マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 (日記) 怖いけどスキなのよねぇ・・・・・・。


昨日、店にいて、ちょっとした仕込みをしていたらチョンマゲから「今、怖いの始まったよ」とメールが・・・・・・。
そう言えば今日は~世界の怖い夜~とかいう番組があったっけ・・・・・・。
と独り言を言う。

う~~~~~~~~~~~~~ん、でも、どうしよう・・・・・・。
すごぉ~~~~~く観たいけど、一人で観るのはなぁ・・・・・・。


いつもこの手の番組はコマキに録画してもらって、日曜日にチョンマゲにへばり付きながら観るんだけど、録画してもらうの忘れたし・・・・・・。

う~~~~~~~~~~~~~ん、どうしよう・・・・・・・・・・。
今回は見送るかなぁ・・・・・・。
でもやっぱり観たいしなぁ・・・・・・・・。

尚も自問自答する。

よし!決めた!! 独り立ちしてやろうじゃないか!!!!!!

アタシ は固く決心し、クソ暑いのに店のドアを開けておき、照明を普段の倍くらい明るくし、すぐに外に逃げ出せるよう、完全装備をしておきながら、出口に一番近いカウンター席で一応は両手で顔を覆いながら、指の隙間から恐る恐る見始めた。

(何もそこまでするくらいなら観るなよ・・・・・・)

しかし昨日のはやたらに怖いのが多かった。

特に5歳くらいの女の子が、公園か何かで、ブランコに乗っている見えないはずの女の子に話しかけているのだが、ビデオを回しているお母さんには何も見えない。
と「今お母さんの方にその子が歩いて行ったわよ」
そこでお母さんは異変に気づき・・・・・・いうのが、メチャクチャ怖かった。
(今思い出しても鳥肌が・・・・・・)
アタシ は店の外に出て、ドアの隙間からそぉ~っとチラ見していたら、すぐ後ろに人が通って、ギョッ!! と、飛び上がる。

その人はもっと、ギョッとしたと思う・・・・・・。

だって、いい年のオバサンが店のドアの外に立ちながら、店の中をチラチラ覗き込み、いきなり飛び上がってるんだもん・・・・・・。怪しすぎるとも・・・・・・。

思い直して、ドアを開けたまま再びカウンターに座り直し、来るはずのケイイチ君に「怖いの一人で見てて死にそうだから、来るなら早く来て!!」とメールを打つ。

そのメールを打ち終わるか打ち終わらぬかの時、背後に人の気配がして、再び「ギャッ!!」と叫んで飛び上がる!!!

酒屋だった・・・・・・。

ケイイチ君・・・・・・頼むから早く来てよ・・・・・・。

心で祈りながら、なおも指の隙間からチロチロ観ていた。

しばらくして又人の気配がし「ギャっ!!」と叫んだら、ケイイチ君だった。

ホッ!!

ケイイチ君も怖い番組は好きらしく、でも、ホテルで一人で観るのはやはり怖いので、カラクリ箱で観ようと思っていたらしい。
でも、寝てしまってたみたい。

(ケイイチ君も、案外チキンなのね!! ウプププッ!!)

二人で「今日ホテルに帰ったらシャワールーム気をつけたほうがイイよぉ~~~~~」
とか、「帰り道バックミラー気をつけたほうがええでぇ~~~~~」
「今日はほかのお客さんが来るまで、絶対に帰らないでよね!!」
「明日仕事やっちゅう~~にぃ・・・」
「ケイイチ君が帰るときまで誰も来なかったら、アタシ も店閉めて帰るもん!!」
などの会話をしながら観ていた。


途中ケイイチ君が、ブタキムチを頼んだのだが、「今ダメ・・・怖くて一人でカウンターに入れない。この番組終わるまで待ってて」

ここは本当に店か!!
やる気あるんかい!!

んな訳で番組も無事に終わり、二人で脂汗をぬぐいながらようやく通常営業に戻った。


ふぅ~!!  しかし、今回のは特別怖いのがいっぱいあったなぁ・・・・・・。

平常心に戻ったところにじょーじんちゃんたちが4人で来てくれて、ケイイチ君がバトンタッチして帰っていった。

その先はカラオケで盛り上がり、会話で盛り上がり、帰る頃にはすっかり怖い画像のことは忘れていた・・・・・・とさ。




2012年08月31日(金)


 (日記) 今日は玉突き式踏んだり蹴ったりデーだわ。


いやぁ、今日はこの前のしっぺ返しでエライ目に遇った。

先ずは、ユッコとランチをする約束をしてて、楽しみに大阪王将に行ったら・・・・・・。
まだ工事中だった(笑)
遅くとも8月中旬にはオープンするって言ってたじゃん・・・・・・

そしてそのすぐ近くの綿半にどうしても買わなきゃならないものがあったので買い物に行ったら、決算だか最後の棚卸だかで休み。


「んじゃあ、どこに行こうか・・・」ということになり、行きたかったパスタ屋に行ったら、駐車場も店内も満杯で無理とのこと。


仕方なく回り道をし、自宅の方向に戻り、近頃開店したばかりで、以前から二人共そそられていた麺屋に行って、アタシ は坦々麺(この前食べたばかりなのに、どんだけ好きなんだ!!)ユッコはパイタンメンを食べたら、どちらも品の良すぎる味で、というより、ほぼ味が・・・・・・・・・・・無かった

自分で作った坦々麺の方が8倍旨かった。


んで、ユッコと別れて信大に行って、治療も済んで、会計して病院を出ようとした途端、バケツをひっくり返したような雨と、キチガイ地味た雷で、院内に30分ほど立ち往生。

んで、小ぶりになり、駐車場へと走ったものの、今日に限って蒸し暑かったので、窓を両側半開にしておいたもんだから、車内全域が大洪水状態・・・・・・。

ああ、クリーニングから戻ってきた洋服が・・・・・・!!!!!
ああ、猫のトイレ用の新聞紙の束が・・・・・・!!!!!!
ああ、唯一シートをふこうと思っていた新品のテッシュボックスが・・・・・・!!!!!!

シートが水溜りになっていて(笑)パンツも(ズボンね・・・)パンチュも(これはズロースね・・・)ジョロジョロ&ビショビショに・・・・・・
失禁したみたいじゃんね・・・・・・。
これじゃ店の仕入れにも行けやしない・・・。

ちょっと前に帰ってきて、シャワーあびた。

月曜はお茶挽いて・・・、火曜は膀胱炎になって休んだら、来ようと思ったというお客さん2組から電話があって・・・、昨日は来ると言ってたお客さんが居たから店開けたら、そのお客さんが急に来られなくなって、又お茶挽いて・・・・・・。(笑)

わぁ~らぁ~え~る~ぅ~~~う

やっぱ、あまりにも幸せなことはあっちゃいけないね・・・・・・。

その後の半動が、でかいことでかいこと・・・・・・


2012年08月30日(木)


 (日記) 今年の誕生日は有り得ない幸せが盛りだくさん(partⅡ)


まさか、今年の誕生日がこんなにも楽しく、華やかで、最高に幸せな日になるなんて、半年前のアタシには想像もできなかった・・・・・・。

今年に入って2月という水商売が最も厳しい時期に、体調を大きく崩しはじめ、その後入院騒ぎなんかもあり、線維筋痛症などという辛い病気を抱えてからは、全てに対しての絶望感と、無気力感と、生きることへの恐怖感しか感じられなくなっていたた。

これでも一生懸命生きてきたつもりなのに、なんで神様は止めを刺すようなことばかりアタシ に与えるのだろう・・・・・・。
もう疲れきって、どうしていいかもわからなく、これ以上頑張れない・・・・・・。
いっそ事故にでも遇わせてひと思いに殺してくれた方がよっぽど楽になれるのに・・・・・・。
そんな思いをずっとずっと引きずりながらの半生だったんだけど、特に今年与えられた病気の贈り物は精神を参らせた・・・。

大きな苦しみの後には、必ずそれと同じ大きさの喜びがいつだってやってきてるじゃない・・・。
そう思おうとしても、あまりの現実を受け止められず、そんなに前向きにも健気にもなれないのだ。

子供の頃から、期待をして裏切られることが、酷くアタシを痛めつけると言うことを知っていたアタシ は、極力下手な希望を持たないような冷めた子供に育った。
その癖がずっと大人になってからも抜けきれていない。
人生にさほどの期待を抱かなければ、そう傷つくこともない。

でもいくらなんでも、アタシの人生あまりにおかしくないか???割に合わないことばかり・・・。

けれども、やはりアタシ は生きていて良かった・・・・・・。
だって、こんな夢みたいな誕生日を迎えることができたんだもん・・・・・・。

今思えば、今年になって、ひどく辛い半年間を与えられたこと・・・・・・。
これも神様か仏様が仕組んだ大掛かりなドラマの筋書きの序章のような気がしてくる。

そんな辛い思いをこれでもか、これでもか、というほど与えておいて、きっとアタシの何かを試し、アタシはそれをクリアしたのかもしれない・・・・・・。

やはりその後は、これでもか、これでもかと言うほど、嬉しいことばかりがやってきたもの・・・・・・。

長年喧嘩別れしていた息子との仲直り。(未だ小さな小競り合いはしょっちゅうだけど・・・)

田中監督との思いがけぬ出会い。そこから再びつながり始めた親類たちとのやり取り。

ずっとずっと逢いたかった、エビちゃんとの40年ぶりの再会と、相方ちか子ちゃんとの嬉しい出逢い。

そして誕生日前後の数日間を含めた、ミラクルなバースデー。

不幸せも幸せも、アタシの場合、あまりにも規模が大きすぎて、本人も目が回ってしまうのだが、いつもアタシの一年間は、人様が一生かけて体験するような事が、毎年起こるような気がする。
きっと天国でシビレを切らしたご先祖様たちが、神様と結託して、アタシ に何かの決意をさせるように、させるようにと、焦りはじめて来ているのかもしれない・・・・・・。
だからあの手この手を駆使し、でたらめなドラマを無理やり起こさせ、アタシを早く触発させようとしているに違いない。

今回誕生日の当日の、しかも日曜日に、いみじくもケンさんのシャンパーニュコンサートがあったことも、絶対に、偶然なんかじゃない。

そこへ連れて行ってくれると言いながら、都合がつかず連れて行けなくなったヤベッチ。それでひどく落胆したアタシの斜め前で、ダウアーがチビリチビリ飲んでいたことも、絶対に、偶然なんかじゃない。

大池がやってきて、アタシやYOSHIMIたち皆を飲みに誘ってくれた流れで、YOSHIMIも急遽シャンパーニュ行きに参加することになったのも、絶対に、偶然なんかじゃない。
それらの出来事はすべて伏線であり、ヒネリ好きだった御祖父さんの筋書きだったに違いない。

あんなに楽しく、最高に盛り上がれる大好きメンバーで、ケンさんのステージが観られたことと打ち上げの場にいられたこと。

お会いしたかった、MARILYN さん&MADOKAちゃんとの再会。

そのMADOKAちゃんとの思いもよらぬ、ツーショットのハッピーバースデー。

LANAさんからの、欲しかったんだけどしばらくは無理・・・、と、我慢していた物の思いがけぬプレゼント・・・。

などなど・・・、最もアタシが嬉しく、最も喜ぶようなシチュエーションでの、素晴らしすぎるお誕生日になった・・・・・・。

ケンさんの歌には、いつだってアタシは大泣きさせられてしまうのだけれど、今回流した涙は、何か今までの涙とは種類がかなり違うような気がした。
今までの涙は、こんなに苦しくてこんなに辛くてどうしようもないの・・・・・・という絶望時に出る、嘆きの涙に似たものだった。

でも、今回の涙は、暗闇の向こうから、温かく大きな光の筋が降りてきて、神の慈悲に抱かれた時ような温かい涙だった。

ダウアー、こんな感動的な誕生日をプレゼントしてくれて、本当にありがとう・・・・・・。
そしてケンさんと、ケンさんのお仲間の方たち、いつもいつも喜びや楽しさや感動をたくさんくださってありがとうです。
そして誕生日を祝いに来てくれた方たち、わざわざ遠くから会いに来てくれた人たち、メッセやメールをくれた方たち、本当にありがとうです。

アタシ は今、最高に幸せですからね。

こんな素敵な日を与えられてお陰で、「限りなくドキュメントに近い架空の物語」を書いてみる勇気が出てきました。

それについてはまた後日、日記に書きますからね。


2012年08月29日(水)


 (日記) 今年の誕生日は有り得ない幸せが盛りだくさん(part1)


今年、誕生日をお祝いしてくれた人たちのことをまとめて書くと、ただでさえアタシの日記は無駄に長いのに、ちょっとした小説くらいの量になってしまいそうなので、今日の日記はひと先ず金曜日と土曜日の事を・・・・・・。

先ずは金曜日のことから・・・・・・。

この日は30年来の親友(?)か悪友(?)かがチョイ微妙である、腐れ縁の(K)がまず最初に来てくれた。
そんな仲であるにも関わらず、彼が店にやってくるのは年に数回だけだ。
でも、従兄弟化している間柄なので、彼には包かくざずなんでもぶっちゃけられる。
今回はアタシのカウンセリング兼愚痴を聞いてくれるために早い時間にやってきた。

そしてその後に、松本に里帰りしていたぷあぞんも、土曜日には横浜で待つ夫のもとに帰らなければならず、金曜日が松本にいられる最終夜ということで来てくれた。

そして次に入ってきてくれたのは、最初に来店して以降、アタシのブログを読み続けてくれていて、時々アタシ の素行を気にしてくれているという、大変奇特で優しく、マッチョなナイスガイの(H)先生だった。
彼のご友人を連れて3名様で来てくれた。
アタシ もだが、我が愚息も(H)先生の大ファンなのだ。
息子よ、今回は会えずに残念だったね。普段の行いが悪いからだ。ざまあみろ!!(笑)

そしてその後に、ダウアーとコマキが・・・・・・。

この日は店の開店前から置いてあり、誰だったか忘れたけど、よほどその銘柄が好きだったのか、二本4万で買ってあげるよ・・・と言われたにも関わらず売らずに置いてあり、あの大震災でも倒れなかった、アイスワイン二本を開け、皆で誕生日の前前夜の乾杯をした。
お金が無いにも関わらず売らなかったのは、そんなに高級なワインなら、自分でいつかは飲んでみたいという興味もケチ心も有ったからだ。(セコイ小市民だなぁ・・・アタシ って・・・・・)

しかし、アイスワインがあんなに芳醇な香りがして、美味しいものだとは、知らなかった。
世の中にはあんなワインを毎日のように飲んでいる富裕層もたくさんいるんだろうな・・・。
一口飲む度、口の中で転がして、香りと味を楽しんだ。
よ~し!!いつか自力でフランスの三ツ星レストランに行って、アペリティフに飲んでやる!!

それからはカラオケ合戦をしたり、楽しい会話で盛り上がり、店の終わりの時間がやってきた。
アタシ はお腹がすいちゃっていたので、代行街の時間もあったので、一人寂しく、先日のお礼も兼ねて近所のラーメン屋「てっちゃん」に・・・・・・。

アイスワインを味わった後、一人ラーメン居酒屋に寄って、餃子とイカ刺しをツマミに焼酎をくらっているアタシも、アタシらしいと言えば如何にもアタシ らしいでしょ?

コマキ、ぷあぞん、お誕生日のプレゼントありがとう。
コマキがくれたプレゼントは、家で飲むのはもったいないから店で売ることにするよ。(どこまで庶民的なんだ、アタシャ)


サテサテ・・・・・・。

そして土曜日のこと・・・・・・。

この日はとても不思議な日だった。
十数年ぶりに会った人とか、数年ぶりに来てくれた人が3組も・・・・・・。

金曜日が多少賑わうと、土曜日はド暇な日が多く、今夜は暇だろうなぁ・・・と、半ば諦めていたのだ。
しかし予想を裏切り、最初にドアを開けてくれたのは、とてもオシャレで素敵なフラワーアレンジメントのプレゼントを手にしてやって来た、ヒロちゃんと、アキコさんだった。
同伴出勤だ。怪しい・・・・・・(笑)
土曜日はアキコさんが手伝ってくれる日になっていて、二人で出し合って、お花屋さんに注文をしてくれたみたいだ。

3人でワインで乾杯しながら、「ご多分に漏れず誰もお客がいないでしょう?」などと話していたところにやってきたのがアイちゃん一家だった。

彼女はアタシ がエポックという店を開店しlた当初、最初に入ってくれたアルバイトだ。
当時はアタシとて、まだ30代の中間くらいだったのかな・・・・・・。

面接に来た彼女は身体も顔もとても小ちゃい女の子で、まるでマルチーズが人間になったみたいだった。
近頃でも時々、オーマイ・リトルガールを聴くと、なぜか彼女が目に浮かんでいたのだ。

あの頃、アタシは喜んで働いてもらったのだが、彼女が当時16歳ということが後に分かり、泣く泣く首にせざるを得なかった。

エポックもスナックという店ではなく、テーブルに座っての接客はさせず、皆揃いのTシャツにジーンズの制服という、気軽で若者たちが集まる低料金のレストパブだったのだが、それでも深夜が賑わう店なので、いくらなんでも16歳は使えない。
しかし、彼女は店を気に入ってくれていたのか、その後、大手を振って働いて良い年になったら、戻ってきてくれたのだ。

店を辞めてからは全く音信不通だったのだが、そんな彼女につい最近、銀行でバッタリ。
「きゃぁ~懐かしいねぇ・・・」と、人目もはばからずハグし合い、名刺を渡しておいたのだが、土曜日にとてもシャイなご主人とすこぶる人懐っこい子供たち二人を連れて、遊びに来てくれたのだ。

彼女はアタシ が当時歌っていた歌を覚えていて、リクエストしてくれたのだが、当時とはまったく違う、酒とタバコに焼け爛れたシワガレ声で歌ったら、「相変わらずマキさんは上手いなぁ・・・」と慰めてくれた。(笑)

彼女たちとしばらく遊んでいたのだが、アイちゃん一家も子供連れだったのでまた来るからねと、帰り、帰る直前、茅野君が来て、その後に、な、な、な、なんと!!!
スローダンサーさんが(S)ちゃんと・・・・・・・・。

スローダンサーさんたちが来てくれたのは、前回入れてくれたボトルを見てみれば、ちょうど一年ぶり。
彼らはケンさんの店に行ったこともある人たちだ。
すごく嬉しい!! まだ見放されていなかった!!!!!(笑)

彼らは誕生日を狙ってきてくれたフシもあるのだが、「んなことないよ・・・たまたま通りかかったら看板が点いてたからさ・・・」と、シラジラしい(笑)
なんてったって、彼らは東京人間なんだもん・・・・・そう、たまたま通りかかるか!!ってんだい。(笑)
見え見えっしょ!!
(S)ちゃんに自分ではめていたブレスレットをプレゼントされて、超ご機嫌なアタシ ・・・・・・。

その後はヒロちゃんたちや、茅野君を交えて、皆でおしゃべりに花が咲き、そうしたら、そんなところに5年ぶりくらいに顔を出してくれた明子おねえさんが・・・・・・。

彼女は以前、とても気に入ってからくり箱に来てくれていたのだが、引越しをしてしまったらしく、なかなか来れなくなり、久々に店の近くまで飲みに来たみたいで、顔を見たくて寄ってくれたとのこと。
明子さんたちこそ、たまたま通りかかったというものな訳で・・・・・・。(笑)

なんか誕生日の前夜に、すごく会いたかった人が集結したような気がして、不思議な嬉しさを感じてしまったよ・・・・・・。
こんなことがあると、決心が揺らぐなぁ・・・・・・。

皆が帰ったあと、スローダンサーさんと歌合戦になり、アタシ は泣きながら、ケンさんの店で歌うつもりだった「黒い鷲」を練習がてら歌った。
そうしたら、(S)ちゃんが感動して泣いてくれた。

でもさ・・・、(S)ちゃんはヤベッチのヨイトマケの唄でも泣くんだよなぁ・・・・・・(汗)

その後は、スローダンサーさんと、ローリング・ストーンズの「悲しみのアンジー」を合唱したり、歌合戦がしばらく続き、最後にアタシ が、オイオイ泣きながら、エックスジャパンの「フォーエバーラブ」を歌った後、ケンさんの店での再会を固く約束してお開きに・・・・・・。

(S)ちゃんはちっとも歌わず、スローダンサーさんとの歌に、ただただ泣くばかりなのであった・・・(笑)

金曜日も土曜日も楽しくて、すごくすごく嬉しかった・・・・・・。
しばらく来てなかった人も、決してアタシのことを忘れていたんじゃなかったんだなぁ・・・・・・。
そのことがとても嬉しかった・・・・・・。
二日間とも、生きてて本当に良かったなぁ・・・と思える、最高に楽しい時間を過ごせた。

来てくれた皆さん、本当にありがとうね・・・。
感謝感謝です。



サテサテ・・・、明日の日記は、いよいよシャンパーニュ&ペイトン プレイスツアーの日記です。
乞うご期待!!!!!


2012年08月28日(火)


 (日記) きのうはマタマタ、面白い不思議デーだったなぁ・・・。


昨夜の事は東京から帰ってきたら、また改めてゆっくり書くけど、何とも言い難い日になった。
今日書いてたら、東京に行きそびれちゃうから(笑)明後日か何かにね。


2012年08月26日(日)


 (日記) 昨日の事&感動した・・・・・・。


昨夜はご多分に漏れず暇・・・・・・。
じょーじんちゃんから「今日はやってる?」
と言う電話が入ったので「もちろんやってますよ~~」とは言ったものの、いくら待っても来やしない(笑)

8時・・・

9時・・・

10時・・・

それでも来ない。

お茶っ挽きかい・・・・・・。(涙)


平日の閉店時間の11時チョイ前になって、やっとじょーじんちゃんが現れる。
じょーじんちゃん、ここ最近お仕事が詰まっていたらしく、しばらく呑んでなかったそうで、来た時は既にヘロヘロ(苦笑)
さほど呑まないうちに代行を呼んで、じょーじんちゃんが帰っちゃったので、看板を消そうかと思ったら、ユウコねぇから「これから行くわ」と電話が・・・・・・。

一度消した看板を慌てて点け直す。(忙)

と、そこへ、つい最近からくりから徒歩一分と言う場所に開店したばかりのラーメン店兼居酒屋のマスターが・・・・・・。

(やったね!!)

彼は話した事こそ無いが、多分チョンマゲの知り合いだとも思われ、以前からの顔見知りなので、そのラーメン屋には、この前ぇみちんとも行ったり、息子とも行ったりしている内、最近になって、フレンドリーに話すようになったのだ。
マキちゃんの店はどんな店なんだろう・・・と言う興味もあり、御礼もあり、初めて来店してくれたと言う訳らしい。
ラーメン店にはバイトが居るので、チョイの間抜け出すことは可能みたいだ(笑)

マスターと世間話をしながら呑んでたら、ユウコネェがやってきた。
何度か書いたが、ユウコねぇは元、コマキのお父さんがピアノを弾いていたナイトクラブでジャズを歌っていたので、アタシの歌の師匠でもある。
歌の話になったらマスターも乗ってきて、じゃぁ一曲ずつ歌おうという事に・・・・・・。

そしたらマスター歌が上手いの何の・・・・・・。プロ顔負け!! いや、プロ以上かも・・・・・・。
なんか又お客の歌のレベル度がグン[m:62]と上がって、益々アタシの歌はランク下降[m:63]気味・・・。

「あんまりサボっちゃ居られない」とマスターが帰って行き、その後はユウコねぇと、ここ最近互いに起きた苦しいことやら楽しい事や、いろんな話をし合いながら、ついついグイグイ呑んでしまったよ。
(ちなみにユウコねぇは酒が一滴も飲めない人なので、ずっと水を飲んでいたww)

ユウコねぇは文字通り姉的存在の人で、アタシの母の事もよく知っている。
ユウコねぇが、「そう言えばアンタのおっ母さん、お吉物語が異様に上手かったよネェ~。あんなに粋に台詞を言える人は松本には他に居なかったよね・・・」なんて話になった。

ユウコねぇも帰り、代行待ちの時間、一人酒を煽りながら、母を偲んでお吉物語を歌ってみる・・・(変態)

なんか歌っている内に色んなことが頭をぐるぐる回って、歌いながらついつい涙が・・・・・・。
そのうち号泣に・・・・・・。

真夜中の誰も居ない店で、一人号泣しながら、お吉物語を歌ってる図ってどうよ?(怖)

やっぱ、お吉物語は母には適わないなぁ・・・・・・。
アタシャ照れ屋だから、あんな風にセリフが言えないもん・・・・・・。

と、そんな所にトミーが・・・・・・。(代行の運転手)
慌てて涙を拭いて、店を出る。

「盆空けの平日で、からくりは馬鹿暇だってのに、なんで代行はこんなに時間掛かるの? 今日は忙しかった?」と聞くと、今人が足りなく、トミーは何と、お客を送り届けた後、次の場所まで走って行ってるそうで・・・・・・。(追いかけ代行が居ない状態らしい)
折りたたみの自転車くらい買えよ・・・・・・(笑)

トミーとそんな話していて、なんかさ・・・、皆それぞれが苦しいものを抱えながらも、一生懸命頑張ってるんだなぁ・・・・・・。って思ったら、又感動してしまって涙が・・・・・・。

アタシの周りの人って何かみんな、面白くて、楽しくて、ちょっと変で、裏哀しくて、好い!!

なきじょうごになるみたいだから、しばらく深酒は止めよう・・・・・・。


2012年08月23日(木)


 (日記) 愛しき同級生。


アタシは過去、同級会とか、同窓会にはほとんど出たことが無い。
東京を離れて松本に住んでいるという事もあるが、経済的な理由もあり、まぁ、このような未だ安定しないしくじり人生を長年歩んでいると、なかなかそのような場所には大手を振って出向けないのが人情な訳で・・・・・・。
なのでアタシの住所も東京の中野に住んでいた以降は、関係者に連絡もしなかったので、学校の名簿も所在不明のままであったと思う。

でも九段中学に在籍していた時代は、アタシの人生の中で、最も多感な時代でもあり、楽しい時代でもあり、想い出深く愛しい時代だったのだ。
仲のいい子もたくさん出来、毎日がとても新鮮で楽しかった。

そんな中でも時々思い出し、懐かしみ、生きている内に必ず一度は会いたいなぁ・・・と常々思っていた中の一人であるエビちゃんが、とうとう16日にアタシの店にやってきてくれた。
エビちゃんとの再会劇のきっかけは、何度か日記に書いたので、ここでは省略するが、念ずれば必ず叶う事を立証してくれた貴重な友人だ。

その日、ワクワクドキドキしながらアタシはエビちゃんとちか子さんが来るのを待っていた。
しかし、土壇場になって数々のアクシデントが急発生。(如何にもアタシの人生らしいと言えば人生らしい・・・ww)

先ずは店の食器ケースの中の蛍光灯が点滅し始めたと思ったらプツッと切れた。
(何で今日に限って切れるのよ!!!)
酒屋が来ることになっていたので店は空けられないし、まだ仕込みの途中だし、チョンマゲに電話してみたけど風呂に入っているらしく出てくれない。

来るはずだった息子に頼もうと思ったのだが、息子にもアクシデントが発生し、急に来れなくなってしまった。
その息子が迎えに行くはずだったチョンマゲに早く連絡を取らなければいけないわ、アタシは一人アタフタドタバタしてたのだ。(笑)

最後の頼みの綱で、トミーに電話をしてみたら蛍光灯を届けてくれると言うではないですか・・・・・・。
そんなところにエビちゃん&ちか子さんのご両人がご来店。

なにせ、40数年ぶりの再会ですからねぇ・・・・・・。
アタシは、エビちゃんとハグをし合い、歓喜の涙を流し合い・・・と言う、もっと感動的な再会の台本を心に描いていたのだが、挨拶もそこそこの内に電話が掛かってきて、アタシは慌てて外へ・・・・・・。
その間、お二人は放置状態(笑)

やっと飲み物をお出しした頃、又電話が掛かってきて、付き出しも出さぬまま再び二人は放置状態(笑)

その内AKIKOさんが来てくれて、チョンマゲがやって来て、トミーが蛍光灯を持ってきてくれて、トミーが蛍光灯を取り付けてくれて、と、そこで再びドタバタし、三度お二人は放置状態(笑)

そんなドタバタ喜劇のような再会劇になってしまった・・・・・・。
(如何にもアタシのアタシの人生らしいと言えば人生らしい・・・ww)

そんなやこんなでようやく落ち着きを取り戻し、改めてお二人を熱く見詰めるアタシであった・・・。
ちか子さんも動画どおりの気さくな人で、エビちゃんもぜんぜん当時と変わっていない。

そこはさすがの同級生。ソレから先は中学時代に時間がタイムスリップし、共通の友人の話やら、アタシがどんな生徒だったかとか、ニセ脚本家事件の話やらを、エビちゃんが持参してくれた名簿やら懐かしい集合写真などを見ながら、皆でワイワイガヤガヤ語り合う・・・・・・。

チョンマゲの「表が蕎麦屋で・・・」の突然のフリに、ちか子さんが「裏飯屋~~」(くれない組のネタのひとつ)と受けてくれて店は大爆笑。
その後チョンマゲとちか子さんはすごく意気投合し、ものすごい仲良しに・・・・・・(笑)
そして時々二人は「表が蕎麦屋で」『裏飯屋~~~』を繰り返していた(笑)

くれない組は今現在研ナオコさんの事務所に所属していて、ちか子さんの師匠なのだが、アタシが松本に来たてのころ、アルバイトをしていたクラブの何周年記念だかのイベントで、研ナオコさんをゲストに迎えたことがあり、アタシも研ナオコさんとはお会いしてるんですよ~と話したら、それからしばし研ナオコさんの話題になり、彼女の人柄の良さを聴いて、皆でシンミリ感動させられたりした。

その内にコマキ夫妻や、ぷあぞんや、エミやアーカや茅野君などもやって来て、店は急に賑やかに・・・・・・。
後はいつものようにカラオケ大会になり、ものすごく楽しい夜に・・・・・・。

翌日はチョンマゲが珍しく起きられたので仕事に行き、エビちゃんとちか子さんとアタシの三人で「もとき」と言う蕎麦屋に行き、まるもでコーヒーを飲みながらかしまし娘よろしく、おしゃべりで盛り上がった。

やはり楽しい時間は瞬時に過ぎ、とてもお名残惜しかったけど再会を固く約束してしばしのお別れを・・・・・・。


エビちゃん、ちか子さん、本当に遠いところまで会いに来てくれてありがとう。
すごくすごく嬉しかったし、すごくすごく楽しかった・・・・・・。

あんな店で、あんなアタシだけど(汗)これからも末永く友達で居てください。
アタシはめったに東京には行けそうも無いけど、又会えるよね?
アタシも何か書いてみるね。
そして松本でいつもお二人の活躍を心の底から応援してるからね。

あの夢のように楽しかった夜を反芻し、何か、今になって感動して泣けてきているアタシです。


2012年08月19日(日)


 (日記) ささちゃんは良いオンナだなぁ・・・・・・の巻き


お盆に入り、三日間でお客さんが5人だけと言う・・・、ほぼ全滅状態のからくり箱だったけど(笑)昨日は思いも寄らぬ、ささちゃんが儀妹さんの(S)ちゃんと二人で来てくれた。
(S)ちゃんも大変気さくな女性で、とても初めて会ったとは思えないほど打ち解けてしまった。

いやぁ・・・・・・たのしかったなぁ・・・・・・。

いつもささちゃんが来る時は、満席に近いような賑やかな日ばかりが多かったので、あまりささちゃんとゆっくり会話をする機会が無かったんだけど、昨夜は他にお客さんが居なく、閉店まで貸しきり状態だったので語り処の本領発揮。いろいろな話で盛り上がった。

料理の話からはじまり、松本に来た其々のいきさつから、家庭内の話から、みんなの恋愛感に至るまで、本当にこれでもかと言うほど語り合った。

やはり話をする中でささちゃんとはいろいろな共通点が見付かり、類友、および引き寄せの法則ってあるんだなぁ・・・と思った。

ささちゃんって、乙女でかわゆい。
彼女の感情の表れ方が正直者をあらわしていて、しっかりものの癖に、かなりシャイで乙女なんだよね・・・・・。
そんなところが彼女の最大の魅力なのだろう・・・・・・。

その後はご多分に漏れず皆で歌合戦。

あっという間に時間が過ぎ、最後に彼女はバーバー泣きじゃくりながら、エックス・ジャパンのFOREVER LOVEを歌った。

あの詩がなんか心にグサグサ来て、アタシもやはりもらい泣き・・・・・・。

あの歌を歌ってると、アタシもなぜか泣けて泣けて仕方ない。
だからささちゃんの感情のふくらみ具合がよく解る。

ささちゃん、(S)ちゃん、昨日は来てくれてほんとうにありがとう。

ものすごく楽しかったし、しみじみとした良い夜だったなぁ・・・・・・。

あの店って、本当にたいした店ではないんだけど、裸になれる店でしょう? 心をスッポンポンに出来る店でしょう?
そこだけがとりえなのよね(笑)

又、いつでも遊びに来てよね。
アタシャ、ささちゃんみたいな感情に正直な人間が大好き。


今日は少しは賑やかになるだろう・・・・・・。
今日はどんなドラマがやってくるのかな?


2012年08月16日(木)


 (日記) いよいよ明日はくれない組がやってくる!!!


いよいよ明日エビちゃん&ちかこさんがからくり箱に来てくれる。
エビちゃんとは中学の卒業以来なので、40数年ぶりの再会だ。

なんだかものすごく楽しみでもあり、照れくさくもあり、きっといろんな思いがこみ上げてきて、顔を見たとたんに泣いてしまうんだろうな・・・。
そして話したいことの半分も話せない内に、楽しさのあまり時間は瞬時に過ぎてしまい、一日は終わってしまう。
いつだって楽しい時間ってそんなものなんだよね・・・・・・。

でも、エビちゃんたちの心に、あの店が刻まれ、アタシたちと共有した時間が刻まれ、少しでも楽しい記憶として残してもらえたら嬉しいな。

それにしても、アタシが書いた日記をよくエビちゃん自身が発見してくれ、コメントくれたよなぁ~って改めて思うよ。

もしその時見逃していたり、気づかなかったら、この再会はありえないのだもの・・・・・。
ベーやんさんの時もしかりで、改めてネットと言うものの存在はすごい力を持ってるなぁ・・・と驚くとともに、会いたいと心の奥でずっと思い続けている人には、いつか必ず会えるものなんだなぁ・・・って思う。

そんな時にはきっと、言葉では言い表せない大きな力、何て言えば良いのかな・・・、偶然を装った必然が働いてくれるんだろうな・・・・・・。
なので、たま~~に神様は粋な計らいをしてくれるよなぁ・・・とシミジミ感心する訳で・・・・・・。

明日はぷあぞんたちからくり仲間も来るし、息子も来るし、チョンマゲも・・・・・・。
さぞや楽しい一日になることだろう。

いやぁ~、楽しみなようで明日が来るのがもったいないようで、なんだか複雑な気持ちナリ。

エビちゃん、ちかこさん、道中気をつけてきてくださいね[m:50]

昨夜遅くあきらから電話が入った。(笑)相変わらずヘロってた(笑)
あきらたちも早く帰ってきてからくり箱においでよ。[m:242]
きっと盛り上がるぜぃ~~[m:62]


2012年08月15日(水)


 (日記) 表裏一体の大波襲来!?


8月の序盤はとても辛かった・・・・・・。
最もここ2~3年、常に苦しさはずっと付きまとっていたのだが、特に今年の8月序盤は、キツかった。
生活のこと、病気のこと、店のこと、今後のこと、周りの人たちのこと等、自己嫌悪、色々な事が頭をめぐり、暗澹とした気持ちになることが多かった。

アタシの元気度のバロメーターが、日記が書けているか書けていないかで違う、と言うことを知っている人たちは、心配してメールなどをくれるのだが、それにどう返信していいかわからないほど、気持ちが落ち込んでいた。

ただ、いくら何を考えても、人生ってなる様にしかならない訳で・・・、その流れに今は逆らわず、身を任せるしかない訳で・・・。
その暗澹とした日々の流れの中でも、ちゃんと笑える日も感動する日も来る訳で。・・・

きっとアタシにもいつかやる気がおきて、チャンスがめぐってくる・・・。と思ってみたり。
きっとこんな状態が死ぬまで延々続くんだろうなぁ・・・・・・。と思ってみたり・・・・・・。

でも人生の波の中で、とてつもなく辛い波が来ると、その次の波はとてつもなく嬉しい波が押し寄せるものなのだ・・・と言うこともアタシは既に経験済みで知っている。

それを誰が操作をしているのかはわからないけれど、辛さと喜びは常に表裏一体で、その大きさも表裏一体な気がする。
だから今までも、辛い大波が来ると(きっとこの次の大波は嬉しいことが続くはず)と言うかすかな賭け心で今まで生きてこられたのだと思う。
ただ、あまり期待してソレが外れると大きなショックで立ち直れなくなるので、期待薄・・・くらいの気持ちで居るのだが・・・・・・(笑)

でも今回も、やはりとてつもなく嬉しい大波はちゃんとやってきた。

先ず一つ目は、田中監督から電話をいただいてから、祖父母のことでつながりが出来、お会いすることも出来、監督との交流が始まったこと。

二つ目は中学時代、アタシが憧れていた(もちろんレズ的な意味ではなくww)エビちゃんと言う同級生が居て、彼女はスポーツ万能で、中世的で、とても明るい魅力のある人だった。
当時アタシは二年先輩のセキネ君という人がずっと好きだったんだけど、エビちゃんがセキネ君の彼女だと思い込んでいたアタシは、(こりゃ太刀打ちできないわ・・・)と、あっさりあきらめたと言う想い出があった。

その頃のことを思い出して、確か去年辺り日記を書いたら、当の本人のエビちゃんからミクシィにメッセージが・・・・・・!!!!!!

以前、有名脚本家を名乗った、ニセ脚本家の同級生事件に遭遇し、その後ソレがきっかけで本物の脚本家と交流を持つようになったと言う、ドラマでも有り得ないような珍事件も体験しているアタシは、すぐさまソレが過り、にわかには信じられなかったのだが(笑)、エビちゃんは本物のエビちゃんだった。

中学を卒業して以来、すごく気になったり会いたかったりしていたのだが、消息も連絡先もわからなかったので、心の中でたまに思い出しては(エビちゃんは今頃どうしているのかなぁ・・・)と思うしかなかった。
なのでその時の嬉しさ、驚きといったらなかった。

彼女は卒業後、芸能界の道に進み、長年女優を続けていたそうだが、お笑いに転向し、『くれない組』と言うコンビ名で今現在活躍している。と言うことだ。
それ以来、彼女とはメッセなどで互いに連絡を取り合い、慰めあったり励ましあったりしてきた。

そのエビちゃんに40余年ぶりでやっと会えることに・・・・・・。
多分16日の木曜日に、相方の「ちかこ」さんと、からくり箱に遊びに来てくれることに!!!!!

彼女たちは最近、青木隆治 さんや、伊藤大翔さんなどが所属しているケンズ・ファミリー(研ナオコさんの事務所)に移籍したそうで、これから仕事が忙しくなりそうだ。
http://www.kens-family.co.jp/
なので今回を逃したらいつ会えるか解らない。

その日は里帰りをしに来るプアゾンや、からくり仲間も来るので、是非エビちゃんにどんな人たちに囲まれて、アタシが店をやってるかを見て欲しい。

http://www.enkai.co.jp/owarai/kurenaigumi/kurenaigumi.php

http://www.youtube.com/watch?v=RLknN6OCiu4


そして3つ目は、ダウアーがアタシの誕生日(26日)に、ケンさんの新宿シャンパーニュライブと、ペイトン・プレイス(ケンさんの店)行きをプレゼントしてくれると言うのだ。

その話も、実は他の常連さんが連れてってくれると言うことだったのだが、その人に予定が入り、急遽その夢が絶たれ、大変気落ちしていたアタシを、たまたま同席していたダウアーが不憫に思ってくれたのだろう・・・・・・。
前回のシャンパーニュ行きは、少しずつ貯金をし、バスの予約もシャンパーニュの予約も取ってあり、後は行くばかりになっ居ていたのにアタシが突如変な難病になり、貯金の全てが医療費に消え、泣く泣くシャンパーニュ行きを断念したことをダウアーは知っている。

「マキュ!! シャンパーニュに行こうよ!!俺が連れてってあげるよ」と言ってくれたのだ。

えっ!? ま、ま、まさか・・・・・・!!!!! ほ、ほ、本当なの!?
アタシは耳を疑った。

そんな嬉しいことが立て続けに起こり、「どうやら、又生き延びちまったようだな・・・」というナカムラ・モンドの名台詞が、アタシのなかを今ぐるぐる回っている。

マイミクのシズさんがコメントで
「ママはドラマのような人生を普通に歩んでいる」と言うようなことを書いてくれていたが、本当に普通の生き方では有り得ないようなこともアタシにはたくさん起こってくれる。

もう思い残すことが無いくらい幸せなのだが、ご先祖様たちが、今世で生きてる人たちに協力を求め、アタシに懸命に生きなさい!! とあの世から一生懸命エールを送ってくれているようにも思う。

後でお盆花と、ご先祖様たちが好きだったものを、仏壇にお供えし、ご先祖様たちにこの嬉しさを報告しよう。


2012年08月12日(日)


 (日記) 田中監督にお会いしてきた。& その他。


やっと先週末は雨も見ず、金、土の両日で、多少は平日のバカ暇さを盛り返せるかと思いきや、連日のオリンピック熱でここ10日ほど客足はサッパリ、ションボリ、スッカリ、・・・・・・。
何かが良けりゃ何かが邪魔をするといった崖っぷちの真夏を迎えているからくり箱でございます。

考えてみると、生まれ月である8月は毎年鬼門月だなぁ・・・・・・。
1年の内で一番生きていたくなくなるのが、世間が一番の楽しみにしている盆と正月だ。
皆が海や山やと楽しい時期に常に我慢我慢で、最も辛い時期を迎えざるを得ないという我が身を振り返ると、ホント涙もチョチョギレル・・・・・・。

自分の生まれ月がいつも良くないと言うことは、やはり、アタシは「生まれてきてごめんなさい人間」なのかもしれないな・・・・・・。
そんなお財布事情が最も苦しかった日曜日、ぇみちんの新車に乗せてもらい、諏訪まで監督に会いに行ってきた。
生憎チョンマゲは膝の故障で歩けないと言うことでお留守番。

8時半ごろ自宅を出、諏訪まで楽しくドライブをし、上諏訪駅の改札口で田中氏と待ち合わせ、「ムーランルージュの青春」の上映会を行うビルにある喫茶店で1時間ほど3人でいろいろなお話をした。
アタシもぇみも、最初は結構ウコチコチになっていて、「どうしよう・・・。何を話せばよいのだろう・・・」
『わぁ、やばい!!だんだん時間が迫ってくるに付け緊張してきた!!!』等、まるで有名人に初めて会う高校生のようにソワソワ、ドキドキしていたのだが、思った以上に田中氏が気さくな人なのでずいぶん助かった・・・。
田中氏はいかにも映画作りを楽しんで居られる方・・・・・・と言う印象で、お話もとても上手で面白い。

お話をしているうちに、ネット内での検索サイトの情報は如何に曖昧か・・・・・・ということが解った。
祖母の亡くなった年も皆バラバラ・・・・・・。
そして祖父の「呑海」に至っては、亡くなった年さえ結局わからずじまいだった。
ただ、祖母はかなり「恋多き女」であった事は確かだった。
呑海さんと水町さんとの出逢いや別れ。
呑海さんの破茶滅茶ぶりやら怪人ぶり等、楽しいお話をたくさん聴かせていただいた。

祖母はもともと育ちのいい人らしく、女学校時代に呑海さんに半ば拉致されるように連れ回され、女優にさせられ、その間、13~14歳くらいの時に初めて伯母を産み、その後アタシの母を含め3人の女児を産み、呑海さんと別れた後、三國さんという二枚目俳優と再婚をし、そこでも男の子を一人もうけている。
その後映画の撮影中に突発性の腹膜破裂(今で言う盲腸炎をこじらせたもの)を起こし、病院に運ばれたのだが30歳そこそこで命を落とすと言う波乱の人生を歩んだ人らしい。

ネットでは28で亡くなったとか、30で亡くなったとかさまざまで曖昧なのだが、田中氏とお会いする前日、ただ一人、東京で生き残っている叔母(三女)に電話し、聞いてみたら、ソレは計算上有り得なく、どう考えたって33歳くらいで亡くなってるはずだと言っていた。

呑海さんは一般的に言わせると、年端も行かぬ乙女を拉致し、あげく手篭めにし、3人もの子供を産ませ、無理やり女優にさせた悪徳プロダクションの社長ように思われているらしいが、映画界においてはかなりの貢献をし、人々を楽しませることに異常なまでの情熱や夢を傾け、しかも遊び人らしからぬ、3人の女児を全て自分の手で引き取り、育て上げたと言う、確かに破天荒な人だったが責任感だけはとても強い人だったと言うことを聞いて、マンザラ極悪非道なだけの人間ではなかったみたいだなぁと、その血を受け継いでいるアタシは少し救われた気がした。

田中氏は『「ムーランルージュの青春・・・」を手がける前に、実は構想を練っていて撮りたかった映画があったんだけど・・・』という話をしてくれた。
掻い摘んで言えば、うらびれたアイスクリーム売りの老人の話なのだが、実はその後老人は・・・・・・という話で、もしもその映画作りが実現したらとても面白く、三谷作品に勝るとも劣らぬ人間味あふれた小粋でとても面白い映画になると思う。
アタシがもっとも好きな映画の類なのだ。
その映画は是非是非実現させて欲しいです。

さて、田中氏も忙しいだろうし、アタシ達も朝から何も食べてなかったので、いったん田中氏と別れ、アタシとぇみは美味しいと有名らしきラーメン店に。
もう少し金・土の売り上げが上がっていたら、もっとマシな物を食べさせてあげたかったのだが、ごめんよぇみ・・・・・・。本当に情けない・・・・・・(悔涙)

そして上演時間になり会場に戻ったら、田中監督が招待席を用意してくださっていた。
会場は補助席も含め500席が満席状態で、ムーランの劇作家、阿木翁助(諏訪出身)さんの生誕100年と言う記念上映会だったこともあり、そのお孫さんである、トクダネでお馴染みのフジTVアナウンサー、笠井信輔さんがご挨拶に駆けつけていた。

記録映画なので映画そのものに派手さは無いのだが、あの激動の時代に自分の祖父や祖母が日本の芸能娯楽の先人者でいた事がなんとなく、くすぐったいような誇りのようなそんな感慨深い気持ちで映画を観ていた。

上映会が終わり、第二部の監督や映画関係者のトークの時間になり、偉い方々のご挨拶などがあり、前日は緊張感などもあり殆ど寝てなく、少し眠気も差し掛かってきた頃、突如監督に「実はもう一人ご紹介したい人が会場に居りまして・・・・・・ムーランの看板女優だった水町庸子さんのお孫さんでもあり、三木のり平さんの姪子さんでもある中山・・・・・・」と、いきなりアタシが紹介された時は、びっくりし、一気に眠気も覚め、大汗が噴出し、這う這うの体で皆様にやっとこさでお辞儀をした。(笑)

そんな一日であったが、やはり諏訪に行って本当に良かった・・・・・・。
やはりアタシが貧乏の癖に、映画や小説や観劇などの娯楽が大好きなのは、血縁にそんな人たちばかりが居たせいもあるのかなぁ・・・・と、DNAの重さを感じた。

監督は呑海さんの事をぜひアタシに書いて欲しいと仰っていたけれど、とてもアタシにそんな才能も筆力も無く、知識も無い。
でも、監督が話してくれた構想中の映画みたいな、笑って泣けるような人間味豊かなヒューマンドラマみたいなものをいずれは書けたら良いな、と思っているし、一作品くらいは書き上げてみてから死にたいとも思っている。

そこで、アタシは最近新たに決心したことがある。
しかし、この続きは長くなりそうなので、後日ゆっくり日記で書こうと思う。

何か、アタシって本当に駄目な人間で情けない生き様なんだけど、でも、人間ぽくて良い素質も持っているんだよなぁ・・・・・・。もっと自信も持てよ!!と、自分自身を慰めつつ、アタシもそろそろ夢に向かって自分を賭けてみたくなってきた。
どうせ後が無いならダメ元でやるまでだ。

最後に、お付き合いしてくれたぇみちんには、とても感謝してるよ。
暑い中本当に運転ご苦労様。ありがとうね。
ぇみちんの運転はたいしたものだ。(笑)

もう少し美味しいものをおごってあげたかったけど、ごめんよ・・・・・・(涙)
え~い!! アタシにも意地がある!! そのうち旨~~い霜降りステーキの100枚や500枚くらい奢るからさ、待ってるんだぞ!!(舌出)


2012年08月07日(火)


 (日記) 明後日、田中監督にお会いしたら祖父の遺品を預けよう。


母の遺品箱の中に、ボロボロになった祖父のスクラップ帳(?)のような物を発見したのはもう20年近くも前のこと。

祖父、中山呑海(どんかい)は、映画監督や脚本家やら、役者のほかに、怪しげな絵を描いたり、怪しげな書物を書いたり、所謂「なんでも屋」だったそうで、ときどき米粒に「南無妙法蓮華経」の文字を書いたりし、欲しい人に売っていたりしたそうだ.。.
祖父は「器用貧乏の怪人」とかの異名も持った人らしい。
何しろ類稀な才能を持ちながらも、波茶滅茶な波乱な人生を歩み、最期は京王線の不慮の事故で壮絶な死を遂げた人らしい。

このスクラップ帳は、見付けた時点で既にボロボロだったし、アタシが見ても読めないし、価値があるかないかも解らないので、そのまま遺品箱に眠らせて有ったのだが、ふと思い、先日押入れから探し出して、祖母の映画のビデオ二本と共に、明後日お会いする田中監督にお見せしてみようと思う。

田中氏はムーランルージュの女優だった祖母のことはもちろんだが、その祖母を当時の女学校から連れ出し、女優に仕立てた呑海さんの事にも大変興味がおありだそうなので、きっとアタシなんかが持っているよりも何かのお役に立ててくれると思う。

過去に何度もお金に困った時があり、古道具屋か骨董品屋に売ってしまおうと思ったこともあるが、よほどその世界に興味がある人以外に、こんな物を買ってくれるところなど無いだろうとも思い、保管したまま忘れていた。
中には祖父の写真や、祖父が手がけた映画のパンフレットや、いろいろなものが貼り付けられている。

田中氏のお役に立ってくれたら祖父も喜ぶだろう。


2012年08月03日(金)

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