2004年11月29日(月) |
時を超えうけつがれる名作 |
児童文学編集者であり、作家の斎藤惇夫さんの言葉。
「名作は子どもが知っている。名作はかならずどの世代の子どもにも愛されるから残っていく。私は3世代残った作品しか信用しない。一時期大ブームになる作品も、本当に面白くなければすぐに消えていく。」
そして、消えつつある作品として、「ノンタン」シリーズ、「アンパンマン」シリーズ、そして「ハリーポッター」があげられました。
なるほどなあ、と思いました。
『GOOD LUCK』という本を読んだんです。 ちょっと前、話題だった、あの、四葉のクローバーの表紙の薄い本です。
帯に「本当に感動しました!」「読んですっきりしました。元気が出ました」みたいな言葉がたくさん書かれていたし、とにかく売れているらしいというのを耳にしたこともあったので、どんなに面白い、スペシャルな本なんだろう?と思ってどんどん読みました。 が、??? どこまで読んでもかけらも面白くない。 そして、どこかでまったくこういう本を読んだことがある気がしました。 『チーズはどこに消えた?』でした。
人生の中で困難にあったときにどういう風に対処するべきか、チャンスをつかむためにどんな努力をするべきかというのを、対照的な二人(二匹)の行動をたとえに書いている、単調で説教くさくてあくびが出そうでした。
ベストセラーには、売り方の要因が多分に影響します。 この本は本屋で平積みにされていたし、コンビニでも売られていたし、うまく売ったということなのでしょう。 そして、売れる本は「みんなが読んでいるんだから面白いんだろう」という先入観で読むから、なんとなく面白いような気がしてしまうのかもしれません。
でも、この本は残らないでしょうね。 もう、古本屋さんにたくさん並んでいるころだな。
職員旅行に東京へ。 学校から大型バスを借り切って先生ご一行様です。
朝7時30分に出発した瞬間に「かんぱーい」で、ひたすら飲みまくる往路。 浅草に行って寄席を見て、名人芸にけたけた笑い、屋形船で宴会です。 屋形船って、けっこう揺れるんですね。 乗り込んだ瞬間やばいって感じ。とまっていても、進んでいてもゆれる~! まじ怖くって、飲んでるどころじゃないって感じだったんだけど、1時間半ゆられているうちになれてきて、後半ぐらいは屋形船の屋根にのぼって風に吹かれながらきれいな夜景を眺めました。
体がへとへとの中での職員旅行なんて、お付き合い以外のなにものでもないんだけど、それでも、はしゃいで飲んで、いっぱい笑って、ちょっとすっきりしました。
いよいよ期末テスト直前。 正念場だぞ。がんばろ。
教育だとかなんとかいうけれど、そのおおもとにあるのは“つないでゆく”ことなんだ。 子どもの心と私の心をつなぐということ。それなくしては何も伝わらないし、私には何もできない。私のほうに心が向いて私の言葉を受け入れようとするとき、初めて何かを教えるということが始まる。そういう状態になっていなければ何をやってもまったく無駄なんだ。 教師に対する不信感をあらわにする子がいる。 これまで教師とどんなことがあったのかはわからないけれど、とにかく、初対面から私に顔を向けない。私の言葉をさえぎり「関係ねーよ」と言う。 まったく私を拒絶したこの状態から心をこちらに向けさせるのは本当に骨の折れることだ。
がんがんと子どもは抵抗してくるけれど、そこで距離を置いては関係は決して近づかない。 相手を受け入れ、決して感情的にならないようにしながら、もう一歩ふみこむ。 接近戦では当然こちらのダメージも大きいからきつい。 「そこまで許せるほど私は大人じゃないよ」とへこむ。 だけど、ここで拒絶したら元の木阿弥。また、もとの冷え切った関係に逆戻りだ。 自分の精神力とのギリギリの戦い。 正解なんてわからない。ただ、やるしかない。
今年も届きました。シスターからの贈り物が。 私の母校では毎年11月23日は学校上げてのバザーの日です。 そして、シスターは私が卒業してから毎年必ずバザーのために作ったクッキーやマドレーヌ、ちょっとしたプレゼントを贈ってくれるのです。
忙殺されていて、お礼の電話が遅くなってしまいました。 「もしもしー」 と電話口に出られたシスターの声はとても若々しく、お元気そうでした。 顔中で笑うシスターの顔が目に浮かぶようでした。
「お元気?」と聞かれ、無理に声を張って「はい!元気です」と答えました。 本当は元気じゃないけど、遠い空の下のシスターの気を煩わせるわけにはいかないし・・・。 プレゼントのお礼を言って、お互いの近況を少し話して、電話を置きました。ほんとはもっといろいろ話したかったけれど、お食事時だったし、お忙しいだろうし、と思いました。
ちょっと涙が出ました。
自分の仕事のテリトリーを堅持して、わずかでもひろげまいと見張りをすることが癖になっている。
今日は司書の先生が私のところにやってきて、どさっとプリントを置いた。 「印刷しといたから、明日先生方に配って。」 機械的に「はい。わかりました」と言ってから私がその仕事をする必然性の無さに一人悩む。 そのプリントは今日配ってはならない理由もないし、私が配らねばならない理由もない。司書の先生からしてみれば、「私ここまでやったんだからあとやってよね」ってところなんだろう。 「仕事って、こういう風に人にまわすんだなあ」と、先生方のレターケースにプリントを差し入れながらため息をつく。 そういえばこの前も、「きよこ先生のほうがパソコンを打つのが早いから打って」と言われてタイピングをしたっけ。
そして同じ係りをしていながら、ほかからのクレームを全部私の責任のように、門外漢の口ぶりで言えるのはどういうことなんだろう。私にはわからない。
でも、あわよくば私もほかの人にうまく仕事を回したいと思っているのだから、私だって同じ穴の狢。それができるかできないかの違いしかない。
みんな汲々としたせまい囲いの中でちょっとでもいい空気を吸おうとしてもがいているんだ。隣にいる人の苦しみも思いやれないほど自分のことで手一杯なんだ。 そこに属する人々の辛抱と忍従でかろうじて保たれている世界。
目が覚めて、台所に立つとカーテンの隙間から雪の降る景色がのぞいていた。
「初雪だ・・・」 もう冬なんだあ。 季節のうつろいを突然につきつけられて戸惑いながらも、やっぱり心うきうきします。 今日もいいことありますように。
――誠実でありたい。/そんなねがいを/どこから手に入れた。/ それはすでに/欺くことでしかないのに。/ それが突然わかってしまった雪の/かなしみの上に新しい雪がひたひたと/かさなっている。/ 雪は 一度 世界を包んでしまうと/そのあと限りなく振りつづけなければならない/ 純白をあとからあとからかさねてゆかないと/雪のよごれをかくすことが出来ないのだ/ 誠実が 誠実を どうしたら欺かないでいることが出来るか/ それが もはや/誠実の手には負えなくなってしまったかのように/雪は今日も降っている。/ 雪の上に雪が/その上から雪が/たとえようのない重さで/ひたひたと かさねられてゆく。/ かさなってゆく。 ――吉野弘「雪の日に」
生徒を引き連れて1泊2日の卓球講習会に出かけてきました。 講師は男子シングルス、混合ダブルスで全日本チャンピオンになったことがあり、ソウルオリンピックとバルセロナオリンピックの代表になった、渡辺武弘選手です。
どんなすっごい人なのかなー、と、わくわくしていくと、小柄な穏やかそうなおじさんがいらして、その方が渡辺武弘さんその人でした。 いやいや、それでも、世界を相手にする御仁ですから、きっと秘めたる闘志があるに違いない・・・と、見つめていたのですが、話し方も穏やかそのもの。
「えー、私は、まあ、そんな運動が出来るほうじゃなかったので、まあ、部活は、吹奏楽にでも入ろうと思っていたんですがネ」みたいなかんじで、ホントにどちらかと言うと、吹奏楽とかの雰囲気です。
練習方法などの指導があって、実演もしてくださったのですが、軽いフットワークを2,3球やったら、「ふう、つかれた」って。 ふうふう言っている。
えーー!!全日本チャンピオンでしたよねー!
卓球っていう勝負の世界の巨大なピラミッドを登っていく人は、技術だけではなく精神的な強靭さや、勝負師然とした図太さが不可欠だと私は思っていたので、この渡辺氏は存在自体がアンビリーバブル。
白刃の上を渡るような勝敗を分ける極限の場面で、この穏やかな人がどうやって勝ち抜いてきたのかと思うと本当にインクレディブル。
でも、この植物的な感じがだんだんツボにはまってきて、2日目になるころには、渡辺さんのすべてがほほえましくって、好ましい。
私の周りは生き馬の目を射抜く弱肉強食の世界ですから、なんだか癒されました。
研究授業をする。 教育事務所からいらした主事の先生から、校長先生、教頭先生、校内のいろんな先生が私の授業を見にこられました。 研究授業をするために、指導案を書いたり事前に普段の何倍もの手間暇をかけて準備をしました。
授業は? 成功です。 とてもいい生徒たちなので、失敗のしようがないのです。 私が下手なことをやっても、こちらの意図を汲んで何とかやろうとがんばってくれるのです。
いつもどおり、素直にいい授業にしてくれました。
ただ、違うのは、私の目線です。 指導案を書いてよく教材研究をしていたから、起こりうる失敗についてもよく予想が立っていて、それに対する手立ても考えてありました。 誰を中心に支援していこうという計画もありました。 そして、一人一人の動きをよく見て、膝を折って声に耳を傾けました。 日ごろの授業では見えなかったような細かな生徒の学びが見えました。 同じ私がやる一時間の授業でも、しっかり準備をして生徒に近づくかどうかで、こうも違うものか、と驚きました。 そして、今日のような細やかな授業は何も初めてやったわけではなくて、去年の私はちゃんと心がけていたはずなのです。 一年がたって、すっかり基本を忘れてしまっていたんだなあ、と思い至りました。
私が尊敬する、ある国語の先生が「研究授業は、教師の定期健診みたいなもの」と言っていた意味が分かったような気がします。
だめな私に気がついた今の自分にできることは、以前やっていたように、生徒の声をなるべく聞きけるように、ゆっくり少しずつやっていくことだ。 背伸びしたり、自分を大きく見せようとしちゃだめだ。
できないことはできないんだから、自分のできるところで心を尽くしてやっていくしかない。
力がない→仕事がこなせない→時間がない→余裕がない→仕事がこなせない、という悪循環を何とかするために、わらにもすがる思いで即物的手段を用いる。
朝一本のリポビタン8Ⅱ。 エネルギーがあれば、ちょっと楽に笑えるよ。
本当に校長室にいって、やめさせてくださいと言っている光景が目に浮かんだ。そうしてもいいと思った。
うまくやれなかったこと、大失敗したこと、疲れ果ててぺしゃんこになったこと、数えきれないほどあったし、学校を辞めたら、という「もしも」の想像は私のお気に入りだけど、どれも私の空想からはみ出るものではなかった。 でも、今日は現実的にやめてしまえと思った。
生徒の声にまったく耳を貸さずにいる私に気がついてしまった。
生徒が話しかけてきても、ほかの仕事が気がかりでうわの空。
授業中の机間巡視は、生徒の理解や疑問を見ずに、ただうろうろしてちゃんと取り組まない生徒を注意するだけ。
そして、自分の思い通りの授業にすることしか考えていない。
何をやっているんだ、私! いつからそんな教師になってしまったんだ!
技術も経験もない私の唯一のとりえは生徒の心の近くにいることじゃなかったの? 体裁だけベテラン気取りの青二才にはなんの魅力もないに決まっている。
本当に存在する価値がないと思った。
2004年11月09日(火) |
三島由紀夫『鹿鳴館』 |
戯曲の面白さをはじめて知りました。 私が三島氏の文章を読むときの多くは、難解だ、と思いながらもそのコケットリーに引き寄せられて読んでいるのですが、この作品は私の身の丈ぴったりという感じで心から面白がって読めました。 三島氏の魅力の最たるところは人間観察の鋭さだと思うのですが、戯曲という形式だと、登場人物のせりふにすべてが語られる必要があるため、小説や論説の時よりも口語的でわかりやすく書かれ、鹿鳴館を取り巻く人々の心の機微が存分に楽しめました。
朝子「でもまるで昨日お目にかかったばかりのような軽口をお叩きになるところも、二十年前のあなたとそっくり。どうしてでございましょう。私の口からもかるがると言葉が出てまいりますあなたとお目にかかったら物も言えまいと思いましたのに。」
清原「私たちはいつ何時でももう一度昔の時間を生きることができるように、習練を積んで来たのですな。私たちが会う。するとその時から昔の時間がはじまる。少しは目まいもするが、それに乗って行けば忽ちらくらく身が運べる。」
朝子「そうでございましょうか。ふしぎなことにこうしていて、私は少しのぎこちなさもない、自在な思いがいたしますの。空気が俄かに吸いよくなったような。まるで混雑した息苦しい部屋から、俄かに広い野原へ出たような。……私たちはどうしてこんなに自然でいられるのでしょう。」
清原「あなたは自然な感情からあんまり永いあいだ遠ざかっていたからではありませんか?」
朝子「きっとそうですわ。あいが息苦しいものだと思うのは、子どもらしい考えですわね。ごらんなさいまし。こんなに久々でお目にかかったあなたの前で、私の手は慄えてさえおりません。却って手がいつもよりもいきいきとして、翼のような気がいたします。
図書館教育の研修で聞いた講演がとても興味深かったです。
テレビとか、きっと教育上よくないだろうなあ、と思いながらも、世の中ではそんなに非難されていないということは、まあ、いいのかなあ、という感じで今まで考えていたのですが、どうも、そんなやさしい問題ではないようです。
日本のメディア認識は世界的に見て、予断を許さないほどの危機的状況にあるということなのです。 1998年には国連の『子どもの権利委員会』が日本にのみ「勧告」を行ったそうです。 それは、子どもがメディアの洪水の中で溺死しかけているので、日本政府にメディアに対して子どもの成長障害をひきおこすような情報を規制するように、とのものだったそうです。
本当に、テレビやゲームが成長障害をひきおこすかどうかという点については、以下の報告を参照してみてください。 http://plaza.umin.ac.jp/~jpeds/saisin-j.html 「乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です」日本小児学科会
講演をされた斎藤惇夫さんの知り合いの方でアメリカで教育関係の仕事をしている方が、アメリカの小学校の先生からよく相談を受けたそうです。
「教室の中で飛び回る子がいる。突然キレる子がいて困る。大声でわめいて授業を聞けない子がいる。 それらの行動をする子どもは日本人の子どもしかいない。 一体日本では何が起こっているの?」
また、斎藤氏は次のことも言われました。 「3歳までテレビを見せてはならない。 6歳までビデオを見せてはならない。 12歳までゲームをさせてはならない。 15歳までパソコンを触らせない。 18歳までネットにつながせない。」
厳しすぎるでしょうか?
でも、私は自分を振り返ってみると、テレビはほぼ生まれたときから見ていたけど、ビデオが我が家にやってきたのは小学校高学年ぐらいだったし、お兄ちゃんが私にゲーム機を触らせてくれるようになったのは中学生になたころだったなあ。パソコンにはじめて触ったのは大学に入ってからだし、いわんやネットをや。
このガイドラインを自然に守れていたギリギリの世代だったわけです。
でも、今生まれてくる赤ちゃんは、意図的に環境を作らなければビデオもゲームもパソコンもネットも一時におしよせます。そして、その影響が現れるのは10年以上経って取り返しがつかなくなったときなのです。 うーん。こわいぞお。
この土日は体が一つじゃ足りない忙しさ。 コピーロボットが3つ欲しかった。
一人は引率に行って、もう一人は大学時代の先輩の披露宴にでて、もう一人は大学時代の同期会で温泉一泊旅行。そしてもう一人は教職員卓球連盟の大会に出て。
そうできればよいのですが、そうもいかないので、私は中から先着順で3つのお誘いにのりました。
引率と披露宴と温泉旅行。
それぞれの約束の間にのりしろがないどころか、ちょっとダブルブッキング気味。引田天功ばりの瞬間移動・・・が出来たらよかったのですが・・・。
同期会の開かれた鹿教湯温泉に到着したときにはもうへろへろでした。 みやこ旅館というひなびた感じの素敵な旅館だったのですが、驚いたことに、露天風呂が男女混浴! 私はどうせ女扱いされていないとはいえ、まずいっすよ。 そんなハプニングに湯あたりしつつ、麻雀を打つ。 この一年の修行の成果を遺憾なく発揮し、一人勝ち。 「ほんとに打てるのー?」と疑いのまなざしだった人々をうならせて御満悦。
ふとんを引っ張り出してきて一人すみっこで眠っていたら、引っ張り起こそうとするのがいて「ねむたいんじゃ!ほっとけ!」と怒鳴りちらしそうになるのをかろうじてこらえる。
嫌ですわ。ワタクシったら。 ホホホ。
こんなに腹が立ったのは本当に久しぶりだなあ、これは気安さのなせる業か、疲れから来るものか、などとうつらうつら考えながら就寝。
本日は引率ナリ。 新人戦団体戦中信地区予選です。 市中大会で「自分達って強い!」という自信をもった生徒達は、強気でどんどんポイントを重ねます。 しっかりと勝ちをつなぎ、格上にも互角の勝負をしていました。 うまく火がついてしまえば私の出番は終わったようなもので、「すごいなあ」と思いながらベンチから拍手をするばかりです。
私は卓球は教えるよりも自分でするほうが何倍も楽しいとずっと思っていたのですが、最近ようやく教える面白さってこういうことかな、と思う瞬間がちらほら出てきました。 それは、私だったら絶対びびってしまうような場面で一番力を発揮する生徒がいたり、理屈じゃなくって実践の中でどんどん成長する生徒がいたり、と、自分の卓球観を覆してくれるときです。
そんなわけで、初めて県大会に出場することになりました! これまでは市内でもどべから2位だった私達だから、すごい快挙です。 でも、これだけでは終わりませんよ。 「県大会に出場できてよかったね」では終わらせません。 今の2年生が引退するまでには、県大会上位まで行かせてあげたいと思います。 そのためには、意識改革。 自分達がまだまだ弱いということを思い出させます。 もう一度初心にたち返るのです。
私の住む街に全日本チャンピオンがやってきた! いつも卓球雑誌や、全日本選手権の決勝中継で見ていた岩崎選手が卓球教室をしてくれるというのだから鼻血ものでるんるんと朝から出かけていきました。
会場体育館には近隣から卓球を愛する老若男女がわんさか集まっていました。 その中にひょっこりと岩崎選手が! わーーあ。意外と普通にイたーー!
さて、始まりました卓球教室。 よい選手必ずしもよい指導者たりえないのが世の常なのですが、岩崎選手、指導も一流です。 しゃべりもわかりやすいし、基本技術から応用、戦術まで、ものすごーくきちんと体系だてて説明してくれました。興味深く楽しくて目が覚めるような教室。 こんなに知的好奇心を刺激されて、わくわくしたことって本当にいつ以来だろうってくらい。卓球に関して概念レベルでの成長は、ずっと停滞していたんだけど、この教室で一気にものすごく進歩した気分♪ほんっとに楽しくって楽しくって。 一台の卓球台の周りを参加者がぐるりととりまいて、岩崎選手の説明を聞くのですが、少しでもいい所で見たくて、まごまごしてる中学生をしりめに最前列に陣取ってました。 ちょうどフォアハンドを正面から見れる位置だったのですが、卓球雑誌のフォーム見本写真そのものが目の前にあって、本当に感動しました。 やっぱり、正しいフォームってどこにも無理や無駄がなくって合理的に出来ているんですよー。 けっこうなお手前でございました。
まったく、いつもの低血圧な私はどこへやら。 岩崎選手の説明と、それを台で試す時間が交互にあったのですが、 「はい、じゃあ台でやってみて」と言われた瞬間に、空いている台へ向かってぴゅーって走って行って、友達を「早く早く!」って足踏みしながら待つ勢い。 友達からは「きよこさん、若い・・・」って。 9時から午後1時までみっちりの教室は、瞬く間に過ぎていきました。 私はミーハー女子高生みたいに、一緒に写メに写りたい、と切望したのですが、行動力がともなわず、握手してもらったときに「一緒に写メ写ってください」の一言がいえませんでした。
もう。私のバカ。
2004年11月02日(火) |
教師という蛮族がいる |
やればやるほど教師という人びとと自分の隔たりを感じてしまいます。 私は教師を続けたとしても、教師に染まりたくはないなあと思います。
一般に、教師をやっている人たちは善良な人です。 意地悪しようとか、犯罪を犯そうとか、そういうこととは程遠いところで生活をしています。 でも、私にとってはそういう善良さが物足りない。 何も悪を礼賛するわけではなく、例えば『レ・ミゼラブル』のように単純に割り切れないことに満ちた現実世界のはずなのに、それについて心から話せる人はいないものだなあ、と嘆いているのです。 まったく、心あらん友もがな。
職員室では大きな声で不満を述べる人が力のある人として認められます。 はったりのうまい人は雰囲気でもっていくのです。
つまらないなあ、と思います。
学年会で主任が校長先生の悪口でみんなを笑わせました。 辛らつに批判しました。 私はまったく同感できなかったから、みんなが楽しそうに声をそろえて笑うのを不思議な気持ちで見ていました。 どうやらそれで校長先生に対する批判的立場が共通認識として浸透したようでした。
くだらないなあと思います。
声の大きな先生にすりよる人はかならず力がなさげな先生を見下します。 本質をみようとしない、本質をみる力がない人です。 そして、本質を見ていないということにもまったく気づかないんだから、しあわせな自己完結とも言え、私がどうこう口出しすることでもないのかもしれません。
そういう単純で幸せな教師がしたり顔で口にする教育用語が嫌いです。 大きな声で不満を並べ立てて力を誇示するのと同じように、力がある教師のふりをするために使う教育用語にはなんの実もないのです。
そういう私の職員室でのポジションは“かわいいだけがとりえの、とぼけた新米教師”です。 ええ。私もその方向で振舞っていますから。
本質を見ない人々に迎合して大きな声で不満を述べ立てることなどしたくないです。 そうするぐらいなら、私は隠れ蓑をかぶり職員室での衝突を避け、教室で勝負するべきだと思うのです。
2004年11月01日(月) |
『カレンダーガールズ』 |
私こういう映画好きダね! 文句なく好き!
イギリスの田園風景と、穏やかで平和な人びとの暮らし。 家族に囲まれ、平凡だけど満ち足りたミセスの集まり、婦人連合。
その起こりはウーマンリブ運動だったというけれど、今の集会は娯楽と歓談を主な目的としたサロンのような雰囲気。 そこに集まるミセスたちはまるで少女のように無邪気でくったくないのです。
私の人生の先のほうに、こういう時がまっていたらいいななんて思います。
そんな平和な婦人連合の転機はメンバーの一人の夫が白血病で急逝したことでした。 メンバーは病院にソファーを贈りたいと考え、チャリティーを企画しますが、その内容が斬新。 ミセスがモデルのヌードカレンダーです。 もちろんカレンダーは大成功! 莫大な収益をもたらすとともに、婦人連合のミセスたちは一躍世の脚光を浴びます。めでたしめでたし・・・・。 で、終わらないところが、素晴らしいんだな!
これは老いてもなお衰えない可憐なミセスたちの冒険譚です。
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