スカーレットの心のつぶやき
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2003年12月31日(水) 出会いに感謝。

今日は大晦日。

今年も残すところ今日一日になった。

こうして一年も振り返ってみると色んなことがあったと改めて思う。

嫌なこと、悲しかったこと、辛かったことは思い出すのはやめた。

後悔してもどうしようもないから。

それよりも良い思い出、楽しかったことを思い出している私。

こうして拙いHPを通じていろんな人と知り合ったことが一番の宝ものにななっている。

人は一人では生きていけない。

一人が好きな人だって、いろんなところで人との交わりを持って生きている。

人が人と出会うこと。

これはとても不思議なことだと思う。

初めから神様がこの人と出会うことを決めていたのかもしれない。

偶然は必然だったのかもしれない。

一生の中で、この世で出会えたこと、これは本当に素晴らしいことだと思う。

何かの縁で出会ったこと。

このことを大事にしたい。

出会いを大切にしたいと思っていた私だけれど、今日あらためてそう思う。

来年はどんな出会いがあるのだろう?

勿論、出会いがあれば別れもある。

楽しい事ばかりではなく、嫌だと思うこともあるだろう。

でも、それは出会わなければ経験できなかったことだ。

良い出会いをしたい。

そして出会った人達との心の交流を大事にしていきたい。

ここへきてくださった人たちへ、心からの感謝をいいたい。

「本当に有難うございました。」

°・:,。★\(^-^ )♪ありがとう♪( ^-^)/★,。・:・°

これからの私の成長をどうか長い目で暖かく見守っていてほしい。

来年もよろしく!!


2003年12月30日(火) 何かに夢中になること

人は忘れるために何をすれば一番良いだろうか?

この10日ほどの私は何も手につかないほど心が落ち込んでいた。

年末ということもあって、普段よりは忙しくしていたからまだ救われた部分があったのかもしれない。

でも、何かした瞬間一人でぽつんとした時にあの何とも言えないわびしさ、悲しさがどっと押し寄せてきた。

こんなことでは駄目だ。

なんとかしなきゃ駄目だ。

そう必死の思いで頑張ろうとしてきた。

生まれ変わろうと決め、私がこれから何をしたいのかを考え、
まるで何かから逃げるように、また何かに追いすがるように
新しいことに挑戦することにしたのかもしれない。

なんて不純な動機だろう・・・

なんて邪な動機だろう・・・

神様はこんな私を許してくれるだろうか・・・

何かに夢中になっている間だけでも、あの私の悲しさから逃れることが出来ていた。

さっき、HPの新しいページを作り公開する手続きに時間がかかっている間
本当に忘れることができていた。

夢中だった。

本当に夢中にしていた。

見てくれる人達のことを思って、また少しでも楽しさが増すようにと思って一生懸命に作った。

今年も残す所2日になった。

もう後戻りはできない。

後ろは見ないと決めたのだから。

思い出すのはやめよう。

新しい年に向けて、新しい気持ちで第一歩を踏み出すことができるためにも。

さあ、私の出発ももうそこまで来ている。


2003年12月29日(月) こんな悲しいことが

今年も残り3日になった。

町はお正月を迎える準備で賑わっている。

私は今まではお正月旅行に家族で出かけていたから準備はしたことがない。

また今年は母も高齢になり旅行はやめたのだけれど、
私達3人一緒に実家に帰ることになっているので、今年も準備は何もしていない。

いつかは母も居なくなり、淋しいお正月を迎えることになると思う。

でも、それまでは甘えさせてもらうことにした。

こうしてお正月を迎える準備に忙しく、これが当たり前だと思っていたけれど、昨日の夜のTVの報道特集で餓死者のことを言っていたのを見た。

正直ショックだった。

今のこの何でもある時代に食べるものがなくて餓死する人が居ることが信じられなかった。

レトロな時代の昭和30年代でさえ、物はなかったけれど、食べるものに不自由な経験をしていない。

世の中は不公平だ。

あるところには有り余るほどのお金があるだろう。

そして贅沢の限りをしている人たちも居るはずだ。

私は小さいころから決して裕福ではなかった。

父は警官だったからつましい暮らしをしてきた。

でも、学校の給食費を払うことができなかったこともなく、母は私に貧乏さを味わわせはしなかった。

住む家は小さくてもあった。

着るものも贅沢はしなかったけれど、そして姉のお古を着せられたけれど寒い思いはしなかった。

食べることもひもじさを味わったことはなかった。

だから、今の何でもある時代に餓死する人が居るということがとても悲しくてたまらない。

私がヴァイオリンを始めようとしていることさえ、何故かとても贅沢なことに思えてきた。

娘と一緒にみていたのだけれど、いつもなら不満ばかり言う娘が何も言わずじっと見ていた。

娘の心の中にどんな思いが宿ったのかは分からないけれど、
きっと自分の周りに満ち溢れているものに対して何かは感じてくれたに違いない。

餓死した男性は私と同じ52歳だった。

市役所へ生活保護の申請に行っても、まだ働ける年齢だからと言って断られた。

足が不自由だったらしい。

数年前までは会社に勤めていたけれどリストラにあったらしい。

一人で生活していた。

数ヶ月前からは水道も、ガスも電気も止められ、飲み水は近くの湧き水を汲みに行って飲んでいたらしい。

なんと悲しいことだろう。

どんな気持ちで死んで行ったのだろう。

もう駄目だと思った時の気持はどんなだっただろう?

こんな悲しいことがあっても良いのだろうか?

年末助けあいの募金は何所へ行っているのだろう?

一人の人間として生きていく権利はある。

社会の現状の変化によって自分が生きていく環境も変わり、適応できないものは排他されて良いのだろうか?

今の社会のこの不況が少しでも好況になり、仕事に就きたい人には仕事があるようになって欲しい。

私は今、自分のことを考えるととても悲しい気持ちになっている。


2003年12月27日(土) バイオリンⅡ

昨日買ったバイオリン。

まだレッスンは始まらないけれど、本を買ってきて読んでいる。

バイオリンの楽譜はピアノに比べると簡単だけれど、
弓の動きによる弦の震え、そして奥の深い音・・

読めば読むほど簡単ではないと思い知らされた。

でも、一度やると決めた以上どんなことがあっても放り出さないつもり。

娘のピアノの先生がバイオリンを習っていて、
先生は楽譜は読めるし、音も聞き取れるから簡単だと思っていた。

今日先生からの連絡があり話を聞くことができた。

ピアノの音に慣れすぎているとかえってバイオリンの音が分からないという。

まさか!?

でも、本当らしい。

どうも、ピアノから出る音の周波とバイオリンから出る音の周波が違うらしい。

先生でさえ音痴で音を出すのにとても苦労されたと聞くとますます不安になった。

私はピアノは好きでちょっとだけは弾けるけれど、先生のように耳がピアノに慣れてしまってはいない。

だから、私は真っ白な状態で素直に教えてもらうことが出来るかもしれない。

何でも習い事は素直な気持ちが一番だという。

素直な気持ちで言われるとおりにしていればきっと音が出るようになるだろう。

そして、バイオリンが好きだからこそ続くのだと思う。

500年ものあいだ、荒ぶる世情の中で、それでも失われることもなく人生と共にときを過ごしてきたバイオリン。

クラシック音楽のそしてバイオリン音楽の盛衰にも惑うことなく、ずっとそこにあり続けてきた。

目に美しく、耳に心地よく、弾いて楽しい・・・

やはりバイオリンの魅力はここにあると思う。

確かにバイオリンは見た目とは違って相当難しいと思う。

じゃじゃ馬を弾きこなさなければならない。

根気よく、焦らず、弾けるようになったときの感激を頭に描いてこれからはじめようと思う。

きっとやってよかったと思えると思うから。

そして、いつか娘とのアンサンブルコンサートや先生達と野原での演奏会が出来れば最高だと思う。

今年も残り少なくなった。

気ぜわしく慌しい毎日だけれど、少しずつ何かワクワクする感じを味わっている。

新しい年に向かって、私は一歩大きくジャンプしたいと思う。


2003年12月26日(金) 新しい出発

今日、私は生まれ変わる。

もう後ろは見ない。

前進あるのみ。

昨日から新しいことを始めた。

目標を立てて歩いていこう。

頑張るぞ!

とにかく、泣き言は言わない。

私は私の足で歩いていきたい。

こんなにわくわくする気持ちを味わったのは何年ぶりだろう?

7年前に家にグランドピアノが来たとき以来かな?

ずっと昔愛車を手に入れたときと同じ気持ち。

マイバイオリンを手に入れたのだ。

そう、私はバイオリンを始めることにしたのだ。

この間からコンサートを聴きながらチェロが弾きたいと思っていた。

でも、松山ではチェロを教えてくれる先生の数も少なく、
チェロの前にバイオリンが必要だといわれた。

あの澄み切った音色を聞いていると、何か吸い込まれそうな気持ちになる。

あんな綺麗な音が出せるのなら私の心は満たされるに違いない。

昨日思い切ってヤマハの教室を覗いてみた。

そして決心したのだ。

でも、バイオリンのことは全く分からないから、ピアノの先生のアドバイスを受けた。

バイオリンは弓がとても大事だと教えてもらった。

紹介してもらった楽器店に行って、色々と説明を受け決めたのだ。

チェコ製のフィドラーのバイオリン。

新品なのに、わざと使い込んだ感じに仕上がっていた。

色も良い色。

真っ黒なケースに入れて持って帰った。

本を見ながら左手、右手をどうすれば良いかを勉強した。

でも、来年の8日からのレッスンを大事にしようと思う。

それにしても何か心がうきうきしている。

この数日の落ち込みも何所へやら・・・

さあ、明日も良い日にしたいな。

未来へ向かって、心で奏でたい。

そして、いつか娘の弾くピアノと一緒に演奏できれば嬉しい。

思い切って買った。


2003年12月25日(木) 愛についてⅡ

昨日思ったこと、愛とは?については結論は出ない。

私が「愛」だと感じていたこと、思っていたことに疑問を持ち始めたからだ。

パウロは次のように言っている。

「愛は忍耐強い。
愛は情け深い。
ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失わず、自分の利益を求まず、
いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。」

また、トルストイは愛について次のように言っている。

「愛とは、自分よりもー自分の動物的な自我よりも
他人をすぐれたものとして認めることである。
自分の生命を友人のために捧げて悔いないような愛ー
こういった愛のほかに愛はない。
愛は、こうしてそれが自己犠牲として発揮されてこそ
本当の愛と言えるのである。」

また、ペックは

「愛とは、相手を受け入れ評価しないこと。
相手の最善を望むこと。」

ドライカースは、

「愛は相手が完全でなくても愛することができることである。
相手を愛することは相手のありのままを受け入れることが出来ることである。」

本当の愛とは?

私が今考えている愛とは本当に小さいものだなあ・・・と思う。

もしも私がこうして本物の愛を知ることができたら
毎日の生活の中で今まで気づかなかった本物の愛に気づくのかもしれない。

今日はクリスマス。

イエスキリストの誕生日に、こうして本当の愛について考えるのも意味があるかもしれないと思う。


2003年12月24日(水) 愛するということ

「愛するということは技術である」とエーリッヒ・フロムは言った。

生きることが技術であるように、愛は技術だという。

どうすれば人を愛せるようになるかを学びたければ、

他の技術、例えば言葉、絵画、大工仕事、医学、工学なども技術を学ぶ時と同じ道をたどらなければならないと言う。

愛するということは大きな希望と期待と共に始まり、決って失敗に終わる活動や事業などと同じなのである。

他の失敗はそれをやめれば済むことだ。

でも、愛の失敗を克服するための一番良い方法は一つしかない。

それは失敗の原因を調べ、そこからすすんで愛の意味を学ぶことである。

その一歩として、この愛は技術であるということを認識することが必要だ。

愛の失敗をばねにして次の愛を失敗のない愛に変えることが出来ればどんなに良いだろう!

私は本当に馬鹿だから、そして懲りない人だから、今までの50年間の間にどのくらい、愛の失敗をしてきたことだろう。

そして、その失敗を良い意味での経験にして、次には一歩踏み出して、ステップアップをしないといけないのだと思う。

なのにいつも同じことをしている私が居る。

何でだろう?

頭では分かっていても心が認識しないで終わるのだと思う。

愛するということに意味をもっと深く考えていけば、こんな私にも道は開けるのだと思う。

技術を磨いて上達することが出来るのだ。

愛は能動的な活動であって、決して受身つまり受動的な活動ではない。

もしも自分自身が愛されたいと思うなら、まず人を愛することからはじめないといけないのだ。

何かあるたびに落ち込むのではなくこうして技術を磨くことができるチャンスだと思い喜ぼう。

待っている愛ではなく、またもらうことばかり思う愛ではなく、
誰かに与えてあげることこそが本当の愛のように思う。


2003年12月19日(金) ストレス

最近当たり前のように耳にする言葉に「ストレス」がある。

誰も意識しないうちにストレスがたまって・・・と言う。

「ストレス」と言う言葉を作ったのはフランスのハンス・セリエ博士である。

この博士が「感情や感覚の刺激、衝動」をストレスと言った。

人間は生きていく上で色々な感情や感覚を持つ。

そしてその感情や感覚によって肉体が反応し、自分でも制御できない衝動にかられることがある。

私はずっと次のように考えていた。

「人は生きている、生きている以上、色々な感情がある。

 可笑しいときは思いっきり笑い、悲しい時は大声で泣く。

 腹が立ったら怒りをぶつける。

 これこそが生きている証拠。

 悲観したり、恐れたり、心配したりするのは当たり前だ。
 
 それをしなくなったらおしまいだ。
 
 死んだら感情なんてなくなる、生きている証拠じゃないか」と。

しかし、私のように気持に左右されやすいものにとって、
悲しみ、怒りは体に良い影響は与えない。

悲しくて食事ものどに通らない。

心配で夜も眠れない。

腹が立って仕方がなく、喧嘩してしまう。

これらは決して体にとって良いことではないと思う。

そういう自分の感情や感覚で体が反応してしまわなければどんなに楽だろうかと思い始めた。

このストレスによって体を壊し、負けてしまっている人の如何に多いことか。

もしも、こういうストレスによる刺激や衝動を受けずに生きていられるとしたら、人間の寿命は今以上に長くなるだろう。

反対にこのストレスによって人間の内臓は影響を受け破壊されることもある。

たった一日、否、半日のストレスによって胃に穴が空くことだってある。

人がいかにこの感情の衝動に弱いかを物語っている。

生きている以上、こういうストレスから逃れることができないなら、
そのストレスを受けても体に影響を及ぼさないようにすればいいのではないかと思う。

つまり、心はぼろぼろ状態であっても、肉体は健康であることが出来れば良いのだ。

言えば簡単だけれど、なかなかできるものではない。

私などその典型だ。

ちょっとしたことで一喜一憂してしまう。

何かいつも自分自身の周りの状況に影響されてしまうのだ。

情けないと思う。

もっと自分の心を強く持ってたくましく生きていきたい。

そのためには朝一番に今日の自分はこうありたいと思うことを口に出すのも良いだろう。

一度口に出せばそれを実行しなければならないと思うはず。

こうして毎日少しずつ訓練していけばきっと周りのストレスによる悪い影響を受けない強い自分になれるのではないか。

難しいけれど、少しだけものの見方を変え、考え方をプラスの方向に持っていくことができれば良いと思う。

さあ、今日の私はまず、昨日喧嘩した夫や娘との仲を修復しよう。

少しでも私自身にとって嫌なことを減らしていこう。

今日一日が良い日になるように!


2003年12月18日(木) 冷戦

久しぶりの喧嘩をした。

娘と夫と。

喧嘩するときはいつもそう。

一対二の喧嘩になる。

夫と娘は顔も性格も血液型も皆一緒。

だから言わなくても気持は通じ合うみたい。

私一人が違うからここで喧嘩になるのだ。

昨日の喧嘩は本当は私と娘との問題が原因だった。

なのに、夫はいつも娘の味方になる。

父親としての威厳なんて全くない。

娘の言いなり。

これが私にはわからない。

親と兄弟の違いがわからないのかな?

娘は一人っ子だから、夫が父ではなく兄のように接しても良いと思う。

でも、大事なときには父親として接して欲しいと思う。

初めは娘との喧嘩が夫との喧嘩になるのも、私がこのことに不満を持つからだ。

今回は長引くかもしれない。

所謂冷戦状態になるだろう。

家族が喧嘩しないでいつも仲良く居られたら良いことではあるけれど、
私がいつも我慢するのは耐えられない。

私が悪いなら直ぐに謝りもするけれど、今回が娘が悪いはわかっている。

だから、娘が反省しなければ私からは折れないようにしようと思う。

母は私に言った。

「母親なんだから我慢しなきゃ」と。

でも、これはおかしい。

絶対に変。

今週の土曜日、コンサートに行こうかどうしようか?と迷っていた。

でも、行こうと思う。

もしも雪が降って運転が不安になったら泊まっても良い。

私は私。

母親としての生き方も大事だけれど、時には一人の人間として自由なことをしてみたい。

私の唯一の楽しみである好きなコンサートを楽しみたいと思っている。


2003年12月17日(水) 疲れた

疲れた・・・

この最近の疲れは何所から来るのだろう・・・

おとといは昼寝をしない私が、なんと午後2時から4時まで3時間も昏々と眠り続けた。

前日に往復200キロ以上の道を運転したからか?

それとも人と気遣いからか?

好きなことをしているくせにと言われそうな私。

でも、本当に「ああ~しんど!」

20日は隣の県でコンサートがある。

行くつもりだけれど、ちょっと・・・

コンサートには魅力がある。

ロシアから来るという楽団のコンサート。

生の音楽。

魅力的だ。

行きたいな・・・

でも、このごろの冷え込みで道路が凍結したらどうしよう・・・

タイヤなんて一年中普通のタイヤだし、

雪なんてめったに積もらないから、備えもないし。

迷ってる。

昨日も夜あまりのしんどさに8時から寝てしまった。

今朝はいつものとおりの4時起き。

暖かな寝床から離れるのが辛かった。

このまま一日寝ていたいなんて思った。

起きれば平気で動けるんだけれど。

ああ~どうしよう。

行きたいな。

でも、しんどいな。

迷ってる私。


2003年12月16日(火) 昭和レトロ文化

昨日の夜のNHKのクローズアップ現代で昭和30年代のレトロ文化が取り上げられていた。

私が丁度小学生のころのあの暮らし。

戦後の物のない頃だったけれど、何故か心は満たされていたあの頃。

食べるのには困らなくなってはいたけれど、娯楽もこれと言ってなく、

勿論TVが家にあるところも少なかったように思う。

あの頃私が住んでいた家は戦後焼けた跡地に市が建てた市営住宅だった。

3畳と4畳半の畳の部屋が2つ、それと台所に続く板の間が一つ。

裏庭は広かったけれど、今思うとよくあんな狭い家に住めたなあ・・と思う。

まだ叔父が結婚していなくて一番多いときは6人家族だった。

私たちの勉強部屋なんてなかった。

小学校の4年生の頃に勉強机を買ってもらった記憶があるが、

それまでは食事が済むとその飯台が勉強する机に変わっていた。

でも、不自由を感じなかった。

不満もなかった。

TVがはじめて家に来た時のことは今もはっきりと覚えている。

木曜日の夜の歌番組を初めて見た記憶がある。

それまでは近所のTVのある家に行って見せてもらっていた。

子供心に気を使い、お行儀に座っておとなしく見ていた。

だから、家にTVが来る日は学校に居ても気がそわそわして落ち着かなかった。

そんな懐かしい思い出。

今の子どもたちは生まれた時からTVは勿論、自分の部屋、自分のベッド、自分の机が揃っている。

家には車、冷房、そのほかなに不自由のないものがいっぱいある。

そんな中でうまれ育った子供達は何かが欲しくてたまらないという気持ちも持たないのではないだろうか?

お正月やクリスマス、誕生日には欲しいものが手に入る。

辛抱するということをしなくても手に入るのだ。

辛抱して辛抱して、何かが自分の物になったときの喜びを感じることはめったにないのではないだろうか。

私が子供の頃の不自由な時代の方が心は満たされていたような気がする。

勉強だってそうだ。

今の子どもとは違い、学校へ行くだけの勉強だった。

塾も少なく、習い事をしている子も少なかった。

下校すると宿題を片付けて後は自由な遊びの時間があった。

外で缶けりをしたり、かくれんぼをしたり。

夏は裏の川で魚とり、冬でも外で走り回っていた。

一日中凧揚げをしていたのも覚えている。

こうしてあの30年代を思い出していると、今の日本にとって一番必要なものがあったような気がする。

経済成長の後の心の貧しさを感じる。

人と人との心の繋がりも少なくなってきた。

人が人を思いやるという一番大事な心が失われつつある。

今、否、これからの日本を考える時、あのもののない時代のことを思い起こし、

人間にとって何が一番大事なことかをもう一度考えてみなければばらないと思う。

心の貧しさは社会の貧しさにつながる。

物はなくても自分自身の心が満たされている幸せを感じて生きたいと思う。


2003年12月15日(月) 調和

日本人は個人主義というよりはいつも回りの人との関係に心を使う人が多いと思う。

欧米、特にアメリカでは他人は他人、自分は自分と割り切ることが出来る方は良いようだ。

これは日本とアメリカの文化の違い、歴史の違いから来るものだろうか。

こんな話を聞いたことがある。

コンサートの中でも、ソロではなく、オーケストラやアンサンブルのように他の人と一緒に演奏する時、一番大切なのは周りとの調和であると。

確かに、いくらその人の技が秀でていて優秀であっても、演奏を聴いたとき、聴くものの耳に音が一つだけ不調和な感じを受けたとしたら、それは意味をなさないのではないだろうか?

昔、私が中学生のとき、コーラス部に所属していた時、指導する先生に注意されたことがある。

それは私の声が目立ったことだった。

私は大きな声で上手く歌えば良いと信じていた。

そして、私は私なりに一生懸命に歌っていた。

でも、それはいけないことだった。

コーラスも同じ周りとの調和が不可欠なことだったのだ。

それを指摘された時、私は恥ずかしくてたまらなかったのを覚えている。

それ以来、コーラスをするときは、私はまわりの人たちの声の中に溶け込むように、調和を大事にしようと心がけてきた。

スポーツでもそうだ。

いくら上手くても個人プレーが目立つといけない競技もあると思う。

特に団体で競技するものはそうだと思う。

前の話に戻るが、音楽の中でアンサンブル演奏がある。

ピアノ、バイオリン、チェロ、フルートなどが三重奏、四重奏をする場合、

やはり一番大事なのはお互いがお互いの演奏を聴きながらハーモニーを取ることだと思う。

そのためには時には自分を抑えることも必要だと思う。

相手との、周りと自分の出す音との調和、ハーモニー、

これが出来ている演奏を聴くと、とても良い気分になる。

人と人との関係もそうだ。

勿論自分は大事だし、自分を主張することも必要な時がある。

でも、まず一番は素直な心になることだ。

素直な心で、相手の話を聞き、受け入れることが大切だと思う。

今の小さい子どもは親の育て方、社会の変化もあるだろうが、自分を主張しすぎるところがある。

また反面、いらないところで気を使いすぎて余計に人間関係を不味くしている時もある。

まずは自分が素直な気持ちになって、相手や周りの意見を聞く。

そして、それから自分の思っていることを話相手に理解を求める。

たとえ理解してもらえなくても、相手に伝えることは必要だ。

理解してくれなくても仕方ないこともあるから、そのことで落ち込むのはやめよう。

人は生きていかねばならない。

じゃあ、生きていく時にいかに自分が快適な生き方が出来るか?

そのためにはどうすれば良いのか?

これを考えて生きていきたいものだ。

調和、ハーモニーを大事にして、そして自分自身の人生を大事にして。


2003年12月14日(日) 外国の人

昨日、私が勉強している日本語教師のボランティア養成講座の一年に一度の
交際交流会が開催された。

外国から来ている人達との交流を図る交流会である。

娘と娘の友達3人と私との5人で参加した。

娘とその友達たちは今年の夏休みに中学校からの海外派遣という形でグアムに10日間勉強に行ってきた。

帰ってからも外国の人や英語に興味が増してきているようだった。

今回のこの交流会も私は一応先生という立場でのお手伝いだった。

だから、色々と用事もあり、娘達とは一緒には遊べないかもしれないと思っていたが、参加したいというので一緒に行ったのである。

狭い部屋いっぱいに集まってくれた人たち。

様々な国から日本へ来て居る人たち。

中には小さなお子さんと一緒の人も居た。

普段の勉強会は主に中国、韓国の人が多い。

でも、昨日はオーストラリア、トルコ、中国、韓国、アメリカ、カナダ・・・と色々な所から来られていた。

トルコの若い男性は日本にきて幼稚園、小学校の英語の教師として働いていると言っていた。

また、ご主人が大学院で学んでいるために奥さんも一緒に来て、アルバイトをしながら、日本語の勉強をしている人も居た。

この人たちに共通するのは、みんな一生懸命日本語を勉強しているということだ。

来日してまだ10日しか経っていないベトナムの人が居た。

日本語はまだおぼつかなかったけれど、それでも物怖じしないで参加していた。

私がもしアメリカへ英語の勉強に行ったとしたら、果たして昨日の人たちのように直ぐにアメリカの人達の中に溶け込めるだろうか?

英語を勉強しても、あんなに早く上達するだろうか?

本当に皆日本語が上手いのだ。

これには驚いた。

そしてとても明るい。

大きな声で笑い、話しをする。

話しかけられたらはっきりとした声で自己紹介をする。

今は違うかもしれないが、一昔前の日本人は外人に話しかけられそうになるとこそこそと逃げている人が多かったように思う。

私もその口だ。

昨日も、和紙をちぎってクリスマスカードやお正月用のカード作りコーナーでお手伝いをしたのだけれど、隣のオーストラリアの女性から英語、それも早口で話しかけられて慌てた。

意味が理解できなくて、笑ってごまかした私。

ハハハ・・・(^0^)

皆、偉い!

楽しかったし、外国の人と身近に接することができたことは娘達にとってもいい思い出になったに違いない。

さあ、来年もこの日本語ネットワークで勉強しよう。

話すことは出来なくても一生懸命に勉強しようとしている人たちのお手伝いをしたい。

そして、正しい日本語の使い方を知ることは私自身の勉強にもなる。

今の日本では正しい日本語を使うことができる若者が段々少なくなっている。

淋しいことだ。

私たち日本人自身がもっと日本語に対して愛情を持ち、日本語の美しさを再認識していくことが大事だと思う。

これからの日本のためにも。


2003年12月13日(土)

「ああ~夢でよかった。」

こういう気持ちで朝目覚めることはないだろうか?

夜中に目覚めることはないだろうか?

夢って思ってもみないことをみるときもあれば、

いつも心の片隅にくすぶっていることの時もある。

夢の中で愛しい人に出会えて、それがハッピーだと朝の目覚めのなんと良いものか!

反対に悪夢をみると、うなされて夜中にぱっと飛び起きることだってある。

夢の中まで自分では管理できないからこれが辛いこともある。

フロイトの夢判断ではないが、「何故あんな夢を見たのか?」

自分自身の心を分析したくなる時がある。

色のついた夢は体が悪い時だということも本当かどうかは分からない。

空を飛んでいる夢なんて、ステキに思えるけれど、夢判断の本を見るとあまり良いものではなさそうだ。

寒いと、夜中にトイレに行きたくなってトイレに行くとそこが汚くて使えないなんて、惨めな思いをする夢を見るときもある。

考えたら、楽しかった思い出やワクワクすることの夢が少ないのは何故だろう?

私の気持がネガティブだからかな?

今朝の夢は目覚めて思わず「良かった!」と思わず手を髪に当ててしまった。

今朝の夢は美容院で髪がメチャメチャにされた夢だった。

まさにおばちゃんヘヤーになっていた。

後ろを刈り上げにされ、パーマをきつくきつく当てられ見るも無残な姿だった。

私はこの20年パーマを当てたこともなく、短い髪にしたこともなくいつも同じ髪型にしている。

心の底で変化を望んでいるのだろうか?

自分では気づかないうちにそう思う心があるのかもしれない。

でも、夢でよかった。

目覚めて鏡を見てほっとした。

いつもの私が居た。

私の心は今変化している。

日々変わっていると言っても過言ではない。

そんな私だから、髪型を変える夢をみたのかもしれない。

でも、本当に「夢で良かった!」


2003年12月12日(金) 価値観

人はそれぞれこれが自分にとって好きか嫌いか、大事か否か?

この気持ちでものに対する接し方が変わってくると思う。

それは愛についてもいえるような気がする。

私は若い頃から愛はパーフェクトなものだという思いがあった。

だから、人を想うとその人のことばかりしか頭にない私になっていた。

人を想うこと、人を愛することについてまだ幼稚だったのかもしれない。

でも、今までその気持は変わっていなかった。

今まではまだ幼稚で不器用な愛し方しか出来なかったのかもしれない。

私は私自身の気持ちに嘘が付けない人だ。

だから、相手を想う時素直にその気持ちをぶつけてしまう。

そしてやはり性格的なもので、相手を想うこと、恋をすることに真面目になってしまう。

真面目さが超真面目さだから始末が悪い。

自分でもよく分かっている。

相手を想う気持ちがあまりにも強すぎると相手は引いてしまうということも。

多分私の気持が負担になるのだと思う。

重すぎるのだろう。

それも良く分かっているのに、いつもただひたすら相手のことを想うのだ。

でも、このごろやっと少し私の愛し方が間違っていたように思えだした。

私が相手にぶつけていた気持ちは相手を思いやるのではなく、

私自身の気持を押し付けていたのだということに気づいた。

気づいてもまだそれを全く違うようにできない私。

恋をしてそれを失うことにとても恐怖を覚えるくせに、

失恋を自ら選択しているのかもしれない。

恋をすることは一生止められない私。

心の中で誰かを想いたい気持ちはいつもあるから。

でも、少しずつ賢くならないと。

いつまでも昔と同じことをしていては駄目なんだ。

人は色々な考え方をする。

ものの価値観も全く異なっている。

心を大事にする人も居れば、お金や物に拘る人も居る。

相手の気持を一番大事にする人も居れば、自分の気持だけを大事にする人も居る。

相手を思いやる気持ちの大きい人も居れば、自分のことしかない自分勝手な考え方をする人も居る。

価値観が全く同じ人なんて居ない。

だから自分の気持で相手の気持を判断してもいけないのだ。

少しずつこうして勉強していっている私。

今私にとって一番大事なものは何か?

私が一番楽に生きていけるの生き方は何か?

そういうことを考える時、今までの私の価値観は愛に対するものだけではなく、

全てに対して間違っていたことに気が付いた。

私は私の気持だけを押し売りしていた。

娘に対しても夫に対しても、そして昔の恋の相手にも。

変わろうと思う。

そして楽に生きようと思う。

人を想う気持ちは一生持ち続けながら、それは私の心の中で育てていきたい。

そうすればきっと何でも上手くいくように思う。


2003年12月11日(木) 甘いだけじゃ

先日、遠くの知り合いにみかんを送った。

お正月前でもあるし、みかんは珍しいかと思って送ってあげたいと思ったのだ。

私の住む愛媛県はみかんの産地である。

日本中で一、二番の収穫量のがあるのではないかと思う。

こちらのみかんのうたい文句は「まじめな愛媛のみかんです」

TVのCMでも流れている。

愛媛の温暖な風土と、水はけのよい段々畑などの立地のよさ、そして何より農家の人達が努力して美味しいみかんを目指したお陰である。

「空の太陽、石垣による反射の日光、海からの反射による光」これが愛媛みかんにとって「3つの太陽」と呼ばれているそうだ。

先日送ったみかんも、農薬を使わず(まるっきり使っていないのではないかも?)新鮮な農家直産のものだった。

試食をしたら酸っぱさを感じた。

でも、甘いだけのみかんもみかんらしくないと思って新鮮さを選んだ。

みかんだけではなく人でも甘いだけじゃ駄目だと思う。

やさしいだけでは駄目だと思う。

本当のやさしさ、本当の意味での甘さって何だろうと思うときがある。

只相手の言うとおりにすること、相手の我儘をきいてあげることがやさしさではない。

それは酸っぱさもない、ただ甘いだけのみかんのようなものだ。

少しは酸っぱさも欲しい。

時には厳しさもほしい。

人は一面だけを持っているとは思わない。

色々な面があり、意外さもあって良いと思う。

私は今まで娘を育てながら色々な勉強をしてきた。

娘を産まなかったらきっと分からなかったであろうことをいっぱい学んだ。

自分の人生を自分の足で歩いていくことを教える大切さ、

人を思いやることの大切さ、

何か辛いことに出会ったときに逃げ出さない強さ、

苦しみに耐え抜く忍耐力の大切さ、

そして、何より自分自身を大切にする心。

私が自分のことで気づかず30年生きてきたことを全部娘の育てていく途中で知った。

みかんじゃないけれど、母として娘にとって大切な日光にならないといけないと思う。

甘いだけではなく、時には酸っぱさもあってこそみかんなのだと思う。

これからもまだ数年は親としての子育てが続く。

「苦労してでも、耐え抜く力」

私の一番苦手な忍耐ということをこれからも私自身に言い聞かせながら生きていこうと思う。

「甘いだけじゃ駄目なんだ、時には厳しさも必要、酸っぱさも必要!」




2003年12月10日(水) シーソーゲーム

もしかしたら人生はシーソーゲームなのかもしれない。

この頃よく思う。

誰でも人生の中で良いことも、嬉しいことも

また、悲しいこと、辛いこともはいっぱいあるはずだ。

一つ一つのことに出会い、それを乗り越えて生きて行っている。

生きていく以上そうせざる終えないからそうしてきたのかもしれない。

私自身の今までの人生を振り返ってみても、良いことばかりでも悪いことばかりでもなかったように思う。

どこかで帳尻が合っているように思うのだ。

でも、悲しく辛く苦しい時には分からない。

何故私だけにこんな苦しみが訪れるのか?と恨む気持ちさえ持ってものだ。

その時には一生この苦しみが続くのだろうと思った。

そんな人生ならいっそここで切り捨てたいと思った。

そして自分自身を痛めつけ、苦しみをますます大きなものにしてしまった。

自分自身の心をコントロール出来なくなっていた。

あの頃の私は一つのことしか見えなかったのだろうと思う。

周りの状況や人の気持が分からなかった。

只自分のこと、自分の気持しか考えなかった。

だから、生きていく上で一番親不孝なことまでしたのだから。

今こうして一人ではあるが子供の親になってみてはじめて親の気持が分かる気がする。

親にとって、自分よりも子供が先に逝くことくらい辛く悲しいことはないと思う。

もう少しで私は両親に大きな親不孝をするところだった。

あの時どうして助かったのかわからない。

命が助かったことに対して不満を言い、恨みもしたが、なんとバチあたりなことだったか!

この世に生まれてきた以上、どんなことがあっても生き抜くという強さを持たなければならないと思う。

人生はシーソーゲームだ。

今のこの苦しみの後には喜びがあると信じたい。

バランスのとれた人生だと思いたい。

「人生泣き笑い。」

これこそ生きている面白味だと思うし醍醐味だとも思うから。


2003年12月09日(火) 天を見て思うこと

昨日の夜、母の家から帰る途中、車の中から真ん丸い綺麗なお月さんが見えた。

久しぶりに見る満月。

車を運転しながら月が私と共に動いているのを感じた。

とても嬉しい気がした。

家に着き、車から降りてしばらく月を眺めていた。

本当に澄み切った夜空に煌々と輝く月の姿。

偉大さを感じた。

地球上で起きている戦争。

あの戦場でもこの月は見えているのだろうか?

もし、見えているとすればどんな気持ちで見上げているのだろう?

くだらない小さなことでくよくよし、落ちんでいた私が居る。

この天を仰ぎ、煌々と輝く星や月を見ていると、私はなんて小さな存在かと思う。

この宇宙の動きの中でなんと些細な人生だろう・・・

その些細な人生で泣き笑いながら生きている私達。

先日の4日の夕方の空に、一筋の光が走ったのを見た。

あれは丁度車に家の前の信号で止まった瞬間だった。

本当に瞬間と言っても大げさではない一瞬のことだった。

赤い火の玉のようなものがす~と空から落ちてきた。

「・・・」絶句!

あれは何か?

もしかして飛行機が落ちたのではないか?と思った。

家の屋根に落ちたのだ。

でも、その夜のニュースでは何も言っていなかった。

見たのは私一人だった。

夫も、娘も母も誰も見ていなかった。

私しか見ていなかったから、私が一生懸命に説明しても誰にもわかってもらえなかった。

その翌日の新聞の小さな記事にこのことが載っていて真実が分かった。

あれは飛行機が落ちたのではなく、「火球」と呼ばれる流れ星だったらしい。

岡山、広島、鳥取、島根、山口県など中国地方と愛媛県で見られたとか。

それにしてもなんと偶然の出来事か!

こうして色々なことを思う時、天の偉大さ、不思議さ、神秘を感じる。

私自身を感じる。

生きている今、この今という一瞬を大事にしたいきたいと思う。

一度しかない人生、二度と戻ってこない今、そして今日。

あの火球を見たのも、昨日の満月を見たのも、偶然。

でも、この偶然は必然だったかもしれない。

天は確かに存在している。

そして天は私を見ている。

生きたい、自分の人生を。

後悔のない私自身の人生を。


2003年12月08日(月)

この頃よく思うことの一つにもっとゆったりとした時間を持ちたいと思うことがある。

毎日の生活の中で忙しさにかまけて、ぼっ~とする時間を失っている私。

人生には間が必要だと思いながら、それを見失っている私。

一日の中で数分で良い、目を瞑って何も考えない、何も思わない時間を持ちたい。

心を無に出来る時間。

これは生きていく上でとても大事なことだと思える。

いつも何かに追いたてられた気のしている今の私の過ごし方に疑問を持っていた。

ゆとりというほどのものでなくて良い。

只、ちょっとした心の間を持ちたい。

音楽でも何でも芸術はその人の持っている心の中から生まれると思う。

今こうして毎日の生活の中で音楽を愛し楽しもうとしている私だからこそ、もっと間を持ちたいと思うのだ。

忙しくて間のない人の中に音楽を愛する心なんて育つはずはない。

心で感じるピアノなんで弾けるはずもない。

一音一音の音の色を感じたい。

一つ一つの音を感じて歌いたい。

私の心や生活の中に、このちょっとした間が生まれたら、

きっと、今弾いている私のピアノの音に色が付くはず。

そうすれば自分が自分に何かを感じることが出来るはず。

絵だってそうだ。

昨日もポインセチアと水仙の絵手紙を描いたけれど、私の心の中に出す相手の顔が浮かび、私の心の中で言いたいことが見つかったからこそあんなにたくさんの絵手紙が描けたのだと思う。

描いた後で見直して、絵の上手いヘタではなく、一枚一枚に私の心を見ることができた。

これも、私が花を見る心、描く心、そして相手に伝えたい心があったからだと思う。

私の生活に少しだけ暖かな風が吹き始めたからだろう。

人に左右されない私自身の生き方を思うようになったからだと思う。

間、

このちょっとしたことを大切にしたい。

私は私の人生を歩きたい。

心をそして人との出会いを大切にしたい。

私の残された人生を悔いのないものにしたい。

そう思う。


2003年12月07日(日) 一つごと

誰でも、何でも一つのことを続けるということはとても大事なことだと思う。

何十年という長い年月をかけて熟練された技巧ってすごいものがあるから。

そんな大げさなものではないけれど、私の場合は絵手紙やピアノでそれを実感している。

絵手紙を描き始めて3年が過ぎた。

初めは姉の描くのを見ていて、私には描けないと思っていた。

絵を描くのは好きだけれど、うまく描けないから、この上手く描こうと思う気持がいけないのだろうけれど、私は二の足を踏んでいた。

でも、ちょっとしたきっかけで始めた絵手紙がとても喜んでもらえるのを知り、こうして今まで続いている。

親友が先日の絵手紙展に出した作品を見てくれて、「初めに比べると随分上手くなったね!」と言ってくれた。

嬉しかった。

いくら絵手紙は「ヘタで良い、ヘタが良い」と言うものの、やはり上手に描けている人の絵手紙は良いものだから。

上手いというのではなくて、その人の個性の出ている絵手紙が好きだ。

とても魅力を感じる。

こうして絵手紙は何とか人に喜んでもらえるようになったけれど、もうひとつのピアノが・・・

ピアノを習い始めたのが今から6年前。

母の入院、手術のために中断してその後習いに行くのを止めてしまった。

自分で楽譜を買ってきて自由に弾こうと思ったのだ。

でも、やはり自分に甘くなってしまった。

出来やすいものはいくらでもするのだけれど、ちょっと難しいと思うことには躊躇してしまうのだ。

練習をサボることを始めるとそれに慣れてしまって・・・

そんな期間が長かった。

それがある人と知り合ってから私がまたピアノに目覚めることになった。

そして一年近くなる。

その人は仕事をしながら時間を作ってショパン、ベートーベンの曲に挑戦している。

話を聞くたびに凄い!と思った。

そしてその人に触発されたように私はピアノの蓋を開けるようになった。

毎日短い時間でも良い、ピアノに向かうようになったのだ。

ピアノは弾かないと弾けなくなる。

これはどんな上手な人でも同じみたい。

ピアノの先生だってそうだと仰っていた。

だから一日弾かないと取り戻すのに三日かかるといわれた。

私のように拙い人にとって一日休むことは三日で追いつくことができないほどだ。

今私はクリスマスに向けての曲を練習している。

グノーのアベマリア。

簡単な曲だから練習しているというのさえ憚られる。

でも、私は人に褒められたいと思って弾いているのではない。

私は私が弾きたいアベマリアを目指している。

マリアのようなやさしい人の心に訴えるもののある弾き方をしたい。

一音一音を大事にしたい。

速く弾くことが良いとは思わない。

ゆっくりでも良い、感情を込めて歌うように弾きたい。

一つの曲を仕上げる時間が人一倍かかる私だ。

でも人と比べるのではなく、私のペースで練習したいと思う。

一つのことを長く続ける、この根気こそが一番大事なことだと思うから。


2003年12月06日(土) 今を未来へ

あなたは何のために生きているのだろう?

あなたは今というこの一瞬をどんなに大事に思っているのだろうか?

私が小さい頃から母に言われ続けてきた言葉の中に、

「今日という日が平凡に何事もなく過ぎていくのが一番」

「今というこの時間が明日へつながっている」

と言う言葉がある。

私も人生50年を生きてきてようやく母の言っている言葉が分かるようになった。

未来を期待するのでもなく、

過去ばかり振り返って後悔するのではなく、

今というこの一瞬を大事にして生きていけば、

やがてそれは自分自身の未来へと続いていると思えるようになったから。

自分自身の人生の中ではどんな人も皆主人公だ。

自分が書いた脚本通りには演じることができなくてもそれはそれで良いと思う。

人生には思ってもみなかったことが起きる。

そのハプニングがあるからこそ、楽しいとも言えるのではないか。

勿論思いがけないことの中には嬉しいことや悲しいこと、色々ある。

でも、その悲しいと感じるのも嬉しいと感じるのも自分自身の心だ。

心の持ち方で生き方は変わってくる。

自分が悔いのない人生を送りたいなら、今というこの一瞬をもっともっと大事にしよう。

朝の来ない夜はない。

いくら辛いことがあっても、いつかは立ち直ことは出来ると信じよう。

真っ黒な心にはどんな色でも似合うのだ。

今のこの一瞬というかけがえのない時間を大事にしたい。

それが私の未来への道だと信じているから。


2003年12月05日(金) 人との出会い、物との出会い

一昨日、松山の女性福祉総合センターで開催されていた私達仲間の絵手紙展が終わった。

先月の23日、大阪からのメル友たちが来てくれた日に始まって約10日ほどの展覧会だった。

今度は今までのように銀行ではなかったので、見に行こうと思って見に行ってくれる人でなければ、見えない会場だった。

それでも、たくさんの方たちに見てもらえたことがとても嬉しい。

大阪から見に来てくれた方たちには勿論のこと、松山近辺からでも、電車やマイカーに乗って来てくれた人達に心からの感謝をしている。

人との出会いは偶然によるものが多い。

そしてこれこそ縁というものだと思う。

人との出会いを大切にしたいと思っている私にとって、こうして何かの縁で知り合うことができた人たちを大事にしたいと思っている。

顔を知っている人だけではなく、顔も知らないネット上の知り合いの人も多い。

そして、その人たちが居てくれるから私が居ると言っても過言ではない気がする。

人だけではなく、ものとの出会いも大事にしたい。

本屋さんで偶然手にして買った本、

マーケットでたまたま試食して買った新製品、

買うつもりもないのに、試着して手放せなくなって買った服、

ショーウインドウのガラス越しに一目ぼれして、その場を動くことができず長い間見つめて、結局買い求めたバッグ。

これらの物との出会いも縁があったのだと思う。

人が生きていく上で絶対に必要なもの、

それは自分以外の存在。

人は一人では生きられないから、いくら一人が良いと思うときがあってもそれは一時のもの。

いつも何かに囲まれて、何かを使って生活している。

また、誰かの助けを受けることもある。

誰かが居てくれるからこそ元気でいられるということもある。

こういったいろいろの人や物との出会いは私の宝だ。

今までもそうだったけれど、これからも人や物との出会いを大切にして生きて行きたいと思う。


2003年12月04日(木) 勉強

人生はいつも勉強なのかもしれない。

勉強は何も学校でするだけのものではないと思う。

この最近つくづくそう思うようになった。

子どもの頃から大学までしてきた勉強は何だったんだろう?と思うことがある。

読み書きができるようになるための基礎の勉強は勿論大事だ。

そして自分が将来したい仕事に就くためにはそのための勉強は要る。

今私は娘にいつも言っていることがある。

娘は中学二年生、来年は高校受験を前にする中三になる。

今している勉強は実力テストや期末テストの点を取るため、通知表の点を浴するためのものではなく、

あくまでも将来の自分に向かって歩いていく途中のものだ。

大学に入るとき、選択肢を多くするために勉強をしているのだと言っている。

大学が全てではない。

でも、専門的な仕事に就くならそれを勉強する場所へ入らなければならない。

だから、選択するときに学力がなくて選べられないということのないようにするための勉強だと思うから。

私は今50歳を過ぎ、ようやく本当の勉強が何かについて分かったような気がする。

私は小さい頃から勉強する子だった。

努力もしてきたしそれなりの結果も出た。

でも、今の私に何が残っているだろうか?

あの一生懸命にやってきたことが身に付いていないではないか。

間違っていたように思う。

しなければならないと思ってしてきた勉強は身に付いていない。

この間からあることについて人に質問をされた。

私も疑問に思っていたことだったし、その人に正しい答えをしたいために調べることにした。

時間はかかるし大変だったけれど、調べていくうちにとても楽しくなった。

そしてあることが分かると次にまた知りたいことが出てきた。

昨日は図書館へ行って調べたし本を借りてきて読んでいる。

調べたり勉強することがこんなに楽しいなんて!

自分が興味のあることを調べて勉強していく楽しさをこの年になって初めて知った。

楽しい。

本当に楽しいのだ。

「これが本当の勉強だ!」と夫に話した。

毎日、否一生勉強だと思う。

人のためにするのではなく、自分自身のためにする勉強だ。

今の子どもたちもこういう勉強の仕方をすればきっと皆勉強大好きになると思う。

興味を持ち、知りたいと思う気持、これが一番大切なことではないかと思う。


2003年12月03日(水) 良い女

あの時、

もしも、私が今のように思えていたら、

きっと心の病気にはならなくて、

また違った人生を歩んでいられたような気がする。

あの時、

もっと自分自身を大事に思っていたら、

きっと乗り越えられていたのだと思う。

誰でも自分が愛する人への気持ちが通じず、

恋を失うことは辛いことだと思う。

初めて、本当に生まれて初めて本気で人を愛した私だった。

信じて疑うこともなかった純情な私だった。

あれから30年の年月が流れた。

年は無駄に重ねているのではないということだ。

もしも、今の私にあの時と同じようなことが起きたとしたら、

違った対応ができると思う。

あの時は相手のことを恨むことや憎むことなど思いもしなかった。

只、悲しみと辛さだけの世界だった。

食事も出来ず拒食症で命さえ危ないくらいにやせ衰えた時でも

その人のことを思っていた私。

まあなんと可愛い女だったことか!

でも、その思いが相手には重かったんだと思う。

一途に人を思う気持ちだけが良いのではないと思えるようになった。

今なら、相手のことを恨んだり憎んだりはしないのは同じだけれど、

もっと自分自身のことを考えるだろうと思う。

もっと自分の体を大事にすると思う。

そして、ちょっと嫌味かもしれないけれど、

その別れた人と再会したときに

「ああ~~良い女だった・・・
 別れたのではなかった・・・」と

後悔するような良い女になろうと思う。

それが今の私の対応方法。

あの時には思ってもみなかったこと。

でも、これって一番良いのでは?(^0^)


2003年12月02日(火) 心身とも楽に

この最近の不摂生の所為か、体調を崩していた。

私は元々早寝早起きの人なのに、PCを始めてから遅い時間まで起きていることが多くなっていた。

この数日前に風邪を引き熱っぽかったし、しんどくて家事さえやる気が出なかった。

でも、私の悪い癖で頑張っていた。

絵手紙年賀状も全部描きあげ表書きも済ませた。

これがいけないんだと思いながら、分かっていてもなかなか途中で止めようと思えないのだ。

これは死ぬまで直らないないかもしれないな。

でも、早寝をすることにした。

昨日も一昨日も早くに寝ることにしたのだ。

9時過ぎには蒲団に入っていた。

朝起きるのが4時なので、9時にはもうまぶたが重くなっている。

私は寝つきが良いので、蒲団に入るとすぐに寝てしまっていた。

寝る前には暗いことやいやなことを考えないようにしている。

楽しいことや嬉しいことを思うようにしている。

そうすると以前よりも早く寝付けるようになった。

昔は心配ごとや悩み事を思いながら寝ていたのでなかなか眠れなかった。

同じ考えが頭に中を堂々巡りして、おまけに余計な最悪のことを考えてしまっていた。

天風先生の仰ることの中に「寝る前には何も考えないようにしよう」という言葉があるが、まさにそのとおりだと思う。

寝る前に悪いことを考えるとその考えが潜在意識の中に入ってくる。

悪く思うことが現実になってしまいそうになる。

だから、何でも元気にまた積極的に考えることはできないけれど、せめて寝る前には何も考えないようにするくらいは容易いことだと思った。

あれほど落ち込み地球の裏側まで掘り進んで行った私だけれど、裏側に立ったからか、もう大丈夫な私が居る。

あれほど悩んでいたことが少しずつ思わないようになってきている。

全てを忘れたり考えないようになるまでには時間がかかるだろう。

でも、それで良い。

無理はしないようにしたいから。

なるようになるのだと思えるようになった。

楽な生き方がしたいと思うようになった。

心身共に楽な生き方がしたい。

無駄に年を重ねてきたのではないのだから。


2003年12月01日(月) 強い人

人は神ではない。

だから、邪悪な気持ち、弱い気持ちになっても良いのではないかと思うようになった。

中村天風先生の仰ることは尤もなことだとは思う。

「体が病でも気持ちは病になる必要はない。

心を元気に、心を積極的になればたとえ病の身であっても元気で居られる。

もしも、弱い気持ちになりそうになったら、その弱い気持ちを消し去り、自分の中の強さを信じよう」と言う。

私は見かけは強そうな人に見えるようだ。

これは生まれ付いての病のために、小さい頃から自然に自分自身をしっかりと支えようと思って生きてきたかもしれない。

運動は全部禁止されていたから、その分勉強で頑張ろうと思った。

そしてそれなりに努力もしたし成果もあった。

勝気な女は男性から見ると可愛げのないと思われるだろう。

男性は守ってやりたいと思うそんな女性が良いのかもしれない。

だから、私はきっと可愛い女ではないのだろうと思う。

でも、19歳の時心の病気になって心療内科に入院したとき、主治医に言われた言葉がある。

「あなたはまるでガラス細工のような人だ」と。

自分自身で気持ちを強く持って支えていってはいるけれど、それは私の本当の姿ではないと言われた。

だから、何かあると直ぐに落ち込み、自分を駄目だと思ってしまうのだ。

普段一生懸命に自分を支えて生きているからこそ、何かあるとその反動は凄いものになる。

毎日を適当に生きていける人が羨ましい。

私の周りにはそういう人も居るし、また反対に自分自身を厳しく律して理想な自分になろうと頑張っている人も居る。

はじめはそんな強い人に憧れていたし、私も同じようになりたいと思っていた。

でも、それは無理だった。

そして今はそんな強い人にはなれないと思っている私が居る。

今の私で良いじゃないかと思うようになった。

そう思えるようになった途端とても楽になった。

結局は自分の人生を楽に生きていくことが一番大事なことではないかと思う。

人はそれぞれ考えかたも生き方も違う。

そしてそれが当たり前だと思う。

私が強い人に憧れ自分を変えようと思っていたころは無理をしていたのだと思う。

今はそんな強さを持った人と同じようになりたいと思わなくなった。

私は私なのだ。

私の人生の中での主人公は私自身だ。

自分の人生に恥じる生き方をしたくないと思って理想的な生き方をするのも良い。

でも、私は強いようで、どこか抜けているところ、弱さの見えるところを持ち合わせている人が好きだ。

こうでないといけないと思って生きるのはやめようと思う。

なるようになると思おう。

気楽に!

これが今の私に欠けている一番のものではないかと思う。


スカーレット