Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2005年07月31日(日) カウントダウン



「 私の業績のうちでもっとも輝かしいことは、妻を説得して

  私との結婚に合意させたことである 」

                  ウインストン・チャーチル ( イギリスの首相 )

My most brilliant achievement was my ability to be able to persuade
my wife to marry me.

                           WINSTON CHURCHILL



いやー困った、困った。

このところ、どうにもこうにも困っているのである。


困っているのは、「 彼女と結婚をしない理由 」 が何も見当たらないという点であり、このままいくと早々に決着しそうな勢いである。

結婚にかぎらず物事は、とかく 「 気持ちの高揚が絶頂の時期に決断すると失敗しやすい 」 ような気もするし、もうちょっと慎重に構えたい。

しかしながら、あらゆる角度から失敗や後悔に結びつきそうな不安要素を検証しようとしても見当たらず、そこが今までと違うところだ。

それに、そのような論理的観点ではなく、他の誰でもない自分自身が彼女と一緒に生活することを望んでいるし、心変わりする危険も少ないだろう。

二人ならきっと上手くいくし、万が一、なにかの障害にぶつかったとしても、乗り越えていけるような気がする。


かなりの数の女性と交際してきたが、彼女の 「 どこが 」 他の女性と違うのかと尋ねられても、なかなか明確に答えることは難しい。

しかし、特に 「 気持ちの結びつき 」 と言う点において、今までとは違う感覚があって、そのあたりがお互いを特別な存在に位置付けている。

もちろん、不満な部分が無いわけでもない。

外見でいうと、身長が高すぎ ( 過去に交際した女性の中では最長 )、少し痩せすぎ、胸はやや大きすぎ、逆にお尻は小さすぎなど、いろいろある。

だけど、そんな部分も愛しく思えるのが恋に落ちている証拠で、従来の自分の好みなどかすんで、価値観そのものが彼女に合わせて変化している。


振り返って考えると、今までは女性と付き合う際に、どこかで逃げ道として 「 別れる理由 」 を探していたような気がする。

口先では 「 ずっと一緒にいよう 」 と囁いても、実際には 「 適当なところで理由をつけて切り上げよう 」 としていたのかもしれない。

ひどい男だと思われるかもしれないが、慎重だったのか、臆病だったのか、あるいは 「 現在の彼女に出遭うため 」 だったのか、そうして生きてきた。

とにかく、そんなわけで理想の女性に出会えたようである。

仕事の忙しさが一段落する頃を見計らって、そろそろ将来に向けての計画を立てる必要があるだろう。


彼女は関東出身の女性で、できれば戻りたいと考えている。

実は、私のほうも現在の仕事を後継者に任せて、首都圏にオフィスを移して働くことを検討していたので、そのあたりの目論見も一致する。

場合によっては、一緒に東京へ行って暮らす可能性もあるだろう。

そして将来的には海外で暮らすことを視野に入れているが、彼女は英語がまったく苦手なので、いささかその時期は延ばす必要があるかもしれない。

そういった具体的な話も進んでおり、「 幸せすぎて日記も書けない 」 時期が続いているので、今後も更新が遅れ気味になる予定である。






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2005年07月25日(月) 運命共同体に望む資質



「 成功は、天賦の才によるのではない。

  一貫して常識を持ち続けることによって、手に入れるものだ 」

                 アン・ワング ( ワング・ラボラトリーズ創設者 )

Success is more a function of consistent commonsense that it is of genius.

                                    AN WANG



ワング研究所からは、優れたクリエイターも数多く輩出されている。

アメリカで成功した中国人の一人として、その名は歴史に記されている。


人間が 「 少し先の未来 」 を危惧して不安を抱くのは、精神的な面で気弱になっているときか、あるいは現状にとても満足しているときだ。

生意気に聞こえるかもしれないが、健康面、経済面、その他諸々の自分を取り巻く環境や境遇に関して、現在、私はとても満足している。

とはいっても、蓄財は目標に達していないし、やりたいことをすべて達成したわけでも、将来が安泰なわけでもない。

ただ、「 自分を不幸せだと思う事柄 」 と 「 幸せだと感じる事柄 」 を比較した際には、圧倒的に後者の数が多いのだ。

だから、他人からみればけして幸せだとも、成功しているとも思われないかもしれないのだが、自分ではとにかく 「 現状に満足している 」 のである。


そんなわけで、ネガティブという感覚とも少し違うのだが、せっかく築き上げてきたものや、手に入れたものを失うのが怖くなってきた。

もしそこに、やっぱりネガティブな感覚が存在するのだとすれば、「 この年で失って、再び手に入れるのはしんどい 」 という気持ちだろう。

若い頃なら、「 どうせ最初から持っていたモノでもないし、失ったら再び手に入れたらいいさ 」 などと、あまり気にしなかったはずである。

それが今になって、アホな銀行や、あるいはアホな政府が 「 自分の財産を紙屑にしたらどうしよう 」 などと、余計な心配をしたりもする。

あるいは、それ以上に 「 自分が耄碌 ( モウロク ) して、順調に昇ってきた階段を転げ落ちたらどうしよう 」 という心配を、最近ではすることも多い。


成功するかしないかは、本当に単純な仕組みだと思っている。

当たり前のことを当たり前にやって、過去の先達による 「 教訓 」 に従って生きれば、よほどの不可抗力に妨害されないかぎり、大抵は成功する。

何をもって 「 成功 」 と判断するかも難しいところだが、最低限度、自分の歩んできた人生を幸せと思えるかどうかが、一つの基準になるだろう。

いまが幸せでないという人は、どこかでルールに従わなかったか、あるいは自分が幸せであるという事実に、ご自分が気付いていないのではないか。

たとえば、自分が持っているモノの豊かさよりも、つねに持っていないモノを数え上げてしまう性質の人は、「 幸せ 」 よりも 「 不幸 」 を見つけやすい。


他人のことまで気にする余裕もないが、WEB日記というものを読んでいると、その作者が 「 幸せ 」 なのか 「 不幸 」 なのか、大体わかるものだ。

それは、「 書いてある内容が事実かどうか 」 とは、あまり関係がない。

作者の物事に関する捉え方や、表現方法の節度、己の人生に対する姿勢などからみて、大方の察しはつくというものだ。

毎夜、見ず知らずの人々が発信するWEB日記を眺めながら、「 おっ、最近は元気そうだな 」 とか、「 彼は相変わらずだなぁ・・・ 」 とか感じている。

そういった見方 ( 作者の精神状態を推察する ) をするのも、WEB日記の楽しみ方の一つで、なかなかに面白いものである。


自分と運命を共にする人は、「 成功した人 」、「 幸せな人 」 であって欲しいと願うわけで、きっと、そのほうが上手くいく気がする。

彼女に尋ねると、「 ええ、あなたと居て幸せよ♪ 」 なんて言ってくれるのだが、こちらが聞きたいのはそんな話ではない。

同じ緊張感を 「 善玉ストレス 」 として処理してきたか、「 悪玉ストレス 」 として溜め込んできたのか、そういうところが知りたいのである。

あるいは、人生の分岐点をどのようなスタンスで臨んできたのか、価値観は、常識は、そういう部分が気になるところだ。

時間をかけて探るしかないのだが、どうしても 「 恋 」 をしていると判断力が鈍りがちで、今ひとつよくわからないのである。






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2005年07月24日(日) 老後の不安



「 晩年に感じる幸せは、人生のすべての時期に感じる幸せと同じく

  選択の問題です。

  つまり、自分で選ぶことです 」

                             ハロルド・アジン ( 作家 )

Happiness in the older years of life, like happiness in every years of life,
is a matter of choice - your choice for yourself.

                                HAROLD AZINE



たしかにその通りだが、「 正しい選択 」 を続けられるとはかぎらない。

特に高齢者の場合は、判断能力が鈍くなることも多い。


最近、全国で 「 認知症被害 」 というものが急増している。

認知症というのは、単なる物忘れといった自然な老化現象ではなく、明らかに病気と認定される 「 痴呆症 」 のことである。

そのような判断能力が不十分な老人を相手に、高額商品を売りつけたり、住宅リフォームなどの契約を結ぶ悪質な業者が後を絶たない。

なかには、一人の消費者に次から次へと複数契約をさせる 「 次々販売 」 と呼ばれる詐欺まがいな手口も多く、被害は深刻化している。

もちろん騙す側が悪いのだけれど、身を守る術は心得ていたほうがよい。


悪質業者ばかりでなく、大阪の大手百貨店でも 「 高級着物など計約640万円相当を売りつけられた 」 とし、認知症の女性から訴訟が起きている。

訴状によると、この女性 ( 80歳 ) は1986年から同百貨店外商部の顧客で、2001年までは年間20万円程度の取引を続けていた。

しかし2003年、女性が 「 中度の認知症 」 と診断された前後から高額の買い物が多くなり、気づいた親族の調査から事実が判明した。

女性側は、「 外商部員は認知症の症状に気づいていながら、必要のない高額な買い物をさせていた 」 とし、契約の無効を訴え、返金を求めている。

百貨店側は、「 契約当時、女性の判断能力は正常で、女性が好みの商品を選んで買っただけの単純な売買取引 」 だとして反論している。


どちらの言い分が正しいのかはともかく、このような報道に接するたびに、「 年はとりたくない 」 ものだと思う。

長生きはよいことだが、それはあくまでも 「 健康的で 」、「 楽しく 」 といった付帯条件が揃っての話ではないだろうか。

充実した人生の終盤で、惨めな思いをしたり、犯罪の被害に遭うなどという憂き目にあうようでは、あまりにも悲しすぎる。

そのような状況に陥らないためにも、ボケないための努力と、いざというときに自分を支えてくれる人物の確保が望ましい。

ずっと一人でいようと思っていたが、そんなことも考え始めている。






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2005年07月17日(日) 試合のルールは、負けてから否定してはいけない



「 自分がやり遂げられないことを引き受けてはなりません。

  約束は注意深く守りなさい 」

              ジョージ・ワシントン ( アメリカ合衆国初代大統領 )

Undertake not what you cannot perform but be careful to keep your promise.

                          GEORGE WASHINGTON



いくら頑張っても収入が増えないようでは、なかなか仕事に傾注しにくい。

ほとんど多くの人は、ご自分の活躍に見合った報酬を期待している。


単に、「 生活に必要な金額だから 」 という基準だけでなく、人並み以上の成果を挙げたという自負のある方の多くは、それなりの報酬に期待する。

それは、「 業績を挙げた自分に対する、会社側の評価 」 がどの程度なのか、明確に数量化される瞬間でもあり、働く人が気にするのも当然の話だ。

職種によっても異なるが、仕事の報酬が 「 やっても、やらなくても同じ 」 という状態と、「 貢献者には還元する 」 状態では、全体の士気が違ってくる。

だから、特に営業職などを中心として、「 実力主義、成果主義 」 という名目で人事考課を行い、能力給、報奨金などの制度を導入する企業も多い。

過去の、誰しもが 「 公平 」 という考えから、各々の成果に応じて分配する 「 公正 」 という考え方に、報酬のシステムが変わってきたのである。


富士火災海上保険の男性社員( 52歳 )は、営業成績で増減する成果主義的給与制度の結果、6月の手取り額が 「 約2万2千円 」 になったらしい。

この社員の6月度給与は額面 11万5千円 で、所得税、社会保険料などが控除された結果、実際の支給額がそのようになったという。

男性は、「 これでは家族を養えない 」 と、生存権を定めた憲法に違反するなどとして、東京地裁に 3-5月の平均給与支払い等の仮処分を求めた。

たしかに、それでは家族どころか、自分一人が生活するのも厳しいだろう。

そういえば先日、友人の一人に聞いた話では、飼い犬が贅沢で安物の肉は食べないから、そのエサ代だけで 「 月に 3万円 かかる 」 と言っていた。


いくらなんでも 「 2万2千円 」 というのは、可愛そうな気もする。

ただ、だからといって、この社員が主張している 「 生存権 」 という権利を、会社機構側が個人から剥奪したとも認め難い。

関西の笑いの殿堂 「 吉本興行 」 には、月収どころか 「 年収3万円以下 」なんて芸人も、ごろごろ居てまったく珍しくもない。

当然、それだけで生活できるはずもないから、彼らはアルバイトに精を出したり、先輩芸人に弟子入りしたり、実家の援助を受けたりしている。

スターになれば巨万の富も夢ではないが、大部分は夢半ばにして挫折し、別の生き方を目指すことになる。


吉本の芸人さんと保険会社の社員さんを同列に比較できないという意見もあるだろうが、こと 「 生存権 」 に関しては、まったく平等のはずである。

どちらの命が重いとか、軽いとか言う人もいないだろう。

またいづれも、「 うちの会社は成果主義なので、結果によってはこのような低い金額になることがあり得る 」 という説明を、事前に受けていたはずだ。

会社が身柄を拘束したのならともかく、「 収入の安定している別の仕事 」 に転職する選択肢も、彼らには与えられているはずである。

そこで、「 その給与システムで働き続ける 」 という覚悟をした以上、いくら所得が低くても雇用契約は有効で、「 生存権 」 に抵触するとも思えない。


逆に、驚くほど業績を伸ばした社員がいて、会社が破綻するほどの月収を得たとしても、会社が 「 存続権 」 を盾に、支払わないわけにはいかない。

一度、契約を結んだ以上、正当な理由のないかぎり変更は許されない。

この 「 月収2万2千円 」 という事情は、「 結果によっては予測がついた 」 だけに、正当な理由とみなすのは難しいような気がする。

つまり、給与システムに関する事前説明があったのなら、本人は給料日を待たずとも、「 あぁ、この調子なら2万円だな 」 と気づいていたはずだ。

給料明細をみて愕然としたという話は事実でなく、事前に、転職するなり、別の収入源を開拓する時間 ( 機会 ) はあったとみるのが自然だろう。


申し立てをした社員さんばかりを責めるような書き方になったが、問題点はこの社員さんが 「 契約を不服とせず、同意した 」 というところである。

それが、「 成績がよければ大金が入る 」 という狙いだったのか、「 給与は下がるだろうけど、辞めたくない 」 という理由だったのかは知らない。

世間では 「 フルコミッション ( 完全歩合制 ) 」 という賃金形態も珍しくなく、そのような契約下では 「 最低賃金 」 が支払われる保証もない。

お気の毒には思うけれど、もし彼が、「 成果が挙がり莫大な報酬を得た 」 ときには、この制度に対して不満の一つでもこぼしただろうか。

つまり、「 不満があるなら、契約の更改時に争うべき 」 であって、悪い結果が出たからといって制度を問題視するのは、少しおかしいと思う。


個人的な見解だが、よい国家の定義は 「 人一倍努力した人間が報われるけれど、誰もがある程度、まんべんなく幸福を享受できる 」 のが理想的だ。

だから、「 誰もに最低限の生活保障が与えられた上で、過剰分を貢献度に応じて成果配分する 」 というのが、ベストのようにも思う。

事実、国全体が 「 成果主義のみ 」 という偏った仕組みは、弱者救済や、福祉といった問題が疎かになり、それでは文明国といえない。

ただし、各企業、各職場においては、「 安定した給料 」 とか 「 一攫千金 」 といった様々な賃金形態や、成果報酬制度があってもいいはずだ。

ここで、「 いや、最低○○万円は保証しなさい 」 なんて判例が出たら、成果主義制度自体の存続が難しくなるわけで、経済システムに矛盾が生じる。


とにかく、「 試合に負けたから、ルールに文句をつける 」 のはおかしい。

今回、富士火災海上保険では 「 営業成績で増減する 」 成果主義的給与システムだったのだから、「 減 」 の人もいれば 「 増 」 の人もいただろう。

ここであくまでも、生活保障を理由として 「 平均値 」 みたいなことを要求するのであれば、不足分は会社からではなく、「 増 」 の人から奪うしかない。

会社は、「 減 」 の人に支払わなかった分の報酬を、制度上 「 増 」 の人に支払ったのだから、当然、そういうことになるだろう。

厳しい現実を前に、まことにお気の毒な話ではあるのだけれど、ちょっと 「 この訴え 」 は理不尽に思うし、個人の責任による部分が大きいと思う。






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2005年07月14日(木) カウンセラー的な相談の受け方



「 自分より立場の弱い人への接し方に、人の偉大さは現れる 」

             トーマス・カーライル ( イギリスの歴史学者、文筆家 )

A great man shows his greatness by the way he treats little men.

                              THOMAS CARLYLE



直訳では 「 身分の低い人 」 となるが、「 立場の弱い人 」 に置き換えた。

ビクトリア時代イギリスの作者なので、「 身分 」 表現が用いられている。


前回に続いて、「 相談 」 についての話。

人の話を聞くときには、たとえば取材のように 「 こちらから先に声を掛けて聞き出す 」 場合と、先方から 「 聞いて欲しい 」 と言ってくる場合がある。

誰かの 「 相談を受ける 」 というのは、まさしく後者のケースにあたる。

この場合、とくに気をつけたいのは、つい自分の立場を 「 話したいのなら、聞いてやるよ 」 という上位に置いてしまうことである。

たしかに話し手は、相手を聞き手として選んでいるのだが、だからといって必ずしも、相手を上の立場に置いて、お伺いを立てているとはかぎらない。


それが仕事上の報告であれば、相手を上長と認めて話すケースもあるが、個人的な悩み、不平不満、愚痴などの場合は、けしてそうではない。

話し手側は、相手を上長としてではなく、「 あなただったら、私と同じ立場に立って理解しようとしてくれるだろう 」 と、どこかで期待しているのである。

それを勘違いして、「 相談された自分のほうが、話し手よりエライ 」 とか、「 知識、経験が豊富だ 」 とか、「 人間的に優れている 」 と思う人もいる。

そういう 「 思い込み 」 が強いと、どうしても必然的に、聞く態度も 「 上から見下したような姿勢 」 になってしまう。

まして、相手が年下だったり、職位が自分より下だったりすると、間違いを正すなり、アドバイスするなり、何か 「 してあげたく 」 なってしまいがちだ。


ところが、相手がハッキリと 「 教えてくれ 」、「 アドバイスしてくれ 」 と言ってくる場合を除いて、助言や忠告は 「 大きなお世話 」 になることが多い。

問題解決の助力をしようとする心構えは立派だが、そこに重点を置き過ぎると、相手の 「 話したい 」、「 聞いて欲しい 」 という欲求を遮りかねない。

途中で話の腰を折ったり、話し終わらないうちに結論を与えたり、聞き手側の信じる 「 常識 」 に話を誘導したりすると、話し手側にストレスが残る。

相手と同じ目線に立ち、何の助言も邪魔もしないで、言いたいだけ話させることによって、はじめて相手は 「 開放感 」 を得られるというケースが多い。

カウンセラーやコンサルタントなどの 「 話を聴く専門家 」 が、一般的な学校の先生や、企業の管理職と違うのは、まさにそういう部分でもある。


テレビのワイドショーなどで、顔を伏せた素人の悩み事相談に、芸能人やら各界の著名人がコメントを出し合うコーナーがある。

そこでは、コメンテーターが様々な意見を出し、あるいは核心に迫る質問を浴びせて相談者を追い込んだり、主張を否定したりもする。

場合によっては、司会者までもが相談者に詰め寄り、言語道断とばかりに主張を退けたり、ときには説教していることもある。

番組的には、それぞれのタレントが一つのテーマに対してどのような個性的なコメントをするかが焦点で、視聴者の多くもそれを楽しみにしている。

相談者の悩みが解消するかどうかは二の次で、相談者のほうがタレントや司会者から叱られて、まともに話を聞いてもらえていないケースも多い。


そういった番組が 「 悩み相談 」 として当たり前のように放送されていることも、多くの人々を 「 聞き下手、相談され下手 」 にしている。

相談事というものは、「 良い解決策 」、「 良い答 」 を示すことが、必ずしも相談者の満足度を得るとはかぎらないのである。

むしろ、「 間違ったことを言っているなぁ 」 と感じても、相手の感情を否定せず、黙って受け止めてやるほうがいい場合もあるのだ。

ネット上では、「 不倫日記 」 を書き綴っている人の掲示板に 「 良識派 」 が正論を書いて一悶着するのも、こんな状況に似ている。

ただし、この場合は 「 公序良俗に反する行為を堂々と公開する 」 といった別の倫理的な問題に抵触するので、不倫側に分が悪いとは思うが。


現代人の多くは、何らかの悩みを持っていて、誰かに相談したい、心行くまで話を聞いてもらいたいという欲求を抱えている。

ところが、人の話を聞くのが上手だったり、聞く姿勢が出来ているという人は、とても少ないのが現実である。

カウンセラーという職業の人間は、けして世間の万事に通じているわけでも、特別に人生経験が豊富だったり、人格的に優れているわけでもない。

ただし、「 聞く技術 」、「 聞く姿勢 」 については、特別な訓練を受けており、少なくとも 「 気持ちよく話させる術 」 は心得ている。

そして解決策は、「 与える 」 とか 「 導く 」 のではなく、「 気づかせる 」 のが、最善の方法であることを知っている。






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2005年07月11日(月) 相談されやすい人と、されにくい人の違い



「 人に好かれるのは、人を好きになることの裏返しにすぎない 」

                          ノーマン・V・ピール ( 聖職者 )

Getting people to like you is merely the other side of liking them.

                             NORMAN.V.PEALE



たえず頻繁に、部下や知人から相談事を持ちかけられやすい人がいる。

いささか面倒ではあるが、それなりに 「 人望がある 」 と考えてよいだろう。


一般的に、相談しやすい人のタイプには、以下のような特徴がある。

親しい人、利害が対立しない人、秘密を守ってもらえる人、自分のことをよく理解している人、弱みを見せられる人、黙って聞いてくれる人・・・など

反対に、相談しにくいタイプの人には、以下のような特徴がある。

怖い人、すぐ怒る人、世間の常識に凝り固まっている人、硬すぎる人、過剰に反応して心配する人、結論を決め付ける人、すぐ馬鹿にする人・・・など

また、いつでも話を聞いてくれそうな人は相談されやすく、いつも忙しそうにしていて近寄り難いような人は、相談されにくいという傾向もある。


だからといって、「 自分は忙しく働いているから、誰も相談に来ないんだな 」 などと、管理職が 「 自分には人望がない 」 ことに気づかないのは問題だ。

よほどの暇人でなければ、誰にでも忙しい時期があり、それでも人望のある上司なら、たえず部下から悩み事や相談を持ちかけられている。

場合によっては、上司が相談に来たり、同僚や、取引先や、馴染みの店の店主やら、スナックのママ、ホステスさんからも、相談を受けたりする。

カウンセラーと違って企業の管理職というものは、相談を受けること以外にも多くの使命があるけれど、「 誰からも相談されない 」 ようでは少し困る。

とりたてて 「 人格者 」 になる必要はないが、自分の能力を 「 他人にまで良い影響を及ぼす 」 ことに使えないというのは、ずいぶん淋しい話だ。


悩みのある人間というものは大抵、我侭なもので、相手の都合ではなくて、「 自分が相談したいとき 」 に話を聞いてくれるかどうかを問題にする。

既婚の男性に多いのは、疲れているときや、忙しいときに妻子から、学校や家庭の話題を切り出され、ちゃんと対応しないというケースだ。

本人は、「 家族のために働いているのだから、疲れているときぐらい察してくれよ 」 という気持ちでいるのだろうが、妻子には別の感情がある。

妻や子供にとっては 「 声をかけたときこそ、話したいとき 」 だったわけで、その気持ちを 「 門前払いされた 」 という “ しこり ” が残ってしまう。

しかも、よくないことに 「 いま疲れているから、あとで 」 とか、「 忙しいから、あとで 」 と断った 「 あとで 」 を、すっかり忘れてしまう人も多い。


これが繰り返し起きると、妻子の心の中にある 「 聞いてくれる人リスト 」 の中から、しだいに名前を削除されてしまうのである。

基本的に、一家の主として頼りにされているはずの家族でさえも、この調子なのだから、仕事上の人間関係となれば、もっと面倒な話になる。

たとえば、大事な会議に参加する直前になって、普段は口の重い部下が、「 ○○さん、ちょっといいですか 」 と相談に来たとする。

用件を尋ねると、さほど急ぎの問題でもなさそうだが、本人は何やら悩んでいるらしく、手短に話を聞きだせる様子ではない。

こんなときに、どのような対応をとるべきだろうか。


A さんは、「 急ぎじゃないのか? だったら、あとにしてくれよ、もうすぐ会議が始まるんだ。時間がない。 」 と、少し突き放したように断る。

おそらく、A さんが後日、「 あのとき何か言いたそうだったけど、なんだ? 」 と改まって聞いたとしても、部下は 「 もういいです 」 と答えるだろう。

A さんは、この部下の 「 聞いていただけませんかリスト 」 から、半永久的に削除されてしまったのである。

そうはいっても、たしかに 「 込み入った話に付き合えるとき、付き合えないとき 」 があるのは事実だ。

だったら、以下のような切り返し方はどうだろうか。


B さんは、「 急ぎじゃないのか? じゃ、ゆっくり聞かせてもらう時間をつくらなきゃな。会議の後でもいいか? 俺でよければ、話してくれよ 」 と言う。

A さんと B さんの大きな違いは、相手の 「 いますぐ話を聞いてほしい 」 という気持ちに配慮しているかどうかである。

どちらも話をするタイミングを先延ばしにしているのだが、前者は 「 自分の都合 」 だけで、後者は 「 話そうとする相手の気持ち 」 を尊重している。

つまり前者は、相手がどれほどの勇気をもって話し掛けてきたのかという点をまったく無視しており、一切の配慮がない。

後者は、「 勇気を出して声をかけてくれたので嬉しい。 ぜひ、聞かせてもらうよ 」 という気持ちを表現している。


当然、「 聞かせてもらうよ 」 という約束をしたら、できるだけ早いタイミングで時間をつくるべきであり、そうしないと何の意味もない。

そのとき、「 待たせて悪かったね。 いまからでもよかったら、聞かせてもらえるかな? 」 と声をかけるのも、大事なポイントである。

話す側の心理として、「 約束を守ってくれた相手に対しては、心を開きやすくなる 」 という効果もあり、この方法は大抵、よい効果をもたらす。

悩みのある者からすれば、タイミングよく聞いてもらえることで、抱え込んでいた重荷をそれだけ早く下ろすこともできる。

部下が悩みから開放され、仕事に打ち込んでくれることは、上司にとっても有益な結果をもたらすだろうし、お互いの絆もより一層深くなる。


管理職になったのならば、「 人望 」 とか 「 人間力 」 のある管理職になり、少なくとも自分の部下からは、相談を受ける立場になることが望ましい。

管理職以外でも 「 よい相談相手 」 になろうとするならば、相談者の 「 話したいという欲求には、賞味期限がある 」 ということを知ったほうがよい。

話したいという欲求の賞味期限が切れたあとでは、もう聞いてもらいたいという気にはなれないもので、相手は 「 もう、いいです 」 としか答えない。

カウンセリングの技法にも 「 傾聴法 」 などの 「 聞く技術 」 があるが、最も大事なことは、「 聞く技術 」 よりも 「 聞くタイミング 」 である。

なにかと相談される人は、「 聞いて 」 というサインを送られた瞬間を見逃さない人であり、そのためには他人に対する敬意と関心を持つ必要がある。






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2005年07月10日(日) 目で追っていた



「 愛は、受ける人をも、捧げる人をも、救ってくれる 」

                    カール・A・メニンガー ( 精神分析学者 )

Love cures people, the ones who receive love and the ones who give it, too.

                            KARL.A.MENNINGER



私と交代で彼女がひいた風邪も治まり、ようやく二人揃って元気になった。

梅雨空に用心しながら買い物に出かけ、初めて料理の腕前を披露した。


手料理をご馳走すると喜ぶのは、男女ともに同じ感覚のようだ。

独身生活が長いので、大抵のモノはつくれるし、イタメシに関しては某有名店のシェフから秘訣などを伝授されているので、まぁ得意だと言える。

それでもおそらく彼女のほうが、はるかに料理は上手なようだが、調理中には一切口出しをせず、CDを整理したり、新聞を片付けたりしてくれている。

前菜だけ先に出し、彼女の好きなワインを注いで、それからまた調理へと戻り、二杯目が終わる前にテーブルに並ぶことができた。

彼女の穏やかな笑顔で、自分の心が少し柔らかくなっていくのがわかる。


そういうのは、「 最初のうちだけ 」 だと誰もが思う。

それでも、恋のはじまりにいる男女というものは、何度も恋をしたことがあるくせに、「 今度だけはきっと違う 」 と心の中で呟くものだ。

そんな想いを育て続け、いつか成就すればよいけれど、どこかで失望したり、幻滅したり、あるいは傷つけたり、裏切ったりして頓挫することも多い。

ただ、そんな場合でも 「 救い 」 はある。

最初の頃に 「 今度だけはきっと違う 」 と感じた想いやら、未来に期待した感覚のすべては、終焉にはすっかり忘れ去られているからである。


自分が彼女に会ったのは、友達が主催したパーティが最初だと思っていたのだが、実際には過去に数度、僅かな時間を共に過ごしていた。

そのうちの一度は、こちらには 「 別の連れ 」 がいたし、他の機会にも直接に話したことはなかったので、まるで覚えていなかった。

彼女のほうは印象に残っていたらしく、特に 「 好き 」 と言うほどの感覚ではなかったけれど、パーティの間、なんとなく 「 目で追っていた 」 のだと言う。

その話を聞いて、「 これからも、目で追ってくれる? 」 と尋ねたのが、交際するきっかけになった。

今では、私の部屋を動き回ったり、着替えのためにジッパーを下ろしたり、開けられたくない書庫に近づく彼女を、私の方が焦りつつ目で追っている。


自分の知らないうちに、彼女が 「 目で追っていた 」 と言ってくれた言葉が、なんとなく新鮮で、とても純粋な気持ちのように思えた。

考えてみれば片思いほど純粋な恋愛はなく、自分の気持ちを伝えたいだとか、相手にも受け入れられたいとか、そういった野心など微塵もない。

逆に、片思いでなくなった瞬間には、大いなる歓喜と引き換えに、相手への要望やら、嫉妬やら、様々な不安みたいなものが押し寄せてくる。

ある本に、「 恋はいつも、サヨナラよりせつない 」 という一文があったけれど、たしかに相思相愛の恋愛とは、そういう部分をも孕んでいる。

これからもこの恋を長続きさせるためには、どこかでお互いを 「 片思い 」 しているという感覚を、持ち続けることが大事なのかもしれない。






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2005年07月09日(土) 日本の恥



「 イギリス人にとってのティーは、室内のピクニックのようなものです 」

                            アリス・ウォーカー ( 作家 )

Tea to the English is really a picnic indoors.

                                ALICE WALKER



イギリス人の優雅な気質が滲み出ている、洒落た例え話である。

当然、その優雅な落ち着きを邪魔されたら、彼らは黙っていない。


ロンドンの同時爆破テロによる死者数は50人を超え、破壊された地下鉄などの施設を復旧するには、かなりの時間が掛かりそうである。

また、今後も同様のテロが起きる危険があり、警察はもとより一般市民の間でも緊張が高まっており、厳重な警戒が続いている。

事件が起きた背景に 「 2012年の五輪開催地はロンドン 」 と決まったこと、今回のサミット開催国であることは確実で、実に卑劣な犯行といえる。

五輪の誘致に沸いたロンドン市民を一夜にして不幸に陥れ、貴重な生命を奪ったわけで、犯人や、その背後組織の悪行は万死に値する。

必ずや犯行グループを突き止め、鉄槌を下すべきである。


事件の顛末について、ネット上でも様々な議論が交わされているらしい。

自由な主張を繰り広げるのは結構だが、テロリスト側の立場を擁護したり、あるいは 「 イギリスもテロリストと同罪 」 などと口走る狂人もいる。

人格障害者が数多くはびこる現代において、ネットの功罪とは、このような狂人の暴論が垂れ流しにされてしまうという点にもあるだろう。

特に、「 世の中から虐げられている 」 とか、「 競争社会で敗北を感じた 」 と拗ねている連中は、欧米の列強に対して批判的な側面を併せ持つ。

彼らにとって善悪はどうでもよく、とにかく 「 アメリカやイギリスなどの強大国が攻撃を受ける 」 と、嬉しくてたまらないのだから困ったものである。


彼らの放つ 「 アメリカ、イギリス ( あるいは日本も ) はテロリストと同罪 」 と述べる根拠は、主に以下の二点である。

① イラク戦争に参加 ( あるいは協力 ) し、民間人を殺した。

② 過去において、テロ組織に武器を供与した事実もある。

よほどの馬鹿者でなければ、「 なるほどね 」 と同意するはずもない根拠だが、いかんせん 「 人格障害者の時代 」 なので、同調する者も少しはいる。

子供の学力低下が問題視されているけれど、このような頭の回路が狂った大人や、面白おかしい解釈を好む狂人への処分こそが優先課題だろう。


賢明な方々に対しては説明の必要もないが、あえて 「 この考え方のどこが間違っているか 」 という点について、おさらいしておこう。

簡単に言うと、「 短絡的に結果だけを比較している 」 というところに、この暴論の矛盾点、狂気、非常識さが現れている。

つまり、「 テロリストはテロで人を殺したが、イギリス人も戦争で人を殺したでしょ 」 という結果の比較だけで、物事を語っているのだ。

そこには、「 なぜ、戦争に至ったのか 」 であるとか、「 なぜ、テロを企てたのか 」 という経緯については、すべてが不問にされてしまっている。

この暴論がまかり通るのならば、「 死刑囚を死に至らしめた裁判官も、人を殺したのだから死刑囚と同罪 」 と言っているようなものである。


イラク戦争以前のイラクは、フセインの圧政によって無実の人間が迫害を受け、あるいは非道な死をもたらされるという情勢にあった。

それに加え、過激なテロ組織に加担していた疑いが強く、周知の 「 アメリカ同時多発テロ 」 に関与していた可能性も極めて高かった。

もちろん、戦争以外による手段で弱者を救えれば最良だったし、フセインの犯行を全世界が認める形で立証できればよかったことは言うまでもない。

しかしながら、それらの作業を進めている間にも、多くの罪なき人々が命を落とし、不幸な事件が多発することは明白であった。

たしかに、平和的解決に対する努力が十分だったかと問われたなら疑問もあるけれど、けして利己的な判断だけで戦争を引き起こしたわけではない。


かつてナチスドイツが強制収容所でユダヤ人を惨殺していた頃、アメリカは 「 対岸の火事 」 と静観し、世界中の顰蹙をかった歴史がある。

イラクで何が起きていようが、「 自分たちの出る幕ではない 」 と黙殺するのは、まったくそれと同じことで、それを 「 平和主義 」 とはいえない。

アホな平和主義者や、ひねくれ者の狂人らに同調して 「 アメリカはイラクで人殺しをした 」 とのたまう前に、その歴史を振り返る必要があるだろう。

ドイツとの戦いに勝利して、開放されたユダヤ人は大いに歓喜し、連合国を賞賛したが、敗れたドイツの軍人、民間人には多数の死者が出た。

それをドイツ人が逆恨みしたり、報復的なテロを仕掛けなかったのは、自分たちの側にこそ非があり、それを認め、反省する良識があったからだ。


戦争や紛争の場合に 「 どちらが善か、悪か 」 を判断するのは難しいけれど、最初に非人道的な殺戮を起こした者は当然、制裁される定めにある。

それを野放しにすることは、秩序の崩壊や、不安定な社会の出現につながる危険を孕んでおり、良心的な人々にとって得策ではない。

もちろん 「 戦争もまた愚かな行為 」 ではあるが、解決策としての戦争と、破壊的なテロを同列で語るのは甚だ馬鹿げた話だと言わざるをえまい。

とにかく、テロの犠牲になった人々は、誠に気の毒な話である。

テロリストを擁護するような狂人を含む日本の一市民として、彼らの非礼を詫びるとともに、心より哀悼の意を表したいと思う。






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2005年07月06日(水) 珍しくダウン



旅行 ( 遊び ) → 出張 ( 仕事 ) → 旅行 ( 勉強会 ) と、家を空ける日が続き、すっかり日記の更新が滞ってしまった。

おまけに、ちょっとキツメの腹痛に襲われ、体調が悪い。

滅多に病気をしないのだけれど、しばらくは療養が必要な気配だし、次週から新しい仕事も入るので、当面は日記の更新を自粛する予定。

遊びすぎ + 働きすぎ = 40男には危険 ・・・ ですな。

ちょいと気をつけます。






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2005年07月03日(日) 女性の武器



「 結婚を成功させるには、何回も恋に落ちなきゃ、

  しかも、いつも同じ人にね 」

                    ミニヨン・マクローリン ( ジャーナリスト )

A successful marriage requires falling in love many times,
always with the same person.

                           MIGNON McLAUGHLIN



ちょっと人を好きになるのは簡単だが、恋愛を長続きさせるのは難しい。

まして、「 失敗しない結婚 」 を目指すには、並大抵の努力じゃ足りない。


最後のつもりで交際している彼女と、ちょっとモメる事件があった。

いつもならここで、「 もう終わりにしよう 」 と短気を出すところだが、なんとか折れて踏ん張って、交際を続けることにした。

ところが翌日、また別の問題で二人の関係に暗雲が立ち込めた。

期待が大きい分、思い通りにならないと失望するのが 「 本気の恋愛 」 で、ちょっとこれには参ってしまった。

この先どうなるのか、少し先が読めない状況にある。


私はあまり相手を束縛するタイプではないので、「 ああしちゃいけない、こうしちゃいけない 」 などと縛り付けるつもりはない。

しかし、自分にも感情というものがあるので、相手のとる態度や行動をみて 「 自分への愛情の深さ 」 を判断するのは当然のことである。

そのあたりは、言葉で繕いきれるものではなく、心で感じるものだ。

彼女は泣きながら、「 不器用なので、上手く愛情を伝えられない 」 と言うけれど、それは技術や表現力の問題でもないように思う。

些細な問題かもしれないが、二人の間にはちょっとした 「 溝 」 がある。


こういう場合、女性は 「 泣ける 」 だけ有利である。

それですべてが “ うやむや ” になり、問題の本質に対する追求を免れたり、泣かせたこちらを 「 加害者 」 のような立場にすることもできる。

ましてや、「 泣きそうにないタイプの女性 」 はさらに有利で、争点としている事柄自体が、どっちでもいいような展開にされたりもする。

逆に、それを問題視しているこちらが 「 大人気ない 」 ような環境にもっていけるのだから、まさに 「 涙は女性の武器 」 だといえよう。

うーむ、そう考えるとこちらは実に 「 非力 」 な気がしてくる。






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2005年07月01日(金) 働きすぎる人の怠慢



「 仕事とは、他になすべきことを持たない人々の逃げ場である 」

           オスカー・ワイルド ( イギリスの詩人、小説家、劇作家 )

Work is the refuge of people who have nothing better to do.

                                 OSCAR WILDE



ある若者が、「 NEET ( ニート ) こそ勝ち組ですよ! 」 と笑って言った。

なかなかの名言であるなと、思わず唸ってしまった。


前文にある 「 NEET 」 とは、「 Not in Education Employment or Training 」 のことで、働かず、学校にも行かず、訓練も受けていない若者を指す。

働くことの意義は、単にお金を稼ぐ手段というだけでなく、仕事を通じて様々な人生体験を積んだり、自己を高める効果を含んでいる。

だから、多くの人は 「 NEET 」 という立場を認めようとしないし、そのような立場に甘んじている若者に対して、好ましく思わない傾向にある。

しかしながら、いい年をして会社が嫌になったとか、仕事のプレッシャーに潰されたとか愚痴って、心身の健康を崩す人間もいる。

本人は 「 こっちは、れっきとした病気だ 」 などと仰るが、社会への適応度という面では五十歩百歩で、どちらが劣るというものでもない。


基本的に、仕事を 「 働くのはお金のためである 」 としか考えられない人は、あまり良い仕事をしないし、仕事を通じた個人の成長も望めない。

これは、若者も、中年も、老人も、すべて共通している。

仕事というのは、たしかに生活を支える経済活動として重要ではあるけれど、所詮は 「 手段 」 であって 「 目的 」 ではない。

また、大半の人にとって、人生で多くの貴重な時間を費やすことになるのだから、その見返りが 「 お金 」 だけでは物足りないはずである。

たまにいる 「 お金さえあれば働きたくない 」 などと、恥ずかしげもなく語る御仁の思想は、まさに 「 NEET 」 と同じ次元だといえよう。


また、仕事が面白すぎて 「 他のことにまったく興味がわかない 」 という人も、どこかでバランスが崩れてしまっているように思う。

仕事中毒 ( ワーカホリック = workaholic ) も一種の病気で、たえず仕事をしたり、仕事のことを考えていなければ落ち着かないという状況に陥る。

この 「 workaholic 」 と 「 NEET 」 は対極の位置にあり、まるで正反対だと思っている人も多いが、実際にはちょっと様子が違う。

いづれも 「 バランスの悪い人 」 という意味では共通しており、中間にある 「 バランスが “ ほどほどに ” 取れている人 」 からみれば変人である。

生活のバランスが悪いのに、人格や健康のバランスが整うことなど難しいわけで、そのような状態が長く続くと、ちょっと 「 浮いた存在 」 になる。


人間にはかぎられた時間が与えられており、その間に稼いだり、遊んだり、学んだり、憧れたり、いろんなことをしなければならない。

それが面倒だからといって、稼ぐことだけや、遊ぶことだけに没頭するのは怠慢というもので、本来の目的を達したとはいえないだろう。

当然、そんな状態で 「 人生をエンジョイした 」 ともいえない。

そんな 「 偏りの強い人たち 」 が最近は多く、まったく仕事をしないだとか、あるいは仕事に逃げ込んで、他の要素を疎かにする人の存在が目立つ。

ひたむきに働くことは善だが、人生には他の 「 挑むべき事柄 」 がたくさんあるわけで、それを避けるために仕事を逃げ場とするのはいただけない。






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