってしまっていた、そんな自責の念にかられてしまった。

 姉が死んでからの瞳子はますます実家に近寄らなくなり、
彼女と会うのは瑶子の命日のときだけ、と言う状態になってしまった。
 俺は姉妹の代わりに、彼女たちの両親と妻の死後も変わらずに親子のように付き合ってきた。

 瑶子にすまないと思いつつも、日々増していく瞳子への思い。
 どう消化すべきか、その方法も探せないまま、瑶子の3回目の命日がきて、それにあわせて帰郷した瞳子と1年ぶりに再会した。

 法要が終わり、牧島の両親、瞳子、俺の4人で在りし日の瑶子を偲んだり、
瞳子の近況報告を聞いたりしているうちに、義父がこんなことを切り出した。

「いつまでも瑶子に、牧島の家に縛り付けられなくてもいいんだよ。
君には君の人生がある。君はまだ30そこそこ…いくらでもやり直しはきく。
もしも、君に瑶子以上の相手が現れたら瑶子や私たちのことは何も考えなくていい。
瑶子の変わりに…いや、瑶子以上にその人を幸せにしてあげなさい」

 義父は勘違いしている。俺が瑶子のことを引きずって牧島家に縛られていると。
 もちろんそういう気持ちもあるけれど、俺が牧島家と関わりを切りたくないのは、瞳子とのつながりが切れるのが怖いから。
 いくらなんでも、姉が生きていた頃から妹のことが好きだったんです、なんて言ったらさすがに許されないだろう。
 第一、彼女は8年前のあの日に俺のことを好きだと言ってくれたが、俺はその気持ちを突っぱねた。
 彼女がそれから後も俺のことを思ってくれているなんて厚かましいことは、さすがに考えられない。


 瞳子が欲しい。
 彼女を俺のものにしたい。
 俺の中で日々歪んでいく願望を、現実にするチャンスは意外と早く訪れた。

 法事の翌日、瞳子が高校時代の仲間たち(=俺の教え子)と飲みに出かけていた先で彼女と会えた。
 教え子たちと飲んでいるうちに、俺もついつい飲みすぎたようで瞳子が家まで送ってくれることになった。
かいがいしく俺の世話を焼く瞳子。
俺はそれをありがたく感じるうちに、いつしかうとうとしていたようだ。
それを見て安心したのか、帰り支度を始めた彼女。

そのとき、俺の中で声にならない声が聞こえた
「彼女を抱くなら、今しかない」と。

うとうとしていたが、意識ははっきりしていた。
やがて瞳子が俺に近づいてきて、帰宅の意思を告げる。
俺はとっさに彼女の腕をつかみ、抱き寄せた。
瞳子は、さほど抵抗することなく俺の歪んだ欲望を受け入れてくれた。

 後はただひたすら夢中で彼女を抱いた。
 今までこらえていた感情を吐き出すように
 むさぼるように彼女を求めた。

 俺のしたことは卑怯かもしれない。
 でも、ずっと抱いていた欲望を彼女にぶつけるにはこういう形しかなかったのかもしれない。
 俺は彼女にとって「兄」であり、
彼女の意思がどうあれ、今回のことは俺たちの間に引かれていた「聖域」や「一線」を踏みにじり、超えさせることになってしまったのだから。

                        (⑤へ続く)

2004年10月31日(日)


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