ジョージ北峰の日記
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2014年04月19日(土) |
悪性新生物( この化物)の正体を暴く |
初めてM先生の「癌」の講義を聴講した時、私はそれまで学生生活の中で一度として感じたことのなかった新しい興奮を覚えたのだった。自分の体に新しい生命が吹き込まれ、エネルギーに満ちあふれた波動が全身に漲って(みなぎって)くる感覚に身震いした。
「癌はその原因も発癌機構についても本当のことは何も分かっていない。だから、癌治療も外科的に取り除く以外に有効な手段がない。しかも癌ははたらき盛りの大人を襲う。それが悲劇なのだが、この深刻な事態を脱却するには、一刻も早く“天才”が現れてこの問題を解決しなければならない」と教官が若々し歯切れのよい口調で、「天才」の部分を強調しながら話し始めた。
先生は、背丈は虫肉中背よりはやや低めだが、日焼けした褐色の肌、ときどきキラリと反射する眼鏡、きびきびした動作が、如何にも精悍で生産的な学者のイメージを与えるのだった。
「何も分かっていない事柄について講義を受ける時は、諸君も頭をシャープにしていなければ、問題の本質に迫る理解は得られない。事実君達の先輩達も“癌”の本質については良く理解出来かったようだ。新しい学年の君達には、私の話を理解するばかりでなくさらに私を超えて癌の本質にせまる学者になって欲しい」
「私の講義をサボってはいけない。しっかり聞いて、分からない時は私を困らせるような質問をしてくれ」と相変わらず勢いのある断言口調で語りかけるのだ。 私はそれまで大学の講義に期待したことがなかったので、教官の断定的な口調には少し抵抗を感じていたが----「殊に私の話に何か“はっ”と疑問を感ずることがあれば直ちに質問をしてくれ。そんな学生がいることを私は心から期待している」
しかし先生の話し振りには自信が満ちあふれ、その日は何故か私の心に心地よく伝わってくるのだった。
「研究で何か新しい発見をするには、“はっと”する“ひらめき”が必要だ。これまで諸君がしてきた勉強はあくまで過去の知識のおさらいだ。新しいことは何もない。努力すれば得られる知識だ。しかし研究者は過去誰も知らなかった真理を見つけ解明するのが仕事だ。努力したからと言って新しいことが発見出来るわけではない。研究者としての素質の必要条件とは単に理解出来る能力だけではなくこの“はっと”するインスピレーションを持っていることが大切なのだ」
教官は言葉を切って学生達の方へ振り返ると鋭い眼差しを少し和らげて「諸君の中で、この難しい問題に取り組んで解決してやろうと思う勇気ある学生はいないか?医者になれば一人の患者の命を助けることが出来る。確かにそれも人間社会にあっては重要な仕事だ。研究者にはそれは出来ない。しかし癌について新しい発見をすれば多数の人の命を一度に助けることが出来る。 勿論そんな発見を出来る保障は誰にもないのだが----。しかし研究者の賭けだ。研究には“あてもの”のような要素がある。だから研究者を目指すには勇気が必要なのだ」先生の勢いある言葉に講堂はやはり静まりかえったままだった。
時折講堂に隣接する道路側が通り過ぎるバスの振動で強く響く。 「研究者になるかどうかは、極端に言えば、自分の人生を成功するか失敗するかの“賭博場”で自分を賭けること、つまり成功するか棒にふるかを決めることだ」教官は、自分の使った言葉が少し不適当だと思ったのか、学生の方に向かって含み笑いを浮かべた。
しかし先生の自信にあふれ、確信に満ちた声に、「学生たちは感動したのか」、あるいは「呆気にとられたのか」講堂は静まり返っていた。
先生の講義で何より新鮮だったのは、本来の講義科目の話しを差し置いて研究とは何か、研究者の使命とは何かといった、医学生が予想もしなかった「学生の将来の生き方」つまり「医学生のもう一つの人生」や「生き方の価値判断」にかかわる話題からスタートしたことだった。
それまで、私は「医者になろうとする自分が」「医師になるのを断念して」自らが主体となって「新しい学問を切り開く研究者を目指そう」と考えたことは一度もなかった。
しかし新しい真理の発見は夢ではなく現実にありうる話だとして「学生」に熱く語りかける教官の勢いに、経験の乏しい私は「それは本当の話?」という疑問と、一方で“話は本当かもしれない”という肯定の気持ちが交互に出現・交錯し、心の奥底で嵐の葛藤が始まっていたのだ。
私がこれまで学んできた学問は、次元の違った天才たちが研究・確立してきた偉大な知識で、自分が先人達と同じ立場に立って真理の扉を開くなんてとても出来る相談ではないと頭からきめてかかっていた。 だから、こんな話を臆面もなく自信を持って語りかける先生の姿がとても新鮮に見えたのだ。
「先生は、天才だと思って研究しているのですか?」 突然誰かが真面目な顔をして尋ねた。 その質問があまりに突拍子だったので、あちこちから含み笑いが漏れたが、教官は即座に「当たり前だ、誰だって研究者は自分が天才だと信じて研究している」さらに念を押すように「自信のない研究者なんて意味がないだろう」とーーーー! 「先生は何故自分を天才と思って研究出来るのですか?」再度学生が質問すると、教官は苦笑いを浮かべ「天才かどうか、本当のことは誰にも分からない。それは結果が天才かどうかを判断するからだ。秀才かどうかは誰にでも分かる。しかし自分が天才かどうかを自分で証明することは出来ない。結果でしか判断できないからだ。しかし自分が天才だと思うことは誰にでも出来る。だから私は天才だと思って研究している」と少し照れ顔から真面目な表情に戻ると、きっぱりと「その判断は間違っているかもしれないが、自分が天才と信じなければ、研究は続けられないだろう」と言い切った。
その日は新学期が始まったばかりで、桜の花の時期がわずかに過ぎ、まぶしい初夏の日差しに新緑が嬉しそうに揺れ、戯れるかのように絡まりあい、訳もなく私の心を浮き浮きさせていたので、その日のM先生の言葉は私の心を一層盛り上げ、まさにエレベストの頂上を登り切ったような陶酔に浸ったのである。
ふと、春の優しい風が講堂に吹き込んでいるのに気付いた。遠くに見える春霞にかすむ山肌に桜の花がまるで雲のように浮き上がって見えた。講堂の窓に時折しなだれかかる新緑の枝がゆれる音が何時もとは違って、 恋人達の幸せな“はじけあう戯れ”のように聞こえるのでした。
私は先生の言葉に何か強いエネルギーを感じ始めていた。先生が"なにも分かっていない“とか “天才”とか何度も語る力づよいフレーズに私の心の琴線が揺れ始めていたのだった。
「自分を天才と信じて仕事をする----。なんて素晴らしい人生だろう」私は心の中で呟いていた。
当時この講義が私の一生を決定する事になるとは想像さえできなかった。
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