スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
今日は 大変なことが起こりました。
娘は中学で剣道部に入り、この夏休みも毎日練習に頑張っていました。
今月の初め頃から、右の手首が腫れて痛みもあり
心配していましたが、昨日、やはり練習中に
左足の小指を相手にぶつけたとかで痛みもあったので
今日は救急病院へ行って診てもらいました。
レントゲンを撮ってもらったところ
心配していた右の手首は打撲で、骨には異常はありませんでしたが
昨日の 左足の小指が骨折していたのです。
すり足をして 対戦していた相手の足とぶっつけたそうです。
腫れて色も変わっていましたが まさか骨が折れていたとは
思いもよりませんでした。
月曜日からは 2学期が始まるのに 今怪我をしては
学校での生活は大変なことになると思います。
若い分、折れたところは 早く元に戻ると思いますが
完治する一ヶ月は不自由な生活になるでしょう。
9月14日の 運動会も出来なくなりました。
部活も少し休んで、早く完治して欲しいと思います。
今日は 骨折り損でした。
今日は 本当に嬉しかったことがありました。
それは 以前にこの日記にも書きましたが、
娘が食べたいのに 売ってなくて、近くのスパーマーケット
は 全部探しても無くて、松山まで探しに行っても 無くて
今年はもう食べられないと 諦めていた 塩味のカップ焼きソバ
「俺の塩」を見つけて、わざわざ買ってきてくれたのです。
私がここに書いたのを見てくれて、それを覚えていてくれたこと
だけでも、嬉しいのにわざわざ 買ってここまで持って来てくれた
その彼女の気持が 本当に嬉しかったです。
そして、それにもまして嬉しかったことは 「わざわざ買って来てあげまし
た。」とは言わず、「そんなに美味しいのなら 私も食べてみたくて買っ
たので。」と、私に気持の負担をかけまいと気遣いしてくれたことです。
人に恩義せる気持ではなく さりげなく言っているのが 分かるので
余計に彼女の心が こちらへ伝わってきました。
私が代金を払おうとすると それさえも「絵手紙の切手代」と言って
取ってくれませんでした。
私は お金にかえることの出来ない 大切な心を一緒に貰った気分です。
さりげない心遣い、さりげない優しさ・・・これらは 人が人として
生きていく時に 根本的に大切なことだと 思います。
まだ若いのにそれが備わっているのには 驚きました。
去年お母さんを亡くされたのですが きっと彼女のお母さんは
ステキな人だったのだと思います。
彼女を見るだけで ステキな子育てをされたお母さんだった
のだと 思います。
私は、娘が彼女のような人になってくれたら良いなあと思います。
本当に今日は心温まる 嬉しい日でした。
今日は 娘が 初めてお昼を作りました。
中一ですから 本来なら 自分が作るのは当たり前のことかもしれませんが
娘は 家のことを何しないし 何でも私がすることが
当たり前になっているので 私としては とても 嬉しかったです。
お昼前に 一緒にスーパーへ買い物に行き 娘が 「塩味の焼きソバ」を
作りたいと言うので ちょっと心配でしたが 作らせることにしました。
学校では家庭科の調理実習で 作っているのは知っていましたが
家で 実際に作るのは 初めてでした。
キャベツとにんじんと玉葱を切って炒め ソバを入れて一緒に炒め
味は あっさりと塩味にするとかで 塩とコショウとコンソメ顆粒で
味付けをしました。
試食しながら 作っていましたが 出来上がって 私も少し食べてみたら
インスタントのカップ焼きソバよりも 娘が作った今日の焼きソバの方が
数段美味しかったです。
これで 後片付けもキチンとしてくれると 完璧なのですが
やはり 使ったものの片付けは私がしました。
今度は 夕ご飯に 夫と私と3人分の焼きソバを
作って欲しいと思っています。
一つ成長したかな?と思います。
今日は、母とデパートの健康食品フェアーに行きました。
いつも飲んでいる「陽命源」と「もろみ酢」と 「黒の練りゴマ」を
買って帰りました。
母は そのほかに 「プロポリス」と「レシチン」と「コラーゲン」も
買いました。
健康は 自分の宝です。
そして、自分の健康は自分で守らないとけません。
例えば いくら 美味しいものを食べたくても ステキな服を着たくても
どこかへ 旅行に行きたくても 病気で ベッドに寝ていては
何もできません。
だから、 自分の身体に投資することは 他のものを買ったりするよりも
価値のあることだと 思います。
母は今年81歳ですが 自分の健康には とても気をつけているので
年の割には 元気だと思います。
健康は それを失って初めて 大切なものであると気づくことが
多いようですが その時では 遅いこともあります。
普段から 自分の健康には 十分注意して 毎日を無事に過ごすことが
できるようにしていたいと思います。
家庭の主婦は 少しでも安いお買い得品を求めて 買い物に行きます。
私も 朝、必ず 新聞の折込広告を見ては 今日は何処の何が安いかを
チェックして買いに行きます。
その特売で 一番人が多く集まるのは 冷凍食品の半額セールです。
今日は 家の近くのスーパーで その冷凍食品の半額セ-ルをしていまし
た。
私は 冷蔵庫や冷凍庫が 空いているのが 好きで 最近は空いていたの
ですが 今日行って買って帰ったので 又 一杯になりました。
冷凍食品は 数社から よく似たものが出ています。
メーカーは 毎日味がよくて 消費者に喜ばれるものを研究しているそうで
次々に 新製品で 美味しそうなものが 発売されています。
私が子どもの頃には 今の子どもたちが食べているようなものは
ありませんでした。
一年に一回のお節句やお花見の時に 母にお弁当を作ってもらった
のですが そのおかずの中で 私が好きだったのは
糸こんにゃくの卵とじでした。
今では、お弁当のおかずが何でも 冷凍食品で 間に合う世の中に
なっています。
でも、 本当は 自分が作ったものが 一番美味しいと
思います。
子どもや夫が美味しいと言って食べてくれるのを
見ていたら 楽しい気持になれました。
今日は 新しくページを作って 今のホームページの更新をしました。
昨日の ダイアリーに書いていた 城川町の「かまぼこ板の絵展」
の「こころの天使」さんが 今日は消えてしまうのが 本当に 残念で
淋しくてたまらないので いつも 見ることができるように
私のこのホームページの最後ページに載せました。
これで いつでも好きな時に あのステキなメルヘンに会うことが
できます。
昨日 読んでいない方で もしも 読んでみようと思う方が居たら
どうか この後、最後のページ「ギャラリーしろかわ かまぼこ板の絵展
こころの天使」を見てください。
こうして 半日かかって更新しましたが やはり 嬉しくて
昨日 城川町へ行ったことが 本当に良かったと思います。
このところ精神的な疲れがあったので 少し元気が出てきました。
もう8月も残す所5日になりました。
長く暑かった夏も もう終わりに近づいています。
もうそこまで 秋の足音が聞こえてくるようです。
今日は 叔母を城川町の「かまぼこ板の絵展」に 連れて行ってあげました。
このギャラリーのスタッフからのメッセージを この日記を 読んでくれる人たちに届けます。
「天使に出会ったかまぼこ板」
やあ、みなさん「こんにちは」 ぼくのふるさとは 四国の山の中、 愛媛県の城川町という水と緑と 空気のおいしい小さな町なんだ。
ぼくたちの木は 山でのんびりと ひなたぼっこをしながら 空気をつくったり 水を守ったり 風と遊んだり、鳥とおしゃべりをしたり・・・ そんなことをしながら大きくなるんだ。 それからね、みんなの使うノートやえんぴつ、 机やイス、家の柱にもなったり・・・・と いろんな人生があるんだよ。
ある日、ぼくはいたずらヒヨドリから 「海」の唄を聞いたんだ。 「♪山のむこうのそのむこう、 川のおわりがあったとさ 川のおわりは水をため しょっぱい海になったとさ。 山より大きな魚たち 天まで水をふきあげて のたりのたりと泳ぐのさ♪」
その唄を聞いた日から、ぼくはまだ行ったこともない 「海」の夢ばかり見続けていたんだ。 それなら、・・・とヒヨドリが教えてくれたのさ。 ---「かまぼこ板」になればいいってね。 -ーー「海」の近くへ行けるってね。 この山を離れるのはさみしいけど、ぼくは「かまぼこ板」になる決心をして 潮の香りのする町をめざしたんだ。
町についたぼくは、 海の見える小さな製材所でくる日もくる日も 日なたぼっこをしながら、あこがれの海をながめ 山のように大きな魚を待つ日がつづいたんだ。 でもね、水を天にふく大きな魚には会えなくて ぼくは少し たいくつだなって感じはじめていた。
夜になってもなかなか眠れなくて 目に光る海をながめていると 遠くから、ぼくを呼ぶおかあさんの声がしたんだ。 それは、とっても小さくて、すぐ波の音に消されたけれど、 まちがいなく、・・・ やさしくてあたたかいおかあさんの声だった。 なんだか急にさみしくなったぼくは、 その夜、山を出て はじめて声をあげて泣いたんだ。
そんなある日、ぼくのからだがふわっと浮いたんだ。 「キューン」「キューン」と音がして、 ぼくは、うすっぺらな板になっちゃった。 翌朝早く、しわしわのおじさんがぼくをぎゅっと にぎったかと思うと くるくるまわし あれよあれよで、「いっちょあがり」 ぼくはその間、ずっとどきどきしてたんだ。 だって、まちにまった 「かまぼこ板」になっちゃたんだもの。 ぼくとかまぼこは きれいな箱に入り 旅をすることになった。
いくつものトラックターミナルを乗りついで 街の中を走っている旅の途中 かまぼこがぼくに話しかけた。 「ぼくらは 食べられるが 仕事なんだ。」 でも、君は捨てられるんだよね。」 かまぼこの言ってることが よくわからなくって 「えっ」と聞きなおした。 「あのね、ぼくらはいっしょにいる間はかまぼこなんだ。 でも、君は板だから食べられないだろう、 だから、ぼくとはなれたら、すてられちゃうんだよ わかったかい、・・・」
「ああ、そうか、ぼくはかまぼこじゃあなくて かまぼこの板なんだ・・・」 海にあこがれ、山をおりたことを 少しずつ後悔しはじめたんだ。 でも・・・でも・・・ぼく、すてられたくないよう・・・!。 その時トラックは大きな家の前で止まった。 「ピンポーン」の音とともに「ハーイ」と やさしそうな おかあさんの声。 とうとうぼくの旅も終わりをむかえたらしい。
その時小さな女の子の声がかすかに聞こえた。 「ねえ、おかあさん、この板、わたしにちょうだい。」 「じつはね、かまぼこ板の絵展覧会というのがあるの」 「絵は、だれがいつ かいてもいいでしょ、 何にかいてもいいよね!」 「それなら、すてられちゃうかまぼこ板を使って みようって 思いついたんだって」 「ねえ、おかあさんも かいてみない?」
そして・・・ ぼくは、あのなつかしい城川町に帰ってきた。 そこには、ぼくと同じ20、000枚もの仲間が ところせましと、胸をはってならんでいた。 ぼくら、かまぼこ板 第二の人生物語の 展覧会だった。 みんなみんな うれしそうに輝いてうたっている。 ♪山に生まれたぼくたちが 海にあこがれ旅をした。 もうおしまいのその時に ちっちゃな天使が舞い降りて こころとこころをむすびつけ、 地球がまあるくなったのさ♪
こうして、ぼくらの第二の人生が ふるさとの「ギャラリーしろかわ」ではじまった。
ぼくは思った。 かまぼこ板の絵になったぼくらをとおして、 人と自然のなかのよいおつきあいや 人と人との出会いから、たくさんの感動が 生まれますように・・・と。
そして、なによりも大切な「こころの天使」を 毎日の暮らしのなかで 育てていきたいって。
だって、木も鳥も人も花も、 みんな「しあわせ」になるために 生まれてきたのだから・・・。 ぼくらを輝かせてくれた「こころの天使」さん、 本当にありがとう。
山の中の小さなギャラリーに届けられた かまぼこ板の天使さん・・・ワイワイ、ガヤガヤ 集まって 小さな町の大きな夢になりました。
以上です。 きっと、これを読んでくれた人の胸に「心の天使」が 小さな あたたかな やさしい し・あ・わ・せを 運んでくれたと 思います。
一度足を延ばして このステキな 「ギャラリーしろかわ」へ 行ってみませんか? きっと、いい思い出に出会えると思いますよ。
「ギャラリーしろかわ」 愛媛県東宇和郡城川町い大字下相680 TEL0894-82-1001
「かまぼこ板の絵」展覧会 平成14年7月20日(土)~11月24日(日) 休館日 毎週火曜日 開館 9:00~17:00
高村光太郎の「智恵子抄」をずっと昔 好んで読みました。
光太郎の智恵子への愛をうたった 詩集に心を惹き付けられ
その夫婦愛を越えた 人間愛に感動した覚えがあります。
今日 私の手元に届いた 「月間絵手紙」の中に 智恵子の
光太郎への 紙絵の世界が載っていました。
そして、その智恵子の文章に私は 目を止めて深い思いを感じました。
ここへ それを 引用してみます。
「世の中の 習慣なんて、 どうせ人間のこしらえてものでしょう。 それにしばられて、 一生涯自分の心を偽って暮すのは つまらないことですわ。 わたしの一生は わたしがきめればいいんですもの、 たった一度きりしかない生涯ですもの。」
と言う言葉です。
これは 私がいつも心の中で思っている 「私の人生の中では
私が主人公」と歌ったさだまさしの「主人公」の中の言葉に
共通していると思ったのです。
そうなんです、 自分の一生は一度しかないのです。
だから 自分が納得する生き方がしたいのです。
誰のためのものでもない 自分のための一生を 自分が決める
それこそが 生きたという証です。
この間から 落ち込んでいた私の心に 何かを変えるきっかけのように
感じました。
もう くよくよするのは やめよう、私は 自分が良いと信じた
道を歩いていこうと決めました。
この、2,3日前から 胃の具合が悪くて 憂鬱です。
私は この症状は 精神的なものから来ていると 分かります。
危険信号です。
自分でもっとしっかりと 自分を支えていないと きっと・・・
だから 気を紛らわそうとするのですが いつも その胃のことに
なってしまうのです。
食欲がないのは 勿論ですが 胃が全く働いていないように
思うのです。
だから、 おなかがパンパンになってしんどくて 憂鬱で
何にもしたくないのに している自分が居ます。
もっと楽な生き方ができれば いいのですが
娘のことが こうして 私へのストレスになって 私を攻撃するのです。
本当に この胃の状態が 長く続くと いけません。
早く自分の力で この危機から脱出しないと いけないと
つくづく思います。
一体、今日は 何と言う ついていない日なのでしょう。!!
最悪の一日です。
その① サーバーと接続出来ません。 Hpを 更新して ページを転送しようと 何度も試みたけれど 午前中から ずっと 接続不可能な状態が続きました。 だから、 「思うままに」のページが 真っ白の状態です。 それまでも、このようなことは何回もあったので いつかは つながるだろうと 待っていましたが 一向に接続できる 様子は ありません。 いつになったら 更新が終了するのでしょう?
その2 家の前の道路が工事中で、車が通れず 迂回しなければ なりません。 めったに ないことなら 文句言うことも無く 我慢するのですが 下水道の工事が もう数ヶ月の単位で続いているのです。 昨年の秋ごろも 同じように 工事をしていて 前が通れず 3ヶ月も 迂回しなければなりませんでした。 公の工事は 大嫌いです。 我慢するしか 方法はないのです。 通れないのも 腹立ちますが、その騒音が ひどくて 家までが 震えています。
その③ 娘が 勉強を後回しにして パソコンばかりしています。 注意すると 人が変わったように 怒り出し 最後には 私の存在まで 否定するのです。 私は 決して無理を言ってはいません。 誰に聞いてもらっても 娘が間違っているはずです。 今 工事中の振動が 響いてきて 吃驚し 心臓がドキッとしました。 身体にとても悪い状態です。
その③の続き 娘は 分かったという返事ばかりで 何も分かっていません 本当に どこかへ行ってしまいたい気分です。
一体私が何をしたというのでしょう?
こんなにも 毎日家と子どものことばかりで 自分が休む暇も無いくらいに
働いているのに・・・
今日は最悪な一日です。
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今これを書いて ホームページビルダーをあけ もう一度チャレンジ
したところ やっと 接続できて 「思うままに」のページを
転送できました。
私が 今言っていた文句が 通じたのでしょうか?(^0^)
それにしても 朝からだったから 私としては限界の我慢でした。
家が震えるのは 今も続いています。
今日は 絵手紙を描きました。
昨日 母の実家のお墓に行ったのですが、そこは 葡萄の産地で
みずみずしく 美味しいので 買って帰りました。
その葡萄を見ていると 描きたくなって 10枚ほど 描きました。
むつかしかったのは 葡萄独特の白く粉をふいたような所でした。
どういう風に描こうか?と じっと眺めていて 塗り残すのがいいか
それとも?どうしようかと考えました。
そして、結局 白い部分の感じを出すために 銀色と白をあわせて
塗ってみました。
葉書を傾けると 銀色が光って それらしくなったので 決めました。
見たままを描けばよいのは 分かっているのですが、
描く対象物によっては 描きにくかったり いい感じで描けたりします。
だからこそ面白いのかもしれません。
今日の 絵手紙は 言葉が 先に次々と 浮かんできて
忘れないように 紙にメモ書きしたりしました。
こんな時ってあるのですね、いつもは 絵は描けても
言葉が出てこない方が 多いのですが
今日は何故か 頭に浮かんでくるのです。
これは きっと 絵手紙を描きたいと思う気持が強かったのでは
ないかな?と思います。
出来はどうであれ 自分が描きたいと思って描いた絵には
心がこもっています。
今日は絵手紙日和だったのかもしれません。
今日は 母方の祖母のお墓参りに行きました。
ここから、車で40分くらいのところにあります。
少し坂になったところに 淋しそうに立っています。
祖母は 私が4歳ごろに亡くなりました。
脳梗塞で 2日だけ寝込んで逝きました。
私はあまり覚えていないのですが 木製の乳母車に乗せてもらったことを
覚えています。
お墓を見るたびに思うのですが お墓に入ったら 何もない 何も分からな
い存在になってしまって・・・
いくら 好きだったものをお供えしてもらっても 食べることは出来ませ
ん。
元気なうちに 自分のしたいことをし、食べたいものを食べ 行きたい所へ
行っておこうと 思います。
帰りに ここの高原葡萄を買って帰りました。
毎年 品評会があって美味しい葡萄が採れるので 有名です。
風が秋めいて 少し涼しく感じる今日の田舎でした。
今日は 高校野球が燃えました。
四国の4つの高校が 残っていたのです。
4校がベスト8に残ったのは 初めてのことです。
決勝戦が 四国同士で行われると 面白かったのですが
残念ながら 2校が敗れて 明日の準決勝に進めたのは 残る2校でした。
そして、 明日の準決勝で 愛媛代表の 川之江高校と高知代表の
明徳義塾が 戦うことになりました。
これで 四国同士で決勝・・・の話は なくなりました。
今日の香川代表の尽誠学園が敗れて 選手が 泣きながら甲子園の土を
袋に入れていた姿を見て私も 涙が出てきました。
勝負というものは 勝つものが居る時必ず負けるものが居ます。
同じことですが、 負けるものが居るから 勝者が居るのです。
泣くか笑うかの分かれ道、勝利の女神は どちらかにしか 微笑をくれない
のです。
選手が 可哀想とは 思いたくありません。
やるだけやったのだから、誰も何も言うことは無いはずです。
ただ、 ちょっとしたミスや 不運があっただけなのです。
将来 大人になってきっと いい思い出になっているはずです。
明日は 又2校が泣くでしょう。
どのチームが 笑いどのチームが泣く事になるのでしょう。
明日も 今日と同じように 選手や応援団の熱い思いがぶつかりそうです。
今日は 自分の家に帰りました。
昨日の同窓会が疲れたのか いやいや そうではなく 同窓会の後の
親友との話が 楽しくて 時間を忘れて 話し込んだ所為か?
気持は いつも青春なんだけれど 身体は正直なもので・・・
睡眠時間が少なかったのと 同窓会では 気が張っていたのが
終わって緩んだためか。
そして 会場では ろくに食べなかったからかな?
おおきな大皿に 色々と料理が盛ってあったのだけれど
結局口にしたのは いなり寿司一つ、前菜風な料理。
そして、ブルーベリーのシャーべット。
それで しんどいのだと 思ったのですが なかなか休むことも
出来ず、昼過ぎから 少しずつ 良くなってきました。
今日は 高校野球が面白く 四国勢が今のところ3校、ベスト8に
残っています。
本当に 四国勢同士で 優勝戦をしたりして・・・
そうなれば 嬉しいけれどどこを応援しようか迷ってしまいそうです。
いい試合が見えそうです。
早く 元の元気が出てくれると嬉しいのに・・・
本当に疲れました。
今日は 高校の同窓会がありました。
卒業して 32年経っています。
今日で9回目の同窓会ですが 私は 今日で2回目の出席でした。
私の親友に会えるのが 楽しみで行ったのですが
行くと、 長く会っていない人たちに会えて 懐かしい思いで話ができまし
た。
顔と名前が一致しない人が多くて 簡単な近況報告を聞いて
「ああそうだ」と分かる人が多かったです。
恩師も4人来て下さっていましたが、顔と教科が結びつきにくく
お酌をしに行って 笑ってごまかしてしまいました。
でも、 同級生というものは 時が経っていても 32年前に
戻って話すことが出来るのが 不思議です。
終わって、あとは2次会や3次会へ行った人もいるのでしょうが
私は その親友と二人で 席を変え 話しこんでしまいました。
気が付くと 時計は 12時をさそうとしているのに吃驚して
急いで帰りました。
帰ってからも 今日の同窓会のことを 思い出して懐かしく、
次の機会にも 参加しようと思いました。
楽しい夏の一夜でした。 、
今日は 一ヶ月に一回の 日赤の胃腸センターの受診日でした。
母が同じ日に お腹のCTを予約していたので そちらを先にしました。
半年に一度受けているのですが 今回も「異常なし」と言われ
安心しました。
母は 今年81歳です。
日ごろ 足や腰や 色々と痛む所もあり 神経質になっているので
医師から 「大丈夫です。それは 骨の中の状態が悪いので 年のせいです
よ。からだの中は どこも悪いとことはありません。」と言われて
母も安心したようです。
検査を受けるたびに 心の中で祈っています。
だから、今日も医師にそういわれて本当に嬉しかったです。
胃腸センターも特に変わったことはなく いつものクスリをもらって
帰りました。
これからも 今日のような 異常なしの状態が続き 母には いつまでも
長生きして欲しいと 心から 思っています。
本当に今日は良かったです。
今日は午後から、実家へ里帰りをしました。
昔、まだ 実家が遠かった頃は お盆とお正月に帰るのが
とても 楽しみで 嬉しかったです。
娘が産まれ 私がからだが弱かったので 母が電車の回数券を買い
毎日 娘の世話をしに来てくれていました。
そして、両親が 住んでいたところを売り払って 私が嫁いだこの土地に
引っ越して来てくれたのです。
だから、それからは 毎日行ったり来たりしているので
お盆だから帰るというのも 何か変な気もするのですが・・・
それでも、実家は いいものです。
何故かほっとします。
夜は 送り火を焚いて 帰ってきた祖父母にさよならをしました。
私の夏の休暇は 土曜日まで続きます。
今日は 畳の上に蒲団を敷いて貰って 久しぶりに大きくなって
ゆっくり 休みたいと思います。
今日は いつもの 私の心臓の病院へ 行きました。
渋滞は嫌なので 朝7時に家を出て、車を走らせ30分で
着きました。
今まで診て貰っていた医師が、転勤されて 今日は 新しい先生に
診て貰いました。
第一印象は 良かったのですが 話してみると 前の先生の方が
何でも話しやすくて 気が楽でした。
今度の先生は 自分に自信があるのでしょう。
説明もきちんとしてくれるし 安心は安心ですけれど
何故か まだなれない所為で 少し怖そうな感じが しました。
又来月、来ないといけなくなりました。
今度は ちょっと話してみようかな?って思っていますが・・・
2002年08月13日(火) |
ペルセウス座流星群&お盆 |
今朝 0時半に起きて ペルセウス座流星群を見ようと
北東の方向を 見ていたら 30分の間に 6つの流れ星を
見ることができました。
去年 しし座流星群の時に 見逃していたので 今度は絶対に見るぞと
思って 眠たい目をこすりながら じっと待っていました。
カシオペア座から 少し下の方を 放射線状に流れていくのが
見えました。
願い事をする暇はありませんでしたが 神秘的な気持がして
何かとても ステキなことが起こるのではないかとさえ
思いました。
見ることができて 良かったです。
話は変わって 今日は 去年亡くなった 私のいとこや 親戚の叔父の
初盆だったので 母と一緒にお参りさせてもらいに 行きました。
亡くなったときのことが 頭をよぎり やはり悲しい思いがしました。
人は お盆には 家に帰ってくるのですね。
私には 母も父も健在で まだ 仏壇はありませんが
あと数年すれば 私が母たちのお盆をするようになるのだなあと
思うと とても淋しくなりました。
一日でも 長く両親には 生きていて欲しいと つくづくそう思います。
今日、いつも行く 近くのスーパーで こんな光景を目にしました。
その、店に入っている 手作りのおかずを売っているテナントでの
ことです。
母が お昼のお弁当を買うと言うので 一緒に店に入りました。
そして、レジでお金を払って居る時 小さなと言っても
多分幼稚園の年長さんぐらいの男の子が、
レジの人に 「これを落としてごめんなさい」と謝りに来ました。
私は 思わず その子の頭をなでて 「ぼく、偉いね」と言いました。
今ごろの子どもにしては とてもキチンとしているなあって
感心したのです。
それからちょっとして 今度は ガチャンという大きい音がしました。
振り向くと さっきの男の子が おかずが入った大きなお皿を
落として割ってしまったのです。
お店の人は 勿論何も文句は言わず 良いですよと言っていましたが
その子のお母さんが 突然大きな声で怒り その子を叩いたのです。
その子は泣き出し 店の人はおろおろし パニックになってしまいました。
そのときのお母さんの気持は 私にはよく分かります。
でも、子どもを感情のまま 怒るのはどうかな?と思いました。
子どもの心の中は きっと 後悔でいっぱいになっていたと思うのです。
でも、どうしようもなく ただあっけにとられて じっとしていたはずで
す。
だから、その子どもに追い討ちをかけるように お母さんが怒って
叩いたことは いけないのではないかと思ったのです。
その子どもは わざとやったのでは ないのです。
誰にでも ちょっと何かがさわって 落としてしまった経験が
あると思います。
それより そんな事態を予想して 子どもを 店の中に入れた母親に
過失があるように 思います。
今日のこの出来事で 私は 娘をこんなことで 怒ったことは
なかったかを振り返って考えました。
そんな怒り方はしていませんが よく似たことは
あったかもしれません。
ただ 私の場合は その子を 叩いてはいないと思います。
そして自分が悪かったと思い お店に損害を与えたことを
思って お金を置いて帰ると思います。
子どもは叱らずには 育てることは 出来ないと思います。
でも、叩くのは間違いです。
叩かれたことは 子どもの心の中で 忘れられないことになってしまうので
はないかと 思うからです。
過失でしたことは 許さないといけません。
怒るのではなく 叱るのです。
怒ると叱るとは 全く違うと思います。
そんなことを思った 今日に出来事でした。
今日は 昨日の続きの ささやかな夏休み 第2日目でした。
午前中にチェックアウトして そのまま 今日行われる「ドラゴンボート大
会」を 見ました。
ダムにボートを浮かべて 競争です。
チームは みな 思い思いの名前をつけて 10人ほどが 乗り タイムを
競うのです。
義兄は 「肱川発電所チーム」で出ていました。
発電所の若い女の人が 前で太鼓を叩き
最後尾で 義兄がその太鼓にあわせてオールを漕ぐように監督していまし
た。
若い人たちが一生懸命漕ぐ姿は美しいと感じました。
全部で 30くらいのチームが出ていましたが 試合は義兄のチームが
終わるまでしか 見ませんでした。
どのチームが賞金10万円を手にしたのでしょうか?
ここで 私に思いがけないことが起こりました。
なんと 30年ぶりに 大学時代の友人に会ったのです。
彼は 銀行に勤めているとばかり 思っていたので まさか
地元に戻っていたとは知りませんでした。
私の方が早く気がついて 声を掛けようかどうしようか?と
迷っていましたが 思い切って声を掛けて良かったです。
彼も私のことを覚えてくれていて 話すことが出来ました。
若い頃とあまり変わっていなくて 今もステキな人でした。
「本当に偶然は存在するのだなあ。」と今でも不思議に思います。
もし、私が 今年この大会を見に来ることがなかったら
一生会うことは無かったと思います。
このささやかな私の夏休みは 私にとって 忘れられない一日に
なりそうです。
やはり 人との出会いは いつも大切にしなくてはいけないと
つくづく思いました。
神様に感謝です。
今日は 1泊2日の予定で ささやかな 夏休みに出かけました。
朝8時に家をでて 姉が運転する車で 目的地へ。
義兄が単身赴任で行っている 大洲の奥、鹿野川ダムにある
肱川発電所へ行きました。
映画「ホワイトアウト」で ダムの内部を観たので
本当に この目で見たいと思っていました。
ダムの中は見えませんでしたが 発電所の中を 案内してもらって
下の方の 実際の羽の部分や 電気を起こしている場所を
見せてもらい 説明をしてもらいました。
中学一年の娘には いい勉強になったと思います。
それにしても 水の力そして その水の力を利用して
電気を作る 人間の知恵には 感心しました。
ダムや 発電所もそうですが 橋やトンネルを見ても
いつもそう感じます。
人間は偉大です。
その後 城川町の「かまぼこ板の絵展」を見てきました。
去年もそうでしたが かまぼこ板が こんな ステキな絵に変身
することに 不思議な感動を覚えました。
今年は 私も出品していたので 自分の作品を見つけるのが
また 大変でした。
入選作品は 勿論 素晴らしいし 可愛いし ステキでしたが
その他の作品も全て 作り手の心がこもっていて 素晴らしいもの
でした。
今年も 頑張って描いて出展しようかな?と思っています。
夜は そのダムの上にある 「簡保の宿」に泊まり 花火を見て
夏の夜を過ごしました。
ささやかな 私の夏休みの第一日目でした。
今朝は 太陽がまだ上がらない 涼しいうちに松山の「千秋寺」へ
両親と一緒に お墓掃除と お参りに行きました。
4時に家を出たのですが まだあたりは薄暗く 懐中電灯が
必要なくらいでした。
こうもりが飛び まだ誰もお墓掃除に来ている人はありませんでした。
昨夜は 「三宝寺」で お施餓鬼があり たくさんの人が
卒塔婆をいただいて帰っていました。
毎年 お盆が近づくと 恒例になっている行事です。
両親も80歳を越え いつ自分たちがお墓に入っても
可笑しくない年齢になり お墓のことが気になっているようでした。
若い頃は 誰でも お墓?というぐらい 気にしませんが
これは 本当に年齢を重ねていくにつれて 気になるもののようです。
昨日貰って帰った 卒塔婆を立て 父はお墓を磨き、母は花を生け
お供えものを供えていました。
ご先祖さんには 報告をするもので お願いはしない方がいいと
聞いていますが、
どうしても、お墓の前では 祖父や祖母に 父母が元気で長生き
するようにと 願ってしまいます。
実家の墓地には 分家や 親戚のお墓があり、3つのお墓を
お参りしました。
帰りの車の中で 母が「ああこれで安堵した。後は 15日にお坊さんが
来て拝んでくれたら ほっとする。」と言っているのを聞き
家を守る お墓を守るということが どんなにか大変なことかが
改めて感じられました。
私のところは 娘が一人です。
娘が重荷にならないよう 私が死んだら 骨を散骨してもらって
お墓を気にしないように してやろうかな?と思ったりしました。
お知らせ・・・明日10日とあさって11日は旅行の為 帰ってから 12日(月曜日)に まとめて書きます。
今日は 暦の上で 立秋でした。
まだまだ暑くて 秋とは思えませんが 季節は移っているのですね。
あと一週間すれば お盆がやってきます。
毎年 今日8日は 「御施餓鬼」です。
両親が松山の「三宝寺」さんへ 行くので 連れて行ってあげました。
そもそも 施餓鬼とは何でしょう?
恒例のことで 意識しませんでしたが 何か意味があるのだと思います。
今度 調べて見たいと思っています。
今日も暑い日でした。
娘は 図書館へ勉強に行きました。
私は 午前中も午後も家のことで 忙しい一日でした。
まだまだ 暑い夏真っ盛りですが 暦の上では 明日は 立秋です。
暑中見舞いが残暑見舞いになるのですね。
月日は 流れているのを感じます。
今日は ちょっと足を延ばして 遠くのショッピングセンターへ
行きました。
娘が 「俺の塩」という カップ焼きそばが好きで
近くのスーパーは どこにも もう置いていないので
探しに行くついでに 2階の婦人服コーナーを
見てきました。
殆どが秋物に変わっていて 夏物は 肩身が狭そうに
ワゴンの上に 掘り出されている感じで 売っていました。
時間があったので 試着をしてみましたが 何か夏が終わり
のような気がして 結局何も買わずに帰りました。
バーゲンを利用するのは 主婦は上手ですが
もういいものは 残っていませんでした。
夏が終わり 秋への始まりが 来ているんだなあと
つくづく思いました。
でも、試着は楽しかったです。
結局目的のヤキソバは この店にも無く 何も収穫ありませんでした。
今日は、久しぶりにカラオケに行きました。
サービス券があり 2時間無料で歌えるので
本当は いつか一人で行こうと思っていたのですが
娘の友達が3人遊びに来ていて カラオケへただで
いくことが出来るのが 嬉しそうだったので
一緒に5人で行きました。
いつものように フリータイムではないので
2時間を有効に使いたくて 曲の数を多くすると
一番だけで終わってしまう曲が殆どになってしまいました。
それでも、結構いっぱい歌った気がします。
今日は時間がないので 私は遠慮しようと 思って行ったのですが
行くと やはり歌いたくなり
いつもの曲の中で 「学生時代」「亜麻色の髪の乙女」「秋桜」「無縁坂」
の4曲を歌いました。
子どもたちが 嬉しそうだったので まあいいかと納得。
娘が2学期になって 学校へ行きだしたら
前のように 一人で2時間歌いっぱなしにしようと
思っています。
それなりに 楽しかったです。
やはり歌うのは好きなんだなあと思いました。
今日は 昨日の疲れが出たためか 朝は早くは 起きれませんでした。
娘は 今日は部活がお休みだし 夫は図書館が休みの日なので
二人共、朝は寝ていました。
私にしては 6時起床だから 普通よりは 遅かったです。
日が上がってからは 寝ていられません。
午前中は さすが ちょっとしんどかったです。
でも、買い物や 掃除洗濯と普段どおりのことを済ませました。
娘は12時になってやっと 起きてきました。
お早うではなく こんにちは の時刻でした。
午後は 昨夜の花火の絵手紙を描こうと思い
机に向かいましたが 頭の中にしかその光景がないので
自分なりに納得ができる絵手紙が 描けませんでした。
でも、どうしても 昨夜の感動を 友人に知らせたくて
時間をいっぱい使って 9枚描きました。
出き不出来は関係ないと 思いなおして 言葉も添えて
描きました。
一緒に行った 母と叔母にはどうしても、今日描いて
出したかったのです。
明日の朝 ポストに入れるつもりです。
今日は、JAF主催の「サンセットクルージングと今治おんまく花火大会」
に参加しました。
夫は 図書館の仕事があったので、母と娘と親戚の叔母との4人で
行きました。
叔母さんも、母も80歳を越しているので 心配しましたが
無事にいくことが出来て良かったです。
このツアーは 定員が300人と言うことだったのですが
実際は340人くらいの参加でした。
これでも、100人は断ったとか、人気があったようです。
4時に堀江港を出発して 今治まで2時間半ほどを
太陽が 島に沈むのを見て 花火の会場へ
200メートルまで 近づき 見物しました。
こんなにも 花火を間近に見たのは初めてでした。
「おんまく」という言葉は 今治地方の方言で 元気でという
意味だそうです。
この言葉どおり花火は とても、素晴らしかったです。
色々な色の花火が 夜空全体に広がり 花火の星がキラキラ
輝きました。
ワイドスターマインや、煙火芸術最高制作技術集団 による
尺球打ち上げや、イタリア、スペイン製のシリンダー花火の打ち上げ
ミッキーマウス、など
夜空に 花火の星が輝きました。
大きな花火が空で すばらしい花となるのを見て
見物客は 一斉に 歓声をあげました。
ラスト2分ほどの間に なんと、1700発の花火が
打ち上げられると 本当に 物も言えないほど
感動しました。
お弁当もお茶も付いており そのお弁当の美味しかったこと。
今日は 本当に良い機会が持てて 叔母や母に
花火を見せてあげることができて 嬉しかったです。
来年も、こんな企画があれば、そして母が元気なら
是非参加したいと思います。
本当に 今日は思い出に残る 楽しい一日でした。
このごろは 暑さもあり 昼はあっさりしたものが
多いのですが、今日も 例の通り 「ざるそば」になりました。
私が 今までに食べた「ざるそば」の中で 一番美味しかったのは
徳島の 祖谷へ行った時に食べた祖谷そばです。
そばは 小麦粉を2割くらいは 入れないと
作れないと聞いていますが、あの時に食べた祖谷そばは
つなぎの小麦粉が全く入っていない 100パーセントそば粉の
そばでした。
口の中で ポキポキと折れてしまって 食べにくかったのを
覚えています。
今この近くの 蕎麦屋さんでは 絶対に食べられないものです。
どこの有名なそばを食べても あの感じはありません。
だから もう一度祖谷へ行って、あのそばを食べたいと
願っています。
自分がそば粉を練って 切って 湯がいて食べると
美味しいのでしょう。
よく 田舎の観光地に行くと そば打ち体験 があります。
したことはありませんが そこで 自分が小麦粉を少なくして
作って食べると 私が 食べたいと願っているそばになるのだと
思います。
この夏休みにでも 子どもと一緒に行って体験して
美味しいそばを食べたいなあと 思います。
今日は 17日にある同窓会にして行く イヤリングを
買いに、「いよてつ高島屋」へ 行きました。
着ていくつもりの服の襟ぐりが詰んでいるので
ネックレスができません。
髪も短くなったことだし ネックレスの代わりに
イヤリングをしようと思い 手持ちが無いので
買いに行ったのです。
この頃は ピアスをしている人が 多くなっているので
ピアスでない 普通のイヤリングを探すのは 大変でした。
でも、店員さんが勧めてくれた、ピアス風の小さなイヤリング
にしました。
ピンクシルバーで出来ていて ちょっとダイヤみたいな
小さな 石が付いている 本当に可愛いイヤリングです。
でも、私は 普段イヤリングは付けたことが あまりないので
耳にするのが 一苦労です。
鏡を見ながら付けようとすると 反対にうつるので
なかなかすぐには 付けられません。
慣れたらきっと、大丈夫だと思うのですが
それまでが 大変です。練習しないと付けられません。
こんな自分が面白いと言うか滑稽です。
普段も付けていると良いのですが、
私は アクセサリーを付けるのがあまり好きではないので
数も少ししか持っていません。
何かとても、自分が情けなく感じた一日でした。
今日から 8月、早いなあと思います。
年齢を重ねるごとに 月日の経つ速さを感じるように
なりました。
子どもの頃は 一日がとても長く感じていましたが
今では 一日、そして一年があっという間に過ぎていきます。
夏はこれからだというのに 大分夏バテ気味です。
朝はいつも早く起きていますが 目が覚めて 起きるときの
しんどさで 私は今の自分の体調が分かります。
今日、この最近で一番起きるのが大儀でした。
夜が暑くて、熟睡できていないためでしょう?
そうかと言って眠りたいのではないのです。
娘は太陽が上がって 朝日が眩しく、暑くなっていても
まだ ベッドに居ますが、
私は目が覚めると じっとそのまま居るのが嫌なので 起きてしまいます。
起きていつものように動いていると
そのしんどさも無くなり 普通と同じになるのですが・・・
夏に負けないように 今日は土用の第二丑の日だそうで
今日の夕食は うなぎにしました。
夏バテしないように 無理をせず、休息を取りながら
一日を無事に過ごしていきたいと思います。
スカーレット
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