僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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2003年09月20日(土) 「オッペケペー」と写真を撮る時の掛け声

 昔日本人の大半が写真を撮る時に「はいチーズ」と言っていた時代がありました。カメラを持った人がその掛け声をかけ、それに合わせてみんなが顔やポーズ作る。更にそのうちのほとんどが「チーズ」の「ズ」の時にシャッターを下ろしていました。

 ご存知かもしれませんが、実はこの掛け声、写真を撮られる側が言うべき物で、さらに「チーズ」の「チー」の時点でシャッターは下りていなければならない物なのです。この間友達に話したら知らない人がほとんどだったので書きます。「当然だろ」という方もいらっしゃるのは分かってます。でも書きました。因みにフランス人が考えた物だったと思います。

 これは「い」の段の言葉を発している時に人は笑顔に近い表情をするという原理からきている掛け声で、韓国人が写真を撮る時の掛け声、「キムチー」や、某浦安の偽東京、ネズミーランドで写真を撮る時「ミッキー」と昔覚せい剤絡みでつかまった天才キーボーディスとの名前を言って写真を撮るのも同じ理由ですって。

 そう考えると昔僕らは「チーズ」という掛け声を、更に「写真を撮る人が言う」という謎の行動をとっていた事になります。これは説明書を読まない人の多さや朝の情報番組でどこの局も占いをやる不思議、「電磁波を防ぐブレスレット」や「鼻が高くなるハリウッドチョコレート」等の非科学的で純真な人を食い物にするグッズをを売る人が罰せられない謎等と同じ原因を持っている問題でしょう。明治時代、東本願寺の僧・井上円了が暴いた多くの迷信をなお後生大事に抱きしめる国民性は問題です。大問題。

「はいチーズ!」という掛け声は

撮る人「はい」
撮られる人「チーーーーーーズ」

というかなり阿吽の呼吸を要するやり取りが理想の形でした。
 この問題を解消した掛け声が

撮る人「1+1は?」
撮られる人「2ー!」

というものでした。
受け答え形式で、実に効果的ですね。フジカラーが調べた集合写真全体における笑顔の割合も上がっています。きっと(おそらくうそ)。ただ、これも意味を分からずやっている人が多かったのは事実です。

 友達が言っていた話ですが、インターネットのサポートセンターで仕事をしていて驚くのが、電話の線を抜いたら電話が切れるという事が分からない日本人の多さなんだそうです。あとはコンセントを抜いてもらおうと頼むと電話線を抜いて電話が切れ、「素人に分からない要求をするな!」と怒り出す方も10人や20人ではないとか…。文明開化っていつ来たんでしたっけ。

 Windowsを並んで買った人が「Yahooに騙された!」と騒ぎ、意味も分からず「チーズ」と言って写真を撮り、冷蔵庫を電話線につなごうとして「冷えない!」と怒り、ビストロスマップの料理はスマップの皆さんが全部作ったと思い、サザンの曲を「ロックだ」と思い、「ジャパネットたかた」は親切さをアピール。ゆとり教育で更に大馬鹿が大発生、子猫を電子レンジで暖めて訴訟を起こし、マクドナルドや煙草会社を「自分の健康を害した責任を取れ」と起訴。民衆が「食べるパンがない!」と押し寄せると「パンがなければからし蓮根を食べればよかどが?」と言う始末。

 その人を大事に思うなら「原因と結果」、「権利と義務」などという概念は例え殴ったり蹴ったりしてでも教えるべきだと思いますね。そうしないと死ぬ間際にでも気づいた時不幸です。気づかずに死ねれば良いですがね。きっとそうはいきませんよ。きっと。

 ここまでの話と関係ないですが、文明開化が訪れる頃に晩年を迎えた人もいた訳で…。その事を考えると、今後時代が変わる予感を誰しもが感じる時代に死ぬのは辛かったろうなと無意味に感慨深くなります。が、それはまた別の話。
2003年09月13日(土) テレビっ子倶楽部 3「ただいまとおかえりなさい」

 昨日放送された「金曜エンタテイメント「完全再現!北朝鮮拉致”25年目の真実”消えた大スクープの謎これは犯罪だ…決死の新聞記者…TVマン…闇 石黒賢堺正章 布施博 市毛良枝ほか」は素晴らしかった。なぜ火曜サスペンスの様にサプタイトルまで書いたかというと、まず キャスティングが素晴らしかったからだ。当時産経新聞の記者であったサンケイスポーツ編集局長現阿部雅美氏役を石黒賢が演った。トータルで見ると出番はそこまで多くないが、僕の知る限りで石黒賢の一番のはまり役だった気がする。元共産党の国会議員秘書、兵本達吉氏役に堺正章も良い。それに加え石高健次氏(朝日放送プロデューサー)役の布施博は「邪魔せぬ演技」といった感じだった。布施博は演出にもよるがこの手の演技が特にうまいと思う。

 このドラマで再確認したのは、北の拉致事件を取り上げ、世間に認めさせた三人が「産経新聞」「共産党」「テレビ朝日」というイデオロギーが一致しない母体を持つ人々だったという事。しかも兵本達吉氏に至っては動きすぎで共産党から除名されている。「いるところにはいるんだな。場所は関係なく」と浮かれるのはお調子者な僕の悪い癖。

 ワンシーンで会見場でメディアの人間が、効果的に運動を進めるために拉致された被害者の写真を家族に掲げさせる件があった。その方法を指導するシーンなど、「テレビに映る人間」を育てなければならない切実さと目的の明確さを感じたし、日本人が苦手とされるアピールを、やむを得ず身に付ける家族の姿が実に素直に日本人の未知の可能性として受け取られた。(蓮池さんのお兄さんの素人離れした風格はこの闘いによって育まれた事は言うまでもない訳だ)


 僕は神を一切信じない。それはそれとして、人々は不幸が運だとか神だとかによってもたらされると解釈するから何とか許容してやっていける。しかし、確かに一国の保守と一独裁者の利己によってもたらされた不幸があった場合、それを許容してはいけない。そしてその痛みをわかって闘ってあげられるのは、同じ言語を理解し、お互いの故郷の話を熱心に出来る同胞だけなのだ。平和や安泰はあるものでなく地味に勝ち取る物だという意識をそろそろ持つべきだろう。

 昔、少なくとも今の日本より治安が悪かった頃、人は出かける時と帰った時、家族に無事を伝えなければならなかった。「いってきます」「いってらっしゃい」、」「ただいま」「おかえりなさい」。形式的と批判される事も多いこの言葉は実に危機管理の意識が高い言葉だと思う。家の外で何か起きた時、家族が皆家にいれば阿吽で協力体制が作れる家族での行動は実に合理的だ。何事かあった時、家の中に家族が全員いるのか、敵の襲撃ならば帰らない者には「戻るな」と伝える必要があるかも知れない。そんなに固く考えなくても、どんな理由であれ「ただいま」に対して「お帰り」を言えない不幸が存在し、いつでも自分に訪れる可能性がある事を、自分の事として考えないと今後乱れていく日本を乗り切れないだろう。

 まだ戻らぬ同胞がいる。僕らに何ができるだろう。「今に何かしてやろう」とこぶしを握ってみたりして何をするか思い浮かばない小市民であった。
 いやあ良い番組だった。何よりフジが久し振りにフジらしかったのが嬉しかった。よかった。

  同じ日、NHKはのほほーんと「その時歴史が動いた クレオパトラ真実」なんてやっている場合ではないのだ。鼻が何センチ高かろうが知った事ではないのだった。


2003年09月12日(金) テレビっ子倶楽部 2

 深夜にコアな方へ向けた番組がガツンと作られて流されていると、「テレビももうちょっと大丈夫かな」と勝手に心がホクッとする髙(高)山です。ここ最近、深夜枠で健全なサブ番組を目にします。
 一つは深夜の恒例番組「天草国際トライアスロン」(正式名称は知らないけどこんなの)。これは素晴らしくシンプルで、お酒を飲みながらずっと観てしまいました。そして本日はMXTVでヘリコプタの競技に関する番組をやってました。ヘリの国際試合がヨーロッパで行われてそれに出場、優勝する日本人のドキュメントをやっていた訳ですが、親しい友達にヘリコプタを操縦したり管制塔で指示を出したりする仕事をしている人がいるので(しかも男なら会った人大半が可愛いという様な女性!)さらに勝手に実感が湧きましたね。MXTVなんて石原さんの定例記者会見と「TOKYOBOY」位しか良い番組はなくて、更に大概は「しばらくお待ちください」的な画像が流れてる物かと思ってましたが、やるもんです。

 さらにCMが流れるんですが、ほぼ一社提供の様にヘリコプタ乗りを作る専門学校の物。ヘリコプターの金メダリストが指導するそう。営利と数字だけを濃縮した様な番組とCMにウンザリした方、深夜の主義主張のみの番組に癒されてはいかがですか?運が悪いと通販しかやってませんが、ジャッキーチェンのトレーニング機器は( ゚д゚)ホスィ…。では!


2003年09月10日(水) テレビっ子倶楽部1 CMマニア レオタード嫌い

 CMの仕事をさせてもらうようになる前からCMが好きでした。小学校の頃、教室で何気なく「ロリエ~セーフティ~ロング~」というその当時よくやっていたCMの歌を口ずさんでしまい、女子たちを全て敵回した事すらあります。その頃からCMの仕事をする事が運命付けられていたのかも知れません。

 今、もっとも許せないのは武富士と蒟蒻畑の両「レオタード愚CM」巨頭。おっさんがレオタードが好きなのを狙ったのか知りませんが無意味です。
 武富士のCMはご存知かと思いますが、ティッシュを配るやつとCMで踊っている奴等が記者会見ごっこみたい事をするもの。踊っている奴等がインタビュアーです。「私踊る!」「私配る!」とそれぞれに叫んで終わるんですが、金貸しが踊る必要なんてないのにまるで使命の様。あの方々は踊るだけの役割で武富士にいるんでしょうか。皆さんも想像がつくと思いますが、彼女らはきっと社長の『喜び組』ですね。あのレオタードとレッグウォーマーは社長の個人的趣味ですね。

 蒟蒻畑に及んではスーツ姿のOLが無意味に新体操のレオタード姿になりサッカーを始める始末。しかもシュールさを狙ったにしては全然シュールでもない。「蒟蒻畑はいい感じ」と妙なジャズダンスみたいな物を躍らせていた方がまだましですが、あれも最低でした。だって真中のダンサーが80年代ヘアーで兵藤ゆきみたいだったんだもの。

 僕はね、この二つのCMに関して言えば二つの会社の社長が鍵を握っていると見ています。きっと女を躍らせる事が嬉しいはず。さらにジャズダンスを「ナウい」と思っている。そしてこの二つのCMにはおそらく社長の「女」が出ていますね。

 自分が携わる現場では、「ああでもない」と推敲してクライアントにお伺いを立てて慎重に進んでいくCMが殆どなのに、なぜここまで無意味で何も伝えないCMが垂れ流されるのか。どういうイエスマンたちによって作られていくのかが不思議です。今後も愛するが故の偏向したCM批評を繰り返し、週間広告批評等に連載を持てる様、頑張ります。


山作戰 髙(高)山 |HomePage

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