日本人はしょぼいと思った。 ちがうかオレはしょぼいと思った。
今日はひょんなことからGEの社員さんに会った。 うちの会社の同僚が旅行先で4年前くらいに会って 大阪に来てるから会おうとなったらしく、 1人で会うのは怖いからついて来てと言われ会いました。 いい人でした。 香港人で日本語は全く話せない。 勿論会話は全部英語で何を話してるかは分かったけど 全くといいほどしゃべれませんでした。
なんでもIT関係の仕事をしていて(というかGEってスゴイヨネ) 世界各国を飛び回っているらしい。 そんでもって分かり易く話してくれたし 会話の節々に行動力とか賢さみたいなのが見え隠れしてました。 一言で言えば圧倒されました。 その生き方に 仕事しまくって休んでを繰り返しているんだと思う(たぶん…) なんだか楽しく生きてる、生きてやるって感じでした。 さらに会話の中でグローバリーゼーションが社会問題になっていて 空洞化や他国での公害を生んでいる、そのせいで9,11の事件の 見たいな話をさらっと言っていて、 なんつーかこういう社会的な話をさらっとする感覚が僕にはないなとおもってました。
だもんでクリ的に社会的な話してみようと思います。 この話が僕が今の仕事選んだ理由でもあるんですが
グローバリーゼーションは少し前に流行った社会の理想系ですが 勝ち組と負け組を分ける変わりに世界中にあるものをお金さえ払えば なんでも手にすることができるという、利点を兼ね備えているわけですは しかしこの考え方にはいくつかの矛盾があるわけです。 競争が激化することで最終的な消費者に最大限の利益が得られるとしていますが、それは長続きしないということ。 なぜなら勝ち組、負け組に社会が分かれる場合 勝ち組の子は勝ち組になり(十分な教育を受けれる。) 負け組みの子は負け組になる(十分な教育を受けれない。) の連鎖を生み、負け組が勝ち組になることが難しくなっていくわけです。
こうなると勝ち組同士の競争からさらに勝ち組と負け組が生まれてくると 世代を追うごとに勝ち組の数が減っていき競争が徐々に減っていき、 勝ち組の天下が来るわけです。(まあ独占が生まれてくるでしょう。かつての財閥ね)
さらに情報が重要な世の中ですから、重要な情報を握る事できる 勝ち組と負け組の差は推して測るべきです。 もっと言えば情報は重要であるほど流通しなくなる、 情報はあっという間に広がる性質を持つ故に情報は厳重に管理され 重要な情報こそ少数にしか知りえなくなる。 という性質を持つ。 (余談だが最近ヒト、モノ、カネ、情報と経営資源が4つあるとしていますがクリは情報はヒトに帰属するものだと思います。情報はそれ自体が重要ではなく如何に取得するかが重要であるもので如何にばらさずに利用するかで価値を生むものである。情報それ単体とらえるのでは情報という経営資源の一面しかとらえていないと思うわけです。要は流通する情報は限りなく多くなり重要な情報はより得にくくなる、その時どのように取得するかが重要になる。その場合情報はヒトによってしか得ることしかできないとおもうからです。ですから情報はという経営資源はヒトという経営資源の変質ととらえる方が正しい情報のとらえ方だと思ってます。)
こうなると負け組は負けっぱなしになるというリスクがあり、 勝ち組に挑み負けると完全に負け組の連鎖にはまる可能性があるわけです。 そのようなリスクの高い状態で果たして競争はなどおきるでしょうか 徐々に競争なくなりメガカンパニーより独占が生まれるだけでしょう(マイクロソフト?)
じゃあグローバリゼーションがダメかっていうと、そうでもなくて 競争のないグローバリゼーションがダメだと思うんです。 ならば負け組が勝ち組に挑むしくみ、セーフティーネットが必要なんです。 つまり負け組でも何とかなると思える社会の仕組みづくりが必要だと思うけです。 社会的弱者を救うことで、強者に挑むリスクを軽減する社会ならば、 グローバリゼーションも成立すると思うんですは もっとも僕のやっている仕事は十分ではなく必要なレベルの仕事ですが…。 まあその思索も見えてないって事ですね。
長々と書いたけど少しは社会派にならないと思った今日でした。 ちなみに9.11以外にイギリスでもバスの爆破があったことや 各地でどれほど血が流れているかを考えると どうだろう、グローバリゼーションではなく ネクストソサエティしかないのかもね
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