だいありー

2025年05月31日(土) とりとめのない話 1

とりとめのない話をつらつらと綴っていきます。


母は3/30(日)に病院に救急車で搬送しました。
その辺りの話はまたいつになるか判らないけど
書くかと思う。
母はその後、4/8日(火)に退院し、施設に入所
しました。
その翌々日、10日(木)の朝に天国に逝きました。
母が亡くなって、まず施設ですから在宅医師に
施設から連絡が行き、医師が到着して死亡確認と
なります。
母は朝9時20分頃に呼吸が停止確認を施設の
看護師がしていますが、医師が確認するまでは
死亡とされません。
これは病院でも同じです。
在宅医師は元々予定していたお宅の帰りに施設に
駆けつけてくれましたので、死亡時間は午前11時35分
となりました。
それまでは呼吸が止まっていても酸素の機械はずっと
母に酸素を送り続けていました。
時折、母の胸が呼吸しているように上下に動いて
いるように見え、叔父も駆けつけてくれましたが
叔父は母の足が動いたというのです。
私も叔父も母の最期は間に合わず、母を看取って
あげられませんでした。
でも、これが病院でも同じだったと思う。
何故なら母は市民病院の「緩和ケア病棟」に入院
していたから。
病院と言えど、「緩和ケア」病棟は特別で、
全病室個室という状況です。
だから母はレスパイト入院で1週間入院しただけでも
20万近い金額を払います。
更に施設も病院の「緩和ケア」病棟も延命措置を
しませんので、モニターを付けません。
だから看護師さんはパルスオキシメーター
(サチュレーションモニターともいいます)で
酸素濃度を見て、顔付きや下顎呼吸が始まった時点で
家族に大至急向かうように連絡を入れます。
母は下顎呼吸が始まって連絡を貰いましたが
電話を切ったたった10分後に呼吸停止したと
看護師に説明を受けました。
なので私は到底間に合わなかったんです。
だから病院でも施設でも私は間に合わなかったと思う。
残念ですがどの病院も「療養病棟」「緩和ケア病棟」
「施設」では家族は間に合わない方が多いです。
私も「療養病棟」に勤めていますが、
間に合わない方が圧倒的に多いです。
「療養病棟」では夜勤帯に亡くなる方多くて、
朝出勤したらステーションの入院患者さんのボードの
名前が外れて私の机に一式置いてあったりすることが
多いです。
ただ、「療養病棟」はモニターは着けてくれます。
なので血圧が50を切ると看護師を呼び、看護師が
家族に連絡を入れます。
このモニターは50を切ると一気に血圧が下がって
患者さんが最期を迎えるのが本当に早いです。
家族が間に合わない事が多い程に早く逝きます。
ただし、「療養病棟」は寝たきりの患者さんが入る
病棟ですので、脳梗塞だったり、脳出血だったり、
意思の疎通が取れないような方が主です。
もちろん意思の疎通が取れる人もいますが、
それでも一人では動けない、寝返りも打てない
という方です。
なので、末期がんの患者さんは入れません。
つまりはもしも母が入りたいと言っても入れない
のが「療養病棟」です。
「緩和ケア病棟」は末期がんの方が入る病棟ですので
癌以外の患者さんは入れません。
基本「療養」も「緩和」も治療はしません。
延命措置もしません。
また、母は「自宅で死にたい」とずっと言っていて、
施設見学は気晴らしに一緒に来てくれましたが、
車椅子で私と一緒にトイレに行けているうちは

「施設に行かなくてもよい状態なのになぜ
施設に追いやろうとするんだ」

と言っていました。
寝たきりになっておむつの中で排泄を余儀なく
するようになっても辛くない状況だったなら
「行く」とは言わなかったです。
ただ、母は「スキルス性胃がん」と「悪性リンパ腫」
のダブルで癌を患い、どちらも深刻だったため、
寝たきりになって1週間もしないうちに身体が
みるみるうちに辛くなり、

「早く死にたい」
「早くおばあちゃんのところに行きたい」
「こんな思いをしてまで生きていたくない」
「助けて〜!」

と良く言うようになりました。

このころから「施設に行きたい」と言うようにも
なりましたが、かねてから母には

「寝たきりになって施設に行きたいと言っても
どこも受けて入れてはくれないんだよ?」

とコンコンと説明したのに母は「行かない」と
言っていたんです。
ところが身体がだるくてだるくてどうしようもなくて
「施設に」と言い出した時、某施設が末期がんに
長けている施設2ヶ所が受け入れ態勢を整えて
くれました。
これはケアマネの力がとても強かったやり手の
ケアマネだったからだと思う。
本当に彼女には感謝してもしきれない。
やり手のケアマネというのは利用者側の意向に
沿って動く指示待ちケアマネではありません。
基本、利用者の意向に沿って動きますが、
信頼関係を持ち、だからこそ利用者の性格や
考え方や状況を瞬時に判断して動ける人をやり手と
言います。
だから母のケアマネさんはご自分でも言っていましたが

「私は施設に入れたら施設のケアマネに宜しくねで
終わらせません。
担当が外れても様子を見に行くし、癌に特化した
療養型の施設(有料老人ホームという扱いになります)
だとケアマネと在宅医師がそのまま継続になるケース
が多いので、大手を振って出入り出来るから
気がついたところはガンガン施設を責めて行くよ。
だって大切な家族を預けているんだから。
見てやってるんだという考え方は違うでしょ。
だから高いお金をご家族から取ってるんだからさ」

。。。泣きそうでした、それを聞いて。
母の入所の時に契約書を見て「それは何故?」と
思ったところが多々あったようで、突っ込んで
聞いてくれていました。
嬉しかったです。
その時に施設のスタッフの前で上記のような事を
私に話してくれたんです。

母は、身体が辛くて、「施設に行きたい」と
言った時に

「こんなになってからはでは入れてくれる施設は
無いよって言ったでしょう?」

って話したら

「今そんなこと言ったって。。。
その時は行かなくても良いって思ったんだもん」

と言いました。
そんなことだろうと大分前から分かっていたので
施設にはエントリーしていましたし、2か所とも
部屋を開けて待っていてくれました。
母が入った施設はちょっと違って部屋を押さえて
くれたのは母が救急車で病院に搬送されてから
なんですけど。
元々、自宅ではもう母自身が無理(私は3日程
寝ていませんでしたが、まだ母の世話は
ヘルパーや訪看の力を借りて出来ると思っていました)
だろうとも思っていたのでケアマネに

「”緩和ケア”に入院して病院で施設の空き待ちを
したい」

と伝えていたこともあって、4/1(火)に入院する
事は決まっていました。
でも3/30(日)に友達と同期親子が来た際に母が

「身体の置き所が無くてつらい」

と訴えていたので救急車で病院に行きました。
私本人は「もっと母を家で面倒看たかった」と思った。
でも結果的に同期達が正しかったです。
何故なら母はカリウムが異常に下がってしまっていて
辛かったはずだと医師に言われたから。
治療しないとはいえ、延命でなければ薬は使うので、
点滴でカリウムコントロールをしてもらいました。
けれども身体が少し楽になって来ると母は病院を
嫌がるようになりました。
母は癌になってから何度もレスパイト入院をしています。
1度めは私が勤める病院の「地域包括ケア病棟」に
1週間。
「地域包括ケア病棟」とはリハビリをしてお家に
帰って普通に生活をしましょうという病棟です。
だから60日しか入院出来ません。
よく病院は3ヶ月しか入院出来ないと聞きますが、
これは一般病棟を指します。
因みに「緩和ケア病棟」は30日しか基本は入院出来ません。
ただし、状態が悪く動かせない状況であっても確実に
状態が下っている状況なら30日超えても病棟会議で
決定すれば入院可能です。
でも状態が良くなくても寝たきりで意思の疎通が
取れなくても状態が安定すれば施設もしくは自宅に
帰ってもらうというのが「緩和ケア」です。
私が勤める「療養病棟」は無期限に入院出来ます。
だから状態の重い患者さんのご家族は療養病棟を
選ぶんですよ。
施設より安いですから(入院費が)
病気によって請求額が違いますのでね。
生活保護受けている患者さんなんかも多いです。
0円ですから。
ただし床屋さんに来て貰ったりすると安いけど実費が
かかるので請求は来ます。
うちの病院は\2,000前後です。
男性は髭剃りとかもあるので頼むとその分かかりますが
補助さんや看護師さんが時折髭は剃ってくれるから
寝たきりの患者さんはやらない方が多いです。
車椅子に乗ってトイレに連れて行って貰える方は
時々髭剃りもお願いすることがありますけど。

母が入院したその翌日の月曜に施設にから連絡があって
「空きが出た」と言われたんですが、病院の医師(女性)
からは

「今動かすのは賛成しません」

と言われました。
母は12・2月のレスパイト入院では既に「緩和ケア」で
入院しましたので、12月の時はとても喜んでいたんです。
既に食事が摂れなくなって、食べた物を即吐いたのと、
私が胃カメラを飲んだ後、エコー、そして12月半ばに
大腸にカメラを入れてポリープになりそうなヶ所を
ワザと膨らせてポリープにしてこそげ取った為、
無理できない(私本人は何ともないのでついつい
重たい物を持とうとしたり母の世話を頑張ってしまう)
ため、レスパイト入院させたんです。
その時に医師にステロイドの薬を処方されて
それが良く効いたんで、恐ろしいほどモリモリ
ご飯を食べれるようになったんです。
だから年が明けて2月頃だったでしょうか、母が

「あの時は食べれなくて ”ああ、自分はもう死ぬんだな”
って覚悟したもん。
先生には感謝だなぁ」

って言ってたことがあります。
ところが2月のレスパイト入院の際には看護師さんや
看護補助さんから心無い事を言われたそうで、
市民病院に入院することを嫌がるようになりました。
誰でもそうだけれど、おむつの中に排泄するのは
抵抗がありますよね。
母は自分の足で極力行こうとしていたので、
ナースコールで呼んでもすぐに来てはくれなくて
おしっこをちびることもしばしば。
まぁ、おしっこくらいはシャバシャバ出なければ
問題ないし(まだトレパン履いてた)、
排泄も出るかなり前、「なんとなく出る感じがする」
という段階でトイレに行くため、失敗することは
家に居てもそう無かったんです。
ところが補助さんや看護師さんからは

「おむつの中にすればいいじゃない。
そのためにトレパン履いてるんだから」

的な事を言われて、とても嫌な思いをしたという。
患者さんは、特に生きる時間が限られている
「緩和ケア」のスタッフが言う言葉とは到底思えない
言葉だよ、これ。
更には食事を摂るにもベッドをギャッチアップしても
90度にベッドはなりませんからオーバーテーブルが
足元にあって食事をそこに置かれても、本人は
食べられないんですよ、身体が動かないから身体を
起こして貰い、背中にクッションを入れて貰わないと
無理だし、オーバーテーブルも傍に引き寄せて
くれないと食べれません。
だから補助さんにお願いすると

「私は出来ません」

で帰ってしまうという。
・・・いや、補助さんは出来ます。
だから介護福祉士の資格を持ってるんですよ。
持ってなくても出来るけど。
でも市民病院は仕事は細分化されていて、
食事は「配るだけ」という職種がいるのでしょうね。
それでも言い方というのがあるじゃないですか。
もし私なら

「ごめんなさいね、私は職種柄出来ないので
出来る人を呼んできますからちょっとだけ
待っててくださいね。」

って言います。
実際、勤める病院でそう言ってますし。
変な話、起こすくらいなんてことないじゃん。
母はその日、食事を摂らなかったと言っていた。
だから「お菓子を置いておいてくれ」と。
「お腹空いたらお菓子を食べるから」と。
3月の最期の入院の際には看護師にその時の話を
しました。
驚いていました。
そして母はそれがトラウマとなって、最後の入院の
時も「施設に行きたい」と言っていたんです。
だから退院して4/8(火)に体調が安定したところで
退院して施設に入所しました。
安心したのでしょう、嫌だった病院を出れて
嬉しかったのでしょう、とても体調が良くて。
でもその安心したことで、母は逝ってしまいました。
たった3日。
入所した日が1日目とカウントするならば3日目の朝。
初日は本当に元気だったから、在宅医師も「え?」って
感じだったんです。

じゃあ、身体が辛くても頑張って家に居たら母は
どうだったか。

多分、もっと早く逝ってしまったと思う。
だってカリウムが下がってるなんて私には
判らないし、訪看の看護師だって判らないもの。
そしてもしも逝った時間が実際に母が逝った時間帯
だったなら。
母は独りぼっちで逝ってしまったと思う。
私が仕事に行ってヘルパーが来るまでの間に1人で
逝ってしまった可能性が高い。

私が、叔父が臨終に立ち会えなくても、看護師さんが
傍にいてくれたので、母は独りぼっちで逝った訳じゃ
ないので、寂しがり屋で人恋しい母はぼっちじゃ
なかったと。
それは良かったと思う。


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