スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
今朝起きてみると雨が降っていた。
庭の紫陽花が喜んでいた。
朝顔はちょっぴりしんどそうだった。
大雨に打たれると折角雨伸びたつるが痛んでしまうかもしれない。
そっと軒下に置いてやった。
梅雨だから雨が降るのは仕方ない。 有り難いとも思う。
こちらは夏になると必ず水の心配をする。
渇水を心配する。
平成6年の渇水はひどかった。
断水になり一日に2時間給水になった。
私は丁度その年の夏は心臓の大動脈弁置換手術をして入院していた。
母に娘を預けていた。
その頃の母はまだ若かった。
9年前だから今とは違って孫の面倒をみることができていた。
でも今は違う。
母は年を取った。
今年82歳になった。
もう母はあの渇水の時のように、 水を貯めて運ぶことは出来ないと思う。
杖をついて歩いている姿を見ると、私の胸は痛む。
母にはもう苦労をかけたくない。
もし渇水になったとしても 母にはあの重い水を持つことをさせたくない。
だから今年の夏も無事に終わってほしい。
渇水になって水がないという思いをしたくない。
今のこの梅雨の時期に大雨が降って 地下水もダムの水もいっぱいになってほしい。
被害が出るのは駄目だ。
被害の出ない程度の大雨になってほしい。
今朝は降っていたのに今は明るくなっている。
雨よ降れ!!
恵みの雨になってほしい。
元チェッカーズのメンバーの高杢さんが 自分が癌だったことをTVで告白していたのを見た。
胃、脾臓、胆のう、食道の一部を切除したと言っていた。
でも、顔色も良く元気そうな感じを受けた。
こうして皆の前で言えるまでには色々と葛藤があったと思う。
絶望した時もあったと思う。
何で俺が?と思ったに違いない。
転移もなくもう大丈夫だと思えたので告白したとも言っていた。
彼の言葉の中で印象に残った言葉があった。
それは「家族が居たから頑張れた・・・」という言葉だった。
その言葉を口にした時涙ぐんでいた彼の姿に 私の胸はきゅんとなった。
「家族」そう彼は言った。
「家族」の存在は普段は当たり前になっている。
時にはうるさい存在に思えるときもある。
でも、何でも最後は家族だと思う。
私にも今まで家族の有り難さを痛感することがいっぱいあった。
家族だからこそ許せることがある。
もしも他人ならば、一度心が離れたら きっと二度と良い関係は結べないと思う。
でも、家族は喧嘩をしてもすぐに元に戻れる。
娘に偉そうなことを言われて本当に腹立たしく思うこともあるが、 少し時間が経つともう何もなかったように話ができる。
離婚しようと思って本気で離婚届を書こうと思っていても、 又思い直してやっていける。
これが家族なんだろう?
私には一人父方の叔父が居る。
若いときに家を出て家族を捨てた。
仕事も他のことも恵まれて回りから見れば とても良い人生を歩いてきたように見える。
でも今の叔父はベッドの上で寝たきりの生活をしている。
物を言うこともなく、口から食べることも出来ず 胃に直接チューブで栄養を入れてもらって命をつないでいる。
脳梗塞で倒れた時に家族が側に居たら 今のような状態にはなっていないと思う。
家族が居れば叔父も治そうとしていたかもしれない。
家族が居れば一緒にリハビリに励んでいただろう。
家族の居ないことが今の叔父の状態の原因になっていると思う。
高杢さんの告白のTVを見ていて叔父のことが頭に浮かんだ。
叔父は自分が歩いてきた人生を後悔はしたくないと思っているに違いない。
恨んでもないと思う。
でも、家族を捨てずともに暮らしていたら 悲しみは半分に喜びは倍にすることができたと思う。
改めて家族の有り難さをつくづくと感じている。
時にはうるさくてたまらないと思う家族の存在を 本当に大切にしたいと思う。
結局人は自分が一番可愛いのだ。
今の私もそうかもしれない。
人は利己主義なのか?
利己主義って言葉は嫌いだけれど、 自分を愛せない人は他人を愛せないと思う。
そして、いつも相手のことばかり考えて 自分自身の気持を抑えていたら疲れる。
今はこのことが理解できるのだけれど、 昔の私は違っていた。
だから苦い経験もしてきた。
何故昔の私は出来なかったのだろう?
いつもいつも相手に合わせていた。
相手の都合によってされていたことに文句一つ言えなかった。
私自身の気持を出さなかった。
いつも相手はYES、私はNOだった。
自分でも気づかないうちに心が疲れていた。
何故あの時に言えなかったのだろう?
嫌だと思っていたことをきちんと言えなかった。
今は「男ってどうしてあんなに我儘で子供っぽいのだろう」と思える。
そして今ならきっとNOと言えるだろう。
相手に意見も出来るだろう。
それほど私が年を取ったということだろうか?
私の中で昔の純粋だったあの頃の私が なくなりつつあるのだろうか?
もしそうなら悲しいこととは思わないようにしたい。
勉強したのだと思いたい。
自分を否定したくない。
相手に合わせて自分自身を責めていたあの頃には戻りたくない。
もう嫌だ。
心の病気になるのは嫌だ。
相手が間違っていると思うならはっきりとそう言いたい。
それで相手との関係が終わるとしても良いではないか!
私はもっと私自身を大事にしたい。
私自身を好きになりたい。
いつも相手をYES,自分をNOとしていたら解決はできない。
はっきりと相手の悪いところは言おう。
もしそれで相手が去って行ったとしても それはそれで仕方ないことだ。
私は私、相手は相手と割り切って自分自身を認めてやろうと思う。
その上で良い人間関係を築くことができるなら こんな良いことはないと思う。
今は梅雨、雨の季節。
犬の散歩も大変なようだ。
今朝車で走っていて犬の散歩に出会った。
散歩していた犬はとても小さくて可愛い、流行りのチワワが二匹。
飼い主は傘を差しての散歩で大変だろうと 思いながら見ていると、 何とそのワンちゃんたちが黄色のレインコートを着ているではないか!!
これには驚いた。
前に何かの本で読んだのだが、 犬や猫に洋服を着せるのは飼い主の勝手な気持であって、 犬や猫にとっては迷惑なことらしい。
今朝見た光景は私に自分のことを思い出させてくれた。
私は過保護に育った。
私には先天性の心臓疾患がある。
だから母は私が生まれた時からずっと 私の体のことを心配し続けてきた。 今でもそうだ。
そしてその心配のあまり私を過保護に育てたのだ。
勿論運動やきついことは禁止されていたし、私の体に負担もあった。
でも日常の生活は皆についていけないことはなく、 私自身は不自由な思いをしたことはなかった。
でも母は私が学校から帰るまで不安で仕方なかったと言っていた。
何かあって連絡が来はしないか?
大丈夫だろうか?
母は私が無事に帰宅して 私の顔を見るまで安心できなかったらしい。
だから私のためを思って何でもしてくれた。
中学の時は家から遠く坂道もあったので、 母は毎日下校の時にかばんを取りにきて持って帰ってくれた。
いくら私が大丈夫だと言っても安心できなかったようだ。
だから私の生活全般に過保護になり、それは過干渉にもなった。
迷惑だと思ったことはいっぱいあった。
でもそれが当たり前だと思うようになっていったことも 確かだ。
私に娘が生まれ私の育て方が 母のしてきたことと同じことをしているのに気づいた。
私は母が私にしてくれたことが 母親のやり方だと思っていたから、 同じことをしてのだと思う。
でも幸いなことに私の娘は元気で生まれてきた。
だから過保護に育てる必要は全くなかったのだ。
過保護は過干渉に繋がる。
私の娘にしていることが過干渉になっていたのに 気づいてから、私は少しずつ変わっていった。
今娘は自立の時だ。
一番大事な時期でもある。
私は母親としての一番大切なこと 「見守る」ということを肝に銘じて今の時期を 過ごさないといけないと思う。
あのレインコートを着て散歩をしていた犬ちゃんたちの 本当の心はどんなのだろう?
考えさせられた今朝の風景だった。
誰の心にも不安はあるはずだ。
いくら平常心で居たいと思っていても何かが起こると動揺する。
不安で心がいっぱいになり居ても立っても居られない気持になる。
この不安な気持を持たないことはできるのだろうか?
訓練すればできるようになるのだろうか?
不安な気持にならない人はどんなにしているのだろうか?
教えてほしい。
疑心暗鬼という言葉がある。
本当かどうか分からないのに疑い悪いことばかり考えてしまう。
そしてその疑いや悪いことが心の中で大きくなっていく。
私もこの間その経験をしたばかりだ。
考えれば考えるほど分からなくなり、疑い始める。
その疑いは良い方向へは行かない。
悪い方向へばかり行ってしまう。
最後には自分自身の存在さえ認めたくなくなった。
あの時にその疑いをはらそうと努力をしなかった。
その怠慢が私を苦しめたのだ。
思い切って尋ねてみれば良かった。
結果は同じだったかもしれないけれど、 後悔はしなかっただろうと思う。
納得するまでには時間が必要かもしれないけれど 考え方を変え、又前に進んでいけるはずだった。 でもあの時は怖かった。
もしも確かめて今私が思っていることが正しかったらどうしよう・・・と 思ったからだ。
あの時にもっと勇気を持って尋ねていたら 事態は変わっていたかもしれない。
後悔してももう遅い。
疑心暗鬼になるのはやめようと思う。
あの苦い経験はもう二度としたくないから・・・
これからもしも疑心暗鬼になりそうになったら 勇気を持って尋ねてみよう。
そしてなるべく不安な気持や疑いの気持は 持たないようにしたいと思う。
悪い方ばかり考えていたら いつまで経っても事態は改善されないから。
2003年06月25日(水) |
食器乾燥機 再び・・・ |
前にもここに書いたのだけれど、私は食器乾燥機が欲しかった。
以前にO-157騒ぎがあった頃にも思ったことだった。
温度が75度以上で菌が死ぬと聞き、乾燥機がほしいと思った。
私の住むこのあたりは夏になると必ず渇水問題が起きる。
松山市は節水のために家庭で「食器洗い乾燥機」を 購入する時には補助金が出るようになっている。
私の友人も譜2人食器洗い乾燥機を買った。
勿論問題点もあるだろうけれど、 思ったより音も静かで何より便利だと聞いている。
私は食事の後の洗い物は嫌いではない。
冷たい水の嫌な冬場は別として、 汚い食器を洗ってまるでコマーシャルに出てくるように ぴっかぴかになると何かとても嬉しい気分になれる。
でも洗った後を拭くのが好きでないのだ。
布巾は雑菌の元だと知ってからいつも嫌だなあって思っていた。
そして拭いた後も水気が残っているような気がして 又拭きなおすこともある。
食器棚に入れて片付けるときにもその点がいつも気になっていた。
乾燥機があればどんなに良いだろうと思い続けていた。 夫に話すとデ電子レンジで乾かせば良いと言った。
何言ってるんだろう?
私が買うのが気に入らないような夫の返事に腹が立った。
布巾も菌がついているし、 毎日漂白剤を使っても日光消毒をしないといけないのではないか・・・?
面倒くさいな・・・そう思っていた。
今の梅雨の時期は余計にそう思う。
季節柄ばい菌の繁殖が気になる時期だ。
昨日思い切って食器乾燥機を買いに行った。
置く場所の寸法を測っていってそれに合うような乾燥機を買ってきた。
流し台がとても良い感じになった。
値段が案外安かった上に、なんと只だった。
電気屋さんのポイントが貯まっていたのでお金が要らなかったのだ。
何となく得した気分になった。
早速昨日の晩寝る前にタイマーをかけて初めて使った。
今朝起きてみるとぴっかぴかになっているではないか!!
まあ嬉しい!!
何となく料理をするのさえ楽しくなったよ。
自己満足と自惚れは違うと思っている。
ナルシストとも違うと思う。
ギリシャ神話に出てくる「ナルキッソス」 彼はナルシズム(自己愛)の語源になった美青年である。
ナルキッソスはとても美しい若者だったが、 彼を追いかける娘や妖精には無関心だった。
彼の前に現れた妖精エコーにもひどいことして、 エコーは声だけの存在になってしまった。
女神は怒って彼を自分しか愛せないものにしてしまった。
やがて水面に映る自分の姿に恋をした彼は 自分がいかにひどいことをしていたかを知ったが、 その時はすでに遅く彼は泉で死んでしまった。
その後に水仙の花が咲いたと言う。
ナルシストとは違っていても自分が一番と思うのは自惚れだ。
自惚れは人に不愉快感を持たれる。
でも自己満足はどんな状態であれ 自分自身が今の自分に満足していることだと思う。
周りの人たちから見れば変だと思えても 本人がそれで良いと思うのならそれが一番良いと思う。
私はあまり人の目は意識していない。
人からどう思われるかは考えたくないと思うからだ。
人の気持は大切だと思う。
でもまず自分の気持を大切にしたいからだ。
自分の気持に素直になりたいと思っているからだ。
そのために誤解されることも多いけれど それは仕方ないと思っている。
自分に満足していなければ心はいつも不満でいっぱいなってしまう。
それは悲しいことだ。
自分が満足することはとても大事なことだと思う。
自己満足の世界だって良いじゃあないか!
人に迷惑をかけないで自分自身をしっかり持って 生きていけるのは素晴らしいことだと思う。
私の残された後数十年の人生を私は自己満足の世界にしたいと思う。
自分に満足し自分を愛することができて初めて、 人を思いやり愛することができるのだと思う。
誤解を恐れず自分で良いと思える生き方をしたいと思う。
私には心を許せる親友が一人いる。
本当に彼女には何でも言える。
小学校からの友人だ。
彼女は私のことなら何でも分かるらしい。
だから、彼女には隠し事はできない。
と言うか、してもすぐに分かってしまう。
私にとっては本当に頼りになる友人だ。
小学校の時からの私たちは年を重ねるごとに 親しさが増してきたように思う。
彼女と私の性格は全く違うと言えるだろう。
元々彼女は大らかで、くよくよと考える私とは違っていた。
でも気持がとてもやさしい人なので 彼女の言った言葉で傷ついたことはない。
本音の付き合い、裸の付き合いをしているのだけれど、 今までに言い争ったことはない。
本音でぶつかって喧嘩しないって凄いことだと思う。
勿論彼女が私に腹が立ったことが無いとは限らないが、 私は彼女に腹立たしい思いを持ったことはない。
それは彼女がたとえ苦言を言ったとしても、 それが私のためを思って言ってくれているということを知っているからだ。
こんな付き合いのできる親友は他には居ない。
私は彼女になら何でも話すことが出来る。
夫の愚痴も娘の愚痴も皆含めて私のことを受けいれてくれる。
その後では色々と意見を言ってくれるし、励ましてもくれる。
今までにどれほど彼女に助けられてきただろう。
本当に有り難いと思っている。
彼女は一生の友になるはず。
彼女にとっても私は唯一の友になっていると思う。
これからの私の人生の中でも大きな存在であり続けてくれると信じている。
私が死ぬまで長く親友で居てほしいと思う。
娘がもう少し大きくなったら、彼女と2人で旅行したいねと話している。
その時こそ本当に裸の付き合いができると思っている。
のんびりとしたどこかの温泉に2人で浸かって ゆっくりとした時間を過ごしたいと思っている。
人間の体は不思議だ。
本当にそう思う。
私は最近食べられなかった。
確かに体が受け付けなかった。
体重は一週間で2キロ減りその後も毎日200グラムずつ減っていた。
40キロをきり遂には37キロ台にまで減った時これではいけないと思った。
昔の私ならどんなに減ろうがどうでも良いやと思っただろう。
もしかしたら減っていくのが楽しくてますます痩せていくことになっていたと思う。
でも今の私は違っていた。
これ以上は痩せたくないと思った。
毎日骨ばっていく自分の体を見るのが嫌だった。
勿論裸で歩くのではないから私のここまで痩せた姿を見る人は居ない。
でも自分自身が嫌だった。
今回こうなったことには原因があった。
私には分かっていた。
私一人の力ではどうしようもなかった。
時が解決してくれると思っていた。
あれから10日が過ぎた。
私の気持の中で少しずつ変っていった。
そして昨日から食事が喉を通るようになった。
昨日の昼はパンを一つ食べることができた。
夕食にはご飯を一膳食べることができた。
勿論食べたと言ってもこんな食べ方では太れないと思う。
でも急に食べると今度は本当に胃が悪くなると思う。
無理はしないで少しずつ食べていこうと思うようになった。
「思うままに」も一応めどが付いた。
少しずつ嫌なことも忘れることができるようになってきている。
又元の体重に戻れる日もそう遠くはないと思う。
それにしても精神的なものって怖いなあとつくづく思った。
私がHPを立ち上げてしばらくして載せだした文章があった。
それは自分で思うことを自由に書いたもので「思うままに」という 題で載せたものだ。
今回HPを閉じた時からずっと気になっていたことがあった。
今まで書き綴ってきた「思うままに」を再校正して一つの本のようなものにしたいということだ。
私のHPを初めから毎日覗いてくれていた人が この「思うままに」を終えたときに見せて欲しいと言われ、 テキストとして送信したことがある。
その人はそれをプリントアウトして、 一冊にして表紙まで作ってくれたと聞いた。
本当に有り難いと思った。嬉しかった。
他にも見てくれる人の中で、 是非本にしたら良いと言ってくれる人が居た。
その時は「何で私が本なんて・・・」と思っていた。
本にするなんて思いもしなかった。
でも今回HPを閉じた時に、 私のパソコンに残している「思うままに」の量の多さに驚いた。
毎日唯思うままに書き綴ったものが これだけの量になって残っているのに驚いたのだ。
そしてこれらを再校正して本のような形にしてみたいと思うようになった。
この10日間ずっと今までの「思うままに」読み直し校正し直した。 正直言って疲れた。
丁度食べることが出来なくなっていたこともありしんどかった。
でもやっと昨日、一応の形ができプリントアウトをし始めた。
予定では5部作るつもりだったが、 読みたいと言ってくれる人が居て結局10部作ることにした。
プリンターの調子が悪くて中断しながら毎日少しずつプリントアウトしてきた。
再校正したとは言え、誤字脱字があると思う。
読んでくれる人たちには申し訳なく思っている。
でも、これもまた私の作品の良さだなんて勝手なことを思っている。
確かにこのことが私の中で一区切りになった。
これからも毎日取りとめもないことを書いていくつもりだ。
そして「思うままに」の第二集を作ることができたら良いなと思っている。
今日、新車が来る。
私の車「ムーブ」だ。
10日ほど前に「ダイハツ」へ半年点検に持って行った。
年が明けると5年目の車検になる車だ。
今乗っている車は3台目の車なのだがそれまでの車に比べると、とても乗り心地が良く、腰の悪い母も乗りやすいといっていた。
だから今回も同じ「ムーブ」にした。
内容が一段と充実していると聞いた。
ドアはそれまでのと比べると薄くて丈夫にできているとか。
薄い分中の広さが少し広くなっているらしい。
又角度が90度開くので、乗り降りがしやすいそうだ。
エアコンはオートエアコンで丁度良い温度に設定しておくと、そのまま一定の温度で居られるという。
私が今回買い換えようと思ったのは、内容の充実よりも今が買い換えるのに一番良い時期だと言われたからだ。
本当ならもっと乗れると思っていた。
40000キロ走ってはいたが、 全く悪いとことはなく走りも快適だった。
でも、営業の人に今なら結構良い値段で引き取ってくれると聞いた。
後半年間車検までの期間が残っているし、 私が半年ごとの点検をしているので 車の調子に問題のあるところがないと言う。
たまたまこのダイハツの社長が私の高校時代の同級生で、 去年の同窓会の時、「今度車を買い換える時には言ってほしい、安くするよ」と言われていた。
そこで今回彼のお言葉に甘えさせてもらい、営業の人に事情を話した。
結局は了解ということで、便宜を図ってもらえたというわけだ。
思っていたよりも高く引き取ってもらえた。
そこで思い切って買い換えることにしたのだ。
昨日、今乗っていた車の中のものを出し、綺麗に掃除をした。
「今まで事故もなくお世話になりました。」の気持を込めて掃除をした。
今日来る新しいムーブと会ったらどんな気持になるだろう。
しばらくは緊張するかもしれない。
こすったりぶつけることをせず又事故もなく丁寧に乗ろうと思っている。
私は思い込みが激しい方だ。
何でも自分が思うとそのことばかりが気になってしまう。
もっと楽に色々な考えを持てると良いのだが・・・
そのために誤解をしてしまう。
特に人との関係で思い込みをするともうどうしようもないほど 気が滅入ったり、嫌になったりする。
誤解をしていることが多い。
だから、その誤解が解けると、又元のように何にもなかったときに 戻れるのだけれど、これがなかなか難しい。
素直に自分の心を相手に言ってしまうことが多いので 私のことをあまりよく知らない人は驚くようだ。
皆心に仮面をかぶって、体に鎧を着ているように思える。
本音で付き合えるのは昔からの親友だけのような気がする。
勿論メール交換をしている人の中にも、昔からの友人のように 何でも話すことが出来る人が居る。
本当に恥も外聞もなく話てしまう。
それはその人を信頼しているから話すことが出来るのだと思う。
私の思い込みが正しい時は良いけれど、それが私の誤解の時は 大変になる。
誤解はなかなか解けないのでそのまま疎遠になることもある。
とことん話すことが出来れば誤解も解けるし私の思い込みもなくなる。
もう少し柔軟な心を持ちたいと思う。
思い込むのは止めようと思う。
この間から私は自分の昔のあの「拒食症」のことがとても思い出されて仕方がない。
最近私が食べられなくて体重が減少しているからだと思う。
確かにあの18歳の頃とは違う気もする。
でも体重が減っていて食欲も出ないことは似ている。
私が今ここに敢えてこのことを書こうと思ったのは自分自身を取り戻したいと思うからである。
そして最近よく病院や町で昔の自分とよく似た姿を見ることが多くなったからである。
一昨日行った日赤で後姿にその辛さを背負った中学生の女の子を見かけた。
スタイルが良いというよりは痩せすぎている女の子だった。
多分彼女は「食べたい、けれど食べられない・・・食べるけれど太りたくない、だから食べたくない・・・」 という複雑なこころの葛藤に毎日、毎食悩まされているはずだ。
この気持は心の病気「拒食症・・・神経性食思不振症」「過食症・・・過食嘔吐」を経験した人でなければ絶対に分からない気持だと思う。
私には中二の娘が居る。
体格は良く痩せてはいない。
でも太っているわけでもない、健康的な体をしていると思う。
しかし、本人は最近自分の体重や見掛けのことをとても気にしている。
そして、ダイエットをしたい、スポーツジムに通って痩せたいと言い出した。
私には今の娘が一番良いと思う。
だからダイエットなんて必要ないと思っている。
でも、今は雑誌でもTVでも痩せているのが一番だというような間違った情報が流れている。
だから年頃の娘が自分と比べて痩せたいと思うのも仕方ないことかもしれない。
私は自分自身の経験から、娘にはダイエットはしてほしくない。
機会があるたびに私の昔の話をして娘に分かってもらいたいと思ってきた。
いくら痩せたいと思いダイエットをしようとしても、食欲を抑えることができなくて途中で止めるのが普通だ。
娘も時にダイエットをしようと食事の量を減らそうとしているが、そう言いながらも美味しい好物があるときは普通に食べている。
そしてとても幸せそうな顔をしている。
これで良いのだと思う。
私の昔のことを思い出して娘が正常な食欲の持ち主だったと喜んでいる。
この病気「拒食症」になる人の年齢層がだんだんと低くなっていると聞く。
中には小学生の子供も居るらしい。
私は19歳のときに発症した。
だからもうすでに体の成長は止まっていた時期だった。
でも小学生や中学生の頃は体も心の成長が著しい時だ。
そんな時に病気になると栄養は摂れず、骨や体全体の成長も止まってしまう。
それがとても怖い。
この間見かけた子供は小学3年生だと聞いた。
昨日見た子供は中学生だろう。
親はどんな気持でいるだろうと思うと心が痛む。
私の母も同じ気持だったのだろうと今は理解できる。
でも当時の私には理解できなかった。
そしてもっと私の気持を分かって欲しいと思っていた。
自分のことしか頭になかった。
いくら周りの人が心配しても全く受け付けなかった。
心が病んでいるのだから、心の治療をしないと治るはずがなかった。
その頃はまだこの病気のことが知られていなかったから、医者でさえわからないことが多かったようだ。
心療内科に入院してはじめて私にも自分のことや気持が見えてきたのだと思う。
長く苦しいトンネルの中に居た。
自暴自棄になって死にたいと何度思ったことか。
もがけばもがくほど底なし沼に入っていくような感じだった。
誰にも分かってもらえない気持ほど辛いものはない。
そして自分でどうして良いか分からないことほど苦しいものはない。
今私は体も心もしんどくなっている。
でもあの頃とは違う。
私は私の力を信じている。
きっと立ち直ることが出来る。
気持を楽に持って、流れに逆らわず自分の気持を見つめなおしていこうと思う。
もうあの地獄のような毎日を過ごすのは絶対に嫌だ。
もうそろそろトンネルの出口から明るい光が少し差し込んでいるような気がする。
もう直ぐ抜け出すことが出来るだろう。
私は私の心に素直になりたい。
昨日ある場所で、とてもステキな夫婦を見た。
父の薬がなくなったので、日赤へ薬をもらいに行った。
会計を済ませ、薬が出来るまでの少しの時間TVのあるロビーで待っていた時のことだ。
はじめは座っている男性の後姿しか見えなかったから どんな人なのか分からなかった。
その人は一人で座っていた。
そこへ奥さんらしき女性が来た。
年齢は60代の前半くらいに見えた。
髪はショートカットでパーマがゆるくかかり とても顔に似合っていた。
色の濃いロングスカートに グレーのハイネックで半袖のニットを上に着ていた。
男性に近寄ると、顔を寄せるようにして 何か話しかけた。
その時何気なく男性が後ろを向いたので 私は男性の顔を見ることができた。
後姿がステキだったが、振り向いたその顔が又とても ステキな人だった。
メガネの奥には落ち着いた優しそうな目があった。
その目は笑っていた。
奥さんが何気なくそのメガネについている埃か何かを 取ろうとてを伸ばし、男性もされるままにしていたあの姿が とても好感が持てた。
もし私が夫に同じことをしていたら夫の態度はどうだっただろう?
父ならどうしていただろう?
二人共恥ずかしい所為かもしれないけれど きっとその手を邪険に払いのけていたに違いない。
そう思う。
だから、私の目に居る夫婦の姿がとてもステキにな思えたのである。
お似合いの夫婦だった。
まるで昔TVに出ていた、フルムーン旅行のコマーシャルを 見ているような気がした。
男性の着ているジャケットも奥さんの着ているセーターの色も 上品で私の好みの色だった。
2人がそこに居るだけで周りの空気が柔らかくなったような 気がしたのは私だけだったのだろうか?
あの夫婦の家庭の様子を思い浮かべることができた。
きっと静かで落ち着いた良い感じの家庭に違いないと思った。
出来るなら私たち夫婦もあのようになりたいと思った。
理想と現実は違うけれど、昨日はとてもステキな夫婦の姿を 見ることができて幸せだった。
もしも、人生にリセットボタンがあったら、どんなに良いだろう!
私にはあの頃に戻れたらもう 一度人生をやり直したいと思う青春時代がある。
若くて、私の人生の未来へ踏み出す準備の整っていたあの頃、
何もかもが初めてのことだらけ、毎日胸をワクワクさせて 生きていたあの頃。
「箸が転げても可笑しい」とよく言われるあの頃、 輝いていたあの頃。
そう、あの頃に戻れたら、私は今とは全く違った人生を 歩んでいただろう。
この年になって、昔を懐かしんでも 二度とあの青春時代は戻ってこないと実感している。
だからこそ、神様が私に一度だけのチャンスをくれるなら、 あの頃に戻して欲しいと願うだろう。
もしも、あの頃に戻れて、やり直すことができるなら 私は何を一番にするだろう。
きっと私が進んだ大学とは違う大学に進むだろう。
幼い頃から、将来の希望なんて全く持っていなかったから 何になりたいと聞かれても即答できない私だったけれど、
もしも、あの頃に戻れたら、私には勉強したいと思う学問がある。
今の私だからこそ、勉強したいと思うものが 見つかったのかもしれないけれど・・・
今からでは遅くはないけれど無理な道だと思う。
人生に遅いというものはないのだと誰かが言った。
思いついたその時に実行すれば良いのだとも言う。
確かにそうかもしれない、 でも、若いからこそ取り組むことが出来ることだってあるように思う。
今こうして心に思うことを書き綴っていること自体 愚痴だと言う人は必ず居るだろう。
愚痴に聞こえても仕方ないけれど、 愚痴は愚痴で意味があるように思う。
今の私は自分に可能性のないことでもやってみたいと 思えることがある。
成功、不成功は関係ない。 でないと心の中には何の進歩も無いと思う。
決して愚痴で終わらせたくない。
人生にリセットボタンがあればどんなに良いだろうと 願うことも愚痴に思われるかもしれないな。
出来ないこと、叶わないことを願うことぐらい 馬鹿なことはないとも思う。
でも、良いじゃあない。
私の心の中で自由に思うことぐらい自由に思わせて欲しいな。
私はあの頃に戻れたら、心理学の勉強をして 出来れば心理学の専門家になりたい。
臨床心理士の資格が欲しい。
そして、心の病で苦しんでいる人たちの手助けをしたい。
今私の願う道はこれ。
本当にリセットすることが出来たら、どんなに嬉しいだろう!
今日は「父の日」だ。
父の日は母の日に比べてあまり一般的ではなかった。
でも、最近はデパートなどの商法に釣られてか父の日を祝うことが 普通になりつつある。
母の日があって父の日がないのはおかしいということで、 アメリカの一夫人が男手一つで育ててくれたお父さんに感謝するパーティーを開いたのが始まったとか。
その後1934年に父の日委員会が結成され、 母の日にならって6月の第3日曜を父の日に制定されたそうだ。
日本で一般的な行事になったのは昭和28年(1953年)から。
そして母の日のカーネーションに対して父の日のシンボルは白いバラとされている。
私達家族のために一生懸命に働いてくれているお父さんのために 美味しいご馳走を作って、日頃の労を労ってあげる日。
娘は今日の父の日のに、手作りのものをプレゼントすると言って 昨日材料を買っていたみたい。
さて、どんなものが出来上がるのか・・・
きっと夫は心待ちにしているに違いない。
私の父は今年の夏、82歳になる。
この間胆石の検査入院をしたものの、元気で病気一つしたことがない。
趣味が掃除だから、実家はいつ行っても綺麗に片付き 外回りも家の中も、芝生も全て綺麗になっている。
母はこのことがもう当たり前になっているから ありがたさを感じていないかもしれない。
でも、これって凄い事だと思う。
もし父が居なかったら・・・
もし父が掃除などしない人だったら・・
母は年老いてしんどくなっていても自分で 掃除をしないといけないのだから。
これは本当に有り難いと思わないと!!
父は警官だったから、私の小さい頃の思い出の中に 父は出てこない。
正直言って淋しいけれど、仕事柄仕方ないことだったと思う。
私は父に顔も正確も似ていると言われる。
嫌だなあと思ったこともあったけれど、 父親に似ると娘は幸せになれるというから 最近は、ああよかったと思えるようになった。
そして80歳まで働き続けた父に心から感謝している。
今晩は両親と私たち3人で父の日の食事をすることになっている。
「父さん、これからも元気で長生きしてね、100歳まで生きると言っていることを、夢ではなく実現してね!!」
「°・:,。★\(^-^ )♪ありがとう♪( ^-^)/★,。・:・°」
休むことをしない私は馬鹿。
誰に言われても出来なくて、最後の最後までして 倒れてしまうお馬鹿さん。
いつも一生懸命。
何にでも一生懸命。
私はこれで良いと思ってやってきたけれど いつか倒れてしまうことになるのは必至だ。
何故?
いつから?
休むことをしない人間になったのだろう?
いつもそう。
何かに急かされているような気持がしている。
私の周りの誰も、私を急かせはしないのに。
休むことに罪悪感を感じるのだ。
休んでいると、不真面目でサボっていると思われるのではないか?
私はまじめで、一生懸命なんだということを認めてもらいたいのではない。
人の評価を気にしてはいない。
でも、周りの人が私が休むことをサボっていると取られるのが嫌と いうことは、やはり周りの、自分以外の人の評価を良いものに したいということの現われではないか?
いつからこんな性格になったのだろう?
生まれ持ったものなのだろうか?
それとも、私の病気がそうさせているのだろうか?
私にも分からない。
休むことを罪悪だと私が思っているから 夫や娘がぼんやりと何をしているふうでもなく ぼうっとしているのを見ると、何か腹立たしくなるのだと思う。
私がいけないのだ。
本当に「白か黒かの判断」しか出来ない私がいけないのだ。 短絡的な人間だ。
私の一番の欠点でもある。
もっとファジーに、
もっと楽に、
もっと心を豊かに、
生きて行きたい。
生きていければ嬉しい。
でも、きっと私は死ぬまでできないのだろうな・・・
やはり私は馬鹿なんだ。
まさか?・・・
食欲が出ないの、どうしよう・・・
朝から何にも食べてないのに、お腹が空かない。
体は欲しているのだろうけれど、食べる気が全くしない。
何故だろう?
痩せたいなんて思ってないのにな。
この一ヶ月とちょっとの間に、3キロ減った。
骨がごつごつして、自分でも嫌な感じがする。
あの30年前の、あのときのように、全く食べる気がしない。
もしかして拒食症?
まさか!!
あれは若い人がなる病気。
年を取るに連れて治る病気だと、当時の先生が言ってた。
食べないと胃の状態はとても快適だ。
痛みもなし、胸の悪さもなし、張った感じもない。 この点は嬉しいけれど、のどの渇きも感じない、 これは変。
体全体が食べることを拒否しているみたいだ。
夫の私に言ったの言葉はとても悲しかった。
私なら絶対に言わない言葉を夫は言った。
信じられない・・・ 人を傷つけるのが分からないのかな?
私が、肩の凝りがあるので、首筋を自分で揉んでいた時に やはり骨ばってきたなと思いながら、後ろに居た夫に 「骨が出たでしょう?」と聞いたら 夫は「そう、骨ばかりで、柔らかな感じがしないね」と言った。
まさか、こんな言葉が返ってくるとは思いもしなかった。
私ならたとえ思っていても 相手がやせたことを気にしているのが分かるなら、 絶対に言わない。
情けなかった・・・
涙が出てきた。
夫婦って何だろうって思った。
相手の苦境の時こそ、支え合うのが夫婦だと思ってた。
心の中で思っていても言わないでいいじゃない!
もしも言葉にするなら、「大丈夫よ、又太るよ。気にするな」と 言うのが本当では?
こう思うのは私の傲慢さかな?
相手が自分と同じ気持や考え方をしているとは思わない。
けれど、少しは気遣ってくれても良いのではと思った。
でも、夫への不満ばかり言っていても仕方ない。
不満を言わないようにしようと思っていたのに。
何か口に合いそうなものを買ってきて 少しは食べなきゃ。
これ以上痩せるのは駄目だ。
もう二度とあの苦しみを味わいたくない。
何でも良いから、食べてみよう。
この気持は何だろう?
何か虚ろで、ぽっかりと穴が空いたそんな気がしてならない。
人の疲れって、肉体的な疲れと精神的な疲れとでは どちらがその人にとって、しんどいものなのだろうか?
例えば運動をしたり、片付け物をしたり、 庭の用事をすると、夕方になると体の疲れを覚える。
でも、この体の疲れは、その日の夜、お風呂に入り ゆったりとした気分になって、そのあと、好きなものを 食べたり飲んだりしたら、全部は無理としても 少しは疲れが減るように思う。
一晩か二晩ぐっすりと眠ることができたら 次の日には、あれほどしんどいと感じていた 体の疲れは、取れていると思う。
でも、精神的な疲労は、いくら温泉に浸かっても 又美味しいものを食べても、一時には解消されないと思う。
心の疲れは、その人が考え方を変えるとか 気分転換をするとかすれば、少しはましになるだろう。
一時的に楽になることはできるけれど、その人が その悩みや苦しみから完全に解き放たれる時はなかなか やってこないと思う。
自然の中に横たわり、青い空を眺めたり 緑に囲まれた環境の中で、時間のことを気にせずに 何時間でも、居れば少しは違うものになるだろう。
しかし、心の問題は、体の問題に比べると 単純ではないから、その分、時間も多く 掛かってしまうだろう。
そして、結局はその人個人個人の考え方を変えない限り 状況も変化しないし、悩みも解消されないと思う。
心が疲れた時は泣くと良い。
思いっきり泣けば、その涙で心が洗われるかもしれない。
泣くことによって心の浄化が起こるはず。
それでも駄目なら、思いっきり叫ぶのはどうだろう?
大きな穴を掘って、「王様の耳はロバのみみ」と叫んだ子供のように 泣き叫ぶ場所を見つけていないと、それは耐えられないと思う。
自然も良い、音楽や絵画も良い。
環境を変えることによって それまで抱えていた心の中のことを 人にはなすことも出来るだろう。
そして、私だけだはなかったと思えるようになると思う。
いくら焦っても道は開けないことが多い。
もう少し自分自身の体を楽にしてあげよう。
そして、今私には何が必要かということも自分自信が気づき、 それなりに楽にしていきたいと思う。
又同じことをしてしまった。
何故いつも同じことをしてしまうのだろう?
自分がとても情けない。
人は失敗しても良いと思う。
その失敗を教訓にして、二度と同じ過ちを犯さぬように するのが本当なのに、又同じ失敗をしてしまった。
本当に・・・
本当に・・・
情けないし、
恥ずかしい。
私は自分で自分を良い人だと思ってる。
周りの人はどう思っているかは知らないけれど 少なくても、自分自身が良い人だと認めているから それはそれで良いだろう。
只いくら良い人であっても、親切の度が過ぎると 相手には重荷になるのだろうな・・・
いつもこれで失敗してしまうのだ。
子育てもそうだった。
自分では良いと思い、良いお母さんで居ようと 思ってしたことが、結局、子供のためにはなっていないのだ。
分かっているのに、いつも同じことをして 後でしまったと気づいても遅いことは 百も承知なのに。
いつも迷い、自問自答の毎日だ。
その悩み、迷いながら、自分なりの結論を出しているのだけれど それは相手のためでははくて 結果的には自分自身のためにしていることが多い。
だから、相手には感謝さえるどころか、迷惑に思われる。
辛いことだけれど、仕方ないな・・・
今度こそ、もう二度と同じ失敗をしないようにしたい。
もう後ろは振り向かず、前を向いて生きて行きたい。
人は何故楽しかった思い出しか思い出さないのだろう?
辛く悲しい思い出もあったはずなのに、今その記憶の糸を たどっていくと、いつも楽しかったことしか思い出さないのだ。
人は自分自身をつぶさないように、心にバリケードを作っているのだろうか?
そうとしか思えない。
あの時に戻れたら?と思うことが度々ある。
あの時に戻れたら、あの道と反対の道を選んで 歩いて行った筈だと思うことがある。
でも、過ぎ去った人生を修正することはできない。
新しくやり直すことは出来ても、過去に戻って、その時点から もう一度別の道を歩くことができないのだ。
もしも、それが出来るなら、却って人生はつまらないものに なってしまうかもしれない。
失敗や挫折や、諸々のこころの傷を全部ひっくるめて 今の私があるのだから。
私は何事でも急いでしようとしてしまうところがある。
この性格は私の小さい頃からのものだと思う。
いつも何かに急かされているような気持になるのだ。
決して、私の回りの人たちが、私を急かせているのではない。
私一人のこころがいつも何かに追われている感じがするのだ。
きっと、私と接している人はそのことに気づくと思う。
そして、そんな私から逃げ出したいと願うだろう。
何故そんなに急ぐのか?
私は生まれ持った心臓疾患が原因だと思う。
死は誰にでもいつかは訪れるものだ。
どんな金持ちでも、どんなに地位名声のある人でも 死を避けることは出来ない。
早い遅いの違いはあるけれど、人はいつかは死ぬ。
私は死を恐れてはいない。
強がりでもなんでもなく、死ぬということに 恐怖感を抱いたことはない。
人はとても不思議に思うかもしれないけれどそれは本当だ。
もしも、今「あなたはもう長くはない」と言われたとしても 私は取り乱さない自信がある。
こういう人に限って、長生きするとある人は言った。
そうかもしれない。
昔から「憎まれっ子、世に憚る」と言われているように。
家族からも疎まれ、友人からも見捨てられたら、 これ以上生きて行きたいとは思わない。
思い出として私のこころに残っている、 あの楽しかったことを胸に いつでも消えていくことが出来る自信がある。
そう、今思うと楽しかったことしか 頭に浮かばない。
私の楽しかった思い出は、誰にも消されはしないし、 修正されもしない。
これからの私の人生も又、楽しい思い出だけが残ることを願っている。
あなたは無理をしてないだろうか?
無理をすれば道理が引っ込むという。
無理とは理をなくするということなのか? 川を流れる水は、底に大きな石があればその流れる道を 右に左と変えながら流れていく。
そして、川の流れは上流の川幅の狭いところでは 急であっても、下流に近づくにつれて ゆっくりとなり、やがて大海に流れて行く。
流れる水のごとく、私達人は時の流れに身を任せ どんな状況の時でも自分を見失うことなく 又希望を忘れずに生きて行きたい。
私は無理をするなといつも母に言われる。
確かに、無理といえば無理をし続けているのだろう?
こうして毎日、体を壊さずに生活できるだけで 母は上等だと言ってくれる。
確かに、私は人よりも大きいリスクを背負って生きている。
いつどんな状況の中でも、自分の体が一番であるという 認識を持って生きていかねばならない。
でも、
でも、
でも
私は自分自身の中に、自分との戦いの場を意識している。
自分に負けないようにと思い続けてきた。
人に負けるのは良いのだ。
でも、自分自身に負けるのは嫌だった。
自分で必死に言い聞かせながら生きてきた。
その時その時の状況に応じて、自分の生き方を 見つめなおして生きてきた。
辛かったことや苦しかったことに負けないようにという 何か、突っ張った考えを持っていた。
その考え方があったからこそ、今の私があると言っても 過言ではない。
正直言ってとてもしんどかった。
無理をしていた生き方だった。
無理をしていると長くは続かない。
無理をしていると自分の周りの人たちにも 気を使わせてしまう。
本当に流れる水のように、自由に、自然体で 生きていくことができたらどんなに良いだろう。
いくら人に言われても自分自身が気づかなければ どうしようもない。
もし今までの生き方に無理があるとすれば 軌道修正をしていかなければいけない。 、 思っていても実行しなければ 何にもならない。
こうして人として生まれてきて生きているのだから 少しでも自分自身が楽なように生きていこう。
川の水のように。
昨年の春、パソコンを始めてから色々な人との出会いが会った。
今その人たちに支えられてここまでやってこれたことを こころから感謝している。
本当に°・:,。★\(^-^ )♪ありがとう♪( ^-^)/★,。・:・°
何度挫けそうになったことか。
何度投げ出してしまいたくなったことか。
それでも、こうして今まだHPを維持していくことが 出来ているのは、知り合った友人たちのお陰だとこころから思っている。
勿論、今までには良いことばかりではなかった。
知り合うことがなければ、味わうこともなかったであろうと 思うこともいっぱいあった。
結婚してから今日まで、専業主婦しかやったことのない私にとって 未知との遭遇だったように思える。
こころからの友人になれそうだと思っていた人との トラブル、 信じていた人からの裏切り。
それまで経験したことのなかったことだったから 私は、 落ち込み、 傷つき、 ご飯も喉に通らず、 蒲団をかぶって寝ていたいとさえ思う日々の連続。
後悔したことだっていっぱいあった。
自分が情けなくて情けなくて仕方ない日々が続いた。
でも、それだけではないと思った。
悪いことばかりではなかったから。
良い人たちとの出会いもいっぱいあったから。
HPを開かなかったら、絶対に知り合うことの無かった 日本の北から南まで数多くの友人ができたことは 私にとっては、本当に宝物だと思っている。
いつまでもこのままと願ってはいたけれど 私に今ひとつやりとおしたいことができたのだ。
それは、私の今までの目標にしていた ピアノと同じくらいの重さで、 私の胸の中いっぱいに広がっている。
HPをしばらく閉じて、今私の胸の中で 暖めていることを仕上げたいと願っている。
本当に残念だけれど、 訪問してくれる人の数が20000人になった時点で、 今のこのHPは閉じようと決心した。
どのくらい掛かるかは分らないけれど 私の今のこのやりとおしたい一つのことを仕上げれば また再開しようと思っている。
だから、いつも見てくれている人たちへ さようならをすることにした。
本当に今まで有難う。
私は本当に幸せ者だった。
こころからの感謝の気持を皆にささげたい。
★あ(^ - ^) り(- ^ ) が( ) と( ^ -) う\(^ 0 ^)/★
今年の夏休みに、娘の通う中学で二年生を対象にした ホームステイが行われる。
行き先はグァム島。
娘は中学生になった頃から、どこか、外国へ留学したいと 言い続けている。
はじめは、本気だとは思わなかったから、 私も真剣には考えなかった。
でも、その気持は次第に大きくなっているらしい。
私の友人の娘さんが、中学の時に通う中学が肌に合わず 登校拒否になり、カナダへ留学して高校を卒業 するまで、カナダで暮らしたという話を聞いているので、 それも良いなと思ってはいた。
そして、今年の夏休みにある団体からカナダのバンクーバーへ ホームステイの話があることを聞き、 娘は参加したいと言っていた。
でも、今カナダのトロントのSARSのことがあるので バンクーバーとトロントは場所は違っているけれど 同じカナダなので、私は(・_・?) ン?と思っていた。
母は行かさない方が良いと言っているし 娘もとても病気に関しては神経質な子どもなので 行きたい気持との間で迷っていた。
そこに今度のグァムでのホームステイの話を聞き、 私は諸手を挙げての賛成だと言った。
娘も行きたいと言うので、申し込みをするようにと言い、 昨日先生に申し込み用紙を提出したらしい。
その、申し込み用紙は、今までの委員会活動、奉仕活動、 係り活動のことや、 ホームステイしたいと思った動機、 又どんなことをしてみたいか? 、このホームステイをこれからの生活に どういうふうに生かしたいか?
などなど・・・
記入して申し込みをした。
私は、娘は一人っ子なので、もしステイ先に兄弟が居て、 その人たちとの交流によって、兄弟の味を体験できることや
日本ではなく現地の生の英語に触れることができることは これからの娘の生活にはとても意義があるし、 一生の思い出に残ると思う。
だから、是非体験させてやりたいと思っている。
只、このホームステイの申し込みが定員13人を 大幅に越えているらしい。
多ければ抽選になるという話を聞き、 これは運の問題だから、行けるかも、行けないかも しれない。
親としては、運良く、行ける様になれば良いなあって 心から思っている。
2003年06月06日(金) |
初心をわすれないように |
何故、人は慣れてくると、はじめはとても 感動したり、嬉しかったりしたことが 物足らなく、又つまらなく なるのはどうしてだろう?
当たり前になると、「有難い」という気持も 薄れてくる。
そして、時が経つにつれて有り難さから不満の気持に 変わっていくのだ。
何か変。
どうしてはじめの頃の気持を持ち続けることが できなくなるのだろう?
結婚式の時のあの気持ち、 神様、神父様の前で誓ったあのときの気持ち、
あの感激、
あの喜び、
全て時が経つに連れて薄くなり忘れていってしまう。
子供が生まれたときのあの感激や喜び、 最初の一歩を歩みはじめたときの嬉しさ。
はじめて「お母さん」という言葉を聞いた時の あの言葉も出ない程の思い。
何の欲もなく、何の望みもなく
只無事で健康で成長してくれるだけを願ったあの日。
それが、子供が大きくなるにつれて 親の気持を押し付け、 親の思うようにして欲しいと思うようになり 親の期待をその小さな背中に背負わす。
何かが変。
初心を思い出してみよう。
きっと分るはず。
初めて車の運転をしたときの感激と喜びもそう。
運転が当たり前になってくるにつれて 教習場で習い勉強したことを忘れてしまう。
あの仮免許ではじめて路上に出て運転した時の あの自分の注意を思い出そう。
真剣に、集中して運転していた頃のあの気持を 今も持ち続けていたら 事故は起こらないかもしれない。
ちょっとした油断、
このくらいなら良いだろう?と思う気持のゆるみ。
一瞬の判断の遅さ。
皆が初心者マークをつけて走っていたときの ことを思い出せば事故も減るかもしれない。
そう、何でもそうだ。
慣れると人は気のゆるみを持つ。
慣れると有り難さを忘れる。
慣れると不満さえ持つようになる。
怖いことだ。
はじめの頃の気持ちを思い出そう。
初心に戻ろう。
きっと、何かが見えるはず。
そしてきっとあのときのあの感激を思い出すはず。
私も原点に戻ってもう一度考えてみようと思う。
昔、娘がまだ赤ちゃんだった頃、
誰かが「分らないかもしれないけれど、絵でも音楽でも 本当のものを見せたり聞かせたりすることが大切だ」という 話を聞いた。
子供は純粋で、無垢で言わばまだ書いていない真っ白な ノートみたいなもの。
その真っ白い紙面に、なにを書くか なにが書かれるかはわからないけれど 分らないから必要ないとは思わないで
良い物を見せたり聞かせたりすることは とても大事なことだと思う。
娘がまだ幼かった頃から、毎年、春、秋には 美術館へ連れていって、本物の絵を見せていた。
反応はまだ返ってこなかったけれど 確かに娘の目は、良い物を見ていたと信じたい。
又音楽会も幾度となく足を運んだものだ。
ピアノの演奏会だけではなく チェロの演奏会、オーケストラ、室内合奏、 バイオリン、歌曲、ミュージカル オペラ・・・
数多くの良い音楽に親しんだ。
今その結果はまだ出てはないけれど 絶対に娘の心や頭には、これらの良い音楽は 残っていると思う。
勿論演奏会に行くには時間もお金もかかる。
私は特に夜の外出が好きではないので 演奏会のある日は夕方になると何故か 心がそわそわして落ち着かない気分だった。
でも、いざ会場に行って、演奏会を聞いていると やはり来て良かったと納得したものだ。
昨日私は友人と小さな美術館へ行ってきた。
チケットを2枚もらっていたし、友人が行った事がない ということなので、誘って行った。
静かな環境の中に、その美術館は建っていた。
館内の雰囲気もとても落ち着いた良い感じだった。
私達が行ったのは「加山又造版画展」だった、
小さなものから何号かは分らないけれど 大作もあった。
版画というものは、私が小学生の時に 削った覚えはあるけれど、
その版画の手法に寄って、まったく違う作品に なっていくのだ。
まるで生まれた子供の成長ぶりに目を張るばかり。
版画?と信じられない技法や感性で 描かれていた。
「木版画」(凸版) 板の表面に下絵を描くか、 あるいは下絵を描いた薄い紙を貼り、 必要な選を彫刻等で彫り残して凸版刷りする方法。
「リトグラフ」(平版) 石版画のこと。水と油の反発しあう性質を利用した技法
「ビュラン」(凹版) 彫刻銅版画。ビュランはフランス語で英語では エングレーバー。
他にも技法は「ルーレット」 「エッチング」「ドライポイント」 「メゾチント」「アクアチント」「ソフトグランド・エッチング」 などがあるそうだ。
意味も分らない、方法も想像できない技法だけれど 何でも本物に囲まれていると、それら全てがとても貴重なものに 思えてきた。
下絵を描く人、その下絵の線にそって彫る人、 そしてそれを摺る人
この3人の感性や技の終結したものが 結局一つの作品となる。
工程一つ一つにその人の魂と力が籠もっている。
感動することばかりだった昨日の版画展。
このような静かな小さな美術館で楽しく 又嬉しい時間を持つことができてとても嬉しかった。
こんな良いものを本物を見ることができるのは 幸せだとつくづく思った半日だった。
これからも、分らなくても良い 本物を見、本物を聞き続けたいと思う。
あなたの夢は何だろう?
夢は叶うと信じてる?
夢は只の夢とあきらめてない?
私には夢がある。
とても小さなささやかな夢。
でも、叶えたい・・・
あきらめたくない・・・
この間プロスキーヤーの三浦雄一郎さんが 世界で最年長のエベレスト山頂を目指し、見事にそれを果たした。
三浦さんは今年70歳。
お父さん敬三さんはこの間も書いたけれど99歳で 現役のプロスキーヤーだ。
親子とも夢に向かって生きてきたと思える。
エベレスト登頂の最高齢記録は、昨年五月の六十四歳の 米国人だそうだ。
その年齢を6歳塗り替える今回の成功。
この成功の陰には、雄一郎さんの「夢を諦めない、いくつになっても 夢に向かって、夢を信じて前に進む。」この気持がある。
何でも良い。
本当に何でも良いのだ。
たとえ人に笑われようとも、自分にとってはかけがえのない夢なら。
今の小さい子どもたちには夢がないと言われる。
確かに昔の子供たちは、将来の夢を語っていたし 確かに心の奥には持っていたと思う。
でも、最近の子供たちは、あまりにも現実的な子供たちに なってしまった。
私も、偉そうなことは言えないけれど、 やはり子どもたちには、何か一つで良いから夢を持っていて欲しい。
夢は叶うと信じていて欲しい。
そうすれば、将来何かが起きて、挫折しようとしたり 悲しくてたまらない時にもきっと立ち直れると思う。
夢は捨てないでほしい。
人が死ぬときに遣り残したことがないと思える人生ほど 幸せな人生はないと思っている。
そんなことはほんの一握りの人だ、 どうせ、夢なんて叶いっこないから・・・
もしも、そう思ってい居る人が居れば そこで夢からは遠ざかっているのだと思う。
逃げてるんだと思える。
逃げないで
諦めないで
信じて
何でも良いから何か一つで良いから
自分の心の奥深くに夢の生きる場所を置いてほしい。
私の夢、それはいつも思っている本当に小さな夢だ。
人との出会いを大切にしたい、
そして、その人の夢を支えてあげたい・・
私の夢と一緒に歩みたい・・
私の夢・・・
それは・・・
ショパンの曲を「ノクターン」を最後まで弾けるようになること。
人と人とを結ぶもの、
心と心を通い合わせるもの、
それは「挨拶」だと思う。
たった一言でも良い、 何でも良い、
朝なら「お早う」 昼なら「こんにちは」 夜なら「こんばんんは」
そして、「行ってらっしゃい」 「ただいま」
本当にこんなに短い言葉を言うか言わないかで 人との関係は全く違ったものになる。
朝、私は30分のコースの散歩(主に絵手紙を郵便局まで 出しに行くことが目的)をしている。
この30分の散歩コースの間に 何人の人と出会うだろう。
通勤で、仕事場に向かう人、
学校へ向かう子供たち、学生さんたち、
又愛犬の散歩をさせている人、
私と同じように、歩くのが目的で歩いている人。
そんな人たちと会うのだけれど
(^◇^)ノ挨拶を交わす人がその中の半分にも満たない。
こちらから「お早うございます」と明るい声で挨拶しても 返事が返ってくる人と、全く我関せずとばかりに無視する人。
色んな人が居る。
挨拶が返ってくれば、私の心はほわーっと暖かくなる。
でも、
無視されると淋しい気分になってしまう。
折角の朝の清清しい良い気持が、何となく減って損した気分になる。
たった一言で良い。
「お早うございます」の一言で良い。
この一言で朝の気分がとても良くなる。
出かけるときは、家に誰も居なくても 私は「行ってきます」と心の中で言っている。
夫が小さな声かもしくは黙って出ようとすると 私の方から大きな声で玄関に居る夫へ「行ってらっしゃい」と 声をかけることにしている。
勿論2人が喧嘩をしている時は、声なんかかけたくない心境だ。
でも、心の中ではいつものように言っている私だ。
もし、冷戦状態になっていても、どちらかが一言声を かけることによって、それまでのわだかまりがとけることもある。
メール友達にも、朝一番にメールを送るときの件名は「お早う♪」だ。
「今日も一日の始まり、さあ、一日良い日に」という 私の心をこめての言葉だ。
挨拶は人と人とを結ぶ言葉の架け橋。
誰にでも挨拶の出来る子どもが昔に比べると段々少なくなっている。
毎朝家の前の通学路を通って登校している小学生、 中学生、誰かと会ったらたった一言「お早う」と言ってみよう。
日中に近所の人や知り合いに会ったら 「こんにちは」と言ってみよう。
その本当に短い挨拶で、心は軽くなるし、 自分の周りの空気もいい感じになるはずだ。
挨拶は人と人とを結ぶ心の架け橋。
さあ、今日も一日のスタートだ。
今日も良い日に!!
昔から母がいつも私に言ってくれたことばがある。
それは、母の信仰する管長先生から教えられたこと なのだけれど、
私にはなかなか実行できないことでもある。
①腹を立てないこと
②心配をしないこと
③人のことは、いいことも悪いことも言わないこと
④足っても足らぬともそれで辛抱すること
⑤天地の物を粗末にしないこと
この5つのことである。
なんと、私はこの5つのことが何も出来ていない。
簡単なようで、実際にはなかなかできないことだ。
私は、直ぐに腹が立って怒りやすい人間だ。
そして、まだ分らないことを先、先、心配して ああどうしよう・・・と考えて、悩んで、どうしようもないのに 悪いことばかり思ってしまう。
又食事の時に残ったものは、食べたつもりだと思って 一度は冷蔵庫にしまうが 数日後には、廃棄処分にしてしまう。
又何かが足らないと不満をつい口にしてしまう。
その上、良いことは勿論のことだが 何か気に入らないことがあると ついつい、人のことを悪く言ってしまう。
結局、何もこの5つの教えが実行されていないのだ。
人生50年を無駄にしてきてはいないつもりだけれど 何もできていない私自身がとても情けない。
自分の夫のことをほめるのは何だけれど・・・
夫は、あまり腹を立てない。
私とのことで、喧嘩になるときはいつも私が悪いのだ。
そして、どんなものでも、不満を言わずに食べるし 捨てることをしない。
つまり、物を粗末にしないし、 不満を言わないのだ。
又元々が無口の人だから 言ってもいいのにと思うことでもいらぬことは言わない。
だから、人のことはいいことも悪いことも言ってない。
この夫の性格は自分が作り上げたものでもなく 無理にそうしようと思ってしているのでもないように思える。
夫が持って生まれた性格のようだ。
偉いと思う。
本当に偉いと思う。
私にはできないことが夫はできている。
心がいつも変わらずに平常心で居られる。
私とは正反対のことができる人だ。
この点は尊敬している。
私は駄目駄目・・・
何にもこらえることもなく
気に入らないとすぐに腹を立てる。
部屋の整理整頓と称して、いらなくなったものは 直ぐに捨ててしまう。
こんな私はいつか神様からお咎めが来るよ。
ああ~~こわい!!
この中で何か一つでも良いから 実行できるものを見つけよう。
そして、少しでも夫のような考え方に 近づけることを願っている。
今日から6月。
早いものだ。
庭のアジサイが雨に濡れて綺麗だ。
季節は正直に語ってくれる。
日本の四季の移り変わりを。
花々はその姿を変え、風も緑も春から夏へと変わってきている。
ついこの間まで寒い寒いと言いながら ファンヒーターの前にかじりついていたのに
今では扇風機、クーラーと涼しさを求めるようになっている。
車の中なんてその典型。
だって、この頃の晴れた日の車の中はたまらない。
あれって何度位になってるのだろう?
よく、小さい子どもを車の中に置いたまま 親が買い物やパチンコをしていて 車の中の子供が脱水状態でなくなるケースを耳にする。
そのくらい、暑くなってるんだ。
入梅ももう直ぐ。
今のこの季節は主婦にとっては一番嫌いな季節。
なんて言ってる私だけかもしれないけれど・・・
私はこの時期の衣替えが大嫌い!
大きな大きな家で、年から年中、着るもの、日用品 蒲団・なんでも入れて置けて出したりしまったり 又入れ替えたりしなくて済めばどんなに楽だろう?
そんな家もあるのだろうけれど 悲しいかな私んちは違う。
冬物を出す時にはその代わりの夏物をしまう。
ファンヒーターをしまう時には扇風機を出す。
といった具合だから この時期はとても忙しい。
しんどい。
先日にしたバルサンの後の掃除も大変だけれど こういった衣替えをする時も大変。
いつもなら一時に全てをしていた私。
今年は全部を一度にはしないで少しずつしていった。
だか日にちは掛かったけれど、いつもよりはしんどくなかった。
母や夫にいつも言われているのだけれど 一度にして無理をするより 少しずつして楽にしたほうがいいって・・・
わかっているのだけれど、難しい。
私の性格は完全を求めすぎるから 今年のように少しずつ部屋を掃除したり入れ替えたりは 本当は苦手なのだ。
でも、今年は敢えてそうしてみた。
今までの私のしてきたことも 自分の判断ですべて良しとしてきたことだけれど
時には人の意見も聞くものだと今年は実感。
今日も昨日の台風が通り過ぎた後の晴れ間のようだ。
もう少ししたら梅雨に入る。
だから、その前にできることをしなくっちゃ。
今日は日曜日だけれど図書館勤務の夫は仕事。
だから私には日曜も祭日もない。
主婦は皆そうかもしれないが、たまにはのんびりとしたいよね。
でも、今日も出来るだけのことはしよう。
無理の無い程度に、
さあ、夏はもうそこまで来ている。
頑張らなくっちゃ!!
庭のアジサイに笑われないように・・・
スカーレット
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