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2002年09月30日(月) 2万ヒット記念企画!企画する前に倒れる!

皆さん、こんにちは。
どうも最近二日に一度更新ペースが板についてきた、かまぼこです。
あ、ちがいます。るる@りゃ!です。

それでも、あゆの前にワタクシが書いたことから考えると
今日は、いえ、正確には昨日サボったために本日執筆予定となったのは
おやびんであるはずなのです。
ところがどうでしょう。
今朝になっても書いてません。

朝のNHKの連続ドラマ「さくら」が終わってしまった今
「りゃ!」を読むことだけがお楽しみになってるワタクシとしては
これはツライ。
でも自分の当番の時はけっこう簡単にサボるけど。
そうさ、人間ってもんは弱いものさ。武田鉄也です。

で、先ほどオンライン上にいたおやびんに
「執筆中か?」と尋ねたところ
「今、書いていたところだ。息抜きだ。」
などと怪しげな答えが返ってきて、ふっと嫌な予感がしたのですが
「書いていた」のならば、代打を頼まれることもなかろうと
一瞬でもおやびんを疑った自分を恥じ、
「息抜き」にふさわしい他愛のない会話をしようと

「もうすぐ2万ヒットだね」

と切り出したのです。
「2万ヒット記念企画」として、また何かを企画しようか、
でも、たぶん今日明日に2万だから間に合わないだろう、
じゃ、またモヘジさんに書いてもらうか、
アクセス増えるぞ~~~~、
はっはっはっはっはっは、
でも、この前頼んだばかりでさすがにモヘジさんもイヤだろう、
じゃ、タイトルに

「2万ヒット記念企画代打 モヘヅ箸」

って入れて、中身はさ

「ね、ひっかかった?ねね、ひっかかった?」

ってのは、どう?
そりゃあ、あぶないだろおおおおおおお、

などと、大変に自由闊達な意見の交換をし、
結論としては、
ついこの前17000ヒット記念をやったばかりだから
次は23040ヒット記念ぐらいだろう、
そうだそうだ、普通はつまらん、
だから、今回は知らん振りしてよう、
と落ち着いたのでございます。

そういうことで、いつものようにダラダラと書くことで落ち着いた以上
執筆半ばだったおやびんの邪魔をするのもヤボでございます。
「じゃ、書き上げて」
と、エンターキーを押そうとしたその瞬間、

「ねね、今日はこんなくだらない話をしてたから時間がなくなって
もう書けないから、るる書いて。」

と、言ってきやがったんですよ。
なんでも月末で忙しいから、もう今すぐにでも仕事に行かなくちゃいけない、って
言うものですからね、
ワタクシも人がいいものですから、
わかった、わかった、じゃ書いとくよ
と答えたのですよ。
そしたらね、
実はさっきまで書いていた日記には
昨日、借金の返済企画第一弾としてやった競馬のことを書いていたこと、
借金返済企画だったにもかかわず、また借金が膨らんでしまったこと、
やばいぞ、やばいぞ、まじでやばいぞ、
と聞いてもいないのに話し始め、

りゃ!の企画のみならず、借金返済企画までも企画倒れかいっと
突っ込まれることさえも、また楽しそうで、
絵に書いたような泥沼の借金地獄へのはまり方だ、と
言葉やわらかに忠告されることさえも、また嬉しそうで、
ああ、こうやって己を堕としてまでもネタにするおやびんは
素晴らしい、素晴らしいけど、アブナイ。

などと思い、その悲しくも笑える独白から逃れるべく
「わかったわかった、早く仕事にいきなさい
りゃ!は書いておくから」
と鼻であしらったのです。

すると、心底ホッとした様子で
「しっかり、書けよ」
「サボるなよ」
「風呂はいれよ」
「歯ぁ、磨けよ」
「ババンババンバンバンバン」
などと、しつこく話し掛けてきたので、

「いますぐ仕事いくために代打たのんだのは、おやびんでしょ!
今から執筆に入るから邪魔するな」

と、毅然とした態度にでたところ
「わかった、じゃ、ケータイからメールするね」
「今日は10回ぐらいメールする」
などと言いやがりまして、
さっそく、たぶん家をでて10歩歩いたか歩かないかぐらいだと思われる時間に
「書いたかああああああ」
とケータイメールが届いたのです。

















どうしてくれましょう





ということで、2万ヒット特別企画として、
おやびんの締め方大募集。
ってことで、本題に入ります。












高橋尚子選手って、すごいですよね。
マラソンが速くなければ、全然ふつーの女の子だとか、
ブランド大好きらしいけど、似あわないっちゅの、とか、
増田明美のあとだけに、可愛いって言われるんだよね、とか、
なんだかんだバッシングされてた時期もあったけど、
やっぱりね、結果を出すってのはすごいですよ。
でも、あのサングラスは似合わないとは思うけど。


2002年09月27日(金) 回顧主義

もしかして私サボりました?
サボると日付をごまかして書く習性ができたせいで今日が何日で何曜日なのかわからなくなっちまいました。あ、申し遅れました、ワタクシ、あゆです。

今、ベッカムさまがテレビに出てました。
中村俊輔、イタリアで「スンシュケ」って紹介されてました。
そっちの方が言いにくいし。
テレビ見ながら日記書くのもオツなもんです。

突然ですが
「丹精込めて」
というこの言葉、初めて知ったのはテレビでした。
漫画です。

言っていたのはだれあろう


星飛雄馬です。



「オレの・・・オレの・・・丹精こめて投げた球が・・・・
う・・う・・・打たれた」
と、彼はマウンド上でがっくりとひざを落としたのでした。

私の記憶では、このセリフに後半の15分使っていたと思います。
野球の投球って「丹精こめる」んだと知った30歳の夏でした。

30歳ってことはないですね。

56歳くらいだったかな。
何気に増えてます。

巨人の星といえばもう1つ思い出すのが
画面の隅に




「カラー」という表示があったことです。

当時白黒テレビからカラーテレビに移行する頃だったのですが
新聞の番組欄にもカラーの番組には「カラー」という表示がありました。

ああ懐かしい。

初めて我が家にカラーテレビが来たとき、
私はうれしくてうれしくて
「カラー」と書いてある番組をかたっぱしから見て総天然色テクニカラーをたのしんでおりました。。
ニュース番組、教育番組、アニメ、AV・・わしはエロおやじか。

でも、そのカラーテレビも古くなると
まず人の顔色が悪くなったものでした。
顔色は各家庭によって様々ですが
変に黄色っぽかったり
妙に赤ら顔だったり
オレンジ色の顔の人がニュースを読んでることもありました。

そして次に洋服の色に支障をきたすようになります。

芳村真理の(「夜のヒットスタジオ」ですね)、
「あらぁぁぁ、知子ちゃん(小川知子ですね)今日は真っ赤なミニスカートがかわいいわよおお」という言葉で

あ、あれ紫じゃなかったんか。

と気づくようになったものでした。

え?だからどうしたって?

いやいや、いまや吉永小百合がテレビ持って部屋中歩き回る世の中ですからね。隔世の感ってやつ?

ま、いいですけど。

それでは本題に参りましょう。





























眉間のシワが少しだけ深くなりました。


かしこ。


2002年09月25日(水) 馬肥ゆる

気持ちの良い気候に食欲増進中のるるです。こんばんは。
まさに「天高く、馬越ゆる秋」です。
馬を越えてどうするんでしょう。
それだけは、イヤですね。

子供の頃、地元のお祭りにどういうわけかブラジルのサンバのご一行様が来て
サンバショーのようなものが催されたことがありました。
本場のサンバが来るっていったら、そりゃ大変ですよ。
ほんまの産婆が来るっていうのとは、わけが違いますからね。
とんまの丹波が来るっていうのとは、全然違いますしね。
おんまの散歩が来るっていうのとも、当然違いますよ。


それはそれはすごかったです。
あの音楽、ステップはもちろん、
頭につけた、巨大な羽飾りや
ボリウム満点のカラダを露出したキラキラの衣装。
まだ、小林幸子も美川憲一もふつーに紅白で歌ってた時代ですから、
それはそれはセンセーショナルでした。

で、地元の大通りに沿って、パレードするというので
沿道にいたんですけどね、
踊りながら近づいてくるわけですよ。
頭はユサユサ、胸はブルブル、
おしりはぶるんぶるん。
そして褐色の肌に真っ白い歯で実に楽しそうに笑いながら
例のステップで近づいてきて、くるりと向きを変えて
こちらに、お尻を向けてまた踊って見せてくれたわけですが、
なんといっても、ものすごい体格。
その頃のワタクシの目の高さには、そのぶるんぶるんのお尻がジャストミート。
目の前の、ゆさゆさ揺れる巨大な褐色なお尻を見て思ったものです。


「馬みたいだ。。。」


馬つながりで、ここまで引っ張ってすみません。
ちょっと思い出したので書いてみただけです。


こんなことをツラツラと書いてないでサボったことを詫びろ、思ってるあなた。
ある意味、ジャストミートです。
ここ最近のワタクシの「りゃ!」の日記は
サボったことの言い訳で始まり、言い訳で終わるという
非常に潔い展開でございました。
ここで、「もしかしてネタのためにわざとサボってるのか?」と勘ぐりを入れたあなた。
ある意味、ジャストフィットです。
あ、いや、フィットしなくてもいいんですけど。


ま、恒例ですからサボった理由を書くことにします。
高齢ですけど、立派なイビキをかくのはうちの義母ちんです。

一昨日、夏休みに家族でキャンプに行ったときに知り合った
山を愛する青年の一人が、こちらへ来たついでに立ち寄ってくれて
泊まっていってくれたんですよ。
嬉しいじゃありませんか。
かわいいじゃありませんか。
嬉しくてワインをバンバン飲みましてね、
せっかく東京に来たんだから、浅草に行けとか、
「一番」と書いたTシャツをお土産に買っていけとか、
東京タワーに行ったら、お化け屋敷には入って来いとか、
でも受付の女の人はろう人形だからビビるなよ、とか
やっぱり東京タワーのキーホルダーをお土産に買わなくては、とか
王将と書いた巨大な将棋の駒も喜ばれるぞ、とか
ガイジンを見ればみんな「アメリカ人だ」と言ってた時代の
外国人観光客に言えよ、という勢いのアドバイスをパパと二人でしつこくし、

さらには、山岳部ならロープ1本で東京タワーに登って来い、とか
都庁の壁はロッククライミングにもってこいだ、とか
もう一度、きゅっと締まるロープの結び方をこっそり教えてくれ、とか
それを教わってどうするつもりなんだ、私、とか、

まあ、そんなようなことを言ったり思ったりしましてね、
非常に楽しいひと時を過ごしたのでございます。
その前日に家族で一日中遊びほうけていたこともありまして、
満身創痍、体力の限界だったわけです。寺尾です。
いやあ、寺尾、引退ですか。寂しいねえ。
しかし優勝した西郷さんより、引退する寺尾より、
負けちゃった貴乃花のほうが大きく扱われるのは、どうですか。
あ、また話がずれました。小倉さんのヅラぐらいに。

で、なんでしたっけ?
あ、そうそう、楽しくワインを飲んで酔っぱらったから
この勢いで「りゃ!」を書こうと思って開いて、
ゆみなオネエサンの日記を読んでたら、
どういうわけか眠ってしまったってわけさ。
ゆみなオネエサンの予言どおりってことだね。ははははははは。
よい子のみんなはマネしちゃ、だ・め・よ♪

さて、例によって長い言い訳はこのへんにして、そろそろ本題に入りましょうね。


原監督、顔の力すこし抜こうよ。


以上。
あ、優勝おめでとう。ジャイアンツ。


2002年09月23日(月) 三連休最終日

良い子のみんな。こんばんわ!
ゆみなお姉さんだよ。

”よいこ”のみんなって言っても、
あのお笑いコンビの二人に対してじゃないよ。
あれは”よゐこ”だからね。有野の濱口だね。
そんなことは分かっているよね。すまんすまん。
お姉さん。どうかしちまったな。ははははは。

さて。みんな。三連休はどうやって過ごしたのかな。
三連休って分かるかな。
サイレンをずっと鳴らしてるわけじゃないよ。
それはサイレン中。
電気がビリビリきてるわけでもないよ。
それは感電中だからね。

なんか、昨日のあゆのボケかましの続きみたいだね。
いや~参った参った。
お姉さん。ほんとにどうかしちまったみたいだな。ははははは。

実はお姉さんはね、ゴルフに行って来たんだよ。
それもね、みんなも良く知ってる「泣きべそ徳さん」と一緒だったんだ。
シンスケが人探ししてきては泣き、
西村知美がマラソンしては泣き、
競馬に勝った負けたと騒いでは大泣きするあの徳さんだよ。

お姉さんね、今回もゴルフの最中に
もし徳さんが泣き出したらどうしようって、そればかり気にしてたのさ。

ミスショットしたら泣いちゃうんじゃないかって、ずっとハラハラしてたんだけどね、それは大きなお世話サマーみたいだったよ。
っていうのもね、泣きべそ徳さんは、滅法ゴルフが上手でね、
お姉さんが心配することなんかコレッぽちもなかったってわけさ。
それよりも、自分のショットを心配しろよだよね。
泣きたくなったのは、お姉さんの方さ。ははははは・・・・
笑ってるけどね。

そしてそのゴルフのあと、
お姉さんはお姉さんのダンナさんと二人でホテルに行ったんだけどね、
ホテルって言ってもいかがわしいホテルじゃないよ。
誰だぁぁ!そんなこと想像するのは。

ホテルに着いた時間がやたら早くてね、
お姉さんとダンナさんはものすごく時間を持て余してしまったのさ。
結婚して何十年も経つとね、
そうそう話すことなんかないしね、二人とも暇で暇でしょうがなかったんだよ。
そしたらだんなさんは何て言ったと思う?

6時頃にね、

「帰るか?」だよ。

それはないよね。
確かにね、お姉さんも暇だったさ。
帰ってパソコンでもしてた方がよっぽど楽しいな、と思ったよ。
でもね、それはないと思うんだよ。

久しぶりに夫婦二人水入らずでホテルに入ったんだし、
もっとロマンチックな夜にでもなるのかな、と思ったんだけどね、
そんなこと、お姉さんたち夫婦に求めること自体、間違いだったんだよね。

もちろん、その時点でお酒も入っていたので帰るってことはしなかったんだけど、お姉さんは時間を潰すためにホテル内にある大浴場ってとこに何度も足を運んだってわけさ。

でもね、びっくりだったよ。そのお風呂。
それはね、「大浴場」って名前の小浴場だったんだ。
つまり、部屋のお風呂よりは大きいよ、ってことだったんだね。
いやぁ、こりゃ一本取られたなぁ。と思ったよ。ははははは。

昔、地方に年配の上司と二人で飲みに行った友人が、
客引きに
「若い子いるよ。若い子いるよ」という言葉に騙されて、
バーに入ったら、みんな50代くらいのおばちゃんで、
「これの一体どこが若い子なんだ!」と食って掛かったら、
その客引きが
「お客さんよりは若い子って意味です。」と答えたのと似てるね。

似てないよね。はははははは。
今、ふとその話を思い出したから書いてみただけさ。ごめんね。

結局、お姉さんは暇潰しにその小浴場に3回も入り、
ホテルに隣接してる居酒屋にダンナさんと二人で行き、
他愛もない話をし、10時前に寝てしまったってわけ。
夫婦二人でホテルに泊まっても何もすることないね。

あ、誰だぁぁ。またいかがわしいこと想像してるのは。
お姉さん。実はここまでホテルのこと書くの、けっこう照れくさいんだよ。
はははは・・・・

翌日には富士五湖を回って帰ろうってダンナさんが言うから、
「おっ!ドライブでもするのか!」って思ったら、
なんのことはない、富士五湖の傍の道路を利用して帰るだけだったよ。
途中、おばあちゃんの病院に行ってお見舞いをし、
その足で、そのままお墓参りも済ませ、
来年の今頃はお墓参りだけなのかなぁぁ。なんて不謹慎なことをちょっと思ったりもしたよ。

そして三連休最後の今日は、
明日誕生日を迎える次女のお誕生会をしたんだよ。

お誕生会っていったら、
普通は次女が帰宅するのを待ってからするもんだよね。
主役だしね。
ところがね、ウチのダンナさんは、
「腹が減ったから先に食っちまおう」っていう始末でね、
さすがにそれはないだろう!と思ったんだけどね、
私もお腹がすいてきたしね、
「じゃ始めてるか!」ってことに意見が一致してね、
なぜかこういうことはすぐ意見が纏まるんだよね。

主役抜きで、
「カンパーイ!」
「おめでとう!」ってしたんだけど、その最中に次女が部活から帰ってきてね、
そしたら慌ててダンナが
「6時半まで待ったんだよ。な。待ったよな!」って急にみんなに同意を求めてきてね、
そのアタフタぶりがなんとも可笑しかったよ。

主役の次女が揃ったところでケーキにロウソクを14本立て、
吹き消したあと、改めて乾杯をしたってわけ。

なんかダラダラ書いちゃったけど、
良い子のみんな、寝てないかな。
読みながら居眠りなんかしちゃだめだよ。
大きくなったらるるお姉さんみたいになっちゃうよ。

さて、三連休の話はこれくらいにして本題に入るよ。

ケーキを食べながらビールを飲むとまずいよね。
お姉さん。びっくりしたよ。

じゃ!またね!



2002年09月22日(日) 三連休中日

ちょっと字、大きめにしてみましたが、最近老眼でお悩みのあなた、いかがでしょうか。
こんばんは、あゆです。

実はワタクシ、老眼と気づいてからかれこれ8年。
老眼鏡もかけずにいままでがんばってます。
最近、しょっちゅう目の下がヒクヒクとけいれんして困っています。
物忘れは激しいし、勘違いはしょっちゅうだし、
疲れるとすぐ顔に出るし、
なんだかなあ。
これが「老い」というものでしょうか。
義兄の子供は身長185㎝です。それは甥。


気づいたら三日連続で飲んでます。そのせいか身体が重いしなあ・・。
休肝日も必要ですね。
テレビの番組欄がいつもの面と違うとこにあるからすぐわかるよね。
それは新聞休刊日前日。


しかもさあ、このあいだ九月になったと思ったらあと10日で10月だし。
最近、本当に時の流れを早く感じるようになった私。
あの年上の嫁を見つけるときに履くという金色の・・。
それはワラジ。


でも、文字が大きいと結構ラクですね~。
文章短くても平気だし。
無理やり大野君(仮名)を白熊の中に入れたりしなくてもすむみますし。
水の上をスイスイと・・。
それはみずすまし。


もうボケもネタがつきたようですので
本日はこのへんで。


このボケも





















いつかは本物

になるんだろうなあ(鬱)


2002年09月20日(金) U野動物園

こんにちは。
昨日はタッキーの幼稚園の遠足に一緒に行ったために
疲労困憊、林家こん平だったために、おサボリしてしまいました。

あ、名乗り忘れましたが、
オフ会で大きな声で呼ばれるとこっぱずかしい、るるでございます。

いえね、ワタクシ、ネット界にデビューした時は
猜疑心のかたまりでして、
オフ会なんて、そんないかがわしい匂いがぷんぷんするところには
絶対に出席しないだろうと思っていたほどでして
どうせならってことで「るるちゃん」なんてカワユイ(←死語)HNをつけてみたのですが
数年後に、こんな交換日記を書き
あんなオフ会を主催し、
でも、主催したものの、準備らしいことも幹事らしいことも何もしなかったんですけど
ま、一応ホスト側にたち、
身を削ってその場を盛り上げるべく、
無理をしてカラオケなど歌ったり、
手がはれ上がるほどタンバリンを打ち鳴らしたり、
回転レシーブなどしたり、
そのようなことをするようになるとは、夢にも思っていなかったわけで。。

るるじゃなくなるとすれば、「ろろ」はどうでしょうか。
「33」はどうですか。
「ゐゐ」はどうでしょう。
どうでもいいですね、めんどくさいです。

えっと、今日のお題は「遠足」でしたね。
ええ、昨日行ってきました、U野動物園です。
パンダいましたよ。
でも、寝てました。
ごろんとあっち向いて動きませんでした。
ぐるっと一周して戻ってきても、まだ同じ格好で寝てました。
たぶん、着ぐるみだったんだと思います。
抜け殻ってやつですか。
ときどき、そうやって着ぐるみ置かれちゃっても
ぜんぜん気付かないでしょうね。
やられたなって感じです。

その話をゆみなにしたら、
ゆみなは膝を叩いて
「そうかっ!そうだったのか!」と言いました。
ゆみなのところの入院しているおばあちゃん。
いつ行っても同じ格好で寝てるそうです。
「あれは抜け殻だったのか!」
病院が入院費をせしめてるんだな、とも言ってました。
どうりで、振ったらカラカラいってた、とも言ってました。
一部脚色入ってます。不謹慎ですみません。
敬老の日の翌々々々々日だっていうのに。
ほとんどふつーの日ですけど。
お彼岸の入りですけど。
そういう意味でタイムリーなような、やっぱり不謹慎なような。
どうもすみません。

着ぐるみ置かれてたのは、パンダだけじゃなくて
バイソンもそうでした。
バイソン知ってます?顔がおっきいんですよ、牛の仲間ですけどね。
牛ってあんなふうに寝るんですか?
って、どんなふうでしょうね。
ほら、ライオンとか、虎とか、4本足の動物って
足をまげて体をやや丸めるような感じで寝ますでしょう?
前足に頭を乗せるような感じでね。
バイソンは立ったままの形で、そのままパタリと横に倒れてる感じで寝てたんですよ。
その瞬間を見てなかったんですけど、
きっとマンガみたいにパタリンコと倒れたんじゃないかと思われます。
前足も後ろ足もきちんと揃って伸びていて
もう絶対に不自然なんですよ。
よって、これも着ぐるみだろうと。
まったく昨日はついてなかったなぁ。

あ、でもゴリラに入ってた人はよくがんばってくれましたよ。
なかなかいい動きしてました。
暑いのにご苦労さまでした。

それから白熊もよかったですよ。
手を振ってくれましたから。
前にも書きましたけど、U野動物園の白熊は
バイバイと手を振ると、水の中から片手を挙げてバイバイしてくれるんですよ。
少なくともワタクシにはしてくれるんですよ。
もしかして、白熊の中に入ってるのはワタクシの知り合いなのでしょうか。
高校の時に、進路について話し合ってるときに
「北海道に行って警察犬になる」と言っていた大野くん(仮名)なのかもしれません。
警察犬になる夢は絶たれても、U野動物園の白熊になれたのなら
ワタクシはその人生に心から乾杯をしよう。
そして、これからU野動物園に行くたびに、大野君(仮名)に手を振ろう。
ときには、彼へのメッセージとして敬礼をしてみよう。
そして、麻薬犬の訓練のし過ぎで作ってしまった目のしたのクマを生かして
次のときは、パンダの中に入れると良いね。
熊だけにクマっていうのは、ちょっとサブイけど、ついうっかり笑っちゃうよね。
って、さっきから誰に話しかけてるんでしょうね。

さて、それから、ウサギやモルモットを抱っこしたり
ヤギに草を食べさせてあげたりして帰りました。
そして、疲れて眠ってしまいました。


と、長い言い訳はこのへんにして、本題に入ります。

仮面ライダー龍騎に出てくるナイトに変身する人は
森進一に似てると思います。

以上。
わかる人にしかわからなくてすみません。


2002年09月18日(水) 北海道の友人。

いつのまにか『りゃ!』が、社会派日記へと変貌を遂げていた事に、驚きを隠せないおやびんゆみなです。
おはようございます。

社会派ねぇぇ・・・

難しいですね。
タイムリーな話題でいえば、拉致問題などを自分の言葉で書ければいいのでしょうけど、私にそんな難しい内容が書けるはずがありません。
どんなに長々と書き綴っても、
そんなチョウセン的な態度ではラチが明かないのではないかと思います。

ええ、寒いです。
いえ、それ以前に不謹慎でした。すみません。

しかし、平沢勝栄議員。
どこにでも首を突っ込む人ですね。

ええ、これも不謹慎でしたか。すみません。

これ以上書くとやばいのでやめます。




さて、私は昨日、北海道から帰ってきました。
北海道では、またいつものメンバーと会ってきました。

いつものメンバーと言うのは、
私の日記にでも、ちょこちょこ登場するみっちゃんケニアであります。

去年、帰省したときに私はみっちゃんに自分のブラウスをあげました。
ええ、泊めてもらったお礼のつもりでした。
みっちゃんも欲しいって言うしね、
私もどこかのホテルに泊まることを考えれば、
そんなものくらい安いもんです。
喜んでくれるのなら。という思いで、プレゼントしてきたのです。

それがですよ。
今回、泊めてもらったときに、

「ねね、この前もらったブラウスだけどさ、
































買わない?




って言われたときは、びっくらこきました。

私があげたブラウスですよ。
それを売りつけるみっちゃんって・・・

私は丁重にお断りしてきましたよ。

「可愛いけど買わないよ。ごめんね。」

って、どうして私、謝らなきゃならないのでしょう。
未だに解せません。

このみっちゃん。
見た目はどうみても20代にしか見えない。
着る物もTシャツにジーンズだったり、
ヘアースタイルだってショートでとても可愛い。
結婚をしてるが子供もいないし、
仕事もない。ちなみにダンナの仕事もない。という大変お気楽な生活をしているお方である。

ハッキリ言って、全然お金がないのです。
たまにアルバイトしたりして急場を凌いでる夫婦なのですが、
それでも全く己の人生を焦ってる様子は微塵も感じられないのです。
なきゃないだけの生活をし、
たまにお金が入ると、ラーメン屋巡りをして、
あそこのラーメンは美味いだの不味いだのとウンチクを語ります。

そんなみっちゃんもいよいよゴルフを始めたようです。
お金もないのに、何がゴルフでしょう。

そしてこの前コースに出たらしいのですが、
片方の靴の底のスパイク部分が剥がれたらしいのです。
仕方ないので、底の部分を全部剥がしてプレイしていたそうです。
しばらくはそれでやっていたのですが、
そのうち片方だけではやりにくいということになり、
なんと途中で、もう片方の底も剥がしてプレイしたというツワモノであります。

裸足です。

いえ、正確には一見靴は履いてるようなのですが、
実は裸足というスタイルで。

また、かと思えば、
美容オタクのみっちゃんは『酒風呂』が身体にいいと聞きつけ、
お風呂に一升瓶の酒を全部入れ、湯気で酔っ払ったこともあるのです。

私もかなり変わった人間だろうとは思うのですが、
そこまでしたことはありません。
しようとも思いません。

しかし、みっちゃんは言うのです。

「ゆみなって人は、この世に二人といない人間だよね。
あんたみたいな特異な人はいない。
いや~、すごいキャラだよね。」って・・・

私は思いましたよ。




あなたには敵わない。



また、何度もしつこいくらい言うけど、
このプー太郎夫婦。
お金がないわりには気前がいい。

私が北海道に行くたびに奢ろうとしたがる。
私が財布を出しても、

「いいから。いいから。」と、決して私に払わそうとしない。

前回のときなど、ケニアに対しても

「ここは私が持つから」と言い張る始末。

しかし、レジで財布を見たら、中には2000円しか入ってなかった。

みっちゃん。
奢ってくれなくてもいいからさ、
せめて自分の分くらいだけは持ってこいよ。

「じゃタクシー代持つね。」と、どうしても払いたがるみっちゃん。
結局、タクシー代はみっちゃん払いだったのですが、
翌日からどうやって食べていくのか心配です。

昨日、みっちゃんの家から帰るときに、
荷物を送ってもらうように頼んだのですが、

先ほどメールが届きました。


原文

「クロネコで荷物送っといたよ。

家族6人で食べたら、30秒で食べ終わるトバと、

偽物っぽいホタテの貝柱も入れておいたから。」



嬉しいです。

30秒で食べ終わるほどの少量のトバと、
その偽物のようなホタテの貝柱。
ほんと楽しみです。

みっちゃん。ありがとう。

また行くから。
その時はまた泊めてください。



今回、私が夜中にお腹がすいて、

「なんか食うもんないのか。」と言ったとき、

家中、探してくれて、やっと見つけた最後の一個のカップ麺、食べてごめんね。

今度行く時は、カップ麺一年分をお土産に持っていくね。

でも、それ売らないでね。




私は友達には大変恵まれていると思います。

小学校時代からの友人が、未だに仲良くしてくれることも、
そして、ネットで知り合ったあゆとるるが、
私が何気なく書いた義妹への鬱憤ネタを、
社会派日記にまで話を膨らませてくれたことにも、
感激しております。



2002年09月16日(月) 大安の振替休日

そのまんまの題名ですみません。ちなみに明日は赤口です。こんばんは。あゆです。


しかしまあなんですなあ。
るるはなんだかんだ言って「痙攣の日」にはちゃんと義母ちんをお食事に招待するし、病気になればかいがいしく看病するし、あれだけひどい仕打ちを受けながらえらいですねえ。

がんばれ、「もうすぐ」だ。
だから何が「もうすぐ」だ。

でもるるの話を聞いていると「もうすぐ」そうでもないな。
だから何が。

いけません。敬老の日の翌日に「もうすぐ」なんて。
だから何が。


ところで今日
どうやら実家でファックスを購入したらしく、
以下の文章が届いた。


ファックスがつきました。
岡山
じいちやん
ばあちやんより

●●●ちやん
●●●ちやんへ



昨日の敬老の日、ウチから何も音沙汰がなかったのをさりげなく責められているような気がしてちょっと心を痛めながらも三つの疑問がわいてきた。

最後の●の部分にはそれぞれ長女と次女の名前が入っていたのだが、なぜ「ちゃん」でなく「ちやん」なのか。

ウチのだんなも私も岡山出身なので岡山以外にはじいちゃんもばあちゃんもいないのになぜ「岡山」と明記しているのか。

そしてなぜ毛筆なのか。りゃ!のパクリか?


このファックスは私の留守中に届いていたのだが
長女と次女は相談して返事のファックスを送ったという。

その送ったファックスを見ると



おばあちゃんへ

元気ですか。
ファックスとどきました。(←ここまで次女筆記)

お姉ちゃんは季節の温度差にヤられて
カゼをひきぎみでしたが、もう大丈夫です。(←ここまで長女筆記)



以上が全文である。

業務連絡と「どっちが年寄りなんじゃ」と言いたくなるような自分の健康状態を書いているだけなのだがそれはそれでよしとしよう。

しかし・・・














「おじいちゃんへ」と書いてもらえなかった
じいちゃんの立場はどうなる。

じいちゃん、きっとスネてると思う。


母は誕生日が七月七日で覚えやすいので
毎年忘れられることがない。
父は誕生日が11月5日なのだが、
まだ私がヨメに行く前、離れて暮らしている兄から
「お父さん今日誕生日でしょ?おめでとう」と電話があった。
父は電話を切ったあとも不機嫌だった。
私と母がすっかり忘れていたせいかと思い、
「すっかり忘れとったなあ。ごめんごめん。代わりに明日お祝いしようね」と言うと
父はますます不機嫌になり


















「わしの誕生日は一ヶ月あとじゃ」。



兄が電話をしてきたのは10月5日だったのだ。

あれから何十年も経つのに
未だにそのことを愚痴る父である。

ファックスの一件もきっとずっと忘れないであろう。


「今度はじいちゃんだけに
ファックスしてあげてね。」と子供たちに言ったら














「何書いていいかわからへん」

とのこと。

孫がかわいいあまり
わざと意地悪言ったりするじいちゃんは、とっても損してるような気がする・・・。




じいちゃん、長生きしてね。


自分とこのじいちゃんは「長生きしてね」で、
人んちの義母ちんは「もうすぐ」かい。
だから何が。




不謹慎な私を許してください。


2002年09月15日(日) 敬老の日

「今日は何の日?」
「今日はね、お年寄りを敬いましょうって日よ。
なんて言うんだった?けー?いー?」
「あ、わかった!


痙攣の日!」


子供ってファンタスティックですね。
こんばんは、るるです。


さて、その「痙攣の日」の今日、三連休のど真ん中でもありますが
現代の家庭生活に潜むゆがんだ人間関係を鋭くえぐる”社会派日記”である
「りゃ!」はお休みすることなくお届けいたします。
休刊日なしです。
休肝日なしは、おやびんです。
今ごろ、北の国で酔っぱらってることでしょう。

あ、そうそう、このまえ地元でお祭りがあったんですけどね、
ほら、江戸っ子のお祭りですからね、
お御輿担ぐわけですよ。
子供そっちのけで、大人がみんなで夢中になって担ぐわけですよ。
で、ワタクシも今回でまだ3回目なんですけど
担いだんですよ。
お神輿を担いで、何がおもしろいんだと見てるだけのときは思ったんですけど
ただ担いでるだけなんだけど、おもしろいんですよ、それが。

で、お祭りファッションにもいろいろあるわけだけど
やっぱり男性は極めれば「フンドシ」だな、と。
いやもう、フンドシに祭半纏、これが最高。
で、普段挨拶ぐらいのお付き合いのご近所のおじさんと
気がつけば、うっかり
「六尺ですか、七尺ですか」
「私は一本だよ」
などと、フンドシ談議に花を咲かせてしまって、
挙句の果てには、締め方まで教わってしまって、
ふむふむ、などと次回はお前が締めるのか、
と思われるほどの勢いで聞き入ってしまって、
ああ、、、
お祭りって、非日常的。。


あ、話がずれました。”社会派日記”だったんだわ。
一昨日のゆみなの「義妹」話といい、
昨日のあゆの「義姉」話といい、
「義」のつくところに平和はないんでしょうか。
藤本義一は、どうでしょうか。
大鶴義丹は、どうですか。
マイナーなところで鈴木義二はどうですか。
お笑い漫画道場、知りませんね、すみません。
でも、川島なおみはレギュラーだったの。
どうでもいいですね。すみません。

昨日のあゆの、おばあちゃんの話はよかったよ。
「屁こきじい」はうちの子も好きだしね。
昔話とか民話が好きなんですよ、ワタクシ。
生活の匂いがする感じが、なんともいいんですよ。
では、本当にうちにある昔話集に収められてるお話をひとつ、ご紹介しましょう。


昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました。
おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯へいきました。
おばあさんが川で洗濯をしていると
川上から王から長嶋から、あ、これはもういいですか、すみません。
川上から、どんぶらこどんぶらこと、大きなイモが流れてきました。
おばあさんは、イモを家に持って帰って
さっそく蒸かして食べたところ、
みるみるお腹がはってきて、
「ぼんがぁあああああ」
と大きな屁をこいてしまいました。
それは、山で芝刈りをしていたおじいさんのところまで届き、
おじいさんは、芝を刈らずに、くさかった。


って、これ、本当に収められてる話をかいつまんでご紹介したんですけど、
どうですか、生活の匂いがぷんぷんしてます。
だいたい、あの有名な桃太郎の話を思いっきりパクってるところがすごいですし
イモが流れてきちゃう強引さと、
おじいさんを待たずにさっさと食べてしまうおばあさんのちゃっかりしたところ、
さらには、「ぼんがぁあああああ」という擬音語、
「屁をこく」という言い回し、
どれをとってもダイナミックかつ姑息ではありますが、
最後に「臭かった」と「草刈った」をかけてるところあたり
ニクイはありませんか。
これが昔話でなければ、この「くさかった」の部分は
行書体で書きたいところです。
しかも、お話そのものが簡潔。

今日のワタクシの日記とは大違いですね。どうもすみません。

昔話まで引っ張り出しての長い前ふりはこのへんにして、
そろそろ本題に入りたいと思います。


今日は「痙攣の日」だったので、お義母さまを誘ってお食事に行ってきました。
義母ちんにおかれましては、ゴキゲンもうるわしく
大変にけっこうでございました。
帰りの車の中から、子供と一緒に外を見ながら
楽しげにおしゃべりをしておりました。
と、そこに大きなコリーがお散歩しているのが見えました。
ゴキゲンうるわしい義母ちんが、子供たちに言いました。


























ほら、ラッシーよ














いまだに、コリーはみんなラッシーかいっ!




例によって異常に本題が短くてすみません。









2002年09月14日(土) 敬老の日に思う

題名、何も思い浮かびませんでした。こんばんは。あゆです。

なんだかなあ。

ゆみな、今日から北海道だって?
いいなあ。生まれ故郷が北海道で。
何回も口実つけて行けるからなあ・・。
ってそういうことじゃないですね。
でも前回のように法事という名の飲み会ではなくて、
故郷に錦のゴルフ旅行であることを堂々と明言していて
男らしさ復活ってとこでしょうか。

しかし、一昨日昨日と血のつながらない身内との関係の難しさを物語る、
現代の社会生活において避けられない問題に真っ向から取り組む社会派日記の「りゃ!」らしい内容でしたね。

何か悪いことがあると人のせいにし、
いいことは全部自分のおかげ・・・
そんな義母ちんを持つるる。

私にも別居とはいえ「こにくらじじい」こと義父が同じような性格なのでよくわかります。

そしてゆみなの義妹の「あの目」。
な~んか心当たりがあるんだよなあ・・。
一家団欒の時に一人読書。
笑いに関する視点。
いるんだよなあ。私の身内にも・・・。

兄の嫁だ。
この人と同級生だとしても絶対友達にはならないタイプだなと常々思っていた。

そして、おやつを子供が食べると鬼のように怒る。
これもどっかに同じようなやつがいたよなあ。
身内だと思うけど誰だったけかなあ。
ううううううん・・・・。


あっ!!!



あああああ思い出したっ!








































旦那だ。


血のつながってない身内で一番やっかいな関係だからなあ。

ここまで読んで

「何が敬老の日に関係してるのか」とお思いでしょうが、

私は、「やっかい」と言う言葉を聞くと祖母を思い出すもんで・・・。

離れて住んでた祖母が
ウチに泊まりに来るたびに
岡山弁で「ごやっけぇになります」って言ってたからだなんだけど。




祖母は泊まりにくると、いつも寝る前に布団の中で昔話をしてくれた。
だから私は、祖母が来ると一緒に寝ようとねだっていた。
内容は忘れてしまったけれど私が一番好きで、何回も何回もリクエストしていたのは
「屁こきじじい」の話だった。

逆に
私たちが祖母のところに遊びにいくたびに
「バナ」を用意して待っていてくれた。
「バナナ」のことを祖母はそう言っていたのだ。
それは時に真っ黒になっていたけれど
甘くて美味しかった。


父の仕事の関係で
小学校3年のときから中2まで一緒に住んだ。
そのころはもう、昔話をねだる私ではなかった。
反抗期の私はあまり祖母と関わることをしなかった。
むしろうっとうしがっていたかもしれない。

そして再び、社会人になってから祖母のウチに引越ししたときには
その頃祖母は入院加療が必要になっていて既に病院にいた。

やがて、兄が結婚することになって、
祖母は車椅子で出席した。

祖母は元気な声で
「ひ孫を楽しみにしとります。」とみんなの前で挨拶した。

しかし、その二年後の私の結婚式には
もう出席してもらえる体力はなかった。

結婚式の写真を見てもらいに
祖母のいる病院を訪れたが
祖母はちょっとさびしそうに「おめでとう」と言ってくれた。


長女が生まれて、祖母に顔を見てもらいに行ったときは
そっと抱っこしてくれて

「私の顔を見ておそれるかと(怖がるかと)思うたけど
おそれんかったなあ」

と嬉しそうだった。

次女が生まれた。
笑った顔が祖母にそっくりだった。

たまにしか顔を見せられないけれど
祖母は病院に見舞う私たちを喜んで迎えてくれた。

ある年のゴールデンウィーク、実家に帰ったとき
祖母が退院してウチで療養していた。
どうしてもウチに帰りたいと言い張ったそうだ。
私はそれまで実家に帰ったとき料理は母任せだったのだが(←不孝娘)
ゴールデンウィークの最終日、私がカレーを作ることにした。
祖母はおいしそうにそれを食べてくれた。

そして私たちは大阪に戻った。

それから何日かして
祖母が亡くなったと母から電話があった。

布団の中で聞いた昔話
せっかく一緒に住めたのに思春期に冷たくしたこと
おそらく最初で最後の私の手料理のカレーを食べてもらえたこと

いろんなことが交錯して電話口で私は泣いた。


その年のお盆。
岡山に帰省する途中
高速道路を走っていると
前を走っていた車がスピードの出しすぎで
いきなり後ろにスピンしてきた。
車間距離はあったが、確実に巻き込まれるだろうと思った。



その車はウチの車の後部をかすめて後方に流れていってガードレールにぶつかる自損事故で済んだ。

私たちは無事だった。

なんとなく祖母が助けてくれたような気がした。


今年祖母の13回忌の法事だった。
月日が流れるのは早いなあ。

母もだれがどう言おうとおばあちゃんだし
「屁こきじじい」の話が好きだった私はおばさんだ。
今でも「屁話」はよくするけれど。しかもオリジナルだし。






いけねえ感傷的になっちまった。
何となく祖母のことを書きたくなったんで・・・ごめんなさい。


2002年09月13日(金) 秋の羊羹

ただいまの時刻、14日の午前2時であります。
明日から、いや、正確には今日から北海道に行くのに、
今の今まで飲んでいたおやびんです。こんばんわ。

明日の夜も、
明後日の夜も
明々後日の夜も飲むのに、大丈夫なのか。わし。
しかも、明後日は昼間ゴルフもするっつーのに。
まずいよな~~。絶対。

さて、タイトルでいきなり「秋の羊羹」って言われても
ちんぷんかんぷんのお方もおいででしょう。
ええ。私もわかりません。
昨日のるるがつけた珍しくキレイなタイトルを見習ってつけてみたのですが、どうでしょう。

気にくわなければ『あきのようこ』ではいかかでしょう。
それでもだめなら『秋野陽子の羊羹』では?
じゃ『亜紀の悪寒』では?
『亜紀の股間』は?


すみません。明日から北海道なので、ギャグまで寒いです。

でも、実は私、羊羹が大っ嫌いなのです。
お汁粉もだめです。汁なんでしょうか。粉なんでしょうか。お汁粉。
あと、おはぎも苦手です。
要するに、甘いものは好んで食しません。

あ、あと、るるがおじさんのようなおばさんから買う焼き芋も数十年食べてないです。

しかし、何が一番嫌いって、
ウチの弟の嫁が一番嫌いです。
絶対に食いたくないです。
義妹を食うくらいなら死んだほうがまし。
そのくらい嫌いなのです。

私は、それほど人間に対して好き嫌いが激しい方ではなく、
苦手なタイプの人と出会っても
「ま、こういう人もいるわな。」程度にしか受け取らない方なのですが、
義妹だけは許せません。

弟の嫁でなければ、一生、いや、あの世に行っても口を利かないタイプでしょう。

まず、あの目。
いきなり「あの目」と言われても、「どの目」か分からないと思いますが、
人を見下したような目つきってわかります?
笑っているのに目は笑ってないみたいな。

私がギャグを飛ばしても、
一応笑うのです。でも、その目の奥には
「お姉さん。いい年して恥ずかしくないんですか?」という思いが、
ビンビン伝わってくるのです。

その証拠に、みんなで話してる最中でも、
突然、本を取り出し、一人読書に耽るのです。
考えられますか?
家族も親戚も全員揃って、みんなでワイワイ騒いでる時にですよ。

また、義妹は会社を辞めたあと、「環境問題」とかなんとかに取り組んでいて、エコだかオゾンだか分からないけど、とにかく、それに夢中。
弟が仕事から帰ってくる深夜に、
部屋中の電気を消してる。
ま、それは良しとしよう。
けどね、ブレーカーまで落とすか。普通。
それって意地悪だろう。

ゴミの分別にもうるさい。
もちろん、それは良いことなのだろう。
私が無頓着すぎるのだろう。
でもな、部屋の中に5種類のゴミ箱置くなよ。

地球に優しくする前に、家族に優しくしろよ。

子供のおやつに「ポッキー5本」はないだろう。
5本だぞ。ポッキー。

それに、子供に「おかあさま」って呼ばせるなよ。
貴族か?華族か?セレブか?おまえ。
おめえが「おかあさま」なのに、なんで弟は「パパ」のまんまなんだ?

おかあさまのくせに、なんで弟のご飯作らないんだ?
なんで、自分の分のおやつしか買ってこないんだ?
それをたまたま子供が食べたら、怒るんだ?
自分はたらふくヨーグルトだのプリンだの食って、
子供にはポッキー5本かよ。
そりゃ子供だって、食うぞ。親のおやつ。

ああ、だんだん腹が立ってきたけど、
これ以上書くと、収拾がつかなくなるから、もうやめるけど、
私は、ついつい弟に聞いてしまったね。

「あんた。あの人のどこが良かったの?」って。

弟は言ってましたよ。




























自分でも分からないんだよね。あのころ、どうかしてたんだな。俺。


分からないんかいっ!
どうかしてたんかいっ!

弟は別れたいのですが、
しかし、子供とは離れたくない。
結局、ネックはそこなんですよね。

でもね、小学校3年の娘に、
義妹がどこか出かけるときに、

「ママ。帰りは遅くてもいいよ。
帰ってこなくてもいいよ。」

って言われるのって、いったいどういうもんでしょう。
私が、しのごの言うより、子供が一番分かっているのかもしれない。
そんな親のこと。


すみません。
今日の日記、かなり愚痴ってしまいました。
義妹の母に対する態度にちと怒り気味だったもので。


あああ。るるが私の義妹だったら、どんなに良かったか。
つくづくそう思う今日このごろ。

では、北海道に行く準備します。
ええ、何もしてません。まだ。







2002年09月12日(木) 秋の予感

昨日、ここをサボりました。
理由は「眠り」です。
いつものことです。
どうもすみません。るるです。


しかし、小心者を怒らせると怖いですね。
丁寧な言葉遣いで相手をやり込める、素晴らしい手口です。
きっと良いお姑さんになることでしょう。
あ、あゆのところは女の子だったか。
男の子3人育ててるワタクシこそ、
ネチネチと丁寧な言葉遣いで、相手を窮地に追い込める術を体得しておかねばならないはずなのに、
あ、これも違いますね。
ああ、3人のお嫁さんとうまくやっていけるかしらん。
一服盛ってやる!などとネットで腹のうちを吐露しまくるような
お嫁さんだったらどうしましょう。
「あたしは巳年だから執念深いのよ」とでも言ってやりましょうか。
あ、これは義母ちんの台詞でした。
ああ、怖い怖い。


さて、その義母ちんの夏風邪騒動もおさまり、
すっかり元気になってしまわれた今日このごろ、
いかがお過ごしですか。
ええ、もうすっかりお元気におなりあそばしたんですの。
「るるこさんの看病のおかげ」ではなく、
「すべて自分の気力のおかげ」だそうです。
だれか、持ってってください。


気を取り直して、まいりましょう。

ここ東京ではまた暑さが戻ってきた感がありますが
さすがに吹く風に秋の気配を感じるようになりました。
秋といったら、あれですよ、石焼き芋ですよ。
うちの周りでも、昨日、今年初めての焼きいも屋さんが訪れました。
近くにわりと大きな公園があるせいでしょうか、
これからの季節、よくまわってくるのです。

焼きいも屋さんと一言で言っても、いろいろなわけでして
ワタクシが好んで買うのは、「黒い帽子のおじさん」のお芋です。
このおじさんのお芋は、ポックポクでオイシイのです。
うちの子と同じぐらいのお孫さんがいるらしくて
子供と一緒に行くと、必ずオマケしてくれるのも
すごく嬉しいんです。

それで、だいたいシーズンに2~3回は買うんですよ。
で、お互いに顔もおぼえて
「おじさん、いつものね」
「はいよ」
という仲になりました。
「いつもの」って言ったって、イモしかないんですけどね。

で、昨日は、久しぶりにおじさんを見かけたので
嬉しくなって声をかけたわけです。

「おじさん、おひさしぶり~~」
「ああ、またきたよ~」
「おじさんのおイモ、また今年ももらうわね~」」
「うんうん、またよろしく~」
「おじさんのおイモが、やっぱり一番おいしいもの~」

などと、親しみと下心をこめて褒めちぎっていたところ、

「ああ、今日は孫が来てるんだよ~」
とおじさんが言うその視線を追うと
そこには、おじさんにそっくりの純朴そうな男の子(たぶん5歳)がおりました。

「あらぁ~、おじさんにそっくり~
ボク、いくつ?」

などと、調子に乗って子供に話し掛けてみると、
あろうことか、その男の子、

「〇〇マユミ、5歳です」

と言ったのです。
おじさんにそっくりの坊やではなく、おじさんにそっくりの女の子だったのです。

「あら、お嬢さんだったのね、ごめんなさい」

と慌てながらも素直におじさんに謝り、
出かける途中だから今日は買えないけど、
近々おじさんのおイモをまた買いにくるね、と
契りを交わし、そそくさとその場を逃げようとした瞬間、
マユミちゃんは言ったのでした。












「おばあちゃん、いこう~~~」












お、お、おばあちゃん????
ワタクシが何年も、目を見つめて「おじさん、おじさん」と呼んできた
あの「おじさん」が、
実は「おばさん」だったらしいのです。
「おじさんに似た坊や」どころか
「おばさんに似たお嬢さん」だったらしいのです。。。

ひょっとして、、






















































ニューハーフ仲間?










より一層、親しみがわいたところで、
今年もおじさんのようだけどおばさんのおイモを
買うことを心に誓ったのでございました。




2002年09月10日(火) 持つべきものは・・・

昨日サボりました。理由は「怒り」です。
こんばんは。あゆです。

怒る。それは小心者にはあってはならないこと・・・。
しかし、小心者だからこそ感じる怒り・・・。

そうです。小心者は、こまか~いことに怒りを感じます。
たとえば、ダンナが手を拭かずにトイレから出てくること。
たとえば、コンビニの店員さんが「ありがとうございました」と言わなかったこと。
たとえば、超有名店の店長がインタビューの時に「お客」と言ったこと。「お客様」まで言わないまでも「お客さん」と言え。

小心者は細かいことにこだわります。
こだわりつつもその場はにこにこと何もなかったかのように過ごします。

しかし、自分の中での沸点を越えたとき、小心者は想像もつかない怒り方をするのです。それは自分でも驚くほど。

私の場合、本当に沸点を超えたときは、言葉遣いがやけに丁寧になります。
自分で冷静さを保とうとする気持ちゆえか・・・。

怒りが頂点に達したとき、私はまず相手の言い分を聞きます。
それは既に相手が間違っていると確信を持っているときなので
言い分は、言い訳にしか聞こえないモードになっています。
そして、ものすご~く丁寧な言葉で相手の矛盾点を突いていきます。

<例>
某店舗で私はジーンズを買った。
私はチビなので当然裾直しが必要。
裾直しに時間がかかるというので翌日取りに行くことにした。
その日の夜、そこの店員さんから自宅に電話があり、
裾直しのピンがはずれてしまったので翌日改めて裾直しをし、すぐに渡すとの連絡があった。私は了承した。
翌日、私はジーンズの裾を半分以上折り、そこの店員さんにピンで留めてもらった。
そのあと、裾直しができるまで番号札を渡され、私は待った。
10分経った。お客さんも多いし仕方ないと私は思った。
30分経った。呼び出しはない。
次々と裾治し客が呼び出されるが私は辛抱した。実際お客さんが多かったんで。そして50分経過。どう見ても私のあとに裾直しを依頼したお客さんが先に呼び出されている。







私は沸騰した。

小心者は
途中経過もなく一気に沸点に達するのだ。


私はレジに歩み寄り、
「すみません、昨日これこれこういう電話を受けました。そして私は●時●分に裾直しを頼みました。今の時刻を確認していただけますか?」

と、丁寧に聞いた。
すると店員さん、しどろもどろ。そして、レジの奥を見ると、明らかに私のジーンズが放置状態。すかさず、わたし、

「すみません。あのジーンズ見せていただけますか?もしかしたら私のかもしれませんので。」

店員さん動揺中。

そこで
「あなたが昨日電話していただいた方とは違う方ということはジュウジュウ承知していますし、あなたにとっては理不尽なことかもしれませんが、これは有名店(っつっても●ニク●だけど(爆))としてはあってはいけないことではないですか?」
と言うと、

「申し訳ありません。すぐにお直しします。」との返事。


「と、言うことは今までの時間はどういう説明していただけるんでしょうか」

黙る店員さん。

「とにかく、早く裾直ししていただけませんでしょうか」


「はい」と、裾直し係りの人にすぐに耳打ちし、私のジーンズは無事手元に来た。


「もうしわけございませんでした」

という店員さんの言葉に


私はあろうことか

































「この店は二度と利用しませんので」

と、言ってしまった次第。

わしって・・・・




















くれーまー?

ま、例としてはこんなもんですが

昨日ちょっと職場で理不尽なことがあったもんで怒り心頭、このままでは、りゃ!にも丁寧語満載のいやみな女として登場してしまうのではないかと思い、サボってしまったわけです。


なげえ言い訳。


でも、昨日メールで【今日はちょっとりゃ!を書ける気分ではない】旨を報告すると、さっそくゆみなから「なにがあったんだ。なにかあったらいつでも聞くよ」という返信が。

やっぱり持つべきものは友よのおと思いつつ

私はメールを返しましたとも。

以下原文ママ



ありがとんかつ。昨日あまりに仕事のことで頭にきてたんで。ボスともめてたわけじゃないんだケントデリカット



と。

するとゆみなからの返信

これも原文ママ


そっかつお。家のもめごとじゃないんだネイルサロン。ちょっと安心したけだ信玄。



という心温まる文章が・・・。



やっぱ本当にまじめに心配してくれる友達がいるってことはいいなあ・・・としみじみ思いました。

そして、


























悩んだ時も寒いギャグ

これは重要だなと・・・。

なにはともあれ


小心者に幸あれ!




2002年09月08日(日) 『遺言』 死生観を語る。(硬いし、タイトル。

むかしむかし、ある所にお爺さんとお婆さんとお父さんとお母さんとお兄さんとお姉さんと叔父さんと叔母さんまでいました。
それはそれは大変な大家族でした。

ある日、お爺さんは山に芝刈りに
お婆さんは川に洗濯に行かされました。

お婆さんが川でせっせと大家族の洗濯物を洗っていると、
川上から、王から長島から野村から、若いところで原から若松から、
あ、もういいですか。
川上からお爺さんがドンブラコドンブラコと流れてきました。

洗濯をしていたお婆さんは、ビックリ仰天。
「おや、お爺さん。芝刈りをさぼって、そんなとこで何泳いでるの?」と、
問い詰めました。
お爺さんは
「いやいや、お婆さん。わしは泳いでいるのではなく溺れているのじゃよ」と
今にも死にそうな声でいいました。

「あら。そうだったのかい。じゃちょっと待っておくれ。
この洗濯を洗い終わったら助けてあげるからね。」

「いやいや。お婆さん。洗濯よりもわしを助けるのが先決じゃろ。」

「なに甘ったれたことを言ってるんじゃ。
お爺さんはいつからそんな口を叩く人間になったのじゃ。」

「いやいや。お婆さん。甘ったれたとかそういう問題じゃなくて、
わしは今にも死にそうなんじゃよ。」

「お爺さん。ワガママにもほどがあるよ。」



と、そのくらい、るるの義母ちんのワガママは凄まじかったですね。
るるが思わず一服盛りたくなる気持ちが理解できますね。

こんばんわ。おやびんことゆみなです。

奇しくも、先ほどまで涙しながら見てた『北の国から』のサブタイトルは
「遺言」でした。
今回の「北の国から」は、死と対峙した内容で、
ウチにも一人、去年の暮れから「死ぬ死ぬ」と大騒ぎしてるお婆ちゃんがいるのですが、
あ、本人は一言も言ってませんけどね。
病院が「もう危ない危ない」と言い張ってるだけで、
本人には全く逝く気はないようで、
てゆーか、逝くことを忘れちゃってるんじゃないかと思われるわけで。
ちょっと純くん、入ってます。

で、そのお婆ちゃんのお見舞いに明日も行くのですが、
前回行ったときも、話すことはおろか、
目を開けることも手を握り返すこともできません。
もちろん、私たちがどこのダレベエなのかはすでに知る由もありません。

でも、私たちは行きます。
病室に入って、大声でお婆ちゃんの名を呼び、足をさすり手を握るのです。
そして「頑張るんだよ」と虚しい言葉を発するのです。

でもね、心の奥では
「もう頑張る必要なんてないんじゃないか」と思ってるわけで。
はい。また純くん入ってます。

これって「生きてる」んじゃなく
「生かされてる」んじゃないかと思うわけで。
また登場です。純くん。多分、今日はしばらく続くと思います。純くん。

年齢も96歳だし、
ハッキリ言って、これからどんな新薬が開発されたところで、
お婆ちゃんがまた元のように元気に憎まれ口を叩くなんてことは確実にあり得ないわけで。
純くん・・・あ、もういいですか。

こんな姿にまでなってお迎えを待つのは、
あの気の強かったお婆ちゃんにとっては、とっても不本意なんじゃないかなと思うのです。

そういえば、昔なにかの本で読んだのですが、
ある女性が急に雨が降ってきたので軒下で雨宿りをしていたところ、
そこにお婆さんもやってきて二人で家族が傘を持ってきてくれるのを待っていたそうです。
そこで女性はお婆さんに
「早く、お迎えが来るといいですね。」と言ったところ、
ひどく怒られたという話が書いてありました。

父さん。話がそれてしまいました。逃げようとするのは僕の悪い癖です。
ええ。やっぱり純くんです。

で、話をウチのお婆ちゃんに戻すと、
もしここで『遺言』のようなものがあり、
いや「遺言」というのは死んでから見るものだから、ちょっと違うのだけど、
もしお婆ちゃんが元気なうちに一筆でも書いててくれれば、
安楽死みたいなものを認めてあげてもいいのではないかと思うのです。

「ある年齢に達し、もし自分が寝たきりの植物状態になった場合は、
死ぬ権利も認めてください。」

というような趣旨の内容の書面があれば、法律で認定してくれてもいいのではないかと。

これはとっても難しいことで、倫理問題まで発展することなので、
一概に何が良いとは言えないけど、
ウチのお婆ちゃんに限って言えば、
その昔からの性格を知ってる私は、
きっとそれを望んでいるのではないかと思うのです。

そして、私自身もそれを望みます。

「遺言」ではないけれど、
子供たちに、一筆残しておこうかと思っています。
もちろん今じゃないけど、まだまだずっと先の話ですが、


内容は、






























私が長寿日本一を達成したら逝かせてくれ。と










2002年09月07日(土) 北の国から、ありがとう

父さん、「りゃ!」の17000HIT記念企画を
モヘジさんのお力添えで、終えることができました。
でも、、、、
もうすぐカウンターは18000になろうとしてるわけで。。。

父さん、ヒソヒソ声で聞こえますか。。



北の国から、るるが書いてるわけで。。
あ、もういいですか。
こんばんは。

先日のモヘジさんによる、「りゃ!」の歴史物語、すばらしかったですね。
ワタクシたち3人の存在を、あそこまで正当化してくれたのは
世界広しと言えども、モヘジさんだけではないでしょうか。
関口宏と言えども、フレンドパークだけでしょうし、
久米宏と言えども、ニュースステーションだけではないでしょうか。

わかってもわからなくても置いていきます。
今日は、るる、一人で突っ走りたい気分なの。うふ。

というのもですね、うちの義母が3日ほど前から熱をお出しあそばして、
ワタクシ、看病しまくらちよこだったわけでして、
披露困憊、林家こん平なのでございます。
皆さんもよくご存知の通り、義母ちんはワガママでございます。
義理であっても「我がママ」でございます。
ええ、突っ走らせてください。
それが体調を崩すと、さらにワガママパワー倍増になりまして、
倍率ドン!篠沢教授大穴ってぐらいに倍増なんです。

お布団をしいてあげると「寒い寒い」と言うので
「厚いお布団をもう一枚出しましょうか」と聞いたんですよ。
このクソ暑いのに、3枚もかけるか?とちょっと思ったものですからね。
そうしたらですよ、

「出しましょうか、っていちいち聞かないでちょうだい。
熱で返事するのも大変なんだから!」

って、あーた。
そんだけしゃべってる間に「ええ、ありがとう」って言えっ!
と、純くんよりももっと小さなヒソヒソ声でつぶやいてみたんですが、
鬱憤が晴れなかったので、ここで書いてみました。

義母ちんは5年ほど前に大病を患ってから、熱に対して非常に神経質になってるんです。
ま、その気持ちはわかる。
ええ、わかります。
でも、お医者様が「夏風邪」か「夏ばて」だろう、とおっしゃってるのに
「いいや、これはアレからくる熱だ」と決め付けるのは、どうですか。
電車を乗り継いで、小一時間かかる専門医のいる病院まで
暑いなかタッキーを連れて、お薬をもらいにいってさしあげたワタクシに対して
「るるこさんは、元気だねぇ」って、呆れ顔で言うのも、どうですか。
さらには、この体調が悪くなったのは
前日に某レストランで食べたステーキのせいだ、というのも
どう考えてもお門違いだと思うのですが、どうですか。
そのレストランへ行く前に、「夜、寝付けないから」という理由で
暑い中、人込みを歩き回ったことのほうが、よっぽど悪かったと思うんですが、どうですか。
もっと言わせていただければ、「夜、寝付けない」のは
昼間、うとうと昼寝してるせいだと思うんですが、そのへんはどうですか。

そういうのって、責任転嫁って言うんじゃないんですか。

責任転嫁って、責任を嫁に転がすって書くんですね。。
「腐ったみかん」なんでしょうか。
ローリングスッテンコロリンでしょうか。
ミック・ジャガイモでしょうか。
はい、どんどん突っ走りますよ。

ま、そういうわけで、
義母ちんに、おかゆを用意したり、
水枕を取り替えてあげたり、
ふかし芋を作ったり、(義母ちんの強いリクエスト)
〇〇ラーメンを作ったり(これも、強いリクエスト)
とろろごはんを作ったり(これも、そう)
洗濯をしたり、
薬を1回分づつ出してあげたり、
もしかして、一服盛るチャンス?なんて思ったり、
でも盛るものがないから、分量まちがえたふりしちゃったりして、なんて思ったり
でも気付かれて階段に頭を叩きつけられても怖いしな、って思いとどまったり
そんなことをしているうちに、
「りゃ!」の17000HIT企画が盛大かつ思惑通りに執り行われていたわけで、
ワタクシとしても、
大変に喜ばしくおもっている次第でございます。

ようやく話題がもとに戻りました。
モヘジさんの代打作戦、大成功でしたね。
大きな場外ホームランに、観衆は総立ち、やんややんやの大拍手です。
助っ人のフルスウィングに、我々3人も総立ち、やんややんやの大拍手。
すっかり酔いしれておりました。

ええ、

















「1世紀は1000年」と書かれている事に、これっぽっちも気付くことなく

















モヘジさんの日記で明らかにされるまで
ぜんぜん気付かなかったなんて。

しかも3人そろって。




そんなオイシイつっこみ所さえ見逃すほどの
魅力的なお話でしたものね。

ほんと、モヘジさん、ありがとう。
そして、皆さん、どうもありがとう。

今後とも、、、






(みなさん、ご一緒に)






ひとつよろしく文書




2002年09月05日(木) 17000回のありがとう

緑色の異形のもの、あゆです。こんばんは。


しっかし・・・一昨日の熱気覚めやらぬ今、わしに何を書けと・・。
モヘさんの翌日じゃなくてよかった。と安心してる次第です。

ほんとにモヘジさんの威力はすごいですね。
一昨日の記念すべきあの日記は早くも「その時、歴史が動いた」で放映されることが決まりました。松平アナが渾身のナレーションをしてくれるのはありがたいのですが、この新たな歴史発見に興奮したあまり、またタクシーの中で暴れるのではないかとヒヤヒヤしてます。そのせいかどうか放映日は未定です。

↑古い事件ですみません。我が家に慈悲なし!
研ナ●コも美●憲一も、我が家では「あのこと」は、忘れられた日はありません。友達のダンナさんが、最近ではボランティアをしていることで有名だけど、その昔、淫行だのクスリだので捕まったことのある某歌手のライブに行き、その歌手が正義を語るたびに「世間は忘れても、オレとあゆさんのダンナさんは忘れへんで」と客席でつぶやいたエピソードがあるほどです。許せないのにちゃかりライブに行く友達ダンナもお茶目なんですが。

話題それました。
モヘさん、ほんとにフンドシありがとう。
でもね、ゆみなったら、本来ならりゃ!のメンバーで北海道まで茶菓子持って御礼に行かないといけないくらいなのに、モヘさんへのお礼のメールに



















「ありがね」

は、ないだろう。

感謝の気持ちを「ありがとね」の一言で済まそうとする不遜さ。
もし「て」が「ち」になって





「ありがちね」

になってたらわしらはあのモヘさんに喧嘩を売ったとして、日記界で生きていけなかったでしょう。

そうさ、オレたちはならず者。
4期生たちの好きなようにさせておくものか。
プロテストなんか知ったこっちゃねえ。
竹原の首を取るまで、オレたちは好きなようにさせてもらうぜ。
不敵な笑いをうかべるりゃ!たち。
このあと、いったいどうなってしまうのかっ!

そんなナレーションまで聞こえてくるところでした。

↑いつものとおりわからない人は置いていきます。




しかし、いつまああああでもモヘさん頼みでも我々も情けないです。
一気に知的水準は元通り、投票数も元のあみだ(by義父)
になるだろうけど、そこはそれ、また20000HITの時に軌道修正すればいいわけで・・。


またふんどし、お借りします。



ってことで少しだけワタクシ事。

帰宅途中の電車の中。
やけに大声で話すおっさんと若い女の子。
よおおく聞いてると
ふたりとも英語で話している。
女の子はおそらく東洋系のアメリカ人。
見た目は日本の女の子と変わりなかったけど、変なナマリはなく、英語は日常会話といったかんじ。おっさんは発音こそ日本人そのままっぽかったが、女のコに関西空港にどう行ったらいいかをよどみなく話していました。
日本人は英語に弱いからかどうかしらないけど、とっちゃんぼうやみたいなそのおっさんと英語の組み合わせの妙に、車中の人々の耳はあきらかに2人の会話にむかっていました。
すると、ある一人の別のおやじが、2人の会話をかき消すかのように
「あああああ、いてぇぇぇぇぇ」「くっそお」「まいったなあ」と言い出しました。
見るからに動物性たんぱく質過多のそのおやじ、ずっとそんなことを言い続けていました。また悪いことにワタクシは英会話と「まいったなあ」おやじの間に立っていたのでした。このおっさん、駅前留学しとけばよかったと思ってるのかどうかしらないけど、あきらかに2人の会話を邪魔しているようでした。

それを気にすることもなく英会話組は話がはずんでいたのですが、やがて「まいったなあ」の方が脂汗を浮かべてきたのです。電車の中は少し寒く感じるほどクーラーが効いてました。なのに脂汗です。タオルで流れる汗をふいたかと思うと、そのうち「ふぅぅぅぅ」「ほぅぅぅぅぅ」「ぅぅぅぅぅん」とうなり出したのです。

もしかして・・このおやじ英語アレルギーか?

それにしてもこんなところで倒れられたら、隣にいるわしが介抱せにゃならんのか?面倒だな・・・そう思っていたらワタクシの降りる駅に着きました。
英会話組はそのまま電車に乗っていましたが、脂汗のおやじは同じ駅で降りました。なんとか車内で倒れずにすんでワタクシもほっとしました。
ワタクシの降りる駅はバスターミナルもあるところなので結構下車する人が多く、おやじも人の波に紛れて行方を追うことはできませんでした。

ま、いいか。そんなことを思いながら改札を通ろうとすると
回数券の残額が不足していて、ワタクシは改札機に通せんぼされたのでした。
乗り越し金額を払い、やっと改札を出てバス停に急ぐと、
さっきのおやじに遭遇しました。


おやじは







駅のトイレから放心したような顔で出てきたのです。


小水我慢の脂汗だったのでした。



















オフ会帰りのわしか


あ、もしかしてこのエピソード、誰も覚えてない?

あのね、だからね、りゃ!のオフ会の帰りにね、飛行機の中でね・・・・




やめとこう。説明すればするほど寒くなりますから。



輝けるりゃ!の歴史が語られた後、二日目にして早くも泥をぬってしまいました。

ほんと・・・





ありがちね。


2002年09月04日(水) 「17000HIT記念特別企画翌日記念」日記

「りゃ!」の歴史は紀元前7世紀にまで遡るものだと初めて知ったおやびんです。
こんにちわ。

昨日の

『17000HIT記念特別企画 「ちびっこだけど大物、謎美女モヘジ大先生代打日記」』

いかがでしたか?

いや~、驚きましたね。
前々からすごい御方だとは思っておりましたが、あそこまで壮大なスケールで「りゃ!」の歴史を綴ってくれるとは
思ってもみませんでした。

私は、てっきりこの「りゃ!」は
異形な3人が思いつきで始め、くだらない日常を本能に任せ、
勝手気ままに書きなぐり倒してるものだとばっかり思っていたのですが、
実はそうではなかったのですね。

私たち3人の身体の中には、
かの有名な「覚えてないだろ戦争」の終結に一役買った熱き血潮がたぎっていたという事実を
「ちびっこだけど大物、謎美女モヘジ大先生」(以後、モヘちん)の著書によって知らされました。

つまり、この「りゃ!」は
バカな主婦3人の単なるお笑い交換日記ではなく
これまた猫も杓子も知っている「ひとつよろしく文書」が根底にあったという真実が
3千年の眠りから、いま目覚め、白日の下にさらされました。

昨日のモヘちんの日記は、
私たち3人が実はバカでもなんでもなく
いや、バカどころか3千年前は英雄であったということを、
あ、「ひでお」じゃありませんから。
世間に公表してくれました。

「17000HIT記念」という実に中途半端な数字のこの企画にも
嫌な顔一つせず、二つ返事で寄稿してくれたモヘちんという御方は、
さすがに、いい年してるのに16歳と言い張るだけの御方でした。


そもそも今回この代打日記に至る経緯は、
たまたまモヘちんが「りゃ!」のBBSで

「私、意外と代打日記好きだよ」

などと、ついうっかり書き込んでしまったのです。
あざとい私たちがそれを見逃すわけがありません。
迂闊でしたね。モヘちん。

今まで数々の斬新な企画を打ち出しては、ことごとく失敗に終わってきた「りゃ!」にとって、
一世一代の大勝負に出たわけです。
いったい何と勝負してるんでしょうか。


「モヘちんに書いてもらおう。」
「そうだ。こうなったら人のフンドシで相撲をとるしか私たちに残された道はない。」
「モヘちんのフンドシは、かなりちっちぇえだろうな。」
「いや、フンドシはちっちぇえけど人間的には大物だ」
「でも、身体はちっちぇえな。」
「いや、身体はちっちぇえけど、態度はでかい」

と次々から、
次々と言っても3人だけですけど、
モヘちんへの代打日記を熱望する声が数多く出されたわけです。

思い立ったらすぐに実行に移すのが私たち異形な3人組の長所であります。
その話し合いのあと、すぐにモヘちんにメールを送り、
携帯にも送り、
夜中に電話もし
玄関の前にも立ち、
電信柱の陰にも立ち、
トイレの窓からも覗き、
猫の斉藤くんを猫質にし、
モヘちんからの返事を待ちました。

するとモヘちん。
人生を捨てているのか、ヤケクソなのか、すぐに快諾の返事をくださりました。

私たちは飛び上がって喜び、天井に頭をぶつける者、屋根を頭で突き破る者続出でした。
だから続出といっても3人だけですけど。

そして一昨日のるるの日記で、うっかり八兵衛が
「大物M登場」と思わせぶりに引っ張り、
昨日のモヘちんの日記へと持ち込んだしだいです。

すべて策略です。なんとあざといのでしょう。私たち。

おかげさまでアクセス数は「りゃ!」始まって以来の数値をはじき出しております。

すごいですね。モヘちんパワー。
やはりモヘちんのフンドシは並の臭いではありませんでした。
今、私たちはそのフンドシの臭いに、しばし酔いしれております。
酔いすぎてぶっ倒れそうになってきたので、そろそろ洗って返そうと思います。

ほんとにありがとうございました。モヘちん。

そして、「りゃ!」をご覧になってくださってる皆様。
17000HITありがとうございました。
そのうち15000HITは私たち3人ではないかとも思われますが、
残りの2000HITの方に心からお礼を申し上げます。

「りゃ!」が実は大変奥深い意味を持つものだと知った今、
私は堂々と「りゃ!」の一員であることを埃に思います。
埃に思ってどうする。誇りだ。

これからも「だめだこりゃ!」を合言葉に突き進んでいく所存でおります。

時々は「なにがなにやりゃ!」とも言うかもしれません。
ええ。パクリです。

もしかして、時々は、「モヘジ箸」とも書くかもしれません。
ええ。目の錯覚を利用しようとしてます。

だって私たち、9000年の時空を飛び越えてきたマヌケな英雄ですから。(ひでおじゃありません。)

そこんところ



































ひとつよろしく文書 





※ちびっこだけど大物モヘちんの日記「なにがなにやら」はここをクリック。


しかし、長い本だよな。「アムールガイ王国の盛衰とソースの秘訣」。
全549巻だぞ。549巻・・・




2002年09月03日(火) 「りゃ!」17000HIT記念代打日記(モヘジ著)

「りゃ!」の歴史は存外に古い。

紀元前七世紀、以前から反目しあっていた、
古代オマールエビ帝国とアムールガイ王国が、
龍宮場一帯の覇権を巡って全面戦争に突入。

その戦いに際して、
オマールエビ帝国の将軍イセエビッチと
同じくアムールガイ王国の将軍アワビデウスのとった
「玉手箱作戦」はあまりに有名であるが、
その名に象徴されるとおりの過度の長期戦により、
両国は以後3千年の長きにわたって、
殺戮と略奪と侵略の歴史を繰り返すこととなった。
これが世にいう、
「3千年も経てば誰も発端なんか覚えてないだろ戦争
(以後、覚えてないだろ戦争とする)」
である。

「りゃ!」は「覚えてないだろ戦争」の終盤、
まさに戦況が最終局面にさしかかった紀元前四世紀、
実に唐突に歴史の表舞台に姿を現す。
「りゃ!」の名を世に知らしめた世界初の書物、
「オマールエビ帝国戦記とそのレシピ」には、
記念すべき瞬間について、こう書かれている。


『その夜、「りゃ!」は戦場に忽然と姿を見せた。
登場の瞬間を見たもの誰一人としてはなく、
しかしはたと気がつけば明らかに異形の三名が、
紫、緑、赤茶色の衣服にそれぞれ身を包み、
激しく互いのあげあしを取りあいながら、
我こそが「清楚な奥様大将軍」の地位に就くものであると、
かがり火の下で果てなき言い争いを繰り広げていた。
兵士たちは、未知の生物でも見るかのように、
しばし彼らを遠巻きに眺めていた。
やがて月が真上にのぼった頃、口々につぶやく兵士の声が、
さざなみのように夜の戦場に広がりはじめた。
「だめだこりゃ」「だめだこりゃ」「だめだこりゃ」
かくして彼らの名は定められた。
「りゃ!」

(「オマールエビ帝国戦記とそのレシピ」
第123巻上の中の下の下の下より)』


ちなみにその100年後に記された、
もう一方の戦の当事国「アムールガイ王国」の歴史書、
「アムールガイ王国の盛衰とソースの秘訣」では、
名前の由来として3人の頭文字説を採用しているが、
以降の彼らの破滅的な行動を鑑みるに、筆者としては、
やはり「だめだこりゃ」説を強く支持したいところである。


さて、こうして突如現れた「りゃ!」は、
その正体も目的も明かさぬまま、
古代オマールエビ帝国とアムールガイ王国の間を、
何度も往復していたとされる。

彼らは、あくまで中立の立場を主張し、
時にはふんどし姿になって身の潔白を証明しながら、
古代オマールエビ帝国とアムールガイ王国それぞれの軍に、

「お題による戦況報告制度」
「兵士達へ100の質問」
「行き場のない軍人チャット」
「困った時の30の質問」
「幻のチケット作成」
「伝説の0727夏の宴」

など、実に多くの提案を行い、また実行に移した。
その成果については、
「画期的かつ大成功であった」
というものから、
「自分たちばかりが大喜びをして不発に終わった」
とするものまで今に至っても激しく評価は分かれる。

ただし唯一、かの有名な「伝説の0727夏の宴」に関しては、
後世の歴史家すべてが「破格」と判断し、
歴史書においても、

『狂ったように打楽器を打ち鳴らすものあり。
血を流さんばかりに唄うものあり。
四肢すべてを使いて踊り狂うものあり。
ただ杯をひたすらあおるものあり。
遠く北国へ伝書鳩飛ばすものあり。
骸の如くバタリと地面に倒れ伏すものあり。
まさに正気にあらざる騒乱の夜。

(「アムールガイ王国の盛衰とソースの秘訣」
第549巻下の中の上の並より)』

などと記され、すでに歴史的評価は定まり、
今後も覆ることはないとされている。


やがて彼らは、その意味不明な活躍によって
それぞれ時の王の目にとまることとなった。

長引く戦争により国土は疲弊し、
国民の不満はつのるばかりであったこの頃、
終戦を密かに模索していた両国の王が、
その仲立ちとして「りゃ!」に白羽の矢をたて、
秘密文書を託したのだ。

俗にいう「ひとつよろしく文書」である。


雨の日も風の日も猛暑にも嵐の日にも、
彼らはその「ひとつよろしく文書」を運び続けたとされる。

時には懐にいれ、
また時には背中にくくり、
あるいは頭に巻いて、
時に眠さでふらふらになりながら、
二日酔いでゲロゲロしながら、
関所でライターを没収されながら、
それでも平和を望む強い心で必死に運び続けた彼らの行為を
尊いものとして両国国民と国王は称えた。

彼らの献身的な姿をもとに、

「♪えんやこりゃ えんやこりゃ
野を越え 山越え えんやこりゃ
今日も明日も えんやこりゃ」

という歌がうまれ民衆に支持されたことは、
すでに広く知られるところであろう。


そして半年後、彼らの努力と苦労が、
3千年のバカみたいな長きにわたる戦争を、
ついに終結に導いたのである。
その瞬間、両国の兵士と国民が入り乱れ、
あらゆる町が喜びと歓声に包まれた。

「オマールエビ帝国戦記とそのレシピ」はいう。

『人々は訪れた平和を心より味わわんと、
誰彼の区別なく酒と料理をふるまい、
天空に向かいて「りゃ!」の名を連呼し、
唄い、踊り、夜になりても眠るものなく、
まるで一時に太陽が三つ、月が五つのぼり、
星が朝も昼も輝くようなさまであった。
この歓喜の宴は2年半続いた。

(「オマールエビ帝国戦記とそのレシピ」
第203巻中の中の中の下の上より)』


2年半ってバカか、こいつら。


いや、バカなのである。
バカであるから、2年半の騒ぎの間に、
英雄「りゃ!」が姿を消していることに人々は気づかなかった。

2年半にわたる酔いがさめ、ふと気づけば、
「りゃ!」の姿はどこにも見当たらなかったのである。
彼らは現れた時と同じように、忽然と姿を消していた。

人々は今更ながら慌てふためき、
両国の王は驚くほど多額の懸賞金をかけて3人の行方を探したが、
とうとう彼らの姿を目にしたものはその後一人たりとも現れなかった。


かくして呆然とする人々の手に、
「りゃ!」の3人が命がけで運んだ
「ひとつよろしく文書」だけが、
平和の重みを伴ってずっしりと残された。

その数、17000枚。


やがて「ひとつよろしく文書」を記念して、
両国国民の間に書簡のやりとりが爆発的に流行。
のちに『交換日記』と呼ばれるそれは、
「りゃ!」と「ひとつよろしく文書」を称えるものとして、
17000という中途半端な数字を神聖化し、
後世の交換日記文化に多大なる影響を残すことになる。

つまるところ、そのせいで数千年後の今、
私が「17000HIT記念」とかいって、
こんな中途半端な時期にかり出されて
せっせと日記書いているわけである。



もちろん、私としてもこの「交換日記の祖」に対し、
尊敬と敬愛の念は忘れたことはない。
その証として、「りゃ!」の人々が立ち去る前、
「ひとつよろしく文書」のすみに隠すように残したとされる、
今や交換日記界で聖句とさえ呼ばれている言葉を
ひっそりとここに記して終わりたい。


「オマールとアムールは似てるようで似てない」





2002年09月02日(月) な、なんと、あの大物Mがっ!?

「ご隠居、た、大変ですっ!」
「なんですか、八兵衛。落ち着きなさい。」
「落ち着いてなんていられませんよ!(もぐもぐもぐ)」







「落ち着いて、だんご食ってるじゃねえかっ!」






あ、どうも、すみません。こんばんは、うっかりるるです。
さあ、今晩の「実と肛門」、あら、なんでしょう、この変換は。
もとい、「水戸黄門」の続きを見てみることにしましょう。



「(もぐもぐもぐ)んがっくっくっ!」
「サザエさんかいっ!
手足が小さいんかいっ!」
「これこれ、助さん、ツッコミはそのぐらいにしなさい。
で、どうしたのですか、八兵衛」
「はいっ!ご隠居さま!
陽炎のお銀ちゃんが、お風呂に入ってるんですっ!」






「そりゃ、毎週のことだろっ!」


「これこれ、角さんまで、なんですか。
でも八兵衛、角さんの言う通りですよ。
お銀と言えば、ドラえもんのシズカちゃんと『りゃ!』のおやびんと
1、2を争うお風呂好きなんですからね。」
「あ!そうそう!それですよ!思い出しました!
『りゃ!』が、懲りもせずまた新企画を企んでるらしいんです!」
「なんですと?」
「はい、なんでも『りゃ!』のカウンターが17019をまわったそうで、
その記念企画なんだそうです。」
「17019HIT企画。。。。それはまた、ずいぶんと半端ですな。」
「あ、いやいや、今17019だっただけで、17000HIT企画だそうです。」
「うーむ、それにしても半端ですな。。」
「そうですよ、ご隠居。
10000のときも15000のときも、なにもせず勝手気ままに書き倒してきたあの3人組が、
ここへきて20000HITを待たずに17000HIT企画とは
匂いますな、、、、、、(くんくんくん)








「今度は焼きだんご食ってるのかよっ!」

「ご隠居!『りゃ!』の天井裏で深刻な顔して聞き耳を立てていた弥七から
風車メールが届きました!」
「おう、読んでみましょう。
ふむふむふむ、、、、、
どうやら、『りゃ!』の3人組は、これまで斬新な企画を打ち出しては
自分たちばかりが大喜びをして不発に終わってきたことの腹いせに、
新企画を思い立ったようですな。」
「腹いせかいっ!」
「しかし、なぜ17000HIT記念?」
「あの勝手気ままな3人組のことです。
企画を思い立ってから、何かの記念企画にしようということで、
無理矢理カウンターの数字を利用しただけのことでしょう。」
「で、どんな企てを?」
「なんでも大物Mを登場させようとしているようですな。」
「大物M。。。。。。。」


















水戸光圀?












「わしかいっ!」









「はっはっはっはっはっはっはっは!」


今日もわけもなく大笑いをして旅を続ける一行。
さて、3人組の企てる新企画とはいかなるものか。
大物Mとは、いったい誰なのか。
知りたいですね、とっても。
気になりますね。
下の投票ボタンを押すと、答えが出ます。うそです。
押しても、おやびん特製のさぶいギャグしか出てきません。

答えを知りたい方は、明日もまた見てくださいね!んがっくっくっ!











サザエさんかいっ!






2002年09月01日(日) 熱き友情に涙流るる

昨日までの3日間のシーチキン生活を終え、すっかり汁気がなくなってしまったあゆです。こんにちは。
正直カスカスです。生活はカツカツです。

本当にるるとゆみなの2人には感謝してます。

シーチキンになった二日目に、このままでは「りゃ!」は永久に更新されず、そのかわり、私のメールボックスには「書け」「書いたか」「書くつもりがあるんか」「いつわしの首を取りに来るんじゃ」「はじめまして、私は東京に住む主婦です。ちょっと冒険がしたくて思い切ってメールしてみました♪」などというメールが次々と届くのではないかという危惧を感じて、あわててるるにメールした次第です。

るるが飲用していた、いえ引用していたあの文章のままです。

するとすぐにるるから「Ok~、まかしとき」的返事が来てほんとにほっとしました。

るるが携帯でメールが打てるようになってよかった。
こんなに人が携帯を新しくしたことが、我がことのようにうれしかったことはありません。

ところがどうでしょう。
次の日に
「バント失敗」というメールが届いたではありませんか。

私は依頼した身ですから、それを読んで
「るるだって忙しいし、一日15時間は睡眠時間が必要な人だし、仕方ないよね。それに、書いてないんだからバント失敗どころかバッターボックスにも立ってねえじゃねえか
と思いました。



なのにさすがおやびんです。
伴宙太ですよ。伴宙太。(←お約束の2回念押し)
一文字一文字変換しないとこんな名前、出てきません。
「りゃ!」に賭けるおやびんの意気込みを感じました。尻込みじゃなくってよかったです。尻まで込んでる尻込み。友達のみやげ物にケツをつける義母ちんと同じですね。
そして、そのメールを活用して即座に更新したるる、エライです。
さらにそれをネタに使うおやびん、デカいです。そのままですけど。


それにしても

重いコンダラだのオズマだの牧場くんだの・・そんなネタに


わしらの渾身の企画物だった「30質」より明らかに反応が多いってのはどういうことだろう。


でも結果オーライ。
これからもどんどん代打頼もうっと。
実はさっき読んだばかりなんだけど、わしがいない間、りゃ!おもしろかったもんね。

もしかしたら・・・














わし、二軍落ち?



ってことは、わしは

飛雄馬とレギュラーの座を争った






























小物の悪役、速水?






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