お嬢の日記
DiaryINDEX|past|will
私が見つけたラッキー♪
自分で決めて歩く道も。 いくら考えても。 正しいかなんて誰にも。 わからなくて。 チャンスがあるなら。 怖がらないで。 飛び込んで。 掴みに行かなくちゃ。 明日からお世話になる。 淡いピンクの建物。
世の中には。 いろいろな人が居て。 この齢になって改めて。 感じる日々。 だから私も。 その人達の一員で。 あってもいいよね。 それがきっと。 自然なのだから。
この世で出会える。 強くて美しくて哀愁の。 ほんの一握りの。 怖くて安らぎたくて。 きっと心のどこかで。 望んだ時間・・。
なんとなくの予感。 折り返しかける前に。 深呼吸をして。 答えを出せるといいな。
考えや状況も。 その時々で。 いろいろなものを。 見たり聞いたり行動したり。 そしてその都度。 変わっていくものだと。 そうやって過ぎる時間は。 どんなことも。 無駄な時間でなくて。 学びの時間だと。 感じるこの頃。
もっともっと。 強くなりたい。 だけどもっと自然体に。 生きてるって。 気を感じながら。 これからもこんな私の。 周りに居てくれる人の。 感謝の力を借りて。 今日も明日もずっと。 そうでありたい。
人に頼ったり甘えたり。 冷たくて硬い身体に。 遠くてわからなく。 忘れかけていた。 力強くて優しい。 温くて心地良い。 ここから。 離れたくないと。 思えたのだから。 まだきっと大丈夫・・。
「楽しみにしててくれる人が居るから」 頑張って綴りを続けるのも。 どこか似ていて。 彼女の結末と自分を。 照らし合せる。 もうそんな季節。
彼女達が。 新しい世界で。 頑張る時間の。 私の今日の。 課題を終えて。 カンパイの時間と。 少し遠慮気味に。 カラオケで発見する。 楽しかった個性。 そして都会の深夜の。 電車に移る姿・・。
親友のアドバイスと。 自分の意思を元に。 その時々変わっていく。 これから歩いていく。 たとえ身を結ばなくても。 いろいろなものを。 見たり聞いたり感じたり。 そしてその中から。 導かれるところに。 学びがあるのだと。 信じたいな。
楽しみにしていた。 毎週の時間。 皆と一体になれた。 平日の夜。 あれから。 少しの間でも。 いい時間は時が経っても。 きっと忘れない。 何かが終わっても。 また見つけていけば。 ここに居られるね。
まだ薄暗く灰色がかった。 オレンジ色の空。 澄んで冷たい空気に。 光を放ち始める。 夕暮れの空。
胸を張って堂々と。 また今までみたいに。 今までよりもっと。 たくさんの再会と。 新しい環境と。 出会いを。 今は。 探して歩けば。 いいのだと思う。
きっと好きに使える。 たくさんの時間。 同じ時間を過ごすのなら。 もう少し有意義に。 過ごしたいのだけれど。 邪念が邪魔して。 何も出来ない。 多くの時間。 そろそろ出来るなら。 早く表へ出たいな・・。
葛藤が薄らいで。 私がわたしで。 居てもいいのだと。 個性なのだと。 自分を受け入れられる。 その時が本当の。 治癒なのかもしれない。
158センチ46キロ。 殆ど違和感なく。 食べれるようになって4年。 次のステップは。 身体作りの為の。 食事なのかな。
摂食障害の皆さんへ。
36キロから62キロで。 過ごした12年間。 かろうじて残っていた。 書き綴っていた。 あの頃の新聞。 今ここに。 ネットの海に流して。 これからも一緒に。 成長して行きましょうね。 食べても吐いても。 大丈夫。 症状はきっと治るから・・。
『病気の考え方』
NABAの皆さん、こんにちは。半年に一回NABAに手紙を書かせてもらっている○○と申します(笑)。このネームは、ファンの○○ちゃんから頂いたものです。(関係ないですね・・・でも○○ちゃんのファンって多いよね・・・)。私は症状は相変わらずで、でも一日中はまっている状態からは脱出できたかも。バイトもはや、4ヶ月目になって早いなぁって思う今日この頃です。
「一日中はまっている」状態が一年くらい続いて、もう、症状も毎日欠かさず続いているので(9年目やし)いい加減若くないんやし、もう身体がついていかへんのかもしれへん。本当に身体がしんどくてしんどくて、過食・嘔吐とバイト、それ以外は寝てばかりいて(眠っているわけではなくて)、凄く辛い。うつの方もひどくて、苦しくてしかたがないです。
私はもともとあまり、自分が病気になったのは、摂食障害でよく言われているACとか、親子カプセルとか、そういったものはあまり自分にあてはまらいなぁって思うし、親とか家族のせいだとは思ったことはありません。だけどここまで酷くなる前に、初期の段階で精神科とか病院につれていってほしかったとは思います。病院に行ったのは自分からやし・・・。
こんなん言ったらNABAの皆に反感かうかもしれへんけれど、私も兵庫も○○さんと同じ考えで、病気のことをなんでもかんでも親のせいにするのはどうかなって思う。(これは私個人の意見やから、考え方とかも人によるから、どれが正しいとか間違っているとか言えないと思うけれど)。親だって人間だし、完璧じゃないし、子供の考えていること全てがわかるわけじゃないし、どんな家庭でも、イロイロ悩みや問題を抱えていると思うから、親とかのせいばっかりにしていたら、みんな摂食障害になってしまうやんって思ってしまいます(うまく表現出来ないんだけれど・・・)。
どんな家庭環境でもなる人はなるやろうし、ならへん人はならへんって思う。ダイエットした人がみんな、摂食障害になっているわけちゃうと思うし・・・って当たり前か・・・。もともと病気になりやすい性格ってあると思う。病気が苦しいからきっと何かのせいにしないとやりどころがないっていうか、行き場がないんやろうなぁ・・・って思います。原因っていろんな要素がからみあってのことなんやろうなぁって思う。その人の性格、ダイエットブームの世の中、飽食の時代、もちろん家庭環境とか、いろいろ重なり合って摂食障害になってしまうんじゃないかな・・・って私、個人そう思っています。
話は変わってしまいますが、症状を持ちつつ結婚していたり、きちんと仕事(定職についているということ)をしていたり、家事や育児が出来たり、人と会話が出来たり、普通の人と変わらない生活を送っている人って凄く偉いとおもうし、羨ましいです。私も自殺未遂を繰り返すなんてバカなマネをしないで、甘えないで頑張っていれば高校を卒業した会社で5年勤めた)症状をもちつつも仕事だけは頑張れたのにな・・・って凄く後悔です。もう26にもなるのに、症状は(うつも含めて)OLしていた時よりひどいし、何をやっても続かなくて、一日短時間のバイトしか出来ないなんて・・・。
どんどん齢をとっていって、月日が過ぎていって、何の取り柄もな私なんてもうまともに(正社員とかで)雇ってくれるところんなんてないだろうし(すごい不況でよけい)、今は親が生きてるから養ってもらっているけれど(本当に情けないんだけれど)、私の両親はすごく身体が弱くてそんなに長生きするとは思えないし、もし親が死んだら・・・私は症状とかまだまだそのまんまやろうし、そんなことばっかり考えている毎日でたまらなくなってしまいます。
仮に摂食障害が治ったとしても「幸せ」になれるなんて思っていない。けれど、やっぱり症状はなくなってほしい。前に書いたかもしれないけれど、「食べ吐き」はただの症状にすぎないって事に気がついたのはつい最近のこと。食べて吐くことは治ったとしても(身体は凄く楽になると思うけれど)、自分の中での「生きづらさ」とか、漠然とした不安とか(これはいったいどこからくるのかよくわからへんねんけど・・・)は変わらないっていうか、残るやろうなぁ・・・って。こういう所が「病気」なんやな・・・って思い知らされる。「過食・嘔吐」だけでも普通じゃないけれど、それ以外でも普通じゃないなぁって。
皆さんはそういう風に思うことってないですか?症状がなくなったら元の病気になる前の自分に戻れるって思いますか?なんだか、何を言いたいのかわけがわからなくなってきました。又書ける状態だったらお便りします。それでは皆さん、お元気で・・・。PS.師匠、今月号の「漢文?」めっちゃ訳すの苦労したでぇ!「よっぽどヒマなんやね」って言われると思ってた(苦笑)ほんで、解答おおきに!NABAの皆さん、読まれましたか?(笑) 1999・7・15 大阪・○○№2370
数ある本の中から。 私のおススメの本です。
著者 小野瀬 健人 発行社 主婦と生活者 タイトル 「食べない心」と「吐く心
ここを始めたばかりの頃。 まだまだ症状に。 悩まされていたあの頃。 ここを。 同じ悩みを抱えて。 見ててくれる人が。 居るかもしれない。 症状と言う意味では。 殆ど完治に近い今。 出版とかは。 出来ないけれど。 12年間の月日を。 費やして。 闘った時間を。 少し勇気を出して。 告白しようと思います。
近頃聞かれることの多い。 長所と短所。 世間一般的に。 答えた後。 考えてみる。 短所はたくさんあるのに。 どこが長所なのか。 人を羨んだり妬んだり。 することなく。 生きていられる。 ことなのだろうか。
人を愛する。 能力に長けること。 もしくは。 仕事という意味で。 社会に貢献すること。 どちらかの能力に。 恵まれていれば。 それでいいのだと思う。 そしていつも自分に。 問いかける。 永遠の問い・・。
口紅を引くと。 すぐに捲れてしまう唇。 すぐに切れてしまう。 細い髪。 そして弱い。 成長しない分身。 冷たい手に蘇る。 温もりと。 つかの間の子守唄。
いくつもの。 扉を開いて。 道に迷ったら。 そうやねっていつも。 共有してくれる。 揺るぎなくどこまでも。 手にしたいと。 思うのなら。 掴みに行かなくちゃね。
きっといっぱいあるね。 こうしたい。 ああだったらいいな。 こうしてみたいな。 変わってないようで。 少しずつ。 それに近づきたいから。 わからなくても。 前よりもっと自然体で。 進みたいなって。 きっと迎える。 明日の朝。
早く表へ。 出たい思いと。 やっぱりまだ怖い思いが。 交差をして。 どうしようもない。 そんな気持ちを。 そっと。 包み込むように。 遠くから。 今までに増して近い。 深夜の会話。
深夜に送った。 メッセージ。 どんな時もニコニコと。 気さくででも。 厳しさを兼ね揃えた。 でも温かかくて。 きっと忙しくて。 大変なのに。 離れても。 行く末を心配して下さる。 心遣い・・。
私の中の。 小さなちいさな視野。 少しだけ。 勇気を出して。 踏み出せるといいのに。
わからないのなら。 扉を開いてみることから。 始めるでも。 いいんじゃないって。 本来は生きることに。 貪欲なだけが。 私の。 取り柄なのかもしれない。
今年欲しいと。 思うものの一つ。 出向いた先でのついでに。 ロングブーツを探しに。 だけど見つからなくて。 まるでトゥシューズの。 ような優しい生地の。 赤い靴でなくて。 私の足にピタリとはまる。 黒いリボンの。 とても可愛い。 靴を頂きました。
気が付くと。 もうこんな季節。 この時期になると。 そろそろ。 館内から流れてくる。 毎年恒例の。 メロディと共に。 「サンタさんからのおてがみ♪」 そして今年は。 フロントで。 手にした手紙。
夜行バスに乗って。 新しい人生の出発を。 夢みたいと語れる。 強い決断と信念が。 不安よりも。 未来を信じて。 そんな彼女は。 誰よりも強く美しく。 よりいっそう。 輝きを増すのだろう。
|