母のタイムスリップ日記
DiaryINDEX|past|will
2004年12月31日(金) |
きゃっ きゃっ きゃっ の大晦日 |
予報通りの雪。 これが今年最後の困難だった。 予定が全て狂った。
朝は順調にスタートして 母に根菜類の皮むきを御願い。満面の笑顔でかなり大胆な皮むきとなった。 予想していた事なので驚きはしない。 形なんてどうってことない。母の作業に意味が有る。 「明日はお正月よ」と幾度も言って 私はキッチンでお出しをとったり…。
昼近くパラパラと雪が舞った。 「良いわね 雪のお正月も良いわね」などと言っていられたのはまだ序の口だったのだ。 娘が車で出かけても帰ってこれると信じていた。
しかし雪はますます降りしきる。 娘が車庫に入れにくかろうと外に出て雪かき。 ちょこっとやっては家に入り母の様子をみる。 繰り返しているうちに 母は一人ぼっちで半泣き状態となる。
夫はいつものごとく動く気配はない。 この間に娘から電話がはいる。相当大変な様子。 家に入ってくる坂道は もう車が入れる状況ではない。
「雪が降ってね 雪かきしないと…ごめんね」を繰り返しているうちに…。 母は「わあわあ泣き出した」夫が見かねて雪かきを代わってくれた。 坂道を見に行った夫は「ベンツがガードレールにぶつかっていた」と言う。
「こりゃ 駄目よ。駅の駐車場に止めて徒歩帰宅」を娘に伝えた。
母は 暫く落ち着かなかったけれど だんだん落ち着いてきた。 もうおせちより 年越し蕎麦の準備をしないと。。。 母は「お腹すいた」と出す傍らから摘み食い。 それでいいんだよね。施設ではそうも出来ない物ね。
…いろんな事があって 夕食をとった後テレビの部屋に移動。 これが 更に おせち作りのタイミングを逃してしまった。 気になったけれど「みんな揃ってテレビを観るのも良いか」と流れに身を任せた。 そう紅白歌合戦である。 仕事柄 娘からいろんな話を聞いていて韓国の俳優さんのキラースマイルを見るのもいいいかぁ~と思った。 母が紅白で一番のったのは 演歌ではない。 「オレンジレンジ」の時である。 ニコニコしながら片手を振って観ていた。。。 これには娘がビックリギョウテンだった。
母は、10時前に入浴してもらい就寝。昨日は なかなか寝つかなかったけれど…今日はパタンキュウだった。
こんな風に 雪に振り回された大晦日となった。 という事で 今 おせちを大急ぎで仕上げています。。。
朝から外周りのお掃除 ガラス磨き 玄関 玄関前 ラストスパート。 駆け足の仕事だけれど 何とか終了。
母を迎えに行く。 行きは娘に送ってもらい荷物を詰め込んで駅前まで送って貰い娘とバイバイ。その後は母とお買い物。 夕暮れの町は混雑していた。 「迷子にならないでね」と言っても 母は久々の活気有る町の様子に嬉しそうだ。スーパーや銀行 デパートと場所を移るたびに「もう おしまいなの?」とつまらなそうに言う。 こういう時の母の言葉は完全で有る。
大荷物となると「重そうだね。私も持つよ」と言ってくれる。 荷物を少し分けて軽い物のみ母に託した。 「お腹すいた?」「うん。でも我慢しているよ」と言う母。 そういえば自分から「腹減ったな」と言わなくなっている。
こうやって動き回っている時の母は ほんとに正常に近い。 いや 歩くのは腕組みしてでかなり支えが必要で段差も「気をつけてよ」と前もって注意しないと危なげであるのだが…。
家に戻って 夕食の支度。 と言っても副菜は有るので…。主菜のみ。 「お肉?」「お魚?」と聞くと「肉 魚」「肉 魚」と幾度も反芻して考えて「お肉」と言った。こういう事はちゃんと考えようとするんだな。
ご飯もちゃんと食べた。おかわりとは行かなかったけれど…。 どうやら便秘をしているようだ。 施設では何の申し送りもなかったなぁ~。
食後 布巾を洗ってもらった。 お湯を貯めておいたら「温かいね」と言いながら洗っていた。 その隙にお布団を敷き寝室に暖房を入れた。 戻るとちゃんと濯いでおまけに水周りを綺麗に拭いてくれていた。 こういうところの能力は大丈夫みたいだ。
それから 年賀状を書いて貰う。 一枚目は 綺麗に書けた。が2枚目は字がくっ付いて危うげ。それでも 母らしい文字で有る。 5枚ほどでお手上げ「貴方 書いてよ」の依存状態。 早々に切り上げて 折紙を渡した。 折るかと思いきや「書くもの」と言う。 エンピツを渡すと「書く準備をしようと思うけれど 何を書くのだったかな?」と書き込んでいた。 将に母の頭の状態そのものである。 これが現実。
ギリギリ起きて貰って9時30分にトイレ誘導。 此処で20分以上奮闘。 なかなか回路が繋がらないのである。大が肛門近くに有るのに…いきめないのである。「お腹力入れて」も「気張って」も全く通じない。 へらへら笑うのみである。 でも時折いきむので「上手ね。頑張って。その調子」奮闘。 おかげで中量でた。でもまだ残っているようだ。 それでも「もう 疲れた」と言うので切り上げた。
其の儘お風呂直行。 身体を洗い入浴。「あつい」と騒いだが母の適温なので歌って誤魔化した。 最初はいつもそうだし 今日は寒いから体が冷えているんだもの。。。
湯ががり後2階の寝室へ。眠ったと思いきや どっこい起きていた。 だから10時から午前零時まで2階とパソ前を行ったりきたり。 再度トイレに誘導し 排泄後 ようやく寝入った。
この調子だと明日は起きるの遅いのかな? でもいつものように起きてもらわないとなぁ~。
シャワーのヘッドからお湯が漏れているので 数日前 ホースをカットしてヘッドにつなぎ直そうと思った。 ホースをカットすればちゃんと直ると信じていた。 でも ヘッドからホースは外れなかった。
古い話しだが 昨年 私の外出した折に「風呂釜の掃除したよ。ホースが見つからなかったから シャワーのヘッド外して洗ったよ」と夫は言ったのだった。だから外れるものだと信じていた。 でも違っていた。夫はあの時 何故あんな事言ったのだろう?
と言う訳で この数日ヘッド無しのシャワーを使っていた。 これには 洗髪時シャワー必須の娘から大顰蹙をかった。
かくして今日 ようやく ヘッドを新しい物に替えた。 ところが ヘッドは夫の準備した物で 娘のブーイングにあった。 夫には十分商品の事を伝えてあり判っているものと思っていたのになぁ。
世代間ギャップというか 好みの違いというか…なかなか大変だぁ~。 これから 自費でもシャワーヘッドを替えたいと娘は言っている。。。 きゃ 夫の反応はどうだろうか。。。 ちなみに娘の「ブツブツ」は夫には伝わっていない。
ようやく 部屋の掃除が済んだ。 ほんとはガラス磨きもしたかったけれど 雪で寒さに震え上がって止めた。 まだ 外回りもある。 これは 明日の午前中に頑張ってやり遂げようと思う。
年末年始で足りない物を買い足してきた。 残りは晦日に買う生鮮食品のみ。
母の所に今日も行けなかった。 その代わり 年末年始家で過ごすための手作業の折紙 本 刺し子等を取り易い所に準備した。 おせちを作るのも手伝ってもらう予定だけれど「疲れた」「腰が痛い」と言われるだろうし。。。 母が来ると気軽に買い足しの物を買いに出かけにくいかもしれないと思うが何とかなるさ。。。 母には寂しい思いをさせてしまったので 予定を繰り上げて明日連れて来ようと思う。
夫は母を連れて夫のふるさとに行くと言っている。 ちょっと心配。混雑の道路。オムツの事等いろいろ不安である。 オムツの量だって半端じゃないだろうしそれを置いてくるのもねぇ~。 それに寒い。。。 夫の故郷には出かけたいし…揺れている。
2004年12月28日(火) |
こんな日も有るさ。。。 |
生協が来るのが早いと言っていたので待っていたら遅かった。 夫が3時に戻ると言っていたので待っていたら 来なかった。
朝からおでんを仕込み万全を期して母の所に出向く予定だったのに…。 行けなかった。「ごめんね お母さん」
待っている間 イライラしながら冷蔵庫を整理して掃除した。 生協は2回分の配達。 慌てて 使いかけの冷凍物を処分した。勿体無い事です。 おかげで 全量冷蔵庫 冷凍庫に 分類別に納まり ついでに買い足りない物をチェックできた。こりゃ一石二鳥だわわわわっ。
ついでに流しの周りも掃除。 これは 少し早いと思ったけれど…動き出したら止まらなくなってしまった。おかげでキッチンの水周り付近は綺麗になった。 キッチンに張り付いていたので これから忙しい事を想定して副菜も2.3品作る事が出来た。島ラッキョウの塩付け 切干と干しえびの無国籍酢の物 切干大根煮 餃子用のキャベツを切って塩を振っておく。。。 此処まで出来ていれば 後は年内何とかなるかな? 第一 夕食用のおでんは私1人しか食べないから…明日ゆっくり食べられる。 娘が出がけに「わ、何で今日おでん。。。残しておいてね」と言い残して行った。
娘は仕事治めの忘年会だ。今さっき「これから もう一軒回るよ」と連絡が入った。
主人の年賀状 終了。自分のも半分までようやく済んだ。 お正月には間に合わないだろうな。。。 お正月に賀状を読む時と来年用の賀状を書きながら賀状を読むのとは 感じが異なる。一年一回のお便りの方もいる。不思議だが年賀状へのお返事を書くような感覚になってしまう。
残す日 後3日か。。。 今日 家にいてお掃除したのは正解だったかもしれない。 家族がいるとどうしても振り回されてしまって中断するから。。。 母は 何をして過ごしただろう。。。 離れて暮らし始めて3年を経ようとしているけれど こういう時はやっぱり胸がキュンとする。慣れては来たけれど…託すのも辛い事です。。
利用者さん訪問後 母の所に向かう予定だった。 家に戻って 昼食をとり 母の年賀状を作り始めたが…迷路に迷い込んでしまって収拾が付かなくなってしまった。 気が付けば 陽もとっぷり暮れていた。
パソコン技術の未熟さにため息を付いた。
よって予定した事が全て先送りとなる。 此の儘 年を越しても何も変わりなく動く事は承知していても…妻依存体質の夫も普段は「ま いいかぁ~」だけど 年の瀬にはどうにも重たい。
長い夫婦の歴史で育てあげてしまった事だから自己責任て奴なんだろうなぁ~。今更悔いても仕方が無い。
出来ない事ばかり数えないで 出来た事のみ感謝しながら年末まで過ごす事にしようっと。
これから また家事に勤しみます。。
きのうの日記を読んだ娘から事実と違うと言われた。 例のマニキュアの事だ。 娘が母の前でマニキュアを落そうとしたら「私にも塗って」と言ったそうで有る。そして薄いピンクのマニキュアを片手にのみ塗ってあげたそうだ。 母はマニキュア等使った事はないし 私がトップコートを塗っただけでも嫌そうな顔をしていたのに。。。 今頃 マニキュアの指をみて母は何を考えている事だろう。。。
今朝 同じ町内に住まわれている顔見知りの方からお電話を受けた。 「七草の鉢植えを作ったのでお届けしたいのですが…いつもお母様とお散歩なさって居られる方ですよね」と。 その方は おそらく70代後半位と思う。 自然の草花がお好きでお庭にあれこれ種を蒔いて育てて居られる。 立ち話で時折母の事や草花のお話をしていた。 11月中旬頃に向こうから名乗られて私も自己紹介をした。 でも電話番号までは知らせてはいなかった。町内の名簿で調べられたのだろう。。。 「こちらから伺います」とその方のお宅まで伺い門前で受け取った。
毎年 2鉢の七草を作られるそうである。 そのひとつを誰かに上げるのだそうだ。 七つの草の後ろには草の名前が書かれていた。 その文字がとても優しく素敵で…それにも感動した。 勿論七草もしっかり育っていて 見ているだけで心が温まる。 この名前を書いたき木札の根元が乾きだす頃が水のあげ時ですと教えてくださった。
忙しさに追われ始めていたが 立ち止まってゆっくりとした気分になった。
今回の母のお泊りでは トレパンから溢れさせるような事はなかった。 1時過ぎにトイレ誘導 4時半に再度トイレ誘導でセーフ。 でもほんとは これも危うかった。 娘が出張帰りの残業で今朝4時少し過ぎに帰宅。 気配で帰って来た事を知ったが起きる元気もなく布団の中で「起きなきゃ…」と思うだけだった。 でも娘の動きの音の他に別の物音もしていた。 それが 母であると気が付いたのは 娘が居室に入って静ってから 小さな声が聞こえたのだ。スワッと起き出して隣の母の部屋に行くと「寒い」と布団の中で言っていた。 風呂上りで温かい状態で寝入ったのでそう冷えない筈なのに 手足が冷たかった。 今朝気が付いたが お目ざの飴が4個ほどなくなっていた。 きっと起き出してなめたのだろう。。。 娘が帰ってきた頃の時間と丁度重なっていた。 娘の帰宅のおかげで出来たのかも知れない。
朝は普通に起き出した。 洗面やら歯磨きやら 「はい」と手渡すとちゃんと出来た。
寝起きの母から立ち上がって貰うのは 容易でなくなってきている事は十分承知してた。でも更に大変になってきた。 昼ならまだよいのだけれど こちらも加齢と共に寝入った状態からの介助で多少バランスを欠く。 まだ 支えきれるけれど…腰にかなり負担がかかる。 危ういとどうしても正しい動作でなく腰に負担の掛かる動作に走ってしまうのである。気をつけないと…と思った。
朝食を済ませて利用者さん訪問。 ここでもガラス磨き。。。母の介助 我が家のお掃除 利用者さんのお宅のお掃除とこの所力仕事が多くバテ気味。 年末はなかなか大変だ。
家に戻ると母の指先がほんのり赤い。 娘の仕業だ。 きっと母を玩具にしてマニキュアを塗り それを除光液で落したのだろう。きっと真っ赤なマニキュアの筈だ。 話しは聞いて居ないけれど…母はどんな反応をしたのだろう。。
昼食後 入浴洗髪。 身体は 昨夜洗ったので省いた。
なんだかんだあって 母を施設に送り届けたのは 夕方のいつもと同じ時刻となった。 帰り道 歩き出すと「おかちゃんと一緒だから いいな」と何気なく言った。おかちゃんは この所私に向ける言葉である。 そのくせ 施設に付いてゴミ捨てなどして居室に戻ると「まだいたの いなくてもよかったのに…」などという。 おそらくどちらの言葉も母の気持ちだろう。 こんな風に書くときちんと分っているように聞こえるかも知れないが…。 最近の母の会話はほんとに危うくて 通じない事が多い。 きちんと話せる事も有るが…。
トイレなどもこれと同じ反応だ。 「排便有る?」と聞くと「うん」と言い 更に聞くと「ない」という。 もう少し違う言葉での反応だけれど…。 でもきっちり当たる時も有るので母の言葉が全く通じない訳ではなくて…。 非常に細かく観察しないと読み取れなくなっている。
全く真反対の言葉…。 これを施設に「じっくり見てください」と願うのは酷なのだろうな。。。 でも託す側としては 少しでもよい状態に…と思ってしまうのだ。
午前中は利用者さん訪問 約束通りサンルームのお掃除。 昨年 お掃除しようと思っていたが利用者さんが脳梗塞を起こして入院となり 出来ないまま年を越してしまった。 今年は無事にお掃除が出来た。 やはり何事もなく暮れを迎えられるっていいなぁ~。
活動を終えて急いで家に戻り 母を泊める支度をした。 母の居室の掃除が投げ出したままだったから。。。 家具の隙間や障子の桟に埃が目立ったので 小箒で払った。 それから洗濯物をしまいこむ。これも 直ぐに片付けなかったので治める所にそれぞれ治めた。 掃除機をかけて お布団を敷いた。
母を泊められるようになったのは 明日 活動に行っている間娘が母を見ていてくれると言ってくれたからだ。 今朝 出張先にメールを入れて確認を取ったら「OK]の返事があった。
掃除の後 キッチンで食事の下準備をした。 ブロッコリーを茹でて付け汁に浸した。 チキンはタンドリー風に焼く事にして クミンシードとオリーブオイルを熱して冷まし クミン粉、ウコン粉、しょうが、塩、コショウを振っておいたチキンにクミンシード入りオリーブオイルで揉み込んだ。
昨晩 ケーキの材料を計って置いた。今朝仕込む予定だったがケーキ焼きは諦めた。その代わりお気に入りのケーキ屋さんで利用者さん訪問後に買ってきた。
急いで母を迎えに出た。 家に戻ったらお風呂に入れるようだろうな。。。 入っていてくれれば助かるんだけれど…と淡い期待も持った。 が やはり入浴した形跡無しだった。
外泊を伝えお薬を戴いて家に戻った。 直ぐにお風呂にお湯を張った。が 母をお風呂に誘導する余裕がなくなっていた。仕方ないのでドライシャンプーにした。 というのも母が 頭を痒がっていたから。。。
夕食は二人で。 時間を見ながら 戻ってからケーキを食べる余裕を残した。 母の食事の様子は また次の機会に。。。
夕食を終えて お茶を飲み 歯磨きしてトイレ誘導。 それからゆっくりと教会に向かって歩いた。
昨年は 暗い夜道が怖いと言われた記憶が有るが 今日はそんな様子もなくニコニコ。。。 このニコニコが最近は曲者である。今日も「うわ~っ」という目に遭った。
教会には 礼拝の始まる少し前に着いた。 知り合いの姿が見えなくてご主人のみいらしていた。どうなさったのだろうなぁときになる。 お便りを戴き放しなので今日お礼が言えると思っていたのに…。 全く自分の略し加減に反省しきりである。
礼拝が始まっても母のニコニコ ブツブツ独り言は時折でた。 これがお祈りの時でなくて良かった。 静かな時におしゃべりしそうになるので紙に「静かにね」と書いて渡すと もうそれだけで話し始める。口に人差し指を当てて「しーっ」とすると今度はケラケラ笑い出してしまう。 本当に困った。 「クリスマスは教会に行きますか?」と聞いた時「行きたい」といつも言っていたので頑張ってみたけれど…。 やはり もう無理かも知れない。。。 聖歌隊の歌声には 耳を傾け首を振ってリズムを取る。 賛美歌は歌わないけれど やっぱり首でリズムを取っている。
牧師さんのお話の時は 礼拝堂の天井のダクトを数えていた。これは 耳が遠いので仕方ないとは思うけれど…。 「ゴーイング マイウエイ」に加速が掛かっている。 もう母1人の世界…。自分を助けてくれる人さえいれば もう良いみたいだ。
賛美歌を歌いながら 母が私に託した言葉を思い出した。 「私が祈る事を忘れた時 貴方が助けて頂戴ね」 まだ痴呆と診断される前の言葉で有る。 この言葉 幾度も思い起こしてきたけれど…今日の母の様子を見る時 いよいよその時が来たと思った。 今までは 何とか礼拝を静かに守れて来たけれど…今の母にはできそうもない。静かに祈り求めお話を聞こうという方の迷惑になってしまう。。。 この教会にはガラス越しの別部屋もない。。。 「母の意志を大切に守ってあげるためには どうしたらよいのか…」と祈っていると涙が溢れてしまった。
それでも最後の賛美歌は母が歌えた。 思い出したのだ。これだけでも感謝である。 そして 行きも帰りもしっかり歩けたのだから…。
帰り際に 牧師婦人に「ご迷惑をお掛けしましたね。何だか もう無理みたいですねぇ~」と言うと「そんな事は有りませんよ またお出でください」と言って下さった。 これが 母自身の教会ならもう少し違っているのだろうなぁ~と思う。
ほんとに遠くに来てしまっているものね。
病の進行でいろんな機能が失われていく事は まだ仕方がない…と受け止められた。 でも 母にとって一番大切な生きる支えであった事が。。。 これが やはりどうしようもなく哀しかった。
この秋 クリスティーン(アルツになった方)が言っていた。 「主は よみの床に伏しても なお となりにいて下さるそれが一番の支えです」と。 母のとなりに 今も主がいてくださることを信じよう。
家に戻ってお茶とケーキ。 そして 入浴。 「眠くないの?」と聞くが「眠くない」と言う。 10時30分にお布団に入って貰ったらzzzz。
ほっとした。 でも。。。 「今夜は教会に連れて行くから 車御願いできる?」と夫に聞いた。 「あ いいよ。ちゃんと連れて行ってあげなさい」と快く言ってくれたのに…。夫は。。。忘れている。。。 元気で歩けたから…良いんだけれど…。ちょっとね 寂しくもある。
2004年12月23日(木) |
一足早く プレゼントだって! |
今日は祭日でリハがお休み。 という事で気になっている所をお掃除。。洗面台からスタートして浴室や脱衣室へ…。日中はそんなこんなで終了。 洗面台の扉の中はデットゾーン。。つい手入れを怠るとカビが出没してしまう。今日は物を全部出してしっかり掃除。
夕方戻った夫は嬉しそうに忘年会にお出かけ。 それもいいさぁ~。 「娘もいない 夫も居ない この隙に美容院に行ってしまおう」と思ったら「7:30には終わるから8:00には戻るよ。だから会費以外のお金は持っていかない」とのたまった。 「げっ じゃ行けないな」と諦めて残っている障子を張り替えた。 日はとっぷり暮れているので またお風呂場での作業。 何とか終了したのは 午後10時半を過ぎた頃。。。 夫は帰って居ない。。ブツブツ。。。 「だったら行けたな。信用したのが間違いだった」 娘が大阪から電話してきた。 夫の事を話すと「帰って来る訳ないじゃん。。。行けばよかったのに…」だって。
クリスマスカードが届く。 私は誰にも出していない。いや 母のカードに一言添えて出したな。。 今から書いても間に合わない。。。 全く 困ったものである。 柊が描いて有る手作りのカードやクリスチャンからのカード。。。 近況も書いてあり 心が和んできた。
昨夜出張前の娘が「何か有って渡せなくなると困るから…」とクリスマスプレゼントをくれた。小さな赤い袋を開いてみるとランコムのジューシーチューブ(リップグロス)と年末ジャンボが入っていた。 「当たったら半分こね」だって。 リップグロスはマンゴー味で臭いも強かった。 私が使っているのは違う物だけれど…。きっと面白いと思って買ってくれたんだな。 宝くじを貰ったのは 高校以来始めてかも。。。 それも高校の時は 下一桁が当たっているくじだった。 どうしてもらったか定かではないけれど くれた方の顔ははっきり覚えている。同級生の女の子だ。
さて 12月31日まで束の間の夢見させて貰いましょ。。。 当たったためしがないのですけれど。。。
さて 明日はクリスマス。 これから ケーキとチキンを仕込みましょ。 活動後 母を迎えに行って家でお食事して教会にいきましょ。 翌日は活動日だから…母を送っていくしかないかな。。。
2004年12月22日(水) |
みんなの力…美味しかったよ。 |
利用者さん訪問を30分早めてもらって活動に入った。 どう考えても 施設のクリスマス会の準備に無理がありそうだったから。。。
突然の変更に快くOKしてくださったが…。 利用者さんは訪問前にしておきたい都合という物があったのだ。 それは 今日使うお野菜等を出しておいて出し入れで散らかった所もお掃除して欲しかったのだ。私が到着するまでに急いで用をなさったようで息が切れていた。 「何時でも休んで良いですよ」といってくださってはいるのだが 木曜がヘルパーさんの入る日は別の利用者さんも同じで そうなると木曜って祭日で後は年末年始休暇に入るので今年の活動はもうないので有る。 それに今日の利用者さんは 土曜に急に通院が入ってお休みだったので今日は外さない方がベストだと思っていたから休めなかった。
掃除機をかけた後 拭き掃除なのだが「掃除機のゴミ袋を替えてください」 という依頼があり 替え様と掃除機を開くとフィルターに埃がいっぱい詰まっていた。これを掃除しないと…。 「どうなさいますか?」というと「掃除機優先で…」という事になり フィルターの掃除をした。ついでにフィルターについている布も外して洗濯。
そんな事をしていたら ヘルパーさんの愚痴を零された。 「少しずつ学ばれていくと思いますよ」というと「だってね 次のレベルに上がるためには経験が必要で…お休みしたくないって言われるのよ」と。 確かに利用する側から見れば そんな事関係なくてちゃんと仕事してもらいたい訳で…。あくまでもヘルパーさん個人の事だものね。 訪問して料金を戴くのだもの…ねっ。 まだ随分お若そうで…無理もないなぁ~と感じた。
時間で上がらせて貰って施設へ大急ぎで向かった。 施設では昨日の家族と他に後2名のご家族がお手伝いに見えていた。 今日の献立 エビチリ、ワンタンスープ、かに玉、餃子、白身魚の野菜餡かけ、ブロッコリーの香味浸し 山の芋の天麩羅 クワイの素揚げ 杏仁豆腐 皆さん 時間をかけて美味しそうに召し上がっていた。 餃子は入所者もお手伝いをして包まれた筈。
母の事も書きたいけれど 今日は別のことの人の事 食後 咳き込む入所者が居られる。入れ歯も下がないので刻み食だった。 でも最近はどろどろの食事。 それも出来上がったものをミキサーにかけるので味も落ちるし見た目にも悪い。今日もそうなってしまった。
咳き込む事は間違いないけれど 咳は食後暫くたってからである。 「水でも噎せるのですよ」と言われたけれど水が一番噎せやすいのだもの…。
ご家族が介助されていて ご自分のを食べさせていた。本人もそちらに手が伸びていた。 食べている時 一度もつかえなかった。咳き込みもゼロ。
わかんないけれど…素人だけれど…。 こういうのは 嚥下というよりも食後の食べかすが喉につかえて咳き込む現象じゃないの?と感じた。 だから食後口を綺麗にしてあげれば 咳き込みはなくなるんじゃないの?
ミキサー食で随分痩せられたような気がする。 噛む力を残してあげないで大丈夫?と心配になってしまった。
施設には事故責任が生じるので 早め早めに対処される事が多いけれど…。 どうなんだろうなぁ~。
やっと行事も済み 少し時間ができそうである。 明日は娘大阪出張 帰路名古屋にも寄るらしい…。 夫も娘も相変わらず忙しいみたいだ。夫も休日無しである。
さっき帰宅した夫が「明日の忘年会 行ってきてよ」ですって。 そんな事 泊りがけの忘年会の時も言っていたなぁ~。 でもね あたしゃ 家事がいっぱいだし 美容院だっていってない。おしゃれして出かける事なんてまだ無理。 きっとそれを見越して言っているんだろうねぇ~。
2004年12月21日(火) |
みんなで下ごしらえ。。。頑張ったよ! |
母の施設に10合炊きの電気釜を持って行くためご家族に寄って頂いた。 釜を積み込みゴー。。 ご家族の持参なさったのはスピードカッター おまけに器も…。
限られた火力でのお料理なので いろんなものが必要になる。 もともと 入所者が調理するシステムでないので調理するのに足りない物が多い。いろんなものを応用しながら…。 長年主婦をやっているので知恵は回る。
ご家族がご主人から「貴方 お出かけするのに楽しそうね…」と言われたと苦笑なされていた。 「だってねぇ~ いやいやの顔をするより楽しんだ方がストレスが少ないわよね。これも知恵よね」と言われた。 「初めは 心配と後ろめたさと義務とで『行かなくちゃ』と言う気持ちだったけれど…いつの間にか楽しむようになってきたわ」と言われた。 私も似たような変わり方をしてきた。 「面倒さや義務」はどうしたって顔に出てしまう。 「これじゃなぁ~」と言う気持ちに動いたのだ。 別にこれは母に向けた行動だけではない。 夫や家族の関わりの中でもそういう変化は有った。 だから介護しているゆえに学んだ事ではないと思っている。 それだけ年を重ねたのだろう。。。
付いて母をトイレに誘導したり。。。しているうちに昼食となった。 今日は 母たちと別に食事する事にした。 途中まで食べる様子を見てから 外に出た。 ついでに今日の手順をザザッとおさらいしインプットした。
施設に戻って 職員が動き出す前にテーブルに新聞を広げたりした。 入所者が 広告で山のように折られた箱をテーブルに置いてゴミ箱を設置。 麻痺の有る人 得意 不得意を考慮しながら仕事を依頼した。 今日は残念ながら体の調子の悪い人が居られて 1人お部屋に篭ったままの方がいらした。でもそれ以外の方はみんな 参加してくれた。
うれしかったのは 今日は作業日です。皆さんできる事協力してくださいと入所者に向けて張り紙がしてあった事。 これまで こういう事はなかった。 読めなくてもこういう事はきちんと知らせてくれると別の風が施設内に吹き込むような気がする。
立っている事も困難になりつつ有る方をキッチンに呼んで「たけのこのお掃除」をしてもらった。茹で筍を渡してお湯を流してあげただけで何をすべきかちゃんと分って動き始めた。「あ~分るんだなぁ~」と感激した。 この方 入所以来殆どこういった作業はなされて居ないのに…ひとりでに動き出せる。「家事 頑張っていらしたんですね」と言うと聞こえない様子だったがニコニコなさっていらした。 その方には テーブルに着いた後も人参を渡すとピーラーを使って皮むきして貰った。これも飽きることなく作業してくれた。いつもなら 途中で飽きてしまう事も多いけれど調理は長続きするみたいだな。
母にも皮むきを頼んだ。家から持参したぺティーナイフは使いにくそうだったので包丁を渡した。それからとても上手にむけた。 母も不満そうな顔もなくするべき事として作業していた。
海老だってみんなで皮をむいた。 傍で1人見守っていれば 大概の事は出来た。 大根の千切りは先に薄くスライスしてから渡した。其処からなら切るのは割りに楽にできる。
これが子供だったら「どうするの?」とうるさいほどに聞いてくるけれど 家事を受け持っていらしたので どうするかは大体分るようである。
筍や人参の微塵きりは 最高齢の方に御願いした。「どんなお料理に入れるの?」と必ず聞いてきた。「中華粥なので細かく切ってください」と御願いすととても丁寧に切ってくださった。
生椎茸の軸を取ったのは麻痺のあるかた。軸を上手に手で引き抜かれていた。この方はいつもお部屋に篭られて居られる。食事だって1人個室で召し上がる。でも「お手伝い御願いします」と言うとニコニコなさってお部屋から出ていらして最後までみんなと作業なされた。
前回お手伝いしないで食べる専門だった方には 大根モチに入れる大根を片手で揉んで貰った。「もう少し力入らない?」と言うと「僕 育ちがいいから力仕事なんてした事がない」と冗談を飛ばしながら手伝ってくださった。
もう1人の麻痺の有る方は カッターを使う作業。 わんたんの包みだって。。。
こんな作業をほぼ入所者と家族2人で行った。 後半 お手すきの職員が手伝ってくれた。
1時間半で休憩して 更に一時間半の作業だった。 見た目に綺麗にするお野菜や杏仁豆腐は やりくりしながら家族や職員で受け持った。
ちょっと夕食の支度に掛かるまでの時間にはみ出してしまったけれど…。 「ごめんなさいです」 入所者の方も疲れた事だと思う。 でも 何処かで充足感で満たされている筈と信じている。 だっていろんな表情が見られたもの。。。
明日は本番である。 大きな仕事は 餃子包みがある。そして味付けだ。。。これが うふふふ。
今日は 冬至。。 勿論家に戻って 柚子風呂 冬至南瓜は準備しましたよ! 母には 明日 ちょこっと食べてもらおうと思っています。
利用者さん訪問。 さっぱりとした表情にホッとした。 気力も取り戻されて 元の前向きな利用者さんだった。 お買い物も一緒に出かける事ができた。 「あのね はなさん。孫の新婚旅行のお土産のカステラ切って戴ける?そして3切れをはなさん 持ち帰って…お福分けだから…」と。 「やっと自前のお肉がなくなりつつ有るのに…1人で食べたらまた太ってしまうし…」という事だったので 約束ではいけないけれど…片目瞑って戴いてきた。お福分けに弱いなぁ~。
午後 娘の検査結果を待って家族の会へ…。 結果を聞いた後家族の会へ。 娘を待っていたら家族の会に向かう時間が大幅に遅れた。気を利かした娘が会場まで車で送ってくれた。
会では夫の介護協力について話題になった。 特に親の介護をしていると…。 妻の立場から見ると夫の協力が足りない…と感じる。 介護にも注文が出て「気が付いたらやってよ」と言う気持ちにもなる。 「俺にはできないから」と言う無言の圧力には「私 やってるよ」と言う気持ちになる。そして何より ふとした瞬間「辛そうな 嫌そうな表情」を見てしまうと言葉を飲み込んでしまうのである。。。 あくまでも妻から見た感覚であって 夫には夫の言い分が有るだろうけれど…。
家族会が終わった後 その足で施設に向かった。 今日は クリスマス会の食材のお買い物である。 「お母様 お連れしますか?」と聞かれ 母の状態を見ると外に連れ出したほうが良さそうだったので「同行させて下さい」と願い一緒に出かけた。 お買い物は 私のホームグランドのスーパーにして貰った。 「いつも施設で行く所より 買い物がしやすいですね」と言われた。 予算は高めに設定していたので 思ったより安く済んだ。
職員が気を使って家まで送ってくれた。 母とは家の前でさよなら…。 これがとっても妙な気分がする。 泣きながら帰ってないだろか…などと心配になる。
今日は夜 再度職員から用があって電話があったので「どうでしたか?」と聞いたら 「大きな声で唄を歌って行きました。夕食もちゃんと食べて ニコニコしています」と聞いてホッとした。
明日は前準備で施設のみんなと下ごしらえをする予定。
しかし 昨日の日記を読み返して誤字の多さに愕然とした。 読んでくださった方 すみません。。。
昨夜 新しい蛍光管をテーブルに置いた。 「明日の朝 取り替えて頂戴ね」と早起きの夫に頼んだ。 朝 早く目覚めても ごろりとテレビの番をするだけなのでちょっと御願いしてみた。 私が置きだした時はまだ作業してなくてやっぱりテレビの番をしていた。
朝食を食べても動く気配なし。。。 洗濯を終える頃にようやく手を付け始めた。
丁度サッシのお掃除を始める時と重なり 気持ちだけ傘を拭いていた。
ちょっと外出した夫。 ふと見上げると電気のコードに埃が付いたままである。 「ま 何もしない年よりもいいか」と思っていたら夫が戻ってきた。 ここぞとばかり「あのね まだ埃が有るから ちょっと傘押えていて」と言うと珍しく「俺がやるよ」と。 夫に頑張って貰った。
夫の協力を得られたのには訳がある。 毎晩 忘年会の連続。今日はお泊りの忘年会なのだ。 一言も愚痴らずニコニコしていたら…こういう事になった。
作業後やり直して貰うなんて 我が家では有り得ない事。 今日は拍手ものである。
午後母の所に出向いて 美容院に連れ出した。 「髪結い屋さんに行くよ」と言うと「そうだね 行った方がよい頃だ」と喜んだ。でも 洗髪台に座り椅子が高くなると「こんなに高くて嫌だ」と言い出した。慌てて傍により「大丈夫だから…」と言うと落ち着いた。 ロットを蒔きだす時はまだよかったが パーマ液でまた嫌な顔。 前回は 調子よく行ったけれど 今回はなかなか大変である。 薬が定着する間 椅子に座って腹筋運動をした。 「うるさくないかしら…」と周囲に気を配る所は 普段通りだけれど…。 持込のおやつとお茶を飲んで 何とかやり過ごせた。
これでまたひとつ 母の暮れの準備が終了した。 明日からは3日間 施設に通う事になる。 22日のクリスマス会までに買い物やら下準備等に追われる。。
入所者の方と一緒にちゃんとできますように…。
利用者さんが差し歯が抜けてしまったらしい。 病ゆえ 何処でも治療可能ではなくて…。歯科医も今日の午前中なら空いているという事で 急遽活動休止となった。 「ごめんなさいね」と謝られたけれど「いえ 助かります」と言ってしまった。言ってから「まずったかな」と思ったけれど 忙しくて家の事ができて居ないと零しているので 気持ちは伝わるだろう…と勝手に思っている。
切迫している人には そんな事は絶対に言えないが無理の利かないところのお手伝いなので こんな事も言える。
と言う訳で 庭に出て剪定の続きに取り組んだ。 庭には蕗の葉がいっぱい広がっていた。 毎年 こんなに有ったかなぁ~。暖冬のせいなのだろうか? 晴天続きで鉢植えの植物たちがグッタリとなっていて 慌てて水をやった。 数日前から「水あげなきゃ」と思っていたけれど気が付くのが辞めてしまっていた。 ようやく庭も一段落できそうだ。
夕食後 蛍光管を買いに出かけた。 ストックが切れていたので 電球も買い足した。
少しずつ お掃除が済んで行く…。でも来週は週の前半は忙しいし施設に通う形になる。 明日は母を美容院にも連れて行きたい。。。
何処までできるかな? 何とかなっていく事を祈るのみである。。
2004年12月17日(金) |
引き継いでいくもの。。。 |
利用者さん訪問。 「家族から置いていかれる感覚。。。」これが高齢者にはある。 自分が老いていく先の心配もゼロではないけれど それよりも自分が守ってきた事を誰が受け継いでくれるかという事もある。
母の場合は 唯一信仰だった。 自分はクリスチャンだからお寺のお墓には入れない。。。それが一番の気がかりだった。遺言書なるものも金品に纏わる事でなくお墓の事だった。
利用者さんも ひとつは仏壇が有った。お位牌はお住まいに持っていらしているけれど…。残してきた先祖代々の仏壇。 また家系図。
息子さんから「日本人のルーツ 人間のルーツなんて辿れば一緒だし 家系図を額に貼り付けておく訳には行かないのだし…そんな家系図なんて…」と言われたようだ。 利用者さんは「家は代々。。。」というお家柄を自慢しようという事ではないだろうと思う。 これはとっても不思議だが こういう感覚って年を取ると子孫に向けてのメッセージと言うか 責任感が強くなるんじゃないかなと感じたりする。
若い頃 私も息子さんと同じような感覚があった。 祖父の弟が丁寧に資料を探してつなぎあわせた家訓と家系図を作った時の感覚だった。 でも 今はもう少し違う感覚でそれを見る私がいる。
自分の中にどんな遺伝子が有るかというよりも 先祖の感じ方を探ってみたり生き方を知ってみたいと言う気持ちが生まれてきた。
人のルーツなんて歴史等を学べば有る程度はわかる。 それよりも一番自分に近い歴史を知ってみたい。。。
そんな事を考えながら利用者さんのお話に耳を傾けた。
確かに人に拠っていろんな考え方が有るだろうし「そんなもの関係ないじゃない…」と思われる人もいるだろう。
そういった事も含めて目に見えない事を伝えたいと言う思いは しっかり受け止め伝えて行きたいと今の私は思う。
利用者さんは どうなるか…。 「いろんな思いは 受け継ぐ人の意思に任せて取り敢えずは自分の健康を守っていく事にしたのよ」とさっぱりした表情を見せてくれた。
きっと ご家族も利用者さんのお気持ちは受け止めて居られると感じている。
今朝の朝日新聞に痴呆初期の介護が大変という記事が載っていた。 やっとここに目が付いてきたか…という感じがした。 ここの部分が社会全体が認識できるようになるには もう少し時間がかかるのじゃないかな? 何れ またこの事については触れる機会が有るだろう。。。
今日少し出遅れて母の所に向かった。療法士さんの見える前に到着しなかったらオムツ換えやお掃除が…と焦った。 施設に付くと母はトイレに入っていた。 辞めたはずの職員のお顔があった。 「あらぁ~」と言うと「お久しぶりです」とお返事が返ってきた。 そこに療法士さんが 見えたので慌てて居室に入った。
「今日は職員の数も何時になく多くて それによく声がけなさっていますよね」と言われた。 そうなのだ 今日はもう1人見知らぬお顔の人がいらした。 特に紹介はないが…。
母が リハを受けている間に お布団を干した。 とっても良いお天気だったから そうせずにいられなかった。
リハを終えて 療法士さんを見送ってから お部屋の掃除。 たった一日空いただけなのに 埃や髪の毛が散らばりが目立つ。 耳鼻科通院と美容院に行くと決めていたけれど やっぱお風呂が先みたいと判断した。 着替えをしてもらい タオルの洗濯も母にして貰った。
ホールから聞こえる職員の声が入所に向いている。思い出したような間隔での声ではない。途切れないのだ。 ゴミ捨てに行くと昼食の準備が始まっていた。 これもいつもと違う風景。 トントントンとまな板の上で何かを刻む音がお部屋まで響く。 入所者も寝たきりでない。 そういえば 今朝は お食事途中の人の姿もなかったなぁ~。 昼食はいりませんと断っていた。 母を連れて家に向かう時には な・なんと調理師さんも職員が入所者と同じテーブルについているではないか! ほんとに素敵な風景である。 食事への誘導の声もきちんとしていた。 比較的頭のはっきりしている方への対応などほぼ完璧。
「出かけます」と断って施設を後にした。 途中 バスターミナルでデパートに寄った。 ちょっとるんるん気分で おせちの見本の前で立ち止まり「これは レンコン。これは 伊達巻。これは海老。紅白のかまぼこも有るね」と眺めた。 「もう直ぐお正月なのよ」「ふ~ん」とつれない返事。 ケーキの棚を見ると「わわ 綺麗。。。」と興味を示す。 やはりケーキの方が彩りとしては目に付くのかぁ~。
家についた時 不安げな顔を見せた。 「ここは何処?」「分らない」と困惑した顔。 「来た事ない?」「ないよ」 「みた事ない?」「ないよ」 どうしても不安な表情は消えなかった。気配を察して娘が部屋から出てきた。(娘は今日は例の検査日でお休みである) 娘の顔を見てようやく顔が綻んだ。 3人で昼食。 母はニコニコと食べた。テーブルにみんなが揃う前から食べ始めた。 私たちの食事が済んでも母の食べ方は続いていた。 量を食べていると言うより 時間がかかっているのである。この所 食べ方が遅い。便秘気味のせいもあるかも知れない。 食後 意識して林檎をむいて食べてもらった。 それから 母に届いたクリスマスカードやプレゼントを手渡した。 少し前に届いていたが ゆっくり見て欲しくて 時間を見計らっていた。 母の目の前で封を切ってあげて 渡した。 「教会だね」とだけ母は言った。
それから礼状を書いてもらった。 でも文字を書くのもかなり苦労だった。
ようやく入浴。洗髪。気持ち良さそうだった。 頭が痒い様子でもあり「臭い?」とも聞いてきた。何か感じているのだろう。
入浴後髪を乾かし 爪切りをした。終えると「どうも有難う 綺麗になった」と喜んだ。
施設に戻るとまた賑やかである。 いつもと同じように 引継ぎの時間だ。 でも その間も入所者に対しての声がけもあった。 また いつもより短い時間で終了していた。 居室に入ると いつもならお布団だって取り入れないのに…ちゃんと取り込んであり あったかな日なのに居室には暖房も入っていた。
入所者もちゃんと起きている。。。
施設内の環境が今日のようだと入所者にとっては ワンダフルのはずである。
職員がいつもと違うパターンで動いている。 これが理想と分っているのだろう。 声がけ等は 何処まで意識しての行動か 私には理解できない。 でも食事の時の付き添いは 明らかに違う。
何故 今日はこうなのだろう。。。 何も聞かされて居ないけれど…見えるのです。 皆さんに 分るでしょうか?
私 とてもやるせない思いがしました。
利用者さん訪問 前回 風邪でお休みしてしまった事をお詫びすると「私も調子悪くて 丁度良かった」という事で少しほっとした。 「それにしては 綺麗ですね」と言うと「主人が日曜に掃除機をかけてくれました」という事だった。 いつものように活動を済ませた。 困った事があった。 ガスエアコンが不調で業者さんにお電話なさっていた時の事。 「ね ピコピコ点滅しているのは 何と言うところかしら 見てもらえます?」と言われた。 しかし かなり小さい文字で表示されていて 普段のめがねでは見えない。 急いで 別のめがねに替えた。 それでも読み取れない。 他の文字は読めるのに…点滅のところだけ読めない。 家のと比較して足りないのは電源だけだなぁ~と思いながら「電源でしょうかね」と言ってみたが どうも話が通じない様子だ。 見える感じでも「電源」ではないような気がする。 「ガスね。ガスよ」と言い聞かせて知恵を働かせる。 まさかガス源なんてもないだろうし…と思いながら お風呂のボタンを想像した。「燃焼」そうだ燃焼ならぼやけていても形が一致する。 ようやく「燃焼ですね」と伝えた。 自分の視力の衰えを感じた。 それにしても…ガス会社の方「電源」と言ったら「燃焼でしょうかね」くらいのヒント出せないかなぁ~。 10年位前の器具のようで表示文字がかなり小さかった。 今は こんなに小さくないぞ~。。。
家に戻ってから 警察署に出頭した。 「出頭」という言葉 先日娘の友人が携帯電話をなくした時「これから警察に出頭します」と娘にメールされたと聞いて使ってみたかったのだ。
私も遺失物を受け取りに出向いたのである。 落し物は 先日の母のオムツ入りバック。 警察署まで歩けば1時間近くかかる。よってバスを使った。バス代往復800円なり。勿体無いので短い距離は徒歩だったけれど…。 何事もついでの用が好きな私は 今日 話し合いが予定されてる場所が警察署の近くという事で今日の出頭日は決めていたのだけれど…。 しかし たかがオムツバックを取りに警察に出向くって変な感じ。 忘れたふりもできるんだけれど…。何となくそうできない持ったないがり屋の私である。 「何故タクシー会社の方に運んで戴かなかったのですか?」と再度聞かれた。また同じ説明。。。 つまりは 遠慮などする必要のないものだったのだろうか? でもね 「運転手さんて 露骨に嫌な顔するのよねぇ~。 それは 見たくないのよ…」とは言えなかったけれど…。
2004年12月14日(火) |
最近の母は…こんなです。。。 |
母は 今 自分のいる場所をボンヤリとしか認識出来ていないだろう。 はっきりと認識できるのは 食事の時だけかもしれない。 食べるためにテーブルに着くことだけは未だ確実にできる。
トイレは あやふやであろう。 排泄したいと思っている時は 大概出た後になっている筈である。 それでも時折繋がる回路でトイレに歩いていく。 でもトイレのドアを開けても そこが用を足すところという事までは頭が働くなっているように見える。だから ドアを開けても 中に入る事もあまりないだろう。でもトイレを探している母。 探しているうちに全部オムツに出してしまい 何のために動き出したかすら忘れてしまう。こういう事の繰り返しだろうと想像する。
それでも排泄したいと言う気持ちが有る事を尊重してあげたい。 職員に求めても無理だろうと思うから 面会の時には 時間の許す限り排泄誘導をする。
今日も「お出かけするよ」と言うととても嬉しそうに「出かけられるのね」と言った。 「その前に 便所に行こうよ」と言うと「出ないな」と言いながら「出かけるならしなくちゃね」と言った。 この関連は 理解できたようである。 便座に座って貰って暫くマッサージして 踏ん張って貰った。 「おしっこよ」というと「あそこは なかなか遠いんだよ」と言う。 「おしっこは何処に有るの?」と聞くとお腹を指し「何処から出るの?」と聞けば「ここ」と反応する。 繋がったのを確認して「おしっこを出してよ」と言うと「出ないな」と言う。幾度かこんな事を繰り返して…ようやくチョロチョロと出た。 これで終わりかなと思う。 でも実は そうではない事は これまでの出来事で分っている。 立ち上がった途端シャーと出てしまうことが度々ある。 だから その後も「おしっこよ」と繰り返した。 また幾度か繰り返していると…。 「今度は 大きいよ」と言った。 「大か?」と思って身構えたが 実はさっきよりたっぷりの排尿の波が来たのだった。「待ってよかった♪」 「凄いねぇ~ 偉いねぇ~」と言うと母はニコッとした。
排泄は殆どこんな具合である。 便座に座っていて 私が少し離れた時急に立ち上がる時がある。 立ち上がっておしっこを出してしまう。 私は トイレが認識できて居ないから尿意をもようした時 「遺憾」と立ち上がってしまうのではないのかなぁ~と思う。
施設に託している以上 母の排泄に合わせて誘導してくださいとは言い出しにくい。
「夜間 尿漏れ対応のためフラットオムツに出来ないでしょうか?」と言われたのは 大分前の事だ。 だから尿漏れパットを準備して置いてある。 けれど私の認識は夜間対応のためのものだった。 それと外出でトイレに直ぐに走れるわけでない状況になる時の対応のつもりだった。 が 最近 トレーニングパンツの減り方よりも尿漏れパットの減り方が早くなってきた。そして日中でも尿漏れパットを着用している。 そんなわけで 家にはトレーニングパンツが溜まり始めた。 「どうしたら良いのだろう?」 これから先は 役所に尿漏れパットを申請すればいいけれど…。 でもこの在庫…。 私も管理が甘かった事は否めない。 減り方が遅いと感じた時に直ぐ変更しておけば良かったのだ。 尿漏れパットは自費で購入している。 それも枚数を頭に入れて購入している。それが倍速でなくなっていき補充していく事になっていた。 それともうひとつ トイレットぺーパーの補充がない。 仕方ないので家からペーパーを運んで補充している。 一時的にティシュボックスを置いてみたけれど 変わりなかったので持ち込むことにしたのだ。 どれくらい続いているだろう。。。
今日のお出かけでおしっこのお漏らしは少しだけ。それも車の移動の時で仕方なかった。後はトイレ誘導でちゃんとトイレで排尿できている。
排泄先行で話が来てしまったけれど…。 文字認識だって衰え始めている。 今年初めは 感じも辛うじて読めた。今は直ぐに読めなくなっている。 今日 外に出た時 公園の石碑を読み始めた。 中は読めたが その後が全く読めない。「中○○○○」頭をかしげながら幾度もそう繰り返した。 「中でしょう。○でしょ。次は○でしょ。後は公 園だよね」と言うと「そうか そうか そうだ 公園って書いてある」と文字をちゃんと読んだ。 こんな風だから 母自身 忘れっぽくなっている事に気が付くのだろう。 「読めていたのに読めなくなった」と言う現実が今の母には理解できているのだろう。 「おかちゃん ごめんね 分らなくて…」と言う言葉はこの所どんどん増えて来ている。 以前は「何をそんなに謝るのか…」と思ったけれど…。 でもこの所 母の思いが少し見えてきた。 勿論 入所者との事の場合もある。それは 母の視線でよく判る。
面白い事がある。 道路で赤信号で止まっている車が有ると何故止まっているかは判らない。 横断歩道で赤信号のため渡らないでいると 何故渡らないか判らない。 目の前の車は止まっていても 右折左折車が有るので渡れないのだけれど…。そこまでは理解できない。 そのくせ歩道を歩いていて 私が他の事に気を取られて自転車が来るのに気が付かないでいると たとえ遠くであっても私の腕を引っぱり避けなさいと訴えるのだ。 何が理解できて何が理解できていないか…こういう事を通じて見えてくる。
危機意識は 有るのだ。
今日は 入所している他のご家族とのお出かけだった。 時折 同行させて戴いているご家族である。 その方のご家族の顔を覚えたようである。 一緒に行動している事を認識できていた。 だから その方たちと少し離れると「こっちよ」と目で訴えていた。
本当に不思議な感覚である。
同行なさったご家族が言った事がある。 もう ほんとに沢山食べたので 娘さんが「美味しかった?」と聞いた。 「ん そんなに美味しくなかったよ」とお返事なさった。 そりゃ 私たちの食べる分までも食べつくしたのに…。 娘さんは「いつも こうなのよ。でも友人の親もそうだと言うから…」と言われた。でも 甘いフルーツを更に食べた後 娘さんは再度「美味しかった?」と聞いた。すると「美味しかったよ」と言われた。 実は 前の「美味しかった?」の前に 娘さんが「よく入るわ…」と散々言われていたのだ。この記憶が残っているうちに「美味しかった?」とお聞きになったのだった。 勿論 後の「美味しかった?」の時には 余計な言葉は発していない。 母たちの意識は こんな風なのである。
テーブルから立ち上がる寸前「ご馳走様 お勘定お任せ…」と言ったら。。。 「あたしゃ お金なんかないよ」と入所者。 母はと言えば「有るよ」とお財布を捜し始めた。 でも お店に入る時は「私お金持ってない。。。」と言ったんだ。
へへ こんなやり取りが 時折飛び交う私たち親子。 でもいつも「お金預かっているから心配しないでね」とだけはちゃんと伝えているのですが…。
2004年12月13日(月) |
出かけられたんだろう。。。 |
利用者さん訪問。 「あれからね 大変だったの」と利用者さんは言われた。 利用者さんの足に強い浮腫みが来た事 ご家族の事等 いろいろお話なされた。お部屋にはカサブランカの鉢植えが飾ってあった。亡くなった娘さんのご主人が送って下さったそうだ。 なんやかんやと有りながら ご家族とは程よい関係が保たれているのが何よりと思う。 お掃除 お買い物 洗濯を済ませ 鉢植えの花ガラを摘んで今日の活動終了。
ご家族との関係というものは 高齢者にとって頭を抱える事が多い。 先日 ご主人を看取られた方は母よりひとつ上の方である。 先日 お買い物の折パッタリ出会った。 「主人の納骨にふるさとのお墓まで行くのです。息子は高齢だから 飛行機は無理と言っているのです。でもお嫁さんは行きましょうというのです」と言われて迷って居られた。 未だ未だお元気な奥様なので「折角お嫁さんが行きましょうって誘ってくださるのだからお出かけになられたらいかがですか?」と勧めてみた。 もにゃもにゃ。。。という言葉の後で「そうかしらね。そうですね 折角言ってくださったのですからね」と言われていた。 その後音沙汰がないのだが…今日の夕方 その方の家に明かりが付いていなかった。きっと皆さんでお出かけになられたのだろうと想像している。 私の声がけで全てが決まったとも思わないし ひょっとしたら余計な事を言ってしまったかもしれない等と思いながら ご家族で納骨できたなら それは素敵な事だと勝手に思っている。
実は他に書き止めて置きたい事がある。 私が寄らせて戴いている日記に とても気になって仕方のない所が3件有る。 どちらも介護保険利用なさって居られるので安心はしているのです。
そしていい方向に迎えばいいなあと密かに願っている。
そこに「虐待」の2文字が 見え隠れしている。 虐待なんて私には関係ない…と思う人が大半かも知れない。 その場合 暴力による虐待を連想するかもしれない。 虐待の芽は誰の心にも潜んでいると思う。
世田谷区の「気付き」で始まる一歩と言う項目があるので紹介させてもらう。 ①高齢者が食事をなかなか食べないので 介護者が無理やり口に入れる ②徘徊を防ぐため部屋に鍵をかける ③ベットから落ちないようにベットに縛り付ける ④痴呆により異食などをするので安静になる薬を多めに飲ませている ⑤失禁した事を責めたり 人前でそのことを話して高齢者に恥ずかしい思いをさせる ⑥高齢者に対して赤ちゃん語を使うなど 子供のように扱う ⑦高齢者が話しかけているのにわざと無視する ⑧失禁した場合などに下半身裸でほおって置くなど 罰を与える ⑨性的な行為を無理強いする ⑩日常生活に必要なお金を渡さない ⑪高齢者をお風呂に入れておらず異臭がする ⑫年金や貯金を本人に無断で使う ⑬水分や食事を十分に与えず 長時間空腹にさせたり 脱水症状が有ったりする ⑭部屋の中にゴミを放置するなど 酷い環境で生活させる ⑮高齢者本人にとって必要な介護・医療サービスを理由なく制限する ひとつでも当てはまる場合 専門家に相談してください だそうだ。。。
ねっ 暴力を振るうと言う項目はないですよね。 私 いくつか当てはまる事あります。 虐待って こういうところから始まるのだという事を認知して 自分を知っておく事必要が有るのだなとつくづく感じるのです。
ただ 問題はこの相談をしてどれ程の人が救われるか…というと疑問が残るのです。介護ってほんとに難しいです。 虐待する人を責めたり 止めた方が良いというのは簡単です。 いや実際は なかなか言えないものなのですが…。
介護者の混乱や疲労をどうやれば解消できるのでしょうね。 経済的な事も有ります。 こういった事をお役所的でなく掬う手段は どうすればいいのでしょう。 この所そんな事を考えて居ます。 ただ 考えるだけで何の対策も生まれて来ていないのですが…。
今日は 外出せずに家に篭っていた。 昼寝もした。
家事は 洗濯と食事作りのみ。 障子張りも気になったけれど 糊が足りない。 小麦粉で作ろうかと思ったけれど カビが来ると聞いていたのでやめた。
家にいると電話や訪問がある。 議員さんがやってきた。 「明日の議会が今年最後で 最終ラウンドです。その後どうなっていますか?」と聞いてくださった。 本来 こちらで御願いした事だから報告すべき事だったのに…。 気になりながら抜け落ちてしまってしまっていた。
慌てて 他の方に連絡。 とりあえず傍聴体制を整えた。 私は活動と重なる時間なので行けない。
夕方もう1人の議員さんからも電話が入る。 この所の役所のあり方が陳情に関した事以外でもおかしいという事だった。 私とひと悶着起した方(福祉関連の部長さん)も犠牲者だという事だった。 トップダウン方式で長たる人が走りすぎ…三位一体という事とはまた別問題という見解だった。私もそう感じていた。 市民がバカにされているのである。 いや長たる人として罪になるような事はしていない。 でも いろんな活動を積み上げて来た事は軽視している。
予算という枠の中で帳尻を合わせて 住民の意識を育てようとする気持ちはない。いや 有るんだけれど役所に都合の良い方法で育てようとしている。 おそらくますます 住民から乖離されて行きそうな雰囲気だ。 議会に関しては 着地点を見定める方向で…という事で話し合った。
いろんな行事 町おこし…これなどは有る程度行政の力が介入している。 住民は この事にどれ程気が付いているだろうか?
いろんな事 ブームも含めて 必ず仕掛ける人がいる。 その仕掛けに踊らされて肝心な事を忘れていないだろうか? せめても自分の「心」の内側をチェックしておこうと思う。
賛成も反対も同じテーブルの上の筈である。 それが言い出せような世の中になって行きそうで…それが怖い。 あれれ ちょっと役所の事から離れすぎてしまったなぁ~。
篭っていて 頭が回らないという事で 今日はご勘弁ください。
責任を持って対処してくださる議員さんたち…。 こういう議員さん 多くはない。 票に繋がるとは限らないのに…ここまで取り組んで下さることに頭が下がる。
母の所に行くとホールには1人フラッと室内歩行をしている方だけだった。 あれれ 母も寝てしまったかな?
居室に入るとシューズに付いたゴミを取っていた。 先日 取りかけて上げたのだがガムーテープを使った方が取りやすいようなので止めていたのだが…。母も何となく嫌だったのだろう。 こういう時 家にいれば直ぐにテープや作業しやすいものを出してあげるし言葉も交わせるのだけれど…。 ま他の人のように寝ていないから 良かったとする。
職員の目の届かない所での転倒等も有るのだろう 午前も午後も横になっている人が多い。 元気な人も誰も居ないと 居室に篭って寝てしまい昼夜逆転してしまう。 勿論 疲れも有ると思うけれど…何か起きていて楽しい事できないのかな?
今日は家を出る時 模造紙でツリーを作り 後はシール形態の折紙に○を書いた。細長い線状に切ったシール折紙も。。。そしてはさみも…。 8つのツリーに シール折紙を切り 貼り付けて各部屋のドアに貼り付ければ良いかな…と思った。 おそらく もう少し高度のツリーでも作れる筈だ。 ただ 母のレベルを考えるとこの程度が無理のないところである。
ホーム内は 確かにモールやらリースやらの出来合いの飾りはある。 でも何か違う。 やはり入所者が作り上げた物が 有った方が優しい感じがする。 全て受身に入ってしまう入所者。 確かに痴呆だから対処が難しいとは思う。 実際やれない人もいると思うけれど同じテーブルに着く位はできるだろう。
少しの時間で母に付きっ切りで丸を切ってもらい 貼り付けてもらった。 ただそれだけの作業でも母の目の色は変わる。 何かをしているという意識ははっきりしている。 動作一つ一つの説明が必要で 同じ作業であってもそのつど説明しなければ手間はかかるのだけれど…。 「手本になれば…」と職員に託した。 材料費なんて全部で百円にも満たないので有る。
職員の忙しさも理解するけれど…でももう少し工夫があって良いのでは…といつも思ってしまう。
施設は事故責任と隣りあわせではある。 安全第一になってくる。 なかなか 苦しい判断では有ると思うけれど…もう少し ほんのちょっとだけでも 入所者の生きがいにシフト出来ないだろうか?
排泄に関してもそうである。 施設にこれを望むのは 贅沢だろうか? 基本的な生活習慣を守ってあげられる人員配置…。
有る本に寄れば 職員の人数の問題ではなく 配慮や工夫だと書いてあったけれど…。 風邪をうつしてはいけないと面会時間をセーブした状態になると 出来ない事が増えて…ついつい 足りない所に目が行ってしまう。
今日は 声が戻ってきました。 朝 TBSラジオの土曜ワイドを聞いていたら…。 永六輔が「昨日よりはまし…」と言ってしゃがれた声を出していたけれど あんな調子。永氏 昨日は声が出なかったらしい。これも同じ。。。
2004年12月10日(金) |
くしゃみまでハスキーだぁ~ |
今朝 起き抜けに夫に「おはよう♪」と言ったが 声が出なかった。 「ふざけているのか?」と言われる程。。。 「大丈夫か?」でないのが哀しくも有るけれど どうにもふざけているような感じのする声になっているので仕方ない。。。
利用者さん訪問は迷った末に マスクをして訪問した。 先日の長いお話の後で 少し心配だった。 それに外出も控えられているように感じたので 外に連れ出す必要があった。
「風邪ひいて声が出ないのですが…それでも良いですか?」と入り口でお聞きした。 利用者さんは「私はぴんぴんだから 大丈夫よ」という事で活動する事に。
実は娘が休暇をとっていて 車で送ってくれた。 暫く外で待って戻ってこなかったら 家に戻る手筈になっていた。
先日の続きの話が有った。 やはり少し意固地になりかけている。 「慌てないで 結論直ぐに出さないで…」という事だけ再度伝えた。 声が出ないのでそれ以上話せなかった。 お買い物が有るというので同行。 昨日 冬用の古いパンツを処理したので 買い足したいという事だった。 デパートのお出かけ用のものでなく 普段用が希望だったのでスーパーへ。 希望の色を伺い 生地の感触やデザインの好みを探って2.3点示すと 試着ルームへ。サイズもぴったりという事で2本買い求められた。
足取りも少し重い感じ。「寒くなったので筋肉硬くなってしまうから 少しほぐすようにした方が良いですね」と伝えた。
戻ってゴミを纏めて 活動終了。
家に戻り 娘を送り出す。 娘は仙台にお出かけ。ついでの用を頼んだ。
その後 グループホームのクリマス会の献立を練り直し。 みんなで食べる工夫。 献立を再考しながら いろいろ考えさせられた。 母は制限なく食べられるけれど…。 嚥下障害に対しての配慮である。 未だ酷い人は居ないのだから 今にうちに工夫すればいいと思うのだが…。 職員も忙しいのだろうけれど。 訪問歯科医も来ているのだから 何とか指導できないのか? 他人事ながら 気になる。
夕食後 浴室を使って障子の張替えをした。 一気に仕上げるという無理はせず 今日は2枚にとどめた。
明日の利用者さんは 免疫の抗体が未だよくなってないので「動けますがどうしたらよいですか?」と電話で伺った。 「ゆっくり 休んでください」と言っていただいた。 だから 明日は残りの障子を仕上げようと思う。
暖房は入れてないけれど 日が入って暖かな部屋から寒い部屋に移動するとくしゃみがでる。 このくしゃみ とってもハスキー。 ここまでハスキーなくしゃみって初体験かも。。。
サブッ! 夏の暑さかと思えば 今度は急激な冷え込みだ。 体調 崩れて当たり前か?
油断もあったと思うが うがい手洗い励行ビタミンC補給と気配りしていたのだが 喉や鼻が朝夕苦しくなって医師から処方して戴いた風邪薬を服用始めていた。酷くなってしまってからでは 動けなくなるから。
朝は何とかなった。 リハに間に合うように家をでた。 今日の母は 笑ってばかり。テーブルに座ってテレビを見て「あはは」と笑っている。でもおかしな場面ではない。「人がいる」と笑っているのである。私が傍に行くと「ここにも人が…」と笑った。 周囲から見ると何もおかしくない。母の中だけでおかしいので有る。 でもつられてみんな笑っていた。 泣くより 良いか…。(子としては非常に微妙なのだけれど)
トイレ誘導。 急いで排尿させ リハの準備。
いつものように血圧を測るけれど 最近の母は血圧を測る事すら記憶にない。だからキュウッとベルトが締まると「へん?」と感じて腕を動かしてしまう。勿論「血圧測るよ」と言っても「はい」とは言うけれど…。 意味はどの程度分っているか?瞬間わかって瞬間で忘れてしまうような感じと言ったら良いのだろうか? それでも測定後はうつらうつらしていた。 腰の筋肉が硬くなっているという事で揉んで戴く。揉み解した後は 大分よくなったようである。
リハ後 通院。 午前の診療に間に合うように タクシーですっ飛んだ。 気をつけたつもりで 降車の時も運転手さんも後ろを向いてシート確認していたのは気が付いた。が 母のバックを忘れてしまった。 母のバックには オムツが入っているのだ。 拾った人だって「え~っ」って感じだろう。。。 診療も無事終了。 医師に御願いして 年末年始のために風邪薬を処方してもらった。
それからバスに乗って我が家に向かった。 家で遅めの昼食。食べるのは少しゆっくりだけれど完食。 デザートの林檎とフルーツケーキも食べた。もちお茶も沢山飲んだ。
休息後 入浴。 その前にトイレ誘導。トイレのスリッパを奥の方に下げていたら…。 「あははっ 子供が寝ている」とスリッパをさして言う。 こういう話は 実際その場に居ないとなかなか判らない。ちょっとでも離れていると聞き漏らしてしまう。どうして笑ったか 何を笑ったかが分らなくなってしまう。
トイレで大を踏ん張ってもらったけれど…。 踏ん張る事も忘れかけている。 幾度もゼスチャーで訴えるけれど 笑うだけで息まないのだ。 確実に肛門には排泄物が有るのに…。 おそらく水分の不足と運動不足だろう。 薬に頼る方法も有るけれど 母の場合はかなり難しい。 久しぶりに油に手伝ってもらい 何とか排泄できた。 う~ん。。。排泄も少しちゃんと出来るように刺激しないと…。
お風呂は気持ちよいらしく「有難う」を連発。 こういう時は 話せるのである。 感謝の気持ちを言えるだけ良いと考えるしかないなぁ~。
夕方 施設に向かった。 施設に付く頃より いよいよ私の声が枯れはじめて…ハスキーを通り越して声がでなくなってしまった。 母に着替えて貰い コタツに入れて 早々に施設を後にした。
家に戻って 来客や宅配 クリーニング屋さんが来たけれど もうインターホン越しにも声での応答ができない。。。 笑われたり 同情されたり…だった。
タクシー会社にも電話した。 今回は通院だったので領収書を貰っていたので 車体ナンバーが記録されてあり助かった。でも肝心の声がでなくてタクシー会社の人から「いたずら電話」と間違われそうになった。 「すみません。風邪で声がでないのです。お聞き苦しいでしょうけれどお許しください」と声を絞って伝えた。 無線で問い合わせてくれて無事見つかった。 タクシー会社が地元でないので 交番に届けておいてくださいと御願いした。このご時世 ワザワザ自宅まで届けてもらったら申し訳ないから…。 しかしなぁ~ うっかりミスが多いなぁ~
2004年12月08日(水) |
自己満足のための介護? |
利用者さん訪問 お掃除お任せ日となり 拭き掃除を中心に取り組んだ。
先週辺りから 何となく風邪っぽかった。 今日の活動で免疫性のない利用者さんに風邪をうつしてしまったらどうしようと思ったけれど マスクで対応。
しかし 家に戻ると倦怠感があり 母の所に出かけるのを取りやめにした。 おとといあたりは母もお散歩に連れ出して戴けた様子だったので無理しない事にした。
ついでに溜まっていた種類の整理をした。 整理してみると「良くぞこんなに…」と思うほどの書類がある。 大切な物は振り分けて有るけれど それでも微妙な物もあり注意深く処理した。探し物も見つかった。 振り分けた筈のものが 他の書類に紛れ込んでしまっていたのだ。 介護関連が多く どっちにも関るような書類が迷い込みやすい。 頭の働きも鈍り 忙しさもあり「ちょっと後で…」がこういう迷子を起す。
12月もなんやかんやと予定で埋まっていく。 お掃除の時間が何時取れるのだろう。。。 未だ庭木だって途中である。 あ~どうしよう。。。
母の事もある。通院(内科・耳鼻科・歯科)と美容院だな。
そう 数日前 申し込んで有る特養から電話が入っていた。 一応 継続して申し込んで有るのだが…。 電話をしてみると「状況確認」だった。 現在グループホーム入所で有るので移行時の事が気になり聞いてみた。 GHから特養への移行は直行できるとの事だった。
母もかなり重いほうだけれど 更に重い方が居られる。介護環境も未だよい方だ。金銭的にもまだ切迫していない方だろう。 重い方優先になっているので 母の場合は未だだろうと思って聞いて見ると「そうですね」と言う返答だった。
入所できるようにする事もできる。 でも そうまでする必要もないだろうと思っている。
介護困難度の高い方から順に入所できる体制が出来つつある事は 有る意味安心できる。
ちょっと迷路に入り込んでいる。 先日 看取りが終わった方がしみじみと「これをしなくちゃ あれをしなくちゃ…とあれこれやったけれど それが果たして痴呆進行の歯止めとなってていたのだろうか…」と言われた。 「今の取り組みが 無駄なのか?」と言う思いである。 自己満足のための対処という事になる。勿論 それを否定しないけれど…。 自己満足のためだけでは ないと信じるけれど…。 私も母を看取ってそんな気持ちになるのだろうか? 満足のためだけに介護しているのだろうか? 少し虚しさに襲われてもいる。
午前中母の所に向かった。 2日面会していない。午後は家族会なので長い時間は無理だけれど会って置きたかった。 母はテーブルに着いていた。 「おはよう」と挨拶して居室に入った。 ロッカーの整理をしていると母もやってきた。 トイレに誘導してパンツの取替え。 手を洗うように言うと手を洗った後 鏡に向かって頭を梳かした。 この所見られなかった行動。いや 言えば梳かすけれど自分から進んでとなると難しかったのだ。 ちょっと良い気分になった。
その後ロッカーから出した衣類を見て「まぁまぁ~」と畳み始めた。 その間に職員の所に走ったり汚れたパンツの処理に走り回っていたら「あっち飛びこっち飛び忙しいね。洋服はとっ散らかして…」と笑っていた。 それだけ見えれば言い調子だよねと思った。
私のコートまで丁寧に畳みだしたので母に任せて ホールのお掃除もついでにやった。そのあたりで昼食の時間となったのでホールに誘導。 その間に 22日のクリスマス会の献立について職員と話し合った。 クリスマスのお食事は例年家族がお手伝いしている。 献立を聞かれたので「少し考えます」とお返事して 他のご家族と相談していた。今朝ご家族からファクシミリが届いていた。 それを持って 最終の仕上がり日の確認をしたのだった。 入所者の手伝える仕事 前日までの準備なども話し合った。 刻み食も出来れば目立たない工夫をしたいねとも話し合った。 そこにファクシミリをくれたご家族が見えて 更に細かく話し合った。 ギリギリまで話し合った後 家族の会に向かった。昼食抜き。
職員と話している間にひとつ御願いをした。 「母を在宅に戻したいとは願っているけれど ここ数年ショートやデイを利用してないので出来ればグループホームの空き(入院等で)の有る時 ショートと言う形で利用させて貰えないだろうか…」と言う御願いである。 制度上無理な事は充分承知している。 でも老健などでは 入所と言う形でのミドルステイが可能なので有る。 いやむしる積極的に受け容れているところすらある。 母もそういう形での短期ショートをした。こちらが申し出なくとも施設側から「いかがですか?」と聞いてくれたからである。 空きを作ると経営上難しいのでベット埋めて置きたい施設側の事情も有るのだ。そういう抜け道がグループホームではできないだろうか若しくは考えてもらえないだろうかと。
こちらの希望を伝えて急がないから…とも伝えた。
後は役所へ御願いしてみようと思っている。後ろからもアプローチは必要と思うから。 これが整備されると助かる人も多いと思う。私だけの問題ではないのだ。
午後家族会に行く。 いろんなお話が出た。保健所の保健士さんも連絡無しに顔を出してくださった。次回は寝たきりになった場合の排泄の処理の仕方を実践指導会である。 これは 参加者の1人が話されて「説明だけでは理解できないのでやってみましょう」という事になった。
家に戻って パソコン教室の事後処理をした。 報告書を送信した。これからお金の処理が始まる。 動けば後処理は付き物である。。。
再度娘の話し。 今日 別の病院で受診。 「痛みは 直りませんよ」と言われ 薄笑いを浮かべられた娘の悔しさ。 今回は 別の病院で診察。 結果は 私の想像と同じだった。娘も納得した。 今回の医師は 「どうして肋間神経痛」なんていうのでしょうね。ありえないですよ」と言ったらしい。 「むむっ!あの医師に聞かせたい!」と娘。 心配の有るものでないが これから再度細かく調べて対応してくださるそうである。良かった。
利用者さん訪問。 今日は 長い長いお話を伺った。2時間話しっぱなし…だった。 何処にも吐き出せなかったのだろう。
主にご家族の事である。
高齢者の悩みは 若い世代にとってつまらぬ事であり また毎日の生活が優先されて後廻しにされてしまう。 でも高齢者は直ぐに解決したいのである。 おそらく根底には この先長くはないかも…という思いが有るのだと思う。
「眠れなかった」という言葉を聞いて「感情が先行しているんだな」と感じた。ここはじっくりお聞きしようと思った。 話されて1時間経過した頃「ご家族もお忙しいのでしょう。年末で気がせいているのでしょうね。それに娘さんを嫁がせて空虚な思いも有るんでしょうね。それに定年後の事…ほんとにご苦労さんな時ですね」と始めて言葉をお掛けした。すると「あ~そういえば…そうですね」と。 「そんな思いをしているのに お嫁さんと孫は悪口ばかり…」と続けられた。「ふふ 私も娘と夫の事愚痴っているんですぅ~」と伝えると「そうだわね。私も娘とよく言ってたわ」と。 ここらまで来ると 冷静さを取り戻された。 「いいご家族ですよね。お母様に本音でお話できるなんて…」と言うと「そうよね。娘とだってうまく行かなくて…と言うよりお婿さんさえ居なかったら…という高齢者の話聞きますから…」と。
気持ちがほぐれ始めたのを機に鉢植えの水遣り トイレの掃除 ゴミ処理等の作業を始めると…「そうだったわ お風呂のチェックして頂戴」と本来のお役目を仰せつかった。 「ちゃんと出来ていて合格です」と言うとニッコリ。 「忘れっぽくてね」と言われたので 私の恥をご披露した。 腕時計を二つもかけて外出した事。母に言われるまで全く気が付かなかった事。そしてケーキを焼いて 夫に食べさせたら「甘くないよ」と言われて初めて砂糖を入れ忘れた事に気が付いた事等々。 利用者さん 声を上げて「あははは」と声高く笑われて「そういえば シャツも裏返しだったこともあったわね」と言われてしまった。
「貴方でも有るんだから 安心だわ」と。 私…もっと注意深く生活しなくちゃね。呆けるには少し早すぎるもの…。
早朝 凄い突風が吹き また家がグラッと揺れる。 布団の中で目覚めて眠さ半分で身体まで揺れていた。 在宅介護中の母のトイレ誘導の時の揺れと同じだなぁ~と思いながらうつらうつらとしていた。 目覚めて雨戸を開けると… まぁまぁ 赤 黄の落ち葉が濡れた道路に張り付いてまるで模様のみたいだった。 玄関に回ると車庫には落ち葉がまた山のよう。。。 家の落ち葉じゃないけれど…しようがないよね。 直ぐに箒ではいた。 ご近所さんが「凄かったですね」と。。。 ご近所さんは早起きだからいいけれど…別の方は少しお寝坊さん。 音を立てないようにそーっとはいた。 道の方も掃き出すと さっきのご近所さんが出てきて「道路が乾いてからの方が…」と言われた。 でも今日はお出かけの日なので「出来る所まで やっておきます」と返事。 スーパーの袋2つ分を纏めて切り上げた。
昨日 娘が「お母さんは よく動くねぇ~。自分がその年になって動けないと思うよ」と言っていた。 でも 母だってこの年齢の時は仕事をしていたので 私が特別という事は無いと思うと娘に伝えた。
問題は何時頃だろう。。。とふと思った。
仕事を辞めた母が「生涯教育が必要だから 役所の教室に申し込んだら年齢が足りないと言われた」と言っていた事を思い出した。 60歳ちょっとの頃は まだまだ 意欲的だったのだ。 コーラスのサークルに入ったりもしていた。 ただ 仕事をしていたという事とご近所でのお茶のみが苦手では有った。 それでも出来る限り…と心がけてコーラスで知り合った方に編み物を教えたりしながら助けあっていたように思う。 ただ体調の変動で 意欲をなくす事も度々有った。 父の介護と重なる時期である。
もう誰かに頼って過ごしたい…と思い始めた時期が65歳以降だろうと想像している。この辺りから感情の揺れが大きくなる事が増えた。 70少し前から 電話でのフォローが始まっていた。 愚痴の聞き役である。 電話を度々間違えるようになったあたりで少し怪しげだったのだろう。 鍋を焦がした…という事も重なり その度に落ち込んで行くのが見えてきた。そうだ…1人で我が家に来る時も電車の乗換えが分らないからターミナル駅まで迎えに来て…と言い出したのもこの頃か? 最終の一人旅は…この70を挟んだ頃までだろう。
お中元 お歳暮などの品を私に任せだしたのは それ以降かな?
う~ん。この70を挟んだ頃が 過渡期だなぁ~。 この頃から 始まっていたんだなぁ~。 普通の生活はできていたけれど…。
やはり 痴呆が始まって15年くらいは経過しているんだな。 病と診断されて13年…。 この誤差2~3年の間はちょっと呆けつつあったのだな。
入眠剤使用とも重なる時期である。
呆けてしまう事をおそれつつ その対策も多少は気に留めながらいた母だからこんなにゆっくりとしていたのかな?
重要なのは きっと呆け始めの時だろう。 多少の間違いが起きても気持ちが落ち込むような時があっても臆せず社会と繋がり続ける事がキーポイントなのだろう。
老いて行く先の事は 何とも言えないし痴呆にならないという保障はない。 母が教えてくれた病…。 自分はどう老いて行くべきか…を学ばせて貰おう。。。 気張ることなく…だろうなぁ~。
どんな病にも始まりはある。 ガンだって 痴呆だって…成人病には違いないだろう。
利用者さん訪問。 今日もサッシ戸のお掃除。。 おしゃべりしない分 前回より倍の作業が出来た。 「歯ブラシと爪楊枝と雑巾でこんなに綺麗になるのね。いろいろお掃除用品が発明されるけれど…きっと 男の人の考える発明なのよね」と利用者さん。今日は 洗剤も使わない。 油が飛んでこない所なので それで充分だった。
活動を終えて家に戻り チャッと着替えて友人の勤務する施設へ向かった。 電車で一時間ほどの所である。 今日は施設の作品展である。 織物や陶芸 縫い物等を売ってくれる。 邪心がない分 心打つものがある。 特にマジックで描いた絵が好きなのだけれど…それがこの所少ない。 次に陶芸。これも本当に優しい作品が多い。 作品が心なし少なく感じた。 助成費削減で こういう所にもしわ寄せが出ているのだろう。 また入所者の年齢も高くなっていると聞いている。 障害者の施設である。
トンボ帰りで家に戻り 遅い昼食を摂って母の所に向かった。 来週も忙しくなりそうなので 行ける時に出かけておかないと…それにお天気も崩れそうだし…。
母はテーブルに突っ伏していたが私の顔を見るとニコニコと居室に入ってきた。ちょこっとお茶を飲んでもらいトイレに入った。 私が腕まくりすると母が「二つも…」と言った。 視線を追うと私の腕だった。 またやってしまった! 腕時計を二つかけていたのである。 活動に行く時は普段使いの時計。友人の施設には お出かけ用の時計をしていた。 そこまではちゃんと出来たのに…。母の所に行く時に上着を着てから更に普段使いの時計をかけたのだった。 全くドジ連続だ。
支度して散歩に出た。 少し腹痛気味の気配があったので「○ちゃん が~んばれ がんばろう」と繰り返し声賭けしていると 母は右腕をエイエイオー♪式にあげた。 言葉からリズムを取って 取り入れるのがほんとにうまい母である。 おかげで腹痛も飛んで行ってってしまったようである。 この数日は母の足取りが軽い。良い調子のようでほっとする。 お散歩の途中 数珠の実を見つけた。でも人家の垣根だ。3粒位なら…と失敬していたら おうちの人がニコニコ出ていらした。 「すみません。少し戴きました」と言うと「充分取った後だから好きなだけどうぞ」と言われた。 「数珠の実を育てたいのです。日陰でも言いですかね」とお聞きしたら「大丈夫」という事だった。 以前蒔いてみたがうまく育たなかった。 今度は大丈夫かな? 母も数珠の実には興味を示しニコニコしていた。 「うまく育ったら 報告に来ます」と言うと「楽しみにしています」と言われた。
利用者さん訪問 月曜日にお休みさせて貰ったので 迷惑をお掛けしたお詫びにいつもより早めに伺った。 利用者さんは 新聞を広げていらした。 「今日はね。ホラ チラシに載っている目玉商品をお買い物しようと思って…」と言われた。 見ると買いたいものに丸印が付いていた。「凄いなぁ 私なんてチラシを見る事はあってもそれを目当てにお買い物に出かける事はないなぁ~」と感動した。
メモを取って 直ぐ買い物に出た。 ところが「目玉商品」なるものが あったりなかったりだった。 「?」と思いつつ店員さんを探して聞いてみた。 すると「これは明日の商品です」と言う。 「チラシは明日からの分だったのですか?」と更に聞き出し始めて「ハッ」とした。
私も言われた所のみメモを取ってしまったけれど…。 セール中に安い物と日替わり商品があったのだ。 いやはや 参ってしまった。もっとしっかりしなければ…。
おそらく私がお買い物をしないお店なので チラシの読み取りが出来なかったんだなぁ~。それだけ判断力が落ちているという事なんだろうなぁ~。 ガックシ!
それでもお目当ての商品は有って お買い物できたのが幸いだった。 利用者さん宅に戻ってチラシを再度読んで 明日の目玉商品 月曜の目玉商品のメモを取り利用者さんに分るようにした。
でも今日買った安い商品 実は明日の目玉だったものもあった。 こういう所が ちと おかしい。 言い訳かなぁ~。 日替わり商品とひと目で分るようなチラシじゃなかったなぁ~。
家に戻って 木に上り剪定作業をした。 明日からお天気は下り坂と言うので 今日出きる所までやっておいた方が良さそうと思ったからだ。 雨の度に気温が下がる季節だし もう12月だから…。
北側は終了した。 山椒はトゲがあっていやだったけれど…仕方ないね。 春先に若芽を摘見やすく手前を短く刈った。 45リットルの袋3個分が今日の剪定である。
その後 畑に出向いた。 カリフラワーが立派に成長。収穫した。垣根なし顔ほどの大きさである。 ヤーコーンも抜いた。 施設のみんなで蒔いた種は 未だ芽が小さかった。これじゃ まだ楽しめないなぁ~。ちょっとシートをかけて見ようかな。 少し 種まきが遅かったみたいだな。
スナップエンドウのつるが伸びていた。2個ほど花も咲いていた。 腰よりちょっと高い。つるを誘引した。 夫に頼んだ支え棒…進展しないまま2週間も経過したので それも立てた。 青梗菜が 所々 虫に食われていた。大きいのを抜いて収穫。
日が暮れかかったので 急いで家に戻った。
2004年12月02日(木) |
帰り道は遠かった♪来た時よりも遠かった♪ |
今日はリハビリの日。 急いで家を出た。何だか疲れ気味で…というか夜の時間が長いせいだろうか…朝目覚めてもスカッと起きられないのでモタモタしてしまう。
療法士さんよりは 早く着いたが 職員とあれこれ話していたら これまた遅くなってしまって…。トイレ誘導中の訪問だった。 いつもならトイレのドアを開け放っているのだけれど そうも行かなくて慌ててしめた。 療法士さんも遠慮深くて居室の外で待とうとなさったので「どうぞ」と声をかけて中に入って貰った。
夏の間 足のむくみが気になっていたけれど この所浮腫みは大分良い。 やはり夏は汗の影響も無視できないようである。 冬に浮腫んだら心臓が悪い 腎機能が悪い…と考えるべきでしょうねと言われた。
母は快調で深く眠る事もなくリハを終えた。
お布団を干して 外に出た。 今日は2案あって どちらに行くか絞りきれていなかった。 1案は バス便の良い庭園 2案は 交通手段が悪い美術館の有る公園。 どちらも1時間以内のコースだ。 バスが来たら 1案。タクシーが来たら2案。と決めていた。 バス停に立っていたら 珍しくタクシーが通った。 これで決まり。美術館へ。。。
ところが美術館は9日まで お休みだった。が~ん!! 事前にチェックしなかった自分が悪い。。。
交通の便が悪い所でそこからの移動も難しい。タクシーはもう居ない。。 仕方ないので隣り合わせている公園を歩いて移動。 これが 最高だった。 ひょっとしたら美術館を見るより母にとっては良かったと思う。 ♪にしき 織り成す…♪そのものだった。 赤いもみじは花と間違えるほどだった。 日の当たる所は赤くなっていたりしているのも有った。 お日様もやわらかくて 葉のない木立から漏れるお日様…。 足元は枯葉のじゅうたん。 蹴上げるとハラハラと枯れ葉が舞う。
母は「きれい」とため息の連続。 久々に活き活きとした母の表情に出会った。 「楽しいよ 綺麗だよ」と。。。 勿論私自身も 秋の景色を堪能して気分が良い。その上 母の笑顔だもの…。かなり歩いたけれど「疲れた」とは言わなかった。 公園の端まで来たら レストランがあった。 味はともあれ お腹も満たしておかないと…。 ゆったりとしたスペースでのお食事。 トイレも身障者用が有って良かった。
とここまで申し分なかったのだけれど…。 それからの足取りは 重かった。 もう 景色を楽しめる所などない。車道脇の歩道をエッチラオッチラ歩く。 振り返りながら「タクシー来てよ」と祈るのみ。 母の足も重くなり辛そうで有る。 「大丈夫?歩ける?」の繰り返し…。
公衆電話を探しても 見つからない。コンビニもない。 携帯電話は持たない主義が恨めしく思えた。
母がエンストしたら どうしよう。。。 道路をパトカーが通過。でもね パトカーに助けを求める訳にも行かないしねぇ~。
大きな通りまで出て暫く歩いていたら 個タクが来た。 ようやくタクシーに乗れた。 施設に向かおうと地名を告げたけれど 直ぐ言いなおして我が家へ。
家に着いて直ぐ横になって貰った。 10分ほど眠っただろう。その間に洗濯物を取り入れお風呂を沸かした。 その後入浴洗髪。
私自身の気持ちが充分満たされた。 母はどうだったろう。。。
施設に送り届けた。 母は「おかちゃん」とは言わなかった。 きっと秋の陽射しをいっぱい吸収して 心地良くなっているんだろう。 お布団を干していた。陽も落ちつつある。 慌ててベランダから取り込んだ。
あ~もう師走かぁ~。。。。 何だか言い訳の多い月になりそうだ。終わりよければ全て良しと言うから今月は頑張ろう。。。
利用者さん訪問 今日はサッシ戸の掃除を頼まれた。 「活動後役所に出向く予定があるので時間通りに終わりたい」と伝えた。 掃除をするに当たり「スチームクリーナー」を使った方が良いかと聞かれた。家にも有る事はご存知なのでそちらの方が楽に綺麗になるのでは…という配慮だった。でも器具を出すのも少し時間がかかるので「手作業させてください」と御願いした。 お掃除の仕方など習った事もなく 家でやるようにやっていたらいたく感動されてしまった。我が家のサッシ戸は放りだして有るので綺麗ではないけれど 掃除をするとなったらサッシ枠もレールも溝もブラシをかけながら磨く。その手順でやっただけなのに…。 時間が来て 作業の続きは次回にという事になった。
家に戻って役所に向かった。 役所で 少し話しこみ家に戻った。
それから母の所に向かった。 母は「なんだい今頃…」と言われた。きっと今起きてきたと思ったのだろう。そう私はここに住んでいるという感覚なのである。 「へへへ」と笑って居室に入った。 あれこれ片付けて折紙で作った葉を壁からはがしておでことホッペとあごに貼り付けた。母がケラケラ笑ったのでついでにホールにいる人に挨拶に出た。入所者からも笑われた。職員に見つかりクスッと笑われてしまった。 母にはトマトと林檎を食べてもらった。昨日の様子から便秘気味と思ったからだ。 食べ終えてから外にお散歩に出た。 これもいつも通りである。母の足取りも軽く調子良かった。 母の興味は行き交う人の姿だったり水鳥だったり。。。 言葉に出すのは 人の姿が見えると遠くでも挨拶する。 知らない人にも…だ。今日も訝しがられた。私は苦笑いしながら御辞儀を返した。危ないと思ったときには「知っている人?」と先に聞く。 すると「知らない人」と母は言う。 そこまで言うと挨拶は避けられる。何処かで分っているんだよね。
散歩を終えて施設近くに戻った時母が何か言った・「…たくない」と。 「エッ!」と聞き返すと散歩の終えた風景を見ながら「歩いた事忘れたくない」とはっきりと言った。 そんなに大切な言葉に 驚いてしまって言葉を返せなかった。 こういう瞬間にうまく対応出来ない。。。
|