僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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2002年11月30日(土) 松本尚子さんのこと

 松本尚子というアナウンサーが、TVK(テレビ神奈川?)にいる。この人は僕の中学時代の同級生で、その当時から放送部でアナウンサーをやっていた。僕も放送部で、機械操作の担当だった。以前どこかの地方タレントの様な事をしているという話を聞いていたので、局アナになっているのを発見した時はその着実な前進が我が事の様に嬉しかった。

 最近、思い浮かぶ昔の友達を検索して遊んでいて彼女の記事を見つけたのだが、その画面を見ながら、幼い頃になりたかったものになる事の果てしなさを考えた。僕もそういった恵まれた一握りな訳だが、(中学で熊本のNHK少年少女合唱団に入った頃から考えれば十八年位、小学四年生で津江先生という人が作った合唱部に入った頃から考えれば二十年以上も歌っている事になる)多分本人は長さを自覚していない。

 幼い頃になりたかった職業をこの歳まで目指しつづける人と言うのは何らかの異常を持っているか、熱意が持続する凄い人だ。僕の場合はかなりの思い込みがあって、打ちどころ悪くここまできたが、彼女の夢までの道はどんな物だっただろうと考えた。そして、彼女に負けない精進をしようとさらに決意をあらたにしてみた。

 そんな彼女の頑張りに感化された訳ではないですが、今、やり直し録音に入ってきています。途中まで録った物を一応白紙にして考えることにしました、前作「山羊と私」に比べて今回はもっとサービス精神もあるものになるはずです。


2002年11月28日(木) 走り回る初冬のわたし

 今日は新宿から銀座、渋谷と駆け巡りました。新宿で夕方に用が済むと銀座の「パウパウアクアガーデン」でカオルちゃん(ツチガエル)とひのひかり君(ニホンアマガエル)用のコオロギを買い、渋谷へ。昨日上野アメ横のABCマートでデザインを気に入って、僕のサイズを探してもらったら「渋谷に一足だけ!」と言われた靴を買い、満足していつも行く「オーカルカッタ」というインド人がカレーを作っている店へ。食べ放題千円の4種類のカレーを腹いっぱい食べて帰りました。今日は日記っぽいぞ!

 うちへ帰ると山嵜にラップトップパソコンを貸してくれる約束をしていた安藤君がいらっしゃいまして、ホームページの創りかたから、ウイルスからエロ画像までのさまざまな話をしました。安藤君は僕と同じ熊本出身で、僕にとっては平さんの並ぶパソコン先生。ホームページを造る仕事をしています。忙しい夕方でした。

 ところで、もうすぐこの頁がこの「えんぴつ」という日記書かせ処みたいなところを飛び出して、僕の好きなデザインでお送りするコーナーになります。お楽しみに。今日の日記はつまらんのああ。

そうそう、最近パソコンが立ち上がったとき、必ずローマ字ではなく、ひらがなで打つ設定になってる。何か押してしまったんだろうけど…。直し方教えて下さい。


2002年11月27日(水) 一応今年の全公演終わって…

 昨日(壱拾壱月弐拾六日)で今年の髙(高)山全公演が終わりました。来てくださった皆さんありがとう。来られなかった方々、来年壱月参拾壱日に会いましょう。

 昨日の公演は長かったんですが、アンコールがさらに多めにかかり、しかもアンケートに「アンコールが大変良かった」と書かれたりで複雑ながら大成功、+これからやること発見+「早く皆さんに音源を届けるぞ」の決心の公演になりました。アンケートも多めに集まり、打ち上げもみんなとたっぷり話せたわけではないけれど盛り上がりを見せ、僕の第二部公演(ほぼ打ち上げ参加者が歌う)や、マングースの中谷君(僕と同じ八月六日生まれの憎いやつ)の歌ありの理想的な宴となりました。なんで公演終了後は何ともなかった喉が、打ち上げ終わって帰る時にはガラガラだったのかは謎のままにしておきましょう。

 近々、公演会場でアンケートを書けなかった人のためにこのサイトで同内容のアンケートに答えられるようにしようと思ってます。筆記用具がなかったという理由はもう通用しないぞ!ぜひ、お答え下さい。


2002年11月25日(月) ナキドコロ

 心に触って欲しくない痛い所があるとする。僕はそこを隠すと駄目になる。だから隠さずできるだけさらけ出すようにしている。

 「隠すと傷は治らない」と母が言った事があった。昔のアスファルトは質が今ほど良くなく、車の通りの多くない所でも舗装して三年も経てばボロボロと細かい石が転がる砂利道の様になる場合があった。僕が住んでいた○○アパートの付近もそうだった。そこで子供は転ぶわけである。
 散弾銃の弾のように、見事に散りばめられた砂利を水で洗い流し、それでも取れなかった分をピンセットで取る。赤チンを塗って黄色い粉をつけ、ガーゼと包帯を巻いて学校に行きたいと願う僕をよそに、母は赤チンの上に大きめのリバテープ(熊本ではバンソウコウをこう呼ぶ)を貼ってトンと叩き、救急箱を閉めてしまった。(別に北産の連載に憧れて同じような方向に行ってるんじゃないですよ)その時の僕の抗議に彼女が言ったのが先の「隠すと傷は治らない」だったのだ。

 今考えると別に深い意味はなく、ガーゼを当てて湿らせておくよりも外気にさらして置いた方が治りが早いくらいの意味で言ったのだろう。しかし、おかしな子だった僕はそれを後生大事にずっと大事に覚えていて、いつの間にか心にも当てはめて考えるようになった。

 意外に真実を貫く言葉だったのかもしれないと思うのだが…。


2002年11月17日(日) みつを


 恋だって食欲だって、人生を良い物にするためのそれでなければただの性欲と何らかわりはない。でも欲だらけだっていいじゃない、人間だもの。

 「○つを」はそんな事書いてないけど「人間だもの」は便利な言葉。「脇が臭くったっていいじゃない」でも「浮気相手と夫を殺したって」でもくっつく。理屈と膏薬よりどこへでもくっつく。なんだか無責任にくっつく。

 自分の許容量以上に狭い視野で考え込む人を、一時開放するのには役立つだろうけど、そこには無責任な、「頑張る事が基本」という世の中への買いかぶりがある気がする。世の中は「勝手に追い込まれる人」と「どこまでも逃げる人」のどちらかにさらにワイドに広がっているぞ「み○を」!逃げながら攻撃できるアンディーのローキックみたいな事をできる人もいるけどね。蹴る以上は逃げにくいもんですね。

 「気付く事」は苦しみを負うのと近い場合があるけど、見ぬ振りできない人の特権な訳で…。見ぬふりして通り過ぎたらすごく後で嫌な思いをしそうな気がするからそれをほおって置けない。ほおって置けば楽で良いと思う人にはこの感じは解からないのかあなあ。ほおって置けない人はその「楽をしたい欲」に「ほおっといたら後で嫌かも心配」が連戦連勝なんだと思う。
 そこに「無意味だからやめろよ」という言葉をかけるのはまるで無意味。自分の満足や美学とせめぎあってその構想や思考は成り立っているんだもん。その「気付く事」に妙なレッテルを貼って分かりやすい気にさせて大きな「人間」にくくってしまうのはまさに愚。自分にはその先があるんだろうけど、みんながみんなそんなに偉くはないぜ、「みつ○」。


 愚かだって頑張ってるから美しいんだ。その美しさを開き直りで汚すような誘惑を作るんじゃないっ!馬鹿「○つを」!馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!気治外!

 いまさら「みつを」攻撃?って気がしてるあなた、今後日本が駄目になっていく引き金を引いた奴らを噛みます。

 みついさん、「米国至上主義」書きます。ただ、奥地に会いますかどうか…。


2002年11月13日(水) カズーとハモニカと感電するわたし

 僕は公演でハモニカとカズーを使うことが多いです。出てくる曲は「眠れない夜が明けても…」「教育」、「例えばさ」「アゲハ」などです。前回のヨシハシ公演でも使いましたが、最初は「アコースティックギターを弾きながらハモニカを使うのはいかがな物か?長渕みたいでよろしくないんではないか?」という話にもなったんですが、独りでやる弾き語りは長時間やると(僕のギターの拙さも手伝って)単調になりかねない。ましてやメロディーを奏でるのは声だけと言うのは松崎しげるファン以外には辛そうで…。

 カズーというのは以外に知られていない様で、初めて一緒にやる人には「なんですか?あの笛みたいなのは」なんて質問をされます。要するにセロファンに向かって「うー」と言った時のように声で振動させて音を出すので、らしく聞かせるにはコツがいりますが、赤ちゃんでも使えるものです。昔持っていた物は見た目が今よりもブリキっぽくて渋くて音も期待どおりのものだったんですが、ななかいの公演の後なくしてしまいました。今使っているのは二代目。見た目もなんだか塗ってある感が強く、音も微妙に軽い。どこかに売ってないか探してるんですがなかなか見つかりません。ななかいの皆さん、見かけませんでしたか?

 で、前回の公演ではそのカズーとハモニカのためのマイクを立ててエフェクトをかけてみました。アンプシュミレータというギターのアンプを通した音をシュミレートしてしてくれる機械にマイクを通して、それについていた音が断続的に途切れる様になってる物やなんだか揺れる様になっている物に通したのだよ。(誰に向かって書いているか分かりませんな)賛否は分かれましたが、「良い」という意見もあったので次からも使います。

 昔、五反田かどこかの練習スタジオにバンドで入ったとき、ヴォーカル用のマイクの声が聞こえにくくて余っていたギターアンプにマイクを挿して爆音にして練習をしたことがあります。その時僕はエレキギターをさげて歌っていたんですが、演奏中マイクに唇が触れた途端「パン」と香ばしい音がして触れた辺りに激痛が走りました。ギターを弾いていた三田村君(仮)は火花を見たそうです。後々ギターをさげて歌う方はよく経験する事だと知ったんですが、その時は満場一致で「怖いから練習中止」と言うことになりました。

 今はアンプシュミレータを使っているのでいいです。公演中は夢中でそれどころではないけど、練習している時はその嫌な思い出が脳裏をよぎる事があります。ハモニカに通電したらでかいなあとか…。

 これまで三回ツインズヨシハシで公演をやりましたが、僕は前回でこのヨシハシという所での公演はやめる事にしました。理由はいろいろあるんですが、一番大きいのは来て下さった方数名が口をそろえて僕と会場とのイメージの違いや店員さんの怖さを訴えられていた事。そして歌っているときに自分の声があまり聞こえない事の二点です。まずマネ山嵜が耐えられないと言ってたし。最初は旧友の山本敦由君のお誘いで付き合いで出たところですが、いい経験をしました。ま、発展的な撤退ということで…。


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