人生事件  -日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2003年09月29日(月) 文字に恋して性交し、命育み後擬似愛は崩壊す

薄々予想はしていたんだが、それが今日とは予定外。

「○×市○×保健センターの…」
と、私と机を向かい合わせているMさんが電話口で確認しているのを聞き、わが市とは遠くてあまり交流のない○×市といったら、私のアレのケースじゃないかーーー?!とあごが外れそうになった。
案の定、「佐々ちゃんに」と受話器を向けられた。やられたーーー何があったんじゃーーーやっぱりあれかーーー…と重苦しい気持ちで「代わりました」と応える。

元々精神疾患のある女性が、パソコンだか携帯だかの出会い系サイトで異性と出会い、学生同士の性交でまんまと妊娠し、籍を入れてもらえず、実家で家庭内暴力を続けた挙句、生まれた児と共に少しばかり遠くの市に越して行ったのは1年ほど前のこと。転居先の市に「かくかくしかじかでフォローしていましたので、今後はそちらで継続的に見ていただければ云々」と情報提供したのが遠い昔のことに思えてきていた矢先に。

出戻ってこられた(しかも、実家は歓迎していない)。

いえ、いいんです。私、この仕事就いて2年目ですけど、出会い系サイトで出会ってできちゃった結婚して出産してどっかの市町村に行った10代母とその児は、みな、離婚等で本市に帰ってきていますから。これで、見送ったはずの若年母が全員そろっただけの話ですから。

泣いてませんて。


2003年09月28日(日) 若返りの運命

14ヵ月とか、火の鳥を思い出した。

彼と音声メッセンジャーをしていたら、彼が急に『ええっ?!』と素っ頓狂な声を上げた。「どうしたん?」一昨日晩から部屋の掃除兼模様替えをはじめ、収納サイトめぐりが夜の日課になっていた私が尋ねると、いきなり『おまえ、千九百・・・何年生まれだ?』の質問。西暦ねえと「1977年」とあっさり応えると、やっぱり『ええええええ』と叫んだ。『つーことは、やっぱり今年で26歳?』「そやね。どっからどう見ても、色気あふるる大人の女性でしょうが、私」と自ら思ってもいないことを言うと、『何ばかほざいてやがる』と怒られた。

出会った頃から撮り続けている私の写真を見直していたんだそうだ。実際に出会った頃、私は22歳、今年で26歳。思ったよりも遠距離交際は続いている。

『なんでおまえ…なんでや?』

何かにショックを受けたらしい。聞くと、年々私の姿が幼くなっているとのこと。『出会った頃は、ちょっとは女らしかったのに、今は中高生や! おかしい!』と言うので「やーい、ロリコンおじちゃん」とからかったらまた怒られた。
確かに、自覚はあった。昨年、髪型をロングからショートにした頃からだっただろうか。10代後半から20代向けの雑誌にある格好よりも、10代半ばから20代前半向けの雑誌の格好の方がしっくりするようになった。

今年の秋は大人っぽく、をコンセプトにデパートへ行ってその旨を店員に伝え試着したところ、ふたりして愕然としたのもついこの間のこと。職場が私服でなければいけないところでないのであれば・・・と店員にもっと若者向けの服を持ってきてもらった私。そうね、これでお似合いですなんていった日にゃあなたの力量が疑われるわよね、と思うような似合わなさ加減。

でもね、童顔なのはもう、直しようがないのよ。諦めて。


2003年09月26日(金) もしかしたら、私を殺す気だったのかもしれない

我が耳を疑いました。

「ダ~リン♪」だの「ダ~リン(はあと)」だの、真顔では死んでも言えそうにない。嫌がらせでなら、言える。おふざけでなら、言える。だけど、彼のことを「ダーリン」だけの呼び名で呼べと言われたら、臥してしまうかもしれない。

先週はオーストラリアに行っていたのだが、目的は身長30㌢体重1㎏程度の世界最小ペンギン、フェアリーペンギンに会いに行くことだった。連れは学生時代からの友人で、異性だったら一緒になりたかったわと思ってしまうほど趣味の合う同職者。アランジアロンゾ好きで、ビーズアクセサリーにはまっており、"ハチミツとクローバー"愛読者。つーか、細部に渡り趣味が合うので、私がみなお薦めしたんだが。とにかくはっきり合わないのは、男の趣味くらいのものだ。

で、そのペンギンツアーに、日本人新婚カップルと推測されるのがいたわけなんだが…ペンギンを見に行く前に、カンガルーやエミューが放し飼いされている動物園に行った。入口でカンガルーのえさがもらえ、それを手から直接食べさせることができる。カンガルーもエミューもすぐそばにいればかわいいというより怖い。えさを求めていきなり背後に立っていたりする。
私と友人は「うおお」「こわ」など、色気もそっけもない悲鳴をあげながらエサをあげ、身体に触らせてもらい、写真を一緒にとっていただいていたのだが、そんな中、

「ダ~リ~~~ン、こわ~~~~い」

と甲高い声をあげる女がいた。いたのだ。しかも、男の愛称は『ダーリン』。
凍りつく、私と友人。1回や2回のことばであれば、許す。なのに、
「いや~ダ~リン、助けて~」
「ダ~リン、見て見て~」
嗚呼、何故不快な輩ほど近くにいたりするのだろう? ある意味気になるから、引き寄せられるのだろうか。ただ過敏になってしまっているからなのだろうか。いちゃいちゃするのは別にいい。甘えるのもいい。だけど、だけど、だけど、だけど、だけど。…だけどよ?

これで、男が『ハニー』だの『スウィート』だの言っていたら、もう間違いなく私は人殺しと化していた。

あなたは素で、日本人の恋人と『ダーリン』だの『ハニー』だのと人前で呼び合えますか?


2003年09月25日(木) 意にそぐわない、強要された何かがあっても

何があってもお前の味方だ、と言わんばかりに抱きしめられた。

「何かあったら1番に俺に言え。何があってもちゃんと言うんだぞ」
女性ばかりを狙った夜間の通り魔だの、ひとり暮らしの若いOL宅に強盗が入っただの、そういう事件が報道されるたび、彼はそんなことを私に言う。それは暗に、物的な何かがあっただけでなく、生身の私への危害についてのことを言っているのだとは分かる。
バッグ取られただとか、その拍子に転んでねんざしただとか、そんな、誰にでも言えるような内容であれば、私だって躊躇しない。だけど、誰が聞いても「ああ、何かがあったんだろうな」と思える状況に巻き込まれても、それを彼に対して口にできるかといったら、少し考えるものがある。

片方の卵巣が機能不全であること、痔であること、そんなこと、簡単に言える。私は誰にだって言える。彼にだって笑って言える。平気で言っている。中学時代の強姦未遂事件のことも、彼には話した。もう、どうにか消化できたことだから。
でも今後、私が望まない性交を強要されたとしたら、そんなこと、彼には絶対に言えない。言いたくない。雰囲気で察せられてしまっても、ことばにはできない。ことばにされたくもない。

言いたくないことはある。それが例え、事実だったとしても。

何があっても繋いだ指先を離されることがなければ、私はそれでいい。


2003年09月24日(水) 私たちの間に16年の歳月が横たわっていたとしても

明日からプチダイエット決行(渡航出費で財政難の為、衣服代捻出難航なのです)。

旅行前から、自分の身体の変化に気づいていた。きっかけは夏の暑さもそろそろやわらぎはじめた頃、しまいこんでいた少し厚手のジーパンを出して足を通したときだった。
ウェストはOK。なのに、太ももの辺りがパンパン。しまったーーー!と育った肉に見入る。原因が、暑い日のアルコールとコーヒーフロートにあることは、百も承知。職場の幼児健診用体重計に乗ってみたところ、今年6月から比べ2kg増。2㎏の脂肪は胸につかず、太ももについたよう。嗚呼、うれしいこっちゃ。だけど、胸はやせ、太ももは育つとはいかがなものか…。
友人との旅行中、彼から借りたデジカメで撮ってもらった己の姿は、着膨れしているからと言い訳できないほど顔が丸くなっていた。昨年、就職したての頃は瓜実顔だったのに、なんか人相変わっちゃってます。ドラえもんがアンパンマンになったような感じ。まさに、別人。

1~2kgの減量が難しくなってきたのは、つい最近のこと。基礎代謝量が日々日々減少しているからなんだろうか。少し気にする、程度のことではどうにもならなくなってきた己を自覚する。ゴムまりのように膨らんだり縮んだりと忙しかった10代を思うと、膨らむ一方の今の自分に加齢を感じて悲しみが増す。しかも、やっぱりついて欲しいところにはつかず、洋服選びに四苦八苦するようなところにばかりつく。私は体重増してもウェスト増はほとんどないのだが、太ももにつきやすい体質のようだ。よく育っていく。ウェストと太もものバランスが悪いと、合うものがなくて泣く羽目になる。

40を過ぎた彼も、最近ウェスト回りをとても気にしている。ずっと変化のなかった体型なのに、ジーパンが1サイズあがってしまったそうだ。確かに、少しだけベルトに腹が乗っているのが見て取れる。立派な中年体型に近付きつつあるようだ。割れた腹に乗る脂肪。どちらかといえば脂肪フェチな私にはうれしい傾向なのだが。

若い頃にはきっと気づけなかったことも、許せなかったことも、年齢と共に許せ、またそれさえもが愛しく感じられる。自分の変化も、あなたの変化も、変化した私を受け入れてくれるあなたも、すべてに。

私たちはいい時期に出会ったのかもしれない。


2003年09月23日(火) もう、騙されたりなんかしない

ミニチュア人間?

どうして、アジアの赤ちゃんはぼんやり赤ちゃんなのに、欧米の赤ちゃんは大人顔赤ちゃんなんだろう…。言うなれば、欧米赤ちゃんは乳幼児期からアダルトな雰囲気。
欧米の赤ちゃん、絶対分かってるって、大人の考えていること言っていること。じゃなきゃ、あんな表情、してないって。そうなんだよ。

ということで結論づいた友人T(都道府県保健師)と私(市町村保健師)、業務では母子保健も担当中。

今朝、ようやく帰って来ました。時差は1時間だったからまだましなんだけど。
え、どこからって?

オーストラリアから。ただいま。


2003年09月17日(水) 笑顔で相手のハートをキャッチ

条件反射、パブロフの犬。

窓口に現れた市民さまを見るとよだれが出る、わけはないが、思わず笑顔になっている自分に気がついた。就職したての頃は、何の相談が飛び込んでくるか分からず、自分に対応できるものなのかと不安いっぱいで話を聞き始めていた。だけど、今は一般的なものは知識として網羅しているし、その系統は何処に電話して聞いてみればいい、ということも分かってきている。

電話もそうだ。電話当番の日があり、その日は窓口と電話対応を主にしなければいけない。電話だって、いつ何時、どんな相談でかけてくるか分からない。うちに用のある人もいるし、「××病院につないでくれよ」「図書館の電話番号教えてください」と104とかと間違えて使ってくる人もいる。最初はビクビクしたもんだが、今はやっぱり笑顔で取っている。しかも、声音は身内が聞いたら目を疑うようなやさしい感じらしい。

おそろしい。サービス業って、従事している間に、"笑顔を作る"じゃなくて、自然に"笑顔になってしまう"ってものだったんだ。堂々と、笑顔。泣きそうなときも、怒っているときも、どんなときでも笑顔。だから、受付嬢に笑顔を向けられて誤解してはいけないのだ。

ストレスが溜まる原因はそこにあるような気がしてきた。


2003年09月16日(火) 危うかったような残念だったような

阪神タイガースがようやく悲願の優勝。

先週末から昨晩まで、大阪にいた私。阪神ファンでもなんでもないんだが、デートの為に大阪に行っていた。千葉に住む阪神ファンの友人が、『私も甲子園に連れて行けーーー!』とメールで叫んでいたので、タイガース土産でもと思ったら、新大阪駅の土産物屋のタイガース特設会場はえらいことになっていて、身の危険を感じて断念した。

だけど、優勝した次の日から、大阪の百貨店や商店街ではバーゲンが行われるとか。あと1日休んで行きたいなあ、と彼に言ったら、「どんくさいお前が行ってどうなると思うんや」と冷たく言われた。

私が帰路についた新幹線は阪神優勝が決まった直後。だから、何の騒ぎにも巻き込まれず、静かに安全におうちに帰ることができた。あと1時間早く優勝が決まっていたら、もしかしたら帰れなくなっていたかもしれない。だけど、帰れなくなっていたら、渋る彼を連れて道頓堀だの御堂筋だのに繰り出していたかもしれない。

いい加減優勝が決まらず、疲れていた阪神ファン。彼も彼のお母さんも阪神ファンだが、お母さんは日曜の夜はとんでもなく怒っていた。ファンだけでなく、百貨店や商店街の人もいつセールになるかとやきもきしていたことだろう。ようやく決まって、腹もくくれたというところか。

朝のニュースは、昨日から続くタイガースファンのことばかり。野球は人格を変える恐ろしいものだと再確認。

彼が熱狂的な阪神ファンでなかったことに胸をなでおろした私。


2003年09月12日(金) ファザコン娘はどこへ行くのか?

悪趣味と紙一重。

ファザコン娘というのは、何となく嫁に行かずに"行かず後家"になるか、もしくは父に似た人をパートナーに選ぶ傾向がある。
パートナーを見つけるとしたら、まずは、年上であることは確か。そして、父に似ている人を選ぶということは、内面だけでなく外見も似ているということを忘れてはいけない。大好きな父がはげていたら、大好きな父がでぶであったら、大好きな父がちびであったら…それも娘にとってはストライクゾーン内になってしまうのである。

娘から年頃になっても「おとうさんだ~いすき」と言われたいのであれば、父は常に格好よくなくてはいけない。娘が他の男に見向きもできないほどステキでいるか、たとえ連れてきたとしても磨いて高めた自分と同じ程度の男ならよしとするかだ。
娘から妙齢になったところで「会わせたい人がいるの」と言われ、父自身によく似た、例えば、はげででぶでちびで収入が低い人を連れてきたとしたら…「そんなやつとの交際を認めるものか!」なんて言ったところで説得力など皆無。「お父さんの分からずや!お父さんなんて大嫌い!!」と言われるのがオチである。

だから、かわいがり方もほどほどにしておかないと、将来の自分の首を絞めることになるのよ、お父さん方。


2003年09月11日(木) 妻が妊娠した男に同情する

妻にはじめての子を妊娠された夫が、何だか不憫に思えた昨日。

妊娠した女性は、自分の身体の変化や産科での健診でエコー見たり色々してから胎動だの感じ、ああ、胎児がいるんだなあと自覚できる。40週ちかくの月日で、"母"になる準備をする。
だけど、お腹の父親って、どうなんだろうか。つわりで苦しむ妻、よく食う妻、情緒不安定な妻、胸や腹部が大きくなっていく妻、腹の中で何かが動いているのが感じられる妻。どこからどう、子どもの父親であることを自覚しろというのか。

やっぱり、あれだな。妻はじめての妊娠中に、妻を必要以上に腫れ物扱いしてしまったり、ないがしろにして遊びに行ったりと理解のない男を一概には責められないな。妊娠を自分で体験していないのだから、当事者意識がないのは仕方がないのだと思う。
むしろ、腹の中の子に話しかけたり早く出てこないかと楽しみにしている男のほうが微妙なものなのかもしれない。妻に共感しているのか、想像力がたくましいのか・・・悪いとは言わんが。

昨日の両親学級に、1人だけ妻に連れ添われてきた夫がいた。しかし夫は、室内に妊婦しかいないのを認め、スタッフがどうぞと言うのも聞かずに「終わったら迎えに来るから!」と逃げた。
帰り際、のこのこ迎えに来た夫は、妻と妻が学級中に顔見知りになった妊婦たちに「男性も受けるべきだったのよ。せっかく休み取ってたんだから。出産シーンなんかすごかったわよ」と責められていた。

…まあ、生まれてからの自覚じゃ、妻をサポートする力を養うのにはちょっと遅いんだけどね。


2003年09月10日(水) もしかして、妊娠?な悲喜交々

セクハラ的発言なのは、重々承知。

私がフリーターをしていた頃、同じバイト先に20代後半主婦がいた。結婚は20そこそこと早めだったのだが、子どもはまだ要らないと、10代の頃からの同棲時代も含めて避妊に失敗することなくきていたような人だった。

その人が、とうとう希望はしていなかったのことだったが、おめでたになった。しかし、それをバイト先の上司にもバイト仲間にも内緒にしていた時期があった。そんな頃だ。私と、私の親友であり専攻科学生であり同じバイト仲間でもあったTが、「最近、変だよね。妊娠したっぽいよね」と感づき、率直に誰もいないところで聞いてみたらビンゴだった。

「なんで分かったの?」
と何度も聞かれたが、私とTに明確な答えはなかった。何となく貧血っぽい顔色、何となく気持ち悪そうな感じ、何となくよく食べている感じ、何となくだるそうな感じ。それだけで、妊娠に結びつけたのは、短絡的だったのか、勘が働いてそこに導かれてしまったのか。

そういえば、この主婦の妊娠初期時期、私とTと3人でもんじゃ焼きを食べに行ったことがあった。「梅酒は大丈夫でしょう」と妊婦にアルコールはいかんよと軽く止めた私とTを無視して梅酒を一口飲んだ彼女は、「気持ち悪い」とトイレに行って戻し、トイレから出た途端勢いよくその場にぶっ倒れた。

そのとき、私とTは看護婦免許持ちだった。救急車に一緒に乗りながら、医療従事者免許持ちながらどうよこの状況、と泣きそうな気持ちになった。
搬送された病院からまだ仕事中だという旦那の携帯電話にかけ、理由を説明して至急来てもらうことになった。だが、いくら待っても旦那は来ない。気の動転した旦那は、乗る電車を間違えてとんでもないところに行ってしまっていたそうな。

そんな過去を持つ私とTが、まさか母親学級や両親学級をやるようになるとは、その当時は夢にも思っていなかった。

今日は両親学級でした。


2003年09月08日(月) 熱烈に、一途に、君が欲しいと、あの頃

私、確か、あの頃、中学生。

♪ きみが欲しい いまでも欲しい
  きみの全てに 泣きたくなる
  もしもきみに 逢わなければ
  違う生き方 ぼくは選んでいた
 ♪

先日、上記の歌詞の曲が不意に頭の中に浮かんで、何の曲かとしばらく悩んでしまった。どこか街中で流れていたとかそういうことではなく、突然、勝手に湧いて出た記憶だった。すぐに、ああ大江千里の『格好悪いふられ方』だ、と思い出した。

10代の頃に比べて、今は"思い出の曲"というのが極端に減ったと思う。暇だったのかなんだったのか、小・中・高・短大と、学生時代は音楽漬けの日々だった。放課後のカラオケは全盛期で毎日のように繰り出し、通学中のウォークマンは手放せずで。20代はじめ、フリーター時代に某チケット売り場のおねいさんをしていた頃は、職権乱用してチケットの残を検索して見てはあちこちライヴに出かけたもんだが、あの、思春期の頃にカセットが擦り切れたり伸びてしまうまで聞いた曲ほど、脳裏になつかしくよみがえるものはないと感じる。

何かの曲を聴いて、それにまつわる思い出をたとえ思い出せなくても、胸を締め付けられるほど誰かを想ったり傷ついた記憶は歌の中で、その当時の気持ちが正しく思い返されて、同じように今の私を切なくさせる。気持ちの表出も稚拙で、良くも悪くも感受性が高く、それに伴う感情の高ぶりを制御できず、うまくいかないことが多かった10代の恋。不思議と、楽しかった思い出よりも、甘酸っぱくも悲しい気持ちの方が想起は鮮やかだ。少しでも気持ちが弱っていれば、すぐに涙が溢れ出すほどに。

脇目もふらず、ただひたすら前を見るだけで精一杯だったあの頃。それを懐かしく思う日が来るなんて思ってもみなかったけれど、年月は案外早く、確実に先へと急ぎ。

今の私を懐かしむ自分も、未来には存在するのだ。


2003年09月06日(土) 寝起き姿で奇襲され

年頃の女子ゆえ、寝起きの格好では出られません。

というか、張り切りすぎ。土曜日の朝9時といったら、本来であれば私、まだ惰眠を貪っているところです。たまたま今日、なんか7時半くらいに目が覚めちゃって、二度寝する気分じゃなかったのでネットサーフィンしていただけの話なんです。

なのに、ピンポン、と軽やかな音とともに来訪者あり。こんな早くじゃ新聞の集金でもないし、なんかのセールスか?!とちょっと強めの口調で「はーい、どちらさま?」と声をかけたら、「20X号室に越してきました、○○です」と。

真夏ではないのでパンツ1丁だとか、ノースリーブに短パンだとかというあられもない格好ではなかったけれど、ちょっと胸の先が透けるかもっていうようなTシャツ(酒屋でもらったビールのおまけ)とパジャマズボン。
少々お待ちくださいと、あわててジーパンに履き替える私。

共に30台であろう、ご夫婦。凮月堂のゴーフレットカートン(12枚入り)を持参。

数ヶ月空いていた隣部屋にご夫婦。何となく、彼の声が聞きたくなり、すぐに電話をかけた。なかなか出ない。切ろうかな、と思ったら寝起きの彼の声が聞こえた。
『昨晩眠れなくて何となく"少林寺"を見てたから、寝たの4時頃で…』
ごめんごめん、と謝り、隣に引っ越してきた夫婦の話をする。ゴーフレットもいいけどレーズンケーキのほうが私は好き、と言ったら、「お前は…」と溜め息つかれた。

私たちもいつか…。


2003年09月05日(金) 肉体的快楽に精神的快楽をプラスされて

ある意味、セックスよりも気持ちよくて。

何にも考えない贅沢な時間を作ることって、生きるうえですごく大事なんだと実感。眠っているわけでもなく、だからといってはっきり覚醒しているわけでもなく、性的な快楽とはまた異なる快の時間。約2時間半、仕事のことも、彼のことも、さぼってた家事のことも、みんなみんな忘れた。
このたび、生まれてはじめて、ボディマッサージ及びフェイシャルマッサージを受けてみた。服を脱ぎ、下着も取り、紙パンツをはいて上にバスタオルをかけられて。

女性限定で完全予約制なそこは、自宅から行くとなるとバスと電車を乗り継いでいかなくてはいけないところ。決して安いわけでもなく、しかも予約は1ヶ月半~2ヶ月先からしか空いていないという、そんな先の予定なんて分かるかい、というような。だけど、2ヶ月前の私は、2ヵ月後の私はきっとそれを欲すると予測したのかなんなのか、申し込んでいた。

ピーチティー、レッドローズ、ピンクローズ、マロウブルー、カユプテ、ラバンジン。何かの呪文のようなカタカナが並ぶメニュー表は、しあわせなひと時の証拠。

身体中を揉まれただけで頭の中を空っぽにさせられた、そのテクニックに脱帽。


2003年09月04日(木) 私は善人にはなれない

だからといって、偽善者にもなれない。

乳幼児健診が何故行われているのか、親となった人は考えたことがあるだろうか。住んでいる地域の保健所や保健センターから気がついたら通知が来て、呼ばれたから行ってみるか、という人も少なくないであろう。

市区町村で行われる乳幼児健診には、医師、歯科医師、歯科衛生士、栄養士、看護師、保健師等、専門職種が従事している。
だから、親御さんは、身体測定で子どもの目に見える成長ぶりを喜ぶのもよし、斜視じゃないかしら包茎大丈夫かしらと診てもらうのもよし、虫歯チェックをしてもらえないかしら歯磨き嫌がってどうしようもないのと訴えるのもよし、ミルク足りてるのかしら好き嫌いが多くて困ってるのとそういう相談をするのもよし、こんなに寝てていいのかしらどうやって叱ったらいいのかしらと相談するのもよし。
それらが全部無料で受けられる、お得な場所なのだ。

だからって、こっちだって慈善事業で行っているわけではない。大人の健康診断と一緒で、子どもにも健康チェックする場が必要で、より健康になるための目安や、より順調に発達するための目はたくさんあった方がいいのだ。
そして、発達チェック。これが問題。

健診は試験ではない。あくまでも、その子の発育・発達状況を見ている場だ。健診で一生懸命その子の発達の遅れを隠したところで、その先、保育園、幼稚園、小学校…どこかでほころびは広がっていく。
遅れていないのにおくれているんじゃないかと夜も眠れなくなるほど悩む親も困るが、発達のおくれに自覚のない親も非常に困る。隠そうとガードの固い親にも困る。

「私には育てる自信がない。だから、障害児は生みたくないと思う」
看護学生時代の障害児施設に実習に行った私の記録に、はっきりと書かれている。一生寝たきりだの、一生人に通じることばが発せられないだの、誰かの手を借りなければ生きられない命の人生を背負うことは、想像しただけでも私には重すぎた。実習中のカンファレンスでも、他学生は「おくれがあってもかわいい。私なら育てられる。施設に預けっぱなしの親が信じられない」と言っていた中、そんな偽善的なと思いながら「自分には無理」と言い切った気がする。

私が障害児の親の気持ちで一番共感できるのは、「こんな子欲しくなかった」「生まれなければよかった」というところだ。その先は、どんなことがあっても「あなたなら頑張れる」だの「あなたは選ばれた」だのという、きれいごとで他人事なせりふなど言えない。
だけど、第1子に障害児を持っても次の子どもを生む親の強さや、養護学校よりも普通学級に入れたいと教育委員会と学校に交渉する親の直向さには、胸打たれるものがある。素直に感動し、それをことばにして伝え、つらいときには寄り添っていくことを決意させてくれる、そんな親御さんたち。

私には、一体何ができるのだろう?


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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