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2006年07月30日(日) 階級を上げる苦しさ

◎対戦相手は二階級下の元チャンピオン

いよいよ話題のKK選手(1986/11/17生まれ、身長166cm)が世界に挑む。といっても世界王者決定戦だ。階級はライトフライ級(かつてのJフライ級)なので、KK選手がいつも戦っているフライ級より軽い。KK選手は減量についてはまったく問題ないという報道なので、体力的には優位にあると思える。
相手のファン・ランダエタ選手は、1978年10月7日、ベネズエラ・マトゥリン生まれ。1999年12月に1回KO勝ちでプロデビュー。04年1月、チャナ・ポーパオイン(タイ)とのWBA世界ミニマム級暫定王座決定戦を制し、王座獲得。同年10月に正規王者・新井田豊(横浜光)との王座統一戦に挑んだか12回判定負け。2006年5月にライトフライ級に転向して現在WBA1位にランクされている。身長165センチの左ボクサーファイター。戦績は20勝(16KO)3敗1分け。
さて、ここで軽量級の階級について整理しておこう。こんどの決定戦はライトフライ級で戦われる、つまり、47.61~48.97kg(105~108ポンド)だ。ランダエタ選手が王者を獲得したミニマム級は、かつてはストロー級と呼ばれていたもので体重は47.61kg以下(105ポンド以下)。一方、KK選手がいつも戦っているフライ級は、48.97~50.80kg(108~112ポンド)と重くなる。
経歴でわかるように、ランダエタ選手は46.61Kgの元チャンピオン。2年前に防衛に失敗して以来48.97Kgまで上げた選手。一方のKK選手はフライ級(50.80kg)から減量して48.97kgで戦うわけで、二人は2階級の開きがあると考えていい。年齢はランダエタ選手が27歳、KK選手が19歳。このマッチメークからみると、KK選手にとってチャンスがある試合だと考えられる。

◎具志堅用高氏の思い出

筆者は、国際式ボクシングが立ち技格闘技の中でもっとも美しい競技の1つであると信じて疑わない。なかでも具志堅用高氏(世界ジュニアフライ級王者)は日本が輩出した世界王者のなかで、最高の王者の一人であると確信している。
具志堅氏には思い入れがある。日本で行われた彼の防衛戦を続けて数試合、筆者はリング下で観戦した。筆者は運動部の記者ではないが、友人のヘルプで東京で開催されたボクシングの世界戦を取材した。勝ったほうのインタビューに友人が行き、負けた者のインタビューに筆者が行くことになっていたのだ。取材では具志堅選手はいつも勝っていたので、筆者は敗者の外国人挑戦者の会見にばかりいっていた。ところがある試合で負けた挑戦者の会見が終わっても友人が出てこないので、具志堅選手の控室に顔を出したところが、控室には記者が黒山のように彼を囲んでいた。遅れた筆者には具志堅選手の顔も見えない。彼が話す声はとぎれとぎれの小声で、聞こえない。記者とのやりとりは、まるで、地方から出てきた中学生が都会の大人に質問されてこわごわ受け答えするときの様子に近かった。
リング上の具志堅氏は大きかった。照明に照らし出された彼の身体は光り輝き、オーラを発散していた。相手を見据えた表情は猛禽類のようだ。パンチが当たったとみるや襲いかかる姿は恐ろしかった。身体中から霊力がみなぎり、この世の者とは思えないほどだった。そして、その日も具志堅選手は獲物を射止め(防衛に成功して)控室に戻ったのだ。そこで筆者が見た王者の姿は、小さく優しく控えめだった。彼の下に下降した神が去り、彼は普通の人間になっていた。筆者には、戦う具志堅選手と戦い終わった具志堅選手との乖離――そのギャップの深さこそが衝撃だった。
筆者が具志堅氏から受けた衝撃は、ボクシングが張り詰めた極限に近い緊張状態においてなされる競技であることだった。そこには、妥協や約束事や冗談といった緩みの一切が介入する余地がない。筆者にとってボクシングとは、王者・具志堅が紡いだ世界であり、それ以外ではない。具志堅選手以外の世界戦ももちろん何度も見たのだけれど、具志堅選手が与えてくれた思いと同じものを得ることがなかった。“思い入れ”と一笑していただいてかまわないのだけれど、具志堅用高選手は、筆者にとって、忘れえぬ格闘家の一人となって、記憶の中にいまなお留まっている。

◎テレビがボクシングもダメにする

その具志堅氏がKK選手を某週刊紙上で批判した。もっともな話だ。KK選手には、品位がない。KK選手の試合には(筆者は観戦していないのだが)、おそらく、具志堅氏がかもし出した緊張のみなぎりが感じられないのではないか。
KK選手の試合は興行として、しかも、エンターテインメントとして、成立している。KOシーンだけを期待する「ファン」にだけ支持されている。KK選手はテレビによってつくられたボクサーにすぎない。特異なキャラクターと意外性の高い環境(ボクシング・ファミリー)から、テレビの大キャンペーンによって人気を獲得し、弱い相手とのマッチメークで世界に近づいてきた。対戦相手をみれば、日本人選手が一人もいない。日本チャンピオンにならずして、世界王者決定戦に出場する選手を知らない。KK選手がボクシングの王道から外れていることはまず、間違いない。
繰り返すが、KOシーンだけがボクシングの魅力ではない。お互いが相手の得意技を封じる場合がある。その場合は、かみ合わなかった試合という。その一方、かみ合って打ち合いになっても、決定的パンチを防御する技術が双方に高ければ、KOシーンが起きないこともある。ただ、KO負けを恐れてリスク回避の試合を続ければ、王者への道は遠ざかる――それがプロ格闘家の宿命なだけだ。
巷のブログで言われるように、こんどの試合の勝敗が仕組まれているとは思いたくない。KK選手が世界王者になる可能性もあるし、そうでない可能性もあると、すなわち、KK選手の勝ちが約束されていないことを信じたい。
だが、筆者は、対戦相手がどんなボクシングをするのかがわからない。テレビが対戦相手の過去の試合の映像を流してくれないからだ。相手がいま現在、どんな選手なのか、どんなボクシングをするのかわからないまま、ただKK選手を見たい、KK選手がKOするシーンを見たい――という理由で高いチケットを買うのは、いかがなものか。そのようなチケットの購入動機は、スポーツの世界から外れている。
しかも、戦う前から相手を罵倒するような品位を欠く選手が約束どおりKO勝利する、そして、「ファン」はそのシーンを見て楽しむ、という構図は、国際式ボクシングのものではない。それは、プロレスの世界ではなかったか。



2006年07月22日(土) オシムは俊輔を評価するか?

オシムジャパンが正式に発足した。新たな船出だ。ジーコ前監督によって失われた4年間を取り返し、世界にキャッチアップしなければならないのだが、「日本丸」のマストは折れ、帆はボロボロ、船底には穴が空いている。オシム新監督はジーコジャパンを走らない車に喩えたけれど、筆者には、船底に水が溜まった沈没寸前の船のように思える。
就任会見は報道の通りであり、ここでは詳しく紹介しない。同業者のよしみで、ジーコジャパンを直接批判してはいないけれど、新監督の言葉の随所にジーコ路線の否定と批判が垣間見える。
筆者はオシムジャパンの航海の無事を祈るのみだ。そして、針路の吉凶を2つの指標から占うことができると思っている。1つは川淵会長の動向だ。近いうちに、オシム監督の敵が川淵会長であることが判明する。オシム監督が川淵会長に勝てば、「日本丸」の針路は順風満帆になろう。
もう1つは俊輔の扱いだ。ドイツ大会で俊輔は活躍できなかった。その理由が体調不良にあるのか彼のサッカースタイルが世界レベルで通用しないかどうかは議論が分かれるところだが、元監督のトルシエ氏は俊輔を選ばなかった。同じピッチ上に同じタイプの選手を立たせることができない。それが人数に制限のあるサッカーの公理だからだ。
『オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える 木村 元彦〔著〕』を読むと、オシム監督が旧ユーゴスラビア代表監督時代、ある人気選手の起用について苦労したことが書かれていた。オシム監督は世論に抗して持論を貫き、W杯でユーゴをベスト8に導いた。おそらく、近い将来、オシム監督は俊輔の扱いに苦労することになる。俊輔が実力と乖離した国民的アイドルだからだ。もちろん、俊輔起用を煽るのがスポーツマスコミである構図は、日韓大会当時と変わらない。
新しい日本代表のトップ下もしくは左サイドにだれが入るのかはまだわからない。オシム監督がスピードと攻撃性を代表選考の基準にしている以上、俊輔よりレギュラーに近い選手がいる。新監督が俊輔を外せばそのとき、マスコミは、オシム批判を大キャンペーンするに違いない。
「日本丸」の航路には難所が多い。川淵会長の商業主義、俊輔の取り扱いに代表される扇情的な日本のマスコミの攻撃・・・とりわけ、川淵・ジーコ体制の4年間の代表ブランドでたっぷり稼いだ甘い蜜の味が忘れられないサッカー協会にとって、オシム監督の純粋・ガチンコ路線が煙たくなることは目に見えている。オシム監督はジーコ前監督のように、協会が簡単にコントロールできる人間ではない。それは、『オシムの言葉』を読めばすぐ理解できる。同書は人気サッカー選手とスポーツライターの共作で書かれた「スポーツ本」とは違う。ある意味で、旧ユーゴスラビアの内戦の記録であり、政治とサッカー、民族主義とスポーツの関係に言及した内容になっている。同書に描かれたオシム氏の体験は、日本人に理解できないほど複雑で困難なものだった。同書は“スポーツもの”の枠を越えた、現代史の記述に通じるものがある。チトー時代のユーゴスラビアを社会主義の理想国家と規定した社会主義者も存在した。そのユーゴがいったいなぜ、あのような悲惨な内乱状態に陥らなければならなかったのか。内乱直前の「ユーゴスラビア代表」というものが想像を越えた複雑な国家代表であり、それを束ねる代表監督にどのようなプレッシャーがかかるものなのか、60年以上平和を保っている日本人には理解しがたいところだ。代表サポーターのみならず、サッカーファンには、『オシムの言葉』を読んでいただきたい。同書から、世界の一端が垣間見えるかもしれないのだ。人生、世界、社会、人間・・・サッカーは人生に似ているといったのもオシム氏だが、サッカーが国家、民族、イデオロギーを背負うこともある。サッカーが文化、すなわち人間だからだ。そして、その渦中にオシム氏を含む旧ユーゴ国民が、幸か不幸か存在してしまった。
さて、その経緯の是非は別として、このたび日本代表がオシム監督の指揮下に入ったことは、筆者にとって幸運だった。筆者は、オシム監督が今年を最後に千葉から離れると思っていたからだ。そうなれば、オシムサッカーは日本から消える。代表監督になったことで、とにかく、あと4年はオシムサッカーが楽しめる。当コラムにおいて、ジーコジャパンとは違った角度で、オシムジャパンを取り上げる機会が増えそうだ。そのためにも、オシム監督には前出の2つの難所をぜひとも無事に通過してもらわねばならない。



2006年07月21日(金) テレビが日本サッカーを破壊する

ジーコジャパンの特集番組を見た。久米宏がキャスターを務めていた。期待外れだった。なぜ、失敗を成功にすりかえるのか。その意図が筆者にはわからない。スポンサーはキリンだった。日本がドイツで負けた理由は、番組が終わっても不明なままだった。日本代表サッカーが芸能化したことの弊害については、当コラムで何度も書いた。この場に及んで、まだジーコ路線を礼賛する、その根拠が理解できない。
ジーコが掲げた自由、自主性、楽しさ・・・結果を問わないスポーツは、アマチュアのそれ、同好会だ。楽しいサッカーを目指したければ、プロになってはいけない。結果が問われなければ、技術の向上はない、個人の力量もチーム力も上がらない。日本代表は負けてもいいんだ、いい試合をしてくれればいいんだ、サッカーを通じて友好や親善が図れればいいんだ・・・というのであれば、それはスポーツ文化ではない。真剣勝負を通じてしか、ハイレベルのパフォーマンスは実現されない。
さて、この番組から筆者は1つの確信を得た。ジーコの役割は1990年代の住友金属⇒鹿島アントラーズの誕生で終わっていたということだ。ジーコが鹿島で果たした役割を否定するつもりはない。鹿島はおそらく、ジーコのおかげでJリーグのクラブの中でいまなお、強豪として生き残っているのだろう。
仮に、ジーコが鹿島の仕事の延長線上に代表監督の仕事をイメージしていたとしたら・・・当番組を見た限りにおいて、ジーコは鹿島で培った自分のノウハウが代表監督としても通じると考えたようだ。W杯におけるジーコジャパンの失敗はもしかしたら、ジーコの鹿島での成功に起因しているのではないか・・・ジーコにとっても、日本代表にとっても、成功の裡に悲劇が内在化されていたとしたら・・・
プロスポーツ選手は残酷なものだ。内なるライバル、外の敵と戦わなければいけない。勝つことが義務づけられている。ジーコは自分が気に入った選手を切れなかった。新しい戦力の台頭にも目をつぶった。「ファミリー」で勝ちすすめると楽観的だった。ぬるい、ゆるい、脆弱な、ヘナヘナ代表チームが元監督の遺産でアジア予選を勝ち抜き、ドイツ大会でぺしゃんこにされた。そこに目を向けなければ、日本代表は強くなれない。



2006年07月19日(水) ダバディ氏の「10案」を読みましたか

ダバディ氏が、日本サッカー協会会長立候補に係る「10案」というマニフェストをブログ上に公開した。おもしろい提案ばかりだけれど、その中味についてここでは議論しない。重要なのは、会長職を目指す者は、協会の職に与るに当たって、日本サッカーの方向を明示する義務があるということだ。いまの日本サッカー協会は、政治力をもった元有力選手達が学閥・企業閥で要職を独占し、スポンサー企業と組んでカネを稼ぎ、それを恣意的に再配分している状況にある。
日本サッカーの理念としては、地域を基盤としたスポーツ文化を育み、地域住民のアイデンティティの1として、彼らに娯楽と健康をもたらす媒介となることだった。その集約形として代表チームがある。代表チームは、各国との代表戦=W杯の覇権を争うことで、より高次のスポーツ文化を育むことが期待されている。Jリーグと代表は理念を共有し、相互が対等な関係において、日本サッカーをリードする構造をもたなければならない。
ところが、サッカー協会の実態は、「日本代表」ブランドを駆使した商業主体に堕してしまった。ダバディ氏は、氏自ら規定するように、商業主義が絶対悪だと断言するほどナイーブ(うぶ)ではないが、ジーコジャパンが辿った4年間は、商業主義優先による代表弱体化の軌跡だと換言している。日韓大会からドイツ大会までの4年間を振り返れば、現会長・代表監督合意の上、極端な商業主義優先を主導したことが了解できる。
当コラムで何度も書いたように、協会とマスメディアは「代表ブランド」に実態以上の付加価値をつけ、代表戦をスポンサー企業に売りつけた。マスメディアが醸成した代表幻想で洗脳されたサポーターは、高額なチケットを購入し、テレビ局はテレビ放映権料を支払った。
かつて当コラムで書いたことを繰り返せば、代表チームが稼ぎ出したカネ(サポーター企業が協会に上納した原資)は、選手の努力及びサポーター(チケット購入者)、消費者(スポンサー企業の広告費を含んだ商品を購入した)が身銭を切って収めたものにほかならない。サッカー協会の幹部達は、それを自分達が商売して稼いだものと勘違いしているかもしれないので、ここではっきり言っておこう――協会に集まった原資は、選手のパフォーマンスに対し、消費者が寄付した浄財だと。
このような認識においてダバディ氏の「10案」の意味を考えてみよう。氏が協会の機構、制度の改善を望む姿勢は、株主が企業経営者に経営改善を望む姿勢に近い。日本サッカー協会という組織は、「ソシオ制度」や「株式制度」で立ち上げられてはいないけれど、実態的なカネの流れは、選手のパフォーマンスに対して、サポーター・消費者が出資する形をとっている。日本サッカー協会が、あくまでも社会に対して閉じた組織として、元選手達が学閥・企業閥で要職を年功序列的に独占し、サッカー強化の具体的プログラムよりも代表ブランドを使った一時的な金儲けに走るのであれば、協会は浄財を私物化する輩として非難されて当然だ。
キーワードは、ダバディ氏が指摘するように、協会の透明化ということだ。透明化は明確なマニフェストによって担保される。川淵氏がドイツ大会の総括をせず、アンダーグラウンドで次期会長に就任するというのは、協会が選手と消費者の浄財を不透明に使い込むと同じくらい、犯罪的なのだ。
たとえば、川淵氏は、ジーコからオシムへの代表監督交代の根拠を明らかにしていない。オシムに期待するもの、オシムから逆に望まれるものが何なのか、はっきりと、サポーターに説明していない。だから、オシムのために言えば、川淵氏は自らの極端な商業主義が代表弱化につながった事実を反省し、協会が代表監督にどのような支援を行うかを、マニフェストの形で示さなければいけない。
ダバディ氏は会長立候補に当たって、独自のマニフェストを「10案」という形で示した。対立候補の一人である川淵氏は独自の路線を通じて、ダバディ氏への批判を展開してほしい。
そればかりではない。ダバディ氏は、イタリアサッカー疑惑追求の手は、あるスポーツジャーナリストの筆の力から始まった事実を、あるテレビ番組で明かしていた。日本に心あるスポーツジャーナリストが存在するのならば、現在の日本サッカー協会のあり方を解明し、協会からマニフェストを引き出すよう、川淵体制を追及してほしい。ジーコが代表監督に就任したとき、ジーコが掲げた、自由、自主性、創造性を大キャンペーンしたのがマスコミだった。それはジーコのあまりに観念的で壮大な夢想だったにもかかわらず、マスコミは競ってそれを報道した。今回、川淵氏が協会の会長に就任しようとしているのならば、あのときと同様に、川淵氏の「次の4年間」に向けたマニフェストを載せればいいではないか。
川淵氏に掲げるべきものが何もないまま会長職に就任しようとすることが事実ならば、その姿勢をこそ、マスコミは問うべきではないか。マスコミは川淵氏の広報係なのか。なぜ、それができないのか不思議だ。



2006年07月16日(日) 引退特番

中田英の引退特別番組を見た。ドイツ大会直前、彼は、相当深刻な足の故障に悩んでいたことを初めて知った。それが代表引退の引き金になったわけではないのだろうが、中田英の晩年の現役生活が傷だらけだったことがうかがえた。
中田英のサクセスストーリーを振り返る映像を見た。イタリアに渡って、ペルージャでレギュラー、ローマでトットィの控え、ボローニア、パルマでレギュラーから控えに、フィオレンティーナで控え、そしてイングランドプレミアのボルトンで控えと推移した。純粋なサッカーキャリアを見ると、前にも書いたとおり、ペルージャからローマに移籍した時期をピークとして以降下り坂だった。イングランドに移籍してからは、イングランドのストロングスタイルになじめず、激しいタックルをまともに受けて、足を痛めたのかもしれない。
中田英の06-07シーズンの所属クラブは、未定だった。欧州のどのクラブからも、オファーがなかった。いまの状態ならば、法的にはフィオレンティーナに所属することになるのだろうが、八百長問題で混乱するイタリアに中田英がいる場所は見つからなかった。移籍したイングランドプレミアは資質として合わないとなれば、高額な移籍金を支払って彼を獲得するクラブは、欧州ではスペインしかないのだが、スペインのクラブは動かなかった。フランス、ドイツ、オランダも彼に関心を示さなかった。
中田英に残された選択肢は、日本のJリーグ復帰か、アメリカのMLSしかなかったが、そこまで落ちぶれてサッカーを続ける意欲は中田英にはなかったようだ。カネは十分、たまったということか。
ドイツ大会敗北の総括については、番組で彼が告発したように、初戦の豪州戦でジーコが小野を投入したことがすべてだった。それによりチームは混乱し、疲労した選手は豪州の圧力に抗し得なかった。味方選手の疲労度、相手の攻撃パターン、相手の選手交代をみれば、日本の3人の交代枠は自然に決まってくる。ジーコには、それができなかったということだ。何度も書いたように、ジーコには代表監督経験がないのだ。
また、ドイツ大会を通じて、中田英とDFラインが戦術不統一なまま試合をしていた事実が明かされた。宮本を中心とする日本のDFは、中田英が要求するラインの前への押し上げを拒んだという。中田英はボランチの選手だが、あくまでも攻撃的ボランチであって、たとえば、フランスのマケレレとはタイプを異にする。宮本が中田にマケレレのような守備的中盤を望むのであれば、4バックの守備陣形はブロックになる。しかし、中田英にはブロックの意識は最初からなかったようなのだ。
番組を見ていて、あまりにも基本的な意思統一ができていない日本というチームに腹が立った。その責任は中田英と宮本にあるのではない。守備の基本をチームに徹底させない監督が悪い。ジーコは人はいいのだろうが、中田英、宮本の管理ができていない。DFを上げるか下げるかを両人に示唆すればいい。それだけの話なのだ。
中田英は日韓大会を最後に代表引退を決意していたというのだが、その決意を翻したのはジーコの人柄だった、と番組で彼は述懐していた。聡明な中田英の最大の判断ミスは、ジーコの人柄と監督としての能力を混同したことだ。ドイツ大会で日本が優勝することはあり得ないにしても、ベスト16は可能だった。ただし、監督がジーコでなければ・・・という条件がついた。初戦の豪州戦、残り10分余りまで、日本は1点をリードしていたのだ。選手交代を当たり前にやり、カウンターを狙えば、日本は2-0で勝てたかもしれない。二戦目の相手・クロアチアは実力は日本より上だったが、大会中、コンディションが悪かった。日本はクロアチアに勝つチャンスがあったし、相手のミスもあった。つまり、二戦目までで、勝点を4~6まで伸ばせたのだ。現実は、2試合で勝点1という結果に終わった。
中田英はブラジル戦の敗北の後、ピッチ上で仰向けになって泣いていた。彼のサッカー人生におけるラスト三戦はまったくふがいない戦いだった。彼の引退を飾るにふさわしくない内容だった。だが、それが日本サッカーの現実であり、中田英のそれなのだ。日韓大会で膨れ上がったバブルは崩壊したのだ。もちろん、中田英がバブルだとは言わない。彼は実力でいまの地位を築いたのだから。
中田英の引退特番は、代表バブルの崩壊、日本サッカーのバブル崩壊の激烈な証言だった。中田英が将来日本サッカー界に復帰するつもりならば、地道に一歩一歩サッカーの向上を目指す指導者であってほしいと筆者は心から願っている。



2006年07月15日(土) 技術委員長は会長のパシリか

日本サッカー協会が14日、都内で技術委員会を開き、日本が2敗1分けと1勝もできずに1次リーグで敗退したW杯ドイツ大会の傾向や敗因などを分析したという記事を読んだ。それによると、田嶋幸三委員長は「前線からプレッシャーを掛け、ダイレクトプレーを防ぐ戦術に変わっていた。パス2、3本でゴールまでいくのがほとんどなかった」と今大会の傾向を指摘。その上で「(日本は)個人のベースで勝てるかどうかを分析する必要がある。次の世代をどう伸ばしていくかが大切」と語ったという。ただ、ジーコ前監督の采配(さいはい)などは検証されず、田嶋委員長は「彼は今までの経験を出してくれたと思う。こういう選手交代で負けたという分析はあまり意味がない」と述べるにとどまり、具体的な敗因についても言及しなかったという。
協会の中で技術委員会、技術委員長がどんな仕事をするのか知らないが、W杯の敗因分析の結果を発表する立場ならば、協会の要職中の要職だろう。おそらく、同委員会、同委員長が日本代表の在り方を決定する力がある、というか力がなければいけない。にもかかわらず、W杯の一般的傾向を述べるにとどまり、しかも、ジーコ体制、ジーコ采配については一切触れなかったというから、あきれて物が言えない。報告は8月に出されるというが、内容はまったく期待できない。批判的姿勢を示さなかったのだから、当たりさわりのない作文で終わるだろう。
でもよくよく考えてみれば、同委員会、同委員長というのは、川淵・ジーコ体制の中にあって盲腸のような存在なのかもしれない。あってもなくても影響がないと。もちろん、川淵・ジーコ体制を批判するような分析が出せるはずがない。
田嶋氏といえば、先般のオシム騒動の渦中、オシム氏の自宅に契約をとりにいった人だった。なんだ、川淵氏のパシリか。真の技術委員長ならば、まず、ジーコ体制の失敗を総括し、そのうえで適正な代表監督リストを作成し、広く国民的に議論をするなかで決定に至る道筋を考えるべき立場にあるはずだ。当然、川淵・ジーコ体制の根本的批判が総括の中に盛り込まれていなければいけない。
技術委員会という日本語をそのまま受け入れれば、技術を司ることは議論の余地がない。技術は権力とは相対的独自の関係になければならない。そもそもトップダウンで生まれたジーコ監督。技術委員会が代表監督の決定に関与できないというのであれば、同委員会など不要だ。協会において技術委員会が機能しないのならば、日本サッカーの未来は暗い。協会はなんでもかんでも監督に丸投げなのか。



2006年07月14日(金) ランキング(FIFA)バブル崩壊

最新のFIFAランキングで、日本は49位。筆者は先日の当コラム(2006年07月01日(土):敗因を「民族」に還元するのは危険思想)にて、日本の世界ランキングは概ね50位と書いたばかりなので、この件についてはFIFAと見解の一致を見たことになり、たいへん嬉しく思っている。
日本が16位というのはいくらなんでも高すぎる。この高さが日本サッカーの根本を見直す妨げになっていたと言っても言いすぎでなかったので、適正なランキングになったことがマイナスになることはない。
では、FIFAにランキング作成の全責任があるかと言うと、そうとも言えない。日本が高位になった理由は、日本サッカー協会が海外代表を日本に呼び込む財力があるからだ。代表チームのファイトマネーは、クラスによって差があり、数千万円から1億円強だと言われている。それ以外に経費がかかるから、かなりの予算が必要となる。日本の協会は代表戦によるチケット収入、TV放映権収入、CM使用料等々の収入が見込まれ、海外チームに1億円以上支払っても十分黒字となっている。日本代表ブランドは、金の卵を産むガチョウだ。
川淵・ジーコ体制は、金満日本という優良市場を独占して、三流海外代表チームを強化試合と称して多数の試合をマッチメークしたが、国名はついていても、その中身は代表と呼べないものばかりだった。協会はそれを〇〇代表と称して、日本代表と戦わせてきたのだ。〇〇代表は、当然のことながら、戦う準備に欠けたチームばかりだから、守備的な試合をする。攻め合って大量失点で負ければ、国に帰って非難を浴びるから、アウエーで引分なら御の字、僅差の負けなら許容範囲ということになる。
当然のことながら、試合は類似した内容に終始する。相手は深く守ってスペースを消し、カウンター狙いだ。日本がポゼッションで優位を占めるが、なかなか点が入らない。日本が勝つパターンとしては、後半、相手の足が完全に止まった段階での決勝ゴールというもの。大黒や佐藤寿のようにスピードのある選手がゴールすることが多かった。日韓大会におけるベスト16入り以降、川淵・ジーコ体制の下、そんな試合を重ねた結果、日本のランキングはウナギのぼりに上昇し、とうとう16位までになったのだ。
日本代表と海外三流代表戦を宣伝しまくったのが、テレビ局を筆頭とするマスコミだった。真のスポーツジャーナリズムならば、来日する代表メンバーから判断してどのくらいのチームが日本に来るのかを正しく報道する義務がある。主力が抜けたチームならば、一律の代表試合ではなく、親善試合、練習試合、強化試合といった程度の位置付けをして、実態を正しくチケット購入者に伝えなければいけない。日本のマスコミは、川淵・ジーコ体制の誇大宣伝をさらに誇張する拡大器の役割を果たし続けた。「こんど日本にやってくる欧州の強豪〇〇代表は~」という具合だ。日程をみると、チーム結成は本国を立つ1日前、フライトに10数時間を要し、試合の日の朝に日本にやってくるチームすらある。
代表戦だから、両国国歌の演奏・国旗掲揚がうやうやしく執り行われ、スタジアムには大使館員や在日の応援団が国旗をもって応援にくる。観客やテレビ視聴者は、公式の海外試合だと錯覚する。ところが、試合内容は前述のとおり。それでも、ノーテンキな日本の代表サポーターは日本が勝って満足して帰っていく。FIFAランキングは、そんな試合を重ねるたびごとに上昇する。
真のスポーツジャーナリズムならば、求められる役割としては、①まず、川淵・ジーコ体制が仕組んだ、偽装代表戦の意図を厳しく問うことが挙げられる。お祭の親善試合なのか、相手が望んだ試合なのか・・・②次に、偽装海外代表の実態を正しく日本の消費者に伝えることだ。上げ底、不当表示、偽ブランドを厳しく糾弾することだ。それでも試合が行われてしまったならば、③偽装代表チームの訪日スケジュールを消費者に正しく伝え、偽装代表チームの戦いぶりの背景となっている日程、チーム状態等々の情報を消費者にくまなく伝えることだ。サッカーを愛する日本代表サポーターが、時差ぼけの相手に勝って満足するのだろうか・・・
サッカー協会が偽装商品を提供し、マスコミがそれを正しく伝えていないのであれば、不当表示や広告規約違反が問われなければならない。たとえば、カニのような外観の合成食品をカニとして売れば、売った業者は罪に問われる。マンションの耐震偽装も同じだ。代表と称して、代表と似て非なるチームを呼んで日本代表との試合を組み、消費者がそれを代表戦だと認識して高いチケットを購入したとすれば・・・
そんな、代表戦を川淵・ジーコ体制は大量生産してきたのだ。
新しい日本代表監督は、川淵キャプテンの錬金術と、真の代表強化試合をどう差別化して強化日程に取り込むのだろうか。筆者は、代表強化の近道はアウエーの試合数の増加だと思っている。



2006年07月13日(木) 言葉の暴力

イタリアの選手がジダンに何を言ったのか――世界中が関心を持っているらしい。人権団体が調査を要請したともいう。さすが、フランスの「英雄」、W杯で退場処分を食らった選手は多いが、彼ほど世界中から同情を集めた選手もいない。
ピッチの上の暴力行為が許されるはずがない。その一方、手を出さなければ何を言ってもいいのか、言葉の暴力は放置されるのか・・・かくも不毛な設問の結論としては、いまのところ、サッカーでは言葉の暴力は許される、ということになる。相手が汚い侮辱の言葉を発したとすれば、それには、それ以上の侮辱の言葉で返すしかないということだ。悲しいかな、それがルールということになる。
そもそも、今回の「事件」、舞台が決勝で退場者がMVPのジダンでなければ、そして、ジダンがフランス快進撃の立役者でなければ、退場者に同情が寄せられる余地のないものだった。相手の挑発にのった退場者は、フランス大会のベッカムがそうであったように、理性を維持できない「愚か者」と呼ばれたのだから。
ジダンが「愚か者」でない理由は、いまのところ、筆者には見つからない。相手の挑発の言葉がなんであれ、世界中に流れたジダンの暴力行為を正当化するものはない。ジダンが許されるのならば、これまでのW杯のみならず、すべての退場者が許されなければならなくなる。フランスの人権団体は、すべての退場者の調査をFIFAに要請すべきであり、FIFAもそれにこたえなければならない。
その一方、ジダンの事件を象徴的にとらえ、現状、サッカーでは、言葉による挑発が退場者を誘発する、つまり、試合に勝つための戦術の1つとなっている事実に目を向け、これを機に、FIFAがピッチ上における言葉の暴力に対する処分のガイドラインを明確に示す、というのであれば、それはそれとして推し進めてほしい。同時に、言葉の暴力をこれまで放置していた責任が、FIFAに対して問われることにもなるはずだ。



2006年07月10日(月) W杯は終わったけれど

サッカーW杯ドイツ大会が終わった。優勝はイタリア、2位にフランス、ベスト4にはドイツとポルトガル。筆者の優勝予想はブラジルだったので、外れた。このたびのドイツ大会で明らかになったことは以下のとおりだ。繰り返しの記述が多いので見苦しいけれど、総括なのでお許し願いたい。

(1)日本のマスコミには気をつけろ
大会の総括をしようと思えば長くなる。ただ、日本代表に関して言えば、代表サポーター及び日本国民は、ジーコ・川淵体制に騙されていたということをわすれるべきでない。日本は世界クラスだとジーコ監督に誉められ、親善試合では、海外三流代表を呼んで、日本代表が勝つ。そのことの繰り返しにおいて、マスコミは日本代表を誇大宣伝し続けた。川淵・ジーコ体制の欺瞞を支えたのがマスコミだったと換言できる。この構図は、LD社のH社長を誉めそやし株価を吊り上げておいて、実はH社長が刑事被告人だったことが判明して、LD社の株券がゴミ屑になった最近の経済事件に似ている。
ドイツ大会を見れば、日本に親善試合にやってきた海外の代表とドイツ大会に出場した代表とは、天と地ほど違うことがわかったと思う。
親善試合の評価の仕方、日本代表の実力の計り方など、マスコミ及びスポーツジャーナリズムには、サッカーをまともに評価する力がないことが明確になった。マスコミの言うことは信じられない、マスコミの評価はでたらめだ・・・そのことがサッカーにおいても明らかになった。日本国民は、日本のマスコミが根拠のないことを平気で真実のように報道する事実を身をもって体験した。日本代表は弱い、と正しく評価した心あるサッカージャーナリストはマスコミから排除されたのだ。そのことを肝に銘じておきたい。

(2)世界のサッカーの奥は深い
現役引退を宣言したフランスの「英雄」ジダンが決勝で暴力行為を働き、退場させられた。ジダンは少なくとも、青少年の模範ではない。彼がフランス代表に復帰した理由は何か。筆者には謎だ。
優勝候補・タレント軍団のブラジルはなぜ、負けたのか。フランスとの戦いでは、勝利への執念が感じられなかった。イングランドも実力を発揮したとは思えない。日本が豪州に負けた理由は、代表監督の差だった。ヒディングの選手への指示は的確であり、選手は指示通りに動けば勝てると信じていたことが、10日夜のNHKの特番でわかった。ジーコは選手に明確な指示を出していないことが日本代表選手のコメントからうかがえた。
欧州の小国・ポルトガルのベスト4は快挙だ。スコラリ監督の力量は評価して評価しすぎることはない。逆に、オランダの敗退は意外だ。ベスト8を賭けてスイスがウクライナに負けたのも納得がいかない。スイスは筆者が最も期待していたチームだった。

(3)日本の実力を見直すいい機会
ドイツ大会で日本は一次予選を突破できなかった。そのことの意味をサッカー関係者のみならず、サッカーを愛する日本人すべてが心にとどめるべきだ。今回の日本代表には、ブーイングこそがふさわしい。監督、選手、スタッフ、そして日本協会のスタッフ、会長に至るまで、すべてにブーイングを浴びせてほしい。ついでに、幇間を演じたマスコミ、サッカー芸能人、サッカーコメンテーターにもブーイングだ。
いい加減な親善試合をマッチメークしチケットを販売する協会は、詐欺集団に等しい。それを宣伝するマスコミも同罪だ。
W杯は終わったけれど、サッカーはまだまだ続く。日本のナイーブな代表サポーターは、世界のサッカーの闇を感じてほしい。そして、期待にこたえられなかった監督、選手、スタッフに対して厳しく処してほしい。誉めるだけ、讃えるだけでは、チーム、選手、監督は成長しない。



2006年07月08日(土) ダバディ氏を断固支持する

◎ダバディ氏に同感

トルシエ元代表監督の通訳を務めたダバディ氏が川淵キャプテンを批判した。今朝のA新聞を読んだ人も多いと思う。ダバディ氏はサッカー協会会長に立候補するという。もちろん、ダバディ氏の皮肉だけれど。
さて、筆者はこの論文のなかに興味深い記述を見つけた。トルシエ氏が代表監督時代、彼はサッカー協会と深刻に対立したようだ。トルシエ氏が代表監督に就任した当時、日本ではW杯開催を控え、空前の「代表ブーム」が沸きあがっていた。それを商売に利用しようとしたのが川淵氏であり、それに反発したのがトルシエ氏だった。ダバディ氏は、同論文の中でトルシエ氏が代表の芸能化に反対し、会議の席を立ったエピソードを紹介している。
そして、4年後のドイツ大会、日本ではやはり「代表ブーム」が沸きあがったのだが、それを最大限商売に結びつけたのが川淵・ジーコ体制だった。結果はご覧のとおり、日本代表選手は芸能化し、闘争心は萎え、弱体化した。
ダバディ氏の論旨は、当たり前のサッカー文化の日本における定着だ。筆者は氏の主張を全面的に支持する。協会が目論む代表芸能化路線に反対する。
日本サッカーは今後、テレビ局が持ちかける芸能路線に厳しく対立してほしい。サッカーはスポーツであって、それだけで楽しめるに十分な文化なのだ。サッカーはサッカーであって、それで十分面白い。サッカーにサッカー以外の要素が混入することを望まない。

◎ジーコ氏のトルコでの冒険は短い予感

日本代表を弱体化させた川淵・ジーコ体制の一方の核、ジーコ氏が6日、監督就任の打診を受けていたトルコリーグ・フェネルバチェと、イスタンブールで正式に2年契約を結んだ。 ジーコ氏が再就職に成功したわけだから、おめでたい話だ。それについて文句をつける話ではない。しかも、筆者はトルコのサッカー界について何も知らない。報道によると、フェネルバチェはトルコリーグの名門で、毎年、優勝戦線にからむ強豪だという。イスタンブールにはもう1つ、ガラタサライという強豪クラブがあり、フェネルバチェとライバル関係にあるらしい。
トルコでサッカーを観戦した知人H君の話を紹介しておこう。H君はイスタンブールのとあるスタジアムの立見席で観戦した。周りの観客は100%男性でスタジアムはきれいとはいえない。ホームチームのチャンスでは観客が興奮して肩と肩がぶつかりあう。相手に対するブーイングも相当なもので、トルコのサッカー場はいってみれば、殺伐としていて、その中の観客は殺気立っているという。のんびりと家族・友達同士で楽しくサッカー観戦という雰囲気ではなかったというのだ。知人のたった一回のトルコにおけるサッカー観戦体験を普遍化することはできないのだけれど、もしかしたら、トルコリーグのスタジアムは「殺伐」としていて「殺気立っている」ところが多いのかもしれない。
筆者はジーコ氏がトルコで監督として成功してほしいと祈念しているけれど、ジーコ氏のトルコにおける冒険は、おそらく、短期間で終わるような気がしてならない。フェネルバチェのクラブ及びサポーターは、日本サッカー協会や日本代表サポーターほど寛容ではないと思うからだ。
トルコリーグはJリーグより激しいらしい。そのような環境において、ジーコ氏が自分の理想とするサッカーを貫けるのか、また、氏の理念が認められるのか、そして、結果に結びつくのか、ということになるのだが、それらのどれにも疑問符がつく。

◎ジーコ氏退任会見のお粗末さ

遡って、ジーコ氏の退任会見におけるコメントをちょっと長いが抜粋しておこう。ジーコ氏は日本を発つ直前、ドイツで敗れた日本代表について次のように総括した。
「大会で感じたのは、(相手チームとの)体格差だった。フィジカルの強い相手とやるときに、90分間通して相手の攻撃に耐えられるようにならなければ。ただし、これは個人個人の問題というより、若い時から鍛える必要がある問題だ。そういう環境がなかった(今の)代表の選手たちは彼らなりに精いっぱいやったが、その体格差の壁を越えることができなかった。世界と対等に戦うためには、そういう部分もこれから考えていかなければならないと思う。(中略)オーストラリア戦が終わった後に宮本と話をしたが、『1試合とは思えないほど疲れた』と言っていた。というのも、相手がロングボールを入れてきたときに体を当てたり、相手のバランスを崩すためにジャンプが必要になるが、それを異常な回数繰り返したためにふくらはぎに負担がかかって、尋常ではない疲れとなったようだ。世界のサッカーは、日本に対して足元でかなわなければ、絶対に体格差で上回ろうという戦術を取ってくるはず。こういった面の予防や、ジャンプに必要な筋力を鍛えることが必要だ」
ドイツ大会の敗因を体力差だと断言するジーコ氏に、集まった記者の間から失笑がもれたという報道があった。体格差なんてやる前からわかっていたことだ。それを跳ね返す強化策を施すのが代表監督の仕事だろう。こんなお粗末な敗北総括をする代表監督を知らない。いまになっては遅いけれど、ジーコ氏を代表監督に就任させた川淵キャプテンの責任が改めて問われる。
筆者の独断と偏見でいえば、ジーコ氏は、日本人、日本サッカー界を馬鹿にしていたのだと思う。馬鹿にしていないのでなければ、相当、頭の中が壊れている。プロの代表監督がこんな総括を真面目な顔でコメントするはずがない。そのお粗末さに恐れ入る。素人同然の代表監督に対して、日本のサッカー協会は破格のギャラを支払っていたことになる。
マスコミが華々しく持ち上げ、結果において化けの皮が剥がれた人物としては、産業界ではLD社のH社長、MFのM社長が挙げられけれど、スポーツ界ではジーコ氏がそれを代表する。
筆者は、これまでの4年間、ジーコ氏の代表監督の手腕に疑問を抱き、その批判を続けてきた。ジーコ氏の抽象的強化テーマの自主性、創造性、自由・・・について、そんなプランではだめだ、と書いてきたし、無論、ドイツ大会では予選リーグ敗退を予想した。そして、残念ながら、予選リーグ3戦において、日本国民の期待は裏切られてしまった。
大会中、日本代表次期代表監督の就任に話が及び、川淵キャプテンの常軌を逸した「オシム」発言があり、サッカー界は混乱した。日本サッカー界を健全化するためには、川淵氏の退任が望ましい。川淵氏に自浄作用を求めることはもはや、不可能なのだから。



2006年07月03日(月) ヒデ引退を冷静に受け止めてほしい

サッカー日本代表の中心選手・中田英(ヒデ)が引退を表明した。引退があり得ないとは筆者は思っていなかった。だから驚いてはいない。それよりも、中田英引退のセンチメンタルなテレビ報道を見て愕然とした。中田英のホームページに書いてあるという「引退宣言」が嘘だというのではない。それも偽らざる中田英の心境だと思う。けれど、中田英の引退宣言をそのまま受け止めるというのは、あまりにもナイーブすぎないか?
29歳という年齢は、今大会のジダン(フランス)やフィーゴ(ポルトガル)らのベテラン選手の活躍ぶりを見れば、早すぎという見方があるが、この二人は一度、現役引退こそ表明しなかったものの、代表引退を表明したことがあった。二人は、自国代表がいい成績をあげられなかった現実を見て、復帰を決意したといわれている。
筆者は、当コラムにおいて、W杯のことを一度登ったことのある高い山に喩えたことがある。W杯出場選手を果たし、海外クラブからオファーをもらい、高額の契約金で海外クラブに移籍する。そこでレギュラーを得てさらに上の有名クラブへ移籍する・・・というステップアップは、プロサッカー選手ならだれだって憧れ、夢見るコースに違いない。中田英はそれを実現した数少ない、いや、いまのところただ一人の日本人選手だ。ところが、W杯で日本代表が一次リーグで敗退したとき、中田英にとって、その上のステップアップの道は閉ざされた。
ジダンやフィーゴは、代表引退を表明しても、世界最強レベルのクラブのレギュラーを確保できる力をもっている。この二人は、代表を引退しても、それ以上のサッカーを所属するクラブで実現できる環境にある。一方、中田英はセリエAのローマ入団を頂点とし、その後、下り坂にある。ドイツ大会直前のボルトン(英国プレミア)では、彼は満足な結果を残していない。
ドイツ大会において、中田英が所属する日本代表は、一次リーグで敗退した。中田英は日本代表の敗退と共に、欧州サッカー市場から消えなければならない運命にある。日本代表の敗退とともに、中田英が海外クラブから誘われる可能性が喪失した、と換言できる。中田英がボルトンからステップアップするには、ドイツで日本代表が勝ち進み、欧州サッカー市場が彼の商品価値を再認識する以外になかったのだ。
中田英のこうした野心を、「ヒデさんは、自分を高く売ることしか考えていない」と批判した同僚もいたという。この批判は当たっている部分がないとはいえないが、やはり間違っている。代表選手は、国やサポーターのためだけに戦っているのではない。サッカー選手ならば、代表選手という地位を利用して、自分を高く売ることを考えて当然だ。
では、ジダンはどうなんだ、ジダンはフランスのために復帰したではないか――という見方もあろう。筆者は、ジダンがフランスのために復帰し戦っているという半面、日韓大会の屈辱を晴らすという個人の誇りの回復をモチベーションにしているかもしれない、と考えている。ジダンのことは、ジダンに聞いてみなければわからない。
さて、中田英だが、繰り返して言えば、彼のHP上の「引退宣言」を冷静に受け止めれば、彼の引退理由はいろいろ考えられという以外にない。物事の結果は複合的な要因による。要因の1つだけ抜き出して美学的に語ることは可能だし、それが「感動的な」物語を紡ぐこともある。人々が信じたい物語として、語り継がれることもあろう。しかし、そうは考えずに別の要因を探ることもできる。他人様の行為について、1つだけをもってそれが真意だと断言することはだれにもできない。



2006年07月02日(日) 悔いの残る試合

◎ベスト16=ドイツVSスウェーデン、アルゼンチンVSメキシコ、イタリアVSオーストラリア、イングランドVSエクアドル、ポルトガルVSオランダ、ブラジルVSガーナ、フランスVSスペイン、ウクライナVSスイス

◎ベスト8=ドイツVSアルゼンチン、イタリアVSウクライナ、イングランドVSポルトガル、ブラジルVSフランス

◎ベスト4=ドイツVSイタリア、ポルトガルVSフランス

W杯決勝トーナメントも大詰めが近づいてきた。ベスト4をかけたフランスVSブラジルでフランスが勝ったことにより、欧州勢ばかりが残る結果となった。これを現代サッカーの版図とみるか、欧州開催・欧州強しのホーム理論とみるかだが・・・とにかく、現代サッカーが欧州市場中心に動いていることだけは事実。欧州以外で開催されたW杯で欧州勢が優勝すれば、ホーム理論が崩壊する。
筆者はブラジル優勝と予想したので外れ。今朝のフランス戦は、ブラジルの選手には悔いの残る試合だったように思えた。全力を出し切ったようには見えない。どうしても勝つという、情熱のようなものが感じられなかった。
ベスト4のなかで優勝に最も近いのは先のホーム理論に基づけば、ドイツということになる。試合を重ねるごとに変貌するフランスも手強い相手。4つのうちの1つを当てる確率は25%あるから、ここからの予想はつまらない。



2006年07月01日(土) 敗因を「民族」に還元するのは危険思想

◎ベスト8は遥か彼方
W杯ドイツ大会の「ベスト8」が決定した。ドイツ、イングランド、アルゼンチン、ポルトガル、ブラジル、ウクライナ、フランス、イタリア。この中で意外なチームといえば、スイスをPK戦で破ったウクライナくらい。そのうち、アルゼンチン、ウクライナが消えた。日本にとって「ベスト16」の壁は本当に厚く高かった。そして、「ベスト8」はそれ以上に遥か彼方に霞んでいる。
ドイツ大会が開催される前、日本のサッカー界は日本の実力を過大評価した。「ベスト8」は夢ではないとまでコメントしたスポーツジャーナリストがいた。テレビの「W杯特番」には多くの“サッカー通”芸能人が出演し、幇間のように日本代表を持ち上げていた。ダイジェスト番組、実況中継には、元Jリーガーのコメンテーターが、素人と変わらないくらい当り障りのない「解説」を繰り返すばかりだった。
その一方、かつてJリーグに在籍した各国の代表経験者(リトバルスキー、ブッフバルト/現浦和監督)は、ドイツ大会における日本代表のファイトぶりに苦言を呈したというし、FIFA会長は、「日本サッカーは後退した」とコメントしたという。どちらが真に日本代表のことを思っているかは容易に判断がつく。子供を甘やかしてばかりいて叱咤することがなければ、まともな人間に成長するはずがない。
結果においても内容においても、日本代表は日韓大会を下回った。日韓大会はホームだったから「ベスト16」が達成できた、という見方がある。筆者はそれを否定しない。ならば、アウエーのドイツ大会においては、日本の「ベスト16」はかなり難しいというコメントが常識的だろう。筆者は、開催前に日本の「ベスト16」入りはかなり困難だと予想したサッカーコメンテーターをあまり知らない。
「日本が強い」という思い込みはどこから来たのか。まず、ジーコ監督がそのようにコメントしてきたからだ。さらに、W杯アジア予選を突破したあたりから、マスコミの扇情的報道が始まり、過大評価が加速された。

◎日本の世界ランキングは概ね50位
ドイツ大会前、筆者は日本の世界ランキングは概ね50位と推定し、当コラムに書いた。このたびのドイツ大会において、筆者の推定が裏付けられた。ドイツ大会で日本は予選リーグで敗退したことから、日本の実力は出場国中の16位以下32位に位置する。1勝もできなかったから、16-32位の最下位に近い。
W杯に出場できなかった国(つまり予選敗退国)の中には、強豪のトルコ、アイルランドがいる。次いで、中欧・東欧諸国(オーストリア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、スロバキア、マケドニア)、北欧諸国(デンマーク、ノルウェー、フィンランド)、ロシア、バルト3国(ラトビア、エストニア、リトアニア)、アフリカ諸国(ナイジェリア、カメルーン、南アフリカ)、南米諸国(ウルグアイ、コロンビア、ペルー、チリ)、さらに、俊輔が所属するスコットランド等を含めて考えると、日本の実力は概ね50番目くらいになる。
日本の実力が世界で50番目くらいだと認識できれば、アジア予選を突破できても、W杯で「ベスト16」を達成することがかなり困難な目標であることが容易に判断できる。
実力50番目の日本がW杯で「ベスト16」を常にキープできるようになるためには、なにをなすべきか。①指導者選び、②スケジュール作成、③強化コンセプト構築、④選手選考・・・等が強化プラン(アクションプログラム)の骨子だ。
とりわけ③が重要で、4年間の失敗――ジーコジャパンが掲げた個性、自主性、創造性・・・といった抽象的・観念的コンセプトは排除したい。強化策のポイントは、スポーツとしてのサッカーの本質に則したほうがいい。

◎敗因を民族性に還元するのは危険思想
いま危険な流れが認められる。ドイツの敗北を「日本人論」で総括しようとしている。日本人の「本質」をサッカーにかぶせるのは、やめたほうがいい。日本人の本質など存在しない。たとえば、ジーコが日本に来たとき、彼は、「日本人は自分で考えず、人に言われたことを確実にこなす民族だ」とコメントしたという。こういうのは人種差別に近い。ドイツ大会では、「日本のFWがシュートを打たないのは、日本人の自信のなさからくる」なんてのもある。これは日本人ジャーナリストのものだから、「自虐史観」に近い。日本人だからシュートを打てないのではない。ドイツ大会日本代表FWの高原と柳沢に技術と闘争心が欠けていたから、シュートが打てなかったのだ。その証拠に、ブラジル戦で先発した巻、玉田はシュートを打っていたし、玉田はゴールをあげた。巻、玉田のみならず、先発から外れた大黒や、代表落ちした佐藤寿もオーストラリア戦、クロアチア戦、ブラジル戦でシュートを打ったはずだ。
クロアチア戦の決定機でシュートを外した柳沢に対して、「○○だったらギブスをしていても、外さない」とコメントしたのは、元西ドイツ代表選手だった。○○には、ドイツの有名なFWの名前が実際には入るのだが、そこに巻や大黒や玉田や佐藤寿の名前を入れてもいい。
日本人は自信がない、日本人はFWに向いていない、日本人は上からの命令に従うが、自主性がない・・・自虐的なコメントが氾濫している。日本人がサッカーに向いていない民族だというのは誤解だ。日本代表の敗北を国民性や民族性に還元することだけはやめてほしい。そんな粗末な回答で済むのならば、日本がサッカーに負けるたびに、民族的自虐が世の中に蔓延することになる。スポーツにおいて敗因を民族性に還元していいわけがない。なぜならば、民族性に還元された敗因は、勝因において民族性に還元されるからだ。結果、ナショナリズムや民族的優越主義が醸成されるからだ。敗因を民族性に還元することは、勝因を国家主義や民族主義に還元する危険思想と等価なのだ。
日本が予選リーグで負けたのは、監督が悪く、選手に力が足りなかったことだ。だから、能力不足の代表監督を任命した日本サッカー協会のトップが責任をとることだ。そして、ついでに、日本代表の監督、選手を過大評価してきた、サッカーコメンテーターやテレビ、スポーツジャーナリズムが反省をすればいい。それだけの話なのだ。そこが原点であり、そこから次の4年間が始まる。


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